伊野孝行のブログ

「ぼく神」連載終わる

そういえば、今月売りの「小説すばる」で私の半生記兼バイトくん物語であるところの『ぼくの神保町物語』が最終回を迎えていたのだった。

前回掲載分も含めてザザッと紹介して(と言っても挿絵だけ)ササッと逃げたい。

まずは前回(第12回)の『新しい絵』から。

この扉の絵は2010年12月、原宿の「リトルモア地下」で開かれた個展『画家の肖像』で描いた自画像です。

昨日のことのようだがもう7年前。人生は加速度的に時間が過ぎる。この回は個展の開催から2012年12月でバイトを辞めるまでの話。

やっとたどり着いた最終回は『苦いような甘いような味覚』というタイトルにしてみました。絵も誰だって描けるけど、文章だって誰だって書けるワイ!と思ってやりはじめた連載だったが……1年は長かった。

この扉の絵は30代前半の頃を想定して描いた、バイト先で働く私である。まだ髪の毛がたくさん生えている。

前回でバイトを辞めるまで話が進んだので、最終回では私は神保町を離れている。

神保町物語はバイトを辞めた時点で終わると思いきや、実はそこで終わりじゃない。むしろそのままでは『ぼくの神保町物語』は始まってなかったと言ってもいい。

運命が私に神保町に戻れと言った。そして私は神保町に戻った……なんて書くと大げさだが、私自身、神保町のことを書こうと思ったことはなかったのだ。「19年も神保町でバイトしててさ〜」なんていうただの思い出話だった。

ある人の提案により、19年のバイト人生=神保町時代が物語としてあらわれた。「伊野くんがバイトしてた神保町をテーマに絵を描けば?それで展覧会をしよう」と。

最初は「そんなテーマで絵が描けるのか?」と思ってしぶっていた。

まずは短い作文を書いた。そこから絵を描き始めた。

私は神保町博士ではない。街に詳しいわけではないのだ。限られた範囲で、来る日も来る日も毎日同じような行動をしていただけ。

嬉しい時にはルンルンと、悲しい時にはトボトボと、悔しい時にはコンチクショウと、いろんな気持ちで職場のある街をボーッと眺めていただけ。

でも、個人的な気持ちがなければ、絵は普通の絵にしかならない。

展覧会は2015年に開かれた。

『ぼくの神保町物語』は展覧会だけで終わるはずだった。

そうならなかったのも神保町という街のおかげ。神保町の街に送ったメッセージに、思いがけない返事が帰ってきたみたい。何がどうしたのかって?それはネタバレになるからここではヒミツだ。

ところで「自分と街」というテーマ、別に私だけじゃなくて、すべての人が書けるテーマだ。「私と街の物語文学全集」なんていう企画がないだろうか。古今東西のそういう話を集めたアンソロジーを読んでみたい。