伊野孝行のブログ

ハート展と元号雑感

ゴールデンウィーク真っ最中なので今週のブログは休む気まんまんだったけど、ちょうど今日で平成も終わることだし記念に更新しておこうかな。

まずひとつお知らせを。ただいま渋谷の東急百貨店本店にて「第24回NHKハート展」が開催されております。私は月岡凛さんの詩に絵を描きました。ハート展はこのあと各地を巡回します。よかったら足をお運びください。

主催者の要望としてハートをモチーフにして欲しいとあったので、おばあちゃんの後ろのカーテンがハートの形になっています。
ぼくのおばあちゃんももういません。大学4年の時、「就職しないでイラストレーターになる」とおばあちゃんに伝えると「いらすとれーたーってなにや?」と聞かれて困った。「う〜ん、絵を描く仕事なんやけど……」と答えあぐねていると、ふと「市政だより」が目に入り、それをパラパラと見せて「ここに描いてあるような絵を描く人のことや」と言ってしまった。よりによってものすごくつまんない絵を見せちゃったな。おばあちゃんは「……なんや、ようわからんけども、就職しい」と悲しそうな顔をしていた。
イラストレーターになるのに予定を大幅に上回る時間を要してしまったため、おばあちゃんは私が今こんなに立派になっているのを知らずに死んだ。「市政だより」のようなあんなつまんない絵を描いていると思われたままかもしれない。あの世に「天国だより」でもあればノーギャラで描きたいものである。
ウチの父がたの祖父母は明治生まれで、母がたの祖父母は大正生まれだった(さっきのおばあちゃんはこっち)。祖父母たちの生まれ年は覚えてないが、明治の終わり頃と大正の初め頃に生まれただけで同世代だ。祖父は二人とも戦争に行っている。
でも子供心に明治と大正は違う色だった。流れている時間が違う感じがした。
一括りに明治といっても45年もあるので、序盤中盤終盤ではかなり様子が違う。では明治20年と明治40年ではどう違うかと言われてもパッとわからない。夏目漱石は慶応3年生まれで翌年が明治元年なので、だいたい漱石が20歳の時、40歳の時と考えればいいだろう……といってもどう様子が違うのかやはりわからないが(笑)。
きっと私が80歳くらいなった時、若い世代にとっての昭和は、ぼくらの明治のようなもので、大雑把にしかわかってもらえないんじゃないかと思う。
昔=昭和。
「おじいさん昭和生まれですか。やっぱりみんな着物着てたんですか?」とか「戦争大変でしたでしょう」とか「学生運動で暴れたクチですか?」とか聞いてくると思う。元号で時代が一括りにされることによって生じる混乱。こういう時間の共有は日本だけの特殊なことで、ぼくは面白い。
「いやいや、それも昭和だけど、ワシャ全然知らん。昭和は64年もあったんだ。しかし、ワシはネットのない時代を知っておるぞ」と言うと「ネットがないって、それどんな感覚なんですか?」と食いついてくるに違いない。当たり前に見聞きしていたことを言うだけで、時代の証言者になれるのだからせいぜい長生きしたいものだ。

顔真卿を見たか

先日、土曜日に東京国立博物館で開催中の「顔真卿」展を見に行った。マストというより、ちょっと見ておきたいかなぁくらいだったのだけど、3名無料で入れるパスを持っている人に誘われたので、これ幸いとついて行った。
顔真卿展なんてガラガラなんじゃない? と思っていたのが大マチガイ。
会場前に行列こそできていなかったが、中はかなり混雑していた。入口近くは人を押し分けないと陳列台のそばに寄れないくらい。最近は美術ブームでフェルメールや若冲や阿修羅がバカみたいに混雑するのはわかるけど、「書」なんていうゲキ渋なジャンルにこんなに人が来るのかぁ〜って驚いた。
ぼくは書については全然詳しくないんだけど、文字というのは絵みたいなもんだし、漢字なんていうのはまさに絵から出来てるものなわけで、鑑賞自体は難しくもなんともない、と思っている。実際に、予備知識なしで「いいな〜」と思えるものはたくさんあった。
ていうか、だいたいどの書にもぼくは感心した。書は絵よりも見飽きずに眺められるってとこがある。
『開通襃斜道刻石(かいつうほうやどうこくせき)』は初期の隷書の姿を留める。後漢時代。西暦でいうと66年。
ご覧のように、めちゃ重たい図録も買った。家でシゲシゲ眺めた。王羲之、顔真卿、欧陽詢などの名前は、一応知ってるけど、王羲之が何時代でどんな人か、顔真卿が何時代で今展の目玉『祭姪文稿(さいてつぶんこう)』はどんな時に書かれたものか、というのは全然知らなかった、そんなレベル。名前を知ってるということは、どこかで一度知識を頭に入れる機会があったのだろうけど、綺麗さっぱり忘れている、そんなレベル。
書聖、王羲之の超有名な『蘭亭序』。これは『定武蘭亭序』といって、唐の皇帝、大宗が欧陽詢に作らせた複製。東晋時代。353年。
こちらはその欧陽詢の『九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)』。唐時代。632年。こちらも同じく超有名な書である。有名、有名と連発したが、ぼくが知ったのは最近です。
唐の皇帝、大宗は王羲之をこよなく愛し、全国に散逸する王羲之の書をカネにあかして集めまくったので、民間人が王羲之の書を見る機会がなくなってしまった。中でも最高傑作の『蘭亭序』は弁才という僧からだましとって手に入れたのだという。さらに愛する度が過ぎて、大宗は自分が死ぬ時、墓に王羲之の書を一緒に埋めてしまい、模本や臨書しか残っていないという。なんてこったい。
この有名なエピも今回知ったのであるが。
いつも知識は頭を素通りしていくが、今回、実際に鑑賞して図録も読んで、ブログも書けば、多少は記憶されるかもしれない。
これが日本初公開、顔真卿の『祭姪文稿』だ! 唐時代。758年。安史の乱で非業の死を遂げた若き顔季明への弔文の草稿。人に見せるために書いたものではない。非業なエピとあいまって『蘭亭序』と肩を並べる大傑作といわれている。
おっと、実は『祭姪文稿』は作品の前に蛇行する行列が作られていて30分待ちで、時間の都合もあって今回は実物を見るのをあきらめた。列の終わるところからちょいと覗こうとすると、太った女の係員が、その巨体を盾にするかのように、「こちらからはご覧になれません!」とヒステリックに何度も通せんぼするので、せっかくの良い気分に水をさされた。覗こうとしたぼくが悪いのか。いいじゃないの、ちょっとくらい。
良い気分というのは理由があった。だいたい混んでる展覧会は嫌いなので、良い気分でない場合が多いのに、ちょっと気分が良かったのだ。
体感として、顔真卿展の鑑賞者の3分の1くらいは中国人だった。
美術館の暗がりの中で、東洋人の国籍の区別はほぼつかないけど、隣で見ているお客さんから聞こえるのは日本語よりも中国語の方が多かった。真剣に見ている人が圧倒的に多くて、感想を言い合っているのか、解説プレートを読み上げているのか、書を読みあげているのか判然としないけど、やかましくもなく、良い作品を見て素直に口から漏れる言葉の響きであった。
『祭姪文稿』は台湾故宮からの貸し出しなのだが、一緒に見に行った人は「中国本土の人は台湾に旅行しにくいから、日本で公開される機会に見に来たのではないかな?」と言っていた。そうなのかもねー。
とにかく熱心に見ている中国の方々を見て「さすが中国は日本の先生」と思わずにいられない。熱心さに加えて、ふだん簡体字を使用させられている鬱憤を晴らそうとしているような感じさえするのであった。漢字の歴史こそ中国人の魂!
我々日本人は「がんしんけい」などと読んでいるが、中国語での発音は違うし、彼らがぼくの耳元で読み上げていた漢文の発音こそが本来、字とともにある響きなんだろう。日本語の漢文の読み下しの硬い雰囲気と全然違って、美しく流れるよう。まぁ、当たり前なんだけど、改めて、漢字文化圏の不思議さを思ったことよ。
気分がいいのはそんな鑑賞体験をしていたからであった。
以下は全て、顔真卿の書です。
へー、顔真卿ってなんでも書けるんだなあ。
ぼくは最後の2枚あたりの太くておおらかで、そんなにうますぎない字が特に好きだな。
字も絵と同じで”意識が無意識に出る時”が、一番いい感じがするんだけど。
こうやっていろんなタイプの書を見てみると、人目を気にせず書いた『祭姪文稿』こそが顔真卿の素顔であり、他はお化粧をした姿なのかもしれないね……って『祭姪文稿』の実物を見てないんですけどね。
ダハ、ダハ、ダハ。
ところで、ぼくは「書も絵として見る」と書いたけど「書も絵として描く」のでいいと思ってる。学校で書き順というのを習って、それが大切なことのように教わったが、魚の漢字が「魚」の絵から出来ていることを考えれば、別に書き順に従わなくてもいいじゃんと思う。
いくら正しい書き順で美しい「楷書」が書けたからって、抽象画みたいな現代の書芸術が書けるようにはならない。デッサンの修行を積まないと絵が描けない、に近い惑わせものなんじゃないのかな。
でも活字の明朝体の「筆始」や「うろこ」の形は筆順に基づく形なんでしょうね……楷書というのが今の漢字の基本だからね。この分野は、周りに詳しい方がいるので、素人がこれ以上入り込むことはやめておきましょう。
はい、字は人間の意志伝達の道具なので、本来、字を扱う人間に素人玄人の差別はなし。ぼくはそんな軽〜い気持ちでやってます。
ここから先は、字を書いて遊ぼうのコーナーです。
イラストレーターは絵を描くだけでなく、字も頼まれたりするから、仕事で書いたのをいくつか載せるが、書聖たちといかに遠いかということを笑っていただきたい。
「オトナの一休さん」で書いた何似生(かじせい)。以下も「オトナの一休さん」より
作麼生 説破(そもさん せっぱ)
一休さんの漢詩。書き順メチャクチャです。
アニメタイトル文字
喝!いろいろバージョン
立体的な喝!
無縄自縄
小説のタイトル
エッセイのタイトル。以下は「ちくちく美術部」タイトル文字。
はい、なんちゃって。
なんちゃって。
ではまた来週!

解説「風刺画なんて」

先日まで人形町ヴイジョンズやっていた「風刺画なんて」にお越し下さった方どうもありがとうございました。僕は風刺画がキライなんです。あえて逆説的に言ってるわけではなくて、本当にあんまり好きじゃないんです。日下潤一さんに「今年もやろう」と言われたので半分は仕方なくやっています。だからこの屈折したスタンスを文章にするとこうなるわけです(以下のリンクをクリックすると私の主張が読めるでしょう)。

「風刺画なんて」のチラシの文面

しかし、笑える絵が好きだからと言って「面白い絵を描きましたから見にきてください」というのも企画として引っ掛かりがないので、やはり風刺画という縛りがあった方が、かえってそこからはみ出たものも見えてくるのではないかと思いました。
では、私の出品作を解説付きで振り返っていきましょう。
風刺画の弱点は、登場人物、状況、引用元などを知らないといまいちわからないし、楽しめないということですね。私は普段は絵の解説なんて野暮なことだと思ってますが今回はしますよ。
なぜなら風刺画というのは言葉を絵にしたような絵だし、絵を見ると同時に、絵を読まなくてはいけないからです。私が風刺画がキライな一つの理由は、風刺画は読むものだと思われてるからです。
見ると読むのは何が違うのでしょうか。
「耳なし芳一」
芳一の体に書かれているのはお経ではありません。日本国憲法です。お経のような筆運びで書いたから気づいてなかった人もいたかもしれない。
ご存知のように耳なし芳一は鬼から身を守るために全身くまなくお経を書いたのですが、耳だけ書き忘れた。で、鬼に耳を取られちゃったというお話です。
この祈りを捧げる男は、憲法こそ権力から我が身を守ってくれるものだと信じている。実際、憲法は国家権力の及ぶ範囲を示しているのでその考えは正しい。日本国憲法を書き換えてはいけないお経のように有難がっているところに隙があるのかもしれない。何も書いてない耳を見て微笑む安倍首相。似顔絵の表情から読み取れるものは安倍首相=悪者です。
僕が風刺画がキライな理由の二つ目は、善悪二項対立みたいな感じで描くところ。私は別にサヨクの人を喜ばせるために描きたいわけではない。絵のニュアンスだからあいまいな、あいまいだからこそ考えることもできる、そんな余地が欲しいと思ったのです。だから耳なし芳一を引用したのです。
「百鬼夜行」
百鬼夜行絵巻の一番古いものが大徳寺・真珠庵にあります。我々がイメージする百鬼夜行はこの「真珠庵本」といわれる百鬼夜行絵巻に基づいているようです。真珠庵といえば、そう私が襖絵を描かせてもらった禅寺であり、あの一休さんのゆかりのお寺です。
関西学院大学の西山克先生は日本の妖怪は一休さんが作ったのではないかという説を唱えています。室町時代の飢饉や戦乱でみんなが苦しんでいるときに、足利義政や日野富子は酒飲んで酔っ払って何やってるんだ!っていう皮肉を一休さんは妖怪絵巻に込めたと。一休さん=妖怪プロデューサー説ですね。妖怪というのは水木しげる先生の漫画を見ても、もともと風刺的な存在だったのです。
妖怪絵巻によく出てくる付喪神(つくもがみ)は使われなくなった道具なんかが妖怪に変じたものです。
今はスマホの中に全てのメディア、再生装置、伝達機器が集約されてしまいました。中身だけ抜き取られたCDやレコードや辞書、用済みになった電話たち、売り上げの落ちた本や雑誌が妖怪変化して、スマホ人間(私もほぼ寝床でこのような状態)を襲う!
妖怪絵巻の最後は朝日が昇ってきて、その光に妖怪たちはやられちゃうのですが、私の絵の妖怪たちはスマホの光にやられちゃっています。この絵などは特に言葉や解説なしでもわかると思うのですが、風刺画としてはやや平和でしょうか。
「世相風刺2018」
”いわゆる風刺画”だと思います。
実をいえばこの絵は流行語大賞でおなじみの「現代用語の基礎知識」に描いた世相風刺画なのです。モノクロだったのでカラーで展覧会用に描き直しました。

「世相2018 #山根明会長 #男、山根 #内田正人監督 #尾畠春夫 #スーパーボランティア」

「世相2018   #米朝首脳会談 #ドナルド・トランプ #金正恩 #文在寅 #安倍晋三 #殺人猛暑」「世相2018  #赤坂自民亭 #竹下亘総務会長 #西日本豪雨 #シャンシャン」

「世相2018     #松山刑務所脱走   #平尾龍磨容疑(27)    #富田林署脱走 #樋田淳也容疑者(30)  #最高の想い出ができました #チコちゃんに叱られる!」
私は世の中のことを憂い、正面切って強い意見を言うタイプではないです。斜めに受け流すし、自分のことは放っておいてほしいタイプ。でも言いたいことがないと絵でもなんでも表現に力が込められない。風刺画のキライな三つ目の点は、言いたいことがないのに、言わなきゃいけないこと。
でも仕事だから描かなくちゃいけない。それもできるなら楽しんで。編集部から送られてきた今年の事件や発言を読んでるうちに、ポンポンポンとアイデアが浮かんできました。この辺が「born to be風刺画家」ですね(自分で言うなって)。一つの絵の中に無関係なものを入れて、その中で関連づけると、何かしら深いカンジと無意味さが漂うのではないかと思った次第です。このシリーズはセリフもあるし、言葉で説明しちゃってるので、わかりやすいと思います。
「二度とは戻れない夜」
なんども言ってますが、政治家の顔とか、仕事でもなければ描く気はしません。
でも相撲のことは絵に描きたい。好きだから。
大相撲は良いとこも悪いとこもひっくるめて存在を愛しています。
貴乃花親方の発言、行動は日馬富士を引退に追い込んでしまったので、個人的には憎さはあります。日本人でもなくモンゴル人でもなく宇宙人のような貴乃花の相撲道、貴乃花のブログに綴る妙に個性的な文章、変だなと思って楽しんでました。
でもさ、辞めてどうすんのさ。ファンもアンチも心配してると思う。これからの元貴乃花親方を。
「何でもないようなことが幸せだったと思う。何でもない夜のこと、二度とは戻れない夜」という歌詞が後ろのモニターに出ているのですが、これはTHE 虎舞竜の「ロード」の歌詞です。この絵を描いてるうちに私の脳内でリフレインしていました。
あの夜に戻って欲しい。できるならあの夜からやり直して欲しい。日馬富士も貴乃花もいる大相撲を見たかった。でもそれはもう叶わない夢なのです。
これが風刺画かって……そんなことはどうでもいいじゃないですか!
「カルロスゴーン講演会 a.k.a. 説教強盗」
これはオマケです。風刺画のキライな点その四、すぐに古くなってしまう。展覧会の開かれる前日だったかにゴーンの悪事が明るみに出ました。風刺画は時事ネタなのでおかげで飾ってある絵の鮮度が落ちてしまいました。それでオープニングの日にカルロスゴーン大喜利なるものが急遽開かれたので、そのために描いたものです。
カルロスゴーンの講演会といえば、そりゃビジネスパーソンだったら必見ものだったでしょう。しかし今となってみれば泥棒の説教を聞いていたわけです。昭和初期、泥棒に入った先で住人に「戸締りをきちんとしなきゃダメだぞ」などと説教する「説教強盗」なるものが出没しました。ま、そういうことです。
と、いろいろ野暮に野暮を重ねてご説明申し上げてきましたが、風刺画でも風刺画でなくてもいいですが、世の中で起こっていることを取り入れて作品を作る、ということはどういうことでしょうか。
現代美術の世界(つまり美術史に名を残すこと、はたまた美術史を書き換えること、はたまた億単位の大金が動くマーケットが背後にあるということ)で勝負しようと思ったら、世の中で起こってることを取り入れて作品を作るのは常套手段でしょう。村上隆さんしかり、会田誠さんしかり、チン↑ポムさんしかり、ダミアンハーストさんしかり、ジェフクーンズさんしかり、バンクシーさんしかり……いわば、現代美術は大掛かりな風刺とも言えるわけで、古い、ダサい、つまらん、面白くない、と言ってる風刺画とそう遠くはない気がします。
私は本当に風刺画はキライですけどね。

東京東は水の都

おっと、1日ずれて水曜日更新になってしまいました。

といっても先月、無断で更新を休んだ週がありましたが、「どうしたの?」という問い合わせはゼロ。

こんなブログだれも見ていないのに、なんで律儀に更新しているんだか、自分でも不思議になってきました。

だいたいブログっていうのが、ややどんくさいメディアになってしまったのでしょうか。
最近はブログになんか書くよりも、SNSにアップした方が、拡散されて、よりたくさんの人に見てもらえることになっているようです。
私はツイッターとフェイスブックに「ブログ更新しました」というお知らせを載せているのですが、クリックして、ここにとんで来てもらわなねばなりません。
それよりも、SNSに直接書き込んだ方が、反応も少しは良いと思う。
クリックさせるなんて温度が数度下がる感じがするのです。
さらに、自分のやっていないインスタグラムやタンブラーなどは、画像が主のSNSで、イラストレーターにとってはそっちの方が広がりがいいなんて聞きます。
ツイッターをやっているのは中年以上で、若い人はインスタだとか言うし。なんだか取り残された感じです。
でも、みんなが昔、ミクシィに書き込んだ記事は、今どうなっているのだろうか?誰かに読まれているんだろうか?
と、久しぶりに検索するとミクシィというのはまだあるんですね。でも、もう自分のページも10年以上見ていない。
そうやって、はやいとこ、インスタグラムもタンブラーも過去のものになってしまえばいいのに。
その前に自分が過去の人になってしまうでしょうがね、ハハハ。
さ、文字数も稼いだことだし、あとは思いっきり手抜きで、終わらせましょう。
このあと、出かけなきゃいけないし。
昨日から、銀座のリクルートで東京イラストレーターズ・ソサエティ(TIS)の展覧会やってます。
〈今年は、会の名称にちなみ、東京、それも会場の銀座を含む東半分の色濃いエリアがテーマです。来年の設立30周年を前に、江戸下町から継承された伝統と新しいエネルギーが混在するいま注目の景色を、163人のアンテナで描きあげます。「東京東」再発見にお出かけください〉

• 2017年8月22日(火)~ 9月14日(木)

• クリエイションギャラリーG8
• 〒104-8001 東京都中央区銀座8-4-17 リクルートGINZA8ビル1F TEL 03-6835-2260
• 11:00 ~ 19:00
• 日・祝日休館
• 入場無料
で、私の絵はこれだ!
タイトルは「雨ふり」。昔の東京、つまり江戸は川、堀、水路がめぐる”水の都”だったらしい。雨の日の江戸の下町を思い浮かべて、水彩絵の具で描いてみました。
今回はギャグも、オチもなしの絵でございます。
売ってます。

芸術に似たもの

上野の森美術館ギャラリーでやっていた展示が終わった。わざわざ足を運んでいただいた方にはお礼を申し上げます。
絵の解説をするのはまことに野暮なこと。出来映えこそがすべてであり、意図があってもつたわらなければ言うだけ恥のかさね塗り。また今回は100号サイズの絵であるため、ブログにのせるようなサイズで見せても意味がほとんどない。抽象画のポストカードを買ってもまったくおもしろくないのと同じだ。大きさこそが今回の一番の見せどころだったので、現物を目にしていない人はいっさい文句をつけてはならないよ。わざわざ足を運んで見にきてくれた人はどんな悪口を言ってもらってオッケーオーライだ!このような形で展示した。右端にある小さい絵は、作品の複写(iphoneで写しただけ)です。この形はPDFファイルを開いたときの画面を模している。PDFファイルも右端に小さいサムネイルが出る。ふだん見慣れているパソコン内の景色を引用してみた。また、大きさの違いから受ける印象の差、というものもサムネイルと実物の100号の画面を見くらべることによって感じ取ってもらえればと思ったのだ。それに、これは日めくりであるから、他の絵も一応どんなものかわかるようにしておいたほうがよいと思った。1日目のこの絵は、かのジャクソンポロック氏がやったような、中心や奥行きがなく全面を覆うオールオーヴァーな画面作りを「抽象」ではなく「盆踊り」でやってみたかった。それが作品意図であーる。2日目、盆踊りの絵をめくると、この静物画があらわれる。芸術とは、かの岡本太郎氏も言うように「なんだこれは!?」と思わせることが大事なので、なんかヘンな感じのする静物画というものを描いてみたかった。これは電化製品の梱包材で、たぶん小型ラジオかなんかが入っていた紙製のものだ。実物は10センチ四方に満たないほど小さい。それを100号にしてみたらヘンな感じがすっかな〜?と思って…。3日目はこんな絵。シュルレアリスト達がヘン顔を決めて写真を撮っていたので、それを真似して自画像を描いてみただけ。画材は木炭を使った。100号サイズ1枚を描くと木炭が1本と半分くらい無くなってしまう。どんどん削れてちいさくなっていくのが気持よかった。4日目はこの絵。100号にしてもっともインパクトのあるのは「顔」だろうか?と思って制作。今回の他の出品者の方々は画家の人なので、似顔絵はふだんお描きにならないはずだ。ここはイラストレーターの小技でも見せておくか。似顔絵は輪郭や髪型が似せるときに重要なポイントになってくる。しかし、ここではあえてそれらを描かなかった。

5日目。これも2日目の静物画と同じ趣向。これは発泡スチロール製の梱包材。横のものを縦にしてある。もっと大きい300号くらいの絵にすればさらにヘンな感じがするのではないだろうか。まだまだ小さい。ちなみに100号はふすま2枚分くらいだ。6日目。かのマックス・エルンスト氏のコラージュのような、なんだか不思議な絵にしたかったのだが、意外に自分はシュールな絵作りがヘタであった。エルンスト氏は教科書に使う銅版画を切り貼りしてまことに意味不明な絵を作った。絵画はもともと意味の読みとれるものであったが、シュルレアリスムの頃から、絵の意味なんて読みとれなくてもいいじゃん、いや、意味を読みとられるようじゃあまい!なんてことになってきて、それは今の現代美術にも受け継がれている。意味が読みとれるということは、言葉で理解できること。理解される時点ですでに新しくない。新しいものであることを命題にしている現代美術では、鑑賞者の言葉にからめとられているようではあまい!…とわざと意味が読みとれないように作っているにちがいない。なので難解に思われているだけ……そう勝手に自分は決めつけているのであります。イラストレーターはその逆で、意味が誤解なく読みとれるように絵を作る。だから頭の使い方を逆にすれば、「芸術に似たもの」なんて簡単に作れるだろうと思ってたけど、やってみたらむつかしかったネ。なにごとも経験をかさねないと。7日目の最終日はこんな絵。かの伊藤若冲氏の虎の絵を元にシュールな絵を作る予定だったのだが、途中で失敗したので、グチャグチャやってスプレーとかもかけてテキトーに終わらせた絵。制作意図とは離れてしまったが、「絵になってる」「絵になってない」の境目はどのへんから訪れるのか?グッヂャグッヂャやっててその境目が来たときに筆を置いたつもりだったのだが、ほんとうに境目はきていたのだろうか…?というわけで、7日間の「芸術に似たもの」をつくる試みは終わった。

来場者の中には「イラストだとか自分自身を卑下する必要はない。並の画家よりよほど絵になっている」と言ってくださったキュレーター氏もいらしたそうだが、いや、べつに卑下してないんだけどなぁ〜。でも世間ではイラストなんてのは下に見られてるんだな〜。ぼくは、もしイラストレーションも芸術だと言う必要があれば、ふだんイラストレーションとして描いている絵そのままを芸術だと言ってさしつかえないと思う。わざわざアートっぽい絵になんかする必要はない。アートっぽい絵を描いてイラストレーションの幅を拡げたっていうのは、そもそも現代美術に負けている気がするのだが…。初日と最終日くらいしか顔を出せなかったが、上野という場所は街の中のギャラリーとちがって、いろんな人種の人がたくさん来る。

山之口貘さん

所用で出かけ、帰宅後、相撲を観ていたら、なにか忘れていることに気がついた。そうだブログを更新するのを忘れている。しかしそろそろ遠藤が相撲をとるので手抜きで更新しておこう。

「新篇 山之口貘全集」が思潮社から刊行開始されたのを記念した「貘展」というのが大阪で開かれます。去年の12月に高円寺の「書肆サイコロ」で開催された展覧会の巡回展です。この展覧会は友達の白井明大くんが企画しているのだが、彼は「日本の七十二候を楽しむ」という本を書いて、ベストセラーになった。きっとこ金持になっただろうけど、こういう催しを身銭を切ってやっていてエラい!とほめてあげたい。なんせ僕の描いた絵も買ってくれたしね。僕もこの展覧会に参加するにあたって、山之口貘さんの詩をほとんどはじめて読んだのですが、スゴくいいですね。

「貘展」Baku exhibition

3/21(祝金)~3/28(金) *3/24(月)休み
4/8(火)~4/18(金) *4/14(月)休み
open 13:00~18:30
会場
アトリエ箱庭
大阪市中央区北浜1-2-3豊島ビル301

「貘展」Baku exhibition はコチラ!

貘さんと娘さんの泉さんが沖縄民謡を歌って踊っているところを描きました。