伊野孝行のブログ

ほろ苦い珈琲の味

「日経おとなのOFF」の珈琲特集で、いつものごとくな絵を描きました。珈琲に関するトリビアの泉。珈琲といえばかつて(といってもわりと最近まで)私は18年もの長きにわたって神保町のとある珈琲店でバイトしていたのでした。〈トリビアその1「珈琲という字はかんざしが由来」らしいっす。漢字の珈琲というあて字の由来です。〉

18年、長いといえば長かった。10年をすぎたあたりで新しいバイトの子に「伊野さん何年働いているんですか?」と聞かれるのがイヤになってきた。答えたときの相手のおどろきあきれたような表情に平気でいられる強い心がほしかった。〈トリビアその2「アロマ」「フレーバー」「フレグランス」の意味、使い方がちがうらしいっす。知りたい人は雑誌で見てね。〉

18年がどれくらい長いかというと、店長の娘が幼稚園だったのにやめるときには大学生になっていた。常連のおじさんが、おじいさんになって、そのうち来なくなった(死んだ)。ただの万年バイトなのに、お客さんからは「店長」→「マスター」→「オーナー」と出世魚のように声をかけられる、などなど。〈トリビアその3 ヨーロッパで悪魔の飲み物とされていたが、教皇が珈琲に洗礼を施し、解禁されたらしいっす。〉

18年間言われつづけたこ小言は「伊野くんは仕事は早いけど、雑!」。職人にとって「雑」は命取りだけど、絵にとっては雑なことはかならずしもネガティブな要素じゃない。脱力感出るし。ていねいにきっちり描いても「はい、ごくろうさん(植木等口調で)」となっちゃう場合もあるから。〈トリビアその4 ヨーロッパの貴婦人たちはソーサーに珈琲を移してから啜ってたらしいっすよ。中国や日本から輸入したカップには取手がなく持つには熱いので。〉

働いていたお店には世界の珈琲カップが200個くらいあったが、仕事中に割ってしまったカップを合計すると数十万円はいくとおもう。でも給料から天引きされることもなく今おもえばいい店だった。そのなかに取っ手のないカップもあったけど、熱くてもてないのはたしかだ。そういえば、仕事中にヤカンのお湯が顔にひっかかって顔が真っ赤になったので、お茶の水の病院に行った。たいしたことはなかったけど先生が目だけ残して顔中に包帯をまいてくれたので、しかたなくそのまま神保町まで歩いて帰ったこともあった。〈音楽の父バッハは珈琲普及の立役者らしいっす。毎日数十杯飲んでたんだって。さらにバルザックは一日80杯だって。〉

神保町という街がよかった。古書店街はもちろん、安くておいしい食べ物屋さんがいっぱいあるし、オシャレなひとはあまりいないけど、モッサリした感じの人ならいっぱいいる。居心地がいい。「スイートポーヅ」「キッチン南海」「徳萬殿」「いもや」「共栄堂」「BONDY」「カーマ」…お店にまかないがなかったので足しげく通った。ちなみにカレー屋で一番好きなのは「エチオピア」です。…ただ仕事の絵だけのっけてもおもしろくないだろうとおもって、しなくてもいい話を書きました。あしからず。