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伊野孝行のブログ

ピッ句と一休さん

『ku+クプラス』というトンガった俳句雑誌があるのですが、3号目にして最終号という残念なお知らせ。

しかも第3号は紙に印刷して雑誌にするのではなく、webでのリリース。これまた残念。手に取り、触り、めでるだけでも気分が良かったものです。俳句は全く詳しくないのですけども。

最終号では、第1特集「ピッ句の野望」というところに絵を描きました。ピッ句というのは要するに俳画のことです。

俳人さんたちの間で「俳画というと墨絵っぽいから、新しい呼び名を考えよう」という意見が出て、ピクチャー→ピッ句チャー→ピッ句となった模様。はい、要するに駄洒落です。同人さんたちの俳句に触発されて、絵描きたちも俳画を展開させようというわけです。

私は山田耕司さんの「少年兵追ひつめられてパンツ脱ぐ」という句を選びました。
さて、この句はいったい何を言わんとしているのでしょうか。いろいろな受け取り方ができます。悩みました。
小学5年生の頃だったか、クラスの中で発育の早かったイケダくんの下腹部にはすでにCHINGEが生えていました。プールの日にみんなでイケダくんをからかってパンツを脱がした思い出があります。
少年兵とは文字どおり少年(子ども)と受け取っていいものか。いや、そこは兵だから、ツワモノでしょう。ツワモノが追ひつめられて「パンツ脱ぐ」。かわいさと緊張感とそこからのフリチン。私の頭には入道雲が高い夏の青空が思い浮かびました。
しかし、夏の青空なんか絵にしてもイマイチ面白くないな。俳画は俳句の添え物に終わってはいけないのです。ピッ句の野望がないじゃないですか。
それで描いたのがこの絵です。
少年兵とは童貞のことにしました。少年兵(青年かな?いや、中年だったりして)はドアの向こうの暗がりでまさにパンツを脱いでいるところでしょう。
今回頭を悩ませましたが、実は、いかように読める句の方が絵をつけやすい。「古池や蛙飛びこむ水の音」のような句に絵をつける方がかえって難しいのです。池に蛙が飛び込んだ絵なんて描いても、そのまんまじゃ〜ん!(いや、別に悪いと言ってるわけではないよ……)
〈画ばかりでも不完全、句ばかりでも不完全といふ場合に画と句を併せて、始めて完全するようにするのが画賛の本意である〉
これは正岡子規の、画賛はどうつけるべきかの見解なのですが、これはひっくり返せば、逆に句に絵はどうつけるか、にも当てはまるのではないでしょうか。山田耕司さんの俳句は完璧なのですが、自由な想像を許される不完全さがあるということね。
……正直に告白しましょう。
この絵はわりとうまくいったな!わはははは!うまくいってなかったらこんなに前置きタラタラ述べるかい!
第1特集「ピッ句の野望」はPDFでダウンロードできるので、他の皆さんの作品もお楽しみください!
はい、この話はこれでおしまい。
次、今週の『オトナの一休さん』いきます。
前々回、一休の兄弟子でライバルでもある、養叟(ようそう)が死んじゃいました。そして前回、応仁の乱で京都を焼け出され、一休一行は堺へと逃げ伸びます。
さて今回はそんな重い話とうって変わって、なんと恋の話!第21則『七十七歳の恋』です。
しかも相手は50歳年下の盲目の女性、森女(しんにょ)。二人は歳の差や身分の差をなきもののように惹かれ合います。もちろんこれもしっかり史実に基づいているんですよ。
個人的に、今回の一番の見所?というか、何回見ても笑っちゃうシーンがあるのですが、それは二人の仲を調査する、その名も文春(ぶんしゅん)という弟子が登場する場面です。
この文春の鉛筆を舐める舌の動きが傑作なの!動きだけでもおかしかったのに、音がついたらまた可笑しいの!今回の動きをつけてくれたアニメーターは円香さん。いつも音をつけてださるのは井貝信太郎さん。
このシーンは本筋にまったく関係なく、脚本にすらない動きだし、私も鉛筆持ってたら舐めるのがいいかなくらいで舌を出した絵を描いただけなのですが、最高にアホなシーンに仕上がっています。ぜひご覧ください〜。

キレる相撲口癖応仁の乱

この絵は「日経おとなのOFF」の「キレる老人の頭の中」というコーナーに描いたものです。
確かに、こんな老人を街でよく見かけるようになりましたが、これは脳の認知能力が低下していることが原因だと書いてあります。60歳代になると理性を司る前頭葉がかなり萎縮してくるらしい。でも、脳が萎縮したせいで怒っているとは自分じゃ気づかないんだからなぁ。
でも、良いお年寄りを見ると、ほんと名作を見るような気分を味わえるので、ぼくは年寄りが好きです。
あまりに頭にきて、ついでに昇天してしまう「憤死」という死に方があります。
誰だか忘れたが昔のローマ教皇で憤死した人がいると高校の世界史の時間で習いました。
そのときおじいさんの先生は「このナントカナン世は怒りのあまりに死んでしまったそうなんですなぁ…」と言い終わると教科書から目をあげて、教室中の生徒を見渡しました。
先生の口元には笑いが浮かんでいて、世の中にはこういう死に方もあるのだということを伝えるのが楽しそうでした。
一昨日、相撲が始まりました。
国技館にぶらっと行って二階の好きな席に座って、相撲を見ていた頃が懐かしくなる、今の相撲ブームですが、やはりあの不人気時代を一人で面白くしていたのは朝青龍ですよね。
「親の仇だと思って対戦している」なんて言ったり、怒りの形相がかっこよかったです。キレやすい性格だったけど、体の動きは誰よりもキレがありました。他の力士の1.5倍早かったね。そしてトークのセンスがよかった。
「~でね、~ね」という、語尾に「ね」をつけて喋るのって、たぶん朝青龍の口癖だったのかもしれませんが、あれがリズムが良くていいんですよね。
語尾に「ね」をつけること自体は一般的ですが、朝青龍独特の「ね」に強いアクセントを置く喋り方は文章を区切りやすくする、朝青龍の工夫だなと思いました。相撲の技に工夫を凝らすように、言葉も独特の工夫によって習得していったのでしょうか。
この朝青龍的に語尾に「ね」をつける喋り方は、白鵬や日馬富士、鶴竜など他のモンゴル人力士もやります。
これはぼくの想像なのですが、朝青龍と接しているうちにその喋り方がうつっちゃったのかもしれません。もしそうだとしても、外国人力士が日本語を習得するときに、誰かのマネから入るのは自然なことだと思います。
ところが、最近は稀勢の里も「~でね、~ね」って言うのです。これは相撲界で流行してんのかな(意外なところで朝青龍が受け継がれている?)って思ったのですが、皆さんはどう思いますでしょうか?あ、どうとも思わないですか。はい、すいませんでした。さて絵、今週(16日放送、19日再放送)の『オトナの一休さん』は第二十則「応仁の乱と一休さん」!
今回だけは笑えない内容。戦争と平和、今の時代にも当てはまる、人間にとっての永遠のテーマです。今回はいつもと違って壮大なカクカクアニメに仕上がっております。どうぞお見逃しなく!
Eテレの番組ホームページはこちら!

私の一瞬芸人志願

中学1年生の時だった。漫才師になりたいと思った。急にそう思いつめた……わけでもなくて、「笑い」は何年も前から私のスペシャルなものだった。

小学4年生までの私は、勉強は中の下、運動は下の下で、目立たなかった。当然、学校生活はつまらなく退屈だった。
人間の友達と遊ぶより、虫を捕まえたり、魚を釣ったりすることの方が好きだった。
海に突き出た堤防で、一人で釣り糸を垂らして、静かな波の間に浮き沈みするウキを見ていると、学校で閉じていた心が遊ぶのであった。
また、魚や虫のカッコイイ形に比べて、人間というのはなんてカッコワルイ形をしているのだろう、と思った。
ところが小学5年のクラス替えで、Y君という友達と仲良くなったことをきっかけに、私の学校生活は急に楽しくなった。
Y君はハンサムで、マンガのキャラを描くのも得意だった。何よりも運動神経が抜群に良かった。そんなクラスの人気者のY君は、どういうわけか私に強い興味を持った。
Y君は毎朝私の家に迎えに来るようになった。私の家は学区域の一番遠いところにあり、私の家から学校に行く途中にY君の家があるにもかかわらずだ。
(ただ仕事の絵だけを載せるのも愛想がないと思い、いつものごとく無理やりに自分の思い出話を書いてます。今週アップする絵は、日本農業新聞で連載中の島田洋七さんの自伝エッセイ『笑ってなんぼじゃ!』の挿絵です。しばらくは少年時代なので『佐賀のがばいばあちゃん』の世界です。挿絵の後に、思い出話の後半があります……えっ?)
Y君は私を「おもろい」と言った。
まったく意外だった。Y君のおかげで私は、自分が時々おもしろいことを言う人間だということに気がづいた。さらにY君は「うまいなぁ」と言って私の描いたマンガの絵を褒めるのであった。
休憩時間にみんなでボール遊びをする時にはこんな具合だ。
チームわけをしなくてはならない。通常は運動神経の良い二人がリーダーとなって、交互に戦力になりそうなヤツを選んでいく。私はいつも一番最後の残り物だったのだが、リーダーであるY君はいつも一番先に私を指名した。他のクラスメートが不思議な顔をしてY君を見つめた。
そんなに私のことが好きなんだ!と驚いたが、その愛の確証は私の気持ちを強くした。
ある日、私は「今日はドッヂボールやなくて他の遊びがええなぁ」と言ってみた。
するとY君はすぐさま賛成してくれて、他のみんなもそれに従った。私の意見が通る。画期的なことだった。
そんなわけで、私は虫や魚との付き合いをやめて、人間たちと付き合うようになった。Y君が私のことを宣伝してくれるので、クラスの中でもだんだんと存在感を増して行った。自分は案外目立ちたがり屋の性格なのもこの頃知った。ついには学級新聞のアンケートにおいて私は「ひょうきん者部門」第1位に輝いた。
中学に上がり、Y君ともクラスが離れ、だんだん疎遠になり、私は元の地味な生徒に戻って行った。また学校が退屈になった。
虫や魚にはもう興味がなかった。心が遊ぶのは、テレビでお笑い番組を見ている時だった。
「芸人になりたいなぁ……」
ちょうどその頃、街のスーパーマーケットの開店イベントがあり、本物の芸人がやってきた。オール阪神・巨人と月亭八方と、あともう一組いたが、今となっては思い出せない。
芸人になりたいなんてことは友達にも言えず、当日は一人で見に行った。人垣の後ろから、背伸びをしながら、漫才と落語の舞台を見た。地方営業にも手を抜かないプロの仕事に非常に満足を覚えた。そしてまた一人で自転車に乗って帰った。
その夜、布団の中で「やっぱ、芸人になるのはやめよう、無理だ」と思った。厳しい修行にとても耐えられない。第一どうやって芸人になるんだ。ぼんやり憧れていた自分が恥ずかしかった。
以上、ハシカにかかったような私の芸人志願期間についてである。おわり。

スカーフと一休さん

みなさんGWいかがお過ごしですか?

私は今まで一度も有給休暇というのをもらったことがありません。バイト時代も今も、休みの日=無給なので、働かなくても金がもらえる有給休暇に憧れています。

一度だけ有給休暇がもらえるチャンスがありました。

10年ほど前キンコーズで半年だけバイトをしていた時のことです。キンコーズはちゃんとした会社なのでバイトにも有給休暇がつくことになってました。キンコーズは当時、求人をある人材派遣会社に委託していたので、私はキンコーズで働きながらも、その人材派遣会社からお給料をもらっていました。労働条件はキンコーズに直接雇用されている人と全く同じでした。

やっと半年が過ぎ、有給が5日ほどつくことになったので、どう使おうかと、楽しみにしていました。ところが、ちょうどそのタイミングで、キンコーズとその派遣会社は契約を解消してしまったのです。

派遣会社から電話がかかってきました。

「もちろん、伊野様には引き続き、キンコーズ様で働いていただけるのですが、そうすると伊野様とキンコーズ様とで再度契約を結んでいただくということになります」

「はぁ……ってことは今まで半年間働いて、やっと有給休暇がつくことになったんですが、それも白紙に戻るということですか?」

「そうですね。そういうことになります」

「え〜!私、有給休暇だけを楽しみに働いてたんですけどぉ〜」

というわけで、有給休暇はまぼろしと消え、ムカついたのでキンコーズを辞めてやりました。

さて、主に関西方面の方にお知らせです。

「しあわせのスカーフ」展

ウラン堂ギャラリー & galerie6c 合同企画展、30人のクリエイターによる正方形のメッセージ。苦楽園口駅前の2つのギャラリーを巡って楽しむ「しあわせのスカーフ」展というのに参加します。2017.5/10wed〜5/28sun

「しあわせのスカーフ」展はコチラ!

これはスカーフのデータ。古代中国をモチーフにしております。これはバンダナ。茂田井武をモチーフにしております。どっちも絵は使いまわしですけども。これは去年のマン・レイのスカーフとゴッホのバンダナ。

「ウラン堂」さんは『画家の肖像』の巡回展をやらせてもらったギャラリーです。

さて、『オトナの一休さん』見てますか?

友達も「あ、ごめん、最初は見てたけど、最近は忘れてた」とか「え、シーズン2もやってるの?」とか油断がならねぇ。

シーズン1は時系列にあまり関係なくエピソードを並べていましたが、シーズン2は時系列に沿って話が進むのです。だから1回たりとも見逃してはならないのでございます。

今日(5月2日)も夜10時45分から放送されるよ!今回は一休は兄弟子の養叟とマジで大喧嘩します!次週は、そんな兄弟子の養叟が死んじゃう!再来週はいよいよ応仁の乱がはじまる!これは見逃せない!でも5分間番組なので普通は見逃してしまう。だから毎週録画してね〜。

オトナの一休さんはコチラ!

 

最近の挿絵

25、6歳の頃、時代物専門の挿絵画家になると決めた。

その頃時代物を描こうなんていう若者は極めて稀であった。

しかし、自分で決めただけで、仕事はいっこうに来なかった。

無聊をかこつ間に出版界には時代物ブームが訪れ、「それ見たことか」と予想が的中したことに得意であったが、悲しいことに自分はその時代物ブームの波には乗っていなかった。

「あぁ、オレの目論見は見事失敗に終わったことよ…」と時代物ブームの大波を見ながら、砂浜で蟹と戯れているような日々が15年近く続いた。

あの蟹と戯れていた不遇の時間が、コチコチの挿絵画家志望からよろずなんでもイラストレーターへと変態をうながしたわけで、今となっては絶対に必要な時間だったわけだ。しかしいつ報われるともわからない日々の中で「いつまでオレは蟹と戯れてりゃいいんだ!カニめ!カニめ!カニのバッカヤロー!」と我慢しきれず、叫んだものである。

いや、カニはさっき思いついた例えなので、カニのことは叫んでいない。それにこの苦労話は何度も書いたので自分でも飽きているのだが、「無聊をかこつ」という最近知った言葉を使いたくて、つい書いてしまった。

というわけで、いろんな仕事をいただいていても、やっぱり嬉しい時代物挿絵なのだ。小学館の「STORY  BOX」で連載していた谷津矢車さんの『しょったれ半蔵』が最終回を迎えたので、今週はその挿絵と、他に単発物、そして今度から始まる新聞挿絵のお知らせです。

ブログに載せる時に、気に入ってない挿絵は省いてしまうのが常だが、この『しょったれ半蔵』はギリギリ全部オッケーということにしておこう。めずらしいことだ。いいことだ。

ところで、あのぉ、ええっと、この雑誌さぁ、イラストレーターのクレジットが小さすぎない?…。欧文なのはいいとしても。
名前がデカいと格好悪いのか?一応こちらも自分の名前を売って商売をしているフリーランスなんである…。この小さい欧文の名前を見ていると、自分たちの仕事の境遇を思い知らせれるようでちょっぴり悲しくなってくる。この件は書こうか書かまいか迷ったが、やっぱり書いてしまった。「オール讀物」に掲載された平岡陽明さんの『監督からの年賀状』の挿絵です。
このところ「オール讀物」で平岡陽明さんの短編が載る時は、挿絵を依頼されるようになった。作家とコンビのような存在になれるのは、挿絵をつけるものとしては望外の嬉しさがある。
平成の世を舞台にしても、良い意味で昭和な感じが漂う小説を書く平岡陽明さんは、私より絶対に年上だと思っていたが、プロフィールを読むと6つも年下なのに驚いた。四十も過ぎれば、もう年上とか年下とかもう関係ないみたい。年上な感じがする年下の人って、たのもしくていい。平岡さんとはお会いしたこともないのですが。
ちなみに私は32歳くらいで精神年齢がとまってしまった。「日本農業新聞」で島田洋七さんの『笑ってなんぼじゃ!』という連載が、昨日からはじまった。小説ではなくてエッセイなのだが、新聞小説の欄で掲載される。
「日本農業新聞」が毎日送られてくることになったので、今までとっていたA新聞をやめてしまった。最近新聞も全然読めてなくて…。
「日本農業新聞」は〈青森県 ナガイモ首位奪還へ〉〈JA場所 満員御礼〉といった記事が満載で、これだけ読んでいても世の中のことはわからない。いや、かえって特定の視点から眺めた方が、世の中のことがよくわかるかもしれない。

風刺画嫌い、パロディ嫌い

「シャルリー・エブド襲撃事件」があった数日後だった。

面識のない某女性週刊誌の男性記者から電話があった。

内容は『The New York Times』に掲載された安倍首相の風刺画についての感想と、風刺画が日本に与える影響について、意見を聞きたい、ということだった。
何より驚いたのは、私のところに電話がかかってきたことだ。私は新聞や週刊誌などで風刺画を連載をしているわけでもないし、もろに風刺画っぽいものも、たまに仕事で頼まれて描くくらいだから。
たぶん、「風刺画 イラストレーター」とかいう検索ワードでひっかかったのかな。
電話取材では何と答えたか忘れてしまったし、結局、その記事は編集の都合で掲載されることはなかったのであった。
今回アップしたオバマとトランプの絵も、風刺画ってほどのものではないが、当然頼まれ仕事である。図にするとわかりやすい「ZUNNY」というサイトのために描いた絵です。4月いっぱいはサイトで読めるらしいです。
私は風刺画なんてもともと興味なかった
風刺画と呼ばれる絵はみんな古臭い気がしたし、そういうものしか知らなかった。風刺画が嫌いというより、風刺画のビジュアルに好きになれるのが少なかった。
絵のニュアンスの問題だと思う。
おちょくるのも、ふざけるの好きだけど、ただ、批判が前面に出ているだけっていうのは、あんまり好きになれないなぁ。
思わず笑っちゃって、後で考えたら風刺にもなってるんだなぁ、くらいが個人的には好き。ようは面白ければいいんだけど。
自分の絵が風刺画に向いていると言ってくれる人もあり、いつの頃からか意識しだすようになった。
※これは風刺画か?ただふざけて描いた、銀座の文豪である。
※これは風刺画か?雑誌のアンチエイジングの特集のために見開きに描いた。意図していないが、すごく嫌味な絵でもある。
※これは風刺画かもしれない。「日本美術における戦後民主主義とは何だったか?」というテーマのコラムに描いた絵だ。吉本隆明の「共同幻想論」は読んだことはない。
※こういうのがいわゆる風刺画だろう。
さて、風刺画のお次はパロディといこう。
先日東京ステーションギャラリーでやっていた『パロディ、二重の声  日本の一九七〇年代前後左右』を見て、パロディで面白いことをするのって難しいんだなぁ、とつくづく思った。
展覧会には、寄席にブラックジョークでも聞きに行くつもりで出かけたのだが、肩透かしをくらった。
長谷邦夫さんのパロディ漫画『色ゲバ』(ジョージ秋山と谷岡ヤスジの漫画のパロディ)があったんだけど、これが……ぜんぜん……面白くなくて……。
しかし、赤瀬川原平さんのつげ義春「ねじ式」のパロディ『おざ式』は感動的に面白い!ほんとうに素晴らしい。ますます大尊敬だ。伊丹十三さんがレポーターをつとめる「アートレポート」という美術番組が見れたのもラッキー。和田誠さんの言葉はいつもわかりやすくて、本質をついている。ステーションギャラリーのパロディ展は、面白いパロディを集めた展覧会ではないから、「あんまり笑えないじゃん」と言って文句をつけるのはお門違いではある。そのへんのところは、発売中の芸術新潮の小特集でキュレーターの成相肇さんが語っておられるのでお読みください。
これらの絵は成相学芸員が出品作のパロディの格好をして解説をしている絵で、たいして面白くないパロディです。どうもすいません。
ちなみに成相肇さんは似顔絵が描きやすい顔なのだが、気を悪くされておりませんでしょうか。
しかし、同業者としては、パロディや、ナンセンスや、風刺画というのは美術のお笑い部門なのだから、笑わせられなかったら負けだぜ……なんていう眼でどうしても見てしまうのである。
実は私はパロディも嫌いだった
『画家の肖像』の絵を描いている頃(2010年)だった。いろんな画家の肖像を描いていると、どうしてもパロディになってしまうことが避けれれない。「わ〜なんかパロディみたいなだなぁ、ヤダヤダ」と思いながら描いていた。パロディはすでに終わったジャンルのように思っていた。
まず、パロディは、一目見て何のパロディか分からなければいけない。しかし、これがクセモノだ。
たとえば、ゴッホの絵をパロディにするとき、ゴッホのタッチのままで何か他のものを描けば、パロディになるけど、それがそんなに面白いの?という話だ。それだけでは面白くない。
「一目見て何のパロディか分からなければいけない」とされるパロディは、宿命的に頭の中で作品の因数分解が簡単にできてしまう。面白さの内容が割り切れると、面白さは瞬時に消えてしまう。
パロディ絵画は言葉に置き換えやすいので、そこがつまらん。
面白い絵を見たとき、それを言葉で伝えるのはとてもむずかしい。頭と体の中にはおもしろさが充満しているのに、なかなか言葉に置き換えられない。きっちり説明ができないからこそ魅力的なのだとも言える。言葉に変換できないものこそが絵の本質だ、と大見得切ってもいい。
だからパロディで面白いものを作ろうとしたら、言葉で簡単に置き換えられないニュアンスをどんだけ込められるかだと私は思った。
これらは『画家の肖像』で「パロディみたいでヤダヤダ」と思いながら描いた絵だ。
炎の画家、狂気の画家、といったイメージを裏切るような安らかな眠りの中にゴッホはいる。『星月夜』は、私にはやさしい静かな絵に思える。ゴッホもいい絵がかけた時は満足して眠った夜もあっただろう。私はゴッホの絵を見て、狂気よりも慰めや癒しを感じる。
高橋由一はニッポンの油絵レジェンドなのだが、描くものがヘン。吊るしたシャケ、ブスな花魁、豆腐と焼き豆腐と油揚げを並べて描いたり……。何を描くがものすごく重要ということをレジェンドはわかっていらっしゃる。というわけで考える画家、高橋由一の肖像だ。決して今晩のおかずを考えている江戸時代の料理人ではない。
『階段を降りる裸体』から『泉』まで一気に現代美術の歴史を進めた大天才デュシャンも小便は我慢できなかった。イエスも釈迦も小便は我慢できなかった。
これらの絵は自分ではパロディと思って描いていない。画家や作品の感想文を、絵で描いているつもりなのだ。結果的にパロディのように見えるなら仕方ないし、あえてムキになって反対する気もない。
パロディが面白くないのは、パロディをしようと思って作るからではないか……そんな気もする手前味噌。
ひょっとして、宣伝?……そうだよ、そうだよ、パロディを超えた絵による絵画論、拙著『画家の肖像』を宣伝するために、ここまでブログを書いてきたのだよ。なんかまだ在庫がいっぱいあって、版元の住居を狭くしていると聞いたから。Amazonでポチれるらしいので、たまには宣伝しようと思いましてね。1冊くらい売れてくれとる嬉しいのですが……。
おわり。

長沢節と美少年

このブログは自分礼賛、自慢話をするために開設、更新されております。

あなたは美少年、もしくは美少女と呼ばれたことがありますか?
わたしはあります。ただ一人の人だけに。
美少年……なんて心をうっとりさせる甘美な響きでしょう。
でも、わたしは世間一般で言うところの美少年とは程遠い顔です。
そういえば、小さい頃、全盛期の郷ひろみがテレビに映るたび、「あんたの方が男前やに」と母親はわたしに言い聞かせていたので、小学校の高学年くらいまでは全くコンプレックスも持たずに育ちました。
単なる親のひいき目に過ぎなかったことは、思春期になって、他人をよく観察しだすと一目瞭然なのでした。
デコチンで眉毛がぼんやり薄く、目も小さいし、美しい鼻梁があるわけでもなく、たらこ唇で……と数え上げればきりがなく、おまけに中学に上がると度の強い眼鏡をかけるようになり、顔じゅうにはニキビができて……高校生になって念願のコンタクトレンズにして、ニキビもおさまりましたが、それでも地味な顔であることには変わりありません。ところが、大学卒業後、セツ・モードセミナーに入学すると、事態は急変!なんとわたしは美少年と言われたのでした。それも世界中の美少年と美少女しかモデルに選ばない画家、長沢節にです。
長沢節好みの美少年とは?
ちょうどわたしがセツに入学した頃、地下鉄サリン事件が起こり、連日テレビにはオウム真理教の幹部たちが出ていました。
カリスマ校長であった長沢節先生は「セツがオウムみたいだって言ってる人もいるらしいよ。プッ!バカみたい」と生徒たちが腰かけているテラスのベンチにやってきて、生徒の耳をひっぱって笑っていました。
そして「麻原はブタみたいだけど、幹部はみんなカッコイイね〜」と言うのでした。
映画の本も何冊も出している先生には、ひいきの俳優がいるわけですが、例えば日本人で言うと、寺田農や小倉一郎といったところが先生の好みなのです。トシちゃんもいいと言っていました。
顔の好みもあるのかもしれませんが、なんと言っても、それ以前にゴツゴツとした骨美や華奢で筋ばった肢体を持っていることが条件なのです。長沢節好みの美少年とは顔じゃなくて体のことだと言っても過言ではありません。ちなみにヴィスコンティの「ベニスに死す」に出てくる美少年アンドレセンみたいなのは気持ち悪くて嫌いだと言ってました。
この辺りが世間の美少年観と大きく違うところです。「あなたはセツに行ったらきっと長沢先生に気に入られるわよ」と友人に言われてセツに入ったものの長沢先生に見向きもされなくてがっかりして学校辞めちゃった美少年が今までに何人もいた……らしいですが、きっと彼らはいわゆる美少年だったのでしょう。入学を推薦した人も誤解をしています。男らしい筋肉隆々とした肉体美とは程遠い、貧素な体がセツでは神に選ばれし肉体ということになるわけですから、わたしのコンプレックスなんかいっぺんに吹き飛びました。絵を描くことを教わったという以上にわたしは人生を救われたのです。
……という出来事が今から20年前にありました。セツでモデルのバイトをしていたことも今は昔の物語です。53キロだった体重も今では7キロも増え、天国の長沢先生にあわせる体がありません。死ぬ時には体重を元の53キロに戻しておかねばなりません。
そんな風に今の自分を反省したのは、ちょうど現在、弥生美術館で長沢節展をやっているからです。
 先日、展覧会に行ったら私がモデルをした絵が5点も出ていました。
1点くらい出てたらいいなぁ、とは思っていましたが、予期せぬ大漁に「あ、これオレ!」「ねぇちょっとこっち来て、これとこれとこれとあれもオレ!」と一緒に行った友人たちに自慢しまくりました。
一緒にいた友人の中には長沢先生最後の大お気に入り美少年(先生のお別れ会で弔辞も読んだことのある)村上テツヤ君もいました。彼のデッサンは1枚も出ていない。わーははは、勝った……!と思いましたが、まぁ、これは学芸員さんのチョイスなので、長沢先生が選んだわけではありません。しかし気分がいいものです。
わたしはチビなので、長身の人がポーズを取った時に出るダイナミズムが自然には生まれません。だからポーズにはいろいろな工夫をしました。なるべく360度どこから見ても、描きたい体の線が発見できるよう、部屋の姿見で研究したものです。
「お!いい線でてるぞ!描かなきゃ損だ!」と先生に言われたくて必死に頑張りました。
先生は一回の授業で、普段は2、3ポーズ、興が乗れば5、6ポーズもデッサンをとります。そしてデッサンを自慢げにパチンパチンとマグネットで黒板に止めて教室を出て行くのですが、わたしはなるべく先生が描く枚数を多くしたかったのです。とっておきのポーズは先生が教室に現れてから披露しよう、などと考えていました。ワンポーズ10分なのですが、大きく体をひねったり、腕を上げたりすると、体が悲鳴をあげて、プルプル震えがくるのです。でも先生のために頑張りたいのでした。
それが立派な長沢節信者のとる行動でしょう。ま、先生が教室にいないときでも頑張ってましたけどね。
ちなみにポーズの良し悪しは、自分がデッサンを描く側に回るとよくわかるのです。
(前略)服装は女と共通のTシャツと白いコットンパンツだ。ボトムのすそをまくり上げて、女より細い脚からは思いがけなくもすね毛が生えてるので驚いた。それが骨の鋭さと妙にマッチして、とてもセクシーだったのである。
今までの行儀のいい男なら、人前でこんな格好をしないだろうに、この男は自信に満ちてスニーカーのかかともふんづけていた。
切れるような細長いアキレスけんを誇示してるのだろうか?とがったくるぶしの骨とでつくりだす溝の谷間の陰影が深く美しい。
今まで気付かなかったが、アキレスけんへ続く玉ネギみたいなピンクのかかとというものが、こんなに魅力的なものだったとは!いきなり触ってしまいたいほどのかわいさではないか! 
もしここに靴ダコでもできてしまったらもう大変……。パウダーやアイシャドーをうまく使って、丁寧にメーキャップした方がいいと思う〉
(『節のヤングトーク』より 共同通信社より配信 1998年)
文章(展覧会図録に収録されている)を書き写しているうちに恥ずかしくなってきました……。このエッセイは授業中に描いたデッサンを元に、先生が連載のために後でつけたものですが、くるぶしやらかかとやらを絵と文章でこんなに魅力的に見せてくれた人がいたでしょうか(このデッサンは右肘のゴツッと出っぱった感じもウマい!)。長沢節に発見されなかったら、わたしのくるぶしもかかとも靴下の中に隠れたままだったろうし、スニーカーのかかとはふんづけていませんでした。
展覧会場でデッサンを見ながら「このポーズも先生のモチーフになりきりたい一心でとったんだよなぁ……」と昔の記憶が蘇ってくるのでした。
今ではポーズをとる筋力も体力もなく、腹は出てるし、身体中に情けない中年の哀れな感じがまとわりついています。そしてもちろん美少年ではありません。地球上で唯一わたしのことを美少年と言ってくれた長沢節先生は1999年に自転車事故で亡くなりました。その時点でわたしはただの冴えない男に戻ってしまったのです。お腹の周りの肉は完全に自己責任です。
先日展覧会を見に行った時も、セツ仲間と大いに共感しあったことがありました。長沢節に出会って以降、長沢節以上に変わった人に出くわさないってことです。その素晴らしい変人っぷりは、生身の先生に直接会った人でないと感じ取れない部分が多く、先生の文章と絵だけでは実はあまり伝わらない気がするのです。そこがファンとしては悔しいのです。
ただ、数ある長沢節本の中に散見される「先生があんなんことした、こんなこと言った」というしょうもないエピソードはどれも抜群に面白く、そんなところに人柄が濃厚に現れていると思います。
たとえば、こんなところにも。
〈長沢先生と学校近くのラーメン屋とか行くとですね「おマエなんにする?オレもやしそばとギョウザ!」とか屈託のない大きな声で言ったりするのです。ちょっと苦笑いしてしまいます。そして、その辺に置いてあるラーメンのしみのついた『週刊平凡』なんかをペラペラめくって、タレントの写真を見ながら「あっ、オレこれ好き!」とか「これ、キライ!」とかやはり屈託のない声で言ったりするのです。まるで女子中学生です。見かねて「先生ちょっと恥ずかしい……」と小さな声で言うと「あっ、そっか、ごめんごめん」と素直に謝るのです。そんな天真爛漫な長沢節先生のことを思い出すと本当に懐かしくて仕方ありません〉峰岸達さん『長沢節 伝説のファッションイラストレーター』河出書房新社刊より。
〈長沢先生が、試写に行くから一緒に行こうよ、なんて誘ってくれるの。着替えてるから待ってろって。で、降りてくるとピンクのコーデュロイのスーツにロングブーツでしょ。パンチやメンクラに出てはいても、こんな奇抜な服、着るバカいないよな、と思うようなファッションじゃない。それで威張って歩くんだよね。地下鉄に乗ると、バーッと走って空いてる席とったりさ、ヘンなんだよねェ。この人はほんとうの変人だ、と思いました。最初は理解できなかった。
それがじきに、馴れるなんてもんじゃない、オレもセツ風のヘンな人間になりたいと思った。前に絵を習ってたのは受験のための絵の学校だったけど、セツはまるでちがう。遊びを勉強させてくれる学校なんだよね。人の家へ遊びに行って朝まで喋ってるなんていうようなことが、信じられないくらい楽しかった〉早川タケジさん。『セツ学校と不良少年少女たち』じゃこめてぃ出版刊より。
人を惹きつけてやまないカリスマ性はきっとこんなところにあるのではないかなぁ。あとお得意のチンポコの話とかね。そしてたまに人を凍りつかせるようなことも言ったり……だから、わたしは長沢節小話をなるべく多く採集、編集して文献に残すことが、これからの長沢節研究と後世のファンのために必要だと思うし、なんと言ってもわたしがそれを読みたいのです。せつに。
実は、webの「チルチンびと広場」というところで「私のセツ物語」というコーナーがあります。一昨年の展示「ぼくの神保町物語」で、長沢節先生との思い出を書いたわたしの文章をお読みになった、Mさんが思いついた企画だそうで、わたしも一文を寄せています。ここでもセツ小話が聞きたいと呼びかけています。というわけで、卒業生の皆さん、Mさんから頼まれたら是非セツ小話を書いてくださいね〜。

オトナの一休さん2

本日4月4日(火)22時45分から『オトナの一休さん』のシーズン2がスタートします!シーズン2は二枠あって、放映日時は毎週火曜の22時45分毎週金曜の11時45分です。ついに健全なお昼の時間帯にも進出したわけです。

シーズン1が放映される前には、LINEニュースをはじめ各ネットニュースに取り上げられたり、ホリエモンがいいねと言ってくれたり、関係者一同、狂喜乱舞したものですが、シーズン2直前は静かなもんですねぇ……ていうか、宣伝が「他力本願」ですなぁ、仏教だけにね……。

というわけで、誰も見ていないに等しいこのブログでもガンバって宣伝いたします。

シーズン1では、如意庵の住職を請われた一休宗純が、商人たちとズブズブになっているお寺の実態に嫌気がさし、たった十日で住職をやめ、旅に出てしまうところで終わりました。

あれから半年後……狂った風とともに一休宗純は来たりぬ!(第十四則「帰ってきた一休さん」より)
シーズン1で憎めないクソジジイっぷりを見せつけてくれた一休和尚ですが、シーズン2でもそれは相変わらず。でも、室町という時代は、いま大流行のあの「応仁の乱」が待っています。
中公新書のベストセラー、呉座 勇一著『応仁の乱 – 戦国時代を生んだ大乱 』はすでに28万部を突破し、20秒に1冊売れている!と、このまえ電車の広告で見ました。お読みになりましたか?
かくいう私もその1冊を買った者です。ちょうどタイムリーに『オトナの一休さん』で応仁の乱の絵を描くところでしたから。
しかし、自分に歴史の知識がなさすぎるのか、『応仁の乱 – 戦国時代を生んだ大乱 』は大乱が始まるまでの文章がちょっと不親切で、よく分からない固有名詞や、似たような名前がポンポン出てきて、名前も最初はルビがふってあるのですが、次のページからはなくなってしまい、なんという読み方だったかわからなくなり、余計に頭に入ってこない。でも文章自体は読みやすく、ツルツルと読めてしまう。ハタと気づくと何も理解できていない……という具合で、何度か途中下車してやろうかと思いましたが、我慢して読みました。その甲斐あってか、大乱が勃発した後は、わりと面白く読めました。
他の「応仁の乱」の本と読みくらべたわけでないので、この新書がどれほど画期的なのか、自分ではよくわかりません。
それでも、一休宗純が生きた時代がどんな時代だったか、その一端をうかがうことはできましたし、読んで損ということは絶対になかった。ただ、これがなぜそんなにベストセラーになっているかわからなかっただけで……。
という話がしたかったわけではないのです。『オトナの一休さん』シーズン2ですよ。
シーズン2では、親しい人たちとの死別、先ほど言った「応仁の乱」による世の中の混乱、一休自身の老いなどがからまりつつフィナーレに向かっていくでしょう(まだ絶賛制作中です)。でも一休さんは人目を気にせず笑ったり、泣いたり、怒ったり、自分がわからなくなったり、恋に落ちたり……あの調子でやってますので、最後までお付き合いのほどよろしくお願いいたします!
(第十四則「帰ってきた一休さん」)より(第十五則「一休、自殺を図る」より)(第十六則「一休さんは強がり坊主」より)
登場人物・キャスト
一休宗純(いっきゅう・そうじゅん)=板尾創路/養叟宗頤(ようそう・そうい)= 尾美としのり/蜷川新右衛門(にながわ・しんえもん)=山崎樹範/弟子たち/=夜ふかしの会
スタッフ
作 ふじきみつ彦/絵 伊野孝行/アニメーション 野中晶史 飯田千里 幸洋子 円香/音楽 大友良英 マレウレウ

やったぜ!たけちゃん3

新潮社から3カ月連続刊行されるビートたけしさんの『たけしの面白科学者図鑑』、シリーズ第3弾『人間が一番の神秘だ!』のカバーを描きました。4月1日発売です。ついにこのシリーズも完結です。さっそく、カバーと他のアナザーバージョンのラフをご覧ください。最後のアイデアがいいんじゃないかということで、もうひとひねりして、人類の進化コマネチにしてみました。ご覧のように、この時点ではコマネチポーズはみんな同じだったのですが、「人類の進化に合わせて、コマネチポーズもコマ送りにしてはどうか?」という提案が新潮社からありました。そして、コマ送りがわかりやすいように編集部のエラい人がコマネチを決めている連続写真が、資料として一緒に送られてきました。楽しい……。こんなことをされると自然に微笑みがあふれ、ガンバロ〜!という気になります。さすが仕事が丁寧な新潮社です。

なお、この編集部のエラい人(気を使って私の方で顔を隠しておりますが)はまだそんなにエラくない時に、本の宣伝でスーパージョッキーの熱湯コマーシャルに出た経験がおありだとか。その本(ムック)は1999年に出た『新潮45別冊2月号コマネチ!ビートたけし全記録』であります。私も発売時に買い、熟読したものです。こちらが原画。実際のカバーではバックの色が少しハデ目になっています。
先日、3月26日放送の『TVタックル』でたけしさんが本を宣伝するという情報を聞き、テレビの前で待ち構えていました。短い時間でしたので、特にカバーの絵については何も触れていませんでしたが、ま、たけしファンにとっては記念すべき出来事でございました。殿のお顔の下に私の名前もちゃんと入っております。これもファンにとっては記念であります。
さて、自慢話はこの辺にして、内容の方にも触れてみたいのですが、3巻のラストを締めくくる対談のお相手が、西江雅之先生という方でした。私は本当に無知蒙昧な人間で、西江先生を今まで存じ上げなかったのですが、めっちゃオモロイ先生なんですよ!いいお顔ですね〜。西江先生は子どもの頃から変わってます。野球とか普通の子が夢中になるようなことには興味がなく、そのへんにいる虫や生き物を捕まえて食べていたらしいです。そのへんの生き物を食べちゃうのは、大人になって文化人類学のフィールドワークのために未開地に入っていくときもやっています。そのせいでお腹こわさないんだって。
〈人間は、生活のあり方に絶対的な根拠がない動物なので、時代ごとに、地域ごとに、次々に根拠を作り、そして作り替えていく。しかし、今や、「人類の根拠」なるものを作りはじめている。世界中の人間が、たった「一つの文化」という物語を信じはじめている〉
対談のラストで、西江先生はこうおっしゃいます。ここだけ聞くと、「まぁ、そうだよなぁ、それぞれの文化を大切にしないとなぁ」と思うでしょう。その時頭に何が浮かんでいますか?着物を着た生活ですか?ご近所同士の醤油や味噌の貸し借りでしょうか?はたまたブッシュマンのような狩猟採集民の生活でしょうか?
甘いですね。西尾先生が話してくれる世界の多様性は私たちの想像を超えています!「母乳の代わりに精液を飲ませる文化」とか「親父が息子と出会った時に、挨拶代わりに息子のポコチンを握る文化(息子の息子だから孫を握ることになる、とか言って二人で爆笑しています)」とかね。もっといろんなことが対談で話されています。
西尾先生のプロフィールに「エッセイの名手としても知られる」と書いてあって、すっかりファンになった私はさっそく先生の本を注文しちゃいました。ただ、残念なことに先生は2015年に77歳でお亡くなりになったようです。
しかし、本が次の本を紹介してくれました。いや〜読書って素晴らしいですね。ぜひ『たけしの面白科学者図鑑』シリーズを買いましょう!

女もすなり益荒男日本史2

先月、生まれてはじめて健康診断を受けた。

結果は要医療が1つ、再検査が2つ、経過観察が4つもあった。年齢より若く見られるのに、中身は完全なオッサンだったわけだ……。結果の通知には「不摂生を排除して再検査を受けましょう」と書かれていた。恐怖心がお酒の誘惑を上まわったので、その日からピタリと酒をやめた。

するとどうだろう、三日目あたりで、顔がすっきりした。特にむくんでいる自覚もなかったが、実は顔がむくんでいたようだ。同時にお腹周りの贅肉も少なくなった。なんてこった、とんだ毒水を飲んでいたもんだ。

もともと食事の味は濃い方ではなかったがさらに減塩し、羽根木公園に運動に出かけるという極端な日々。楽しい飲み会でも一滴も酒を飲まず、ひたすらノンアルコールビールを飲み続け、ある店では在庫の全てを飲みつくしてしまったこともあった。

そして毎日のように、引っかかった項目をネットで調べる。特に、眼底に軽度の異常が見つかったのが恐ろしい。もともとド近眼で裸眼では0.04しか視力がない。強度近視の人は眼の具合が悪くなる確率は普通の人より高いらしい。そういえば、最近さらに眼が悪くなったような気がする。

「いかん、こうやってスマホで病気のことを調べていること自体が、眼に負担をかけているかもしれない」そう思って、スマホをポケットに入れて、揺れる電車の中(余計に眼に悪い)から、車窓の遠くの木の緑を見つめるのであった。

検査結果にビビって3週間、禁酒と適度な運動を続けた後、再検査を受けるとすべての数値は基準値以内におさまっていた(血圧だけは低くならなかった。高齢者並だという)。

「はじめて健康診断受けてビックリしちゃったのね」と病院の先生は笑っていた。どおりで自分の不健康の話を年上の人に話しても、誰もまともにとりあってくれなかったわけだ。「なんだ四半世紀ほぼ毎日酒を飲んでいたのに、たった3週間やめただけで、元に戻るのか……」そう安心したが、なぜか快気祝いの祝杯はノンアルコールビールを飲んだ。

ノンアルコールビールにはまっている。だいたい私はビールを数杯飲んでも酔っ払わない。それなら家で飲むときは、ノンアルコールでもいいじゃないか。味もなかなかいい。ビールの不味いメーカーのノンアルコールビールの方がなぜかうまい。

もっとも心配だった眼も再検査を受けたが、今のところ問題ないようだ。最近視力が落ちたと感じるのは単なる老眼の症状だった。

酒もこれからは適量をわきまえて飲むことにした。休肝日は週4日!

……99歳まで生きたい。ところで、生きて何をするのだろうか。仕事もなければ無意味な時間が延長されるだけかもしれない。しかし長生きも芸のうち。

はい。そういうわけでございまして、どうでもいい話はおわり。

続きまして、代わり映えしない仕事の報告。

今週は、一年以上前に終わっている連載の絵を載せまする。UCカードの会員誌「てんとう虫」で連載されていた泉秀樹さんの「女もすなり益荒男日本史」に付けていた絵です。歴史の中の女性に焦点を絞った内容でしたが、女性の肖像画というのがほとんど残ってないので、多くは私の想像です。大浦慶

大浦慶は江戸末期の長崎油商の娘として生まれた。はじめて日本茶を輸出して巨万の富を得た女傑だそうだ。幕末に長崎が開港して、ロシア、イギリス、オランダ、アメリカと自由貿易が許可された直後に、茶の貿易を始めたそうなので、先を見る目がある。もう一人、先見性に富む人物、坂本龍馬も同じ頃、同じ長崎で日本最初の株式会社「亀山社中」を設立したそうな。それで、こんな絵にしたんだっけかな?
ブログに載せるために見直したので思い出したが、とっさに「大浦慶って誰でしょう?」って聞かれたら、答えられない。一年前のことでもどんどん忘れていく。でも絵に描くとなんとなく頭に残るものではある。
和宮と篤姫
皇女和宮は14代将軍家茂の嫁であるので、前将軍夫人の天璋院篤姫は姑だ。嫁は命投げ打つ覚悟で、徳川存続と戦争回避を訴え、姑は旧知の西郷隆盛に働きかける。江戸城無血開城を実現させた公家、武家女傑二人の高き誇り……というわけで、江戸城無血開城の主役二人が屏風の後ろから感謝している絵にしたんだったよな。
仕事の時は最低でも2回は原稿を読み直すが、これも忘れていた。嫁と姑の関係だったんだ。人間というものはだいたい35歳を過ぎると吸収力がガクッと落ちると聞いたが、その通りだ。
松尾多勢子
女ながらに尊皇攘夷の志士であった松尾多勢子。しかも活動しはじめたのは50歳を過ぎてからだという。ある時は農婦に変装し、またある時は行商人に変装し、情報収集や連絡係になったという。もし今、松尾多勢子をドラマ化するならもちろん「鬼平」で密偵おまさを演じていた梶芽衣子で決まりだな。
浅井三姉妹
長女・茶々(淀君)、次女・初(常高院)、三女・江(崇源院)。中でも江は三婚して、計二男六女生んでいる。それで江の元にやってきた姉二人が甥や姪をあやしている絵にしたんだな。〈三姉妹がそろって政治の現場で歴史を動かした日本史上唯一の例である。いや、今でも動かしている。今上天皇も江の血をひく子孫の一人だからである〉と本文にあった。
春日局
春日局こと福は三代将軍家光(竹千代)の乳母になるや、瞠目すべき官僚の才を発揮し出す。〈まだ柔らかかった幕府の甲羅に堅固で硬質な輪郭をあたえた〉ほどの名官僚だという。さぁ、これをどう絵にする?……って悩んだ挙句にこんな絵にしたんだろうな。
はぁ、毎週火曜日更新という自分に課した約束を守るためだけに、今日も更新したぞ〜。面白い記事をみんなに読ませようと思って、更新しているわけじゃないんだからな〜。おわり。

短歌倶楽部 冗談はよせ

「てんとう虫」で連載中の福島泰樹さんの『短歌倶楽部』に絵をつけています。

この連載、自分にしてはめずらしくギャグが禁じ手となっております。福島泰樹さんの原稿を読むと、確かに冗談をさしはさむ雰囲気ではありません。

いつの頃からか絵には冗談を必ず入れるという芸風になってしまいました。頓知を効かせた絵というのは、出来不出来はあるとしても、冗談さえ思いつけば、仕事の8割は終わったようなもの。

ところが、冗談を禁じられるとポエムで勝負しなければいけません。

ポエムとはつまり絵に漂う詩情でしょうか。

絵のアイデアよりも絵自体の良さで、読者の皆様を説得せねばなりません。ところが私は色感がそれほど良くないし、描写もモノの説明の方が得意なので、ポエムのある絵がヘタなんですねぇ。こまりました。

升酒やあかるいひかりてらしてよ力石徹 ウルフ金串

笑うため仰向いて飲む冷酒や酒のコップ三杯さよならを言う

第1回の絵。

福島さんの短歌に添える絵というより、エッセイ全体に添える絵として描いているのですが、結果的に即物的な絵になっちゃうなぁ。升酒描いたり……。敗北の涙ちぎれて然れども凜々しき旗をはためかさんよ

稿用紙の上にたばしる時雨あらば孤立無援よ濡れてゆくべし

第2回の絵は高橋和巳さんの横顔です。

切なさや漣のように襞をなし押し寄せてくる憶い出なるよ

もう誰も知らないだろう六〇年代戦死者の花雨に濡れおる

第3回絵は学生運動の絵、ずいぶん”そのまんま”な絵だなぁ。

野枝さんよ「虐殺エロス」脚細く光りて冬の螺旋階段

しなやかな華奢なあなたの胸乳の闇の桜が散らずにあえぐ

第4回の絵はかつて新宿にあった「アートシアター新宿文化」の前に伊藤野枝がいる絵。絵にはやっぱりアイデアが必要なのか。アイデアが入ると描きやすいのは確かなんだ。

上を向いて歩けば涙は星屑のごとく光りてワイシャツ濡らす

小劇場澁谷ジァン・ジァン打揚げの三平酒寮の灯も遠く去る

第5回の絵はこれも今はなき渋谷「ジァン・ジァン」に出演する福島さん、そのステージを見る永六輔さんの絵。

魂の奥底ふかき挫折さえ乗り越えて来し霧のリングよ

愛しきは酒と稲妻、なやましく丼に酒あふれせしめよ

第6回は日本ライト級王者バトルホーク風間さんの絵。

整然と並びしメット真輝けり わが哀傷の カルチェ・ラタン

さようなら寺山修司かもめ飛ぶ夏 流木の漂う海よ

第7回は「月例絶叫コンサート」をしている福島さんの絵。吉祥寺にあるライブハウス「曼荼羅」で毎月十日に開催されています。開始して三二年目です。ここの会場に限らず、福島さんのコンサートは有名なのでご存知の方も多いでしょう。去年の冬に私も見に行きました。ダンディズムあふれる福島さんですが、結構冗談好きみたいで、笑わせてくれる場面も多かったのが、意外というか、自然でした。

というわけで、毎回苦戦している連載です。

「ぼく神」連載終わる

そういえば、今月売りの「小説すばる」で私の半生記兼バイトくん物語であるところの『ぼくの神保町物語』が最終回を迎えていたのだった。

前回掲載分も含めてザザッと紹介して(と言っても挿絵だけ)ササッと逃げたい。

まずは前回(第12回)の『新しい絵』から。

この扉の絵は2010年12月、原宿の「リトルモア地下」で開かれた個展『画家の肖像』で描いた自画像です。

昨日のことのようだがもう7年前。人生は加速度的に時間が過ぎる。この回は個展の開催から2012年12月でバイトを辞めるまでの話。

やっとたどり着いた最終回は『苦いような甘いような味覚』というタイトルにしてみました。絵も誰だって描けるけど、文章だって誰だって書けるワイ!と思ってやりはじめた連載だったが……1年は長かった。

この扉の絵は30代前半の頃を想定して描いた、バイト先で働く私である。まだ髪の毛がたくさん生えている。

前回でバイトを辞めるまで話が進んだので、最終回では私は神保町を離れている。

神保町物語はバイトを辞めた時点で終わると思いきや、実はそこで終わりじゃない。むしろそのままでは『ぼくの神保町物語』は始まってなかったと言ってもいい。

運命が私に神保町に戻れと言った。そして私は神保町に戻った……なんて書くと大げさだが、私自身、神保町のことを書こうと思ったことはなかったのだ。「19年も神保町でバイトしててさ〜」なんていうただの思い出話だった。

ある人の提案により、19年のバイト人生=神保町時代が物語としてあらわれた。「伊野くんがバイトしてた神保町をテーマに絵を描けば?それで展覧会をしよう」と。

最初は「そんなテーマで絵が描けるのか?」と思ってしぶっていた。

まずは短い作文を書いた。そこから絵を描き始めた。

私は神保町博士ではない。街に詳しいわけではないのだ。限られた範囲で、来る日も来る日も毎日同じような行動をしていただけ。

嬉しい時にはルンルンと、悲しい時にはトボトボと、悔しい時にはコンチクショウと、いろんな気持ちで職場のある街をボーッと眺めていただけ。

でも、個人的な気持ちがなければ、絵は普通の絵にしかならない。

展覧会は2015年に開かれた。

『ぼくの神保町物語』は展覧会だけで終わるはずだった。

そうならなかったのも神保町という街のおかげ。神保町の街に送ったメッセージに、思いがけない返事が帰ってきたみたい。何がどうしたのかって?それはネタバレになるからここではヒミツだ。

ところで「自分と街」というテーマ、別に私だけじゃなくて、すべての人が書けるテーマだ。「私と街の物語文学全集」なんていう企画がないだろうか。古今東西のそういう話を集めたアンソロジーを読んでみたい。

やったぜ!たけちゃん2

新潮社から3カ月連続刊行されるビートたけしさんの『たけしの面白科学者図鑑』シリーズの第2弾『地球も宇宙も謎だらけ』のカバーを描きました。3月1日発売です。わかる人はわかると思いますが、たけちゃんの立っている星は『星の王子さま』風になっております。

さてカバーのラフとアナザーバージョンです。コマネチ座を見上げるたけちゃん。

このラフを描いた時はたけしさんの『嘲笑』という名曲を思い出していました。

たけしさんの書く詞の世界(北野武作詞、玉置浩二作曲)と、このシリーズでのたけしさんが重なって感動してしまいます。

星を見るのが好きだ

夜空を見て考えるのが

何より楽しい

百年前の人

千年前の人

一万年前の人

百万年前の人

いろんな人が見た星と

僕らが今見る星と

ほとんど変わりがない

それがうれしい

偉大なる失敗

ハヤカワ文庫のマリオ・リヴィオ著『偉大なる失敗 天才科学者たちはどう間違えたか』のカバーを描いてます(デザイン:モリサキデザイン)。アインシュタインが投げ捨てているのは、失敗した計算式が書かれた紙くず。しかし、その失敗こそが科学に進歩をもたらした、というわけで紙くずが惑星になって、宇宙の謎を解く鍵になる…というアイデア。この犬の絵は「婦人画報」のお肌の特集で描いた絵。なぜ犬なのかというと、お肌がたるむ人=ブルドッグ、こける人=イタリアングレイハウンド、という婉曲的表現になっているわけです。たるみとこけるがじゃれあっている図。どういう意味だ?お肌の断面図というのはこうなっている…ってどういう構造だったかもう忘れてしまいましたが。

私は、打ち合わせの時に「婦人画報」の担当さんからいただいた美白効果のあるオイルを、お風呂上りに顔に塗っています。

今週のブログは手抜きにて、これにておしまい。おもてなしできずにすみません。わざわざ覗きに来てくれた人、すみません。今から出かけなければいけないので…。

人間百年

織田信長が好んで謡い舞った「敦盛」には、〈人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり〉とあるが、その後平均寿命はのびて、なんとある予測では、今の20歳の若者の半数は100歳まで生きるそうだ。そして50歳の人の半数は92〜96歳到達するという……そんなことが今売りの「日経おとなのOFF」の特集「100歳まで破綻なし!金持ち老後のマネー戦術」に書いてある。私は99歳まで生きて”史上最長寿のイラストレーター”になるつもりでいるのだが、正味な話、長生きしても仕事が途絶えれば、国民年金だけでは暮らしていけない。フリーランスは老後をどうすればいいのだろう。15年くらい前に読んだ山本夏彦さんの本に〈才能というものは、のぼり坂が三年、のぼりつめて三年、くだり坂が三年、〆て十年続けばいいほう〉とあったのが頭にこびりついている。我らがイラスト業界を見ると、30年40年50年……と才能が続く大先輩もいるが、これはきわめて稀なことだ。

自分の才能はいったい今どのあたりなのだろう?もしかしてピークを過ぎているかもしれない。というか、自分で自分のピークがわかるのだろうか?くだりきった後だったら、振り返ってわかるだろうけど。とにかく自分の才能が10年で終わらないように願うばかりだ。なにしろ老後に入ってくるお金は国民年金だけなので。 富岡鉄斎は老いるほどに絵が自由になり、89歳の最晩年に画業はピークを迎えた。本人は「絵は余技」だと言っている。

仕事が途絶えないことも大切だが、絵を描く境地が自由になるのは羨ましい。どうしたらそうなれるのだろうか。

富岡鉄斎のことが大好きな原田治さんが70歳で亡くなった。築地のパレットクラブの落語会を聞きに行った時に、一度だけお顔を見かけただけで、お話ししたことはもちろんない。でもブログはけっこうチェックしていた。原田治さんの『ぼくの美術帖』に取り上げられている画家の多くが私の好きな画家とかぶっている。
谷口ジローさんも亡くなった。69歳。2年前に、三度お会いして、少しお話ししたことがある。当時はお元気そうだったが、それでも最近は仕事の時間を減らしている、と話された。聞けば8時間くらい(もしかして10時間だったかも?)とのこと。私など8時間も描いたらヘトヘトになってしまう。今思えば貴重な機会だった。もっといろんなお話を聞けばよかった。緊張するのでつい遠慮して、しゃべりやすい友達がいる席にずっといた。
いけない。トイレに立ったタイミングで積極的に席移動しなければ。
でもこのトイレから立つタイミングで席を変わるというのが、立ち去られた側の気持ちを勝手に忖度してしまい、私はなかなかできない……そんな話はどうでもいいのだが。私は人に年齢を聞かない。
セツ・モードセミナーに通いはじめたとき、長沢節先生に「ムラマツ先生ていくつなんですか?」とセツの講師の人の年齢を聞いたら「知らない。オレ人の年なんて気にしたことないのよ」と言われた。私はガツーン!とゲンコツを食らった気持ちになった。その時以来、人間を年齢という物差で測ることのあさはかさを思い知り、聞かないことにした。たとえ気になってもだ。初対面の人が同い年だったり、一回り二回り違うと、それで話も盛り上がったりするので、聞いてみたくなることもあるが、なるべくこちらからは聞かない。そういう時に相手が聞いてくれると、ホッとする。そして案の定、年齢の話で盛り上がったりする。しょせん私は長沢節とは器が違うということだ。長沢節先生、生きていれば今年で100歳。 自分が死ぬ時ってどういうことを考えるのかなぁ。この話は前にもブログに書いたけど、小学5年生の時に夜の港で死にかけていた時は、しょっからい水を飲み込みながら、月を見あげて溺れていた。死ぬのか?死ぬのか?死ぬのか?たぶん死ぬんだろうな……と覚悟をしながらも、泳げなかった私は体力が尽きるまで、必死に手足をバタバタさせているしかなかった。やがて月をバックに岸壁に人影が現れて、その人影は海苔の養殖に使う長い竹を私に差し伸べていた。リアル蜘蛛の糸的思い出話。命の恩人に家まで送られて、洗面所の鏡の前に立った時、突然死の恐怖が襲ってきて、大泣きしたことは覚えている。あぁ、私は今から死ぬのが怖くて仕方ない。とりとめのないことを書いている……。どうやって今週のブログをしめようかな……パソコン画面から目を外して、伸びをして部屋を見渡したら、畳の上に散らかった本の帯が目に入ってきた。〈生がある以上、必ず死はある。これが得心できないことが迷妄であり、この真理に目覚めることが「覚り」なのである。仏教の核はほぼこれにつきている〉呉智英さんの『つぎはぎ仏教入門』という本だ。
 ……というわけで、自分は死ぬ前には真理に目覚めておきたい。今から目覚めていても、また迷妄することもあるだろうから、死ぬ直前でいい。ま、先のことは考えてもわからんから、考えるのヤメじゃ! ……。追記:昨日の夜にシメサバを食べたら、あたってしまった。症状を自己診断するとたぶん胃アニサキス症だと思う。周期的にお腹が締め付けられるように痛くなる。仮にアニサキスだとすると、お腹の中に虫がいることになる。この虫は人間には寄生できないので数日で死ぬらしい。くたばってたまるかぁ!と虫は虫なりに死ぬまでジタバタするので、お腹が痛くなる。胃カメラを飲んでこの虫を取り出せば症状はすぐに治るようだが、去年検査で胃カメラを飲んだ時に死ぬほど苦しかったのだ、胃カメラ自体が。考えものだ……。

時代風俗考証事典

先日、吉祥寺に眼鏡を作りに行き、待ち時間に「百年」という古本屋さんで時間をつぶしていた時、林美一著『時代風俗考証事典』を見つけて972円で買った。こんなに分厚いのにこの値段。IMG_2455この本の存在は前から知ってはいたが、事典だと思い込んでいたのと、「どうせオレは細かく描き込むタイプでもないし、時代考証もだいたい雰囲気出てればいいだろう」という思いから、探して求めることはしなかった。ところが、読んでみると、読み物として大変に面白い!

林美一さん(1922年 〜1999年)は浮世絵春画の研究家として、その名は知っていたが、脚本家修行までやっていたとは知らなかった。なんでも、子供の頃から時代もの好きで、古典趣味から文楽マニア、江戸文学マニアに走り、果ては時代小説作家になろうと考えたり、時代映画のシナリオライターになろうとして大映京都撮影所に十年余りいたこともあるそうだ。

林美一さんは、昭和43年にテレビドラマ『伝七捕物帳』の時代考証を頼まれる。これが時代考証の最初の仕事だ。
この本が面白いのは(といっても、まだ5分の1くらいしか読んでいないが)実体験に基づいた努力と苦労が書かれているからで、そこが他の時代考証本とは違うところだ。
〈そもそもドラマの時代考証とは一体なんであろうか?この言葉を初めて使ったのは、どうやら大正十五年に、溝口健二監督が日活で酒井米子主演の『狂恋の女師匠』を撮ったとき、小村雪岱画伯が髪や衣装のデザインをしたのを、時代考証と名付けたのが最初だというが、くわしいことを知らぬ〉
おっと、読み進めていたら、我らが小村雪岱の名前が出てきたぞ。小村雪岱や木村荘八は映画の時代考証もやっていたことは知っているが、そのしょっぱなにいたとは。
〈それにしても実に奇妙な肩書きだと思う。初めの考案者はそんなつもりではなかったのだろうが、何しろ「考証」というのだからひどく堅苦しい。一分一厘の誤りもゆるがせにしない、コチコチの学問的なものを感じさせる。考え出したのが映画界であるから、多分に作品に権威づけるためのハッタリもあったのだろうが、この考証という字句にとらわれて、全く融通のきかないことを言う人がある。学者にそれが多いのは、そのためである。例えば三田村鳶魚氏は「いずれの時代にしても、いかなる書き方であっても、時代ものでは、その時代にどうしてもないことがらや、あるべからざる次第柄は、何といっても許すことができない」といわれる。むろん三田村氏の時代に時代考証という考え方はなかったが、考え方としては同じである。この考えは学者としては当然そうあるべきことだとは思うが、フィクションである小説やドラマに対して言う言葉ではない〉
三田村鳶魚は江戸学の始祖で、この人の仕事なしに江戸の時代考証はない、みたいな方だが、三田村さんが吉川英治の『宮本武蔵』に対して、「慶長に蕎麦はない」などと色々と手厳しく考証的批評を加えたことがある。

ところが、吉川さんは版を重ねる時も、いっこうに誤りを訂正しなかった。予算やスケジュールに振り回される映画やテレビと違って、筆一本で直せる小説であるにもかかわらず。それがいいのかよくないのかは、「宮本武蔵」をちゃんと読んだことのない私にはわからないが、学者の態度で時代考証にのぞまれてはやるせない部分はあるだろう。
映画やテレビの時代考証は大がかりだけど、小説は筆一本で直せる……挿絵も小説と同じく筆一本でどうとでもできるわけだ。ギクッ!

視聴者からの投書というのもこの本には紹介されている。時代考証的にはもっともな指摘だとしても、例えば『伝七捕物帳』みたいに、そもそも岡っ引きが江戸の町のヒーローという設定自体ありえないわけで……時代考証はどこを基準とすれば良いのだろう。そのあたりの林美一さんと投書のやり取りも面白い。
小説、ドラマ、映画はすべてそういった矛盾を抱えているし、現代に時代物を作る意味というものは、その矛盾の中にも見つけられそうだ。
(前略)近代演劇のリアリティとはそういうものなのである。いかにお芝居を本物らしく見せるか、というだけのことだ。だから事実の忠実な記録よりも、フィクションである小説が、より忠実に事実を再現し得ることがあるように、時代考証もまた、忠実な過去の時代の再現のみが方法ではなく、ドラマに合致したフィクション的考証が要求されてしかるべきだと思うのである。
事実どおりの過去の時代の再現なんて、絶対にできるものではない。 
できないとわかっているが、わかりながらも、それをできるだけ効果的に本当らしく見せようとする考証的な技術、それがドラマの時代考証ではないか、と私は思うのである。もちろんフィクションの基礎となる事実の調査は徹底的にやらなければならないが、それをそのまま再現しろというのでは、ドラマの時代考証ではない〉
さっき言ったように挿絵の場合、筆一本で描けるが、逆に言うと俳優も演技もセットも照明も小道具も……すべて一人でやらなくてはいけないので、本当の時代ものが描ける人というのはごくごく限られている。
もちろん、私はぜんぜん描けていない!ぐわはははは!雰囲気は出したいと思ってるんですけどね、雰囲気は。小説の持っている雰囲気とその時代の雰囲気。でも、時代考証的なことでいうと、かなりいい加減だと思います。
まぁ、編集者もそれを指摘できるわけじゃないから、今の挿絵はデタラメが野放し状態かもしれません。
というわけで、この本を読んで、ちょっと時代考証の勉強でもしてみようかなという気になったから、こんなにツラツラ書いたのだ。
もう、この本は読む端から冷や汗が流れてくるのである。例えばこんなところに。
〈私は時代劇の考証の尺度を、いつも燗徳利の有無によって知ることにしている。どのドラマにも飲食の場面が出ないことはまずないから、一ばん判定に便利だからだ。燗徳利は後で述べるように、一般に普及しだしたのは江戸時代も末期の天保の末頃だからである〉
〈現在映画やテレビで作っている時代劇はほとんど燗徳利一点張りだが、その点すべて間違っているということになる。その燗徳利も第二十九図のように口の広い(原文ママ)素朴なものが良いが、大抵は口に猪口をくっつけたような第二十八図の燗徳利である。この徳利は戦後昭和二十八〜九年頃から、にわかに流行りだしたものであるから、時代劇はもちろん、昭和物でもこれ以前の時代には絶対に使ってはいけない〉

FullSizeRender丁寧にいい味のカットまで入っている。
カットに添えられた文章には「口の太い」とあるから「第二十九図のように口の広い素朴なもの」というのは誤植だろうか。
確かに、手持ちの資料を調べてみると、燗徳利が普及した江戸時代末期に描かれた国芳一門の浮世絵、明治初期の写真、ビゴーのスケッチに出てくる燗徳利はみなこの形だった。
そして、私は今までこの描いてはいけない方の燗徳利ばかり描いていたのだ!ホラこの通り。
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ちなみにテーブルのようなところで酒を飲むのも思いっきり時代考証違反なのだが、これはわざとそうした。子供向けの読み物で、狐が化けたりと内容がハチャメチャだったので、上がり座敷や縁台で飲み食いさせると、ちょっと渋すぎる絵面になるような気がしたから。
でも燗徳利はわざとではありません。完全に間違えてました、はい。
テーブルで間違えてるのは時代劇でもよくあるが、挿絵の名作にもある。山本周五郎『さぶ』の佐多芳郎の挿絵がホラ。
IMG_2525でもこれはもしかして小説にそうあったのかもしれない。ただし燗徳利は正しい。
で、次は正しい例。小村雪岱ゑがく邦枝完二『お伝地獄』の挿絵。燗徳利はこうでなくては。話の舞台は明治初期で、描かれたのは戦前。
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he13_03030_0002_p0087この絵は『時代風俗考証事典』に図版として入っていた天保12(1841)年刊の『種彦諸国物語』の挿絵。これが江戸末期に登場した本物の燗徳利だぁ!移動式の銅壺で燗をしている珍しい図らしい(図版が小さくて見にくかったので、画像はネットで私が探して、勝手に取ってきたものです)。
で、口に猪口をくっつけたようなイケナイ燗徳利であるが、試しに「鬼平犯科帳 酒」で検索してみた。
そしたら、怪しい燗徳利が出てくるわ、出てくるわ。
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時代考証的には長谷川平蔵の時代にはちろりと銚子(現在では燗徳利のことを銚子というのでややこしいが)を使っていて、まだ燗徳利がないはずだ。もはや時代劇の中で当たり前になっているこういった映像が私の脳裏には残ってたんだなぁ。
だからそう描いちゃったんだよ……ましてや国民的名作時代劇じゃん、信じちゃうよ。
でもさぁ、鬼平犯科帳を見たら燗徳利でキュッとやりたくなるようにできてるんだから、すでに現代人の人情は。飲みたいよ燗徳利で。だから今更、ちろりと銚子に戻されてもそれはそれで困るかな(笑)
あとさ、時代考証とは関係ないけど、飲んだくれのまわりにいっぱい燗徳利が並んでるのがあるけどさ、空いた燗徳利はお店の人が下げに来るでしょ、フツウ。でも林立させておくと大量飲酒した感じが出るんだよね。だから時代劇では燗徳利が好まれるのかな?
でも、オレはこれからは燗徳利の口は太く描く、そう決めたぜ。これを読んだみんなもそうしようぜ!

春日若宮おん祭

今売りの「芸術新潮」2月号で、6ページに渡り「春日若宮おん祭」を漫画でルポしております。この祭りは900年近く、ほぼ途切れることなく毎年続けられてきた御子神さまを接待する行事です。前夜祭、後夜祭的なものを含めて計4日もの間、イベント&芸能目白押しのスゴイ祭りなのです。

ところがこのルポ漫画、わたしはまったく取材に行っていないんです……。IMG_2513ご覧のように、最初のコマでも説明されていますが、芝崎みゆきさんが取材し、描かれる予定だったのです。ところが、なんと取材の最終日に、芝崎さんは右肩骨折(上腕骨近位端骨折)するという災難に遭い、絵が描けなくなってしまったのです。

そこでコンビニエンス・イラストレーター伊野に電話がかかってきたというわけです。年末進行の真っ只中、12月20日のことでした。IMG_2514

「しかし、取材もしていないのにどうやって描けばいいんだろう……」と心配になりましたが、芝崎さんは驚くほどしっかりとしたネームを描いてくださいました。
〈三角巾とコルセットで固定されながらーの、なんとかネーム(コマ割りとラフ)を、体を斜めにしながら、腰のはじあたりでムリヤリ描きました〉
これは芝崎さんのブログより当時の状況を語った部分の引用です。「腰のはじあたり」ってうまい言い方ですね。
資料写真は芸術新潮専属カメラマンH瀬さんがぎょうさん撮ってはります。編集部に出向いて、芝崎さんと一緒に取材に行ったT山さんとS田さんから、「春日若宮おん祭」についてみっちりレクチャーを受けます。芝崎さんが右肩骨折事件のあらましも聞きました。ちょうどその日は新潮社の仕事納めの日で、一年の激務から解放された編集者たちの談笑があちこちから聞こえてきたりと、社内にはゆったりとした雰囲気が漂っていました。IMG_2515
大晦日にはダウンタウンの番組を見ながらゆっくり酒を飲み、ぐっすり眠った後、新幹線(1月1日は空いている)で三重の実家に帰る……予定だったのですが、果たしてそんなことができるでしょうか。
とりあえず、下書きまでは今年中に終わらせておこうと思い、ダウンタウンの番組は見ずに、紅白歌合戦をラジオで聞きながら、仕事を続けました。
数時間前にT山さんから、漫画の補足指示とともに「年越しは会社と決めて珈琲飲む」という句がおまけでついたメールが来ていました。完全なるワーカホリックのT山さんは会社で一人コンビニ弁当を食べながら原稿書きに勤しんでいるようです。IMG_2517
ふとわたしは、何か大晦日的な気分を味わなければ、と急に思い立ち、買っておいた鯛の刺身と日本酒1合だけで、ささやかながら2016年の最後の晩餐をしました。でも、立ち食いそば屋に駆け込んで食事を取るように慌ただしく済ませてしまいました。そんなに慌てることはなかったのですが、やはりこの後も仕事をしなければいけないと思うと、自然とそうなるのです。
食後、また机に向かい、ラジオで相葉くんの司会にハラハラしつつ紅白を聞き、作画に励みました。なぜか「行く年来る年」の裏番組で「オトナの一休さん」が1本だけ再放送されるので、その5分間はテレビを見ました。
深夜2時頃までやって集中力がなくなり、寝ました。IMG_2516
明けて2017年。8時起床。昼過ぎまで続きをやって、下書きを完成させ、さっぱりした気持ちで帰省しました。
正月は実家でのんびりしていました。だから漫画に描きこんだ「お正月返上」というコマは大げさなのです。芝崎みゆきさんはこれを信じて、非常に恐縮なさって、さらにブログでわたしを褒めまくってくれています。いやはやこちらこそ恐縮です。
芝崎さんにはエジプト文明やマヤ・アステカ文明について描かれた著書(今、『古代マヤ・アステカ不可思議大全』を読んでいますがと〜ってもオモロイです!)があり、文字のすべてが手書きです。それにくらべたら手抜きですよ、私のなんか。
しかし、今回の仕事はなかなかできない経験でした。いろいろ勉強になりましたね。もし仮にどこかでわたしが描いたルポ漫画が、モロに芝崎みゆき風であっても見逃してくださいね。IMG_2519
芝崎さんのブログはこちらです(それにしても褒めすぎだ……)。
是非、作・芝崎みゆき、絵・伊野孝行『見てきたよ!ざざっと春日若宮おん祭』を「芸術新潮」でお読みください。

やったぜ!たけちゃん

相撲が好きだ、と言ってる割に今場所はほとんどテレビ観戦をしなかった。

北の富士が心臓手術の後、大事をとってNHK専属解説を休場した。あまりテレビを見なかったのはこのせいかもしれない。相撲ファンだったのに、いつの間にか北の富士ファン、いや、北の富士の解説を聴きながら見る相撲ファンになっている。北の富士がラジオの解説に出るときは、テレビの音量を消し、ラジオを聴きながらテレビを見る。e58c97e381aee5af8ce5a3ab-540x582

北の富士と一緒に相撲を見ることは、お相撲さんの粋な香りに包まれて見ることだ。土俵の攻防をうまく解説する親方は他にもいる。でも、土俵の中だけが相撲じゃない。土俵の外にもいろいろ何かある。楽しいことやコワイことが……よく知らないけど。そんな相撲のすばらしさのすべてが北の富士に現れている。

居酒屋の取材では、ちゃんとしたことを言うリポーターより、吉田類のちょっといい加減なレポートこそが似合う。お酒を飲むとはそういう気分なんだもん。居酒屋といえば吉田類、相撲といえば北の富士。ハァ〜どすこい、どすこい。

もう一つテレビを見なかった理由は、3時4時あたりから、6時までというのは私にとって一番仕事に手中できる時間なので、この時間にテレビを見だすと、手持ち無沙汰になって酒を飲みだす、横綱戦が近くなる頃に横になって寝だす……となるパターンが多い。だから見なかった。
ま、そんなに熱心な相撲ファンじゃないってことですね。
それはともかく、稀勢の里のお父さんは、こっちが勝手にイメージしていたのと違ってかっこいい人だった。横綱昇進はそりゃめでたいことだが、大関稀勢の里がもういなくなるのかと思うと、なんだか寂しい。稀勢の里が大事な一番を落とすたびに、ビートルズの「ドントレットミーダウン(がっかりさせないで)」が脳内再生されたものである。ぼくの中の稀勢の里のテーマ曲。やきもきするのも楽しみだったのかもしれない。IMG_2477やったぜ!ビートたけしさんの本のカバーを描いた!
子供の頃からからファンだったのでミーハー気分爆発。新潮文庫「たけしの面白科学者図鑑 ヘンな生き物がいっぱい!」という本だ。
しかも、来月、再来月と3冊続けて出るシリーズものだ。1冊だけではなく3冊並べて楽しい本にしたい。2月1日が正式な発売日だが、もうネットにも画像が出ているので載せちゃおう。デザインはもちろん新潮社装幀室。
本のカバーをやるときは、以前はた〜っくさんラフを描いたものだが、最近は出してもせいぜい3案くらいかな?でも、今回はアイデア自体、おまかせだったので、はりきって出せるだけ、出してみた。考えついた順番に載せてみよう。1234567
結果から言うと一番最初に描いたラフが使われたので、その後の6案は考えるだけ無駄だったわけだ……。タケちゃん微妙に修正/1巻
股間に注目してほしい。IMG_2478帯では普通のガニ股だが、帯を外すと、上記にアップしたもののように、ダイオウイカの足が後ろから出ている。
中学生の時に「がまかつ!」と叫んで、他人の股間に腕を回し(ダイオウイカの足のように、股間に腕を食い込ませる)そのまま上に持ち上げるイタズラが友達の間で一時流行った。がまかつというのは釣り針のメーカーか商品の名前だった。やられた方は面白いように体が持ち上がる。
まぁ、そんな話はどうでもいいのですが、果たして忙しいたけしさんはこの本を手にとってくれるのだろうか。
IMG_2479徳川慶喜修正
さて、もう一つは殿は殿でも、最後の将軍のその後を書いた、家近良樹さん著「その後の慶喜」のカバー。デザインはアルビレオさん。こちらはラフは一つしか描いていない。描くアイデアが既に決まっていたので。
円(自転車のタイヤ)を綺麗に描くのが苦手である。このオーディナリー型自転車というのは、すごくスピードが出るらしい。IMG_2480
最後は白水社の「ふらんす」という雑誌の表紙。こちらは毎月違うイラストレーターが担当する。1月号を描いた。パリの街にある、なんていうんだっけ?映画や芝居のポスターをはめる広告塔、あれにその号で取り上げる映画を絵にしてはめ込む。それが決まりごと。描くのは「女はみんな生きている」という映画。私は公開当時(2003年)に見ている。ポスターかパッケージのイメージを描いて欲しいということなので、描くことはだいたい決まっている。
ラフを描くつもりが、ええい、本番まで進めちゃえ、ダメならまた描き直しますから、と提出したら編集さんのOKをもらえた。私の場合、ラフを出さないと仕事はすぐに終わる。デザインは仁木順平さん。
このところ仕事の自慢話ばかりなので、反省し、最近買った林美一著「時代風俗考証事典」の話を書きたかったのだが、結局、今週も自慢話だけで終わってしまった。ネタを仕込むのは大変だし……。いずれそのうち。ではバイバイ。

SAGA佐賀

今、外出先から帰ってきて、すぐにでもやらなきゃいけないことがあるというのに、ブログの更新の日だ。

もう、今日はサボりたい。どーせアクセス数もず〜っと横ばいだし、更新したところで「あ?また仕事の自慢か?」みたいに思われるだけだし、そもそも誰かに待たれているわけでもないし。

ま〜、田舎の年老いた両親くらいは毎週楽しみにチェックしていることだろう。このブログを始めた目的は一に営業だったわけだが、いつしか「あなたの息子はこんなことをして東京で暮らしています」という親への報告、つまり親孝行にもなっていたわけだ。私の名前が「孝行」なだけにね……。ありがとう、インターネット社会。

 

さぁ、さっさと仕事の紹介でもして、書き終えよう。IMG_2385IMG_2386IMG_2387IMG_2388IMG_2389IMG_2390IMG_2391IMG_2392これは佐賀県のPRカード?みたいなもので、手のひらサイズのカードかと思いきや、パッと広げると、記事あり、地図ありの楽しげな佐賀県紹介が展開する。企画とデザインは東京ピストルというイケイケの会社で、ここの社長さん(お会いしたことはないのですが)は、私の友達のクサナギシンペイ画伯の弟君であるという(いや、兄上だったかな?)。

でも、そういうツテでもらった仕事ではありませんよ。実力、実力……数をこなしてみみっちく稼ぐ実力だけどね……。

お正月の和の行事

2017%e5%b9%b4%e8%b3%80%e7%8a%b6今さら(今日は一月十日)ですが、あけましておめでとうございます。

ところでお正月の門松はそもそも何のために飾るのでしょう?%e6%ad%a3%e6%9c%88%e9%a3%be%e3%82%8a%e4%bf%ae%e6%ad%a3
それは「年神様(としがみさま)」を家にお迎えするための目印なんですね。
……知ってましたか?私はいい年こいて知りませんでした。しめ縄やしめ飾りも、けがれや悪いものが入ってこないように区切るもので、年神様のための清らかな場所を作るためのものであります。
私の子ども時代は、玄関はもちろんのこと、便所や風呂場やすべての部屋にもしめ縄(そこに飾るしめ縄はとんぼと呼んでいた)を飾りましたし、さらには車にも自転車にも飾ったものです。
今年実家に帰った時はしめ縄は何一つ飾ってなかった気がします。
そんなわけで、日本人は行事をおろそかにしだしたところなのですが、春夏秋冬の和の行事のことが楽しくわかる『知っておきたい和の行事』監修/新谷尚紀(成美堂出版)が発売されております。お子様向けの本です。正月早々、商いの話ですんまへん。
一年を通した和の行事の絵を70点くらい(カット、一枚絵、マンガも含む)描いてタイヘンだったわけですが、一つ気づいたこがありました。和の行事は春夏秋冬均一には散らばっておりません。やはり年末年始の新しい年を迎える時期に行事が多いです。現在はバレンタインデー、母の日父の日、防災の日、ハロウィン……などなど色々あってそれなりに行事が散らばっている気がしますけどね。その分、相対的にお正月の地位が下がっております。%e3%81%8a%e6%ad%a3%e6%9c%88%e3%81%ae%e9%81%8a%e3%81%b3%e5%a4%96%e4%b8%83%e7%a6%8f%e7%a5%9e%e4%bf%ae%e6%ad%a3%e3%81%8a%e5%b9%b4%e7%8e%89%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%82%ac%e4%bf%ae%e6%ad%a3
%e5%b7%a6%e7%be%a9%e9%95%b7今の我々はクリスマスが過ぎるまでは誰も来たるべきお正月に目を向けていません。さらに、クリスマスが終わってお正月が目の前に迫ってきても「ぜんぜん年の瀬って気がしないよねー」と、忘年会の酒席で言いかわすのが習わしとなってきており、事実、そんな気分ではないのです。
それもそのはず、日本の年の瀬を感じたいなら以下のことをしなくてはなりません……
十二月十三日には「すすはらい」をして一年の汚れを落とします。それでもって門松に使う松を山へ取りに行く「松むかえ」をするのです。そうそう「歳の市」で正月用品を揃えなければいけません。二十二日頃には「ゆず湯」に入り、こんにゃく、れんこん、なんきん、にんじん、みかん、などの「ん」のつくもの食べて栄養をつけておきましょう。そして二十五日〜二十八日の間には「もちつき」をします。正月飾りは二十九日に飾ってはいけません。なぜなら「苦(九)がつく日」だからです。かといって三十一日は「一夜飾り」と言って縁起が悪いので、三十日までに済ませましょう……。%e6%9f%9a%e5%ad%90%e6%b9%af
%e5%b9%b4%e8%b6%8a%e3%81%97%e8%95%8e%e9%ba%a6%e5%a4%a7%e6%99%a6%e6%97%a5私は時代物の絵などを描いて、和の心がわかっている日本人を気取っていますが、どれ一つやっていません。
雑然と散らかった部屋の障子は破れたまんま。しかも障子紙は七年くらい張り替えていません。畳の擦り切れた部分を歩くと、靴下の裏にい草の切れ端がくっつきます。仕方がないので、擦り切れた畳の部分には幅の広いセロハンテープを何列にも貼って事なきを得ています。賃貸でも、もう長い間住んでいるから、大家さんも畳くらい替えてくれるかもしれませんが、そのために部屋の家具や荷物を全部移動させる事は正直難しいです。
「どうせ仮の住まい、とりあえずこのままでいいや……」そう思って何年も過ぎています。たぶん家を購入するお金も予定もないので、一生仮の住まいだと思います。それでも私は今、まだ人生の途中で、将来はもう少しましな正月が迎えられるような気がしているのですが、ひょっとしてこんな感じで一生を終えるのではないだろうかという予感もしています。
それではみなさま、本年もよろしくお願い申し上げます。

CD「オトナの一休さん」

「オトナの一休さん」オリジナル・サウンドトラックがポニーキャニオンより発売されました。

〈大友良英×マレウレウ(アイヌ民謡を歌い継ぐ女性ユニット)のコラボレーションが生み出すふしぎ気持ちいい世界!板尾創路が歌う話題の破戒僧ソングも収録〉img_2310img_2311
大友良英さんは以前よりマレウレウと一緒に何かやりたいと思っておられたそうだが、なかなか実現にはいたらなかった。ところが、「オトナの一休さん」という珍妙なるアニメでコラボが実現してしまった。大友さん+マレウレウ+一休さん…この取り合わせを思いついた角野プロデューサーは相当ぶっとんでいる。私は最初「どう合うんだろう?」と思っていたのだけれど、実際アニメに音楽がついてみると、「もうこれ以外には考えられない」っていうくらいふしぎにハマっている。img_2313
いや、ハマっているという言葉はふさわしくないかもしれない。「あまりハマりすぎてしまわないように…」というのが、「オトナの一休さん」を作るスタッフで共有していたポリシーだった気がする。ありもしない縄で己を縛るという意味の、無縄自縛(むじょうじばく)という禅語がある。「無縄自縛にとらわれるな」というのが一休さんの教えであり、我々スタッフの合言葉だ。
何か新しいものを作ろうという時に、ハマりすぎる選択は、無難になってしまいがち。知らない間に無縄自縛をしてしまうのが人間である。そんな時は喝!CDを取り出すたびに喝!が現れる。img_2312
おまけにボツになった「オトナの一休さん」CDジャケット案のアナザーバージョンをお見せしよう。cd%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%82%b1%e3%83%83%e3%83%88%ef%bc%92 cd%ef%bc%93cd4cd%ef%bc%91%ef%bc%90
そういえば「オトナの一休さん」明日28日放送の分(第十三則)でひとくぎり。
年末年始には再放送もあるみたいだから、是非、実家の家族や親戚にも教えてあげて、無縄自縛にとらわれないお正月をお過ごしください。それではみなさま、良いお年を!

「ぼく神」第10回第11回

「小説すばる」で連載中『ぼくの神保町物語 イラストレーターの自画像』先月分をアップするのを忘れてたので、今月分と合わせて第10回と第11回を。img_2285

第10回は2010年の1月にロンドン旅行に行った話「神保町物語なのにロンドン編」です。
この旅行はデザイナーの日下さんと、当時日下さんの事務所に勤めていた、現売れっ子イラストレーターの浅妻くんと、同じく現売れっ子デザイナー長田くんと、ぼくとの四人で行ったのですが、着いた翌日「ロンドンお好み焼き真っ黒焦げ事件」が勃発するのでした……これがまた語るも涙の物語でございまして。img_2288連載を読んだ日下さんが、「いやー、ロンドンでは本当にいやな思いをさせてすみませんでした。私はあの時、伊野くんの才能をひらかせたくて必死でした。真面目すぎるのですね」と6年越しに詫びを入れてくれたもんですよ。img_2286img_2287img_2289
あの時は「なんなんだ、このハゲ!」と憎々しく思っていたのですが、今では感謝しかありません(ホンマか!?)。それに今となっては、ハゲ!なんて言える立場じゃないしね。ぼくの頭が。逆にぼくのことを裏で「あのハゲ!」と言ってる人がいそうな気がします。
……って言うのは、前に友達の展示を見に行って、自分の思うところを伝えたら(もちろん年下とか後輩とか、言いやすい人に限る)「伊野さんウザい」みたいに思われちゃったから、反省しまして……。最近、余計なことは言わないほうがいい、嫌われたくないし、と思っているのです。
この回にも書いていますが、そりゃ自分を否定されるようなことを言われたら、悔しいし、うっるせーよ!って誰でも思います。
褒められてるだけでどんどん進歩していける、つまり客観的に自分が何をやっているかわかってる人間だったらいいけど、少なくとも、ぼくはそうではないのでしょう。だから自分には、怒る人も必要だったと思います。いや、別に怒らなくったていいんですけどね、冷静に意見を言ってくれれば。
でも冷静な人って、そんなに他人にお節介じゃないから、そもそもグイグイ関わってはくれない……やはり人それぞれ、言いたいことがあれば言えばいい、そう思う昨今です。ぼくは人気取りのために余計なことは言わないけどね。img_2290
第11回は、そういうことも含めて、「絵は一人では描けない」なんてタイトルにしましたが、あんまり自分の話に集中すると、神保町と関係ない話になっちゃいがちなんで、書くのが難しい。img_2280
この回は2010年の夏に開催した丹下京子さんとの二人展「鍵」の顛末が中心になっています。今までは1回で約2年分くらい話が進んだのですが、第10回第11回と次の第12回はすべて2010年の話です。ほぼ現代史。友達にとっては知り合いばかり出てくるから、ある種の面白みはあるかもしれないけど、まったくぼくを知らない読者様が読んでも、面白くなっていないといけない。img_2281img_2283
久しぶりに第1回を読み返してみたら、展開が少なく、エピソードが乏しく、長く感じた。会話も少ないし。自分の心の中を書くんじゃなくて、動きや会話で心の中を読ませないといけないなぁ、とまた一人反省会です。
しかし、やっと客観的に読めるようになったということでもある。書いて一週間後に読み返すくらいではなかなか客観的になれない。いや、客観的に読めるようになった理由は、置いた時間ではなくて、自分の今書いている文章が、第1回の頃と変わっているということなのかもしれない。
ともあれ、あと2回で終わります。それが終われば、また第1回からいじりなおさなければ……早く自分の物語から解放されたいです。

北斎/中野新橋

今売っている「芸術新潮」に描いた北斎の年譜パートの絵。横に長い絵なので、無理やり縦に載せます。北斎は若い頃に浮世絵の彫り師をやっていたとは知らなんだ。あと意外に遅咲きで、四十過ぎてから自分の絵の世界がひらけたようだ。もし若くして死んでいたら北斎は北斎でなかったのだ。北斎は引越し魔だったことは有名だが、人気絵師になってからもなぜかずっと貧乏暮し。なぜか?その謎は未だにわからないんだって。%e5%8c%97%e6%96%8e%e5%b9%b4%e8%ad%9c%e7%b5%b5%e5%b7%bb今回の特集で一番惹かれたのは読本挿絵の絵。「北斎漫画」は知ってるつもりのところがあったけど、見開きいっぱいところ狭しと動きまくる読本挿絵は僕にとって新しい絵だった。もっと見たいと思ったが、北斎読本挿絵集成〈第1巻〉 (1971年)というのを検索すると10万円以上するではないか!しかも5巻まであるらしい。北斎漫画はいっぱい本があるけど、読本挿絵を廉価版でいっぱい見たいなぁ。そういう本てあるのかなぁ?あったら欲しいなぁ。%e4%b8%ad%e9%87%8e%e6%96%b0%e6%a9%8bさて、こちらは、ちょっと前になるけど「散歩の達人」に描いた絵。

中野坂上、中野新橋、中野富士見町、方南町の4駅は地下鉄丸ノ内線の支線。こういう支線を盲腸線(幹線から枝分かれした短区間の行き止まり線)って言うんですってね。

僕はライターの和田静香さんと一緒に中野新橋を訪ねました。和田さんは相撲好き、僕も相撲好きということでコンビを組んだのですが、中野新橋にはそうあの「貴乃花部屋(つまり旧・藤島部屋、旧・二子山部屋)」があったんですねぇ。でも今は引っ越しちゃってないんです。ないのにその残り香を求めて訪れたのです。%e4%b8%ad%e9%87%8e%e6%96%b0%e6%a9%8b2

閉鎖された部屋の建物はそのまま残っていましたが、看板が剥がされた跡は未だ生々しい。あいにく天気も悪い。部屋の近所の人に話を聞こうとするも皆一様に口が重い。まぁ、今まで散々マスコミにうるさく聞かれて、皆さん文字通り閉口してしまったんでしょうな。こっちはただ古きよき日の思い出話が聞きたかっただけなんだけど、なかなかネタが拾えず、焦ります。

ところが「上州屋」って言う弁当屋のおばちゃんが気さくに語ってくれました。そしてすっぽん料理の「久松」の大将(現・商店街の理事長)もいい思い出話を聞かせてくれましたよ。これで土俵際まで追い詰められていた取材は、うっちゃりで一気に攻勢に。%e4%b8%ad%e9%87%8e%e6%96%b0%e6%a9%8b4%e4%b8%ad%e9%87%8e%e6%96%b0%e6%a9%8b3

「藤島部屋は当時まだ華やかだった中野新橋の花柳界、その中に建てられたんです。ずいぶん粋でしょう。親方はそれで忙しいようで(笑)見せてもらったスケジュール帳は真っ黒でした(後略)」と語るのは「久松」の大将。

部屋の力士が優勝すると、北海道からシャケ100本とか、2トントラックで賞品が次々に届くので、親方自ら大将のところに「おやじさん、頼むよ」ってお願いに来る。日頃迷惑をかけている近所の皆さんに配ってほしいと言うことね。そういう人情味のある話を聞けましたよ……って、まぁ、話を聞いたのは和田さんですけどね。僕は和田さんの付き人みたいなもんで……。

ぼうさまがくれたにわとり

童心社より紙芝居が発売されました。『ぼうさまがくれたにわとり』と言います。もともと民話として残っているお話をもとに、津田真一さんが脚本を担当されています。

以下このブログで書くあらすじは、セリフも含めて津田さんの脚本ではなく、私がこんな話だったよな、と思い出しながら書いていますので、ホンモノの脚本とは話の流れ以外はずいぶんと違います。ホンモノを読みたい方は是非、買ってみてください。ホンモノはお子様や、紙芝居を演じる幼稚園の先生方のために、練りに練って書いてありますので。%ef%bc%91%e5%a0%b4%e9%9d%a2%e4%bf%ae%e6%ad%a3あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。でもおばあさんは体の具合が悪く近頃は床に臥せっていることも多く……。箱根七里は馬でも越すが、越すに越されぬ年の暮れ、と昔の人はよう言うたもんです。「ばぁさん、わしゃこの炭を町に行って売ってくるからなぁ」とじいさんは出かけていました。ちょうど時期的に今頃の話ですなぁ。%ef%bc%92%e5%a0%b4%e9%9d%a2%e4%bf%ae%e6%ad%a3「炭はいらんかねー、炭はいらんかねー」とじいさんは必死になって売りましたが、ちっとも売れません。みんな冷たいのね。それとも炭はすでに買ってあるのでしょうか。そうだったら、この町の人は用意のいい人です。%ef%bc%93%e5%a0%b4%e9%9d%a2%e4%bf%ae%e6%ad%a3そんなじいさんに声をかけた一人のぼうさま。みればボロボロの着物で、そこらへんの落ち葉などを集めてたき火をしていますが、寒そうです。じいさんの持っている炭を全部くれというので、じいさんもホクホク顔。ヤッター!ヤッター!。%ef%bc%94%e5%a0%b4%e9%9d%a2%e4%bf%ae%e6%ad%a3ところが、金はないんだって言うんですよ、このぼうさん!ええ〜!%ef%bc%95%e5%a0%b4%e9%9d%a2%e4%bf%ae%e6%ad%a3「その代わりと言ってはなんだが……」と傍に落ちていた木片を拾って、小刀で何かを削り出しました。%ef%bc%96%e5%a0%b4%e9%9d%a2%e4%bf%ae%e6%ad%a3削り上げたのは、にわとりの木彫。ジャ〜ン!「これでどうかひとつ」「ワシにくださると……??」とじいさんは戸惑っています。だって、これじゃばあさんに何にも買って帰れないじゃないですか。今年の年の暮れは、マジで越せないかもしれません。

さぁ、これから話はどうなる!?絵的にはこの後の展開のシーンが気に入っているのですが、全部見せちゃうとアレだから……。

子どもっていうのは、紙芝居や絵本の気に入ったものを何度も「読んで!読んで!」とせがむヤツらなので続きの絵も見せたって大丈夫な気もするんだけれど、やっぱりそれは童心社の人に悪いので、この続きは紙芝居で!

%e3%83%a9%e3%83%99%e3%83%ab%e4%bf%ae%e6%ad%a3%ef%bc%99%e6%9c%88%ef%bc%92%ef%bc%90%e6%97%a5この絵は紙芝居のケースに貼ってあるラベルの絵です。来年は酉年ですよね。ぴったりのお話です!というわけでよろしくお願いいたします。

「ぼうさまがくれたにわとり」は童心社から発売中!

世界満腹食べ歩き14~18

小説現代で連載中、岡崎大五さん『世界満腹食べ歩き』。14回からはモノクロページに移動になった。岡崎さんの旅は素晴らしい。お世辞じゃなくて毎回面白い。イラストレーター冥利につきるというものだ。

しかし、この連載には私の鬼門の「地図」がある。

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この連載をアップする時はいつもボヤいているが、地図を描くのが苦手だ。「だいたいでいいじゃん、だいたいで」そうやって今まで生きてきたのだが、地図にはそれが通用しない。

読者の立場で言えば、いい加減で雑な地図が、雑誌に載っていると興ざめしてしまう。雑誌の記事は、読者の想像力をかきたてるイリュージョンだ。地図もその一端を担っている。だからちゃんとやらないといけないわけ……。

アメリカのニューヨークの位置がわかるようにするには、まわりはどの程度の広域で描けば良いか?グリーンウッド墓地がわかりやすく見えるようにするにはどういう工夫が必要か。入れる地名はどこを選択するか?州の名前は欧文にして目立たなくした方がいいかも。綴りは間違っていないか?

こんな簡単な地図でさえ、雑な私には大変だ。

デザイナーの日下さん、担当の編集さん、校正の方に、ここが違う、ここをもう少しこう、誤字脱字あり……とピンボールマシンの球のようにあっちからこっちから修正の指摘を受け、やっとの事で描き上がって、掲載されるのが上の誌面のサイズ……。%e3%82%a2%e3%83%a1%e3%83%aa%e3%82%ab%e5%9c%b0%e5%9b%b3悔しいから今回から地図だけ別に載せる!でも、私は地図が苦手だけあって、残念ながらあまり楽しい感じに描けていない。%e3%83%a2%e3%83%ad%e3%83%83%e3%82%b3%ef%bc%91%e3%83%a2%e3%83%ad%e3%83%83%e3%82%b32%e3%83%a2%e3%83%ad%e3%83%83%e3%82%b3%e5%9c%b0%e5%9b%b3このモロッコと次のマレーシアは地図が簡単で助かった。岡崎さんの原稿が送られてきて、「あー面白かった」という感想の後に来るのは、地図が大変かどうか。簡単だとほっとする。%e3%83%9e%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%82%b7%e3%82%a2%ef%bc%91%e3%83%9e%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%82%b7%e3%82%a2%ef%bc%92%e3%83%9e%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%82%b7%e3%82%a2%e5%9c%b0%e5%9b%b31960年代半ばに「イラストレーション」という言葉が日本で使われだし、すぐに「イラスト」と略されて使われるようになった。単に長ったらしいから略されただけなのかもしれないが、最初に略して使い出したのはどこだろう?一説によると「イラストマップ」がきっかけとか?いや、よく分からないが誰かがそう言っていた。

確かに「イラストレーションマップ」だと長すぎるし、絵のたくさん入った賑やかな地図は「イラストマップ」と軽く呼ぶ方が合っている気がする。今も雑誌ではイラストマップは目にするが、とても楽しいものだ。『世界満腹食べ歩き』で僕が描いているのは単なる地図で、「イラストマップ」と呼べるものではない。%e3%82%b0%e3%82%a2%e3%83%86%e3%83%9e%e3%83%a9%ef%bc%91%e3%82%b0%e3%82%a2%e3%83%86%e3%83%9e%e3%83%a92 %e3%82%b0%e3%82%a2%e3%83%86%e3%83%9e%e3%83%a9%e5%9c%b0%e5%9b%b3その国の雰囲気は扉絵や料理の絵でも出すようにしているけど、それだけじゃ読者の方は脳内トリップできない。やっぱり地図がないと。グアテマラと聞いて、すぐに場所がわかる人はそう多くはない。こういう場合は広域図も広くとらないといけない。

別にきちんと地図を見てもらわなくても、パッと見て、「あ、あのへんの国の話なんだ」「字が読めないくらいに小さいけど、ちゃんとした地図っぽいね」と思ってもらえればそれでいい。いや、一字一句文字校正までしてやってるんだけど〜。それが我々の仕事だから〜。%e3%82%a4%e3%82%ae%e3%83%aa%e3%82%b9%ef%bc%91%e3%82%a4%e3%82%ae%e3%83%aa%e3%82%b92%e3%83%ad%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%b3%e5%9c%b0%e5%9b%b3正確に描くことが地図の本当の難しさではない。地図の本当の難しいところは省略することだ、と前にも私は書いた覚えがあるが、このロンドンの地図ほど身にしみたことはない。

道路と鉄道と地下鉄が地獄。道だって本当はもっとたくさん通っているが、省略しないことにはゴチャゴチャになってしまう。でも都市らしさは欲しい。さすがのグーグルマップも省略はしてくれない。自分の知っている街だったら省略作業も見当がつきやすいが、ロンドンは6年前にちょっと行っただけ。よくわからん。

「この道はいらん」「ここはなくてもいいか。いや、この通りは、鉄道と交差しているから重要かも」私は血管をつまんで考え込む執刀医のようだ。そうやってなんとか省略手術を終えたつもりで、ラフを作って見せると

「地下鉄が良くないですね。ウォールター駅は鉄道、ウォールターではなくウォータールーです。チャリングクロスも鉄道。ヴィクトリア駅(ビクトリアでない)も鉄道。右横のシティ・テムズリンク駅らしきところも鉄道。リヴァプール(リバプールではない)・ストリート駅の駅名が該当のところと離れ過ぎここの駅には地下鉄は乗り入れていない」「大英博物館がここなのはおかしい」「ロンドン塔を、中にある建物のひとつであるホワイトタワーだけにするのは変かもしれない」「B&Bがそれらしく見えるようにアイコンを工夫して」とデザイナーの日下さんから細かくチェックが入る。日下さんは地図が大好き。いや〜ほんと、チェックする方もする方、ようやる!いや、お世話かけております。

で、たっぷり一日仕事になったロンドン地図であるが、掲載サイズはほぼ名刺くらいなんだよなぁ。でっかいサイズで地図描きたいなぁ。いや、描きたくない、描きたくない。

住居兼喫茶店2軒

ウチの最寄の下高井戸駅の近くに「ぽえむ」という喫茶店があり、しょっちゅう利用しています。かつては植草甚一さんもよく訪れていたとか。

で、ウチの家の近くにもう一つ「ギャルリ・ド・ぽえむ」という喫茶店があります。「ギャルリ・ド・ぽえむ」は全国にある「ぽえむ」チェーンのオーナーの住居兼店舗らしいのです。そして名前からするとギャラリーにもなっているみたい。
しかし「ギャルリ・ド・ぽえむ」は住宅街の中の一軒家でした。看板こそ出ていますが、入るにはなかなか勇気がいります。なにしろこの町に住んで八年、私は毎日「ギャルリ・ド・ぽえむ」の前を素通りしていたのです。
はじめて行ったのは去年の夏でした。ちょうど「ぽえむ」で童心社のNさんと打ち合わせをした日のことです。Nさんは「私、ギャルリ・ド・ぽえむで知り合いの作家さんが展示をやっているので、そっちも見てから帰ります」というので、「この機会を逃したら、永遠に行かないかもしれない……」と思った私は、連れて行ってもらうことにしました。ついに入店する日が来たのです!
……で、実際行ったら、とてもいい感じのお店だったんですが(特にオチはなし)、その日たまたま、くもん出版のHさんという、とても品のいいおじさまがいらっしゃいました。しかもHさんは下高井戸在住の方でした。HさんとNさんはお知り合いということで、私もついでにご紹介していただきました。
その後、折に触れ「くもん出版から仕事よ来い〜来い〜」と念じておりましたところ、今年の春頃、運良くHさんから仕事がきました。ラッキー!
今日はその本の紹介です。鳴海風さんの「円周率の謎を追う 江戸の天才数学者・関孝和の挑戦」という本です。ブックデザインは中島かほるさん。img_2209img_2210img_2213%e6%8c%bf%e7%b5%b5%ef%bc%91%e6%8c%bf%e7%b5%b5%ef%bc%92%e6%8c%bf%e7%b5%b5%ef%bc%93%e6%8c%bf%e7%b5%b5%ef%bc%94%e6%8c%bf%e7%b5%b5%ef%bc%95%e6%8c%bf%e7%b5%b5%ef%bc%96%e6%8c%bf%e7%b5%b5%ef%bc%97%e6%8c%bf%e7%b5%b5%ef%bc%98%e6%8c%bf%e7%b5%b5%ef%bc%99%e6%8c%bf%e7%b5%b5%ef%bc%91%ef%bc%90%e6%8c%bf%e7%b5%b5%ef%bc%91%ef%bc%91%e6%8c%bf%e7%b5%b5%ef%bc%91%ef%bc%92%e6%8c%bf%e7%b5%b5%ef%bc%91%ef%bc%93%e6%8c%bf%e7%b5%b5%ef%bc%91%ef%bc%94「ギャルリ・ド・ぽえむ」の脇に細い道があります。暗渠で、ちゃんとした通りというよりは、いわば抜け道です。ものの数十歩も歩くと、「fischiff KÜCHE」と書かれた木の看板が立っています。
実はここも住居兼喫茶店(2階を見上げるとしばしばベランダに洗濯物が干してあります)なのでした。下高井戸の入りにくいお店その2です。店の名前はドイツ語の造語らしく、読み方がわかりません。店主に尋ねると「フィシッフ キュッヒェ」と発音するらしいです。覚えにくい……。この時点で入店へのハードルが高くなっています。
「いや〜暇ですよ、今日のお客は伊野さんがはじめて」とか「開店当初(今年の1月にオープンした)は友達も予約を入れてくれたけど、最近減ってるし」とか、ハードルを上げておきながら、ぼやいている店主は、かつて新潮社装幀室にいたデザイナーの二宮大輔さんであります。彼はフリーになってから仁木順平という名前でやっています。ややこしなぁ〜。
お店の名前も読めない上に、お店のホームページの地図が、初めて訪れる人には大変わかりにくく、だいたいそのホームページがドイツ語で(日本語は必要最低限しかない)さらにわかりにくいのです。ますますややこしいなぁ〜。index
「なんで仁木順平っていう名前にしたの?」と聞くと
「安部公房の『砂の女』の主人公の名前なんです。その男は行方不明になってしまうのです」と仁木順平は答えました。
つまり、この男はワザとわかりにくくして楽しんでいるフシがあるのです。そんな下高井戸ミステリーを味わいたい方は、勇気を出して行ってみてください。ホームページで営業日を確かめてからね(営業日を確かめるだけでも、まずドイツ語、その下に英語で書いてあって、見てるとだんだんムカついてくるんですけど〜)。
ドイツワッフルとスパゲティがおすすめです。お酒も安く飲めます。何人かで予約するとコース料理も出してくれます。
あ、そうだ。お店に行ったら「fischiff 」の名前の由来を店主に聞いてみてくださいね。結構いい話が聞けますよ。

巫女蕎麦古寺雲水大統領

まずは、似たようなタッチの仕事を二つ。一つ目は双葉文庫、早見俊さんの「千代ノ介御免蒙る 巫女の蕎麦」番付侍シリーズの3冊目。デザインは長田年伸さん。img_2183%e5%b7%ab%e5%a5%b3%e3%81%ae%e8%95%8e%e9%ba%a6%e3%82%ab%e3%83%90%e3%83%bc二つ目は角川文庫、井沢元彦さん「はじめての古寺歩き」。デザインは須田杏菜さん。img_2185最近、アニメ「オトナの一休さん」の絵を描いているから、前から気になっていた禅に興味が向いている。

日本美術を見ていると、例えば、若冲、蕭白、蕪村らの時代の絵も、禅の影響があるとか、禅の高僧の誰々と友達だったとか、色々ある。当時、禅はどんな存在だった?カルチャーか?あれ、蕪村って浄土宗の僧侶だったよな、とかおぼろげな自分の知識が余計にややこしくする。

この「はじめての古寺歩き」の中にも禅のお寺への影響が書いてある。

〈そもそも禅というのは、中国で起こり、日本に伝わったものなのですが、中国では禅のよき伝統が残りませんでした。韓国でも残りませんでした。いちばんよく残ったのが日本なのです。〉

〈禅宗では座禅という修行をすることが大切であって、仏像を熱心に拝むということは考えにはありません。(中略)そうしますと、仏像はそんなに重要ではないが、建築は逆に重要になってくるわけです。建築はあくまで修行の器としてですが、大切なものになってきます。〉

〈禅宗の世界観では、天地というものが一つの象徴であり、その天地の原理を知ることを重要視しました。そのため、それを身につけるために、さまざまな庭園が造られるようになりました。

いちばん有名なのが龍安寺の石庭です。〉

なるほど、枯山水ってそのために作られたのね。そういうのも昔どこかで読んだかもしれないが、その時は疑問にも何にも思っていなかったので、頭の中を素通りだった。今はいちいち疑問に思うので、ジグソーパズルのピースが埋まるような感覚です。 img_2186佐藤義英  画・文「雲水日記」。禅文化研究所発行。佐藤さんは大正10年生まれで、京都東福寺で修行した後、三重県上野市の法泉寺に住職し、病を得て昭和42年、47歳で世を去った、と略歴にある。

この本は「オトナの一休さん」の藤原ディレクターにいただいた。白隠や一休の研究で知られる芳澤勝弘先生が「オトナの一休さん」の絵を見て「この人は、雲水日記を見てるはずだ」とおっしゃったそうで、それで探して私にくれたのだった。img_2189img_2190 img_2192 img_2194 img_2193  img_2196自分の修行体験をもとに描かれた雲水の日常。これはほんの一部である。禅の修行をしながら、どこで絵の修行をしたのだろう。うまい!もちろん私はこの本は見たことがなかったが、花輪和一さんの「刑務所の中」ではないが、体験していないと描けない絵だ。

ところで、岩波文庫、中村元訳「ブッダのことば」を拾い読みしていたら、こんな一節があった。

〈笑い、だじゃれ、悲泣、嫌悪、いつわり、詐欺、貪欲、高慢、激昂、粗暴なことば、汚濁、耽溺をすてて、驕りを除去し、しっかりとした態度で行え。〉

なんとブッダはだじゃれを戒めておられた!しつこいだじゃれを言うおじさんには、このブッダのことばを教えてあげよう。

ちなみにこの「ブッダのことば」は数多い仏教書の中で最も古い聖典と言われる「スッタニパータ」を訳したものだ。

%e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%97%ef%bc%91 %e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%97%ef%bc%92 %e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%97%ef%bc%93だじゃれの好きな業の深いブックデザイナー、日下潤一さんに「ブログでトランプのことを書きたいから、トランプの絵を描いて」と頼まれたので描いた絵。「日曜までに欲しい」と頼まれた。こういうのは鮮度が命。あんまり似てなくてもいいや、サッと描いてサッと出そう。

ところが、日下さん、忙しいとか言ってブログを更新しない。なのでこっちで絵だけお先に。

一休さんの頂相とキャラ

「頂相(ちんそう)」とは禅僧の肖像画のことだ、というのを知ったのは実は最近。そう「オトナの一休さん」の絵を頼まれてから。一休宗純の頂相は22点も現存し、これほど多く描かれた禅僧は珍しいようだ。%e4%b8%80%e4%bc%91%e8%82%96%e5%83%8f%ef%bc%91%e4%b8%80%e4%bc%91%e8%82%96%e5%83%8f%ef%bc%92

左上の木彫は、一休の晩年に作られたもので、頭とあごに空いた穴には、一休の毛髪が実際に植え付けられていたみたい。ほかの3点も、飄逸で皮肉な一休の人柄が出ていて、これらの表情をアニメのキャラの参考にした。でも、この3点は角度が全く同じなので、どれかを元に写したのかもしれない。

一休の頂相の中には「え?これが一休さん?」と思うような顔もあるが、そんな顔をしていたとは信じたくない。%e4%b8%80%e4%bc%91%e9%a0%82%e7%9b%b8坂口尚さんの『あっかんべェ一休』(一休宗純の生涯と時代を重層的に描いた優れた漫画)の一休さんの顔は主人公補正されて、かなりカッコイイ。そしてライバルの兄弟子、養叟宗頥(ようそう・そうい)の人相がめっちゃ悪い。物語を作っていく上で一休の対抗軸として欠かせない人物が養叟なわけだが、今に至る「大徳寺」の発展は養叟なくしてはありえない、というお方でもあるらしい。%e3%83%a8%e3%82%a6%e3%82%bd%e3%82%a6%e8%82%96%e5%83%8fこれが養叟宗頥の頂相だ。そしてアニメのキャラにするとこうなった。%e3%83%a8%e3%82%a6%e3%82%bd%e3%82%a6%e9%a0%82%e7%9b%b8

「オトナの一休さん」でも養叟は毎度やり込められているのだが、制作スタッフの間では時々「養叟萌え」の声を聞く。もちろん、ふじきみつ彦さんの脚本と、養叟の声を担当されている尾美としのりさんの演技が加わってのことだが。
視聴者の皆様にも是非「養叟萌え」していただきたく日々制作に励んでおります。
そして「一休さん」と言えば蜷川新右衛門さん。本当は一休さんより年下だった。蜷川新右衛門の肖像画はないので、アゴが割れていたかどうかは定かではない。でも青っぽい着物とくっきりとした眉は往年のアニメの蜷川新右衛門さんぽくしておきました。%e6%96%b0%e5%8f%b3%e8%a1%9b%e9%96%80%e3%81%95%e3%82%93%e8%82%96%e5%83%8f
%ef%bc%99%e5%89%87%e3%83%bc%ef%bc%91%ef%bc%97この3人は一休の弟子たち。頭が青剃りでカワイイ。%ef%bc%95%e5%89%87%e3%83%bc%ef%bc%91%ef%bc%92こちらは養叟の弟子たち。頭がツルツルで、あんまりカワイクない。私の勝手な味付けです。%e5%9c%b0%e7%8d%84%e5%a4%aa%e5%a4%ab%e8%82%96%e5%83%8f地獄太夫。地獄太夫は一休の彼女の設定。声を担当している大堀恵さんにちょっと似てますかね?
%e8%87%a8%e6%b8%88私も頂相を描いてみました(僧侶でもない私が描いたものはただの似顔絵かな?)。臨済宗の開祖、臨済義玄がトイレットペーパーを持っている肖像。一休さんのセリフにこうある。「我々臨済宗の祖、臨済はこう言った、人がありがたがる経などトイレットペーパーと同じだと。そして臨済は、自らの経で何のためらいもなくケツを拭いた」
この絵は、曾我蛇足が描いたと伝えられている頂相を元にしている。ちなみに曾我蛇足は室町時代の絵師で(江戸時代には曾我蕭白が「ワシは曾我蛇足十世だ!」と勝手に言い出した)一休さんのお弟子でもあり、一休は曾我蛇足の絵の弟子だったと言われている。
%ef%bc%95%e5%89%87%e3%83%bc%ef%bc%91%ef%bc%94 大燈国師の肖像。一休さんのセリフに「大燈国師は権力や高貴な暮らしから離れ、五条大橋の下の河原で暮らす貧しい者たちに交じり、人間地獄の暮らしをしていたのだ…。しかも、二十年」とある。この絵は白隠が描いた大燈国師の絵の写しです。
そんなわけで、毎週水曜夜10時45分から絶賛放映中!
(11月13日午前1時40分から、四、五、六則の3話を連続で放送するみたいです)
一休さんも600年後に、まさか自分がこんなアニメになっているとは思わないでしょうね。

妖怪はしわたし

10月22日(土)
今年も妖怪になる日がやってきた。
午後三時に日本橋、山本海苔店に集合。今年もご好意で変身用の部屋を貸してもらえる。普段からしょっちゅう会っている友達もいれば、「一年ぶりのご無沙汰ですね」と、妖怪になる、その一点だけで繋がっている人間関係もある。もはや”妖怪関係”と言い換えてもいいかもしれない。
女子更衣室から「わ〜っ!」「すご〜い!」「可愛い〜!」とテンションの高い声が男子更衣室に漏れ聞こえてくる。
男子更衣室でもお披露目の盛り上がりはあったが、なにせ男子は三名、うちおじいさんが二名ということもあって、ご覧のように縁側的雰囲気になっていた。%e7%b8%81%e5%81%b4ま、それはいいとして、せーので、変身!!%e9%9b%86%e5%90%88%e5%86%99%e7%9c%9f%e3%81%a0%e3%82%88撮影:神藏美子さん(そうなのです、豪華なことにこの日撮影してくれたのは、あの神藏美子さんなのでした。以下日本橋界隈のカッコイイ写真の多くは神藏さん撮影。我々の撮った写真、見に来てくれたお友達の写真もちょこっと混じっています。※この記事の最後に、神藏さんが撮ってくれた動画もありますのでリアルな我々の様子もご覧ください。とっても物静かなんですよ、ボクたちって。)
変身したところでぶらりと日本橋を散歩。普段の地味な人生が一変!一躍街の人気者になって実にいい気分。%e7%88%aa%e3%81%8b%e3%82%86%e3%81%84%ef%bc%92「ちょっとまって、その前にわたし爪が痒くなってきちゃった。この棒で研ごうかしら」と妖怪猫おんな。%e3%81%84%e3%81%96%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%a9%8b1「ツルツルしてて爪がひっかからなかったから、やめちゃった。さ、みんな行きましょう」%e3%81%84%e3%81%96%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%a9%8b%e3%81%ae3妖怪夜泣きじじいと釜おんな。夜泣きじじいは夜泣き支那そばの付喪神である。手に持っている笛でチャルメラの音を鳴らし、日本橋の街を哀愁で包むのが得意技だ。

%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%93%e3%81%84%e3%81%84%e8%a1%971%e6%a8%aa%e9%a1%941「ねぇ、夜泣きのジイさん、アタシ見てのとおりの砂かけババァだけど、去年も口裂け女で顔出ししてたのよ」%e4%bf%a1%e5%8f%b7%e5%be%85%e3%81%a11 信号待ちの妖怪たち。%e3%81%84%e3%81%84%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%82%e3%82%8b%e3%81%ad「あら〜、きっと何かいいことあるわね〜」と記念写真を撮る食品関係の仕事に従事する女性。%e7%88%aa%e3%81%8b%e3%82%86%e3%81%84「ね〜!!ここ、爪磨ぐのにちょうどいいわ〜!化け猫犬之坊さんもいらっしゃいよ〜」%e3%81%84%e3%81%96%e8%a1%97%e3%81%b8「ワシも爪研ぎたい思てたとこですね〜ん!」%e4%b8%89%e8%b6%8a「あいつら派手で目立ってるよなぁ……」と三越のショーウィンドウに腰を下ろす、地味目の妖怪たち。%e7%99%ba%e8%b5%b7%e4%ba%ba%ef%bc%8f%e7%a5%9e「ねぇ、あたしたちこれから船に乗せられてどこかに連れて行かれるんだってね」「深川に行くんだってね。向こうじゃ子どもの河童たちが待ってるって話だけど」「あ〜それで今日のイベントは『妖怪はしわたし』っていうのね」「なんか説明的な会話だね」%e3%82%a6%e3%83%8a%e3%82%ae%e3%82%a4%e3%83%8c「ウナギイヌだ!ウナギイヌだ!」と呼ばれていたがウナギイヌではありません。でも彼女は「ウナギイヌだ!ウナギイヌだ!」と返すでしょう。なぜなら彼女は妖怪「山びこ」だからです。%e8%88%b9%ef%bc%8f%e7%a5%9eかくして妖怪軍団は渡し舟に乗り込んだ。ここで神藏さんとはお別れ。写真どうもありがとうございました。%e5%ba%a7%e3%82%8b%e8%a8%ad%e8%a8%88座る設計になっていないいったんもめん。%e8%88%b9%e5%87%ba%ef%bc%91%e8%88%b9%e5%87%ba%ef%bc%92

大勢の取材陣にフラッシュをたかれいざ船へ。見物人が橋から落ちそうなくらいいた。涙のお別れ、拍手の見送り、のはずが、船はぐるっと元いた場所に旋回。船頭さんがはりきって合計三回も行ったり来たり。三回目には橋の上はかなり寂しい状態になっていた。我々の気分も落ちぶれた芸能人のよう。%e3%83%9c%e3%82%b9%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%a9ボスキャラ感のあるナメクジの妖怪、なめたろう。
この日、日本橋、深川界隈に出没した妖怪には「プロ妖怪」と「遊び妖怪」の二種類がいる(プロ妖怪たちは一番最後の動画のリンクに映っているよ)。
遊び好きの妖怪とは我々のことで、仕事を一切しない。「お化けにゃ学校も試験も何にもない」のだから、当然仕事もやらないのである。
しかしプロ妖怪達には、イベントの告知や、子どもたちの先導、盛り上げ……などなど様々な仕事がある。

プロ妖怪の中の「河童」と「油すまし」が船上で、ちょうど私の後ろの席にいたのだが、体に直接ペイントをしている(つまり裸が露出している)河童が「めっちゃ寒い……」と凍えていた。それに対して油すましが「俺はまだ蓑があるからマシなんだよね」と言っていたのを耳に挟んだ。おつかれさまです!妖怪も仕事となると大変だ。%e3%82%af%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%82%ba隅田川クルーズを楽しんだ後(これが結構良かった。特に高速道路が頭上からなくなると、一気に情緒が漂い始める。そして深川の船着場へ。そこには総勢二十名の子ども河童と無数の見物人が待っていた。落ちぶれた芸能人気分から一気に世界のスーパースター気分へ!%e3%81%8a%e5%87%ba%e8%bf%8e%e3%81%88%ef%bc%92%e3%81%8a%e5%87%ba%e8%bf%8e%e3%81%88

ここから深川江戸資料館までまで四十五分ほど歩く。町はもうお祭り騒ぎさ!って実際これはお祭りの前夜際のイベントでもあった。この日は妖怪の姿で九千歩くらい歩いただろうか。
ここで妖怪からのパレード中のレポートをどうぞ。
〈夜泣きじじい(伸坊さん)が子ども河童に「眼鏡貸して」って言われれ渡したらそのまま持ってっちゃって、あわてて追いかけて取り戻しに行ってました。by釜おんな〉
〈子ども河童に「テングはどこに住んでるんですか?」と聞かれたので、「練馬区」と答えたら「え、練馬区…」とつぶやいてた。by天狗〉
〈子ども河童に「いったんもめんは普段どんなことをしているのか?」って聞かれた。byいったんもめん〉
〈尻尾のひらひらを踏まれて破壊され、ずるずる引きずって歩いてた。byいったんもめん〉
〈いったんもめんの尻尾をこっそり踏んづけてしまっていた。byからかさお化け〉
〈子ども河童「つくも神ってどんな神様なんですか」から傘「ナベとか釜とかいろいろ道具がね‥」子ども河童「ほかにもいるんですか」から傘「えーとね」子ども河童「つくもってどういう意味ですか」と詰め寄られた。byからかさお化け〉
〈やたら妖怪好きのナゾの女性(四十代くらい)に「からかさオバケ大好きなんです、触ってもいいですか」「キャー可愛い~」とからまれてリアクション出来なかった。byからかさお化け〉
〈子ども河童に提灯を貸したら持って行かれそうになったので「返せ」と言って慌てて取り返した。byからかさお化け〉
〈取材の人とかあんなに沢山来て撮影していたはずなのに全然記事とか見つけられなかった。byからかさお化け〉
〈子ども河童に「杖を貸して」とせがまれ、何をするのかと思って見ていると、自分の持っているでんでん太鼓を杖に合体させようとしていた。by琵琶ぼくぼく〉
〈ハロウィンゾンビや吸血鬼より、百鬼夜行はやっぱり日本人体型には合う。たまたま描いてた絵本の話がゆるキャラの被り物のお話でまさか実体験できるとは。(モモリン11月中旬発売!)←チャッカリ。by化け猫犬之坊〉
結局プロ妖怪でない我々も、深川江戸資料館の控え室に着いた時はさすがに一仕事した気分であった。「あ〜疲れた!」「あ〜蒸し風呂!」「あ〜足痛い!」と妖怪を投げ捨てるように一気に人間に戻ってしまった。何せ上が七十の爺さんから下は四十のおばさんだ。「自分なのに見てる人には自分じゃない体験」「報道陣にフラッシュ焚かれてキャーキャー言われるスター体験」「視界も狭く不自由極まりない体験」ひっくるめて「クセになりそう」とみんな言っている。来年もやるのでしょうか……。

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%e8%88%88%e5%a5%aeいまだ興奮冷めやらぬご様子。
今年の妖怪
ぬめぬめ妖怪なめたろう(足立さん)/化け猫犬之坊(いぬんこさん)/琵琶ぼくぼく(伊野)/天狗(海谷さん)/いったんもめん(霜田さん)/からかさお化け(丹下さん)/砂かけばばあ (戸塚さん)/山びこ(二宮さん)/妖怪お化けガエル(花尻さん)/妖怪釜おんな(古谷さん)/妖怪夜泣きじじい(南伸坊さん)/妖怪猫おんな(南文子さん)以上、あいうえお順。

 

↑神藏美子さん撮影編集の「妖怪はしわたし」の動画。

最近の挿絵 2016・秋

バイトをしていた時は、新聞はお店(喫茶店)で何紙も読めたので、家では取っていなかった。バイトを辞めてしばらくして、また読んでみる気になり、 M新聞の販売店に電話をした。集金に来た男性にいまいち好感が持てなかった。この人に毎月会うのは嫌だなと思い、講読料は引き落としにしてもらった。契約の更新も自動的になされる。契約更新時に人が来ないので、更新の手土産もない。私は販売所にとっていいカモであった。

二年くらい経って、小さい庭の掃除をしていたら、A新聞社の営業マン(勧誘員風ではなかった)が通りかかり、「ウチに変えてくれたら、1万円分くらいのサービスをしますよ」と声をかけてきた。お米もあります。ミネラルウォーターもつけます。チケットもいかがですか?契約解除の連絡は私が責任をもってします。ということなので、そっちに乗り換えてしまった。

集金の人が好感の持てない人だったら嫌だなと思い、また引き落としにしようと思ったが、挨拶に来た配達の人がとても好感度の高い人で「私は集金もしています」というので、引き落としをやめて、集金にしてもらった。おかげで更新時にはわずかな手土産をもらうことができた。

そんなことがあって、また二年が経ち、先週の話であるが、以前に袖にしたM新聞社の販売店から「今週から一週間、お試しでポストに入れますので、読んでいただけませんか」と電話がかかってきた。今、我が家のポストには二紙届けられる。M新聞の販売所が1万円分くらいのサービスをつけてくれたら、すぐさま乗り換える腹づもりだ。

……そんな話はどうでもいいのだが、新聞小説の載っているページを開くたびに「いったい私に新聞小説の挿絵の依頼がくるのはいつのことだろうか?」と思うのである。

……いや、挿絵の仕事自体、最近は少ないのだが、わずか一本の小説挿絵の連載と、単発の仕事を今週はアップして、終わりにします。さようなら。%e3%81%97%e3%82%87%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%82%8c%ef%bc%91%e3%81%97%e3%82%87%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%82%8c2

小学館の「STORYBOX」で連載中の谷津矢車さんの『しょったれ半蔵』。それにしても、イラストレーターのクレジットがチョイト小さすぎやしないだろうか。いや、それが今のイラストレーターの立場を示しているとも言える。頑張らなければ。%e3%83%9e%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%81%95%e3%82%93%ef%bc%91%e3%83%9e%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%81%95%e3%82%932

「オール讀物」で読み切りの平岡陽明さんの『マリーさんの101日』