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伊野孝行のブログ

大徳寺と最近の『笑なん』

先週は2泊3日で、京都の大徳寺に合宿して、襖絵を描いていた。

京都の捉えがたい力のひとつは、この大いなる徳の寺からも放たれている。
自然の中での修行を理想とする禅宗において、庭に深山幽谷の景色を作ったのが枯山水だ。確かに、お庭も建物も人の手で作ったものなのに、肌にあたるのは山中の「自然」と同質のツブツブだ。空を見上げても、塔頭の屋根の向こうには電線ひとつ見えない。ここは京都の町の中のはずだが……。
「カラスの鳴き声も東京とは違う」と一緒に合宿しているヤマガさんが言った。

私もすでに普段の私ではなかった。
いつもはメールが届くと、すぐに返事を返すタイプなのに、禅寺にいると返信が億劫でならない。SNSも追っかけるのがめんどくさい。「パソコンを持ち込んでここで仕事をなさっても良い」と和尚は言ってくださるが、いやいや、私はとてもここでは仕事ができそうにありません……。ここは修行の場であるが、どうやら私の仕事は修行とは程遠いようだ。

というわけで、自然と言えば公園の木々くらいの、しかも、向かいのアパートが取り壊しの最中で静寂の暇もない、散らかった部屋で雑多のものに囲まれながら、今週も代わり映えのないブログを綴るのだ。

「日本農業新聞」で連載されている島田洋七さんの自伝エッセイ『笑ってなんぼじゃ!』の挿絵でございます。
絵だけ見てても、何のシーンかよくわからないから、描いた箇所を抜き出してみましたが、それでもよくはわからないかも。

小学校時代、ばあちゃんに勧められて毎日走っていた俺は、ダントツの1位!先生からも「お前、足速いなあ」と注目してもろた。「お前ら、今からノックするから、好きなポジションにつけ!」と言う先生の声に、あのころ、“サード長島”が大人気やったから、ほとんどのやつがサードに集まった。「先生、いつも何の本を読んでいるん?」
「ああ、これか? 野球の本や。俺はバスケは専門やけど、野球のことはようわからんから、本を読んで勉強してるんや」俺は中学に入っても相変わらず、朝の飯炊きや水く みをしていたから、 「明日は早朝から朝練習があると」とばあちゃんにうそをついて、こっそりと朝の3時 ごろから中央市場の荷物運びのアルバイトに行くこ とにした。譲葉さんは卒業後、佐賀商業から甲子園に出場した くらいやから、当時から存在が際立っていたなあ。そんなレベルの高い野球部で、俺がレギュラーにな れたのは、ひとえに足の速さやと思う。チームメートが「おい徳永、今日もばあちゃん来てるよ」と教えてくれるんやけど、せっかくばあちゃんが気を遣ってこっそりしているんやもん。「うん、知ってる」とだけ答えて、俺も気がついてないふりをしていた。「え! スパイク? 今から?」と言いながら、ばあちゃんの後を追った。「いいや、キャプテンやけん、スパイクを買うんや」「もう7時やし、店も閉まっているよ」ところが、ばあちゃんは言い出したら聞かへんのや。「はい。二千五百円です」おっちゃんがそう言うとばあちゃんは、「そこんとこをなんとか一万円で!」と、必死の形相で握りしめた一万円を差し出した。「え? 二千五百円ですよ」と、目を白黒させたおっちゃん。

2時間目の理科にも、3時間目の歴史でも、机の上にスパイクを置いて、先生からの質問を待ってたもんや。この日から、少なくとも2、3日は、これやってたんと思う(笑)。ある日、突然、南里くんが俺に聞いてきた。「徳永くんて、餅好き?」「うん、好きやけど…」「じゃあ、家にいっぱいあるし、明日、持ってくるよ」 にっこり笑って、そう言いながら帰っていった南里くん。ところが、次の日の朝。「先生、徳永くんはいろんなジャガイモを見たいというてたんです。だって、ジャガイモは2つとして同じものがないんです。ジャガイモにもいろんな顔があるんですよ」 さすが農家の息子!橋口くんは、クリーニング屋の息子。俺が野球部のキャプテンになったときに「城南の野球部のキャプテンなんやから、ピシッとせんとあかん! 俺にまかせとき」と言うてきた。橋口くんは、お客さんからクリーニングに出された洗濯物の山の中に、こっそり俺の制服を紛れ込ませていたらしい(笑)。やっぱり人に親切にしてもらったことはずっと忘れられんもんやね。俺もいろんな人に親切にしてもろたけど、ばあちゃんもそうやった。忘れられんのが豆腐屋のおっちゃん。「僕、崩れたんあるから、大丈夫や。な、はい、5円」おっちゃんは、目で合図してうなずきながらそう言った。頭痛だけはノーシンやったけど、ばあちゃんは、それ以外はなんでも正露丸で治していた。 お腹が痛いときはもちろん、歯痛のときは、歯に詰める。 脇腹が痛いときは、つぶしてお腹に塗ったりもしてた。風邪ひいたときも「これ、塗れ!」と正露丸(笑)。翌日も、その次の日も痛みは治まるどころか、どんどんひどくなっていく。こらたまらん! と俺は学校の帰りに、ひとりでばあちゃんちの裏にある杉山眼科に駆け込んだ。学校の帰りやから、お金は持ってへんかったけど、後で払いにいったらなんとかなるやろと。「いや、先生は後でばあちゃんにもらうというてたけん」と俺が言うやいなや財布をつかんで家を飛び出していってしもたんや。それから何十年後。偶然、すし屋で百武先生の息子さんに会ったんや。今は息子さんが理事長で、なんと俺のねんざを診てくれた百武先生も、医師は引退したものの101歳でお元気やということもわかった。「お前、どこで覚えたんや?」「いや、テレビとかでプロの選手がやっているから」「ええっ!テレビでか! それでできるんやからたいしたもんや」先生にもそう言うて褒めてもろた。俺が野球がうまくなったのは、足が速かったんもそうやけど、いつもイメージを大事にしていたこともある。スタンドプレーと言われたトスもそう。
テレビや球場でプロの選手がやっているプレーを覚えて、頭の中で自分がするようにイメージするんよ。