伊野孝行のブログ

しまらない最終回

「Greater 日本橋マガジン」というガイドブックの表紙を描きました。表紙と言っても表4(裏表紙のこと)ですけどね。表1(表の方)の写真にアイスカフェオレと小倉トーストが紹介されているけど、それを江戸時代の人が楽しんでるイメージで、と頼まれました。
表4は外国人観光客向けだそうで、欧文になっています。
この場面はいったいどこを想定して描いてるんだろうね。

奥に富士山が見える。川ぞいに蔵が立ち並び、橋がかかっている。橋は一応「日本橋」かもしれない。となるとこの高台はどこだ?東京以外の人はわからないかもしれないけど、日本橋や銀座のあたりは土地が平らなので、こんな丘はありません。

「こんなの嘘だろ」と思いながら描いてました。絵なので嘘でもいいんですけどね。
僕はあんこは断然つぶあんが好きですね。
朝ドラ「スカーレット」で主人公のキミちゃんが、時々おはぎを作るんだけど、子どもの頃、四日市のおばあちゃん家に行くと、おはぎを必ず作ってくれたことを思い出すわ。
おはぎって、もち米もちょっとつぶしただけだし、あんこもこしてない。和菓子の中でもけっこうぞんざいな作りなのに、いちばん美味しいと思う。
あと、おはぎといえば、「コロッケおはぎ」というのをよく作ったな。
色川武大のエッセイに、健康上の理由で揚げたコロッケは食べられないから、ジャガイモ、玉ねぎ、ひき肉で作った中身をそのままご飯にまぶして食べるって書いてあったのを読んで作った。

コロッケのあんまで作って、揚げる工程はやらない。ご飯は普通のお米だけど、本当におはぎみたいな形になる。コロッケおはぎという名前はエッセイに書いてあったのか、自分で名付けたかは忘れてしまった。家で宴会やる時によく作って出していました。
朝ドラは「半分、青い」から見る習慣がついて、「半分、青い」の後半は呆れながら見てたんだけど、「まんぷく」も「なつぞら」も、なかなか長丁場のドラマはむずかしいんだなぁ、とこれまた、習慣がついてしまったせいで見ないのも気持ち悪くて見続けていたんだけど、「スカーレット」はめっちゃ面白い。

たまたま見た土曜の夜にやってる「俺の話は長い」というドラマも面白い。ま、どうでもいい話ですみません。
無料だからって、こんな話題はわざわざするほどのものでもないです。
世の中には有料のブログ(noteというサービスには有料にできる設定がある)もあるけど、有料の記事書くのってすごくプレッシャーじゃないですか。火曜の朝になっても何も書くことを考えてなかった時に、無料で良かったと思うのです。
ホームページを作って12年、ブログを始めて11年。
実は今日でこのブログ、最終回です。こんなしまらない最終回でいいんでしょうか?
来週からは「新・伊野孝行のブログ」として再出発します。

ネットのバランス

このブログの原稿は今朝5時に起きて書いている。
昨夜は22時半にはもう寝てしまった。その前に17時から20時までも寝ている。どうしたことか。
いや、理由は明白。最近買った自転車で新宿三丁目の「世界堂」まで画材を買いに行ったからだ。
行きは30分、帰りは違う道を試したため、遠回りして40分。電車に乗れば15分くらいで着くというのに。

家にたどり着く前に、コンビニで、ビールのロング缶一本とクリームパンを買った。普段ならさして興味のないクリームパンが無性に食べたい。ただ、クリームパンは小さいのが5個くらい入ったやつしか売っていなかった。
結局、ビールだけではおさまらず、日本酒も少々飲んで、ついでに晩御飯も食べて(クリームパンも全部食べた)横になったら寝ていた。
20時に起きると、全身がだるい。
自転車を買って約一ヶ月。どこにでも自転車で出かけたい年頃。昨日は絶好のサイクリング日和だった。
それにしても、サドルに座ってただ漕いでいるだけで、自転車は疲れるな。
先日も50分かけて練馬まであるトークショーを聞きに行き、ワンドリンクの瓶ビールを飲んだせいか、ウトウトしてしまった。しかも最前列で。
疲れも含めて、自転車で出かけると何か「やった気」になる。
本来原始時代なら、全部自分でやっていたことを、便利な道具や、分業制によって、自分でやらなくて済むようになったが、それをわざわざ自分でやると、たいてい何か「やった気」になる。やりがいも楽しさも、バカみたいに近いところにある。
高校生の時は、片道40分(しかも半分は坂)を毎日自転車通学していたが、やりがいも楽しさも一切感じなかった。
今乗っているクロスバイクはママチャリと違って性能がいいので、坂道もスイスイだし、基本、乗っていること自体が気持ちいい。なんだよく考えたらこれも、完全に文明の利器の上に乗っかった快感ではないか。
さて、こういうどうでもいいことを書くのも、ネット全体のバランスをとるためである。
いや、僕のブログを読んでいる人なんて超少ないので、ネット全体のバランスなんて取れるわけがないのだが、立て続けに、自分の正論、役に立つ話、美談、悲話、憂国談を読まされると、せめて自分は違うことを書きたいと思ってのことであって、決して書くことがないとか、火曜日だから無理に更新しているとかではないのである。
おわり。
……としたいところだが
イラストレーターのブログなので、何か絵を入れないといけない。
「南の島の瑠璃」
これは宮古島の昔話を頭木弘樹さんが「再話」したもので、福音館書店の「母の友」に載っています。頭木弘樹さんの沖縄昔話の再話に絵をつけるのは二度目だけど、沖縄の昔話ってなんか独特なんですよね。すごくいいです。
これは芸術新潮で今月からはじまった展覧会評、「藤田一人の展声人語」のポンチ絵。
展声人語ってタイトル最高ですな。あいちトリエンナーレを取り上げています。
昔から表現者というのは、社会との摩擦を巧みに回避しながら、したたかに表現してきた。権力が規制をかけてきても、工夫して、ギリギリの線を狙って容認さざるを得ないようにして、やるっていうのが ”芸” というものではなかろうか、というのがテーマであった。
ギリギリ芸ならアキラ100%でしょ。
もっといろんなことが書いてあるので、ぜひ芸術新潮の「藤田一人の展声人語」を読んでください。
この絵をツイッターにあげたら、ネトウヨの人に、いいね、とリツイートされてしまった(笑)。ネット全体のバランスからすればこの絵はゆらゆらしてるということだろうか。ま、一応は応援してるんだけどなぁ。

残す、残る、残らない

日経ARIAというWEBメディアで、小川さやかさんの「その日暮らし」の幸福論という連載に絵をつけています。

「その日暮らし」の幸福論

毎回、タンザニア商人たちの日本人とは真逆の価値観におどろきです。

今日はブログを更新するのが甚だめんどうな気分なので、以上で終わり!
……にしようと思ったけど、もう少しダラダラ書いておくかな。
最近まわりのイラストレーターの友人たちがipadを買おうとしている。
ノートパソコンよりもさらに持ち運びに便利な板状のipadは、お絵かきに特化したソフトもあって、これがアナログと見分けのつかない出来栄えに仕上がるらしい。直接画面に描けるのがそこらのパソコンとは違うところである。昨日ちょっと試しに使わせてもらったら「あ、近々買うかも」と思った。
僕にはまだ原画信仰が根強くあり、実際、展覧会でデジタル出力を見ても感動は薄い。原画の持つ力はまだまだ大きいと感じるのだが、自分が死んだ後それらの原画はどうなるワケ?
歴史に名を残すほどの絵描きなら、遺作は売り買いの対象になり、常にどこかでだれかが持っている状態になる。だが完全に歴史に名を残している木村荘八を例にあげると、知名度がマイナーなこともあって、また作品数も多いこともあってか、新聞小説の挿絵原画は2万円くらいで買える。もっとも油彩の大作などはすごく高いと思うけど。木村荘八でその値段なんですよ。
僕のようなイラストレーターが残したイラストの原画なんてどれほどの価値があると言うのでしょう。
いや、子どもがいれば、価値はなくてもお父さんの形見だと思って押し入れに入れておいてくれるかもしれませんが、子どもがいなければ、いったいおびただしい数の絵を誰が保管しますか?
だから、ipadで絵を描いておくと、遺族や遺品整理の人に感謝されますよ。
……しかし、そんなことはどうでもいいな。死んだ後も「助かったわ〜、みんなデータで残してくれて」って感謝される生き方なんてさ。人に好かれていい子になって生きていくなんて、生きてる間だけでたくさんだ!
ところで残る残らないで言えば、ソクラテスも孔子も釈迦もキリストも、みんな共通して自分では文章を書いて残さなかった。なんかワケがあるのでしょうか。ムハンマドは文盲であったらしいけど。
対話こそ大事だから?当時は偉人たるものは自分で書かない、書いたら偉人じゃないとかあったり?
書き残す側から考えたら、自分の大好きな先生が亡くなった後、先生の言行を伝えるためには、多少は“盛る”と思いますね。あそこは取ってあそこは捨てたり、順番入れ替えたりの編集もするでしょう。生身の先生に触れたことがない人たちに、より面白く魅力を伝えるためにね。
仏教とかお釈迦さまはそんなこと言ってないのに、後世いろんな思想や世界観が後付けされて、多種多様な仏教が存在してるじゃないですか。他の宗教もそういうことあるんでしょうけど。
でも、もし、本人の文章が残ってたら、逆に広まらなかったかもしれないなぁ。あの人すっごい面白いのに、文章書いたら意外とフツーなんだよなぁ、ってパターンもありますよね。みんななぜ書き残さなかったのか?ではなく、書き残さなかったから残ったのかもしれない……んなことないか。
おわり。

新訂 日本の歴史

今日から消費税が10%に!……なんてことは誰でも知ってるけど、このブログは私の週間日記でもあるので、あとで読み返したときに、そうかこの日か、と思い出すように書いておきます。バカヤロー!

さて、韓国の話になると俄然盛り上がる大学の先輩のKさんという友達がいるのだが、Kさんは「歴史というのは例えるなら、山の稜線と、その山自体を形作っている全体だ」とよく言う。

我々が教科書なんかで知る歴史というのは、山の稜線の部分だ。今日消費税が上がったこともそこに記されるだろう。稜線の下にある山の形を作っている全体の中には、我々が生きている今の暮らしが入っている。個別にすべてを見ていくことは難しいし、仮に見れたとしてもそれだけで解明できるものでもないかもしれない。人間の人生が虚実がないまぜになって作られているように、歴史の稜線もまた生き物のように……いや、この話の広げ方は失敗だ。

今日は下書きなしで、ブログにそのまま書き込んでいるので、普段なら消去して書き直すところだが、このまま続けよう。そう、今週は歴史関係の連載を紹介したかったので、歴史に関するエピソードで導入したかったのだ。だが、失敗しました。

えっと、UCカードの会員の方に送られてくる「てんとう虫」という雑誌があるのですが、小和田哲男さんの新連載「新訂 日本の歴史」に絵をつけています。

歴史の授業で習ったことも、その後発掘調査や新史料が発見されたりして、今は違うとされてることが色々あります。この連載では、現在の歴史の”常識”を時代を下りながら紹介していきます。

第一回目は、縄文時代にすでに稲作が行われていた、という事実。

弥生時代になって稲作は始まったと習ったけどね。
縄文時代は紀元前1万年から始まってて、めちゃ長いので、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6つに分けられているが、前期にはすでに稲作(陸稲)が始まっていたようです。
縄文時代、弥生時代って区切りがあるけど、実際「はい、今日から弥生時代です」ってなったわけではないので(縄文時代、弥生時代っていう呼び方も当時ないし)ゆっくりゆっくり変わって行ったんだろうね。
可能性としては親子の世代間で、縄文から弥生に変わった家族もいるかもしれないじゃん。
人間という生き物は、今も昔も「最近の若いやつは……」って絶対言うに決まってるんだから。「こんなつるつるした土器作っちゃって」とか絶対言ってたって。そんで若者は「おやじ、米は水田で作った方がいいんだよ」と言ってたと思うね。
2回目は、聖徳太子はたぶんいなかった、という事実。
すでに最近の教科書では厩戸王(聖徳太子)と書かれているらしい。もっとも厩戸王は実在の人物なのだが、我々が知る数々の業績を残した聖人、聖徳太子というのは、お札の肖像画も含めてのちに作られたものだったのだ。
たぶん、聖徳太子が実在したかしなかったかの釈明記者会見を開いたらこうなったりしてね。
聖徳太子は信仰にもなって歴史の中で一人歩きし、我々の時代まで生き長らえてきたわけだが、では誰が最初になんのために聖徳太子像を作ったんでしょう。気になりますねぇ。
1回目と2回目のタッチが違うのは、「この連載は毎回タッチを変えて描きます」と宣言したからです。

『切字と切れ』と俳号

先日、カバーの絵のお礼に一献、ということで俳人の高山れおなさんに浅草の牛鍋屋でご馳走になりました。

カバーを描いた本は『切字と切れ』。平安時代の俳句前史から現在に至るまでの切字と切字説をとりあげ、「切れ」とは何かを問いただす論考であります……と、そんな説明であってるでしょうか。帯にもそんなことが書いてあるし。

いや、本が届いてからちゃんと読みましたよ。私は俳句に関しては完全な素人なんですけど、この読み応えある本を一日で読み切ったね。

とてもおもしろかった。

ブックデザインは日下潤一さん。寺子屋の子どもたちが「切字」をお習字しています
素人がどんだけ読み込めてるかはさておき、読みやすかったというのは、問題の立て方、論じ方、くすぐりの入れ方に素人をも惹きつけるうまさがあるからですね。さすがは編集者。そう、高山さんは芸術新潮の名物編集者(本人のいない飲み会でよく話題に上がるタイプ)でもあるのです。
しかも今は、朝日俳壇の選者もやってる、著名な先生です。
そんな立派な先生が身近にいるなら、いっちょ弟子入りしとこうかなと思って、牛鍋屋で
「高山宗匠の弟子になりますから、俳号をつけてください」と酔いまかせに言ってみました。
その時はワイワイ飲んでてどういう返事をもらったか忘れてしまいました。酒の席の冗談としてお互い忘れてしまうだろうと思っていました。ところが案に相違して、帰り道にスマホがショートメッセージを受信したのです。
「早速ですが、蛾王はどうですか?伊野蛾王。画王とガオーを掛ける趣向です。画そのまんまだとなんなので他の字に置き換えたいわけですが、雅も違うでしょう。蛾の語なら伊野さんの情念にも合っているかと」
なんと、先生は私の俳号を考えてくださったではないですか。
のんきに生きてるつもりだけど、私にも情念らしきものがあるのでしょうか。確かに過去に高山さんに食ってかかった醜態もなきにしもあらず。ルサンチマンをエネルギーにしてきたところもなきにしもあらず。
他には「画報→蛾砲」「画工→蛾公」というのもありました。
「師匠!ありがとうございます。いきなり名前負けしちゃいそうですけど、師匠のつけてくれた名前ならありがたく頂戴いたします。ガオーが高貴でいいですね。王様ですし。でも自分には高貴な感じないですけど。セコくて庶民的なキャラですけど」
と、送った後で、ふと思いついたので、さらにこう返信してみました。
「蛾吐で画伯はまんまですかね?」
名前をつけてくださいとお願いしておきながら、あつかましいですね。
師匠はこう言われた。
「吐を「と」と読ませるならともかく「はく」と読ませるのは汚いですね。王は遠慮するということなら「蛾伯」または「蛾白」でいいのでは。曾我蕭白が好きなんだからどんぴしゃりでは」
「なるほど、それなら我ながら納得できる余地はあります。蛾白という字は綺麗ですね。なんか妖艶で。気に入りました」
「その屈折した受容の仕方がまさに「蛾」的な情念を感じさせます。グッドラック!」
というわけで、私は伊野蛾白になった。
自分で画伯って言うなって。
山本健吉『現代俳句』(昭和20年代の末に角川新書で2冊本で出て、その後も増補版が角川からいろんな形で出ています。新書だったことでもわかるように、入門的な名句鑑賞案内なのですが、現在から見ると入門書とはとても思えないいかつさです。文学とか芸術というものに権威があった時代の本という言い方もできるでしょう。by師匠)もちゃんと新品で買いました。
でも、まだ1ページも読んでいません。
ガオー!

日本画誕生!

いきなりクイズです。この写真の人物は誰でしょう?

答えは後ほど。

さて、数年前にある有名小説家の文庫のカバーを描いたことがありました。

その本は最初単行本になり、次に文庫化され、今度は出版元が変わって2度目の文庫化でした。

ゲラに目を通していると若い女性のTシャツの描写のところで目がとまってしまいました。〈Tシャツの胸には、浮世絵のプリント。伊藤若冲の像の絵というのが、強烈だ。〉と書いてあったからです。

いや、若冲は浮世絵ではないぞ。

この本は3度は校閲されている。いや、雑誌で連載されていたら4度はチェックされているはずです。

イラストレーターが口を出すのも僭越だと思いましたが、幾度となく校閲をかいくぐってきたマチガイを担当編集者に伝えておきました。

ひと月後、カバーを描いた文庫が届きました。どう直っているか確認してみると〈Tシャツの胸には、日本画のプリント。伊藤若冲の像の絵というのが、強烈だ。〉となっていたのです。

いや、若冲は日本画でもないのだ〜!

では「日本画」とは何でしょうか?

今発売の「芸術新潮」にはこう書いてあります。
〈日本の伝統と西洋美術のハイブリッドから生まれた新たなる日本絵画、それが「日本画」である〉
そうなのです。
日本画は明治になって西洋画に対抗すべく作られたジャンル(概念?)なのです。
美術の教科書などでは、日本画の成立は、プロデューサー役のフェノロサと岡倉天心、画家の狩野芳崖や橋本雅邦たちによって、そして東京美術学校で彼らに学んだ横山大観や菱田春草たちによって「日本画」は作られたと書いてあるんじゃないでしょうか。
今特集においては、それよりも約100年前に「写生」を武器に京都絵画界を制した円山応挙とその系譜につらなる絵師たちに「日本画」の出発点があったのだ!という、もう1つ別のルートが示されています。
実際に、明治40年に文展(文部省美術展覧会)が発足して、横山大観や菱田春草ら東京美術学校出身者と、京都の竹内栖鳳、木島櫻谷らの作品が一つの会場に並んだ時、両者の絵にたいした違いがなかったらしいんすよ。
へぇ〜、へぇ〜。面白いね。
是非お買い求めくださいな。
特集では京都の画家たちをメインに記事にして、東京の出来事はマンガでまとめて見せています。
そのマンガを担当しました。
まだ売り出し中の雑誌ですのでチラッとしか載せませんが、自分のフェノロサに対する気持ちが少しマンガに入り込んでしまいました。
フェノロサと岡倉天心が大事にしなかった画家の方が今は人気者なのです。
そのことは以前「天心が埋めて惟雄が掘る」というタイトルでブログに書きました。
奇想VS正統派ってことでしょうが、今の時代は奇想の方に軍配を上げてますかね。
でも、天邪鬼な性格の私は、だったら今の時代に正統派が本当に正統派か確認しに行くのもいいんじゃないかなと思います。
ま、京都の豪華な料亭や商家やお寺を飾る絵として描かれたりしてたんだからね。あんまり気が狂ったような絵は描かないよね。
まだ観に行ってないけど藝大の美術館でやってる展覧会「円山応挙から近代京都画壇へ」を楽しみにしています。
戦前にピークをむかえた「日本画」も、今となっては概念がよくわかりません。
金ピカの額縁で絵の具コテコテでも「日本画」だったりするし。もう「洋画」なんて区別も無意味ですしね。でも日展とかまだ「日本画」と「洋画」ってわかれてるんですね。
さてクイズの答えですが、正解は岡倉天心。
岡倉天心といえばこういうエラっそうな写真のイメージですけど、若い頃は歌舞伎役者のようなイケメンだったんですね。
もし興味があればこっちもお読みください。
おわり。