伊野孝行のブログ

評論家はいなくなった?

「芸術新潮」5月号の「わたし一人の美術時評」はこんな書き出しからはじまる。

『先日、ある美術評論家と美術雑誌の編集長がこんな会話を交わしていた。「もはや美術評論家なんてものは絶滅危惧種、いや絶滅種だなぁ。」「確かに、いま求められているのは展覧会を企画するキュレーターと、多彩な美術情報を整理・解説するライターだから」そんなことはいまさら話題にするまでもないことだが……。』

コラムのタイトルは「そして評論家はいなくなった?」内容は、いやこんな時代こそ評論家は必要なのだ、ということでした。くわしくは「芸術新潮」で!

このコラムにつける絵は、書かれているテーマをいったん分解し、自分なりに再構築して、絵は絵として独立して楽しめ、しかもコラムの内容とつながっていなくてはならぬ…という毎回非常に頭を悩ます難問であります。さて今日は趣向をかえて、幾種類かのラフを載せてみますので、編集者、AD、協議の結果、選ばれたのはどれか?クイズです。見る目のない画商がゴミ箱を作品と勘違いしている様子。お金(作品?)を目の前にした人々が勝手きままに意見を出し、収拾がつかない程に騒がしい様子。三味線弾きの家に生まれ、歌舞伎の舞台の御簾の中から、六代目菊五郎などの名優を見て育ったご存知、勝新太郎。縄文時代にも評論家はいた?

さあ、この4つのラフのうち、目出たく掲載されたのは…そう、もうおわかりですね。正解はコレです。