新・伊野孝行のブログ

タグ:エッセイ

2021.3.25

『となりの一休さん』発売

奥付を見ると3月26日発行となっているが、書店によってはもう一昨日くらいから売ってるところもあるようなので、おおよそのところ「発売!」と声を張ってもいいでしょう。
数え年50歳にして、ついに本屋に自分の本が並びましたよ。(リトルプレスから何冊か本を出してるけど、今回はメジャーデビュー)

春陽堂書店刊『となりの一休さん』です。

Eテレのアニメ番組「オトナの一休さん」の作画を担当したのが2016、2017年。番組が終わって一休さんとおさらばするかと思いきや、大徳寺真珠庵の襖絵を描いたり、酬恩庵一休寺で展示をしたり、一休さんとの縁は切れてなくて、ついには自分で本にしてしまった。

一休さんのように自由に生きたい。いや、自由に生きたいと思っていたところに、一休さんが飛び込んできたのか。どっちにしろ、自由でいることは簡単なことではないので、その良き伴走者として一休さんが「となり」にいて欲しい。タイトルにはそんな意味があります。

「オトナの一休さん」の一文字違いのタイトルで、紛らわしく商売をするという狙い通り、アニメが本になったと勘違いなさっている方もおられるようですが、番組とは別物です(『おとなりの一休さん』という候補もあった 笑)。
一休さんは歴史上の人物なのでどう描こうが勝手だけど、さすがに「オトナの一休さん」の世界観でやるのはマズい。でも、「オトナの一休さん」をご覧になられた方ならより楽しめる本になっています。

今回はどういう切り口で一休さんに迫るのか。
これが最も頭を悩ましたところですが、自分にしか出来ない方法を……と考えると結局のところバラエティブックのような形になりました。
バラエティブックというジャンルに詳しいわけではない。エッセイやコラムや評論や対談、ビジュアルは写真やイラスト、漫画などが単行本の中に編集されている本のことかな。
直接的に言えば、ぼくが昔、古本屋で買った、伊丹十三『小説より奇なり』と、和田誠『倫敦巴里』。この2冊の影響は大きいと思う。いろいろ工夫が凝らしてあって、読み飽きない、見飽きない。
伊丹十三さん、和田誠さんがそれぞれ一人で完成させている。
この表現手段は、「口笛を吹けば音楽で、手紙を書けば文学で、落書きをすれば美術だ」という極めてお気楽な態度で、なにごとも始めたい自分にはピッタリだとも思ってました。
『となりの一休さん』は、6ページのすごろく、15本のエッセイ、5本の漫画、2本の対談、14枚の見開きの絵、他に写真やカットで構成されています。

一人で完成させる、とは書いたけど、もちろん本は一人ではできません。
声をかけてくださった春陽堂の永安浩美さん、最初から最後までお付き合いくださった編集の岡﨑知恵子さん、綺麗なブックデザインに仕上げてくださったB-GRAPHIXの日下潤一さん、赤波江春奈さんに感謝します。
そして、対談をお願いした飯島孝良先生のご協力があってこそ、「一休さん本」として世に送り出すことができました。ありがとうございました。

とりあえず、ブログでのご報告はこのへんで。
詳しい内容については、またの機会にしつこく宣伝すると思うのでのでご容赦ください。

〈追記〉
4月24日の毎日新聞の書評欄で取り上げていただきました。

2021.3.9

シナリオハンティング

今年からブログは不定期更新にしたのだけど、まさかこんなに更新しなくなるとは思わなかった。前回の更新が1月7日で、あれから2ヶ月も経っている。
「毎週更新」は自分のアイデンティティのひとつくらいに勘定していたが、やめてもなんともない。むしろ、煩わしいことが減ってラッキー。
つくづく無理やりやってたんだなと思う(最初は無理やりなんかじゃない。ブログを更新するくらいしかやることがなかった)。

無理やり更新するというのは、書くことがないのに書いている状態だ。「言いたいことがあるから表現する」のが創作の出発点で、好きだから、楽しいから、も同様。思いと行動の間に疑問を挟む余地がない。
「言いたいことがないけど言う」「好きでもないのに好きになる」「楽しくないけど楽しむ」は疑問を挟む余地だらけだ。夢中な時は忘我になれるが、常にソッポを向いてしまう自分がいる。こいつを制しなければいけない。

いやいやながらやっていて、うっかりチョロっと楽しくなってしまうこともあるだろう?それは人生を楽しむ上でもとてもいいことだ。

……などとつい行稼ぎ芸に精を出してしまった。

ブログは更新していないが、SNSには書き込んでいる。でもSNSは流れ去っていくので、やはりブログにまとめておこう。となるともうブログはSNSのまとめ記事なのだろうか。堕ちたもんだ。

月刊「シナリオ」の表紙を描いた。
今月の特集はシナリオハンティング (シナリオを書くために取材に行くこと)。シナリオライターと土地の風景の両方を主役にしたいと思い、こんな絵に。絵のモデルは脚本家の和田清人さん。深夜ドラマ『日本ボロ宿紀行』のシナハンで行った銚子市の外川漁港。
ふだんあまり風景をメインに描かない。どうしても人物をメインで描いてしまう。こういう絵になったのもテーマ(これもまた無理にでも受け止めなきゃいけないモノである)のおかげだ。

縦構図なので風景が描きにくいが、逆に縦であることを利用しよう。坂道があって、水平線が見え隠れする景色というのは、人間が理屈抜きに共感できるような気がしているがどうだろう。

月刊「シナリオ」では作文も連載している。「ぼくの映画館は家から5分」は下高井戸シネマにのみ的を絞ったエッセイ。『エクストリーム・ジョブ』を取り上げながら下高井戸に勃発した唐揚げ屋戦争について書いています。おんどれ!タピオカ屋戦争が終わったら、唐揚げ屋戦争なんじゃ〜!

去年の9月に引っ越しをした。この連載のことをうっかり忘れていたが、引っ越しても映画館まで歩いて5分だったという奇跡的な話。

これは『mid90s ミッドナインティーズ』を観に行った時に出くわした実話です。歳をとると、感動もすぐに忘れるが、彼らの中にはまだ残っているだろう。

SNSにアップした時『mid90s ミッドナインティーズ』の反応が多かった。しかし、自分としては『エクストリーム・ジョブ』の方が気に入っている。しかし、この連載も、やりたいやりたい!書きたい書きたい!でやっているわけではなくて、無理やりである。何せ下高井戸界隈限定なので、いつもネタに困っている。でも逆にテーマの狭さに助けられていることの方が多いかもしれない。

こんな連載、誰が読んでいるんだろうかと思っていたら、「小説新潮」の編集者が読んでいてくださったようで、読み切りエッセイの依頼があった。雑誌で掲載された一月後にウェブの「デイリー新潮」に転載され、同日Yahooニュースにも転載されていた。↓

イラストレーター「伊野孝行」が20年モノの中古自転車と“相棒”になれた理由

一時的に小木とまっちゃんに挟まれる。よりによってなぜこの記事がピックアップされたのだろう。よほどニュースがなかったのか。

実は、原稿の元になっているのはブログの記事(2020.5.12)なので、既読感のある方もいらっしゃるかもしれない。いわば、ブログがYahooニュースにもなったと言えなくもない。
やっぱりブログは無理やりにでも続けた方がいいのだろうか。

2020.9.29

引っ越しても、歩いて5分

今日はまじめにブログを更新しよう。
実は今、引越しの真っ最中であります。これがちょっと特殊な引越しで、となりの部屋に引っ越します。
ウチはメゾネット住宅というのか、一軒家を二つに仕切って、それぞれに玄関がついている(もともとは大家さんと息子夫婦が二世帯で住むように作られた建物)。先月、となりに住んでいた転勤家族が地元に戻って行き、空いたのでそっちに引っ越すことにしたのです。
となりの方がかなり広い。
部屋番号というものはなく、同じ敷地に建つ一軒家なので当然引っ越しても住所が同じ。これも気に入りました。転居のお知らせをする必要がないからです。
でもガス、水道、電気、電話会社には連絡しなくてはなりません。最近はネットから入力できる。でも、同じ住所を入力するとエラーになるので、直接電話して説明しました。それでも伝達ミスがあったのか、ガスの開栓に立会人が来なかった。仕方がないので、数日間お風呂だけは旧我が家で入りました。
部屋の広さや間取りは違っても、基本的に同じ家なので雰囲気はあまり変わらないし、窓から見える景色もちょっとズレるだけ。
あたりまえですが最寄駅も変わりません。
つまり、引っ越しても下高井戸シネマまで歩いて5分なのです。
というわけで、月刊「シナリオ」で連載している『ぼくの映画館は家から5分』の最近分を紹介しよう。
もし、他の街に引っ越していたら、この連載を終わらせるか、『ぼくの映画館は家から電車で40分』とかにタイトルを変更しなくてはいけませんでした。電車で40分もかかったら、すでにぼくの映画館ではないね……。






月刊「シナリオ」はこの連載だけでなく、中身のイラストも全部一人で描いてます。たまに表紙まで描くこともあります。まったくもって大車輪の大活躍である。しかも、ラフもなしに好きに描いて渡している。これで原稿料がよかったらなぁ……なんてことは1ミリも思ってません。『話の特集』の無給のアートディレクター兼イラストレーター、和田誠さん気分を少しでも味わえるのだから。
8月号の表紙に描いた女性はイランの脚本家、ナグメ・サミニさんです。一般の人は誰も知らんでしょう。私も知りませんでした。凛とした美人で超知的な方。イランって抜けるような青空のイメージがあるんですけど、いつか行ってみたいな。






さて、まだ引越し作業が残っています。
旧我が家には12年も住んだので、移ることに若干の寂しさもあったのですが、家具やガラクタが部屋からなくなると、ただの箱という感じになって、未練はさっぱりありません。

2020.9.15

夏から秋へ

急に夏から秋になった。季節の変化に気持ちがついていけないのか、すべてのことが手につかない。
そんなわけで今週のブログはサボるつもりでいたのだが、死力の限りをふり絞って、パソコンにしがみついているところだ。

毎年、夏になると麦茶ってこんなに美味しいのか、そうめんって毎日でも食べたいな、と思う。結局、麦茶とそうめんを愛するのは夏だけなのである。
あんなに夏にいじめられると、永遠に夏が続くような気がしていた。長袖のシャツなど捨ててしまってもいいと思った。この後、冬が来るなど信じられない。

夏の終わり、小さな庭に見知らぬ芽が出ていた。成長が著しく早い。俺は雑草なんかじゃないっすよ、という雰囲気を持っている。なんだろう?鳥がひまわりの種でも運んできたか。
背丈の低いまわりの植物を覆うほどに豊かな葉を次々とつけていった。
しばらくすると細かくて白い花を咲かせた。あきらかに雑草ぽかった。
その白い花を目当てにどこからか小蝿が飛んで来る。

昨日、スーパーに行く途中、道端にウチのとおんなじ植物が生えているのを見つけた。やはり雑草じゃん。確定。
早速家に戻るや、引っこ抜いた。雑草の陰になっていたレモンの苗木に派手な色のイモムシが何匹もいた。悪いけど、こっちもお陀仏してもらうよ。
虫も殺したくない気分なのに。
季節の変わり目、どうぞ皆様もお元気で。