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伊野孝行のブログ

八百屋から漫才師へ

日本農業新聞で連載中の島田洋七さんの半生記「笑ってなんぼじゃ!」の挿絵から。島田洋七さんが八百屋さん(藤本商店)に住み込んで働いている頃の話から漫才師になる決心をするところまで。
ある寒い日の朝、じいちゃんが風邪で高熱を出して起き上がれんようになってしもた。それで俺に「一人でせりに行ってこい」と言う。「せりなんて、したことない。俺にはまだ無理じゃ」(中略)「藤本さん、ハクサイを950ケースもどうするの?」「950ケース?!」そんなに買った覚えはない。俺が買ったのは95ケースのはずやった。俺はめまいがしそうになった。
「アキやん、今日はどうやった?」「ごめん。ハクサイを買いすぎてしもうた」「ちょっとくらいええ。どれくらい買うたんじゃ?」「950ケース……」その途端、爺ちゃんは頭からすっぽり布団をかぶって、そのまま出てこんようになってしもた。
「それや!」俺はパチンと指を鳴らして立ち上がり、ばあちゃんに2000円もろて、布団屋と電気屋に走った。布団屋で買うた白い敷布とさらしに「産地直送 藤本商店」と書いてのぼりと幕を作った。そして電気屋で買うたマイクとスピーカーをトラックに取り付けた。
住み込みで、食費もただ。飲みに行くときは、まっさんがごちそうしてくれるし、たまに服を買う以外は、ほとんどお金を使うこともないから、自然と貯金が増えて、そのお金で俺は車を買うた。4気筒2000ccのセドリック130型、発売価格は百万円以上もする高級車。
8月の暑い日。関東、関西の大学に行っている元野球部の連中が夏休みで広島に帰ってきた。(中略)俺も野球のことを忘れかけていたけど、みんなも、そう。野球の話は、全然せんかった。その代わりに関東に大学に行ったやつらがするのは「東京」の話やった。「新宿のさあ……」とか「渋谷でさあ……」とか、関東の大学に行ったやつらの話が弾んだ。言葉が標準語になっているせいか、みんな心なしか垢抜けて見える。
藤本商店では、ほんまにいろんなことを勉強させてもろた。仕事も楽しかった。このままずっと八百屋をやってもええと思てた時期もあった。それだけに、辞めると決めたものの、俺もものすごく寂しかった。
東京に行きたい! という勢いで藤本商店を辞めたものの、貯金を計算してみたら、上京するにはまだもうちょっとお金を貯めなあかんことがわかった。 そこで兄ちゃんの会社でアルバイトをすることにした。ガス、水道の設備会社に就職していた兄ちゃんは、その会社で工事担当の部長になっていた。俺は仕事の合間に2日に一度、ジャンク屋に鉛管を売っては、夕方に肉と一升瓶を持って現場に戻る。みんなで焼き肉をして、たらふく食べた。
俺がユンボに乗って道路を掘っていたときのことやった。道端の家のおばちゃんが工事の音がうるさいと俺を怒鳴りつけたのがことの発端。「うるさい! がまんしとったら、ええ気になりよって」俺はその言い方にカチンときた。「うるさいもクソもあるか。こっちは正式に手続きして工事しとるんじゃ!」
あるとき、中学の同級生と喫茶店でお茶を飲んでいたら、デパートの玉屋に勤めるという5人の女の子たちと知り合った。話が盛り上がって、俺はその中の一人にちょっと好意を持った。確か「ネクタイ売り場にいる」とか言うてたから、次の日に玉屋のネクタイ売り場に行ってみたんや。
一ヶ月半後。俺はりっちゃんに会うために、クラウンで佐賀に向かった。玉屋の前に車をとめて待っていたけど、いつまでたってもりっちゃんは現れん。いや、正直に言うたら、顔を忘れてたんや(笑)。
りっちゃんは最小限の荷物だけ持って、いつものように会社に行くふりをして家を出てきたのだと言う。会社には朝、普段通りに出社して、昼休み前に上司にいうたらしい。「私、会社辞めたいんです」
上司は冗談やと思たんやろね。笑いながら昼飯を食べに行った。そのすきにりっちゃんは、荷物をまとめて出てきたんや。佐賀駅には、りっちゃんの友達3人が見送りにきていた。
浜松町、田町、品川、大崎、五反田、目黒、恵比寿、渋谷……。野球部のやつらが言っていた街が、車窓を流れていく。「これが東京かあ」「なんかすごかね」
「隣の人も、だからさーとか、どこどこ行っちゃってさーとか言うてるから、最後に『さ』をつけたらいいんや」「うん、分かった!」りっちゃんは真剣な顔をしてうなずくと、手を上げて店員さんに叫んだ。
俺たちはタクシーに乗ることにした。「どちらまで?」「ニューオータニ」俺は東京のホテルといえば、テレビドラマによく出てきたニューオータニしか知らんかった。東京にはニューオータニしかホテルはないと思てたんや。
「こんなとこにいたら、あっという間にお金がなくなってしまうぞ」「ここだけじゃなか。東京にいるだけで、すぐお金がなくなるばい」「とにかく、はよ仕事を見つけんといけん」俺はフロントに電話して、その日の新聞を全部持ってきてもろた。
「まあとにかく、早く広島に帰ったほうがいいよ。心配しているだろうから、家に連絡だけでもしときなよ」「そうですよねえ。あ、Aさん、あれなんですか?」俺が指をさしたテレビを見て、Aさんは言うた。「ん?あれは漫才だよ」
俺は文房具屋で履歴書を買うて、まずホテルから一番近いタクシー会社で面接を受けた。(中略)後で考えたら、悪くない話やったんやけど、おじさんの早口の東京弁にあがってしまった俺は、何がなんやらよくわからんようになって、とにかく「俺の免許ではいけん」と言うことだけは理解できた。
俺は明子おばさんに電話をした。「明子おばさん?俺、昭広」「あら、昭広ちゃん!久しぶりね」「実は今、立川にいるんです」「ええ?」明子おばさんはかなり驚いてたけど、すぐにおじさんと一緒に駅まで迎えにきてくれた。
おばさんが、「ちょっと」とおじさんを呼んで、廊下で何やらひそひそと話をしている。俺とりっちゃんは顔を見合わせた。流れる不穏な空気。茶の間に戻ってきたおばさんは、特に変わった様子はなかったんやけど、「明日、どこに行くの?」としきりに聞いてくる。「あかん、これはバレた」と俺は直感した。
野球部の小森先輩は「とにかくいっぺん、大阪に来いや。ほんで大阪見物でもして広島に帰れや」と快く受け入れてくれた。俺はりっちゃんと生まれて初めて新幹線に乗って大阪に向かった。東京や大阪の大学に行った連中が「速い、速い」と言うてた新幹線。田舎の在来線とちごて、外の景色がものすごい速さで流れていく。
翌朝、小森さんが仕事に出かけると、奥さんが赤ちゃんをあやしながら「せっかく大阪に来たんやし、吉本でも行ってきたら? 私はこの子がいてるし、一緒に行ってあげられへんけど」「吉本って何ですか?」「知らんのん? 新喜劇いうて、めっちゃおもろい芝居とか、漫才とか落語とかやってるねんよ」
ギャグ連発の吉本新喜劇も笑いっぱなしやったけど、やすしきよしのきよしさんのポケットミュージカルに、中田カウスボタンさんの漫才、そして笑福亭仁鶴さんの落語は、飛び抜けておもしろかった。とにかく人生でこんなに大笑いしたんは初めてちゃうか、というくらいのおもしろさやった。衝撃やった。「俺、あんなんになりたい」と舞台を指さして、りっちゃんに言うた。「あんなん? うん、なれるかも」と、りっちゃんも言うてくれた。その日の夜、小森さんに言うたんや。「先輩、俺、人生決めました」「そら、よかった。ほんで何すんねん」「漫才師になります」「おい、ちょっと待て。お前、本気か?」「はい」「そやけど漫才師て、そんな簡単になれるもんやないで」
ちょうど時間となりました。この続きはまたのご縁とお預かり〜。