伊野孝行のブログ

日本画誕生!

いきなりクイズです。この写真の人物は誰でしょう?

答えは後ほど。

さて、数年前にある有名小説家の文庫のカバーを描いたことがありました。

その本は最初単行本になり、次に文庫化され、今度は出版元が変わって2度目の文庫化でした。

ゲラに目を通していると若い女性のTシャツの描写のところで目がとまってしまいました。〈Tシャツの胸には、浮世絵のプリント。伊藤若冲の像の絵というのが、強烈だ。〉と書いてあったからです。

いや、若冲は浮世絵ではないぞ。

この本は3度は校閲されている。いや、雑誌で連載されていたら4度はチェックされているはずです。

イラストレーターが口を出すのも僭越だと思いましたが、幾度となく校閲をかいくぐってきたマチガイを担当編集者に伝えておきました。

ひと月後、カバーを描いた文庫が届きました。どう直っているか確認してみると〈Tシャツの胸には、日本画のプリント。伊藤若冲の像の絵というのが、強烈だ。〉となっていたのです。

いや、若冲は日本画でもないのだ〜!

では「日本画」とは何でしょうか?

今発売の「芸術新潮」にはこう書いてあります。
〈日本の伝統と西洋美術のハイブリッドから生まれた新たなる日本絵画、それが「日本画」である〉
そうなのです。
日本画は明治になって西洋画に対抗すべく作られたジャンル(概念?)なのです。
美術の教科書などでは、日本画の成立は、プロデューサー役のフェノロサと岡倉天心、画家の狩野芳崖や橋本雅邦たちによって、そして東京美術学校で彼らに学んだ横山大観や菱田春草たちによって「日本画」は作られたと書いてあるんじゃないでしょうか。
今特集においては、それよりも約100年前に「写生」を武器に京都絵画界を制した円山応挙とその系譜につらなる絵師たちに「日本画」の出発点があったのだ!という、もう1つ別のルートが示されています。
実際に、明治40年に文展(文部省美術展覧会)が発足して、横山大観や菱田春草ら東京美術学校出身者と、京都の竹内栖鳳、木島櫻谷らの作品が一つの会場に並んだ時、両者の絵にたいした違いがなかったらしいんすよ。
へぇ〜、へぇ〜。面白いね。
是非お買い求めくださいな。
特集では京都の画家たちをメインに記事にして、東京の出来事はマンガでまとめて見せています。
そのマンガを担当しました。
まだ売り出し中の雑誌ですのでチラッとしか載せませんが、自分のフェノロサに対する気持ちが少しマンガに入り込んでしまいました。
フェノロサと岡倉天心が大事にしなかった画家の方が今は人気者なのです。
そのことは以前「天心が埋めて惟雄が掘る」というタイトルでブログに書きました。
奇想VS正統派ってことでしょうが、今の時代は奇想の方に軍配を上げてますかね。
でも、天邪鬼な性格の私は、だったら今の時代に正統派が本当に正統派か確認しに行くのもいいんじゃないかなと思います。
ま、京都の豪華な料亭や商家やお寺を飾る絵として描かれたりしてたんだからね。あんまり気が狂ったような絵は描かないよね。
まだ観に行ってないけど藝大の美術館でやってる展覧会「円山応挙から近代京都画壇へ」を楽しみにしています。
戦前にピークをむかえた「日本画」も、今となっては概念がよくわかりません。
金ピカの額縁で絵の具コテコテでも「日本画」だったりするし。もう「洋画」なんて区別も無意味ですしね。でも日展とかまだ「日本画」と「洋画」ってわかれてるんですね。
さてクイズの答えですが、正解は岡倉天心。
岡倉天心といえばこういうエラっそうな写真のイメージですけど、若い頃は歌舞伎役者のようなイケメンだったんですね。
もし興味があればこっちもお読みください。
おわり。