伊野孝行のブログ

抽象画の是非

抽象画には、すげー面白い抽象画とまあまあ面白い抽象画とぜんぜん面白くない抽象画があって、私には一目瞭然なのだが、その差を言葉で言い表すことができるのだろうか?いやできない。
ここに2枚の抽象画と1枚の画板がある。
作為的に作ったものと、自然に出来たものである。
こんなものを載せていったい何を論じようとしているのか?
抽象画を言葉で論じるなど不毛なことだと前置きしておきながら……。
『するどさもうつくしさもないみじめなどうぶつ』Takayuki Ino / 2013
『まばたきに用いる幾度かの闇さえ不安だ』Takayuki Ino / 2013
『金魚鉢のポスターをじっと見つめる黒猫と白猫』Takayuki Ino / 2019
さ、今日は午前中から取材旅行に出かけなければいけないのだ。
滋賀と京都に行くので、ついでに今まで口にしたことのない鮒寿司を食べてこよう。
もう出かける時間だ。
そんなわけで、前振りに対して何も回収しないまま、ブログは終わりだ。
絵と言葉について、考えたい人は考えたらよい。
言葉でコミュニケーションできない人だって素晴らしい絵を描く。
非言語的な質を有する絵画を言葉で考えることの意味はなんなのだろうか。
え?…今週はネタがないのにブログを無理に更新してる状態じゃないかって?
…そうです。
…おわりです。