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伊野孝行のブログ

顔真卿を見たか

先日、土曜日に東京国立博物館で開催中の「顔真卿」展を見に行った。マストというより、ちょっと見ておきたいかなぁくらいだったのだけど、3名無料で入れるパスを持っている人に誘われたので、これ幸いとついて行った。
顔真卿展なんてガラガラなんじゃない? と思っていたのが大マチガイ。
会場前に行列こそできていなかったが、中はかなり混雑していた。入口近くは人を押し分けないと陳列台のそばに寄れないくらい。最近は美術ブームでフェルメールや若冲や阿修羅がバカみたいに混雑するのはわかるけど、「書」なんていうゲキ渋なジャンルにこんなに人が来るのかぁ〜って驚いた。
ぼくは書については全然詳しくないんだけど、文字というのは絵みたいなもんだし、漢字なんていうのはまさに絵から出来てるものなわけで、鑑賞自体は難しくもなんともない、と思っている。実際に、予備知識なしで「いいな〜」と思えるものはたくさんあった。
ていうか、だいたいどの書にもぼくは感心した。書は絵よりも見飽きずに眺められるってとこがある。
『開通襃斜道刻石(かいつうほうやどうこくせき)』は初期の隷書の姿を留める。後漢時代。西暦でいうと66年。
ご覧のように、めちゃ重たい図録も買った。家でシゲシゲ眺めた。王羲之、顔真卿、欧陽詢などの名前は、一応知ってるけど、王羲之が何時代でどんな人か、顔真卿が何時代で今展の目玉『祭姪文稿(さいてつぶんこう)』はどんな時に書かれたものか、というのは全然知らなかった、そんなレベル。名前を知ってるということは、どこかで一度知識を頭に入れる機会があったのだろうけど、綺麗さっぱり忘れている、そんなレベル。
書聖、王羲之の超有名な『蘭亭序』。これは『定武蘭亭序』といって、唐の皇帝、大宗が欧陽詢に作らせた複製。東晋時代。353年。
こちらはその欧陽詢の『九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)』。唐時代。632年。こちらも同じく超有名な書である。有名、有名と連発したが、ぼくが知ったのは最近です。
唐の皇帝、大宗は王羲之をこよなく愛し、全国に散逸する王羲之の書をカネにあかして集めまくったので、民間人が王羲之の書を見る機会がなくなってしまった。中でも最高傑作の『蘭亭序』は弁才という僧からだましとって手に入れたのだという。さらに愛する度が過ぎて、大宗は自分が死ぬ時、墓に王羲之の書を一緒に埋めてしまい、模本や臨書しか残っていないという。なんてこったい。
この有名なエピも今回知ったのであるが。
いつも知識は頭を素通りしていくが、今回、実際に鑑賞して図録も読んで、ブログも書けば、多少は記憶されるかもしれない。
これが日本初公開、顔真卿の『祭姪文稿』だ! 唐時代。758年。安史の乱で非業の死を遂げた若き顔季明への弔文の草稿。人に見せるために書いたものではない。非業なエピとあいまって『蘭亭序』と肩を並べる大傑作といわれている。
おっと、実は『祭姪文稿』は作品の前に蛇行する行列が作られていて30分待ちで、時間の都合もあって今回は実物を見るのをあきらめた。列の終わるところからちょいと覗こうとすると、太った女の係員が、その巨体を盾にするかのように、「こちらからはご覧になれません!」とヒステリックに何度も通せんぼするので、せっかくの良い気分に水をさされた。覗こうとしたぼくが悪いのか。いいじゃないの、ちょっとくらい。
良い気分というのは理由があった。だいたい混んでる展覧会は嫌いなので、良い気分でない場合が多いのに、ちょっと気分が良かったのだ。
体感として、顔真卿展の鑑賞者の3分の1くらいは中国人だった。
美術館の暗がりの中で、東洋人の国籍の区別はほぼつかないけど、隣で見ているお客さんから聞こえるのは日本語よりも中国語の方が多かった。真剣に見ている人が圧倒的に多くて、感想を言い合っているのか、解説プレートを読み上げているのか、書を読みあげているのか判然としないけど、やかましくもなく、良い作品を見て素直に口から漏れる言葉の響きであった。
『祭姪文稿』は台湾故宮からの貸し出しなのだが、一緒に見に行った人は「中国本土の人は台湾に旅行しにくいから、日本で公開される機会に見に来たのではないかな?」と言っていた。そうなのかもねー。
とにかく熱心に見ている中国の方々を見て「さすが中国は日本の先生」と思わずにいられない。熱心さに加えて、ふだん簡体字を使用させられている鬱憤を晴らそうとしているような感じさえするのであった。漢字の歴史こそ中国人の魂!
我々日本人は「がんしんけい」などと読んでいるが、中国語での発音は違うし、彼らがぼくの耳元で読み上げていた漢文の発音こそが本来、字とともにある響きなんだろう。日本語の漢文の読み下しの硬い雰囲気と全然違って、美しく流れるよう。まぁ、当たり前なんだけど、改めて、漢字文化圏の不思議さを思ったことよ。
気分がいいのはそんな鑑賞体験をしていたからであった。
以下は全て、顔真卿の書です。
へー、顔真卿ってなんでも書けるんだなあ。
ぼくは最後の2枚あたりの太くておおらかで、そんなにうますぎない字が特に好きだな。
字も絵と同じで”意識が無意識に出る時”が、一番いい感じがするんだけど。
こうやっていろんなタイプの書を見てみると、人目を気にせず書いた『祭姪文稿』こそが顔真卿の素顔であり、他はお化粧をした姿なのかもしれないね……って『祭姪文稿』の実物を見てないんですけどね。
ダハ、ダハ、ダハ。
ところで、ぼくは「書も絵として見る」と書いたけど「書も絵として描く」のでいいと思ってる。学校で書き順というのを習って、それが大切なことのように教わったが、魚の漢字が「魚」の絵から出来ていることを考えれば、別に書き順に従わなくてもいいじゃんと思う。
いくら正しい書き順で美しい「楷書」が書けたからって、抽象画みたいな現代の書芸術が書けるようにはならない。デッサンの修行を積まないと絵が描けない、に近い惑わせものなんじゃないのかな。
でも活字の明朝体の「筆始」や「うろこ」の形は筆順に基づく形なんでしょうね……楷書というのが今の漢字の基本だからね。この分野は、周りに詳しい方がいるので、素人がこれ以上入り込むことはやめておきましょう。
はい、字は人間の意志伝達の道具なので、本来、字を扱う人間に素人玄人の差別はなし。ぼくはそんな軽〜い気持ちでやってます。
ここから先は、字を書いて遊ぼうのコーナーです。
イラストレーターは絵を描くだけでなく、字も頼まれたりするから、仕事で書いたのをいくつか載せるが、書聖たちといかに遠いかということを笑っていただきたい。
「オトナの一休さん」で書いた何似生(かじせい)。以下も「オトナの一休さん」より
作麼生 説破(そもさん せっぱ)
一休さんの漢詩。書き順メチャクチャです。
アニメタイトル文字
喝!いろいろバージョン
立体的な喝!
無縄自縄
小説のタイトル
エッセイのタイトル。以下は「ちくちく美術部」タイトル文字。
はい、なんちゃって。
なんちゃって。
ではまた来週!