新・伊野孝行のブログ

2020.4.7

コロなめ日記

4月◯日
不要不急の外出はひかえるべしですが、用事があったので久しぶりに電車に乗って品川まで外出。
事をすませて運動不足解消のために目黒まで歩く。ところどころで桜が満開。
とんかつの名店「とんき」を見つけたので入ってみる。まだ5時前だったからか、ガラガラ。白木造りのカウンターに座る。店は大きいのにカウンターしかない。
カウンターの中が広い。見たことのないタイプの床板の張り方。使い込まれて角のすり減ったこれまた白木の引き出し。カウンターの中には従業員が7、8人いるが、それでも悠々として広い。カウンターからトンカツを揚げたり、キャベツを盛ったりする仕事が鑑賞できる。奥にも調理場がもう一部屋ある。お米を研いだりしてるのかもしれない。鑑賞させる仕事ではないということなのかもしれない。
しかし、カウンターの中のみなさんはヒマで手持ち無沙汰の様子。でもダレていないのが名店のたたずまい。スタッフの私語はない。自分にも経験があるが飲食店、ヒマな時は逆にしんどい。
「とんき」は池波正太郎の『食卓の情景』に出てくるお店で、のれん分けしたお店(国分寺)には行ったことがあるが、本店ははじめてだった。100%ラードで揚げたトンカツは、食べた後に、今日トンカツ食べたってことを忘れるくらい胃もたれしない。
店を出る頃には少しづつお客も入り始める。持ち帰りの注文の電話が何件かあった。
余談ですが、駅ビルにあった林家夫妻のボード。

※「とんき」は緊急事態宣言発令に伴い8日〜21日まで休業だそうです。

4月◯日
カタログハウスの雑誌『益軒さん』が届く。今年から表紙と裏表紙を描いている。お花見の絵。益軒さんが場所取りをして、みんなを呼んでいる。二コマ漫画のように裏表紙がオチになっていてる。自分の場所がなくなちゃった益軒さん。今年は桜も静かに過ごせたでしょう。




4月◯日
半月ほど前に『現代用語の基礎知識』増刊号のために、時事風刺漫画を3点描いた。出版されるまでのタイムラグを考慮しなければならない。3月上旬、話題になっていたもろもろの中で、コロナウィルスは若干の緊張感とのんきさを持ち合わせていて漫画のネタにしやすかった。コロナが浮き彫りにする政治や国民の様子など。本屋に並ぶ頃もまだ話題は続いているだろう。
ところが、コロナは予想を超えた騒動となり状況が変わってしまった。世の中は殺伐。描いた漫画のシャレが思いっきり不謹慎な感じ。というわけで、急遽、3点とも漫画を描き変えて編集部に送る。うう、コロナめ。

4月◯日
今月下旬に大阪に小説家の大島真寿美さんたちと文楽を観に行くことになっていたが、やはり中止になった。
2月に「豊竹呂太夫師匠文楽発声教室」@文藝春秋西館地下というのに参加した。お稽古の後の二次会で、呂太夫師匠に「あんた見込みあるで」とサービスで言われ、ついその気になって、覚えた一節をしばらく自宅でうなっていた。実際に少しお稽古をすると、義太夫のカッコよさと難しさが、「観てるだけ」の時とは違う次元で理解できる。
大島真寿美さんはご存知のように『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』で直木賞を受賞されているが、3・4月合併号の『オール讀物』で外伝ともいえる『水や空 妹背山婦女庭訓 波模様』を発表された。なんと今回の主人公は、私が最も愛する画家の一人、耳鳥斎(にちょうさい)なのだ。耳鳥斎は絵だけでなく義太夫にも才があったんですね。「水や空」は耳鳥斎の画集の名前。耳鳥斎が主人公の小説というのはおそらく史上初でしょう。

2020.3.31

『カツベン!』とマントの襟

29日は雪だった。
天気予報は何日も前から29日の雪を予想していた。前日までぬくぬく陽気だったので信じられなかった。
二階の窓を開けると、隣の家の桜に雪が降り積もっている。
花に嵐のたとえはあるが、花に雪とはあな珍しや。
酒や酒や、酒もってこい!雪見酒と花見酒ができるチャンスである。

その晩は変な夢を見た。
高校の修学旅行。移動中に他クラスの生徒と話す機会があった。Sという名前だった。思いのほか話し込んでしまう。別れ際、ぼくは彼にこう言った。「S君がしゃべってるのは48歳の俺が夢の中で見ている18歳の俺なんだよ」と。S君はなかなか理解ができないようだった。

30日は10時に下高井戸シネマへ周防正行監督『カツベン!』を観に行く。
コロナ対策で一席間隔で養生テープが貼られている。スマホの電源を切る前に、LINEをチェックすると「志村けんが死んだぞー」と入っていた。ショック!
映画が始まっても、志村けんの顔が頭から離れない。

『カツベン!』はとてもよくできた映画だった。
活動弁士って外国にもいるものだと思っていたが、日本にしかいなかったんだ。知らなかった。
映画が面白くなくても活動弁士が面白く語って聞かせる。「客は映画を観にきてるんじゃない、活動弁士の俺を観にきているんだ!」と吠える弁士も登場していた。映画とは何かを考えさせられる映画でもあった。

活動弁士と同じく、紙芝居も日本にしかないものだ(紙芝居も外国にあると思ってた)。日本は語り芸の国か。

これは『ダイヤモンド・ザイ』に描いた「怪人二十面相と少年探偵団」風の絵だ。
誌面では怪人二十面相たちが株の話を展開していく。怪人二十面相や明智小五郎、少年探偵団といったキャラは今の読者にも通じるものなんだろうか。
小学校の図書館に江戸川乱歩のシリーズがあったが、ぼくは当時ほとんど本を読まなかったので詳しくない。株をやってるお父さんたちにはちょうどいい狂言回しなのかもしれない。




ところで、怪人二十面相のマントだが、裏が赤いと絵に映える。また襟が立っているとカッコいい。
こういうマントはどこから来たのか。たぶんドラキュラ伯爵ではないか。引用すると負けた気になるウィキペディアにこんなことが書いてあった。1920年代に上演された舞台の話だ。

〈この舞台ではドラキュラが観客に背を向けて一瞬にして消滅するイリュージョンの演出があり、そのために後頭部(首)が隠れる大きな襟の立ったマントが必要だった。ドラキュラのマントの襟が立っているのはこの時の名残である。ちなみにマントの正確な着方は、襟を寝かせるもの。このスタイルを初めて映像化したのが『魔人ドラキュラ』(1931年)である。〉

襟はもともと立てるものではないから、立たせるためには、芯のようなものを入れないといけない。
こんな具合にな!グワッハハハハハ!!

2020.3.24

妖怪 meets SPORTS

東洋大学学報の「OB・OGの今」というコーナーに載せてもらいました。

取材のために26年ぶりに母校を訪れると……そこは見たこともない別世界。なんて立派な校舎なんだ!浦島太郎状態でありました。
ぼくが学生だった頃は、日本一授業料が安い私立大学だったと記憶してます。国立大学の授業料とそう変わらなかったような。その代わり校舎はオンボロで建て替え工事がはじまっていました。

もし東洋大学じゃなくて、東京大学卒業だったら、引きこもりしてても「東大なんですか、すごいですね」って言われちゃいますよ。
今となって思えば、肩書きにあまり効力がなかったのがよかったナ。肩書きが使えるのって、就職活動くらいまでで、実際はあんまり使えなくないですか?イラストレーターなんてやってるからそう思うのでしょうか。東大に行かなかったから(行けるわけないし)、藝大に行かなかったから(たぶん受からなかったでしょう) 、今の私になっています。
このインタビューでもちらっと出てくるけど「美術研究部」という部活に入ってて、まったく真剣に絵は描いてなかったんですが、そこにたまたま居合わせた仲間が非常に良かったね。当時は敬語を使ってた先輩たちにも今は平気でタメ口です。

クリックすると読めます。「OB・OGの今 イラストレーター 伊野孝行さん」

なぜ有名でもないぼくにこのコーナーの依頼がきたかって言うと(前号は村田諒太選手だよ!)、実は東洋大学のオリンピック・パラリンピックの連携事業「妖怪 meets SPORTS」っていうWEBページの絵を描いたんです。

↓バナーを是非ともクリックしてみよう!妖怪たちが飛び出てくるぞ!「妖怪 meets SPORTS」


ウチの創立者は井上円了って人なんですが、妖怪研究家なんですよ。それで東洋大学といえば妖怪っていうのが売りだったんです。
でも妖怪研究といっても、人々を根拠のない迷信から解放し、合理的、実証的な精神を身につけさせるべく頑張った先生なので、水木しげる先生とは真逆の妖怪博士なんです。

だいだらぼっち

天狗

かまいたち



百鬼夜行

朧車

ぬえ

垢なめ

ヤマタノオロチ

河童


取材を受けた時にもらったムックには、水木しげる先生の井上円了の伝記が載っていました。
余談ですが、母校の学食、学食ランキング2年連続1位らしいじゃん。このあいだは、食べる機会がなかったけど、記事を読むと充実してるなぁ。
ぼくの時は古くて、薄暗い学食でさ、ラーメンだけが美味しかった。ラーメンのスープを煮込む寸胴に、いろんな野菜くずやら卵の殻が放り込んであって、なんだか汚らしかったんだけど、いい出汁が出てたんだね。今の学食の方が断然いいんだろうけど、記憶の中の学食に脳内トリップしたら、そっちの方へ行きたくなりました。
あれから26年。月日の経つのは早いものです。そしてオリンピックはどうなるのでしょうか。
学食ランキング2年連続1位!『東洋大学』白山キャンパスの学生食堂の実力を満喫してきた!!