伊野孝行のブログ

中国古典版画

雑誌「ベストパートナー」で守屋洋さんの「中国古典のリーダー学」という連載に、毎回どヘタな版画をつけています。↑「老子」のカット。上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る、故に道に幾し…というわけで水の中の鯉(老子)です。刷りがヘタで、ぶれてしまったけど、水の中ってかんじでこれでもいいんじゃん?…と早々にあきらめた。もうひとつの絵は、老子といえば牛に乗った絵がよくあるのでサラリーマンを牛に乗せてみました。この2つはゴム版でやっていました。理由は削りカスが掃除しやすい、という理由で。でも、ゴム版は木のように繊維がないから、ザクザク彫る快感がちっともない。線がキレイに出すぎる。作為を超えた偶然性があまりない…だから次からは木版にしてみよう。↑というわけで「荘子」から木版。なんでこんな絵にしたんだっけかな?でも、「荘子」は僕が最も愛する哲学であります。双葉山は連勝記録を69で止められたときに安岡正篤に「未だ木鶏たりえず」と電報を打った。木鶏の話も荘子におさめられております。やはり木版にしたほうが良かった。双葉山の体の線は下書きの線をあまり気にせず彫った。版画の線のおもしろさや、木の柔らかさが出たであろうか…いや、今だ木版たりえず、だな。↑お次は「韓非子」の絵。「逆鱗に触れる」の逆鱗とは龍の首もとあたりに逆さに生えている鱗のことである。韓非子その2、なんでこんな絵にしたんだっけ?性悪説をとり、利益が人間を動かすと説いた韓非子の考えと、プラグマティズムの現代アメリカの考えが似ている、ということで描いたんだなぁ、きっと。↑これは「史記」を執筆中の司馬遷である。貫禄ないなー。劉邦と項羽のつもり…。↑お次はご存知「三国志」。だけど、実は僕はまだ「三国志」を読んだことがない。よし、これを機会に読んでみよう。劉備が諸葛亮を迎えた、いわゆる三顧の礼の図です。↑つづきまして「大学」と「中庸」です。儒学の原典、四書五経の四書のうちの二つ。江戸時代の寺子屋で暗唱するこどもたち。なんでこんな絵にしたんだっけかな?たぶん、会社のリーダーが「中庸」から学ぶことみたいな、ことだったとおもいます。極端にはしらないバランス感覚を絵にして、やじろべえだなんて、凡庸だ。↑最後は「呻吟語」。「呻吟語」というのは、著者が大変優秀な正義感だったが、官僚の世界で大変な苦労を重ねた。その中で、病気で苦しんでうめき声をあげるように、この処世術を書いたことから、このような書名になったらしい。というわけで、呻吟している人。その処世術に、日頃から切れ味を鋭く磨いておく鍛錬は必要だが、普段は隠しておく方がよい。あまりひけらかすと嫉妬されて足を引っぱられるおそれがある。危機的状況において宝刀を抜き、みんなを助けなさい、みたいなことがあるらしいので、能ある鷹は爪隠すの絵にしてみました。

はい、おわり。