伊野孝行のブログ

興福寺火事絵巻その2

先週に引きつづきNHK歴史秘話ヒストリア「興福寺 七転び八起き 日本の文化はここで生まれた」のアニメパートに描いた絵から。

七転び八起きというのは、まさに7回火事になって8回建て直したからですが、先週は3回目の火事までやったので、今週は4回目からはじめましょう。

3回目の火事(1096年)より4たび蘇った興福寺。

完成したのは火災から6年10ヶ月後の1103年。そこから78年間は無事でございました。しかし源平の戦いの最中1181年に4回目の火災が起きました。これがかの有名な大惨事、平家の南都焼き討ちであります。時は治承4年12月28日、反平家の立場をとった興福寺の僧兵を攻撃するために、平清盛の5男、平重衡が大軍を率いて南都へ進みます。対する興福寺はじめ南都の僧兵は、京都と奈良をつなぐ奈良坂に集結。押し寄せた平家の大軍と激しい戦いが続き、夜になりました。般若寺の門の前に待機する平氏軍。「暗さも暗し。火を出だせ」「おうっ!」と 楯を割って作ったたいまつを民家に投げて放火します。瞬く間に燃え広がる火!「これ、いささか強すぎじゃ」照明がわりにつけた火のはずが、 折からの強い北風にあおられ、大火炎となって南へ南へと燃え広がる。

やべえ!やべえ!これを見た僧兵たちも、戦どころじゃないね。「まるで地獄の業火じゃ!炎が飛んでいく」
「見よ。あの紅蓮の火柱を!あれは、東大寺の大仏殿ではないか!」 「わめき叫ぶ声が…焼き殺されておるのだ…」
「急ぎ興福寺へ!」
しかし、時すでに遅し…というか火が早し。

「ああ。中金堂に…。火が…」こちらは西金堂。すでに火の手はまわっています。

「運慶? 運慶か!」
「おお、おぬしらか!手伝うてくれ!仏様をお救いするのだッ!」
「おう!」

阿修羅像などは中を空洞にする「乾漆造」で軽かったのです。幾度の火災にあいながら今日まで残っているのはそのためです。アニメに描いたように運慶が実際に運び出していたとしても不思議ではないでしょう。

翌朝、おそろしい光景が広がっておりました。なんと!ナント!南都!ほぼすべての堂塔が焼け落ち、興福寺に逃げ込んでいた人々の骸八百体が残されていたのです。
「南無……」
小さな仏像は救い出されたものの、 大きな仏像のほとんどが焼けてしまい、新たに作り直さざるをえま せんでした。
焼き打ちの翌年、再建計画が始動します。宮中に公卿たちが集まり、再建の分担を決めました。
「造営の割り振りは、これでよろしな」
割り振り図をよくご覧ください。中金堂などは国家プロジェクトで再建されます。 講堂や南円堂は藤原氏が担当。 食堂などは寺が担当することになりました。しかし、東金堂と西金堂は割当てからもれてしまったのです。それを聞いた堂衆たちは…。
「… とあいなった」
「わしらの西金堂は?」
「割当てからもれた」
「なんと! 」「この条いわれなし ! 」
「いわれなし! 」
「西金堂は打ち捨てる気か!」
「わしらの儀式はどうなる?」
「みな、聞いてくれ!わしらの力で再建してはどうじゃ?」
「わしらで?」
「そうじゃ!堂衆の底力、見せてくれようぞ!」
「もっとも ! 」
「もっともじゃ!」
「もっともじゃ!」
この人は運慶です。この堂衆の中に運慶もいたかもしれないのです。いや、いたね、きっと。ところで僧兵たちが顔に巻いているものは袈裟なんですよ。番組では実際に袈裟で巻いてるところやってましたね。
堂衆たちは貴族たちから寄付金を募って、そのお金で再建を進め、 なんと!ナント!南都!国家事業である中金堂よりも早く完成させたのであります。
平家滅亡の翌年には、堂内に新しく作った本尊を運び入れました。
この本尊を作ったのが、当時まだ無名だった運慶でした。
運慶は興福寺の別当(一番偉い人)から褒美に馬を賜りました。
焼き討ちから13年経った1194年、ついに中金堂も完成。落慶法要も5度目です。さて、あなたの興福寺”通”度合いがわかるクイズです。この一見使い回しに見える落慶法要の絵、どこが今までと違うでしょう?
正解は「屋根の上に乗っている鴟尾(しび)がない」です。
建築現場シーンも鴟尾がないバージョンになっているのです。お気づきでしたでしょうか。
鴟尾は魔除けや防火のまじないとしてつけられたものらしいですが、これだけ火事にあってんだから、まじないも効き目がないと思ってやめにした?いや、それともなんでしょう、単にもう流行らなくなったから?たしかに鴟尾は廃れます。室町時代に建てられた現存する東金堂にも鴟尾がありません。後世、天守閣にシャチホコを飾るのが流行ります。シャチホコは蘇った鴟尾なのでしょうか。去年完成した中金堂には金色の鴟尾が輝いています。
今週は「仏師運慶デビュー秘話とそして鴟尾はなくなったの巻」でございました。
ではまた来週!