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伊野孝行のブログ

友達からもらった仕事

僕は美大ではなくて、いわゆる普通の大学に行ってました。

学部には友達はいなくて、仲のいいのは美術部の仲間だった。美術部といってもただの趣味サークルだから真剣に描いてませんでした。

何を勘違いしたか、卒業後イラストレーターになろうと一念発起した僕は、紆余曲折、一進一退、20年近くもかかってどうにかイラストレーターになれました。

誰にでもある話だけど、友達が気にかけて仕事をくれることってありますよね。
さて先日、実に卒業後25年目にして、美術部仲間のMくんが仕事をくれました。
彼は印刷会社に勤めていて、そこそこエラくなっています。クライアントと直接やり取りしているのが彼で、彼の下に制作スタッフがいます。つまり彼は最終チェックをする立場。だから「上がこう言ってるんで…」っていう心配がない。しかも今回のクライアントはものすごく理解があるっていうか、ノリのいいお方のようでした。
とある団体の募集活動をする人がやってはいけないこと、守るべきことをマンガで紹介する冊子のお仕事でした。
最初の目次のページに入ってるのがいきなり、ヒョウ柄セーターのおばさん。
このおばさんこそ冊子を熟読すべき人なのです。
 さてちょっと中身を見ていきますか。
 このおばさん、めちゃめちゃ態度悪いです。ヒョウ柄だけど、Mくんは「トラ子」と命名していました。「なんでヒョウ柄なのにトラ子って呼ぶんだよ」と聞いてもMくんは「いいじゃないですか」とのこと。ま、これはMくんと僕の間で勝手に呼んでるだけなので、なんでもいいんですが。
 そしてこの出っ歯の人は通称「イヤミ子」です。キャラはみんなMくんが考えています。ちょっと古いね、名前が。
 このちょっとバブリーなおばさんは通称「バブリ子」。
 嘘をついたりするとすぐ汗をかく「汗かき子」。わかりやす〜い。
 で、この人のやることはすべて正しい「天使のおばさん」。
天使のおばさんの正しい行いと、他のみんなの悪い行いを通して、きちんと学ぼうという趣旨です。
当ブログの読者様は募集活動員ではないので、学ぶ必要はありません。
必要以上の口数をとってはいけません。
  誤解を招くような比較をしてはいけません。
 不当な切り返し、引き抜きをしてはいけません。
この耳と尻尾のついたおばさんはその名も「悪魔子」。そんなに悪い人に見えない?いえいえ、そのうち尻尾を出しますよ。
 断られた相手に再度勧誘してはいけません。
 個室などに誘って勧誘してはいけません。
 つきまとい行為はいけま せん。
 居座りなど迷惑なことをして契約締結させてはいけません。
 不確定なことを断言してはいけません。
募集資格者ではない人は契約締結をしてはいけません。
……驚愕の事実発覚!トラ子は募集資格者ではなかった(笑)!
 判断力不足に乗じて契約締結させてはいけません。
 勝手に名前を使ったり、契約を変えたりしてはいけません。
 契約書に事実と違うことを書かせてはいけません。
 本人に代わって申込書に記入してはいけません。
 締結できるまで粘ってはいけません。
 お客様のお金や持ち物に手をつけてはいけません。
悪魔子の本領発揮です。
 解約の際は本人確認が必要です。
 解約依頼を引き延ばしたり、渋ってはいけません。
 解約手続きのために来社を強要してはいけません。
 解約手数料の説明を怠ってはいけません。
加入契約書を持ち歩く際は、絶対に手元から離してはいけません。
 個人のパソコンや携帯 にお客様の情報を入力してはいけません。
申し遅れましたが、デジタル機器に強くてお色気作戦も辞さないこの子の名前は「デジ子」。安易です。
 会社を辞めたらお客様の個人情報は引き渡さなければいけません。
 相談・苦情には真摯に対応しましょう。
 名義を借りて契約してはいけません。
……ちなみにヒロシはMくんの似顔絵になっています。カメオ出演ってことで。
また仕事ください〜。

笑なん八百屋時代

日本農業新聞で連載中の島田洋七さんの自伝的エッセイ「笑ってなんぼじゃ!」の挿絵から。洋七さんが高校を卒業し、八百屋に勤めだすあたりのお話です。夜の7時半か8時くらいから、最初のステージが始まった。ピンクやブルーや黄色やらのカラフルな照明が瞬く広いホールには、きれに着飾ったホステスさんたちがズラリ。もう初めて経験する大人の世界に胸がドキドキしたのを覚えている。しばらくすると内山田さんたちの歌が始まった。(内山田さんたちというのは内山田洋とクール・ファイブのことです)東は歌が好きで好奇心が人一倍強かった。そんな東がある日、ジャズ喫茶に行こうといい出した。「今、バーブ佐竹が出とう!」
興奮すると、故郷の姫路弁が出る東。「ほんまか、すごいな。でも、高いのんとちゃう?」「2000円や。ほんまやったら3000円以上、いやもっとするやろけど、とにかく2000円や!」「君ら、ほんまにバーブ佐竹を聴きにきたんか?」 横に座ってたおじさんがニヤニヤして聞いてきた。俺らがきょとんとしていると、おじさんは「あそこ見てみぃ」と、入り口のポスターを指差したんや。あるとき事務所の人から「大分先の話なんだけど」と幕前の仕事の依頼があった。「北海道で2日間、2箇所のクール・ファイブの幕前の仕事があるんだけど、洋ちゃん行ける?」突然楽屋に入ってきていきなり叫んだ俺に、全員が俺を指差して言うた。「だろ~!」「君、国際楽器店で会って、楽器運んでくれたよね」と内山田さん。「はい!」「みんなでB&Bを見ながら、この右側の方、どっかで見たことあるよな~と言ってたんだよ。やっぱりそうか! あれから何年になる?」「10年くらいですかね」それから1ヶ月もせんうちに、テレビ番組『日本全国ひる休み』のロケで、四国に行った。 ロケが終わって、ご飯を食べているときに、店の人との何気ない会話で「今日の昼、内山田洋とクール・ファイブのショーをやってたよ」という話が出たんよ。俺は辺りのホテルに片っ端から電話して、会いに行ったよ。内山田さんは、「おお! どうした、こんなところに」と笑顔で迎えてくれた。オマケ。内山田洋とクールファイブです。たぶん今のオレよりみんな年下なんだろうな〜。河井は広島からヤクルトへ移籍して、1974年に引退。引退後は広島で「焼肉河井」をやっている。有名人が名前だけ貸しているような店やなくて、ほんまに旨い店やねん。カープやヤクルトの選手もよく来ているよ。河井とは今でも仲良くて、広島に行ったら顔出して、昔話しに花を咲かせている。俺の自慢の友達や!相手のベンチの真上で「広陵勝て!」と叫んでいる俺を、周囲の人は「なんやこいつ」みたいな目で睨んでいた。

この挿絵2枚分の原稿をミスって消去してしまったので文章はナシ!免許もとったし、お母さんに八百屋への就職を勧められるとこですね。俺はかあちゃんと一緒に藤本商店に挨拶に行った。藤本商店は間口五間の大きな店で、建物は二階建てになっていた。二階は倉庫と従業員の広い部屋。俺が明日から寝起きするのは、この部屋らしい。みんな気が荒いから運んでいるトロ箱とトロ箱がぶつかったとか言うては、しょっちゅう喧嘩。ときに殴り合いにまで発展することもあるんやけど、武器が大根やったり、白菜、ごぼうとかやったりするから、笑ってしもた。鮭切り包丁は、長さが1メートル以上もある刀のようなでっかい包丁。それを振り上げて追いかけてくるもんやから、びっくりしたよ。俺は、そこらへんのダンボールを蹴散らかして一目散に逃げた。 藤本商店のご飯はとにかく豪華やった。「アキやん、今晩何食べたい?」と娘の和子さんが聞いてきたので、何気なく「肉がいいなあ」と言うた。「ほな、これで買うてきて。いつもの言うたらわかるから」と言われて、手渡されたのは、なんと1万円。あっけにとられて、肉屋に行くと「あ、藤本さんね」と、肉屋のおっちゃんは、慣れた手つきで霜降りの特上肉を分厚くステーキ用にスライスしている。 朝の4時に起きて、夜の10時に寝るまで、一時も休むことなく、黙々と働き通しやったよ。生活も質素で遊びに行ったりすることもなく、風呂なんかでも俺がタオルに石鹸をごしごしこすりつけていたら、よう怒られた。あるとき、お客さんがりんごを持ってきて「このりんご、家に帰ってからみたら、ここのところがちょっと傷んでたわ」と言われたことがある。「すいません、じゃあこれで」と代わりのりんごを1つあげようとしたんや。そしたら奥からおばあさんが出てきて「まあまあ、すみません」と言うて、お客さんにりんごを2個あげた。「アキやん、お前、袋に入れるときいつも1個落としてるじゃろ」うわ、見つかった。怒られるかなと思ったんやけど、「お前、上手いな」とニヤっと笑った。俺と和子さんはウマがあって、今でもそうやけど、まるで姉と弟みたいな関係やった。言いたいことも自由に言い合って、しょっちゅうじゃれあいのような喧嘩もしていた。俺がからかったりすると、物を投げながら追っかけてくるんやけど、投げるのはいつもじゃがいもか玉ねぎ。間違ってもトマトや桃は投げん。そうや! 敵の懐柔作戦や。まず、そっと静かに戸を開けて、細心の注意を払って音を立てないようにガラスの陳列ケースに近寄って、店で売っているちくわを犬に食べさせて黙らせる。そして犬がちくわに夢中になっているうちに、足音を忍ばせて二人に気づかれることなく2階に上がっていくんや。配達を頼むのは、裕福な家かお年寄り。例外として一軒、女子大があって、ここは俺が一番苦手な配達先やった。家政科の調理実習で使う食材を買ってくれていたんやけど、実習室には俺と同じ年頃の女子大生がズラーっと座っていて、俺が「ちわーっ!」とドアを開けると、みんなが一斉に振り向くんや。俺は考えた。野菜を買ってもらう代わりにいろいろ用事を手伝ってあげたらどうやろう、と。それから俺は配達のついでに肉屋から肉を買って届けたり、クリーニング屋に毛布を出してあげたり、お医者さんから薬をもらってきてあげたりするようになった。「おい! お前、何しとるんや!」と声をかけると男はビクッとして、その場に立ちすくんだ。狭い露地の奥で、男は逃げる場がなかった。「おい。自分が悪いことをしているんは、わかってるんやろな。警察行こか」藤本商店のお得意さんには社長さんの家も多かった。社名を言うたら、誰もが知ってるある大企業の社長さんの家に、年末に御用聞きにいったときのこと。奥さんからインターホン越しに「相談したいことがあるの」と言われた。何やろ、と門をを開けて中に入ると、奥さんは、広い敷地の中にある倉庫に俺を案内した。この倉庫がすごかった!「ここは体育館かい!」と言いたいくらいのでかい建物やった。そのでかい倉庫の中には、みかん、ハム、ソーセージ、新巻鮭、お菓子、ウイスキー、サラダ油、牛肉の味噌漬け、海苔、缶詰なんかが箱のまま山積みされていた。ビールや日本酒、醤油なんかもケースのまま、どーんと積まれて、まさにお歳暮の山ができていた。「これ、全部、お宅で引き取ってもらえないかしら」

ある時「ナガイモ半分、配達してね」と注文してきた奥さんがいた。俺は1メートルほどあるナガイモの両端をちょっとだけ切り落としたのを持って行った。「奥さん、ナガイモ半分、お届けにあがりました」と俺が言うと、「まあ、これで半分?ナガイモってほんとに長いのね」と、にこにこ笑っていた。

『短歌倶楽部』終わる。

UCカードの会員の人に送られてくる「てんとう虫」という雑誌で2016年からつい最近まで連載していた、歌人の福島泰樹さんのエッセイ『短歌倶楽部』につけていた絵です。

エッセイの多くは死んでいった友への惜別録でもありました。私の絵に冗談は一切求められてません。冗談なしの縛りが結構キツくて、毎回悩みました。

ギャグが禁じ手ならポエジーで勝負しなくてはいけないのです。ヘタなんだよね〜、僕ポエジー出すの。

ちなみに福島さんは過激で情念豊かな歌人、僧侶、ボクシングレフリー免許保持者です。「絶叫コンサート」で有名な方です。

今までにこのブログに載せた絵もありますが、最後ということで重複をお許しください。エッセイの中には毎回幾つかの素晴らしい短歌も挿入されていました。絵は短歌に合わせて描いたわけではないのですが、ご一緒にどうぞ。

悲しみのパンツは脱ごうあたたかに涙は溢れているのであった

茫漠の星を宿して帰還せず 六年二組をいでし男ら

あおぞらにトレンチコート羽撃けよ 寺山修司さびしきかもめ

 桜吹雪く校庭を駆けゆきしまま黒きマントに歳月やふる一期は夢なれどくるわずおりしかば花吹雪せよ ひぐれまで飲む

絢爛と散りゆくものをあわれめば四月自刃の風の悲鳴よ

敗北の涙ちぎれて然れども凜々しき旗をはためかさんよ

ひたぶるの青春なりきサンドバッグ叩かん明日の荒野は知らず

立松和平とのぼりし坂をくだりゆく四十年は逆巻く霧か

時代とこころの闇にむかって書いてきた光の雨よ若き死者たち

 黙ふかく悲しみふかくやわらかき女体のごとく雪にまみれよ

水底の砂に埋もれ死んでゆく 十一歳のあわれわが詩は

目をつむればみなもに浮かび漂える夕日のなかの赤いサンダル

御徒町のガードの上をゆく雲の大原病院 跡形もなく

愛と死のアンビヴァレンツ落下する花恥じらいのヘルメット脱ぐ

鯖のごとくカブト光れり われ叛逆すゆえにわれあり存在理由【レーゾン・デートル】

ポーランドの雪原走る二筋の黒い鉄路の行く先知らず

追憶は白い手袋ふっていた霙に濡れたガラス窓から

中也死に京都寺町今出川 スペイン式の窓に風吹く

喇叭飲みしつつ歩けばびしょびしょに濡れてワイシャツ滴しずくを散らす

 見上げれば青雲たなびきおりしかな雀荘「四万露」窓の彼方に

力道山そしてケネディー濛々と 時代を黒き霧が覆わん

脱ぐなむね ちぎれた君のアノラック俺が真水を汲 んでくるまで

「朝日のあたる家」を出なば刺草の辛き荒野の涯なる夢よ

 一期は夢なれどくるわずおりしかば花吹雪せよ日暮れまで飲む

 懐かしいなどとほざいて振り向けばタールのような夜がきている

女二人眠る部屋より春嵐はげしき 路地へ逃れ来たれり

君の席あわれと思いつくりやる花 散り急ぐ 四月九日

魂の奥底ふかき挫折さえ乗り越えて来し霧のリングよ

愛しきは酒と稲妻、なやましく丼に酒あふれせしめよ

上を向いて歩けば涙は星屑のごとく光りてワイシャツ濡らす

小劇場澁谷ジァン・ジァン打揚げの三平酒寮の灯も遠く去る

野枝さんよ「虐殺エロス」脚細く光りて冬の螺旋階段

しなやかな華奢なあなたの胸乳の闇の桜が散らずにあえぐ

切なさや漣のように襞をなし押し寄せてくる憶い出なるよ

もう誰も知らないだろう六〇年代戦死者の花雨に濡れおる

敗北の涙ちぎれて然れども凜々しき旗をはためかさんよ

稿用紙の上にたばしる時雨あらば孤立無援よ濡れてゆくべし

升酒やあかるいひかりてらしてよ力石徹 ウルフ金串

笑うため仰向いて飲む冷酒や酒のコップ三杯さよならを言う

順序を逆に最終回から第1回までの絵を見ていただきました。今までも原稿の声に耳を澄ましそれに応じてタッチも変える方法でやっていました。それでも同じ連載の中でのタッチは統一していたものです。この連載に限っては、もはやそれすらどうでもいいのではないかと思い、何も統一しませんでした。

時代考証秘話その2

さてさて、神仏習合を正面から取り上げた画期的な番組、歴史秘話ヒストリア「神と仏のゴチャマゼ千年 謎解き!ニッポンの信仰心」の時代考証に触れながら描いた絵をふりかえる第2弾でございます。

第1弾を終えた時点では、続けて第2弾をやる気だったんですが、時間が過ぎるとともにだんだん気持ちが失せてきて……いや、でも途中でやめるのも気持ち悪いしな……。

はい!

では、行きましょう〜!

時は748年、場所は大分県の宇佐。八幡宮の原型?のような神社が舞台です。

聖武天皇の使が唐に渡る前、宇佐に立ち寄り、祈った。

使はこう祈った。「無事に唐へ行って、黄金をもって帰ってこれますように」

さてここの時代考証。

八幡の巫女、大神杜女(おおがのもりめ)は鉄鐸から変わって「咒師の鈴」を持っています。

建築考証の先生からのアドバイス。

「社殿は中型で三間社、朱塗り、切妻造、階段はない。その前に簡素な土間床の三間の建物、いわば拝殿を作り、そこに空座の四角い畳をおいてはどうかと思います。そこに神を迎えて祭りを行うと考えます。」

と言われても全然わからん……。担当ディレクターの丁寧な説明と解説、資料の提供、そして考証の先生直々のラフスケッチを参考にして、はじめて絵に起こすことができました。この絵に至るまでに3回ほど修正をしたと思います。はい、では続きを。

すると八幡神が大神杜女(おおがのもりめ)におりてきて、お告げをくだした。

「汝らが求めるところの黄金はまさにこの国より出るであろう。使いを唐に送ってはならぬ」

「な、なんと」

すると翌年、陸奥国で金が発見されたのだ。

聖武天皇は大喜び。「は、八幡神の仰せのとおりじゃ!これで光り輝く大仏が造れようぞ」

さてここでの時代考証。

大仏は初代大仏です。現在の大仏とは違います。

写真はNHKのドラマ「大仏開眼」の時に作られた初代大仏の模型。

聖武天皇が頭にかぶっている冠(なんて名前だったかな)にぶら下がっている玉のジャラジャラ(たぶん正式名称はあると思います)の数は前、後ろとも12本づつなのが正解です。でもドラマなどでは、12本たらすと顔が隠れてしまい、俳優さんが嫌がるので本数を減らしてしまうことがあるのだそうです(本来、玉のジャラジャラは顔を隠すためにあるのでしょう)。

「装束考証の先生は12本ないのがちょっと不満だそうですよ」とディレクターにささやかれたので「だったらきっちり描きましょう!」と請けあいました。みなさん、12本ですからね。正確に描きましょう。

作画の資料を探しているうちに見つけました! 考証の先生をがっかりさせたのはこの俳優さんでしょうか。ジャラジャラは8本です!

次に「聖武天皇」と入れて検索すれば出てくるこの絵、立派な絵なのにジャラジャラは10本!惜しい!

しかし、ドラマ「大仏開眼」で孝謙天皇を演じた石原さとみのジャラジャラは12本あります!さすがです!でもかわいいお顔を見せるためちょっと短いのかな?

はい、粗探しはやめて次に行きましょう。

時は翌749年。

陸奥から黄金が見つかると、また八幡神にお告げがあった。

「われ都に行って大仏を拝むぞ」

一行は宇佐を立ち、奈良の都へ向かった。

一条大路を進む紫の輿に乗っているのは、八幡神。ただし人に見えるのは、巫女であり、尼でもある大神杜女(おおがのもりめ)の姿。 

輿は資料があります。

色はこんな感じだったようです。

「ようこそおいでくださいました」

転害門(てがいもん)で文武百官に出迎えられた輿は、大仏の前へと向かった。

転害門はほらこの通り現存しております。

「八幡の大神(おおかみ)、お待ちしておりました」 

聖武上皇と孝謙天皇の出迎えを受けた八幡神は、大仏を拝んだ。

天皇は聖武から娘の孝謙へと変わっています。石原さとみの役ですね。

そのあと僧5000人が読経し

唐の音楽や舞が披露され、八幡神をもてなしたのじゃ。

「そのあと僧5000人が読経し

唐の音楽や舞が披露され、八幡神をもてなしたのじゃ」と

セリフでいうと2行ですが、絵に描くのは大変です。

しかも映るのは1秒〜3秒くらいだったかな。

テレビの仕事は大勢の人に見てもらえるのが嬉しいのですが、一枚の絵はちょっとしか写りません。

まだ続きます。

次は神仏習合において、なるへそな大発明、本地垂迹説の説明パートです。

場所は須弥山世界。

世界の中心に須弥山という大きな大きな山がある。そのはるか上空に、仏や菩薩たちがおられる。

そんな須弥山世界を描いたアニメのワンシーン。

ちっちゃくてわからないけど、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来、普賢菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩、千手観音菩薩、如意輪観音菩薩がいます。

「仏の姿に間違いがあってはならぬ」という事で、ちゃんと描いています。でも、ほとんど映っていないけど。

いいのです。まっとうな仕事というのはこういう事です。

でも、ブログでは「ちゃんと描いとるぞ〜」と載せておきます。

仏たちは遠く東の、粟粒が散らばったような小さな島々の民、つまり日本の人々を救いたいとお思いであった。

釈迦「さいはての民は悟りから遠い。とはいえ我らがこの姿のまま現れても、彼らは驚くばかりでうまくいくまい。どうしたものか…」

文殊「お釈迦さま、これならいかがでしょう。我ら本来の光り輝く姿を隠し、彼らに親しみ深い〈神〉として姿をあらわせば」

釈迦「確かに、このままではさいはての民にはまぶしすぎようぞ。よきかなよきかな。では早速、ヘンシーン!」

文殊「ヘンシーン!」

観音「ヘンシーン!」

かくして仏や菩薩は日本の民を救うために、神の姿に身をやつして現れた。だから神々は実は仏が変じたお姿なのじゃ。なんとありがたいことではないか。

救いを求める日本人の絵。

アニメーターの幸洋子さんのアニメートで素晴らしいカクカクアホラシアニメに仕上がっていました。

ここまで書いて、かなり疲れてきました。

でも頑張ろう。あと少し!

時は鎌倉時代初期。

ここの時代考証は簡単です。「春日権現験記絵」をそのまま描き写せばいいのです。

奈良のとある寺の僧(頓覚坊)が、深く悩んでいた。

「春日大明神、お助けください」 

夜遅く春日に詣で、瑞垣のうちに入り込み、本殿のすぐ近くで法華経をよんだ。そして夜が明ける前に帰っていった。これを百日続けた。

百日目。疲れた僧は読経しながらつい眠ってしまった。

夢の中に美しい若君(春日神)が現れ、僧のひざのうえで遊んでいる。見ると髪の毛が濡れていた。

「どうして髪の毛が濡れているのですか?」

「おまえがよむ法華経がうれしくて、喜びの涙で濡れたのだ。でも法華経はライバル比叡山で大切にしているお経だよ。興福寺が大事にする唯識論だったらもっとうれしかったのに」

「それによく聞け。あまり近すぎるのはよくないぞ。これからは瑞垣の外でよんでね」

「はい、そういたします!」

僧侶がそう答えると、ひざがすっと軽くなった。

ここもアニメーターの幸洋子さんの力によるところ大です。

さあ、最後のパートです。

時は1868年3月。

場所は神祇事務局(二条城か吉田神社におかれていた可能性が高いのだそうです)。

 樹下茂国(じゅげしげくに)「諸悪の根源は、神道に仏教が混じってしもうたためじゃ」

国学者「けがらわしい!我が国の将来のため、仏教など払いのけよ!」

樹下茂国「神道を純粋なる頃に戻すべし!」

樹下茂国ともう一人神職の衣装は「狩衣(かりぎぬ)」です。

「直衣(のうし)」ではありません。違いは、狩衣は肩に切れ込みがあることです。直衣には切れ込みはありません。

ま、このようにして奈良時代から始まった神仏習合は明治の世に神仏分離させられたわけです。

本当に明治時代ってさぁ……ま、いいや。

前にも書きましが、神仏習合とはいい加減をええ加減に保つように工夫し努力してきた日本人の精神史そのものである!と私は主張したいですね。

あ〜ブログ長かった。

更新するの疲れた。

読むのも疲れたでしょ?

終わりだ!終わりだ!

今週はおやすみ

今週はボランティア活動に忙しく、更新は一回休み……という風に更新してしまっていますが、内容はナシということで。

あ、そうそう、WEB対談「イラストレーションについて話そう」が更新されております。

今しばらくのお付き合い何卒よろしくお願い申し上げます。

第13回前編 シュールな絵は好きですか? シュルレアリスム①

第13回後編 不思議な絵はどうやって生まれるのか シュルレアリスム②

カーペンターズ・エッセイ

今、道を挟んだ向かいに家を三軒建てている。

別々の家なので進行具合もズレていて、うるさいを通り越して、ちょっとしたノイズオーケストラだ。

あまりに気にならない時と、耐えられない時がある。すべては心持ち次第。耐えられない時っていうのは、仕事や人間関係などの気にかかる案件で、すでに心の目盛りはあふれそうになっている。

「うるさーい!」と部屋の中で叫ぶが、どうにもならない。

解体をし、地面をならしをし、基礎を作り、家の骨組み作り、外壁を貼っていく……それぞれを専門用語で何というのか知らないが、これらの工程は完全に分業化されている。家というのは、棟梁とその下で働く大工さんたちによって一貫して建てられていくものではすでにない。

解体の時は外国人労働者が来ていた。ヨイトマケの唄は彼らのお国のものだろう。解体の騒音にまじって、アラブの旋律が細い路地に響き渡る。

そのあとの基礎作りに来ていた人たちはやたらに仲が良く、朝の集合時間からすでに笑いが絶えない。仕事中も邪魔にならないくらいの軽口をずっと叩いている。

かと思えば、もう一方の家の基礎作りには年老いた職人と中年の職人の二人組がやってきた。中年による老人への当たりがキツイ。

「ねえ!〇〇さん、急がないでいいから丁寧にやってよ、危ないし」

「だからさ、〇〇さん、さっきも言っじゃん……」

注意に対する老人の返事は聞き取りにくく、そのたびに中年に「え?」と聞き返される。中年がイライラしているのがわかる。

僕も昔バイトでこうやってずーっとマークされて注意を受け続けたことがあった。そういう時ってすべてが裏目に出る。なんだかせつなくなってしまう。

そして今日は、朝からエグザイルのような集団がやってきて、ものすごい勢いで、柱を建てている。

ダンダンダン!トンカントンカン!と木を打つ音、電動ノコギリの音、柱を釣り上げるクレーンのエンジン音、それらが凄まじいハーモニーとなって襲いかかる。

なんと午前中で2階まで組み上げてしまった。

職人が入れ替わり立ち替わり現れては消えていく。現代の棟梁は、住宅会社の事務所の机に座っているのだろうか。

職人たちをまとめ、材料を吟味し、金の計算をし、お客の顔色も伺って……と、すべてを把握しなければならなかった昔の大工の棟梁には「辺りを払う威厳があった」と山本夏彦の本に書いてあった。その風貌も今はおいそれとは見れなくなってしまったということだ。

黒澤明の話を思い出した。世界のクロサワも最初は当然助監督だった。山本嘉次郎についていた。毎回怒られる。今日こそはこれでカンペキと思ってもまた怒られる。どうしてだろう?と悩んでいたが、自分が監督になってその理由がわかったという。自分の記憶が曖昧なので、ざっくりとしか言えないけど、「一番上の監督という立場に立たない限り、見えないものがある」ってことだっと思う。

ま、この先自分がそういう立場に立つことはないけどね……。

……って、今週は先週の続き、「歴史秘話ヒストリア」の時代考証苦労話を書くつもりだったのに、朝から騒音を聞いてパソコンに向かってたら、エッセイを書いてしまったではないか!そしてもう3階までできている!

今から、「歴史秘話ヒストリア」の話を始めると、分量が長くなるので今週は違うのを載せよう。

キングレコードから出た『りゅうぞう&かづとの おどってあそんで Hello! Going! 』のジャケットです。こちらは裏ジャケットです。

また来週!

時代考証秘話その1

先週の歴史秘話ヒストリア「神と仏のゴチャマゼ千年 謎解き!ニッポンの信仰心」はご覧いただけましたか?

神仏習合を正面から取り上げた画期的な番組でした。しかも内容が神回、いや仏回?と言ってもいい素晴らしい出来でした。自分の参加した番組をそんなに褒めるなって?いや、でもマジですごく面白い番組だったから褒めさせて。

番組を見て私はしみじみ思いました。

神仏習合とはいい加減をええ加減に保つように工夫し努力してきた日本人の精神史そのものだと言っても過言ではないでしょう。

なかなか難しいテーマかもしれませんが、この番組をきっかっけとし、神仏習合で5時間くらいの特番を作って欲しいです。

さ、今週はけっこう大変だった時代考証を交えながら、アニメのために描いた絵を紹介しましょう。苦労したからブログのネタとして引っ張るぞ〜。

しばらく先週アップした絵と同じのが続きますがご容赦を。

まずこの絵に描かれたのは古墳時代末期(5世紀〜6世紀前半)の祭祀の様子です。

場所は今の三重県の北部、桑名の多度です。多度大社のある場所です。その昔は神社の建物はありませんでした。

大きい岩は岩座(いわくら)と言ってこの前で祭祀をとりおこなうのです。

巫女がもつのは鉄鐸です。これは実際に発掘されたものがあります。たぶんこういう風にジャラジャラ鳴らしていたのではないかということです。

日本書紀を書き換えたバージョンの一つ「古語拾遺」には、天の岩戸の前で、アマノウズメが「矛に鉄鐸を付けて樽の上で踊った」とあるそうです。そういうところからもイメージしたりして、古代祭祀の様子を描いていきました。お供え物もどこらへんにあるかははっきりわかりませんが、たぶん岩座の周りではないかということです。器の発掘事例でいくと、壷のようなものやたかつきのようなものはない。酒など液体を入れるには漆の木器はあったかもしれない。魚やアケビなどの木の実、穀物が土器に盛られていたと考えられます。

こちらは仏教伝来の絵です。

日本書紀によれば552年。

欽明天皇が百済からの使節に謁見しています。この当時は天皇という呼び名ではなく大王(おおきみ)ですね。

時代は少し下りますがモッくん主演のドラマ「聖徳太子」をある程度参考にしています。でも、絵は簡略化してるので、だいたいなんとなくです。欽明天皇の冠とか、なんとなくこんな感じ?って。一応埴輪が当時の姿をかたどってはいるようですが、デフォルメされているのでよくはわかりません。天皇が座ってる椅子も実はややテキトウ。

経典は紙ではなく、木(竹だっけ?)です。仏像は船形の光背がついたお姿だったようです。これだって欽明天皇に贈られた仏像が残っているわけではないので、たぶんこういうのだっただろうってことね。さて、場所は多度に戻りますが時代は763年。

以前は何もなかった岩座の上に見世棚造の小型社殿が置かれています。それらを朱塗りの垣が囲んでいます。お供え物は八足台の上にあります。だいぶ変わりましたね。これとて資料写真があるわけではないので、建築考証の先生のご意見を伺いながら描いております。

そうだ、建築の考証の先生は私の高校の先輩だってディレクターから聞いたな。センパイお世話になっております。巫女の髪型はどうでしょう、こんなので良かったかな?巫女の前にいるのは豪族ですが、豪族の服の色は装束の考証の先生からの指示があります。多度の聖なる杜の中を歩いてくるのは、満願上人という神仏習合の歴史おけるスーパー僧侶です。満願上人の立ち姿として参考にしたのは興福寺の十大弟子像。くるぶしくらいまでの僧服の上に「九条袈裟」というものをまとっています。また、この袈裟のまとい方ってのが仏像や写真じゃよくわかりにくいんだ。袈裟の色もいろいろあるが、ここは無難にブラック&ベージュにしておけば問題ないだろうということでした、ディレクターはこの袈裟を調べるために、装束考証の先生の指示で「袈裟史」というシブい本を読んで勉強されたということです。大変だー、ちゃんと仕事をするのは。

満願上人は神の住まう山の木を切って、小さなお堂を建てた。その後、地元の豪族たちが鐘や塔を寄進して、神社の聖域の中に神宮寺が建てられた……というのをだんだん建物が増えていく様子で現した絵。この絵に至るまでに何回も考証の先生とやり取りをしていたのですが、結局番組の尺に収まらなさそうということで、ラフ止まりで本番の作画にはいたりませんでした。

いかんいかん、この調子で紹介していくと4週くらいに渡ってしまいそうだ。当分ブログのネタに困らないけど、誰かついてきてくれる人はいるでしょうかね……。来週も続けていいかな?いいとも〜!

ヒストリアだよ神仏習合!

今週のNHK「歴史秘話ヒストリア」は神仏習合をテーマにした「神と仏のゴチャマゼ千年 謎解き!ニッポンの信仰心」です(水曜 午後10時25分 | 再放送 毎週土曜 午前10時05分)。

歴史秘話ヒストリア「神と仏のゴチャマゼ千年 謎解き!ニッポンの信仰心」

ディレクターの角野さんは20年前から「神仏習合」をテーマに番組が作れないか考えていたようです。

角野さんは自身の FBでこう書かれています。

〈神仏習合そして神仏分離・廃仏毀釈は、神社側にとって触れられるのはタブー的なところがありまして、あきらめました。しかし911以降の「文明の衝突」への危機感から神仏習合の再評価が進み、肯定的にとらえる神社も増えてきました。〉

なるほど、20年越しに企画が実現できたのは単なる偶然ではなく、世の流れの必然とも言えるでしょう。今やるべき企画、必要とされる番組、ということですね。私も大いにはりきって絵を描きました。初詣で神社やお寺に行くと、どっちも賽銭箱に小銭を入れて拝むスタイルなので、いくつも回ってるうちにごっちゃになって、お寺なのについ柏手を打ったりした経験ありませんか?私はあります。それは私がうかつだからでしょうか。

いや、それは私がうかつではなく、ご先祖様が長い時間をかけてゴチャマゼにしようと努力をしてきた結果なのかもしれません。

「神仏習合」と「廃仏毀釈」は一応学校で習いました。

「廃仏毀釈」は明治政府が神と仏を無理やり分離させたやつですね。この時は仏の方が悲惨な目にあって、仏師、高村光雲の自伝には、光雲がお手本のようにしてた仏像が燃やされたり、二束三文で売り飛ばされたりして、大いに嘆く場面があったように記憶しています。

廃仏毀釈になった時、神仏習合していた証拠の多くは破壊されてしまったようです。我々は当時の様子をなかなか知ることができません。だが、今回、春日大社など有名社寺の協力で、封印された歴史をついに公開!なのです。これはもう日本人全員見るしかありません!!!

日本人全員必見の番組にどうして私が絵を描くことになったとかと言いますと……ここでまた角野さんの FBから引用しましょう。

〈「歴史秘話ヒストリア」って基本は再現ドラマをやるんです。けど今回はやめました。だって内容が・神が憑依する・またもや神が憑依する・仏が神に変身する・夢に神が現れるですからね…でもってアニメにしました。〉

というわけです。

NHKの歴史番組ですからイラストも歴史的に正しくないといけません。時代考証は装束や建築の先生がいて、きびしいチェックが入ります。何度もラフを描きました。すごく勉強になりました。今週は放送前なので全部載せませんが、来週のブログでは番組に描き下ろした歴史的に正しい絵の数々を載せましょう。誰かが検索してたどりここに着いた時に、私の絵が参考になるはずです。えっへん。

絵の動きはアニメーターの幸洋子さんがつけてくれました。幸さんのつける動きは、名前の通り人を幸せな気持ちにしてくれます。そして神や仏や天皇役のアフレコをゆりやんレトリィバァさんが担当してくれています。これもまた見ものでしょう。

ゆりやんレトリィバァに 神が降臨!?

『おしらさま』

イラストレーションの仕事は出されたお題に対する「答え」であるが、自分にしか答えられない「答え」になっているといい。いいんだけど、テーマの中でやる仕事なので、ストライクゾーンを出ないように、コントロールを効かせなければならないのである。

でも、エポックメイキングな仕事は思いっきりストライクゾーンをぶっちぎって、新たなストライクゾーンを作るくらいの気持ちがないとできない。

そんなチャンスはなかなか来ない。だが、この仕事はまさに”それ”だった。

もうそろそろ汐文社から発売になる「京極夏彦のえほん遠野物語」シリーズの6冊目『おしらさま』だ。

既刊の5冊を見るとみんな自由に描いている。京極先生も絵描きさんにおまかせって感じみたい。

絵本が難しいのは、子どもに向けて作らなければいけないところだ。でもこのシリーズは子どもに限らずいろんな世代に向けている。それもこれも人気作家の京極夏彦先生だからできる「遊び」かもしれない。

唯一出されたお題は「怖い絵本」であることだ。

さあ、その怖いってことが自分にはちょっと難しかった。今回は笑いは封印したつもりだったんだけど、なぜか浮き出てしまう。どうしてなんだろう。たけしの映画のように、恐怖と笑いは相性の良いものではあるらしいんだけど……。でもどうだったかな。絵のタッチもいろいろ混在させているし、怖がらせてるのか笑わせてるのか、いったい読んだ人はどんな気分になるのだろう。やや破綻しているのではないか心配だ。エポックメイキングな仕事には……あ〜、いや、ちょっと冒頭で風呂敷広げすぎたかなぁ……ま、そういうチャンスの仕事だったってことですよ。審判を下せるのは絵本『おしらさま』をお買い上げくださった方だけです。立ち読みだけの人は私にキツいことは言わないでね。いつもは描かないタイプの女性。ベニヤ板にアクリル絵の具で描いてます。この娘は馬と結婚するのです。怪奇ものの挿絵みたいな感じにしたかったのですが……おお、娘と馬はどうなったのだ!こんな絵も描きました。これはどういう場面でしょう。さ、見開きで絵を見せていると全部のせちゃいそうなので、あとは、トリミングした部分を載せましょう。説明もなしです。

まあ、こんな感じでなんすが、面白そうだと思われたら、ぜひ買ってやってください。

こちらのサイトでは、試し読みや、他の遠野物語シリーズがご覧いただけます。

京極夏彦のえほん遠野物語

どうぞみなさまなにとぞよろしくお願いします。

ペコリ。ペコリ。

平成の相撲絵師たち展

昭和最後の年に、いや正確には昭和64年は1月7日までしかなかったので、実質最後の昭和63年(1988年)の12月、元横綱の輪島がプロレスラーを引退した……そんなこと誰も覚えていないでしょうけど、今年は平成最後の年。後年それぞれの胸に「あれは平成最後の年だったんだなぁ」と思い出される出来事もあるはずです。

きっとそんな思い出になるイベントがあさって5月16日から開かれます。

題して「”平成の相撲絵師たち”展」。

この展覧会を主催している音楽&相撲ライターの和田静香さんはこうおっしゃっています。

平成の相撲絵師たち展をやります!と決めたのが1月。大相撲がボコンボコンにやり込められてる時でした。

くそ~~~~、と悔しさにイライラして(あんとき血圧高くなったんだわ、私)

何か反撃したい!と思いながらでも、憎しみに憎しみで返したら、そこには憎しみの連鎖しかない。。。

そうだわ、愛よ、愛! 愛で返せばいいんだわ!

と、にわかに私、マーティン・ルーサー・キングJr.の教えに従い、あなたたちがどんなに大相撲を憎もうと、私たちは大相撲を愛して楽しむのよ!その姿を見なさい!というつもりでやったるで~~~~~~~と

そんな気持ちも込めて開催を決めて。。。。果たして人、集まってくれるのかな?と、思っていたら、じゃんじゃんじゃん。総勢26名、30点以上の作品が集まりました!

みなさん、本当にありがとうございます。どんな会になるやら? 実はまだ分かりません。でも、きっと楽しい会になるはずです。

そう、どんな展覧会になるのか私も予想がつきません。時々イラストレーターのグループ展みたいなのには参加することもあるのですが、それとは趣を異にするでしょう。別にプロとかアマとかそんなの関係なく、ただ相撲が本当に好き!ってことだけで絵を描き、集まり、開かれる展示だからです。

しかし、5年前に私が描いた絵が2種類あるDMのうちの1枚になっているのですが、今見ると妙に意味深な絵になっています。和田さんが〈平成の相撲絵師たち展をやります!と決めたのが1月。大相撲がボコンボコンにやり込められてる時でした。くそ~~~~、と悔しさにイライラして(あんとき血圧高くなったんだわ、私)〉と思ってた時の、心の置き場所がない心象風景を描いた絵のようにも見える。

私は他に蒼国来裁判を傍聴した時の法廷画をファイルにして出します。

ちょっと心配なのは、オレめちゃくちゃ相撲に詳しいわけではないんで、幕下以下の力士の名前とかそんなによく知らないし、オープニングで集まる人の話についていけるかどうか。いや、愛する気持ちがあればそれでいい?相撲ファン「一兵卒」からやりますんでどうぞよろしくお願いいたします。

「平成の相撲絵師たち展」
5月16日(水)~20日(日)
午後13時~19時半
入場無料
両国「緑壱」(ライオン堂さん斜め前あたりに、りそな銀行あり。その並びに建つザ・パークハウス両国を入って5軒目
ベージュ色の一軒家の1階です)16日の18時~19時半に オープニング・パーティー。

両国「緑壱」はこちら

おひさま/井上堯之さん

3年前の5月に福音館書店の「こどものとも」として発売された『おべんとうをたべたかったおひさまのはなし』(文・本田いづみさん)がハードカバーで再発になりました。と言っても、他の絵本と10冊セットになった「おいしいえほんの時間」というボックスで幼稚園、保育園に直接販売するものなので、一般書店では売ってません。

この写真いいでしょ?これは「こどものとも」版発売時に福音館書店のfacebookに掲載されていた写真なのですが、あまりにいい写真なので許可を得てハードカバー版絵本を無理やり合成してみたものです。おひさまがタケノコ掘りに来たおじいさんのおべんとうを見つけて、どうしても食べたくなっちゃいます。おひさまの熱と光で地中からタケノコを生えさせ、それにおべんとうの包みを引っ掛けて天まで届けさせるという壮大なおはなしです。

さあ、おひさまは無事おべんとうを食べられたかな?あれ?おべんとうを食べられちゃったおじいさんは大丈夫?それは絵本でのお楽しみ。一般書店では売ってないので、念力で読んでください。

※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

先週、井上堯之さんがお亡くなりになりました。井上堯之(いのうえたかゆき)と伊野孝行(いのたかゆき)、名前が似てるので昔から勝手に親近感を抱いていたのですが、実は近年、井上さんには間接的にお世話になっていたのです。

Eテレのアニメ『オトナの一休さん』のはじまりはなんと井上堯之さんだったのです。

ディレクターの藤原さんが別番組の取材で井上堯之さんにお会いした時、雑談の中(?)で井上さんが「一休さんて、かなりヤバいお坊さんだったんだよ」とおっしゃったそうです。

で、後日、番組企画会議の日のこと、ネタに困っていた藤原さんはフト井上さんから聞いた一休さんの話を思い出し、パパパッと即席に企画書を書きました。それが「オトナの一休さん」だったのです。井上さんの一言がなければ、たぶんアニメもないし、私が大徳寺・真珠庵の襖に絵を描くこともなかったでしょう。因縁に心から感謝申し上げます。合掌。

研究生活

「通販生活」夏号に描いた絵です。「通販生活」で仕事をした人はわかるだろうが、イラストレーターにとってありがたい雑誌である。多くは語らずともわかっていただけるだろうか。

それはさておき、私が描いた特集は「追求する人々」という内容だった。そんな研究をして何になるのか?と思わずツッコミたくなる研究をしている方々へのインタビュー。そに添えたたいしたことのないイラストだ。カエルは「かえるのうた」みたいに本当に輪唱していることを突き詰めたのは筑波大学助教授の先生。確かにこの研究が一体何に応用されるのか、なかなか凡人には見通せないが、真理は万物に共通するからいずれ我々に恩恵をもたらすはずだ。宇宙人が現れたらどうやって挨拶するのか?を考えているのは京都大学の教授。「言葉が通じず、文化も異なる相手と出会ったとき、相手のマネをすることもファースト・コンタクトにおける一つの定義」だそうです。一人だけの味気ない食事も鏡を見たらおいしく感じる」という研究成果を発表したのは名古屋大学大学院の研究員の方。全然関係ない話だけど、同じ食事をするにしても外食って疲れません?家で食べると体も休まるよね。私はそう思います。全国に散らばる資料を解析して忍者・忍術の実態に迫るのは三重大学の教授。三重といえば私の地元。地元だが三重大学に受かるような成績ではなかったので、縁遠いところだ。忍者のふるさと伊賀では「堅焼きせんべい」なるお菓子がある。これは忍者の非常食とされるもので、めちゃくちゃに硬い。特に伊賀の店で売られているものがより硬質である。どれくらい硬いかというと菓子袋に小さい木槌がおまけで付いてくるくらいに硬い。木槌で割って食べるのである。せんべいと言っても味はほんのり甘いクッキーのようでたいへん美味である。ニンニン。「クサいものに蓋」ではなく、混ぜていいニオイに変える、という大胆な手に出たのは東邦車輌と凸版印刷のお二人。バキュームカーのニオイを変えた画期的な方法は、車輌の排気にデオマジックという香料(?)を混ぜることで完全にニオイが臭くなくなるというもの。既に実用化されている。どれくらい効果的かというとこの絵の通り!……かどうかは知らないが、たぶんいいとこついていると思う。特集を通してなんとか及第点に達したイラストはこの絵くらいのもんだった。精進、精進。

さて夏号の表紙は「自撮りのキミちゃん」こと西本喜美子さん(5月で90歳)。日本人なら一度くらいはキミちゃんの自撮りをご覧になっているはず。自撮りを始めるまではただのおばあさんだったのだが……。いや、「通販生活」を読むとただのおばあさんではなかった。キミちゃんは若い頃なんと競輪の選手だったのだ!

……とそんなことまで知れる「通販生活」夏号をよろしく!

そういえば伊野孝行×南伸坊「イラストレーションについて話そう」も更新されてますんで、よかったらお読みください。

第10回前編 ヘタうま① 意識で描くことを離れ「無意識の力」を引き出す|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

第10回後編 ヘタうま② 「ゆるさ」を絵の魅力と捉える価値観|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

現代ものと時代もの

「小説現代」の今月号読み切り小説、佐藤多佳子さんの『三振の記憶』の扉絵と中面の挿絵です。

現代ものの小説の挿絵はいつも出来上がるまでの時間が読めないんだよなー。連載だと毎回そう悩まないと思うんだけど、読み切りの現代ものは特に悩む。今回も扉絵は5パターンくらい構図を作ってみて、タッチも2、3パターン試した。時代ものの場合は、読み切りでもあまり悩まずに描ける。描き上がるまでの時間も読める。

この違いはなんでしょう?

恥ずかしながら時代考証は別段一生懸命やっていない。だいたいの時代の雰囲気、例えば、江戸時代だったら前期か中期か幕末かくらいは気にするけど、封建の世の中というのは、身分によって髪型や着物が決まっている。おなじ町人の若者でも、遊び人と実直な人を描き分ける時にはパターンのようなものがある。仕草などもそう。つまり時代劇の演じ分けみたいなもの。

ところが現代ものの小説だと、同じ若者でも個人個人でバラバラだから、そこから考えないと絵が描けない(小説の中に詳しく書いてあれば考えなくてもいいけど)。あと、同じ現代でも10年前と今とでは流行も違うから、そこでも立ち止まる。

あと筆のタッチが強いとなんか渋くなっちゃいすぎとか?いろいろ悩むポイントが多くて時間が読めない。

思いついたところをあげてみたけど、他にも何か理由があるかな?他のみんなはどうなんでしょう。時代ものと現代ものどっちが時間がかかりますか?

今週は自分で考えを深めないで投げ出す形で終わります。

以下は「オール讀物」で連載中の大島真寿美さん『妹背山婦女庭訓 魂結び』の扉絵です。

真珠庵での”など”の格闘

今週の土曜日、4月21日夜9時からNHKのBSプレミアムで『傑作か、それとも…京都 大徳寺・真珠庵での格闘』が放送されます。

90分のドキュメンタリー番組で撮影は4Kのカメラを使用。しかもこれは「スーパープレミアム」なのです。スーパープレミアムとは、〈BSプレミアムのフラッグシップとして、大型エンターテインメントや、長期取材に基づくこれまでにないスケールの番組など、多彩な視聴者の関心を呼ぶ番組を土曜夜間に2~4時間編成。NHK BSプレミアムで随時放送している〉ということになっています。

はい、前置きがウザいですが、この番組に私は出ております。

昨日昼間にNHKを見てたらたまたま番宣をやってて、私が一瞬映ったので急いでスマホで撮ったのが、この写真です。この写真は実に貴重なものなのです。なぜなら、悲しいかな番組のホームページには、私は名前も写真も出ていないからです。

今まで散々、親や親戚や友達に「オレ、今度スーパープレミアムに出るんだ」って自慢しといて、さぁ!いよいよだ!って時に、番組ホームページには自分が出てる痕跡がないってさ……ほんとこのブログでもどうやって宣伝しようか頭を抱えてたし、もう宣伝なんかしないやい!と拗ねてたんだけど、昨日偶然スマホで撮れて良かったよ。

(追記、さっき番組ホームページ↓を見たら予告動画が上がっていました。てへへ。)

傑作か、それとも…京都 大徳寺・真珠庵での格闘の予告動画を見よう!

番組紹介ページの5人並んでいる写真の中に私はいません。襖絵に挑戦する私以外の絵師たちと和尚様です(私はこの日どうしてもスケジュールが合わず、京都に行けなかったんでね)。襖絵に挑戦する5人の絵師は〈ゲーム『ファイナルファンタジー』のアートディレクター・上国料勇、アニメ『オネアミスの翼』監督・山賀博之、長寿漫画『釣りバカ日誌』作画・北見けんいちなど。〉です。仕方がないので私が残りの「など」を紹介しましょう。

1人は私、伊野でございます。アニメ『オトナの一休さん』も再放送中ですが、この真珠庵という塔頭は一休さんのために建てられたお寺なのです。また一休さんは大徳寺を再興したお方でもあります。もう1人の「など」は濱地創宗さんという方で、この人は真珠庵で修行をしていた若き画僧であります。画家兼僧侶。男前です。

番組の概要は下記のリンク先↓から知れます。

現代の”絵師”たちはどんな襖絵を描くのか?

私が「など」になった理由は無名だからということ以外にもう一つあるような気がします。

上国料勇さんと山賀博之さんは半年間の長きにわたり真珠庵に住み込んで絵を描かれていたのですが、私は2泊3日で描いて帰ってきてしまったのでした。だって普段のイラスト仕事の締め切りもあるし、それに私の場合、カンタンな絵なので2泊3日あればじゅうぶんだし、あの絵を半年かけて描く方が難しい……。

〔写真:私が担当したのはこの六畳間。襖絵は曾我蛇足(2代目だったかな?)の絵です。ここに寝転んでのほほん気分になれる絵を描こうと思いました。

大徳寺・真珠庵は長谷川等伯の襖絵もあります。等伯は他に、大徳寺・三玄院の襖絵も描いていますが、その襖絵は、三玄院の住職に「絵など必要なし」と断られたものの、諦めきれずに住職の留守中に勝手に上がりこんでバババっと描いてしまったのです。

絵の良し悪しに制作時間は全く関係ないのです。

でも、番組的には大いに関係がありましょう。だって番組のホームページにはこうあります。

〈現代の”絵師”たちは何を思い、どんな襖絵を描くのか?しかし、はじめての挑戦に、絵筆はなかなか進まない…。〉と。

編集された番組は当然私は見ていないのですが、たぶん予想では私は前半に出た後はほとんど出ないような気がします。

これも私の予想ですが、この番組は笑えるヒューマン・ドキュメンタリーという仕上がりになるのではないかと思います。ナレーションは高橋克実さん。

襖絵に挑戦する絵師の一人、山賀博之さんは監督・脚本家でありアニメ制作会社「ガイナックス」の社長さんです。

2014年のドラマ『アオイホノオ』でムロツヨシが演じていた人です。ドラマの中で美大時代の山賀さんの心の声として「俺は絵が描けん!描くつもりも無い!だがアニメ界でひともうけしたいのだ!つまり、人を働かせる!俺のために!くはははは」というようなセリフを庵野秀明さんの後ろで言う場面が出てくるのですが、その山賀さんが絵を描くってんだから、それも長大な襖絵を。

ドキュメンタリー的にはぜったいに美味しいです。

山賀さんて「この霧吹きが使いやすいですよ」って貸してくれたり、暗がりで描いてたら後ろで照明をセッティングしてくれたり、とてもやさしいの。予告動画で私が握っているのは山賀さんの霧吹きです。

〔写真:合宿2日目の昼食の様子。近所の「中華のサカイ本店」より取った出前の冷やし中華を食べる撮影スタッフ。手前は上国料さん。「中華のサカイ本店」は素晴らしい店。是非行ってください〕

座禅と庭掃除込みの合宿は楽しかったですが、何より大きな絵を描けることが気持ちが良かった。大きな絵は全身を使って描くので、軽い筋肉痛になる。こんなに集中できるのかっていうくらい、ものすごく集中できる。描いてる間に何度も「あ、失敗しちゃった」と思う瞬間が訪れる。やり直しはきかない。焦る。そこから何とか立て直していくしかない……短い期間ではあったけど自分としては格闘でした。

もう予告動画に全貌が映っちゃってるけど、私の描いた襖絵は実力以上でも以下でもないってカンジかな。『傑作か、それとも…』というタイトルに照らし合わせれば、後者かも(笑)。

私は他の人たちの絵がその後どうなってるのか知らないんです。すぐ帰ってきちゃったから。でも予告動画でチラッと見る限りめちゃめちゃど迫力ですね。まぁ、私のは六畳間の禅画を目指してますから(言い訳)。

まぁ、襖絵の出来はどうであれ、私の出番の尺はどうあれ、ドキュメンタリー番組として傑作になってくれればそれでいいですわ。番組はディレクターの作品なんだから。

自分の声や動きを映像で見るというのはすごくヘンな気持ちですね。自分は自分の存在に耐えられません。また、やっかいなのはウチはBSが映らないってこと。誰の家で見ようかなと思ってたら、「当日はみんなで真珠庵に集まって酒を飲みながら見るんですが、来ませんか?」と山賀さんからお誘いを受けた。どうやらみんな自分一人じゃ見る気になれないようです。

白隠ゑかくかく描けり

新潮社「とんぼの本」シリーズの新刊『禅のこころを描く 白隠』でオマケ漫画を描いてます。漫画を全部載せちゃうと悪いので、ネームなしの漫画原稿をアップしときます。ぜひ買ってネーム入りの漫画をお読みください。禅画を漫画で解説するという新しい試みなのですが……絵だけ見ても絶対に内容はわからないという自信があります。ネームとあわせて読んでもわかんなかったりして(汗)。ジョンもジョブズもハマったZEN。ジョン・レノンは日本に来た時に白隠の禅画を買って帰った。山下裕二さんによるとあの「イマジン」の歌詞は白隠の墨跡《南無地獄大菩薩(地獄も極楽も人間の心に映る影のようなもの)》と同じことを言っているのだという。確かに「想像してごらん」を頭にくっつければ「イマジン」の歌詞そのものだ。

 白隠 慧鶴(1685- 1768)は日本の禅の中興の祖と呼ばれる。独学の絵は隙だらけの無技巧だが、描きたいことであふれている。この存在感はプロの絵師には出せない。一万点を越えるという量からしても日本美術史に比類がない。本書には白隠の友達、池大雅の絵も載っているので見比べてほしい。一目瞭然で質の違いがお分りなるだろう。どうしてこんな絵が描けるのだろうと池大雅も思ったはずだ。私もそう思う。

「いいな」「すげえな」と思うことが私にとっての「理解」である。その意味で私は白隠をよくわかっている。でも白隠禅画は賛と絵が一つになって意味がわかるいわば一コマ漫画。そこに込められたメッセージとなるとさっぱりわからない。そもそも書いてある文字が読めない。白隠にとって禅画は思想を伝える手段なのに、私は絵だけを見て「わかる」と言っちゃってるわけだ。そんな私にうってつけなのが本書の芳澤勝弘さんによる白隠禅画解読である。禅の開祖達磨はもちろん、乞食姿の大燈国師、ハマグリになった観音様、布袋さんにすたすた坊主……多彩なキャラクターが登場する絵画世界を吉澤さんは「白隠劇場」と呼ぶ。白隠が漫画的キャラを操って説こうとした深い禅の思想とはなんだったのか?白隠はそれまで貴族的だった禅を民衆にひろめた人で、我々がよくわからないままに禅だZENだと言ってるのも、ジョン・レノンが「イマジン」を作ったのも、白隠さんのお陰かもしれないのだ。白隠は公案(いわゆる禅問答の問い)も自ら考えた。有名なものに「隻手の声」というのがある。「両手を打ち合わせると音が鳴るが、では片手の音とはどんなものか」という謎かけだ。作麼生!皆さんならなんと答えますか?

 余談になるが、芳澤さんと私はEテレの五分間アニメ『オトナの一休さん』(ただいま絶賛再放送中)の監修者と作画担当者という縁で結ばれていた。本書の元になっている「芸術新潮」の白隠特集の時は、私は一読者に過ぎなかったのだが、因縁が私を呼んだ。「白隠の禅画は誰のために描かれたのか不明なものが多い。伊野さん、そこを想像して漫画に描いてみませんか?」と芳澤さんに頼まれた。これが禅問答なみの難問だった。巻末についているオマケ漫画『白隠ゑかくかく描けり』がそれです。

 あ、そうそう、禅問答には答えなどないのです。筋道だった答えを用意しても「喝!」なのです。禅の公案とは澄んだ自由な精神を手にするための使い捨ての道具にすぎないのだそうだ。さて、私の漫画はそんな自由な答えになっているのだろうか……。ちなみにこの方が吉澤先生です。漫画の出来は自分じゃ判断できないが、先生の似顔絵は自信アリ。今日のブログの文章は新潮社の PR誌「波」のレビューのために書いたものです。ぜひ『禅のこころを描く 白隠』をお買い求めください。どうぞよろしくお願いします。

『卜伝飄々』全部のせ!

文春文庫の新刊、風野真知雄さんの『卜伝飄々』のカバー、扉絵を描きました。デザインは中川真吾さん。この手のタイプの絵はラフとか下書きとかそういうのは一切なしのぶっつけ本番。3時間くらい集中して、自動筆記的にらくがきを続ける。うまく描けたと思うものが後から見ると平凡だったり、こりゃいくらなんでもテキトーすぎるかなと思ったものが、わりとイケてたりもする。らくがき特有の無責任な気ままさが出せたとき、塚原卜伝という剣客と対峙できるのだ……とかなんとか偉そうなこと言ってますが、自分にとっては一番楽しいラクチンなやり方なのだ。たくさん描くと選ぶのがタイヘン。というわけでセレクトはデザイナーの中川さんに丸投げしてしまった。らくがきに失敗も成功もない。描いたもの全てを中川さんに送った。そういうわけで今週は、『卜伝飄々』のために描いた絵を全部載せます。

三遊亭圓朝の同期生

今売りの『小説現代』は「落語小説特集」。土橋章宏さんの『下町の神様』の挿絵を描いた。

落語のネタのノベライズである。この2枚の絵だけを見て「ああ、あの話か」と思った人は落語通?いや、あまりに有名な話なので通とは言えないのか。リード文には〈年の瀬に、カネを失った男ふたりが「神様」に会う。〉とある。確かに『下町の神様』というネーミングは元ネタの小説版タイトルとしてぴったり。元ネタはもうお分かりですか?……そう三遊亭圓朝作『文七元結』です。

僕はずっと勘違いをしていたのだが、『文七元結』とか『芝浜』のような話を「人情話(噺)」というのかと思っていた。だって人情にグッとくるじゃん。ところがもともとは武家の話の「時代物」に対して、町人の話の「世話物」の、その中でも長〜い演目、例えば『塩原多助一代記』『牡丹燈籠』『真景累ヶ淵』みたいなのを「人情話」と言うようだ。えー!と思ったね。『牡丹燈籠』や『真景累ヶ淵』なんかは怪談噺で、今の感覚で使う「人情」っていう言葉がなかなか当てはまらないから。どっちかっていうと刃傷沙汰の「にんじょう」の方だよ、内容的に。

もっとも広い意味では『文七元結』や『芝浜』も人情話のカテゴリーに含まれるようだし、「人情」を心の動きと捉えれば、何もほろっとさせるだけが人情ではないかもしれない。江戸から現代にかけて言葉の感覚が変わってきているのも面白いと思った。

あ、乏しい僕の落語知識の中からたまたまここにあげた演目は全て三遊亭圓朝の作である。三遊亭圓朝ってすごい人だな。4、5年前に何を思ったか三遊亭圓朝の肖像画を描いて、描いたっきり誰にも見せずに押し入れにしまっていたのを思い出した。久しぶりに出して見たけど、お蔵入りした理由がなんとなく分かる絵だ……。圓朝の後ろにあらわれた幽霊は河鍋暁斎の幽霊画からとった。

なんと三遊亭圓朝(1839年生まれ)は12歳の時(1851年)に歌川国芳の内弟子になっている。河鍋暁斎も同じく国芳の弟子だった。圓朝が弟子入りした時は暁斎はもう20歳だった。暁斎は6歳で国芳に入門し、3年後には国芳の元を離れたので弟子時代の二人に直接の関係はないだろう。しかし圓朝とほとんど同時に国芳に入門した人がいる。月岡芳年だ。入門したのは1年違いの1850年だという。生まれも圓朝と同じく1839年生まれ。この二人の関係を知りたくて正岡容の『小説 圓朝』という本を読んだことがあるけど、どんなことが書いてあったか忘れてしまった。本もすぐに見つからない。またそのうち調べよう。

(佐川氏の証人喚問を聞きながら記す)

春の「笑なん」

日本農業新聞で連載中の島田洋七さんの自伝エッセイ「笑ってなんぼじゃ!」略して「笑なん」。洋七さんは高校野球の強豪校、広島広陵高校に進学します。中学ではキャプテンだった洋七さんですが、広陵高校野球部でレギュラーの座を取れるでしょうか。そんな頃のお話です。佐賀では、ばあちゃんの掃除の仕事についていった以外は、特に何もしてんへんかったんやけど、1回だけ城南中学の野球部の練習を見に行った。皆で飲んで騒いでいたときに、突然A君が泣き出した。「どないしたんや? 何泣いてる?」「やっぱりキャプテンは今でもキャプテンや」「ん? どういうこっちゃ?」「俺、正直に言うけど、実は詐欺罪で警察に捕まったことがあるんや」「刑務所ではテレビも見せてもらえるんやけど、そこでもしょっちゅうキャプテンが出てる。コマーシャルにも出てる。毎日、キャプテンの顔を見てた。徳永くん、あんなに頑張っているのに、俺は……」短い春休みも終わって、いよいよ待ちに待った広陵高校に入学や!入学式には、かあちゃんも来てくれた。着物姿で父兄の席に座るかあちゃんを見たときは、やっぱりうれしかったなあ。その数は30とか50やないよ。ざっと数えて250人。一学年がだいたい700人やから、三分の一が野球部に入部希望やったんよ。実際に目の前で河井を見て、俺は心の底から『二塁にしといてよかった』と思ったよ(笑)。俺の身長は164センチ。そびえるような大男に見えた河井も175センチと、それほど大柄ではなかった。けど、がっちりとした体格で、「とても太刀打ちできん」と思わせるようなオーラが全身を覆ってたんや。 広陵高校の野球部は、設備もすごかった。その頃は、本物のプロ野球のキャンプやら練習場は見たことないから、比べられんのやけど、広陵の練習場を見て「プロ並や!」と思った。ボールは毎日、縫い目の破れや糸のほつれを点検し、破れているボールは、新入生が家に持って帰って補修せんといかん。また、このボールの数が半端ないんや。かっ飛ばした球が、ときに金網を越えて、近所の屋根を直撃して瓦を割ってしまうことがあるんや。そのために部室の裏には瓦が何枚も積んであった。怒られたことはいっぺんもなかった。そこのお家も慣れているのか、「暑いのに大変やね」と、逆にねぎらってくれて、冷たい麦茶なんかを飲ませてくれるんよ。これが楽しみで楽しみで。さすがスポーツの強い広陵だけに先生も心得たもんや。「成績は試験の点数だけじゃないけん。悪いことをせんで、毎日、さぼらんと授業に出席してりゃ、それも成績として評価せにゃいかんことやとわしは思っとる」と俺ら運動部の生徒を安心させてくれた。街を歩いていても、広陵の野球部だとわかると、女子高生たちの間から「キャーッ!」と黄色い歓声が上がるくらいやもん。そこで重要になってくるのが野球部のバッチや。河村さんの荷物を持つのは1年生の2人で、2年生の先輩は自分のバッグだけでよかった。“かっぽん”と呼ばれる河村さんは、旅館の息子で、「食っていけよ」と、旅館のまかないを振る舞ってくれることも多かった。野球部と応援団は、バス15台に分乗して甲子園に向かった。先頭のバスは監督とレギュラー選手と補欠。2台目と3台目は俺たち、“その他大勢”の部員。先頭を走るバスを見ながら、小さな声で誰かが言うた。レギュラー選手は連盟指定の旅館に泊まり、俺ら“その他大勢”は、あちこちの宿屋に分かれて泊まった。昭和40年8月。俺は、夢にまで見た阪神甲子園球場にいた。学校帰りは、どこにも寄り道せず、ほとんど毎日、かあちゃんが働く蘇州飯店に立ち寄って一緒にご飯を食べた。だって寄り道する体力なんてないのよ。「うどんの中に髪の毛が入っていると言うたら、もう一杯食えるんちゃうか?」「おお、それええかも」と誰からとなく声があがった。マネージャーは、自分の髪の毛を抜いてうどんの中に入れた。「おっちゃん、おっちゃん~!」クレームを言うんやからと、ちょっと険しい声で呼んでみた。すると、厨房の向こうからのれん越しのおっちゃんが顔を出した。店の中は真っ暗闇。「何も見えんな」「どうしよう」そんなことを小声でささやき合っていたときに、誰かが言うた。「チャンス!」その意味は、全員がすぐに理解した。俺らは一斉に出口に向かってダッシュした。ベースランニングの練習のときより、俊敏に体が動いた(笑)。「危ないっ!」俺は、大声でショートに声をかけた。その時やった。別の打球が俺をめがけて飛んできた。ショートに向かってグローブを差し出した俺の左の肘を打球が直撃したんや。「うっ!」俺は肘を抱えて、その場にうずくまるしかなかった。痛いけれども、まだ、これくらいは平気やと俺は思ってたんや。ところが、腫れはなかなか引かずに、痛みもずっと続いた。俺はまた不安になって別の病院に行った。そしたら、そこのお医者さんは、「肘の軟骨にひびが入っているかもしれん。でも、2、3ヶ月もしたら治るやろ」と言うてくれた。もう野球ができんようになるかと思ったら、涙が止まらんかった。なぜか自然に足が太田川の河原に向かっていた。 誰もおらん地面に座り込んで、俺は泣いた。拭いても拭いても涙があふれてきた。俺はけがのことをばあちゃんに報告せんといかんと思って、近くで八百屋をしている親戚のところに電話を借りに行くことにした。電話をかけたら、ばあちゃんはいた。「ばあちゃん、俺、もうあかん」おじさんは何も言わずに立ち上がり「アキやん、これ、飲め」と、涙でくしゃくしゃになった顔で、店のジュースの栓を抜いて俺にくれた。野球部を辞めてからは、何もする気にならんで、退屈しのぎに近くの高速道路の橋脚の壁を相手に毎日キャッチボールをして過ごした。タートルネックのセーターにブレザーを着ていた河井は、ずいぶん大人びて見えた。髪も少し伸びている。背が高い河井がそんな格好をして俺と並んだら、まるで大人と子供やった。試合なんてとても見に行く気分にはならんから、毎日、新聞で試合結果をチェックした。広陵は一回戦、二回戦と順調に勝ち進んでいた。ところが三回戦でつまづいてしもた。「強豪広陵三回戦で敗退」新聞の地方版では、そこそこ大きく報道された。その文字を見たとき、残念な気持ち半分、ほっとした気持ちが半分。

やっては、いけない!

マガジンハウスの雑誌『ターザン』で「やっては、いけない!」という特集の絵を描きました。

一部の与党議員のために決裁文書を改ざんするという「やってはいけない」ことが明るみになり、さあ、どうする?どうする?と盛り上がってまいりました。

森友問題の方はだいたいの察しはついてたし、やっぱりね、って感じだけど、貴乃花親方がこれからどこに向かおうとしているのかよくわかりません。親方、職場に戻りましょう。親方には相撲しかないのです。

弟子を長い間部屋に閉じ込めたり、力士会を欠席させたり、親方がそんなことを「やってはいけない」のではないでしょうか。親方なのに無断で職場を休んだり、果ては春場所中はぜんぜん出勤しないなんてことも「やってはいけない」んじゃないかな〜て思います。

いや、でも、私が見ている大相撲と、貴乃花親方の宇宙の中に存在する大相撲はもう別のものなのかもしれません。親方は相撲道を極めると宇宙の真理もわかると思ってやってらっしゃるのだと思います。いつか親方を理解してくれる生命体が宇宙から迎えに来て、親方は金色に輝くUFOに乗り、全宇宙大相撲の土俵に上がるのだと思います。

明日に迫った確定申告。どうしても今日中に「やらなければいけない」ということで、ブログの更新はあっさり目で終わります。それではみなさんごきげんよう。

なんとかなるわよ

KKベストセラーズから発売された野村克也さんの新刊『野村の哲学ノート「なんとかなるわよ」』のカバーの絵を描きました。

南海ホークスのプレーイング・マネージャー、ノムさんこと野村克也(35歳)は東京遠征に来る時、表参道にある旅館を定宿にしていた。宿の近くのお気に入りの中華料理屋で、ノムさんがマネージャーと二人でフカヒレそばをすすっている時、「ママ〜、お腹すいた〜」と店に入ってきたのが後のサッチーこと伊藤沙知代(38歳)だった。

これが二人の出会いである。1970年の話。どこの中華料理屋だろう。当時は表参道にも旅館があったんですね。そりゃそうか、何せ48年も前の話だもの。

当時、サッチーはボウリング用品の輸入販売会社の社長。ノムさんはサッチーの真っ黒に日焼けした姿を見て「世の中にはこんなに活発な女性もいるのか。俺にないものをたくさん持っている人だな」と思ったのが第一印象。一方サッチーはノムさんが監督と聞いてもピンときていない様子。「雨が降ったら商売になりませんよ」とひねった第二ヒントをノムさんが伝えると、工事現場の監督ね、と答えたらしい。

そんなふたりの出会いから去ること16年前、高校を卒業したノムさんは南海ホークスにテスト入団が決まっていた。ノムさんは地元の京都府網野町から球団がある大阪まで、野球部の恩師清水先生と一緒に電車に乗って出かけた。その途中で清水先生が「野村、プロ野球という厳しい世界に入るんだし、仕事運を一度見てもらったほうがいい。よく当たる占い師が祇園にいるから、ちょっと行ってみよう」と言い出し、ノムさんは言われるままに京都駅で途中下車し、占い師の元を訪れた。

そこで白ひげの老占い師に「将来、あなたが何かで失敗するとしたら、その原因は女性でしょう」と言われたという。

ノムさんは自分はマイナス思考で、サッチーは「地球は自分を中心に回っている」くらいのプラス思考だ、と本書で語っている。サッチーが原因で監督を二度も辞めることになるのだが、その一度目の時(南海ホークス解任時)の後日譚もなかなかだ。

「大阪なんて大嫌い。東京に行こう!」と言い出したサッチーを乗せてノムさんは東名高速道路を走っていた。日頃から「野村ー野球=ゼロ」と公言していたノムさんは「ああ厄年って本当にあるんだな……」と心の底からしょげまくっていた。運転中にも愚痴ばかりこぼしていたという。その様子を見たサッチーは「ただ野球の仕事を失っただけなのに『何よ、この男?』」と思った。そして車の中で、一声大きな声で言った言葉が「なんとかなるわよ」だったのである。

この夫婦はすごい。マイナス思考とプラス思考だからうまくいくというのを通り越しているように思える。夫婦に限らず人間関係において「ありがとう」「ごめんね」という言葉をかけるのは必須だとされているが、長い夫婦生活の中でノムさんはサッチーから「ありがとう」「ごめんね」は一回きりしか言われていないのである。それはどんな時に言われたのか?詳しくは本を買って読んでもらうことにしましょう。

このブログでは前にも書いたと思うけど、僕は子どもの頃から球技が苦手で嫌いだった。当然野球もソフトボールも嫌い。でも友達と遊ぶ以上はやらざるをえず、仕方なくやっていた。いわば社交のためだ。子どもにも当然社会がありつき合いがある。ヘタクソだからつねにチームの厄介者になっているという思いがあった。他人の顔色を伺わなければいけない。野球が好きなふりもしなければいけない。あの時は「オレ野球嫌いだから…」なんて言い出せなかった。

しかし、野球選手や監督は、話やエピソードの面白さで、ずっと興味のある対象だった。ぼくは野村監督もサッチーも好きだ。サッチーが突然亡くなった時の野村監督の顔が忘れられない。

お二人を絵にかけたことを光栄に思います。

デザインは日下潤一先生です(担当編集者の方がメールで日下先生と書いていたのでマネしてみました)。ありがとうございました。