新・伊野孝行のブログ

2025.10.14

「人はなぜ風景を描くのか」妙録(後編)

前回からのつづきです。

近代になってようやく風景画が盛り上がって来た西洋に比べ、中国では早くも宋の時代に山水画がライジング。山水画は理想としての場所。「気」が描けているどうかが重要だったようです。絵の中には仙人みたいな人がいたりします。
中国を先生と仰いでいた日本でも当然山水画は流行ります。与謝蕪村や池大雅が有名ですが、同時代では伊藤若冲や曾我蕭白も現実にはありえへんような山水画を描いてます。
ありえなくても全然大丈夫なんです。山水画は写生で描いているわけではないから。心を遊ばせるための絵なのです。

「風呂敷山水図屏風」

最後の狩野派にして近代「日本画」の立役者、狩野芳崖は「風呂敷をばっと投げて偶然できた形から山水を起こす、そんなやり方もある」というようなことを言ってたようです。なるほど、頭の中でこしらえる景色はどうしても観念的になりがち。
硬めの風呂敷が家にあったので投げてみました。なかなかいい感じの山にならないのですが、手を加えては作為的になります。20回くらい放り投げて、いい感じの起伏ができたのを選びます。

上の絵の元になった風呂敷の形
「風呂敷山水図」
上の絵の元になった風呂敷の形

さらに私は、別にやる必要はないのですがセザンヌのセント・ヴィクトワール山を布団でやってみました。布団はすぐに山の形になりました。題して「布団ヴィクトワール山」。

「布団ヴィクトワール山」なんだか卑猥な形になっちゃった…
上の絵の元になった布団の形

セザンヌの有名な言葉に「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい」というのがあります。なんだか難しい言い方ですね。でも簡単に言っちゃえば、細部に捉われないで単純化しろってことでしょう。細部は魅力的ですが、そこから離れることで違う魅力に出会えます。セザンヌは写実的描写力が乏しかったので、開き直った発言なのかもしれません。
印象派、後期印象派の多くの画家が浮世絵の平面性に惹かれているのに、セザンヌはどこまでも立体なんですね。

「セザンヌの言葉」
「仕事に出かける画家」
「風景の中のセザンヌ 」

セザンヌは「近代絵画の父」と呼ばれたりもしますが、セザンヌの前から近代絵画は始まってたので、その呼び方には違和感があります。キュビスムや抽象画の父、つまり「現代美術の父」と呼んだ方が良くないですかね。
現代美術を難しく感じる方もいると思いますが、禅寺の枯山水も自然を抽象化したものと考えれば、セザンヌも枯山水も同じようなことを言ってるのです。枯山水を前にして頭にハテナマークを浮かべる人はいないでしょう。だいたい絵なんて難しく考えなくて大丈夫!という大雑把なまとめ方をしたのが下の絵です。
難しくしようとしている人は偉く見られたいだけです。

「セザンヌ枯山水」

日本の絵師たちの多くは影も描かなかったし、空も塗らなかった。不思議ですよね。
司馬江漢は鈴木春信の弟子でした。でも江漢は浮世絵師の絵に飽き足らず、西洋の絵にも興味津々。その後本格的に西洋風の絵を描こうと試みます。
当時は油絵具もなければキャンバスもなく、描き方さえもわからない。
ぼくは長い間、司馬江漢の絵は稚拙だと思っていました。意見を変えたのは最近です。

司馬江漢「七里ヶ浜図」

見てください、江漢の作りだす空間の気持ちよさ!空をこんなふうに描いた日本の絵師はいませんでした。確かに空はこの絵のように青く、雲はこの絵のように流れていく。空の成分や分子まで描かれている感じがします。司馬江漢いいね!

銭湯のペンキ絵っていつから富士山を描くようになったのでしょうか。江漢の絵によく似てますよね。だから銭湯に見立てて江漢と仲の良かった平賀源内を描きました。模写したわけですが、なかなか近づけませんでした。やっぱ司馬江漢うまいよ!

「司馬江漢 湯」

歌川広重は司馬江漢より後の時代の浮世絵師ですが、広重が西洋絵画にどの程度興味があったかのかぼくは詳しくないです。でも、広重の描く絵には、自然な感じで遠近感がついてます。広重には影が美しい月夜の夜景を描いた絵もある。
ゴッホは広重を2枚模写しています。広重の風景は名所絵なんですが、ゴッホは純粋に風景画として影響を受けたんじゃないかな。

歌川広重「東都名所 御茶之水之図」
「御茶之水之図の模写ちょっとゴッホ風」

風景を描くのが面白いと思ったのは、前にも言いましたがセツ・モードセミナーに行って長沢節先生に教わってからです。
セツ時代は、実際に出かけて行ってイーゼルを立てて風景を描いていました。

「風景を描く長沢節」

写真を資料にすると、すでに四角く切り取られたものを見て描くことになるので、描きやすくはあるけど、四角の境界線がはっきりしすぎる。生の眼で風景を見ると境界線なんて存在しないので、なんというかモチーフが出たり入ったりして面白いんです。
そんなわけで風景は実際に見て描くのが王道、なんて思ってたんですが、昔の人は風呂敷を放り投げて山水画を描いてたわけですから、最近はなんだっていいやと思ってます。

盆栽だって風景のミニチュア です。
岸田劉生もホックニーも無理矢理盆栽に仕立ててみました。

「岸田劉生鉢山図絵」
「ホックニー 鉢山図絵」
「盆景」
「松風」





伊野孝行 個展「人はなぜ風景を描くのか」HBギャラリー(2025年8月22日〜8月27日)