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伊野孝行のブログ

今週も ……

今週は……

天心が埋めて惟雄が掘る

岡倉天心の写真はすごくエラっそうだ。このふんぞり返った感は俺が日本をしょって立つという明治人の気概なのかもしれない。アメリカ滞在中もここぞというときはバシッと羽織袴で決めたというし、アメリカのヤンキーに「お前たちは何ニーズ?チャイニーズ?ジャパニーズ?それともジャワニーズ?」とからかわれたら「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」とペラペラの英語で当意即妙に切って返した、という逸話がある。ネットの中で見つけた。そう、引用すると負けた気がするウィキの記事の中に。それはいいのだけど、こういう話を聞くと、なかなかアッパレな漢の印象を受けるが、岡倉天心の絵を見る眼力ははなはだギモン。影響力のあった人だけに、当時も後世も岡倉天心に埋められた画家や作品が多かったんじゃないだろうか。というのは何年か前に図書館で借りてきた近藤啓太郎さんという人の本『日本画誕生』にこんなことが書いてあったからだ。

〈さて、天心は『日本美術史』で、応挙については四千五百字を費やして記述しているのに反して、宗達についてはたったの二百字である。池大雅にいたっては、逸話を記しているにすぎない。徳川家の絵師として日本画壇に君臨していた狩野派に反撥して、異端といわれた伊藤若冲、長沢芦雪、曾我蕭白など、すぐれて個性発揮の絵を描いた画家についてはほんのわずかな記述でしかないのである。従って、浮世絵は下等社会の趣味として、無視しているのは当然とも言える。そのくせ、天心は市井で「親方」と呼ばれていた工芸家をいきなり美術学校の教授にしてしまうのだから、理解に苦しむところである。〉
親方と呼ばれてた工芸家とは高村光雲かな。
それよかさ、天心が日本美術史の路地裏に追いやった画家たちって、まさに辻惟雄さんが再発見した『奇想の系譜』の画家たちじゃん!若冲、芦雪、蕭白、国芳以外に『奇想の系譜』にあげられている岩佐又兵衛、狩野山雪については岡倉天心はなんと言っているんだろうか。褒められてたら逆にくやしいけども。
芸術新潮の今月号の特集は「奇想の日本美術史」。50年前に辻惟雄さんが「奇想の系譜」で発表した奇想のスタメンに、新たに白隠慧鶴、鈴木其一などが加わり、さらに縄文から現代に至るまで、あるときはなりを潜め、あるときは爆発する奇想の血脈を紹介する。監修者の山下裕二さんが日本美術史を揉んでほぐして血行をよくするという特集だ。
私が担当したのは「奇想の8カ条」。
高札の上で高笑いする山下裕二奇想奉行。そして奇想の魂たちをあたたかく見守る辻惟雄奇想菩薩。一番右下の女性は現代の奇想美術家、風間サチコさんの似顔絵だ。
この奇想の8カ条に当てはまるような扉絵を描きたい、いや、おい、忘れちゃ困る、奇想のイラストレーターはこのオレさまだ!という気持ちで描きました。
自分の中にも奇想の血が流れている。日本美術史のようにあるときはなりを潜めて、あるときは爆発して。
高校生の時に寺山修司や横尾忠則や湯村輝彦さん、蛭子能収さん、根本敬さん、音楽でいったらエンケンさん……たちに惹かれていったのは、我が奇想の初潮にして満潮時。その後。セツ・モードセミナーに行ってからは奇想の血はややなりを潜めるも、長沢節先生自体はある意味、世間一般の奇想よりもマジで変わった人だったので、先生を観察しているだけで自分の奇想パワーは充電していたのかもしれない。
そしてようやく日本美術に興味を持ち始めた時期、つまり橋本治さんの『ひらがな日本美術史』連載中の芸術新潮、2000年2月号の「特集 仰天日本美術史『デロリ』の血脈」by責任編集 丹尾安典を読んで、再び自分の中の「へんな絵大好き!」気分が満潮かつ大潮になったのであった。
基本的に変人、へんな絵が好きな私です。
今は、自分の奇想メーターはどれくらいを指しているだろうか。
そうそう、ちょっと岡倉天心先生を褒めておこう。
同じく『日本画の誕生』の中に天心先生のユニークな「新案」という授業の様子が書かれていた。
美術学校第一回生の溝口禎次郎氏はこう語る。
〈新案というのは構図のことで、生徒に図を作らせるのです。ところが山水などなかなか図を作れるものではない。そこで各々いろいろの工夫をしたものだったが、一番面白いのは風呂敷を投げつけてその形によって山水の図を立てるといふ方法だった。これは元来芳崖さんが案出した方法らしかったが、兎に角やってみると不思議に図が出来る。柔らかな風呂敷では駄目だが、白い金巾か何かのこはい風呂敷を投げつけると、それが角張った狩野風の山に見える。さうして彼方に滝を落としたら面白かろうなどという考えが浮かぶのです。〉
この方法について著者の近藤啓太郎さんは「なんとも馬鹿々々しい話で情けなくなる」と述べているが、私に言わせりゃ、ベリーグッド!もっとも狩野芳崖の発案らしいから天心先生一人のお手柄ではないが。中国山水に似た山なんて日本の風景ではほとんどないし、かといって頭の中だけで絵を作ろうとするとどうしても観念的になる。風呂敷を投げて偶然出来る形から山水を起こそうなんて、まさに名案だ。もしかしたら狩野派では昔からやっていた方法なのかもしれないね。

顔真卿を見たか

先日、土曜日に東京国立博物館で開催中の「顔真卿」展を見に行った。マストというより、ちょっと見ておきたいかなぁくらいだったのだけど、3名無料で入れるパスを持っている人に誘われたので、これ幸いとついて行った。
顔真卿展なんてガラガラなんじゃない? と思っていたのが大マチガイ。
会場前に行列こそできていなかったが、中はかなり混雑していた。入口近くは人を押し分けないと陳列台のそばに寄れないくらい。最近は美術ブームでフェルメールや若冲や阿修羅がバカみたいに混雑するのはわかるけど、「書」なんていうゲキ渋なジャンルにこんなに人が来るのかぁ〜って驚いた。
ぼくは書については全然詳しくないんだけど、文字というのは絵みたいなもんだし、漢字なんていうのはまさに絵から出来てるものなわけで、鑑賞自体は難しくもなんともない、と思っている。実際に、予備知識なしで「いいな〜」と思えるものはたくさんあった。
ていうか、だいたいどの書にもぼくは感心した。書は絵よりも見飽きずに眺められるってとこがある。
『開通襃斜道刻石(かいつうほうやどうこくせき)』は初期の隷書の姿を留める。後漢時代。西暦でいうと66年。
ご覧のように、めちゃ重たい図録も買った。家でシゲシゲ眺めた。王羲之、顔真卿、欧陽詢などの名前は、一応知ってるけど、王羲之が何時代でどんな人か、顔真卿が何時代で今展の目玉『祭姪文稿(さいてつぶんこう)』はどんな時に書かれたものか、というのは全然知らなかった、そんなレベル。名前を知ってるということは、どこかで一度知識を頭に入れる機会があったのだろうけど、綺麗さっぱり忘れている、そんなレベル。
書聖、王羲之の超有名な『蘭亭序』。これは『定武蘭亭序』といって、唐の皇帝、大宗が欧陽詢に作らせた複製。東晋時代。353年。
こちらはその欧陽詢の『九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)』。唐時代。632年。こちらも同じく超有名な書である。有名、有名と連発したが、ぼくが知ったのは最近です。
唐の皇帝、大宗は王羲之をこよなく愛し、全国に散逸する王羲之の書をカネにあかして集めまくったので、民間人が王羲之の書を見る機会がなくなってしまった。中でも最高傑作の『蘭亭序』は弁才という僧からだましとって手に入れたのだという。さらに愛する度が過ぎて、大宗は自分が死ぬ時、墓に王羲之の書を一緒に埋めてしまい、模本や臨書しか残っていないという。なんてこったい。
この有名なエピも今回知ったのであるが。
いつも知識は頭を素通りしていくが、今回、実際に鑑賞して図録も読んで、ブログも書けば、多少は記憶されるかもしれない。
これが日本初公開、顔真卿の『祭姪文稿』だ! 唐時代。758年。安史の乱で非業の死を遂げた若き顔季明への弔文の草稿。人に見せるために書いたものではない。非業なエピとあいまって『蘭亭序』と肩を並べる大傑作といわれている。
おっと、実は『祭姪文稿』は作品の前に蛇行する行列が作られていて30分待ちで、時間の都合もあって今回は実物を見るのをあきらめた。列の終わるところからちょいと覗こうとすると、太った女の係員が、その巨体を盾にするかのように、「こちらからはご覧になれません!」とヒステリックに何度も通せんぼするので、せっかくの良い気分に水をさされた。覗こうとしたぼくが悪いのか。いいじゃないの、ちょっとくらい。
良い気分というのは理由があった。だいたい混んでる展覧会は嫌いなので、良い気分でない場合が多いのに、ちょっと気分が良かったのだ。
体感として、顔真卿展の鑑賞者の3分の1くらいは中国人だった。
美術館の暗がりの中で、東洋人の国籍の区別はほぼつかないけど、隣で見ているお客さんから聞こえるのは日本語よりも中国語の方が多かった。真剣に見ている人が圧倒的に多くて、感想を言い合っているのか、解説プレートを読み上げているのか、書を読みあげているのか判然としないけど、やかましくもなく、良い作品を見て素直に口から漏れる言葉の響きであった。
『祭姪文稿』は台湾故宮からの貸し出しなのだが、一緒に見に行った人は「中国本土の人は台湾に旅行しにくいから、日本で公開される機会に見に来たのではないかな?」と言っていた。そうなのかもねー。
とにかく熱心に見ている中国の方々を見て「さすが中国は日本の先生」と思わずにいられない。熱心さに加えて、ふだん簡体字を使用させられている鬱憤を晴らそうとしているような感じさえするのであった。漢字の歴史こそ中国人の魂!
我々日本人は「がんしんけい」などと読んでいるが、中国語での発音は違うし、彼らがぼくの耳元で読み上げていた漢文の発音こそが本来、字とともにある響きなんだろう。日本語の漢文の読み下しの硬い雰囲気と全然違って、美しく流れるよう。まぁ、当たり前なんだけど、改めて、漢字文化圏の不思議さを思ったことよ。
気分がいいのはそんな鑑賞体験をしていたからであった。
以下は全て、顔真卿の書です。
へー、顔真卿ってなんでも書けるんだなあ。
ぼくは最後の2枚あたりの太くておおらかで、そんなにうますぎない字が特に好きだな。
字も絵と同じで”意識が無意識に出る時”が、一番いい感じがするんだけど。
こうやっていろんなタイプの書を見てみると、人目を気にせず書いた『祭姪文稿』こそが顔真卿の素顔であり、他はお化粧をした姿なのかもしれないね……って『祭姪文稿』の実物を見てないんですけどね。
ダハ、ダハ、ダハ。
ところで、ぼくは「書も絵として見る」と書いたけど「書も絵として描く」のでいいと思ってる。学校で書き順というのを習って、それが大切なことのように教わったが、魚の漢字が「魚」の絵から出来ていることを考えれば、別に書き順に従わなくてもいいじゃんと思う。
いくら正しい書き順で美しい「楷書」が書けたからって、抽象画みたいな現代の書芸術が書けるようにはならない。デッサンの修行を積まないと絵が描けない、に近い惑わせものなんじゃないのかな。
でも活字の明朝体の「筆始」や「うろこ」の形は筆順に基づく形なんでしょうね……楷書というのが今の漢字の基本だからね。この分野は、周りに詳しい方がいるので、素人がこれ以上入り込むことはやめておきましょう。
はい、字は人間の意志伝達の道具なので、本来、字を扱う人間に素人玄人の差別はなし。ぼくはそんな軽〜い気持ちでやってます。
ここから先は、字を書いて遊ぼうのコーナーです。
イラストレーターは絵を描くだけでなく、字も頼まれたりするから、仕事で書いたのをいくつか載せるが、書聖たちといかに遠いかということを笑っていただきたい。
「オトナの一休さん」で書いた何似生(かじせい)。以下も「オトナの一休さん」より
作麼生 説破(そもさん せっぱ)
一休さんの漢詩。書き順メチャクチャです。
アニメタイトル文字
喝!いろいろバージョン
立体的な喝!
無縄自縄
小説のタイトル
エッセイのタイトル。以下は「ちくちく美術部」タイトル文字。
はい、なんちゃって。
なんちゃって。
ではまた来週!

あなたは暮しの手帖を読んでいますか

「安物買いの銭失い」という言葉があるが、ぼくの場合は「安物買いの物持ちいい」だろう。

ざっとわが六畳間を見渡せば、スチールの本棚4つに、カラーボックスが5つ。仕事机と椅子は20代の頃量販店で買ったもの。プリンターがおいてあるのはゴミ置場からひろってきた黒い台。実家からもってきた扇風機。

東京に来て5回くらい引っ越しているけど、新居にあそびにきた友達は口をそろえて「伊野の部屋って何回引っ越してもかわらないねー」と言う。

若いときはお金がない。「選ぶ」という余地があまりない。いつか自分の持ち家ですきなように部屋づくりができるようになるまでの、仮暮しの気分でずっといた。

ところが、五十の壁も目前にせまってきた昨今、いまさら家を買うだろうか?壁一面につくりつけの本棚をこしらえる予定があるだろうか?と自分に問う。たぶん、一生、借家暮しのような気がしている。それに、ぼくは年々老化していくのに、安物の机や椅子や本棚の朽ちないことといったら……電子レンジは30年前に上京したときに買ったものだが、毎日使いまくってもいまだにこわれる気配すらない。

いつかステキな暮しを、といった夢は、無理矢理にでももとめないと手に入らない。残りの時間をかんがえたら、無理をするのは今かもしれない。

職人さんのいい仕事に、高すぎる値段というものはない。仕事の対価であり、それを払えば、自分のものにできるのだから。少なくともぼくの絵の値段よりは適正価格だと思う。

今度からモノを買うときは、なるべくいい仕事のものを求めよう。自分も職人のはしくれだし……と、思っているのに、きのう革靴を買いに行って、2万円代後半、1万円代後半など、4足ぐらいためしてみたが、いちばん形もかわいくてピンときたのは7千円のスエード靴だった。金じゃないんだ、金じゃ。

暮しといえば、「暮しの手帖」。

20代、セツに通っていたとき、学校のロビーに「暮しの手帖」が置いてあった。長沢セツ先生と花森安治が関係あったのかどうか知らないけど、購読していたというより、送られてきてたのだろう。

「暮しの手帖」は実家にも何冊かあった。久しぶりに手にとって見たら、そのレイアウトや写真の古くさい(そのときはそう思った)ことに驚いた。え?まだこんな感じなの?とカルチャーショック。表紙も油絵で描いたような女性の人物画だったと思う(花森安治の絵ではない)。時代は90年代半ば。国民の暮しが贅沢を極めたバブルが終わって、まだ間もないころであった。

ありし日の花森安治の姿を写真で知ったのは、そのちょっと後だったかもしれない。ガマガエルのような顔でしかも妙に女装が似合っていて、男だとはなかなか信じられなかった。

花森安治の編集者としてのすごさは山本夏彦がよく書いていた。

花森安治は耳で聞いてわかる漢字しか使わない。目で読んで理解できる漢字は使わなかった。このために「暮しの手帖」の文章は読みやすい。漢字にするところと平仮名にひらくところの塩梅も絶妙、というようなことや、「商品テスト」のこと、あとは花森は戦争中は大政翼賛会にいて「欲しがりません勝つまでは」という標語を作った(公募のなかから選んだのだっけかな?)ということも、山本夏彦の本で知った。

「欲しがりません勝つまでは」は、なんというおそろしい標語だと思っていた。でも、この標語のポスターを世田谷区美術館の「花森安治の仕事」展(2017年)で見た時、あ、めっちゃいい!と思った。

おそろしい標語が書かれたおそろしいポスターをうっとりながめている自分がいたのだ。どうしてこんなにあたたかいのだろう。大政翼賛会の職員としてお国のために頑張る戦時下の花森、「暮しの手帖」編集長として庶民の暮しをたいせつに思う戦後の花森。
転向とか、今風に黒歴史などとかたづけていいものだろうか。ここでも「欲しがり/ません/勝つまで/は」というレイアウト術の妙。これが計算で割り出せないように、花森安治も単純に計算では割れないのだ。手書きの明朝の向こうから花森安治の太い肉声が聞こえてくるようだ。

パソコンが使えないとデザインができないのだろうか。フォントを持っていないと文字が使えないのだろうか。いや、筆と絵の具でただ紙に描くだけで表紙版下はできあがるのだ。そんな、あたりまえのことを、当然のごとくやっている。そのやり方しかない時代だから、という素朴さと強さの前に、パソコン小僧はフリーズした。

花森安治は「自動トースターをテストする」と題して食パン4万3千88枚を焼いて積み上げた。「暮しの手帖」の好企画として名高い「商品テスト」である。この食パン、ものをたいせつにする花森、および編集部一同があとで残さず美味しくいただきました……かどうかなんてどうでもいい。今なら炎上案件かもしれない。そんなことよりも、これがビジュアルの説得力だ!これが雑誌なのだ。「もしも石油ストーブから火が出たら」という商品テストもすごいぞ。これが本当の炎上だ!
このように花森安治は取材や文章、コピーの執筆はもちろん、写真撮影、レイアウトやロゴなどのデザイン作業、さらに絵もうまいんだからまいるよ。万能編集者でぼくにとっては同業の大先輩。熱量と質の高さにただ打ちひしがれるだけ。
25年ほど前にセツで手にしたとき、古くさいな〜と思った「暮しの手帖」だけど、今もう一度見るとどう思うだろうか。時代は変わった。もちろん「暮しの手帖」は今もなお発行されつづけているのはみなさんもご承知のとおり。古くさい感じはいっさいありません。
そして何号かまえから、「わたしの大好きな音楽」というコーナーでぼくは絵を描いているのでした。

はい、それではみなさん、石油ストーブから火が出たら、こうしましょうね!

芸人の道

日本農業新聞で連載中……ではなくて、連載していた島田洋七さんの半生記「笑ってなんぼじゃ!」。そう、すでに去年の秋には連載が終わっていたのでした。そして気の早いことに連載中に文庫本の上巻が出て、連載が終わるやいなや、下巻も発売されていたのでした。さすが、佐賀のがばいばあちゃんスペシャルな早業。

私のブログではアップするのが遅れて、今回はやっと芸人の道に踏み出したところ。

この連載がはじまる前に担当さんから「文中に出てくるセリフを挿絵の中に入れて欲しい」というリクエストがありました。ホイホイと言うことを聞いておりましたが、物語が少年時代を経て、芸人の道に入ると、当然芸人の似顔絵の横にセリフを書く必要も出て来ます。そんな時にちょっと気になるのが、芸人を描かせたら右に出るもののいない名人イラストレーター峰岸達さんの絵に似てしまうんじゃないかな〜ということでした。

先に白状しておきましょう。なんか似てたらスミマセン。
しかも洋七さんの物語には、当然、峰岸さんの大傑作、小林信彦著「天才伝説 横山やすし」の挿絵で何度も描かれているヤッさんも登場します。
しかし比べるのが失礼というもの。
似ちゃったらどうしようかなと気にしながら描いている絵と、自分を大爆発させながら描いている絵とでは自ずと輝きが違います。
以前、峰岸さんと話しているときにこんなことをおっしゃてました。「モノマネの芸人でもさ、森進一のモノマネって、みんなやり方が似てるじゃない。あれは人がやってるモノマネを見て、自分もコツを掴むんだよね」と。
そうなんです。私も峰岸さんの絵を真似してコツをつかもうとしている。そんなことにしておいてください。
 ちょうど昨日が千秋楽やったみたいで、その日は、昨日とは違うラインナップやった。人生幸朗・生恵幸子さんのぼやき漫才でまた笑いころげた。小森さんちに帰って、会社から帰ってきた先輩にもう一回言うてみた。「先輩、俺やっぱり漫才師になりたい」
 ギターのチューニングをしていた可朝さんに、富井さんが俺を紹介してくれた。「この子、徳永くん。今日から『うめだ花月』に入ってもらうことにしたわ」「ほう、そうか。まだ若いんやろ? お笑いやりたんか?」 俺はガチガチに緊張しながら答えた。「はい、漫才師になりたいです」「ほうか。大変やけど、おもろい世界やで」 可朝さんのこの言葉を理解するには、それほど時間はかからんかった。
 電話にはお母さんが出たようで、りっちゃんは、大阪でアパートを借りたことや繊維問 屋に勤めたという近況を報告していた。お母さんは、ひとまず安心したようで、俺もほっとした。そんな俺にりっちゃんが受話 器を差し出した。「お母さんが、代われって」
 
2,3日したら、りっちゃんの家からやたらでかい荷物が届いた。包みを開けたら、ふかふかの布団が2組入ってた。お母さんがお父さんにりっちゃんの居場所が分かったことを言うたら、お父さんが「布団だけ送れ!」と怒鳴ったんやそうや。
 進行係の仕事にも慣れてきた頃、俺もそろそろ師匠につきたいと思うようになった。「誰がええかな。やすし師匠は怖そうやし、仁鶴師匠は落語やし……。そや! 島田洋之介・ 今喜多代師匠やったら優しそうやしええかもしれん」と、今思えば短絡的で失礼な判断やな(笑)。
「そや!ええこと思いついた!」俺は急な坂を一気に駆け下り、たばこ屋のおばちゃんに紙とペンを渡して代筆を頼み込んだ。おばちゃんは「何かよう分からんけど」とか言いながらも、俺の実家の住所と電話番号と「漫才師になることを承諾します」と書いてくれたんや。たった2万円やけど、去年の夏に藤本商店を辞めてから、初めて稼いだ金や。しかもこの金は。漫才師としての一歩を踏み出したというや。そう思うと、たまらん気持ちがこみ上げてきて、ボロボロ涙が止まらんかった。
俺らが初舞台と知ったルーキー新一さんは、10日間の寄席の間、舞台での姿勢やら、突っ込みのタイミング、ネタの振り方とか、細かいとこまであれこれアドバイスしてくれた。その一つ一つがものすごく勉強になったし、ルーキーさんの「君らは伸びるぞ」と言うてくれはった言葉が、大きな自信になった。「お勘定!」と、懐から分厚い財布を出して、さっと支払いを済ます豆吉さんが、これまたかっこいいんよ。豆吉さんには毎晩のように、すき焼きをごちそうしてもろた。ところが千秋楽の日、雷門助六師匠の怒鳴り声が楽屋に鳴り響いた。

進行係の頃はまだ給料はあったけど、漫才の修業だけになると、収入はほとんどない。当時はりっちゃんの月4万円の給料だけが頼りの綱やった。何にも食うもんがなくて、寛平と2人でマヨネーズとケチャップをちゅうちゅうと吸ったこともあったよ。

舞台が終わった後、座席をぐるっとひと回りすると、封がされたままのお菓子や折り詰め弁当、パンが結構残ってたんや。食べ物を見つけると、まず清掃係のおばちゃんに見せに行く。「おばちゃん、これ食べられるかな?」するとおばちゃんは、くんくんと匂いをかいで、ジャッジしてくれる。

 ある日、俺と寛平が、楽屋でいつものように緑色のおかゆを食べていると、新喜劇で「くっさー、えげつなー」のギャグでおなじみの奥目の八ちゃんこと、岡八郎さんが入ってきた。「何、食うてんの?うまそうやな」俺は芸名を書いてもらうために、美術部の部屋を訪ねた。そこで「めくり」の担当の人につい言うてしもたんや。「芸名は団順一・島田洋七です。それから上に『B&B』って入れてください」「B&B?何や、それ」「お前の名前の上についてるB何とかって、あれ、何や?」「いや、実は宣伝部の人から、同じ一門やないし、名前がばらばらで分かりにくいと言われまして……。二人で何とかというコンビ名があった方がええんちゃうかということになりまして……」「分かりやすいのか、あれは。何の意味があるんや?」「はい。B&Bは、ボーイ&ボーイという意味です」苦しまぎれのでまかせやった。
 舞台の“トリ”は笑福亭仁鶴師匠。「お疲れ様でした!」と師匠を送った後、いつものように「また明日な」と萩原芳樹くんと別れた。それが彼と交わした最後の言葉になるとは、このときは思いもよらんかったよ。なんと、次の日の舞台の時間になっても萩原くんは劇場におらん。
萩原くんがいなくなって、ちょっとの間は落ち込んでいた俺やけど、師匠をはじめ、いろんな人に相方を探していると伝えていた。そしたら、松竹芸能から吉本に移籍してきた上方真一というやつが、俺とコンビを組みたいと言うてるらしい。上方真一は、後に西川のりおと「西川のりお・上方よしお」でコンビを組むことになる。
 いよいよ予定日を迎えた。俺は一人でいるのが落ち着かんかって、ボタンさんにご飯連れてってもろた後、ボタンさんの行きつけのスナックで待機することにした。そわそわしながら酒を飲んでいたら、りっちゃんのお母さんから電話が入った。「生まれた!女の子や!」あるとき、桂文珍さんにも聞かれた。「お前、若いのにクーラー買うたらしいな。ちょっと見せてくれ」あるときトラックを運転してたら、再放送やったんやろな。ラジオからB&Bの漫才が流れてきたんや。「これ俺やん?俺、今、バイトしてるっちゅうねん!」とツッコミながら大笑いしたことあるよ。
 「ばあちゃん、なんで俺だけこんなについてないと? ちっちゃい頃から、かあちゃんと離れて寂しかった。野球も頑張ったのにあかんかった。漫才師で頑張ろうと思たのに……。なんでや!なんで俺だけ、こんなんなんや。もう辞めたい」「分かった」「何が、分かったと?」「お前の気持ちはよう分かったから、よかと。電話代がもったいないから切るよ」ガチャン。ツー、ツー、ツー。コンビ解消のショックとばあちゃんへ八つ当たりした後悔の気持ちで、落ち込んだまま数日が過ぎていった。そんなある日、ばあちゃんから手紙が届いた。「昭広へ この間は電話をくれたのに、すぐに切ってしまってごめんね」
師匠のお供で花月に行ったとき、当時は桂三枝という名前だった文枝さんが声を掛けてくれはった。「コンビ解消したらしいな」「はい、相方探してます」「そうか、あいつ、どうや?」文枝さんが指したのは、進行係をやっていた藤井健次という男やった。
 「漫才の方がええで。2人でやれるし、楽しいって。芝居は大変やぞ。売れるかどうかも分からんし。でも、漫才やったら、俺ちょっとやってたし、自信あるねん。なんやったら、俺が1人でしゃべるし、黙ってうなずいてくれてるだけでもええから、大丈夫やって」有川さんと授賞式の打ち合わせをしているときにぽろっと、嫁さんと子どもがいることを打ち明けたんよ。「それ、いただき!」指をぱちんと鳴らした有川さん。授賞式には当然、島田洋之助師匠も来る。そこで師匠に打ち明けて、その場にりっちゃんと尚美を呼ぼうということになった。
洋之介師匠は、驚きながらも、「何で、今まで黙ってたんや。嫁はおるわ、子どもまでいるわ。でも、よかった。よう言うてくれた」と、涙を浮かべて俺の肩を抱いてくれた。大きく目を見開いて、怒ったような顔をしてた今喜多代師匠は、「もう!何よ、何も知らなかったわよ!早く言いなさいよ、もう」と、笑顔になった。
当時、うちの師匠と並んで大御所といわれてたんは、夢路いとし・喜味こいし師匠。いとし・こいしさんの漫才は、台本通りに隙なく演じるきちっとした芸で、話術の素晴らしさでは群を抜いていた。あるとき、漫談の滝あきらさんが「巡業で師匠にお世話になったから」と、俺に肉をごちそうしてくれると言う。「そうか、滝君、すまんな」と師匠も喜んで送り出してくれた。さあ、どんなビフテキが食えるんやろと楽しみにしてついて行ったところ、なんと牛丼の吉野家(笑)。島田洋之介・今喜多代師匠の弟子はいっぱいいたけど、なかでも有名になったんが、今いくよ・くるよさん、俺、そして島田紳助やった。
 あるとき、そんな俺らを見ていた横山やすし師匠が俺に声を掛けた。「おい。洋七。お前、ちょっとこっち来い」「なんですか?」「失敗しても怒らんでええんや。あいつがうまいことしゃべれへんのやったら、しゃべらんでええ漫才をやれ」
やすし師匠に会ったとき、聞かれた。「あの消防士のネタ、誰が考えたんや?」「俺です。師匠に言われた通り、テンポ上げて、それからいろんな人の漫才の間やスタイルをパクりまくりました」そしたら、やすし師匠、おなじみの人差し指を立てたポーズで言わはった。
 MBS(毎日放送)の「ヤングおー!おー!」は桂三枝さん、笑福亭仁鶴さん、横山やすし・西川きよしさんが司会する若者向けの番組として絶大な人気を誇っていた。番組内で月亭八方さん、桂文珍さん、桂きん枝さん、4代目林家小染さんからなるユニット「ザ・パンダ」はすごい人気で、後に明石家さんまが加入して「SOS」に改名。
※洋七さんも「いろんな人の漫才の間やスタイルをパクリまくりました」と言ってるように、芸事の基本は真似る、真似ぶ、学ぶ……要するにパクリなのだから、峰岸さんと多少似てても許されるだろう。
※「ザ・パンダ」を調べていてわかったが、当時の桂文珍さんは長髪であった。洋七さんの新婚家庭にクーラーを涼みに来た際の文珍さんの髪型を短髪で描いてしまったが、たぶん間違ってると思う。

新年ボンヤリおめでとう

新年あけましておめでとうございます。
人間よりも猫に生まれた方が、過去を引きずったり、未来の心配をしなくていいので、幸せなのではないかと思っています。でも猫にはお正月がない。新しい年が来たらもう一度生まれ変われるような、そんな気分が味わえない。そもそも一年という区切りを必要としないから猫は猫のままに幸せなのでしょうけど。
人間はいつくらいから一年の区切りを発明したのでしょうか。
日本のような四季の違いがはっきりしている土地なら、春夏秋冬が順繰りにやって来る一年の周期はモチロン承知のはず。毎日暑い常夏の土地では、ボーッと生きていたら一年の周期がわからないかもしれませんね。いや、原始人は自然に超敏感だから、周期があるのはわかってたと思いますが、昨日と今日ではっきり年がかわるという区切りは、農耕を始めて暦が作られるようになるまで待たねばならないのでしょう。
新しい年が来ることの何がめでたいのか、猫にはわかりません。
大晦日、除夜の鐘をついていると新年になり、日本人は思いを新たにするのである。 
私は、今年、年男です。イノシシ年生まれのイノです。
平成の最後で西暦でいうと2019年。西暦を導入したのは明治だけど、それ以前はどうやって昔の時代に思いを馳せていたのでしょう。大化の改新645年。それは今から1374年前……って西暦という通し番号があるから脳内タイムマシーンの目盛りを合わせられるけど、元号しかないといったいどれくらい前なのか計算できないじゃありませんか。
何やら干支を使って計算する方法もあるらしいけど、人々にとって過去は、去年、10年前、昔、昔々、大昔というくらいのボンヤリ感覚の中にあったのかもしれません。
それに加えて写真がない時代は、自分のおじいちゃんおばあちゃんが早くに死んでいれば、祖父母の顔がわからない。写真がないなら当然、自分の子どもの時の顔も残っていない。子どもの頃の自分はなんてかわいいんだろうとか、10年前は俺もけっこう肌がツヤツヤしてたな〜なんて感想は出てきません。
自分が今生きているこの時、この場所だけが鮮明で、あとは過去に遡るにしたがい、距離が遠くなるにしたがい、薄ボンヤリしていくのです。そして歳をとって頭もだんだんボンヤリしてきて、やがて時間と空間の中に消えて行くのです。
だから昔の人と今の人は感覚が絶対に違うわけであります。なんてかわいいのだろう。私にこんな時があっただなんて私が信じられない。いくつの時だろう?父親に持ち上げられて悲鳴をあげているのに、両親や祖父母、親戚は笑顔だ。ここは伊勢神宮。初詣かもしれない。伊勢神宮には小学校に上がってからもう一度行った覚えがあるが、覚えがあるだけで覚えてはいない。
今更、無理ですが、そんな昔の人が生きていたボンヤリ感覚の中に生きてみたい。歴史学も発達しておらず、神話が半分本当で、一度別れたらそれっきりかもしれない人間関係、外付けハードディスクは限られた書物や石碑くらい?いや、絵もそうか。絵描きたちも例外なく、与謝蕪村も曾我蕭白も岩佐又兵衛も……この感覚の中で絵を描いていたのです。それは絵にどういった影響があるのでしょう。また逆に、まるで生き写しのような写実的な絵や彫刻の存在感は、今とはかなり違うはずです。
……とかなんとか言いながら、最近は中高年の例に漏れず、年々昔のことに興味がわき、通史の名著として名高いらしい全26巻、中公文庫「日本の歴史」を読み始めた私です。昔の人間が持っていたボンヤリ感覚から自ら遠ざかる行為をしているのです。
狩猟採集民や近代教育を受けていない民に興味をもち、彼らの研究をすることは、彼らと親しく交わりながらも絶対に同一化できない壁を持つことでもあります。研究者ならそれでいいでしょう。
でも、彼らが作り出す絵や陶器や刺繍の面白さに打たれて、自分でも作ってみたいと思う人は、自分が彼らのように生きられないことに絶望を感じるでしょう。
研究しても作れるようにはなれない。ああ、私も自然に帰りたいと。まあ、あきらめるしかありませんよねー。
結局、それもあこがれ。
自分は自分の境遇において、自分だから作れるものを作っていくしかない……なんて、いや、別にこんなことを真剣に悩んでいるわけではなくて、正月早々、ブログの記事を無理やり書いているうちに、拙文の織りなす模様として出て来たどうでもいいことなので、いつものように読み飛ばしてください。
SNS全盛時代、すでにブログというものがあまり書かれなくなった今こそ、ブログを書くべきなのだ!と思って、無理にでも書いているのです。今年も毎週火曜に更新していくのでヨロシク!
東京人はスカイツリーにのぼらない。静岡県人は富士山に登らない。そして三重県人は伊勢神宮に参らない……の禁を破って(ウソね)、たぶん40年ぶりくらいに、お伊勢さんに行ってきました。1月4日のことです。
さっきの幼年時代のお伊勢参り写真も、40年前のお伊勢参りも全然覚えていないので、まるで初体験です(なんだ、記録媒体が進化しても、相変わらず人間はボンヤリしてるじゃないか)。
はじめて知ったのですが「伊勢神宮」は全部で125社あるお宮の総称で、しかも通称のようです。本当の名前は「神宮」。ただの神宮って名前なんだそうですね。
内宮(ないくう)と外宮(げくう)があり、まず外宮にお参りしてから内宮に行くのが順番なんだけど、外宮から内宮までなんと歩いて30分〜40分もある!頑張って歩きましたよ。
その途中に倭姫宮(やまとひめのみや)という神社があり、そこに「神宮徴古館」という伊勢神宮の博物館があるのですが、そこは4、5人しかお客さんがいなかった。穴場ですね。ぜひ訪れてください。
神宮徴古館はこんな建物です。ネットの写真より。
普通に歩くより、美術館、博物館を見物する方が疲れます。なんででしょう。頭も使うからかな。神宮徴古館を見終わった時、年老いた両親はかなり疲れ果てていました。しかし、内宮まで道半ば。歩いてこそ昔のお伊勢参りを実感できるというもの。頑張ろう!
で、やっとの事で内宮に着くと、人、人、人の人の海。外宮と内宮の間の道にはそんなに人がいなかったのに。
つまり内宮だけにお参りする人がほとんどというわけです。
また今度はお正月じゃない時に行ってみよう。
おかげ横丁は前に進むのも困難。
子どもは信心が薄いので早く疲れる。
天照大神の御光が参拝者に降りそそぐ。
内宮の正宮。階段より先は撮影禁止。
みんながありがたく触るので色が変わった木。写っている人は知らない人。
こういう建物はなんと呼ぶのでしょうか?
さて、無事お伊勢参りも済ませ、近鉄で津の町に帰ってきて、うなぎを食べました。
お店は「はし家」さんです。この写真は「上うなぎ丼」です。2340円。お酒とう巻きは別だけど、東京では信じられない値段でしょう?津は昔、うなぎの養殖が盛んで、鰻屋さんが多くて、名物なのです。
翌日、5日の朝日新聞で林望さんが「カリカリ鰻」と題したエッセイを書いていました。
内容をかいつまむと、鰻の蒲焼きには東京風(白焼きにしてから蒸す。ふんわりとした口当たり)と上方風(直焼きで焼き込む。はじっこあたりがカリカリしてる)の2種類ある。ところが最近は、東京は当然のこととして、大阪神戸といった上方でさえも東京風の蒲焼を出す店が増えて、上方風蒲焼を口にする機会が減った。非常に残念なことだと嘆いていたところ、名古屋でやっとこ上方風のカリカリっと焼き上げた鰻に出会い、口福を得た。そんな内容でした。
林望先生にお伝えしたい。津には鰻屋が20軒以上ありますが、どのお店も上方風です。食べにきてください!
逆に私は上方風しか食べたことがない両親に一度、東京風の口の中でとろけるような蒲焼を食べさせてあげたいと思っていますが。
はい、宣伝をば。
1月10日から原宿ビームスではじまる『エンケン大博覧会』に私の絵も飾られることになりました。年明けにご連絡いただいて、急遽って感じですが、エンケンさんの大ファンである私としてはめちゃ光栄なことです。
エンケンさんが亡くなった時、どうしても自分の文章でエンケンさんのことを書かないと先に進めない気がして、ブログに書きました。その時に描いた絵を展示します。よかったら見にきてね!

三角関係カミ体験

また先週ブログをサボってしまった。記憶では今年は3、4 回サボった気がする。ちょうど12月16日で大徳寺真珠庵の襖絵公開が終わるので、ご挨拶に京都に行き、さらに足を伸ばして奈良まで行って、興福寺を見学し、かねてから「いつかは行かねばならぬ……」と思っていた春日若宮おん祭を2日に渡って体験してきたので、火曜に東京には戻ってきたが、ヘトヘトすぎてブログを更新する気力は残っていなかった。
興福寺は来年、ある仕事で描くことになっているので、取材のつもりで見学してきた。建物のスケール感もそうだが、興福寺の周りはけっこう高低差がある土地なので、まずはそれを見たかった。もちろん阿修羅像はじめ数々のハイレベルな仏像がズラリと並ぶ国宝館とか、今年の秋に完成した天平の威風堂々、中金堂とかも見た。
やはり一度でも見ておくことは大事だ。例えば、この漫画の一コマは、芸術新潮の運慶特集に描いたもので、猿沢池から高台に建つ興福寺を見上げているところだが、今見ると、建物の並びや向きがめちゃくちゃで恥ずかしい。実際は興福寺はもう少し高いところにある。ま、こういうことがないためにも百聞は一見にしかず。(興福寺は小学生の時に社会見学か修学旅行で行っているような気がするのだけど、全然覚えていない。)
春日若宮おん祭は、2年前のちょうど今頃、これまた芸術新潮にルポ漫画を描いていた。でも、実はルポしないで描いたのだった。本当は芝崎みゆきさんが取材して漫画に描く予定だったのだが、なんと取材最終日に右肩を骨折し、困りに困ったった編集部から、空いててよかったコンビニエンス・イラストレーターの私に電話がかかってきたのであった。
詳しいことは以下リンク先のブログ記事を読んでください。(芝崎さんになり変わって私が漫画を描く、つまりこの漫画は、芝崎菩薩を本地とする伊野権現という本地垂迹ルポ漫画なのです!……はい、なんのこっちゃわからん人はスルーしてくださいネ)
もともと春日大社の春日若宮おん祭は、隣接する興福寺がはじめたお祭りであった。大和国を実質支配していた興福寺、そして神仏習合を経ての春日大社との関わり合い……ま、よく知らないまま、くわしいことを語るとボロが出るので、まだ勉強中ということにしてひとまず置いておこう。
「オトナの一休さん」初代プロデューサーのカクノさんが、現在、転勤で奈良に住んでいて、ここ3年くらいは毎年春日若宮おん祭に張り付いて見ていらっしゃる。「是非、今のうちに奈良においでください」というお誘いもあって(今年はカクノさんとは「歴史秘話ヒストリア」の神仏習合の回を一緒にやって、春日大社の絵も描いたし)、そんなこんなで私にとって春日若宮おん祭は、いつかは行かねばならぬ祭りなのでありました。この時期はモロに年末進行の時期なのだけど、今年はなぜかヒマだったので、これも神の思し召しと思いたち……。
(写真は華やかな行列の参加者たちが奈良県庁の前に集合しているところをパチリ)
春日若宮おん祭の中心は、春日若宮の神様が午前零時に若宮神社からお旅所という場所に出て来られ、そこから24時間にわたって、芸能などを神様に楽しんでもらい、その日の午前零時にまたお住まいの若宮神社にお戻りになるまでの時間である。
その前後を含めると4日くらいお祭りの期間がある。
すべてのお祭りも本来はそうなのかもしれないが、春日若宮おん祭を見るということは、つまりは神様のために捧げるお祭りを、我々が横から見させてもらっているということだ。
聞いたところによると、先の大戦中のある年の「お旅所祭」は無灯火で真っ暗な中、祭を行ったとか。まさに神のみぞ見るである。
(マンガは、おん祭のもっとも重要な「遷幸の儀」の様子。若宮様を本殿よりお旅所へと深夜お遷しする行事で、古来より神秘とされている。闇の中を炎の道が作られ、その後をヲーヲーヲーという声を出す集団が続く。いっさいの明かりは消さなければならず、撮影も許されてはいない。なので実際に行った人にしかわからない。今年の遷幸の儀はザーザーぶりの雨だった!)ここがお旅所である。写真が前後したが、遷幸の儀が深夜にあり、翌日華やかな行列や流鏑馬などがあり、そのあとお旅所で芸能が奉納される。写真は神楽の様子。芸能奉納はぶっ続けで8時間くらいあり、それが終わるとまた深夜に若宮様を本殿にお送りする。見学者は寒く、ひもじい思いもしなければならない。しかしせっかく神様とご一緒できるのであるから……。
芸能がくりひろげられる一段高くなった土俵ほどの大きさの「芝舞台」は「芝居」の語源にもなっている。つまり芝居はメイドイン春日大社なのだ。
春日若宮おん祭は濃厚にカミの存在が感じられ、カミは清いと同時に怖いという気分にさせてくれる。
祭りは人間が神様に捧げるために行うのだが、その結果として我々人間もまた、豊かな時間と楽しみを得られるのである。
人間が人間を喜ばすためにやってるのが、神様を信じなくなった近代以降の芸能や芸術だけど、人間と人間の間に神様の存在が入る三角関係が私にはとても新鮮だった。900年近くほぼ途切れることなく、昔のままの形で続いてきたお祭りだから、私のような一見さんにも、神様と人間で作る三角関係が感じられたのだと思う。
絵一つとっても、中世以前の作物はやっぱり神様仏様抜きにしては語れない部分は大きい。だが今、我々が神仏を昔の人と同様に語ることは不可能と言ってもいいだろう。でも、それを追体験できるのが春日若宮おん祭であった。
まことに稀有なお祭りです。ところが奈良県以外の人にはいまいち知られていないという……。

で、芸術新潮で見ないで描いたルポ漫画ですが、実際にこの目で見た後で、我ながらすごくよく描けてる!と思った。
これはひとえに芝崎みゆきさんの感受性と構成力の賜物です。あと、編集部の丁寧な説明とカメラマンの取った資料写真のおかげもありますね。こんな順番でおん祭を見る人も私だけでしょう。
この話を枕にふって、違うことを書く予定だったけど、結構量が増えてしまったので、今週はこれでおしまい。そして今年はこれでおしまい。
みなさま良いお年をお迎えください。

買っておきたい手ぬぐい

年の瀬です。今年のうちにやっておかねばならないことは色々ありますね。

みなさん、芸術新潮12月号をお買い忘れではありませんか?何?まだお買い求めになっていない?それはいけませんね〜。あと10日もすると来月号が出てしまいますから、買うのなら今のうちです。

特集は「これだけは見ておきたい2109年美術展ベスト25」で、来年必見の展覧会の見どころが老舗美術専門誌ならではの切り口で切りそろえられてズラリ並んでおります。……いや、なに、この来年必見の美術展特集というのは「日経おとなのOFF」や「美術の窓」でもやっており、なぜかよく売れる企画らしいのです。三雑誌をそれぞれ見比べて買うのもよろしいが、今年は買うなら絶対「芸術新潮」!

なぜなら私デザインの謹製手ぬぐいがついてくるからじゃ〜!買わなきゃついて来ない。図書館で借りてもついて来ない。多分中古で買ってもついて来ないんじゃない?今、売ってる時に買わないと!

手ぬぐいの絵柄に登場するのは、来年開かれる展覧会の画家や作品たち。「手ぬぐいだから銭湯か温泉に入ってる絵なんてどうです?」と言い出したのは自分なのだけど、いざ下絵を考える段になって、考え改めた。なぜなら、北斎、ベラスケス、ゴッホ、クリムト、バスキア、応挙などを描くときに風呂の設定だと裸にしなきゃいけないわけで、なんだかおっさんやジジイのきたない裸なんて絵柄にしても、販売促進にならないんじゃないかと思ったからです。
それで違う絵柄でラフを出したのだが、「自分で温泉か銭湯って言ってたじゃん!これはボツ!」ということになって、結局裸の親父たちを描きました。銭湯にすると男湯女湯で分けなきゃいけないので構図が作りにくく、露天風呂設定にしました。マルガリータを脱がせるわけにもいないので女子たちは今から入るところ。
クリムトなんてほんと気持ち悪いおっさんなんですから。本人の写真を知らない人は画像検索してください。でも、ホラ、かわいいにゃん?
題材は親父たちの裸であっても、かわいくしなければなりません。2色使えるということだったのですが、迷い迷って10パターンも作ってしまいました。でも、どうもどれもピンと来ず、ようやく11番目に紺と赤の配色にした時、ようやくピン!ときました。 
私はイラストレーターとして仕事がこなかった時期がえらい長いのですが、その理由として考えられるのは、描く世界が「なんか変」なので使いづらいのではないかということです。だから、私は、言いたいことはそのままに、でも世の中にも受け入れられるようになんとかすり寄ろうとしてきたのです。実際どのようにすり寄ってきたかは、あんまり自分でもわかってないんですけど。
で、今回、芸術新潮というメジャー美術誌の手ぬぐいを作って、思ったことは……全然、世の中にすり寄る必要がなかった!この手ぬぐいなんて20年くらい前から描いてる絵の世界と何にも変わっていない!……ということでした。
さて、もう一つお買い忘れではないですか?「ビッグイシュー」のリレーインタビューに出ました。今売ってる号の二つくらい前になってるかもしれませんが、多分バックナンバーも扱っていると思うので、街角で販売者を見つけたら買いましょう。人助けです。子供の頃に読んだ「笠地蔵」を思い出しましょう。一冊買うと350円のうち180円が販売者のホームレスの人の収入になります。
ボブ・ディランの表紙の号には南伸坊さん、エルヴィス・コステロの表紙の号には北尾トロさんのインタビューが載っています。私が載ってるのは野菜号です。

解説「風刺画なんて」

先日まで人形町ヴイジョンズやっていた「風刺画なんて」にお越し下さった方どうもありがとうございました。僕は風刺画がキライなんです。あえて逆説的に言ってるわけではなくて、本当にあんまり好きじゃないんです。日下潤一さんに「今年もやろう」と言われたので半分は仕方なくやっています。だからこの屈折したスタンスを文章にするとこうなるわけです(以下のリンクをクリックすると私の主張が読めるでしょう)。

「風刺画なんて」のチラシの文面

しかし、笑える絵が好きだからと言って「面白い絵を描きましたから見にきてください」というのも企画として引っ掛かりがないので、やはり風刺画という縛りがあった方が、かえってそこからはみ出たものも見えてくるのではないかと思いました。
では、私の出品作を解説付きで振り返っていきましょう。
風刺画の弱点は、登場人物、状況、引用元などを知らないといまいちわからないし、楽しめないということですね。私は普段は絵の解説なんて野暮なことだと思ってますが今回はしますよ。
なぜなら風刺画というのは言葉を絵にしたような絵だし、絵を見ると同時に、絵を読まなくてはいけないからです。私が風刺画がキライな一つの理由は、風刺画は読むものだと思われてるからです。
見ると読むのは何が違うのでしょうか。
「耳なし芳一」
芳一の体に書かれているのはお経ではありません。日本国憲法です。お経のような筆運びで書いたから気づいてなかった人もいたかもしれない。
ご存知のように耳なし芳一は鬼から身を守るために全身くまなくお経を書いたのですが、耳だけ書き忘れた。で、鬼に耳を取られちゃったというお話です。
この祈りを捧げる男は、憲法こそ権力から我が身を守ってくれるものだと信じている。実際、憲法は国家権力の及ぶ範囲を示しているのでその考えは正しい。日本国憲法を書き換えてはいけないお経のように有難がっているところに隙があるのかもしれない。何も書いてない耳を見て微笑む安倍首相。似顔絵の表情から読み取れるものは安倍首相=悪者です。
僕が風刺画がキライな理由の二つ目は、善悪二項対立みたいな感じで描くところ。私は別にサヨクの人を喜ばせるために描きたいわけではない。絵のニュアンスだからあいまいな、あいまいだからこそ考えることもできる、そんな余地が欲しいと思ったのです。だから耳なし芳一を引用したのです。
「百鬼夜行」
百鬼夜行絵巻の一番古いものが大徳寺・真珠庵にあります。我々がイメージする百鬼夜行はこの「真珠庵本」といわれる百鬼夜行絵巻に基づいているようです。真珠庵といえば、そう私が襖絵を描かせてもらった禅寺であり、あの一休さんのゆかりのお寺です。
関西学院大学の西山克先生は日本の妖怪は一休さんが作ったのではないかという説を唱えています。室町時代の飢饉や戦乱でみんなが苦しんでいるときに、足利義政や日野富子は酒飲んで酔っ払って何やってるんだ!っていう皮肉を一休さんは妖怪絵巻に込めたと。一休さん=妖怪プロデューサー説ですね。妖怪というのは水木しげる先生の漫画を見ても、もともと風刺的な存在だったのです。
妖怪絵巻によく出てくる付喪神(つくもがみ)は使われなくなった道具なんかが妖怪に変じたものです。
今はスマホの中に全てのメディア、再生装置、伝達機器が集約されてしまいました。中身だけ抜き取られたCDやレコードや辞書、用済みになった電話たち、売り上げの落ちた本や雑誌が妖怪変化して、スマホ人間(私もほぼ寝床でこのような状態)を襲う!
妖怪絵巻の最後は朝日が昇ってきて、その光に妖怪たちはやられちゃうのですが、私の絵の妖怪たちはスマホの光にやられちゃっています。この絵などは特に言葉や解説なしでもわかると思うのですが、風刺画としてはやや平和でしょうか。
「世相風刺2018」
”いわゆる風刺画”だと思います。
実をいえばこの絵は流行語大賞でおなじみの「現代用語の基礎知識」に描いた世相風刺画なのです。モノクロだったのでカラーで展覧会用に描き直しました。

「世相2018 #山根明会長 #男、山根 #内田正人監督 #尾畠春夫 #スーパーボランティア」

「世相2018   #米朝首脳会談 #ドナルド・トランプ #金正恩 #文在寅 #安倍晋三 #殺人猛暑」「世相2018  #赤坂自民亭 #竹下亘総務会長 #西日本豪雨 #シャンシャン」

「世相2018     #松山刑務所脱走   #平尾龍磨容疑(27)    #富田林署脱走 #樋田淳也容疑者(30)  #最高の想い出ができました #チコちゃんに叱られる!」
私は世の中のことを憂い、正面切って強い意見を言うタイプではないです。斜めに受け流すし、自分のことは放っておいてほしいタイプ。でも言いたいことがないと絵でもなんでも表現に力が込められない。風刺画のキライな三つ目の点は、言いたいことがないのに、言わなきゃいけないこと。
でも仕事だから描かなくちゃいけない。それもできるなら楽しんで。編集部から送られてきた今年の事件や発言を読んでるうちに、ポンポンポンとアイデアが浮かんできました。この辺が「born to be風刺画家」ですね(自分で言うなって)。一つの絵の中に無関係なものを入れて、その中で関連づけると、何かしら深いカンジと無意味さが漂うのではないかと思った次第です。このシリーズはセリフもあるし、言葉で説明しちゃってるので、わかりやすいと思います。
「二度とは戻れない夜」
なんども言ってますが、政治家の顔とか、仕事でもなければ描く気はしません。
でも相撲のことは絵に描きたい。好きだから。
大相撲は良いとこも悪いとこもひっくるめて存在を愛しています。
貴乃花親方の発言、行動は日馬富士を引退に追い込んでしまったので、個人的には憎さはあります。日本人でもなくモンゴル人でもなく宇宙人のような貴乃花の相撲道、貴乃花のブログに綴る妙に個性的な文章、変だなと思って楽しんでました。
でもさ、辞めてどうすんのさ。ファンもアンチも心配してると思う。これからの元貴乃花親方を。
「何でもないようなことが幸せだったと思う。何でもない夜のこと、二度とは戻れない夜」という歌詞が後ろのモニターに出ているのですが、これはTHE 虎舞竜の「ロード」の歌詞です。この絵を描いてるうちに私の脳内でリフレインしていました。
あの夜に戻って欲しい。できるならあの夜からやり直して欲しい。日馬富士も貴乃花もいる大相撲を見たかった。でもそれはもう叶わない夢なのです。
これが風刺画かって……そんなことはどうでもいいじゃないですか!
「カルロスゴーン講演会 a.k.a. 説教強盗」
これはオマケです。風刺画のキライな点その四、すぐに古くなってしまう。展覧会の開かれる前日だったかにゴーンの悪事が明るみに出ました。風刺画は時事ネタなのでおかげで飾ってある絵の鮮度が落ちてしまいました。それでオープニングの日にカルロスゴーン大喜利なるものが急遽開かれたので、そのために描いたものです。
カルロスゴーンの講演会といえば、そりゃビジネスパーソンだったら必見ものだったでしょう。しかし今となってみれば泥棒の説教を聞いていたわけです。昭和初期、泥棒に入った先で住人に「戸締りをきちんとしなきゃダメだぞ」などと説教する「説教強盗」なるものが出没しました。ま、そういうことです。
と、いろいろ野暮に野暮を重ねてご説明申し上げてきましたが、風刺画でも風刺画でなくてもいいですが、世の中で起こっていることを取り入れて作品を作る、ということはどういうことでしょうか。
現代美術の世界(つまり美術史に名を残すこと、はたまた美術史を書き換えること、はたまた億単位の大金が動くマーケットが背後にあるということ)で勝負しようと思ったら、世の中で起こってることを取り入れて作品を作るのは常套手段でしょう。村上隆さんしかり、会田誠さんしかり、チン↑ポムさんしかり、ダミアンハーストさんしかり、ジェフクーンズさんしかり、バンクシーさんしかり……いわば、現代美術は大掛かりな風刺とも言えるわけで、古い、ダサい、つまらん、面白くない、と言ってる風刺画とそう遠くはない気がします。
私は本当に風刺画はキライですけどね。

一休寺アルバム

お江戸の人形町で開催中の「風刺画なんて」展と、京都の一休寺で開催中の「祖師と肖像」展の準備をしているうちに慌ただしくなって先週はブログを休んでしまいました。今週も休みたいんだけど、毎週更新することだけが取り柄なので、2週連続休むわけにはいきません。仕方なく更新しましょう。一休寺の宝物殿でやっている「祖師と肖像」展。軸装された絵をはじめて見ました。八木米寿堂さんのプロの仕事に感服しました。絵巻物「一休十態」の解説文は芳澤勝弘先生が書いてくださってます。さすが簡潔でお見事!宝物殿の入り口。宝物殿の中。私のニセ頂相の正面にはホンモノの頂相が飾られています。訪れた11月25日は日曜日とあって観光客もピーク。25日は5000人とか!年末の新宿伊勢丹の地下のように混んでました。完全に真っ赤になるのはあと4、5日かかるようですが、緑が残っているのも色数が多くてきれい。昼間は東京と変わらないくらいの気温でしたが朝晩の冷え込みはやはり京都。息が白かったです。開門前の誰もいない時にパチリ。25日の夜はJR東海の会員限定トークショーもありました。芳澤先生は別冊太陽「一休」の監修もしておられます。この写真は別冊太陽のツイッターより無断拝借してきました。この場でご報告申し上げます。私と一緒に写っているのはトークショーにも登壇された人形作家の北野深雪(moga)さん。右はかわいい一休さんですが、左のオヤジたちは誰あろう、禅のスーパー高僧、大燈国師と虚堂智愚和尚です。一つ一つが手作りで手描きです。特に大燈国師と虚堂智愚和尚の表情がバツグンです。私の描いた肖像画よりはるかにいいです。禅を好きな人、特に臨済宗大徳寺派なら持ってなきゃダメっすよ。

トークショーでは芳澤先生に過分なお言葉をいただきました。それは先生がトークの進行もされてて、私の絵を褒めて一休さんと一休寺と禅を盛り上げようという立場だったのでね(笑)。で先生が褒めてくれた内容ですが、一緒にトークに登壇した副住職田邊宗弘さんの解説によると、こんな内容でした(忘れたわけではないが私はスラスラ禅の事が話せないので)。

「これはいわゆる乞食大燈とよばれるものです。禅宗では聖胎長養や悟後の修行といって悟った後の修行が重要とされます。
大燈国師は大応国師より法を授けられた後、20年は世に出るなときつく言われたようです。五条大橋のふもとで乞食の恰好をし生活をしておりました。大燈国師の書物をまとめられた時もこのことは書かれなかったようです。大本山の威厳に関わるからでしょうかこのことに憤慨した一休禅師はこのように詩をのこしています。
風飡水宿 人の記するなし

江戸時代の白隠禅師はこの乞食大燈をよく描かれていますがこのように大燈国師を評価したのは一休禅師と白隠禅師しかいませんでした。その流れでいうとこの伊野さんの乞食大燈の頂相は歴史的にもものすごい快挙なのではないでしょうか。

大燈国師を乞食大燈として評価したのは一休禅師と白隠禅師と伊野孝行 この3人だけです。」

ま、私は芳澤先生に教えを乞うて描いただけなんですけどね(笑)。

北野深雪(moga)さんの人形をポケットに入れるお茶目ダンディな芳澤先生。今度一休の入門書を書かれるとのこと。一休寺限定勧進色紙(売り上げの3割はお寺の改修費用などに回されます)の販売会もやってきました。21枚持って行って25日26日で17枚売れました。あと4枚残っています。さあ皆さん慈善事業だと思って買いましょう。そして買ってくださったみなさま、誠にありがとうございます!

1日に何千人来ても、みんなお寺と紅葉を楽しみに来てるんで、ほとんどの人は僕の絵なんて興味ないんですよ。

当たり前のことだと思いますけどね。僕はわざと部屋の外で待ってました。みんな一応見に来るじゃないですか、何が置いてあるんだろうと思って。そこに作者本人がいると思わないから、みんな思い思いのことつぶやいたり。そんで後ろから「これ僕が描いてるんですよ」って声かけて驚かせたり。ギャラリーでやるのとは全然違いますね。「オトナの一休さん」を偶然見たことあるって人は結構いました。さすがNHK。あと大徳寺の襖絵も見て来たよっていう人もいらしゃった。さすが京都。

一休寺で落語会などもやっておられる歴史落語家の笑福亭笑利さんにも買っていただきました。この写真は笑福亭笑利さんのツイッターより無断拝借してきました。お許しください。

「雀はかわいいなー」

「迷妄」

「一休と地獄太夫〜正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし〜」

「一休独唱」

「何似生!(どんなもんじゃ)」

「ダンス ウィズ ガイコツ」

「昨日は俗人今日は僧 いい加減に生きてきた」

「天地逆転大喝!」

「新右衛門どのと一献」

「ワシによく似た虎」

「一休と森女」

「五条大橋の下で」

「喝!」

「一休と踊ろう!」

「一休み、一休み」

「一休と骸骨」

「クソとお経〜オトナの一休さん第1則より〜」

「破れ寺で修行」

「ちょいとそこ行くお姉さん」

「そうだ京都、行こう。」

「風狂の狂客 狂風を起こす」

以上が一休寺限定勧進色紙です。ナンバープレート「193」の一台限定私の名前入りタクシー。

帰りに駐車場に行ったらたまたま止まってたので、思わず記念写真。もちろんこれに乗って新田辺駅に行き、思い残すことなく東京に帰ってきました。一休寺のみなさま、色紙お買い求めのみなさま、奈良から来てくれた「オトナの一休さん」初代プロデューサーの角野さん、神戸から来てくれた同業者の竹内みかちゃん、JR東海のみなさま、そのほかの皆々様ありがとうございました!

さて、人形町では「風刺画なんて」まさに開催中です。

人形町は江戸の中心部、美味しい老舗がいっぱいあります。表参道界隈のギャラリー巡りとは一味違った鑑賞体験になることは請け合います。レッツゴー!

「風刺画なんて」はここでやっている!

 

「祖師と肖像」スタート!

ただいま京都、京田辺市の酬恩庵・一休寺では「祖師と肖像」展が開催中(〜12月2日)!左から「一休宗純の肖像」「五条大橋の大燈国師」「散髪する虚堂智愚和尚」「一休十態」

これらの掛け軸、巻物は京都の老舗表具屋さん「八木米寿堂」で仕上げられています。掛け軸にするには厚みのない薄い和紙がいいと聞いたので、今回はじめて薄い和紙に挑戦してみました。水を含むと当然ブヨブヨになるので、パリッと水張りしてから描こうと思ったんだけど、薄いからちょっとしたことで破けちゃって、結局断念しました。二つの頂相を色鉛筆で描いたのですが、水を使わないのでブヨブヨにならないから描きやすい、そういう理由もあります。

表具屋さんの紙の扱いはさすがですよね。詳しいレポートはJR東海の「そうだ京都、行こう。」のブログに掲載されています。

「そうだ京都、行こう。」のスタッフブログ↓
ま、私が宣伝しなくても、キャンペーンスポットになれば、観光客の皆さんはたくさんいらっしゃると思います。観光客=参拝者というわけではないので、禅の世界や祖師たちに興味を持っている人がどれくらいるかわかんないですけど、とっかかりとして、展示を見て興味を持ってもらえればいいっすかね。大徳寺系の祖師たちの解説パネル用に描いた似顔絵。
ここで一休寺のおもしろ写真をどうぞ。
一休寺の駐車場の看板。注意散漫に喝!
駅と一休寺を往復するタクシー。ナンバーは「193」。タクシーの車体に名前が刷られる日がくるとは思わなかった。
私は11月25日と26日は一休寺に滞在しております。
ちょうどそのころは紅葉が一番きれいだろうなあ。
ただ行くだけもあれなので、一休寺限定色紙をせっせと描いております。
売り上げの一部はお寺の開山堂の修復事業などに使われます。なにとぞよろしくお願いします。

10年も経っただなんて

今週は特別な週です。ブログを始めてちょうど10年。2008年11月8日に始めました。今、開始当初の記事をさかのぼろうとしたら、左側のタイトルになぜか最初の8回分が表示されません。不具合ですね。このブログは自前なので(友達に作ってもらった)、広告が出ない代わりに、10年も経つと色々不具合が出てきてます。来年にはホームページもブログもリニューアルしたいです。作ったときは最新だったのに、もうかなりガタピシいって懐かしい感じが漂っています。
10周年と言っても特別なことは何もなく、いつも通りの内容です。
今週は11月21日から始まる「風刺画なんて」のお知らせです。
みなさん「風刺画」はお好きですか? ぼくははっきり言ってキライです。だって面白くないし、たいてい絵がつまんないし。きっと風刺画というジャンル自体が日本では終わってるんだと思います。いや、終わったと思われているから、つまらないんでしょう。ちょうど1年前にイラストレーターの仲間と「風刺画ってなに?」という展覧会を開きました。風刺画の概念を疑う展覧会のつもりでした。「こんなの風刺画じゃない」という感想もありました。うれしいです。だっていわゆる「風刺画」なんてぼくはキライだから。でも、毒のある絵は好きですよ、人をおちょくった絵も好きですよ、笑いのある絵が好きなんです。それらの要素がないイラストレーションにはぼくはあまり興味がないかもしれません。我々の仕事の出自を尋ねれば、昔から風刺精神は欠くべからざる魂でした。果たして最近のイラストレーションにそのスピリッツは横溢しているでしょうか。「風刺画なんて……」と言いながらも今年も描いてみます。ホコリ臭くて見向きされないジャンルだからこそ、やってみる意味もあると思うのです。
minami shinbo
ご存知「本人術」シリーズ。このダライ・ラマは使い回しですが、展覧会には新作発表とのこと。お楽しみに!
yoshioka rina
今回のニューカマー。昭和エロ以外でも面白いです。
inunco いぬんこ画伯も今回初参戦。憧れの絵描きが「滑稽新聞」の墨池亭黒坊ってんだから期待は大。

takeuchi mika

竹内さんも初参加。簡単な絵から描き込んだ写実的な絵まで、表現方法を問わないこの展覧会にふさわしい。otaka ikuko

前回は全てフェルメールのモジリでしたが、今回はまた違う趣向も用意されているとか。

shimoda ayumi

あ、はい誰かわかります。大坂なおみですね。

tange kyoko

「とりあえずDM用に描いたけど展覧会には出さないかも」と言ってました。

nakamura takashi

中村さんは悪意のない穏やかな性格ですが、そんな中村さんにしか描けない風刺画だってある。

ninomiya yukiko

昨年は展示に一工夫して楽しませてくれた二宮さん、今年はどんな仕掛けがあるでしょうか。

ino takayuki

この展覧会、なんか僕が仕切ってるように思われるかもしれませんが、仕切りは昨年に続いてデザイン界のJKこと日下潤一さんです。もちろん日下さんも作品を出します。なのに、DMのどこを見ても日下さんの作品がありません。いつもはデザインが出来上がるとみんなに確認のPDFを回してくれるのですが、後ろめたい気持ちがあるからでしょう、今年はこっそり入稿したようです。

※えっと、注意していただきたいのはオープニングパーティーが初日(21日)ではなくて、23日の17時からです。で、23日は15時からトークショーがあります。なんと今回は入場無料(いつもは2000円もとっていた)です!お早めにお申し込みを!

「風刺画なんて」トークショー申し込みはこちらから!

はい、てなわけで見に来てね。

10年前、いやもう少し前だったかもしれませんが、売り込みに行っても全然イラストの仕事がなくて(年に2件ほどしか依頼がなかった)、そのことを誰かの個展のオープニングで、下谷二助さんにボヤいたんです。そしたら下谷さんに「100人イラストレーターがいれば、100通りのイラストレーターのなり方があるからねぇ」と言われたことを覚えています。その時は慰められた気がしてたんですが、今思えばなんと深い言葉でしょうか。プロはプロになる前からプロでなくてはならない。いや、言い方がややこしいけど、プロになる、そのなり方にオリジナルがなければいけない。そいう意味に解釈しています。

僕は11年前にホームページを作り、10年前にブログを毎週火曜に更新することにしました。ブログをはじめて4年目くらいで運良くイラストレーターになれた(バイト辞められた)のですが、ブログを通して自分なりのイラストレーターのかたちを形成、宣伝できたのではないかと思います(自惚れ)。
「自分はこうしてプロになった」という自慢話、いやアドバイス、いやおせっかいは、人の気をそそります。人がそれでうまくいったからといって、自分がそのやり方でうまくいくとは限らない。たぶんうまくいかないでしょう。はははは。

八百屋から漫才師へ

日本農業新聞で連載中の島田洋七さんの半生記「笑ってなんぼじゃ!」の挿絵から。島田洋七さんが八百屋さん(藤本商店)に住み込んで働いている頃の話から漫才師になる決心をするところまで。
ある寒い日の朝、じいちゃんが風邪で高熱を出して起き上がれんようになってしもた。それで俺に「一人でせりに行ってこい」と言う。「せりなんて、したことない。俺にはまだ無理じゃ」(中略)「藤本さん、ハクサイを950ケースもどうするの?」「950ケース?!」そんなに買った覚えはない。俺が買ったのは95ケースのはずやった。俺はめまいがしそうになった。
「アキやん、今日はどうやった?」「ごめん。ハクサイを買いすぎてしもうた」「ちょっとくらいええ。どれくらい買うたんじゃ?」「950ケース……」その途端、爺ちゃんは頭からすっぽり布団をかぶって、そのまま出てこんようになってしもた。
「それや!」俺はパチンと指を鳴らして立ち上がり、ばあちゃんに2000円もろて、布団屋と電気屋に走った。布団屋で買うた白い敷布とさらしに「産地直送 藤本商店」と書いてのぼりと幕を作った。そして電気屋で買うたマイクとスピーカーをトラックに取り付けた。
住み込みで、食費もただ。飲みに行くときは、まっさんがごちそうしてくれるし、たまに服を買う以外は、ほとんどお金を使うこともないから、自然と貯金が増えて、そのお金で俺は車を買うた。4気筒2000ccのセドリック130型、発売価格は百万円以上もする高級車。
8月の暑い日。関東、関西の大学に行っている元野球部の連中が夏休みで広島に帰ってきた。(中略)俺も野球のことを忘れかけていたけど、みんなも、そう。野球の話は、全然せんかった。その代わりに関東に大学に行ったやつらがするのは「東京」の話やった。「新宿のさあ……」とか「渋谷でさあ……」とか、関東の大学に行ったやつらの話が弾んだ。言葉が標準語になっているせいか、みんな心なしか垢抜けて見える。
藤本商店では、ほんまにいろんなことを勉強させてもろた。仕事も楽しかった。このままずっと八百屋をやってもええと思てた時期もあった。それだけに、辞めると決めたものの、俺もものすごく寂しかった。
東京に行きたい! という勢いで藤本商店を辞めたものの、貯金を計算してみたら、上京するにはまだもうちょっとお金を貯めなあかんことがわかった。 そこで兄ちゃんの会社でアルバイトをすることにした。ガス、水道の設備会社に就職していた兄ちゃんは、その会社で工事担当の部長になっていた。俺は仕事の合間に2日に一度、ジャンク屋に鉛管を売っては、夕方に肉と一升瓶を持って現場に戻る。みんなで焼き肉をして、たらふく食べた。
俺がユンボに乗って道路を掘っていたときのことやった。道端の家のおばちゃんが工事の音がうるさいと俺を怒鳴りつけたのがことの発端。「うるさい! がまんしとったら、ええ気になりよって」俺はその言い方にカチンときた。「うるさいもクソもあるか。こっちは正式に手続きして工事しとるんじゃ!」
あるとき、中学の同級生と喫茶店でお茶を飲んでいたら、デパートの玉屋に勤めるという5人の女の子たちと知り合った。話が盛り上がって、俺はその中の一人にちょっと好意を持った。確か「ネクタイ売り場にいる」とか言うてたから、次の日に玉屋のネクタイ売り場に行ってみたんや。
一ヶ月半後。俺はりっちゃんに会うために、クラウンで佐賀に向かった。玉屋の前に車をとめて待っていたけど、いつまでたってもりっちゃんは現れん。いや、正直に言うたら、顔を忘れてたんや(笑)。
りっちゃんは最小限の荷物だけ持って、いつものように会社に行くふりをして家を出てきたのだと言う。会社には朝、普段通りに出社して、昼休み前に上司にいうたらしい。「私、会社辞めたいんです」
上司は冗談やと思たんやろね。笑いながら昼飯を食べに行った。そのすきにりっちゃんは、荷物をまとめて出てきたんや。佐賀駅には、りっちゃんの友達3人が見送りにきていた。
浜松町、田町、品川、大崎、五反田、目黒、恵比寿、渋谷……。野球部のやつらが言っていた街が、車窓を流れていく。「これが東京かあ」「なんかすごかね」
「隣の人も、だからさーとか、どこどこ行っちゃってさーとか言うてるから、最後に『さ』をつけたらいいんや」「うん、分かった!」りっちゃんは真剣な顔をしてうなずくと、手を上げて店員さんに叫んだ。
俺たちはタクシーに乗ることにした。「どちらまで?」「ニューオータニ」俺は東京のホテルといえば、テレビドラマによく出てきたニューオータニしか知らんかった。東京にはニューオータニしかホテルはないと思てたんや。
「こんなとこにいたら、あっという間にお金がなくなってしまうぞ」「ここだけじゃなか。東京にいるだけで、すぐお金がなくなるばい」「とにかく、はよ仕事を見つけんといけん」俺はフロントに電話して、その日の新聞を全部持ってきてもろた。
「まあとにかく、早く広島に帰ったほうがいいよ。心配しているだろうから、家に連絡だけでもしときなよ」「そうですよねえ。あ、Aさん、あれなんですか?」俺が指をさしたテレビを見て、Aさんは言うた。「ん?あれは漫才だよ」
俺は文房具屋で履歴書を買うて、まずホテルから一番近いタクシー会社で面接を受けた。(中略)後で考えたら、悪くない話やったんやけど、おじさんの早口の東京弁にあがってしまった俺は、何がなんやらよくわからんようになって、とにかく「俺の免許ではいけん」と言うことだけは理解できた。
俺は明子おばさんに電話をした。「明子おばさん?俺、昭広」「あら、昭広ちゃん!久しぶりね」「実は今、立川にいるんです」「ええ?」明子おばさんはかなり驚いてたけど、すぐにおじさんと一緒に駅まで迎えにきてくれた。
おばさんが、「ちょっと」とおじさんを呼んで、廊下で何やらひそひそと話をしている。俺とりっちゃんは顔を見合わせた。流れる不穏な空気。茶の間に戻ってきたおばさんは、特に変わった様子はなかったんやけど、「明日、どこに行くの?」としきりに聞いてくる。「あかん、これはバレた」と俺は直感した。
野球部の小森先輩は「とにかくいっぺん、大阪に来いや。ほんで大阪見物でもして広島に帰れや」と快く受け入れてくれた。俺はりっちゃんと生まれて初めて新幹線に乗って大阪に向かった。東京や大阪の大学に行った連中が「速い、速い」と言うてた新幹線。田舎の在来線とちごて、外の景色がものすごい速さで流れていく。
翌朝、小森さんが仕事に出かけると、奥さんが赤ちゃんをあやしながら「せっかく大阪に来たんやし、吉本でも行ってきたら? 私はこの子がいてるし、一緒に行ってあげられへんけど」「吉本って何ですか?」「知らんのん? 新喜劇いうて、めっちゃおもろい芝居とか、漫才とか落語とかやってるねんよ」
ギャグ連発の吉本新喜劇も笑いっぱなしやったけど、やすしきよしのきよしさんのポケットミュージカルに、中田カウスボタンさんの漫才、そして笑福亭仁鶴さんの落語は、飛び抜けておもしろかった。とにかく人生でこんなに大笑いしたんは初めてちゃうか、というくらいのおもしろさやった。衝撃やった。「俺、あんなんになりたい」と舞台を指さして、りっちゃんに言うた。「あんなん? うん、なれるかも」と、りっちゃんも言うてくれた。その日の夜、小森さんに言うたんや。「先輩、俺、人生決めました」「そら、よかった。ほんで何すんねん」「漫才師になります」「おい、ちょっと待て。お前、本気か?」「はい」「そやけど漫才師て、そんな簡単になれるもんやないで」
ちょうど時間となりました。この続きはまたのご縁とお預かり〜。

ILLUSTRATION WAVE

今週の土曜日10月27日から始まる「ILLUSTRATION WAVE展VOL.1」に参加します。
この展覧会の面白そうなところは作品のサイズが自由ということです。同列に並べると、小さい秀作より馬鹿デカい凡作のほうが存在感があります。ということはデカいほうが勝つ。いや、別に勝ち負けを競っているわけではないし、勝ち負けなんて簡単に決められるわけじゃないのですが、絵の内容が同じくらいのレベルならデカいほうが勝つ。そういうことになりましょう。
グループ展で自分の作品が他人より見劣りする時は、当然のことながら、あまり心が晴々しませんね。
しかし、自分が納得していれば、他人と比較して悩むこともないのです。勝ち負け勝ち負け言ってますが、他人との勝負というより自分との勝負に勝つ。そういう心持ちでいたいものです。
ただ、さっきも言ったように、デカいというのはそれだけで加算点がある。参加する222人はいったいどんなサイズで描いてくるのでしょう。SNSを覗くと「10メートルのものを出す」「2メートルのものを出す」「B全パネル6枚つなげて出す」「50号サイズを出す」という書き込みがあり、すでに帝国主義覇権争いの様相を呈しています。
こうなってくると、小さな傑作に目が行くかもしれません。デカけりゃいいってもんじゃないんですから。人間でも最後に信頼されるのは、普段は目立たないが底光りのする人格の持ち主なのです。
で、私ですが、なんだか中途半端な大きさにしてしまいました。ていうか、デカいの描いたら搬入が大変じゃん。そうそう売れないじゃん。家に戻ってきても困るじゃん。ある程度の大きさがあって、搬入が楽、しかも収納がコンパクト……と考えて掛軸タイプの絵にすることにしました。たぶんタペストリータイプとか、折りたたみ展開式のものとか、同じように考えている人はかなりいるのではないかと思います。
掛軸、屏風、巻物という日本美術の形式は収納がコンパクトにできて便利です。元は中国からきているのでしょうが、でもその中で襖絵というのは日本のオリジナルではないでしょうか。壁画が取り外しと付け替えができ、開け閉め自由だなんて、ナイスすぎるアイデアです。……いや、例の大徳寺・真珠庵の襖絵に話を繋げようとしているのではないですよ。ま、一応、公開中ですけどね。
さて、真っ白い紙を目の前にして、絵描きは何を考えていると思いますか?
ほとんどの人は失敗するんじゃないかという不安にかられているのではないでしょうか。真っ白な紙の中には予測不能の事態が満ちみちています。描き出すと同時に成功と失敗の間を針がゆらゆら揺れ出します。下書きがあっても、トラブルは必ず起こるのものです。
手描きで、しかも後戻りできない描き方が私は一番好きです。失敗でも成功でも、このライブ感がたまらない。描いているときに自然に体が熱くなって来て一枚脱ぐのが常です。
……と長々能書きをたれているのはなぜかというと、今回の絵はまぁまぁうまく行ったような気がするからです。そういうときはブログもベシャリがち。でも、ほかの人の作品と並ぶとまた印象も変わるというか「あ、負けてる……」と思うかもしれない。いったいみんなどんな作品を持ってくるんでしょう。よかったら見に来てください。入場料がかかりますが。そして入場料を払ったのだから、つまらなかったらつまらないと言う権利はあなたにあります。
さて、大徳寺・真珠庵の襖絵なんですが(え、やっぱりまたこの話ね)、今月の月刊「ひととき」(新幹線のグリーン車に置いてある雑誌、モチロン全国の書店でも買えます)にて、「オトナの一休さん」の脚本家ふじきみつ彦さんと、関西学院大学の西山克先生と寝転びながら鼎談しております。鼎談の最後で西山先生が私とふじきさんにこう語りかけます。
「一休さんのことをこんなに理解されたんだから、お二人には敵を作ってでも頑張って生きて行って欲しいな。」
生きるとはなんでしょう。一休さんが問いかけて来ます。敵はあまり作りたくないですが。
特集では長塚京三さんが京都の一休さんゆかりのお寺を回られております。今年のJR東海の「そうだ京都、行こう。」のメインスポットが一休寺なもので、一休推しです。そして長塚京三さんは長年つとめた「そうだ京都、行こう。」のCMナレーションを今年を最後に卒業されるのです。
大徳寺・真珠庵の襖絵修復&新調プロジェクト開催中!
酬恩庵・一休寺では11月10日より「祖師と肖像」展開催!

カネの話。マネーの絵。

あ〜今日はブログの更新休みたい。

あ〜今日は仕事行きたくないってことあるでしょう。

仕事と違ってブログ書いてもおカネもらえないし。読んでる人だって少ないし。いや、昨日から何か書く事考えてて、2回くらい下書きを書き始めたんだけど、面白くないからボツにしちゃった。今週はマネー雑誌や保険のチラシに描きちらした絵を載せて、それに何か文章をつけようと思ったんだけど、面白いものが全然思いつかない。

カネの話。みんなが大好きなマネーの話。カネが入ったらバッと使う人と、貯める分を残しておく人とで言えば、僕は完全に後者であり、そのおかげで人生で貯金がゼロになったことはない。ただ、あえて貯めるのではなく、物欲がないので自然に余剰が出るだけの話。といっても41歳までバイトしていたので、中途半端なしれた額だ。貯金は自分が死ぬときにきっちり全部使いたい。借金を残して死ぬ可能性だってある。自分が死ぬときにちょうど蓄えが尽きる、そんなうまいこと絶対にいかない。

 上の絵の依頼者は妹であった。妹夫婦は数年前から三重県四日市市で保険の会社をやっている。保険の会社って言ってもフリーの営業所?みたいなものか。そこのパンフレットに頼まれたもの。印刷物を送ってこない。これを読んだら送ってくるように。保険も入ってあげた。もちろん絵のギャラはいただいているが。
こちらの絵はダイヤモンド社の「ダイヤモンド・ザイ」という雑誌に描いたもの。いつもの黒い線に飽きて、線を青くしてみたんだけど、あまりうまくいかなかったかも。こちらは「日経マネー」という雑誌に描いたもの。この雑誌にはマツコの番組でブレイクした桐谷さんがよく登場するのだが、桐谷さんのお面を子供がかぶっている絵、なんのこっちゃ。
この木の絵も「ダイヤモンド・ザイ」に描いたもの。木は投資信託を現しているんだっけっかな。
はい、とりあえず更新はした。荷が下りた。
あ、そうそう、伸坊さんとの対談更新されてます。
ついに最終回。昨日前篇が更新されました。お読みくださいませ。
この対談もきっかけはブログだったんですよ。
だから嫌でも飽きてもネタがなくても毎週更新しないとね!
〈でも、ひっくり返して言うと、「イラストレーション」という言葉を軸にすると、あらゆる絵を扱えるってことでもあるわけですよね。そこがこの連載の素晴らしいところです(笑)〉

襖絵トークショー!

11月4日に、京都国際マンガミュージアムにて「真珠庵 襖絵修復プロジェクト 作家トークショー」が開催されます!

 

参加作家、写真左から
伊野孝行(イラストレータ―……僕です)上国料勇(アートディレクター・イラストレータ―)山田宗正(大徳寺・真珠庵第27代目住職)山賀博之(アニメ監督・ガイナックス社長)濱地創宗(日本画家・僧侶)山口和也(美術家)
参加作家の中に山田宗正和尚もいらっしゃるのがいいですね。和尚さまは禅問答で鍛えられたからか(?)、いつも会話でアドリブが効いてるんですよ。
4月に放送されたNHKBSプレミアム「傑作か、それとも…京都 大徳寺・真珠庵での格闘」という番組では聞くことのできなかった濱地創宗さん、山口和也さんのお話もたっぷり聞けることでしょう。
当事者が語ることが必ずしも真実とは限らないし、むしろ嘘をつく場合も多いですが、番組とはまた違った内容が見えてくるように思います。
※ネットにあるものはみんなのもの、ということでネットで漁ってきた写真を勝手に使ってます。一休さんならきっとオッケーと言うでしょう。
上国料さんはもともと東京に住んでいましたが、このプロジェクトをきっかけに京都に移住しました。そして、今も襖絵に手を入れ続けています。厳密にいうと今は公開中なので、描いてませんが。2泊3日で描き終えたヤツとは真逆の制作態度。私と上国料さんは襖絵もウラオモテです。
もっとも禅問答な感じの襖絵をお描きになった山賀さん。「アオイホノオ」でムロツヨシが演じていたキャラとは少し違います。だいぶ違うかな。でもドラマの中の発言はだいたい合ってるようですが。ちゃんと絵を描いたことがない山賀さんがいきなり大作に挑戦!メンバーの中でもっとも冒険度が高かったもしれません。
濱地創宗さんの「寒山拾得」。近寄ってみるととても繊細な絵です。実際真珠庵で修行をされていた方なので、ちょろっと来て、さっと帰ったヤツとは向き合いかたが違いますね。濱地さんとはまだあまり喋ったことがないし、襖絵のことについても伺ってないので、トークショーが楽しみです。
山口和也さんの作品「空花」。え、どこにあるかって?左右の引き戸の星のような絵がそれです。お寺が建てられた時からすでにハマってそうな佇まい。画面中心の奥に一休さんの木像頂相があるので、ここが一番聖域に近いですね。
無数の人物を一人一人気持ちを込めて描いた北見先生の襖絵。見ていると自然と宗教的な気持ちになります。
※北見けんいち先生は今回は出演されません。実は襖絵メンバー全員が揃ったことは未だにないのです……。
てな訳で、よかったら聞きに来てくださいよ。
入場料は1500円(ミュージアム入場料を含みます)。定員は180名。申し込み締め切りは10月20日。お問い合わせは下記のリンク先、ガイナックス京都まで!

新・三十六歌仙

もう先月の話になってしまいましたが、芸術新潮9月号「いまこそ読みたい新・三十六歌仙」という特集に歌仙の絵を12人描きました。

他の24人は丹下京子画仙と谷山彩子画仙が担当されております。丹下画仙はおそらくゴリゴリ描いてくるだろう。谷山画仙はどういうタッチでくるのだろう。なるべく被らないようにしたい。いつも芸新から依頼されるのは漫画とか、細かい肩のこる仕事が多いので、今回は思いっきりのびのびしてみよう、そんな気持ちでした。

私が高校の時に寺山修司にハマっていたのはこのブログでも何度か書いたと思います。寺山修司といえば芝居や映画も手がけていますが、やはり出発点は俳句と短歌。特に短歌が素晴らしい。短歌なんて百人一首の世界しか知らなかった高校生にとって、寺山修司の前衛短歌は頭がジンと痺れるくらいにカッコよかったのです。

今でもスラスラ諳んじれます。
例えば「田園に死す」という映画の中にも登場した短歌。
大工町寺町米町仏町老母買う町あらずやつばめよ
新しき仏壇買ひに行きしまま行くえ不明のおとうとと鳥 
たった一つの嫁入道具の仏壇を義眼のうつるまで磨くなり
こういうのもあれば
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駆けて帰らん
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし
こういうのもある。
で、今回の新・三十六歌仙中には寺山修司は入っていない(笑)。でも塚本邦雄は入っている(ただし私ではなく谷山画仙担当)。塚本邦雄、岡井隆、春日井健という前衛短歌の歌人の名前も寺山つながりで覚えました。……なんて書いていると文学青年のように思われるかもしれませんが、私は高校2年でドストエフスキーの「罪と罰」を読むまで一冊の小説も読んだことがなかったのです(やや大げさだけどそんな感じ)。
谷山彩子画仙のよる塚本邦雄。
丹下京子画仙による伊勢。
以下は私の歌仙の絵です。
今回の歌仙の割り振りがどういう理由に基づいていたのか忘れましたが、橘曙覧(たちばなのあけみ)が入っていたのは嬉しかった。「伊野さん好きでしょ?やっぱり」と担当さんは得意顔でした。
たのしみは朝おきいでゝ昨日まで無かりし花の咲ける見る時
たのしみは心にうかぶはかなごと思ひつゞけて煙草すふとき
たのしみは錢なくなりてわびをるに人の來たりて錢くれし時
とくに
たのしみは紙をひろげてとる筆の思ひの外に能くかけし時
などは私と言わず、絵や書を書く人は誰でもたのしい時でしょう。
さて話はいきなり変わりますが、この度、雑誌を編集してみました。もちろん一人でやったわけではありません。
私も所属している東京イラストレーターズ・ソサエティから刊行される「TIS Magazine 2018-19」です。
イラストレーターがイラストレーターのために作った雑誌なので、イラストレーター以外の人が読んで面白いかどうか知りません。でもイラストレーター以外の人にも読んでほしい。我々が一体何ものであるか知ってほしい。
編集の仕事というのはやってみると、とにかく雑用が多いですね。企画たてるときが一番楽しいです。依頼が超苦手。あとはひたすら雑用。取材は楽しい。あとはひたすら雑用。原稿書くときも楽しい。あとはひたすら雑用。修正願いは精神的緊張が高まる。あとはひたすら雑用。阿吽の呼吸で進むとうれしい。あとはひたすら雑用……という感じでしたね。
時間的余裕はあったし、仕事の合間を見てやってたし、今回だけのことだから楽しめました。でも、これを毎月やるってのは結構大変ですね。編集者の苦労がしのばれます。
10月4日発売ですが、よかったら1冊いかがでしょうか。

「祖師と肖像」展開催!

何があっても更新することだけが取り柄の当ブログなのに、先週またサボってしまった。ちょっと仕事でテンパっちゃって……。

さてさて、今週は私の大好きな「宣伝」です。山紫水明の古都、京都はこれから秋まっ盛り!ただいま大徳寺・真珠庵では400年ぶりの襖絵新調プロジェクトが公開中。さらに、なんと、11月10日からは酬恩庵・一休寺でも私の新作が発表されます。題して「祖師と肖像」展。

これは京都駅のデジタルサイネージ(電子ポスター)用の画像です。普通のチラシやポスターの比率(A4とかB1とかの規格)と違って、縦に長いんだけど、これってスマホの画面の比率と一緒なんですね。世の中知らない間にすべてスマホあわせ。そういうことになってんだ。
ポスターには自分の顔写真がハメてありますが、「誰もお前の顔なんて知らねーよ」という皆様の心の声が、すでに私には聞こえています。いやいや、ごもっとも。実はポスターを作っている時には作品がまだ出来てなかったんで(ちりばめてある一休さんの絵も単なる宣伝用の絵です。これが展示作品ではありません)その代わりに入れたのです。デザインは仁木順平(本名、二宮大輔)さんです。(この絵は展示物にあらず。宣伝画像なり)
「祖師と肖像」展について、説明をば少し。
虚堂智愚から一休宗純、そして一休の弟子墨斎までの、大徳寺の法系の頂相を展示します。あわせてEテレのアニメ『オトナの一休さん』の作画担当イラストレーター、伊野孝行氏によるNEO頂相(?)も発表!他に一休宗純の漢詩集『狂雲集』、一休宗純所用の五条袈裟なども展示
とチラシやポスターにも書いてある通りの内容なのですが、みなさまには「頂相」というのが耳慣れない言葉でしょうか。頂相(ちんそう、ちんぞうとも読む)は簡単に言えば、禅の高僧の肖像画のことです。また頂相は禅僧にとっては信仰の対象でもあります。真珠庵でも、酬恩庵でも、方丈の本堂には仏像のかわりに一休さんの木彫が置かれています。頂相の立体版、頂相彫刻と言ってもいいでしょう。(酬恩庵・一休寺にある一休宗純の頂相彫刻。晩年の一休さんを生き写しに作られた。当初、像には一休さんの髪の毛と髭が植えられていたという)
このように、頂相とはたいへんに尊いものなのですが、そ、そ、それを禅の修行僧でもない門外漢の私が新しく描くってんだから……オラどうなっても知らねー!ですよ。
さすが一休さんゆかりのお寺はアグレッシブ。さて、どうなるんでしょう。
と言いましても、実はすでに描き終わっておりまして、ただいま京都の老舗の表具屋、八木米寿堂さんで表装してもらっているところです。(八木米寿堂さんは下京区東前町にある伝統家屋「町屋」だった)(一休宗純NEO頂相の部分)
私の作品は、虚堂智愚(きどうちぐ)和尚、大燈国師(だいとうこくし)、一休宗純のそれぞれの頂相、合わせて掛け軸3幅、そして「一休十態」と題した一休さんの巻物一巻、合計4作品です。エセ頂相です。大丈夫、一休寺所蔵のモノホンの頂相もちゃんとありますから。
「頂相は尊いものなり」と言いましても我々にとって敷居が高いのも確か。だいたい虚堂智愚、大燈国師と言ったって一般の人にとってはZENZEN馴染みがないでしょう。お二方とも一休さんがリスペクトしてやまない禅僧なのですが、私もはっきり言って詳しく存じ上げておりません(笑)。だってとっても文献が難しいんだもの。それじゃ肖像画が描けないよ。
でも心配ご無用。「オトナの一休さん」の監修者でもある芳澤勝弘先生が、今回も協力してくださいました。芳澤先生は白隠研究の大家でもあリます。
白隠さんが描いた数々のユニークな禅画も、それまで貴族的であった禅を、大衆に広めるために描かれたもの。いわば白隠の禅画はイラストレーションだと言いきっても差し支えないでしょう。
(芳澤先生は新潮社とんぼの本「禅のこころを描く 白隠」で漫画にも描かせてもらいました。この似顔絵は自慢じゃないが超似てます)
大燈国師は1315年(?)に洛北紫野の地に小堂を建立した。これが今の大徳寺の起源とされます。大徳寺派にとってめちゃ大切な方であります。
で、大燈国師の頂相(上)を白隠禅師が描くとこうなる(下)。大燈国師は五条大橋の下で乞食たちと暮らしていたというエピソードに基づいています。すごい迫力。素人絵の強さ。
 そうだ、言い忘れましたが、今年のJR 東海の「そうだ京都、行こう。」のメインスポットが一休寺なのです。
美しい一休寺の紅葉をCMでどうぞ!

私の「なんちゃって頂相」は、一休寺を訪れる観光客の方の手を引っ張って、禅の世界を紹介する役目?いや、私自身ZENの何たるかもわかってないのにねぇ。いや、ここ2、3年でなんとなく禅の入り口には立っているような気はいたします。
関連イベントのお知らせです。
(※ 会員限定イベントです)
出演者:禅宗史研究家 芳澤 勝弘/イラストレーター 伊野 孝行/人形作家 北野 深雪/酬恩庵 一休寺 副住職 田邊 宗弘
京都のお寺で同時に2ヶ所も絵が発表されるなんて、たぶん最初で最後でしょう。一休和尚、ありがとう!

ひたすら御朱印帳

土日月とまた京都へ行ってきました。まず第1の用事は、老舗の表具屋、八木米寿堂さんへ絵を届けに行くこと。掛け軸3本と絵巻物1巻にしてもらいます。この絵は11月に酬恩庵・一休寺で「祖師と肖像」と題した展示で飾られます。JR東海の方も取材に来られ、いずれ「そうだ京都、行こう。」の記事として発表されるとのこと。

つまりこの秋は、大徳寺・真珠庵と、酬恩庵・一休寺の二箇所で展示があるということです。こんなことは私の人生の中で最初にして最後のことでしょう。
第2の用事は公開中の大徳寺・真珠庵に行って、御朱印帳にサインと絵を入れること。用事が終われば、あとは楽しい宴会…ということで今回も色々お世話になりました。
襖絵を描いてる時は何も考えていなかったのですが、歴史ある京都のお寺に絵を描くということの意味を、描き終わってからしみじみ味わっているところでございます。
意味とは何を意味するのでしょう?(真珠庵のお庭)
真珠庵は土日になると1日500人くらい拝観のお客様がいらっしゃるようで、東京で個展をやってもそんなたくさんのお客さんに見てもらえません。他の襖絵絵師の方々のおかげ、そして建物自体が重要文化財の大徳寺・真珠庵のおかげ、物販制作会社、広報担当会社のおかげ、特別公開限定スタッフのおばさまたちのおかげ、そしてご住職ならびに心意気お手伝いの皆さまのおかげ……ざっとあげてもこれだけの「おかげ」があります。
普段の個展では、そういったことはほとんど自分でやらなくてはならず、しかもヒジョーに微力です。だから余計に骨身に沁みます。
(ひたすら御朱印を書く和尚さま)
(手に資料を持っているのは襖絵を解説してくれてるスタッフの方)
それと、京都の地元の人たちの間にスルッと入れるラッキーさ。特別公開中の真珠庵には和尚さまを慕って集まる人も大勢いらっしゃいます。今日はあの人、明日はこの人。もともとお寺の醍醐味とはそういうところなのかもしれません。集まる人の職業も本当にいろいろで面白い。そんな時に、自分のことを一から説明しなくてもいいじゃないですか。「襖絵を描かせてもらってる伊野と申します」と言えば通じるんだから。
せっかく泊まらせてもらったのに、早起きできなくて、お庭掃除が手伝えなかったりで、一宿三飯お酒つきの恩返しもなかなかできず、ヤバいなーと焦りました。ですから、ひたすら御朱印帳にサインと絵を入れて来ました。50冊くらいは描けたかな?
京都のお寺に絵を描く意味の、意味が何を意味するかは、きっと自分次第でありますね。
(下書きなしで描かなくてはいけない…筆と消しゴム判子は持参です)
(サインの横の絵は5種類くらいあります)
(お邪魔した時はちょうど和尚さまのお誕生日でしたので、二つ折り色紙に絵を描いてプレゼントしました)

ブレーメンの愚連隊

こんにちは。今週は先週の続きで「昔話法廷」の「ブレーメンの音楽隊裁判」の絵です。さっそく絵を載せましょう。ありがとうございました。え?盗賊の息子が全然外人ぽくないって?そう、なぜなら日本人俳優が演じますから。はい、いつもなら「ここで余談でも……」という運びになりますが、今週はこれでオシマイ。理由はネタを何も考えてなかったのと、今日は下高井戸シネマで映画が1000円で見られる日なので、12時5分から『15時17分、パリ行き』を見たいからです。バイバ〜イ!

昔話法廷「赤ずきん」裁判

先週、先々週と2週も続けてブログの更新をサボってしまった。一応、夏休みということでサボったのだが、僕自身に夏休みがあったわけではなかった。

唯一の夏休みがブログを休むということ。

なんて味気ないことだろう。今年の夏は本業(しがないイラスト仕事)以外のことで何かと忙しくて……。
しかし、振り返れば僕の人生は、前半がほぼ夏休みだったようなものだし、あと10年も経てば人生の冬休みが早々とやってくるかもしれないので、今、やることがあるのは悪いことじゃない。
でも、一息ついて、畳の上に寝転んだときには「ああ、この姿勢こそ自分本来の姿だ」と思う。つねに寝転んでいたい。
ここ4年、毎年蒸し暑くなってくると始まる仕事がEテレの「昔話法廷」だ。当初は2年で終わりだと聞いていたが、去年もう1年伸びて3年目に突入。去年で正真正銘、最後のはずだったが、今年もまたやるという。今年こそ最後だというが本当なのだろうか。こうなったら来年はぜひウソつき少年が主人公の「オオカミ少年」をやって欲しい。
今年は「赤ずきん」と「ブレーメンの音楽隊」だった。今週は「赤ずきん」の絵を載せよう。
この仕事は最近の自分にはめずらしく、全編ほぼアナログで、紙に絵の具で描いている。色もだいたい固有色に基づいているし、描写も特にこれといった工夫もなく描いている感じなのだが、20代の頃(必死に自分なりのスタイルを探していた頃)の僕が見たらなんと言うだろうか。絵の説得力において何が重要か、わかってきたようで、いまだにわかっていない。
先週の火曜は京都に行っていた。日帰りだった。そのせいでブログもお休みしたのだった。京都へは雑誌の対談と、新聞社の取材、クラウドファンディグの取材のために行った。朝、東京駅に早く着いたので、朝ごはんに鯛茶漬けを食べて、さらにコーヒーとチョコクロワッサンも食べたので、お腹がいっぱいであったが、雑誌の編集の方がお昼ご飯用にミックスサンドを買ってくれた。新幹線の車中で食べないまま、カバンに入れておいた。
京都の大徳寺で仕事をしている間も、サンドイッチはカバンの中に入ったままだった。京都は本当に暑い。蒸し器の中にいるようだ。体の外側よりも内側のTシャツの中に、汗が流れる。用事をすべて終えて夕方、大徳寺から北大路の駅へ歩いている時に、ミックスサンドが気になってきた。この暑さでもういたんでいるのではないだろうか。京都駅で何か美味しいものを食べたいが、かと言って、ミックスサンドを捨ててしまうのは気が咎める。そして何よりお腹が減ってきた。朝ごはん以降、口にしたものといえば、お寺で出された羊羹一切れだけだった。ミックスサンドの消費期限が限界に達し、そろそろ腐ってしまうような気がしてならない。僕は歩きながら、ミックスサンドを食べ出した。よかった。まだ腐ってはいないようだ。腹が減っているのでうまい。しかし、京都まで来て、行儀悪く、なんで歩きながらサンドイッチを食べているんだろう。この場合、どういう選択が正しかったのだろうか。
はい、この時の朝日新聞の取材がネットにあがっております。よろしければご覧ください。

やつらの印象派物語

3ヶ月も前に「芸術新潮」でやった仕事をいまさら紹介。

印象派のことがだいたいわかる漫画を描きました。

僕も印象派のことはだいたい知ってるつもりになっていましたが、ドガがわりと中心的なというか、そのために嫌われたりして、ま、やな奴だったみたいで、そういう事情は初めて知りましたね。

漫画は全部で3見開き描きました。一つ目は『やつらの「印象派」前夜』です。
 後に印象派と呼ばれる人たちは、サロンに落選した人たちだったわけです。いや、正確にいうとたまに入選したりもした。新しい時代のものごとは、新しい時代の方法で描きたい。でも、そうやって描いた絵はなかなか入選にならなかった。
ドガ「保守的なアカデミーのやつらには、もう我慢ならん!マネさん協力してくれますよね?」
マネ「ドガくん、まあそういきり立つことはない。体制を覆すにはまず相手の懐に入らなければ。そのためにもやっぱり、サロンにはこだわらないといけないぜ」
モネ「でも、このままじゃまずいよ」
ルノアール「みんなでお金を出し合って、無審査のグループ展をやろう!」
カフェ・ゲルボアに木曜の夜に集まっては、こういう相談をしていたのです(たぶん)。
 二つ目の漫画は『「印象派展」全8回のすったもんだ』です。
僕はグループ展をするなら、印象派展を見習うべきだと思っています。一人の力じゃ弱いけど、みんなでやれば運動になる。印象派展は会場を変えながら、全部で8回開かれました。
第1回展は、写真家ナダールのスタジオ。写真の登場で絵が変わり始めたのが、つまり印象派なわけですが、記念すべき最初の展覧会は写真家のスタジオで開いたんですね。詳しい経緯は知らないけど、おもしろいですね。
第5回展からドガが性格の悪さを発揮しだし、第7回ではハブにされちゃう。でも最後の第8回展にはまた戻ってくる。ま、前衛芸術といえども人間関係から自由になることはできないのです。
ポスト印象派のゴーギャンは第4回展あたりからすでに参加してる。その第4回展を見にきて感動した画学生がスーラ。
7年後の第8回展にはスーラが出品者として参加している。他にはシニャックも。いわゆる「新印象派」と呼ばれる人たちです。あと意外なところではルドンも参加している。
こう見ていくと、印象派展は若い画家たちに強烈に支持されてる感じだし、彼らは先輩に倣うだけでなく、オレはこうやってみたい、というのをやりだしてる。
そんな若者の一人、ゴッホはこの年パリにやってきた。第8回展を見て感激してこう言った。
ゴッホ「それぞれの人が、より崇高で素晴らしい目的のために、情熱を持って争っている!」
  三つ目の漫画は『宴のあとのそれぞれの道』
印象派展が終わる2年前、これまたサロンに対抗したアンデパンダン展がスタートする。ここには、ゴッホ、ルソー、ロートレック、マティスなどが参加しました。
若い画家たちを一喜一憂させ、反発させてきたサロンですが、徐々に命脈はつきようとしていました。
そこに新たに登場してきたのが画商です。画商ポール・デュランは印象派の作品をアメリカに持って行って売った。モネの「積みわら」シリーズは3日で完売。当時のマスコミは印象派には基本辛口でしたが、評価してくれた批評家もいました。ゾラやデュレやマルラメ達です。
今や、現代美術は一点で何億円、何十億円もする、ある意味狂った世界になっていますが、画家と画商と批評家が一緒になって価値を上げていく方法の原点がここにあるのではないでしょうか。
そのへんのことなどを南伸坊さんとのWEB対談で話していますのでよかったらお読みください。
オマケに印象派たちの似顔絵を。

惰性の法則

あー、今日もジョギングをしてきた。

暑かったが、まあまあ走りやすかった。そして、半分惰性で見てる朝ドラ「半分、青い」に付き合い、朝ごはんを食べ、ブログの文章を書いている次第です。

このブログも惰性でやっていて、最近は、実人生も惰性で生きていると言ってもいい。
人工衛星は軌道に乗ったらあとは慣性の法則に従って、ぐるぐる地球の周りをまわり続ける。しかし宇宙空間と違って色々抵抗の多い地上世界では、惰性で生きているとそのうち駄目になってしまう。これが惰性の法則である。
「自分の人生、なんとか軌道に乗せてやる!」と、魂にロケット噴射をかけていた頃に比べたら、やっぱり今は惰性だ。いや、自分なりに日々頑張っているつもりではある。でも惰性なんだ。
…と、前置きし、仕事で描いた絵を載せよう。これも惰性の産物なのだろうか?
いや、あらがうことはかえって身を滅ぼす要因で、流れに身を任せ、漂うように生きることこそ、真理の道に近いのだろうか。
『MONOQLO the MONEY』という投資信託や株式などマネー情報を紹介する隔月月刊誌に描いた絵です。お金に執着して財布を逆さまにしている愚者。まわりには「投資信託で資産を100倍に!」「投資信託で億万長者!」みたいなうさんくさい本が。お金にとらわれず悠々自適に過ごすお金の賢者。「え、運用?ほったらかしだよ」みたいな余裕。お金儲けして喜んでいる自分を思い浮かべる失敗例。新商品だからという理由だけでプレゼント箱に飛びつこうとする失敗例。
目の前の値動きに一喜一憂する失敗例。まだ利益が小さくしか出ていないのに、すぐに売ろうとする失敗例。1年後には花が咲いているのに。
お次は『通販生活』に描いた「秘密厳守のあの仕事の中身はどうなっているんだろう?」という特集の挿絵。週刊誌のスクープ
証言してくれる人物と会う際の場所選びも重要になってくる。内部告発の場合、情報提供者も危険に晒されており、記者と接触した事実も秘密にしておかなければならない。話を聞くのは必ず個室。時にはドラマのワンシーンのように、人気のない埠頭で落ち合うこともある。企業秘密
秘密防衛の肝は、従業員を監視すること。具体的な対策として、オフィスに監視カメラを設置する企業も増えているが、やりすぎてしまうと社内がギクシャクしてしまう。特に、社員数が少ない中小企業ではなかなかやりづらい。元号制定
元号には「俗用されていない」という条件があるため、商標登録されていないか、会社名や商品名に使われていないかなど、ラーメン店の屋号に至るまで候補の段階で調べる必要がある。元号制定は時間が必要な作業なのだ。裁判員
開始から10年目に入った裁判員制度。裁判員は一生にわたり「守秘義務」を負うことになる。しかも裁判員裁判は重大犯罪に限って開かれるので、裁判員にかかる精神的な負担は大きい。「裁判のことを誰かに聞いて欲しいが、守秘義務があるから話せない」と思いつめる経験者も少なくない。核輸送燃料
核兵器にも転用可能なプルトニウムが、万が一テロリストの手に渡っては大変。運搬に使われるのは7000トン級の専用大型輸送船で、船尾には機銃も備えてある。運搬は常に2隻で行い、一方は空にしてどちらにプルトニウムが積まれているかわからないようにしている。

朝のジョギング

今年の2月から、近所で喫茶店をやっているおじさんと、週に2回火曜と金曜の朝にジョギングをしている。駅一つ分を往復するくらいの距離で、しかもその駅というのが世田谷線だから走行距離はしれている。7時半に公園に集合することになっているが、大抵どちらかが先に着いている……って、そりゃそうだよな。
おじさんはいつもニット帽のようなものをかぶっている。これはしっかり汗をかくためなのだそうだ。おじさんはちょっとガクガクするからと言って、左の膝にサポーターのようなものを巻いている。それは奥さんからの借り物のサポーターで、女性用だからか地肌が透けている。
おじさんと走るのはお喋りができるくらいのスローなペースだ。そもそもジョギングをはじめる前は週に2回くらいのペースでおじさんの店に行って無駄話をしていたのだが、今はジョギングでそれが済んでしまい、お店に行く回数がガクンと減ってしまった。
カラスがゴミ袋を荒らす時間帯は、季節とともに変わって行く。
春先は8時より前に出したゴミはかなりの確率で荒らされていた。ゴール地点にしている場所が、ちょうど集積場で、特にヒドイ。ちなみに火曜と金曜というのはこの辺りの「燃えるゴミの日」なのだ。
昼間通ってもどこの道にもゴミはひとつ落ちていない。それは掃除をしているおばあさんたちがいるからだ。おばあさんたちは自分の家の前と、向こう三軒分くらいを掃除している。そういうおばあさんたちがゴミ集積所の周りには必ずいる。そんなこと知らなかった。おばあさんたちがいる限り東京の街はスラム化しない。お年寄りは大切にしよう。
先々週から日本の酷暑の概念が更新されている。7時半の時点ですでに30度超え。気温ほど生き物を左右するものはない。夏になるとカラスの朝食タイムはゴミ出しのずいぶん前にずれるのか、荒らされている形跡がほとんどない。おじさんも私も走りながら会話をする余裕は全くない。このままでは走っているうちに倒れるのではないかと思い、この前の金曜から、ジョギングの集合時間を1時間早めて6時半にした。
今日もおじさんと走ってきた。
こう暑くっちゃ散歩ですら命取りである。特に中高年は気をつけよう。
しかし最近した仕事は、こんな中高年向けの散歩ガイドブックだった。
デザインは三浦逸平さん。お元気ですか?
夏バテ気味なので、ブログもあっさりと、お知らせを二つして終わりにしよう。
まず一つめは、今日から外苑前のギャラリーでグループ展があります。暑いので出かけて熱中症にでもなったら申し訳ないので、是非にとは言いません。なにせ3時間外に出かけたら、回復するのに5時間はかかる。高い気温は毒だ。毒の中に出かけるのは、そりゃやめた方がいいでっせ。
■FABER-CASTELL×gallery DAZZLE×TIS「水と色鉛筆」展
ファーバー・カステル社と東京イラストレーターズ・ソサエティのコラボ展。
支給された高級水彩色鉛筆を使っております。
会期:2018年7月24日(火)~29日(日)12:00~19:00(最終日17:00まで)
入場無料 会期中無休
会場:gallery DAZZLE 東京都港区北青山2-12-20 #101【開催イベント】
7月28日(土)12:00~19:00 作家Day
7月28日(土)14:00~ 佐々木悟郎氏による水彩色鉛筆デモンストレーション
もう一つは襖絵を描かせてもらった大徳寺・真珠庵がクラウドファンディングに挑戦?のお知らせ。
真珠庵は曽我蛇足や長谷川等伯の古い襖絵があるお寺です。
〈重要文化財の襖絵24枚を修復するためには約8000万円必要で、そのうち約2800万円をお寺で賄わなくてはなりません〉
やっ、タイヘンだっ!結構お金かかるんですね〜。
一休さんが応仁の乱で荒廃した大徳寺を再建した時にも、堺の商人たちの援助を受けたとか。

友達からもらった仕事

僕は美大ではなくて、いわゆる普通の大学に行ってました。

学部には友達はいなくて、仲のいいのは美術部の仲間だった。美術部といってもただの趣味サークルだから真剣に描いてませんでした。

何を勘違いしたか、卒業後イラストレーターになろうと一念発起した僕は、紆余曲折、一進一退、20年近くもかかってどうにかイラストレーターになれました。

誰にでもある話だけど、友達が気にかけて仕事をくれることってありますよね。
さて先日、実に卒業後25年目にして、美術部仲間のMくんが仕事をくれました。
彼は印刷会社に勤めていて、そこそこエラくなっています。クライアントと直接やり取りしているのが彼で、彼の下に制作スタッフがいます。つまり彼は最終チェックをする立場。だから「上がこう言ってるんで…」っていう心配がない。しかも今回のクライアントはものすごく理解があるっていうか、ノリのいいお方のようでした。
とある団体の募集活動をする人がやってはいけないこと、守るべきことをマンガで紹介する冊子のお仕事でした。
最初の目次のページに入ってるのがいきなり、ヒョウ柄セーターのおばさん。
このおばさんこそ冊子を熟読すべき人なのです。
 さてちょっと中身を見ていきますか。
 このおばさん、めちゃめちゃ態度悪いです。ヒョウ柄だけど、Mくんは「トラ子」と命名していました。「なんでヒョウ柄なのにトラ子って呼ぶんだよ」と聞いてもMくんは「いいじゃないですか」とのこと。ま、これはMくんと僕の間で勝手に呼んでるだけなので、なんでもいいんですが。
 そしてこの出っ歯の人は通称「イヤミ子」です。キャラはみんなMくんが考えています。ちょっと古いね、名前が。
 このちょっとバブリーなおばさんは通称「バブリ子」。
 嘘をついたりするとすぐ汗をかく「汗かき子」。わかりやす〜い。
 で、この人のやることはすべて正しい「天使のおばさん」。
天使のおばさんの正しい行いと、他のみんなの悪い行いを通して、きちんと学ぼうという趣旨です。
当ブログの読者様は募集活動員ではないので、学ぶ必要はありません。
必要以上の口数をとってはいけません。
  誤解を招くような比較をしてはいけません。
 不当な切り返し、引き抜きをしてはいけません。
この耳と尻尾のついたおばさんはその名も「悪魔子」。そんなに悪い人に見えない?いえいえ、そのうち尻尾を出しますよ。
 断られた相手に再度勧誘してはいけません。
 個室などに誘って勧誘してはいけません。
 つきまとい行為はいけま せん。
 居座りなど迷惑なことをして契約締結させてはいけません。
 不確定なことを断言してはいけません。
募集資格者ではない人は契約締結をしてはいけません。
……驚愕の事実発覚!トラ子は募集資格者ではなかった(笑)!
 判断力不足に乗じて契約締結させてはいけません。
 勝手に名前を使ったり、契約を変えたりしてはいけません。
 契約書に事実と違うことを書かせてはいけません。
 本人に代わって申込書に記入してはいけません。
 締結できるまで粘ってはいけません。
 お客様のお金や持ち物に手をつけてはいけません。
悪魔子の本領発揮です。
 解約の際は本人確認が必要です。
 解約依頼を引き延ばしたり、渋ってはいけません。
 解約手続きのために来社を強要してはいけません。
 解約手数料の説明を怠ってはいけません。
加入契約書を持ち歩く際は、絶対に手元から離してはいけません。
 個人のパソコンや携帯 にお客様の情報を入力してはいけません。
申し遅れましたが、デジタル機器に強くてお色気作戦も辞さないこの子の名前は「デジ子」。安易です。
 会社を辞めたらお客様の個人情報は引き渡さなければいけません。
 相談・苦情には真摯に対応しましょう。
 名義を借りて契約してはいけません。
……ちなみにヒロシはMくんの似顔絵になっています。カメオ出演ってことで。
また仕事ください〜。

笑なん八百屋時代

日本農業新聞で連載中の島田洋七さんの自伝的エッセイ「笑ってなんぼじゃ!」の挿絵から。洋七さんが高校を卒業し、八百屋に勤めだすあたりのお話です。夜の7時半か8時くらいから、最初のステージが始まった。ピンクやブルーや黄色やらのカラフルな照明が瞬く広いホールには、きれに着飾ったホステスさんたちがズラリ。もう初めて経験する大人の世界に胸がドキドキしたのを覚えている。しばらくすると内山田さんたちの歌が始まった。(内山田さんたちというのは内山田洋とクール・ファイブのことです)東は歌が好きで好奇心が人一倍強かった。そんな東がある日、ジャズ喫茶に行こうといい出した。「今、バーブ佐竹が出とう!」
興奮すると、故郷の姫路弁が出る東。「ほんまか、すごいな。でも、高いのんとちゃう?」「2000円や。ほんまやったら3000円以上、いやもっとするやろけど、とにかく2000円や!」「君ら、ほんまにバーブ佐竹を聴きにきたんか?」 横に座ってたおじさんがニヤニヤして聞いてきた。俺らがきょとんとしていると、おじさんは「あそこ見てみぃ」と、入り口のポスターを指差したんや。あるとき事務所の人から「大分先の話なんだけど」と幕前の仕事の依頼があった。「北海道で2日間、2箇所のクール・ファイブの幕前の仕事があるんだけど、洋ちゃん行ける?」突然楽屋に入ってきていきなり叫んだ俺に、全員が俺を指差して言うた。「だろ~!」「君、国際楽器店で会って、楽器運んでくれたよね」と内山田さん。「はい!」「みんなでB&Bを見ながら、この右側の方、どっかで見たことあるよな~と言ってたんだよ。やっぱりそうか! あれから何年になる?」「10年くらいですかね」それから1ヶ月もせんうちに、テレビ番組『日本全国ひる休み』のロケで、四国に行った。 ロケが終わって、ご飯を食べているときに、店の人との何気ない会話で「今日の昼、内山田洋とクール・ファイブのショーをやってたよ」という話が出たんよ。俺は辺りのホテルに片っ端から電話して、会いに行ったよ。内山田さんは、「おお! どうした、こんなところに」と笑顔で迎えてくれた。オマケ。内山田洋とクールファイブです。たぶん今のオレよりみんな年下なんだろうな〜。河井は広島からヤクルトへ移籍して、1974年に引退。引退後は広島で「焼肉河井」をやっている。有名人が名前だけ貸しているような店やなくて、ほんまに旨い店やねん。カープやヤクルトの選手もよく来ているよ。河井とは今でも仲良くて、広島に行ったら顔出して、昔話しに花を咲かせている。俺の自慢の友達や!相手のベンチの真上で「広陵勝て!」と叫んでいる俺を、周囲の人は「なんやこいつ」みたいな目で睨んでいた。

この挿絵2枚分の原稿をミスって消去してしまったので文章はナシ!免許もとったし、お母さんに八百屋への就職を勧められるとこですね。俺はかあちゃんと一緒に藤本商店に挨拶に行った。藤本商店は間口五間の大きな店で、建物は二階建てになっていた。二階は倉庫と従業員の広い部屋。俺が明日から寝起きするのは、この部屋らしい。みんな気が荒いから運んでいるトロ箱とトロ箱がぶつかったとか言うては、しょっちゅう喧嘩。ときに殴り合いにまで発展することもあるんやけど、武器が大根やったり、白菜、ごぼうとかやったりするから、笑ってしもた。鮭切り包丁は、長さが1メートル以上もある刀のようなでっかい包丁。それを振り上げて追いかけてくるもんやから、びっくりしたよ。俺は、そこらへんのダンボールを蹴散らかして一目散に逃げた。 藤本商店のご飯はとにかく豪華やった。「アキやん、今晩何食べたい?」と娘の和子さんが聞いてきたので、何気なく「肉がいいなあ」と言うた。「ほな、これで買うてきて。いつもの言うたらわかるから」と言われて、手渡されたのは、なんと1万円。あっけにとられて、肉屋に行くと「あ、藤本さんね」と、肉屋のおっちゃんは、慣れた手つきで霜降りの特上肉を分厚くステーキ用にスライスしている。 朝の4時に起きて、夜の10時に寝るまで、一時も休むことなく、黙々と働き通しやったよ。生活も質素で遊びに行ったりすることもなく、風呂なんかでも俺がタオルに石鹸をごしごしこすりつけていたら、よう怒られた。あるとき、お客さんがりんごを持ってきて「このりんご、家に帰ってからみたら、ここのところがちょっと傷んでたわ」と言われたことがある。「すいません、じゃあこれで」と代わりのりんごを1つあげようとしたんや。そしたら奥からおばあさんが出てきて「まあまあ、すみません」と言うて、お客さんにりんごを2個あげた。「アキやん、お前、袋に入れるときいつも1個落としてるじゃろ」うわ、見つかった。怒られるかなと思ったんやけど、「お前、上手いな」とニヤっと笑った。俺と和子さんはウマがあって、今でもそうやけど、まるで姉と弟みたいな関係やった。言いたいことも自由に言い合って、しょっちゅうじゃれあいのような喧嘩もしていた。俺がからかったりすると、物を投げながら追っかけてくるんやけど、投げるのはいつもじゃがいもか玉ねぎ。間違ってもトマトや桃は投げん。そうや! 敵の懐柔作戦や。まず、そっと静かに戸を開けて、細心の注意を払って音を立てないようにガラスの陳列ケースに近寄って、店で売っているちくわを犬に食べさせて黙らせる。そして犬がちくわに夢中になっているうちに、足音を忍ばせて二人に気づかれることなく2階に上がっていくんや。配達を頼むのは、裕福な家かお年寄り。例外として一軒、女子大があって、ここは俺が一番苦手な配達先やった。家政科の調理実習で使う食材を買ってくれていたんやけど、実習室には俺と同じ年頃の女子大生がズラーっと座っていて、俺が「ちわーっ!」とドアを開けると、みんなが一斉に振り向くんや。俺は考えた。野菜を買ってもらう代わりにいろいろ用事を手伝ってあげたらどうやろう、と。それから俺は配達のついでに肉屋から肉を買って届けたり、クリーニング屋に毛布を出してあげたり、お医者さんから薬をもらってきてあげたりするようになった。「おい! お前、何しとるんや!」と声をかけると男はビクッとして、その場に立ちすくんだ。狭い露地の奥で、男は逃げる場がなかった。「おい。自分が悪いことをしているんは、わかってるんやろな。警察行こか」藤本商店のお得意さんには社長さんの家も多かった。社名を言うたら、誰もが知ってるある大企業の社長さんの家に、年末に御用聞きにいったときのこと。奥さんからインターホン越しに「相談したいことがあるの」と言われた。何やろ、と門をを開けて中に入ると、奥さんは、広い敷地の中にある倉庫に俺を案内した。この倉庫がすごかった!「ここは体育館かい!」と言いたいくらいのでかい建物やった。そのでかい倉庫の中には、みかん、ハム、ソーセージ、新巻鮭、お菓子、ウイスキー、サラダ油、牛肉の味噌漬け、海苔、缶詰なんかが箱のまま山積みされていた。ビールや日本酒、醤油なんかもケースのまま、どーんと積まれて、まさにお歳暮の山ができていた。「これ、全部、お宅で引き取ってもらえないかしら」

ある時「ナガイモ半分、配達してね」と注文してきた奥さんがいた。俺は1メートルほどあるナガイモの両端をちょっとだけ切り落としたのを持って行った。「奥さん、ナガイモ半分、お届けにあがりました」と俺が言うと、「まあ、これで半分?ナガイモってほんとに長いのね」と、にこにこ笑っていた。

『短歌倶楽部』終わる。

UCカードの会員の人に送られてくる「てんとう虫」という雑誌で2016年からつい最近まで連載していた、歌人の福島泰樹さんのエッセイ『短歌倶楽部』につけていた絵です。

エッセイの多くは死んでいった友への惜別録でもありました。私の絵に冗談は一切求められてません。冗談なしの縛りが結構キツくて、毎回悩みました。

ギャグが禁じ手ならポエジーで勝負しなくてはいけないのです。ヘタなんだよね〜、僕ポエジー出すの。

ちなみに福島さんは過激で情念豊かな歌人、僧侶、ボクシングレフリー免許保持者です。「絶叫コンサート」で有名な方です。

今までにこのブログに載せた絵もありますが、最後ということで重複をお許しください。エッセイの中には毎回幾つかの素晴らしい短歌も挿入されていました。絵は短歌に合わせて描いたわけではないのですが、ご一緒にどうぞ。

悲しみのパンツは脱ごうあたたかに涙は溢れているのであった

茫漠の星を宿して帰還せず 六年二組をいでし男ら

あおぞらにトレンチコート羽撃けよ 寺山修司さびしきかもめ

 桜吹雪く校庭を駆けゆきしまま黒きマントに歳月やふる一期は夢なれどくるわずおりしかば花吹雪せよ ひぐれまで飲む

絢爛と散りゆくものをあわれめば四月自刃の風の悲鳴よ

敗北の涙ちぎれて然れども凜々しき旗をはためかさんよ

ひたぶるの青春なりきサンドバッグ叩かん明日の荒野は知らず

立松和平とのぼりし坂をくだりゆく四十年は逆巻く霧か

時代とこころの闇にむかって書いてきた光の雨よ若き死者たち

 黙ふかく悲しみふかくやわらかき女体のごとく雪にまみれよ

水底の砂に埋もれ死んでゆく 十一歳のあわれわが詩は

目をつむればみなもに浮かび漂える夕日のなかの赤いサンダル

御徒町のガードの上をゆく雲の大原病院 跡形もなく

愛と死のアンビヴァレンツ落下する花恥じらいのヘルメット脱ぐ

鯖のごとくカブト光れり われ叛逆すゆえにわれあり存在理由【レーゾン・デートル】

ポーランドの雪原走る二筋の黒い鉄路の行く先知らず

追憶は白い手袋ふっていた霙に濡れたガラス窓から

中也死に京都寺町今出川 スペイン式の窓に風吹く

喇叭飲みしつつ歩けばびしょびしょに濡れてワイシャツ滴しずくを散らす

 見上げれば青雲たなびきおりしかな雀荘「四万露」窓の彼方に

力道山そしてケネディー濛々と 時代を黒き霧が覆わん

脱ぐなむね ちぎれた君のアノラック俺が真水を汲 んでくるまで

「朝日のあたる家」を出なば刺草の辛き荒野の涯なる夢よ

 一期は夢なれどくるわずおりしかば花吹雪せよ日暮れまで飲む

 懐かしいなどとほざいて振り向けばタールのような夜がきている

女二人眠る部屋より春嵐はげしき 路地へ逃れ来たれり

君の席あわれと思いつくりやる花 散り急ぐ 四月九日

魂の奥底ふかき挫折さえ乗り越えて来し霧のリングよ

愛しきは酒と稲妻、なやましく丼に酒あふれせしめよ

上を向いて歩けば涙は星屑のごとく光りてワイシャツ濡らす

小劇場澁谷ジァン・ジァン打揚げの三平酒寮の灯も遠く去る

野枝さんよ「虐殺エロス」脚細く光りて冬の螺旋階段

しなやかな華奢なあなたの胸乳の闇の桜が散らずにあえぐ

切なさや漣のように襞をなし押し寄せてくる憶い出なるよ

もう誰も知らないだろう六〇年代戦死者の花雨に濡れおる

敗北の涙ちぎれて然れども凜々しき旗をはためかさんよ

稿用紙の上にたばしる時雨あらば孤立無援よ濡れてゆくべし

升酒やあかるいひかりてらしてよ力石徹 ウルフ金串

笑うため仰向いて飲む冷酒や酒のコップ三杯さよならを言う

順序を逆に最終回から第1回までの絵を見ていただきました。今までも原稿の声に耳を澄ましそれに応じてタッチも変える方法でやっていました。それでも同じ連載の中でのタッチは統一していたものです。この連載に限っては、もはやそれすらどうでもいいのではないかと思い、何も統一しませんでした。

時代考証秘話その2

さてさて、神仏習合を正面から取り上げた画期的な番組、歴史秘話ヒストリア「神と仏のゴチャマゼ千年 謎解き!ニッポンの信仰心」の時代考証に触れながら描いた絵をふりかえる第2弾でございます。

第1弾を終えた時点では、続けて第2弾をやる気だったんですが、時間が過ぎるとともにだんだん気持ちが失せてきて……いや、でも途中でやめるのも気持ち悪いしな……。

はい!

では、行きましょう〜!

時は748年、場所は大分県の宇佐。八幡宮の原型?のような神社が舞台です。

聖武天皇の使が唐に渡る前、宇佐に立ち寄り、祈った。

使はこう祈った。「無事に唐へ行って、黄金をもって帰ってこれますように」

さてここの時代考証。

八幡の巫女、大神杜女(おおがのもりめ)は鉄鐸から変わって「咒師の鈴」を持っています。

建築考証の先生からのアドバイス。

「社殿は中型で三間社、朱塗り、切妻造、階段はない。その前に簡素な土間床の三間の建物、いわば拝殿を作り、そこに空座の四角い畳をおいてはどうかと思います。そこに神を迎えて祭りを行うと考えます。」

と言われても全然わからん……。担当ディレクターの丁寧な説明と解説、資料の提供、そして考証の先生直々のラフスケッチを参考にして、はじめて絵に起こすことができました。この絵に至るまでに3回ほど修正をしたと思います。はい、では続きを。

すると八幡神が大神杜女(おおがのもりめ)におりてきて、お告げをくだした。

「汝らが求めるところの黄金はまさにこの国より出るであろう。使いを唐に送ってはならぬ」

「な、なんと」

すると翌年、陸奥国で金が発見されたのだ。

聖武天皇は大喜び。「は、八幡神の仰せのとおりじゃ!これで光り輝く大仏が造れようぞ」

さてここでの時代考証。

大仏は初代大仏です。現在の大仏とは違います。

写真はNHKのドラマ「大仏開眼」の時に作られた初代大仏の模型。

聖武天皇が頭にかぶっている冠(なんて名前だったかな)にぶら下がっている玉のジャラジャラ(たぶん正式名称はあると思います)の数は前、後ろとも12本づつなのが正解です。でもドラマなどでは、12本たらすと顔が隠れてしまい、俳優さんが嫌がるので本数を減らしてしまうことがあるのだそうです(本来、玉のジャラジャラは顔を隠すためにあるのでしょう)。

「装束考証の先生は12本ないのがちょっと不満だそうですよ」とディレクターにささやかれたので「だったらきっちり描きましょう!」と請けあいました。みなさん、12本ですからね。正確に描きましょう。

作画の資料を探しているうちに見つけました! 考証の先生をがっかりさせたのはこの俳優さんでしょうか。ジャラジャラは8本です!

次に「聖武天皇」と入れて検索すれば出てくるこの絵、立派な絵なのにジャラジャラは10本!惜しい!

しかし、ドラマ「大仏開眼」で孝謙天皇を演じた石原さとみのジャラジャラは12本あります!さすがです!でもかわいいお顔を見せるためちょっと短いのかな?

はい、粗探しはやめて次に行きましょう。

時は翌749年。

陸奥から黄金が見つかると、また八幡神にお告げがあった。

「われ都に行って大仏を拝むぞ」

一行は宇佐を立ち、奈良の都へ向かった。

一条大路を進む紫の輿に乗っているのは、八幡神。ただし人に見えるのは、巫女であり、尼でもある大神杜女(おおがのもりめ)の姿。 

輿は資料があります。

色はこんな感じだったようです。

「ようこそおいでくださいました」

転害門(てがいもん)で文武百官に出迎えられた輿は、大仏の前へと向かった。

転害門はほらこの通り現存しております。

「八幡の大神(おおかみ)、お待ちしておりました」 

聖武上皇と孝謙天皇の出迎えを受けた八幡神は、大仏を拝んだ。

天皇は聖武から娘の孝謙へと変わっています。石原さとみの役ですね。

そのあと僧5000人が読経し

唐の音楽や舞が披露され、八幡神をもてなしたのじゃ。

「そのあと僧5000人が読経し

唐の音楽や舞が披露され、八幡神をもてなしたのじゃ」と

セリフでいうと2行ですが、絵に描くのは大変です。

しかも映るのは1秒〜3秒くらいだったかな。

テレビの仕事は大勢の人に見てもらえるのが嬉しいのですが、一枚の絵はちょっとしか写りません。

まだ続きます。

次は神仏習合において、なるへそな大発明、本地垂迹説の説明パートです。

場所は須弥山世界。

世界の中心に須弥山という大きな大きな山がある。そのはるか上空に、仏や菩薩たちがおられる。

そんな須弥山世界を描いたアニメのワンシーン。

ちっちゃくてわからないけど、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来、普賢菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩、千手観音菩薩、如意輪観音菩薩がいます。

「仏の姿に間違いがあってはならぬ」という事で、ちゃんと描いています。でも、ほとんど映っていないけど。

いいのです。まっとうな仕事というのはこういう事です。

でも、ブログでは「ちゃんと描いとるぞ〜」と載せておきます。

仏たちは遠く東の、粟粒が散らばったような小さな島々の民、つまり日本の人々を救いたいとお思いであった。

釈迦「さいはての民は悟りから遠い。とはいえ我らがこの姿のまま現れても、彼らは驚くばかりでうまくいくまい。どうしたものか…」

文殊「お釈迦さま、これならいかがでしょう。我ら本来の光り輝く姿を隠し、彼らに親しみ深い〈神〉として姿をあらわせば」

釈迦「確かに、このままではさいはての民にはまぶしすぎようぞ。よきかなよきかな。では早速、ヘンシーン!」

文殊「ヘンシーン!」

観音「ヘンシーン!」

かくして仏や菩薩は日本の民を救うために、神の姿に身をやつして現れた。だから神々は実は仏が変じたお姿なのじゃ。なんとありがたいことではないか。

救いを求める日本人の絵。

アニメーターの幸洋子さんのアニメートで素晴らしいカクカクアホラシアニメに仕上がっていました。

ここまで書いて、かなり疲れてきました。

でも頑張ろう。あと少し!

時は鎌倉時代初期。

ここの時代考証は簡単です。「春日権現験記絵」をそのまま描き写せばいいのです。

奈良のとある寺の僧(頓覚坊)が、深く悩んでいた。

「春日大明神、お助けください」 

夜遅く春日に詣で、瑞垣のうちに入り込み、本殿のすぐ近くで法華経をよんだ。そして夜が明ける前に帰っていった。これを百日続けた。

百日目。疲れた僧は読経しながらつい眠ってしまった。

夢の中に美しい若君(春日神)が現れ、僧のひざのうえで遊んでいる。見ると髪の毛が濡れていた。

「どうして髪の毛が濡れているのですか?」

「おまえがよむ法華経がうれしくて、喜びの涙で濡れたのだ。でも法華経はライバル比叡山で大切にしているお経だよ。興福寺が大事にする唯識論だったらもっとうれしかったのに」

「それによく聞け。あまり近すぎるのはよくないぞ。これからは瑞垣の外でよんでね」

「はい、そういたします!」

僧侶がそう答えると、ひざがすっと軽くなった。

ここもアニメーターの幸洋子さんの力によるところ大です。

さあ、最後のパートです。

時は1868年3月。

場所は神祇事務局(二条城か吉田神社におかれていた可能性が高いのだそうです)。

 樹下茂国(じゅげしげくに)「諸悪の根源は、神道に仏教が混じってしもうたためじゃ」

国学者「けがらわしい!我が国の将来のため、仏教など払いのけよ!」

樹下茂国「神道を純粋なる頃に戻すべし!」

樹下茂国ともう一人神職の衣装は「狩衣(かりぎぬ)」です。

「直衣(のうし)」ではありません。違いは、狩衣は肩に切れ込みがあることです。直衣には切れ込みはありません。

ま、このようにして奈良時代から始まった神仏習合は明治の世に神仏分離させられたわけです。

本当に明治時代ってさぁ……ま、いいや。

前にも書きましが、神仏習合とはいい加減をええ加減に保つように工夫し努力してきた日本人の精神史そのものである!と私は主張したいですね。

あ〜ブログ長かった。

更新するの疲れた。

読むのも疲れたでしょ?

終わりだ!終わりだ!

今週はおやすみ

今週はボランティア活動に忙しく、更新は一回休み……という風に更新してしまっていますが、内容はナシということで。

あ、そうそう、WEB対談「イラストレーションについて話そう」が更新されております。

今しばらくのお付き合い何卒よろしくお願い申し上げます。

第13回前編 シュールな絵は好きですか? シュルレアリスム①

第13回後編 不思議な絵はどうやって生まれるのか シュルレアリスム②