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伊野孝行のブログ

残す、残る、残らない

日経ARIAというWEBメディアで、小川さやかさんの「その日暮らし」の幸福論という連載に絵をつけています。

「その日暮らし」の幸福論

毎回、タンザニア商人たちの日本人とは真逆の価値観におどろきです。

今日はブログを更新するのが甚だめんどうな気分なので、以上で終わり!
……にしようと思ったけど、もう少しダラダラ書いておくかな。
最近まわりのイラストレーターの友人たちがipadを買おうとしている。
ノートパソコンよりもさらに持ち運びに便利な板状のipadは、お絵かきに特化したソフトもあって、これがアナログと見分けのつかない出来栄えに仕上がるらしい。直接画面に描けるのがそこらのパソコンとは違うところである。昨日ちょっと試しに使わせてもらったら「あ、近々買うかも」と思った。
僕にはまだ原画信仰が根強くあり、実際、展覧会でデジタル出力を見ても感動は薄い。原画の持つ力はまだまだ大きいと感じるのだが、自分が死んだ後それらの原画はどうなるワケ?
歴史に名を残すほどの絵描きなら、遺作は売り買いの対象になり、常にどこかでだれかが持っている状態になる。だが完全に歴史に名を残している木村荘八を例にあげると、知名度がマイナーなこともあって、また作品数も多いこともあってか、新聞小説の挿絵原画は2万円くらいで買える。もっとも油彩の大作などはすごく高いと思うけど。木村荘八でその値段なんですよ。
僕のようなイラストレーターが残したイラストの原画なんてどれほどの価値があると言うのでしょう。
いや、子どもがいれば、価値はなくてもお父さんの形見だと思って押し入れに入れておいてくれるかもしれませんが、子どもがいなければ、いったいおびただしい数の絵を誰が保管しますか?
だから、ipadで絵を描いておくと、遺族や遺品整理の人に感謝されますよ。
……しかし、そんなことはどうでもいいな。死んだ後も「助かったわ〜、みんなデータで残してくれて」って感謝される生き方なんてさ。人に好かれていい子になって生きていくなんて、生きてる間だけでたくさんだ!
ところで残る残らないで言えば、ソクラテスも孔子も釈迦もキリストも、みんな共通して自分では文章を書いて残さなかった。なんかワケがあるのでしょうか。ムハンマドは文盲であったらしいけど。
対話こそ大事だから?当時は偉人たるものは自分で書かない、書いたら偉人じゃないとかあったり?
書き残す側から考えたら、自分の大好きな先生が亡くなった後、先生の言行を伝えるためには、多少は“盛る”と思いますね。あそこは取ってあそこは捨てたり、順番入れ替えたりの編集もするでしょう。生身の先生に触れたことがない人たちに、より面白く魅力を伝えるためにね。
仏教とかお釈迦さまはそんなこと言ってないのに、後世いろんな思想や世界観が後付けされて、多種多様な仏教が存在してるじゃないですか。他の宗教もそういうことあるんでしょうけど。
でも、もし、本人の文章が残ってたら、逆に広まらなかったかもしれないなぁ。あの人すっごい面白いのに、文章書いたら意外とフツーなんだよなぁ、ってパターンもありますよね。みんななぜ書き残さなかったのか?ではなく、書き残さなかったから残ったのかもしれない……んなことないか。
おわり。