お問い合わせは 03-3324-7949

メールソフト起動

伊野孝行のブログ

絵の迷い道

イラストレーションの仕事は、向こうからテーマが与えられる。

原稿を読み、読者が記事や物語を思わず読みたくなるような切り口を探し、一番ふさわしいと思う絵を描く。

イラストレーションの仕事は相手に合わせることだが、テーマを「問い」だとすると、絵は自分にしか描けない「答え」になっていなければいけない。

仕事のテーマというのはまちまちだ。時々編集者の気まぐれかとも思える注文を目の前にし、どうして俺に頼んだのだろうと、途方にくれることもある。

しかし締め切りまでに描かなくては。

まずは、こびりついた「自分印のスタイル」を剥ぎ取ろう。そしてテキストと自分の間から絵が生まれてくるのを待つのだ。

相手から与えられるテーマとは別に、自分が追っかけるテーマというのがある。作り上げたスタイルは、自分のテーマが最も伝わる表現方法だったはずだ。

でもテーマを忘れてスタイルだけが形骸化してやいないか。

テーマをいろんな言い回しに言い換えることも、実はできる。

そうすれば、いろんなスタイルを使いこなせる。自分にテーマがあるからこそ、どんな球が来ても打てるのだ。自分にテーマがないのに、球を打ち返していると、「器用貧乏」と言われる。

ところが、最近、球を打ち返すことに一生懸命になりすぎたかもしれない。

引き出しが増えたと思っていたけど、肩透かしや猫だましだったのかもしれない。

お題はこなしている。球は打ち返している。でも、なんとなく絵が物足りないような……あ、もしかしてこれは器用貧乏に足を突っ込んでいるのかもしれない。最も自分が嫌だと思っていたはずなのに。

いつも同じスタイルで描くことは嫌だ、俺が描く絵はなんでも俺の絵なんだから、自由に描きたい!と思っているけど、いつの間にか、人に好かれていい子になっているだけのような気もしてきた。

イラスト仕事の特性とうまく利害が一致してしましい、気がついたら全然ワガママを言っていなかった、って感じ。

最近そんな気持ちによくなる。

自分にこんな絵が描けたんだ、って思えた時はこのやり方はいいと思う。新しいテーマが見つかる時だってある。でもうまくいかない時は、なんだ、こんな絵俺じゃなくても描けるじゃねえか、と思ってしまう。絵の中に俺がいない。

来週あたり、熊谷守一展を見ようと思っているので、青春のように悩んでいるのかもしれない。よし、俺は60歳になったら、スタイルを一つに絞るぞ!(たぶん、ムリ)去年暮れから「オール読物」で始まった大島真寿美さんの連載。時代物は楽しんで描ける。「小説現代」の読み切り。すごくいい短編小説。読み終わってウルウルしてしまった。今の時代の子どもの話。時代物とはわけが違う。あぁ、どうしよう。3回くらい描き直した。伊野印はどこにもないので、名前を隠したら誰が描いたかわからないかもしれない。「オール読物」の読み切り。平岡陽明さんの時はいつも声をかけてくださる。そしていつも小説に合わせて絵も変えている。大島真寿美さんの連載と同じ号に乗るので、そことも絵柄を変えたかったが、いろいろやった挙句迷ってしまった。

上の4点はUCカードの会員誌「てんとう虫」で連載している、歌人福島泰樹さんのエッセイにつけている挿絵から。これがまた毎回難問である。おちゃらけやくすぐりは必要がない、というか毎回シリアスな内容なのである。上は「通販生活」、下は「ウエッジ」に描いた絵。一コマ漫画にできると、すごく気が楽だ。見る側も描く側も伊野印を見て安心するだろう。しかし、安心していいのだろうか。「母の友」の童話の挿絵。ユーモアと言っても一コマ漫画と童話のそれとは違う。難しい。
DHCの雑誌に書いた似顔絵。似顔絵もそぎ落としていったシンプルな描写で似せるのは難しいが、これくらいの描き込みが許されるのなら似せやすい。でも、面白みは少ないか。 「芸術新潮」の連載「ちくちく美術部」用の絵。ネームを流し込む前の段階。この連載は展覧会評であり、見てきた展覧会の絵に合わせることもしばしば。その場合「自分なくし」の効果は出やすい。とことん遊びたい。
ネームを流し込んだもの。この時は雑誌の「POPEYE」ごっこをやってみた。 放送日も教えてもらえなかったし、教えてもらったとしてもBSが映らないので見れないのだが、 NHKのBSでやっていた片岡鶴太郎の「ヤミツキ人生」という番組に描いた絵。金魚仙人と呼ばれる97歳の川原さんの人生紙芝居の絵から。
いろんなタッチで描いてると、飽きることはないけど、見る人の印象に残りづらいだろう。だから俺は有名になれないのである。やはり熊谷守一を見習わなければいけない。安西水丸さんを見習わなければならない。やっぱり60歳になったら、スタイルを絞ろう!(本気でそう思ってはいないけど、もしそうなったらそれはそれでいいのかもしれない)