お問い合わせは 03-3324-7949

メールソフト起動

伊野孝行のブログ

『おしらさま』

イラストレーションの仕事は出されたお題に対する「答え」であるが、自分にしか答えられない「答え」になっているといい。いいんだけど、テーマの中でやる仕事なので、ストライクゾーンを出ないように、コントロールを効かせなければならないのである。

でも、エポックメイキングな仕事は思いっきりストライクゾーンをぶっちぎって、新たなストライクゾーンを作るくらいの気持ちがないとできない。

そんなチャンスはなかなか来ない。だが、この仕事はまさに”それ”だった。

もうそろそろ汐文社から発売になる「京極夏彦のえほん遠野物語」シリーズの6冊目『おしらさま』だ。

既刊の5冊を見るとみんな自由に描いている。京極先生も絵描きさんにおまかせって感じみたい。

絵本が難しいのは、子どもに向けて作らなければいけないところだ。でもこのシリーズは子どもに限らずいろんな世代に向けている。それもこれも人気作家の京極夏彦先生だからできる「遊び」かもしれない。

唯一出されたお題は「怖い絵本」であることだ。

さあ、その怖いってことが自分にはちょっと難しかった。今回は笑いは封印したつもりだったんだけど、なぜか浮き出てしまう。どうしてなんだろう。たけしの映画のように、恐怖と笑いは相性の良いものではあるらしいんだけど……。でもどうだったかな。絵のタッチもいろいろ混在させているし、怖がらせてるのか笑わせてるのか、いったい読んだ人はどんな気分になるのだろう。やや破綻しているのではないか心配だ。エポックメイキングな仕事には……あ〜、いや、ちょっと冒頭で風呂敷広げすぎたかなぁ……ま、そういうチャンスの仕事だったってことですよ。審判を下せるのは絵本『おしらさま』をお買い上げくださった方だけです。立ち読みだけの人は私にキツいことは言わないでね。いつもは描かないタイプの女性。ベニヤ板にアクリル絵の具で描いてます。この娘は馬と結婚するのです。怪奇ものの挿絵みたいな感じにしたかったのですが……おお、娘と馬はどうなったのだ!こんな絵も描きました。これはどういう場面でしょう。さ、見開きで絵を見せていると全部のせちゃいそうなので、あとは、トリミングした部分を載せましょう。説明もなしです。

まあ、こんな感じでなんすが、面白そうだと思われたら、ぜひ買ってやってください。

こちらのサイトでは、試し読みや、他の遠野物語シリーズがご覧いただけます。

京極夏彦のえほん遠野物語

どうぞみなさまなにとぞよろしくお願いします。

ペコリ。ペコリ。

平成の相撲絵師たち展

昭和最後の年に、いや正確には昭和64年は1月7日までしかなかったので、実質最後の昭和63年(1988年)の12月、元横綱の輪島がプロレスラーを引退した……そんなこと誰も覚えていないでしょうけど、今年は平成最後の年。後年それぞれの胸に「あれは平成最後の年だったんだなぁ」と思い出される出来事もあるはずです。

きっとそんな思い出になるイベントがあさって5月16日から開かれます。

題して「”平成の相撲絵師たち”展」。

この展覧会を主催している音楽&相撲ライターの和田静香さんはこうおっしゃっています。

平成の相撲絵師たち展をやります!と決めたのが1月。大相撲がボコンボコンにやり込められてる時でした。

くそ~~~~、と悔しさにイライラして(あんとき血圧高くなったんだわ、私)

何か反撃したい!と思いながらでも、憎しみに憎しみで返したら、そこには憎しみの連鎖しかない。。。

そうだわ、愛よ、愛! 愛で返せばいいんだわ!

と、にわかに私、マーティン・ルーサー・キングJr.の教えに従い、あなたたちがどんなに大相撲を憎もうと、私たちは大相撲を愛して楽しむのよ!その姿を見なさい!というつもりでやったるで~~~~~~~と

そんな気持ちも込めて開催を決めて。。。。果たして人、集まってくれるのかな?と、思っていたら、じゃんじゃんじゃん。総勢26名、30点以上の作品が集まりました!

みなさん、本当にありがとうございます。どんな会になるやら? 実はまだ分かりません。でも、きっと楽しい会になるはずです。

そう、どんな展覧会になるのか私も予想がつきません。時々イラストレーターのグループ展みたいなのには参加することもあるのですが、それとは趣を異にするでしょう。別にプロとかアマとかそんなの関係なく、ただ相撲が本当に好き!ってことだけで絵を描き、集まり、開かれる展示だからです。

しかし、5年前に私が描いた絵が2種類あるDMのうちの1枚になっているのですが、今見ると妙に意味深な絵になっています。和田さんが〈平成の相撲絵師たち展をやります!と決めたのが1月。大相撲がボコンボコンにやり込められてる時でした。くそ~~~~、と悔しさにイライラして(あんとき血圧高くなったんだわ、私)〉と思ってた時の、心の置き場所がない心象風景を描いた絵のようにも見える。

私は他に蒼国来裁判を傍聴した時の法廷画をファイルにして出します。

ちょっと心配なのは、オレめちゃくちゃ相撲に詳しいわけではないんで、幕下以下の力士の名前とかそんなによく知らないし、オープニングで集まる人の話についていけるかどうか。いや、愛する気持ちがあればそれでいい?相撲ファン「一兵卒」からやりますんでどうぞよろしくお願いいたします。

「平成の相撲絵師たち展」
5月16日(水)~20日(日)
午後13時~19時半
入場無料
両国「緑壱」(ライオン堂さん斜め前あたりに、りそな銀行あり。その並びに建つザ・パークハウス両国を入って5軒目
ベージュ色の一軒家の1階です)16日の18時~19時半に オープニング・パーティー。

両国「緑壱」はこちら

おひさま/井上堯之さん

3年前の5月に福音館書店の「こどものとも」として発売された『おべんとうをたべたかったおひさまのはなし』(文・本田いづみさん)がハードカバーで再発になりました。と言っても、他の絵本と10冊セットになった「おいしいえほんの時間」というボックスで幼稚園、保育園に直接販売するものなので、一般書店では売ってません。

この写真いいでしょ?これは「こどものとも」版発売時に福音館書店のfacebookに掲載されていた写真なのですが、あまりにいい写真なので許可を得てハードカバー版絵本を無理やり合成してみたものです。おひさまがタケノコ掘りに来たおじいさんのおべんとうを見つけて、どうしても食べたくなっちゃいます。おひさまの熱と光で地中からタケノコを生えさせ、それにおべんとうの包みを引っ掛けて天まで届けさせるという壮大なおはなしです。

さあ、おひさまは無事おべんとうを食べられたかな?あれ?おべんとうを食べられちゃったおじいさんは大丈夫?それは絵本でのお楽しみ。一般書店では売ってないので、念力で読んでください。

※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

先週、井上堯之さんがお亡くなりになりました。井上堯之(いのうえたかゆき)と伊野孝行(いのたかゆき)、名前が似てるので昔から勝手に親近感を抱いていたのですが、実は近年、井上さんには間接的にお世話になっていたのです。

Eテレのアニメ『オトナの一休さん』のはじまりはなんと井上堯之さんだったのです。

ディレクターの藤原さんが別番組の取材で井上堯之さんにお会いした時、雑談の中(?)で井上さんが「一休さんて、かなりヤバいお坊さんだったんだよ」とおっしゃったそうです。

で、後日、番組企画会議の日のこと、ネタに困っていた藤原さんはフト井上さんから聞いた一休さんの話を思い出し、パパパッと即席に企画書を書きました。それが「オトナの一休さん」だったのです。井上さんの一言がなければ、たぶんアニメもないし、私が大徳寺・真珠庵の襖に絵を描くこともなかったでしょう。因縁に心から感謝申し上げます。合掌。

研究生活

「通販生活」夏号に描いた絵です。「通販生活」で仕事をした人はわかるだろうが、イラストレーターにとってありがたい雑誌である。多くは語らずともわかっていただけるだろうか。

それはさておき、私が描いた特集は「追求する人々」という内容だった。そんな研究をして何になるのか?と思わずツッコミたくなる研究をしている方々へのインタビュー。そに添えたたいしたことのないイラストだ。カエルは「かえるのうた」みたいに本当に輪唱していることを突き詰めたのは筑波大学助教授の先生。確かにこの研究が一体何に応用されるのか、なかなか凡人には見通せないが、真理は万物に共通するからいずれ我々に恩恵をもたらすはずだ。宇宙人が現れたらどうやって挨拶するのか?を考えているのは京都大学の教授。「言葉が通じず、文化も異なる相手と出会ったとき、相手のマネをすることもファースト・コンタクトにおける一つの定義」だそうです。一人だけの味気ない食事も鏡を見たらおいしく感じる」という研究成果を発表したのは名古屋大学大学院の研究員の方。全然関係ない話だけど、同じ食事をするにしても外食って疲れません?家で食べると体も休まるよね。私はそう思います。全国に散らばる資料を解析して忍者・忍術の実態に迫るのは三重大学の教授。三重といえば私の地元。地元だが三重大学に受かるような成績ではなかったので、縁遠いところだ。忍者のふるさと伊賀では「堅焼きせんべい」なるお菓子がある。これは忍者の非常食とされるもので、めちゃくちゃに硬い。特に伊賀の店で売られているものがより硬質である。どれくらい硬いかというと菓子袋に小さい木槌がおまけで付いてくるくらいに硬い。木槌で割って食べるのである。せんべいと言っても味はほんのり甘いクッキーのようでたいへん美味である。ニンニン。「クサいものに蓋」ではなく、混ぜていいニオイに変える、という大胆な手に出たのは東邦車輌と凸版印刷のお二人。バキュームカーのニオイを変えた画期的な方法は、車輌の排気にデオマジックという香料(?)を混ぜることで完全にニオイが臭くなくなるというもの。既に実用化されている。どれくらい効果的かというとこの絵の通り!……かどうかは知らないが、たぶんいいとこついていると思う。特集を通してなんとか及第点に達したイラストはこの絵くらいのもんだった。精進、精進。

さて夏号の表紙は「自撮りのキミちゃん」こと西本喜美子さん(5月で90歳)。日本人なら一度くらいはキミちゃんの自撮りをご覧になっているはず。自撮りを始めるまではただのおばあさんだったのだが……。いや、「通販生活」を読むとただのおばあさんではなかった。キミちゃんは若い頃なんと競輪の選手だったのだ!

……とそんなことまで知れる「通販生活」夏号をよろしく!

そういえば伊野孝行×南伸坊「イラストレーションについて話そう」も更新されてますんで、よかったらお読みください。

第10回前編 ヘタうま① 意識で描くことを離れ「無意識の力」を引き出す|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

第10回後編 ヘタうま② 「ゆるさ」を絵の魅力と捉える価値観|イラストレーションについて話そう 伊野孝行×南伸坊:WEB対談

現代ものと時代もの

「小説現代」の今月号読み切り小説、佐藤多佳子さんの『三振の記憶』の扉絵と中面の挿絵です。

現代ものの小説の挿絵はいつも出来上がるまでの時間が読めないんだよなー。連載だと毎回そう悩まないと思うんだけど、読み切りの現代ものは特に悩む。今回も扉絵は5パターンくらい構図を作ってみて、タッチも2、3パターン試した。時代ものの場合は、読み切りでもあまり悩まずに描ける。描き上がるまでの時間も読める。

この違いはなんでしょう?

恥ずかしながら時代考証は別段一生懸命やっていない。だいたいの時代の雰囲気、例えば、江戸時代だったら前期か中期か幕末かくらいは気にするけど、封建の世の中というのは、身分によって髪型や着物が決まっている。おなじ町人の若者でも、遊び人と実直な人を描き分ける時にはパターンのようなものがある。仕草などもそう。つまり時代劇の演じ分けみたいなもの。

ところが現代ものの小説だと、同じ若者でも個人個人でバラバラだから、そこから考えないと絵が描けない(小説の中に詳しく書いてあれば考えなくてもいいけど)。あと、同じ現代でも10年前と今とでは流行も違うから、そこでも立ち止まる。

あと筆のタッチが強いとなんか渋くなっちゃいすぎとか?いろいろ悩むポイントが多くて時間が読めない。

思いついたところをあげてみたけど、他にも何か理由があるかな?他のみんなはどうなんでしょう。時代ものと現代ものどっちが時間がかかりますか?

今週は自分で考えを深めないで投げ出す形で終わります。

以下は「オール讀物」で連載中の大島真寿美さん『妹背山婦女庭訓 魂結び』の扉絵です。

真珠庵での”など”の格闘

今週の土曜日、4月21日夜9時からNHKのBSプレミアムで『傑作か、それとも…京都 大徳寺・真珠庵での格闘』が放送されます。

90分のドキュメンタリー番組で撮影は4Kのカメラを使用。しかもこれは「スーパープレミアム」なのです。スーパープレミアムとは、〈BSプレミアムのフラッグシップとして、大型エンターテインメントや、長期取材に基づくこれまでにないスケールの番組など、多彩な視聴者の関心を呼ぶ番組を土曜夜間に2~4時間編成。NHK BSプレミアムで随時放送している〉ということになっています。

はい、前置きがウザいですが、この番組に私は出ております。

昨日昼間にNHKを見てたらたまたま番宣をやってて、私が一瞬映ったので急いでスマホで撮ったのが、この写真です。この写真は実に貴重なものなのです。なぜなら、悲しいかな番組のホームページには、私は名前も写真も出ていないからです。

今まで散々、親や親戚や友達に「オレ、今度スーパープレミアムに出るんだ」って自慢しといて、さぁ!いよいよだ!って時に、番組ホームページには自分が出てる痕跡がないってさ……ほんとこのブログでもどうやって宣伝しようか頭を抱えてたし、もう宣伝なんかしないやい!と拗ねてたんだけど、昨日偶然スマホで撮れて良かったよ。

(追記、さっき番組ホームページ↓を見たら予告動画が上がっていました。てへへ。)

傑作か、それとも…京都 大徳寺・真珠庵での格闘の予告動画を見よう!

番組紹介ページの5人並んでいる写真の中に私はいません。襖絵に挑戦する私以外の絵師たちと和尚様です(私はこの日どうしてもスケジュールが合わず、京都に行けなかったんでね)。襖絵に挑戦する5人の絵師は〈ゲーム『ファイナルファンタジー』のアートディレクター・上国料勇、アニメ『オネアミスの翼』監督・山賀博之、長寿漫画『釣りバカ日誌』作画・北見けんいちなど。〉です。仕方がないので私が残りの「など」を紹介しましょう。

1人は私、伊野でございます。アニメ『オトナの一休さん』も再放送中ですが、この真珠庵という塔頭は一休さんのために建てられたお寺なのです。また一休さんは大徳寺を再興したお方でもあります。もう1人の「など」は濱地創宗さんという方で、この人は真珠庵で修行をしていた若き画僧であります。画家兼僧侶。男前です。

番組の概要は下記のリンク先↓から知れます。

現代の”絵師”たちはどんな襖絵を描くのか?

私が「など」になった理由は無名だからということ以外にもう一つあるような気がします。

上国料勇さんと山賀博之さんは半年間の長きにわたり真珠庵に住み込んで絵を描かれていたのですが、私は2泊3日で描いて帰ってきてしまったのでした。だって普段のイラスト仕事の締め切りもあるし、それに私の場合、カンタンな絵なので2泊3日あればじゅうぶんだし、あの絵を半年かけて描く方が難しい……。

〔写真:私が担当したのはこの六畳間。襖絵は曾我蛇足(2代目だったかな?)の絵です。ここに寝転んでのほほん気分になれる絵を描こうと思いました。

大徳寺・真珠庵は長谷川等伯の襖絵もあります。等伯は他に、大徳寺・三玄院の襖絵も描いていますが、その襖絵は、三玄院の住職に「絵など必要なし」と断られたものの、諦めきれずに住職の留守中に勝手に上がりこんでバババっと描いてしまったのです。

絵の良し悪しに制作時間は全く関係ないのです。

でも、番組的には大いに関係がありましょう。だって番組のホームページにはこうあります。

〈現代の”絵師”たちは何を思い、どんな襖絵を描くのか?しかし、はじめての挑戦に、絵筆はなかなか進まない…。〉と。

編集された番組は当然私は見ていないのですが、たぶん予想では私は前半に出た後はほとんど出ないような気がします。

これも私の予想ですが、この番組は笑えるヒューマン・ドキュメンタリーという仕上がりになるのではないかと思います。ナレーションは高橋克実さん。

襖絵に挑戦する絵師の一人、山賀博之さんは監督・脚本家でありアニメ制作会社「ガイナックス」の社長さんです。

2014年のドラマ『アオイホノオ』でムロツヨシが演じていた人です。ドラマの中で美大時代の山賀さんの心の声として「俺は絵が描けん!描くつもりも無い!だがアニメ界でひともうけしたいのだ!つまり、人を働かせる!俺のために!くはははは」というようなセリフを庵野秀明さんの後ろで言う場面が出てくるのですが、その山賀さんが絵を描くってんだから、それも長大な襖絵を。

ドキュメンタリー的にはぜったいに美味しいです。

山賀さんて「この霧吹きが使いやすいですよ」って貸してくれたり、暗がりで描いてたら後ろで照明をセッティングしてくれたり、とてもやさしいの。予告動画で私が握っているのは山賀さんの霧吹きです。

〔写真:合宿2日目の昼食の様子。近所の「中華のサカイ本店」より取った出前の冷やし中華を食べる撮影スタッフ。手前は上国料さん。「中華のサカイ本店」は素晴らしい店。是非行ってください〕

座禅と庭掃除込みの合宿は楽しかったですが、何より大きな絵を描けることが気持ちが良かった。大きな絵は全身を使って描くので、軽い筋肉痛になる。こんなに集中できるのかっていうくらい、ものすごく集中できる。描いてる間に何度も「あ、失敗しちゃった」と思う瞬間が訪れる。やり直しはきかない。焦る。そこから何とか立て直していくしかない……短い期間ではあったけど自分としては格闘でした。

もう予告動画に全貌が映っちゃってるけど、私の描いた襖絵は実力以上でも以下でもないってカンジかな。『傑作か、それとも…』というタイトルに照らし合わせれば、後者かも(笑)。

私は他の人たちの絵がその後どうなってるのか知らないんです。すぐ帰ってきちゃったから。でも予告動画でチラッと見る限りめちゃめちゃど迫力ですね。まぁ、私のは六畳間の禅画を目指してますから(言い訳)。

まぁ、襖絵の出来はどうであれ、私の出番の尺はどうあれ、ドキュメンタリー番組として傑作になってくれればそれでいいですわ。番組はディレクターの作品なんだから。

自分の声や動きを映像で見るというのはすごくヘンな気持ちですね。自分は自分の存在に耐えられません。また、やっかいなのはウチはBSが映らないってこと。誰の家で見ようかなと思ってたら、「当日はみんなで真珠庵に集まって酒を飲みながら見るんですが、来ませんか?」と山賀さんからお誘いを受けた。どうやらみんな自分一人じゃ見る気になれないようです。

白隠ゑかくかく描けり

新潮社「とんぼの本」シリーズの新刊『禅のこころを描く 白隠』でオマケ漫画を描いてます。漫画を全部載せちゃうと悪いので、ネームなしの漫画原稿をアップしときます。ぜひ買ってネーム入りの漫画をお読みください。禅画を漫画で解説するという新しい試みなのですが……絵だけ見ても絶対に内容はわからないという自信があります。ネームとあわせて読んでもわかんなかったりして(汗)。ジョンもジョブズもハマったZEN。ジョン・レノンは日本に来た時に白隠の禅画を買って帰った。山下裕二さんによるとあの「イマジン」の歌詞は白隠の墨跡《南無地獄大菩薩(地獄も極楽も人間の心に映る影のようなもの)》と同じことを言っているのだという。確かに「想像してごらん」を頭にくっつければ「イマジン」の歌詞そのものだ。

 白隠 慧鶴(1685- 1768)は日本の禅の中興の祖と呼ばれる。独学の絵は隙だらけの無技巧だが、描きたいことであふれている。この存在感はプロの絵師には出せない。一万点を越えるという量からしても日本美術史に比類がない。本書には白隠の友達、池大雅の絵も載っているので見比べてほしい。一目瞭然で質の違いがお分りなるだろう。どうしてこんな絵が描けるのだろうと池大雅も思ったはずだ。私もそう思う。

「いいな」「すげえな」と思うことが私にとっての「理解」である。その意味で私は白隠をよくわかっている。でも白隠禅画は賛と絵が一つになって意味がわかるいわば一コマ漫画。そこに込められたメッセージとなるとさっぱりわからない。そもそも書いてある文字が読めない。白隠にとって禅画は思想を伝える手段なのに、私は絵だけを見て「わかる」と言っちゃってるわけだ。そんな私にうってつけなのが本書の芳澤勝弘さんによる白隠禅画解読である。禅の開祖達磨はもちろん、乞食姿の大燈国師、ハマグリになった観音様、布袋さんにすたすた坊主……多彩なキャラクターが登場する絵画世界を吉澤さんは「白隠劇場」と呼ぶ。白隠が漫画的キャラを操って説こうとした深い禅の思想とはなんだったのか?白隠はそれまで貴族的だった禅を民衆にひろめた人で、我々がよくわからないままに禅だZENだと言ってるのも、ジョン・レノンが「イマジン」を作ったのも、白隠さんのお陰かもしれないのだ。白隠は公案(いわゆる禅問答の問い)も自ら考えた。有名なものに「隻手の声」というのがある。「両手を打ち合わせると音が鳴るが、では片手の音とはどんなものか」という謎かけだ。作麼生!皆さんならなんと答えますか?

 余談になるが、芳澤さんと私はEテレの五分間アニメ『オトナの一休さん』(ただいま絶賛再放送中)の監修者と作画担当者という縁で結ばれていた。本書の元になっている「芸術新潮」の白隠特集の時は、私は一読者に過ぎなかったのだが、因縁が私を呼んだ。「白隠の禅画は誰のために描かれたのか不明なものが多い。伊野さん、そこを想像して漫画に描いてみませんか?」と芳澤さんに頼まれた。これが禅問答なみの難問だった。巻末についているオマケ漫画『白隠ゑかくかく描けり』がそれです。

 あ、そうそう、禅問答には答えなどないのです。筋道だった答えを用意しても「喝!」なのです。禅の公案とは澄んだ自由な精神を手にするための使い捨ての道具にすぎないのだそうだ。さて、私の漫画はそんな自由な答えになっているのだろうか……。ちなみにこの方が吉澤先生です。漫画の出来は自分じゃ判断できないが、先生の似顔絵は自信アリ。今日のブログの文章は新潮社の PR誌「波」のレビューのために書いたものです。ぜひ『禅のこころを描く 白隠』をお買い求めください。どうぞよろしくお願いします。

『卜伝飄々』全部のせ!

文春文庫の新刊、風野真知雄さんの『卜伝飄々』のカバー、扉絵を描きました。デザインは中川真吾さん。この手のタイプの絵はラフとか下書きとかそういうのは一切なしのぶっつけ本番。3時間くらい集中して、自動筆記的にらくがきを続ける。うまく描けたと思うものが後から見ると平凡だったり、こりゃいくらなんでもテキトーすぎるかなと思ったものが、わりとイケてたりもする。らくがき特有の無責任な気ままさが出せたとき、塚原卜伝という剣客と対峙できるのだ……とかなんとか偉そうなこと言ってますが、自分にとっては一番楽しいラクチンなやり方なのだ。たくさん描くと選ぶのがタイヘン。というわけでセレクトはデザイナーの中川さんに丸投げしてしまった。らくがきに失敗も成功もない。描いたもの全てを中川さんに送った。そういうわけで今週は、『卜伝飄々』のために描いた絵を全部載せます。

三遊亭圓朝の同期生

今売りの『小説現代』は「落語小説特集」。土橋章宏さんの『下町の神様』の挿絵を描いた。

落語のネタのノベライズである。この2枚の絵だけを見て「ああ、あの話か」と思った人は落語通?いや、あまりに有名な話なので通とは言えないのか。リード文には〈年の瀬に、カネを失った男ふたりが「神様」に会う。〉とある。確かに『下町の神様』というネーミングは元ネタの小説版タイトルとしてぴったり。元ネタはもうお分かりですか?……そう三遊亭圓朝作『文七元結』です。

僕はずっと勘違いをしていたのだが、『文七元結』とか『芝浜』のような話を「人情話(噺)」というのかと思っていた。だって人情にグッとくるじゃん。ところがもともとは武家の話の「時代物」に対して、町人の話の「世話物」の、その中でも長〜い演目、例えば『塩原多助一代記』『牡丹燈籠』『真景累ヶ淵』みたいなのを「人情話」と言うようだ。えー!と思ったね。『牡丹燈籠』や『真景累ヶ淵』なんかは怪談噺で、今の感覚で使う「人情」っていう言葉がなかなか当てはまらないから。どっちかっていうと刃傷沙汰の「にんじょう」の方だよ、内容的に。

もっとも広い意味では『文七元結』や『芝浜』も人情話のカテゴリーに含まれるようだし、「人情」を心の動きと捉えれば、何もほろっとさせるだけが人情ではないかもしれない。江戸から現代にかけて言葉の感覚が変わってきているのも面白いと思った。

あ、乏しい僕の落語知識の中からたまたまここにあげた演目は全て三遊亭圓朝の作である。三遊亭圓朝ってすごい人だな。4、5年前に何を思ったか三遊亭圓朝の肖像画を描いて、描いたっきり誰にも見せずに押し入れにしまっていたのを思い出した。久しぶりに出して見たけど、お蔵入りした理由がなんとなく分かる絵だ……。圓朝の後ろにあらわれた幽霊は河鍋暁斎の幽霊画からとった。

なんと三遊亭圓朝(1839年生まれ)は12歳の時(1851年)に歌川国芳の内弟子になっている。河鍋暁斎も同じく国芳の弟子だった。圓朝が弟子入りした時は暁斎はもう20歳だった。暁斎は6歳で国芳に入門し、3年後には国芳の元を離れたので弟子時代の二人に直接の関係はないだろう。しかし圓朝とほとんど同時に国芳に入門した人がいる。月岡芳年だ。入門したのは1年違いの1850年だという。生まれも圓朝と同じく1839年生まれ。この二人の関係を知りたくて正岡容の『小説 圓朝』という本を読んだことがあるけど、どんなことが書いてあったか忘れてしまった。本もすぐに見つからない。またそのうち調べよう。

(佐川氏の証人喚問を聞きながら記す)

春の「笑なん」

日本農業新聞で連載中の島田洋七さんの自伝エッセイ「笑ってなんぼじゃ!」略して「笑なん」。洋七さんは高校野球の強豪校、広島広陵高校に進学します。中学ではキャプテンだった洋七さんですが、広陵高校野球部でレギュラーの座を取れるでしょうか。そんな頃のお話です。佐賀では、ばあちゃんの掃除の仕事についていった以外は、特に何もしてんへんかったんやけど、1回だけ城南中学の野球部の練習を見に行った。皆で飲んで騒いでいたときに、突然A君が泣き出した。「どないしたんや? 何泣いてる?」「やっぱりキャプテンは今でもキャプテンや」「ん? どういうこっちゃ?」「俺、正直に言うけど、実は詐欺罪で警察に捕まったことがあるんや」「刑務所ではテレビも見せてもらえるんやけど、そこでもしょっちゅうキャプテンが出てる。コマーシャルにも出てる。毎日、キャプテンの顔を見てた。徳永くん、あんなに頑張っているのに、俺は……」短い春休みも終わって、いよいよ待ちに待った広陵高校に入学や!入学式には、かあちゃんも来てくれた。着物姿で父兄の席に座るかあちゃんを見たときは、やっぱりうれしかったなあ。その数は30とか50やないよ。ざっと数えて250人。一学年がだいたい700人やから、三分の一が野球部に入部希望やったんよ。実際に目の前で河井を見て、俺は心の底から『二塁にしといてよかった』と思ったよ(笑)。俺の身長は164センチ。そびえるような大男に見えた河井も175センチと、それほど大柄ではなかった。けど、がっちりとした体格で、「とても太刀打ちできん」と思わせるようなオーラが全身を覆ってたんや。 広陵高校の野球部は、設備もすごかった。その頃は、本物のプロ野球のキャンプやら練習場は見たことないから、比べられんのやけど、広陵の練習場を見て「プロ並や!」と思った。ボールは毎日、縫い目の破れや糸のほつれを点検し、破れているボールは、新入生が家に持って帰って補修せんといかん。また、このボールの数が半端ないんや。かっ飛ばした球が、ときに金網を越えて、近所の屋根を直撃して瓦を割ってしまうことがあるんや。そのために部室の裏には瓦が何枚も積んであった。怒られたことはいっぺんもなかった。そこのお家も慣れているのか、「暑いのに大変やね」と、逆にねぎらってくれて、冷たい麦茶なんかを飲ませてくれるんよ。これが楽しみで楽しみで。さすがスポーツの強い広陵だけに先生も心得たもんや。「成績は試験の点数だけじゃないけん。悪いことをせんで、毎日、さぼらんと授業に出席してりゃ、それも成績として評価せにゃいかんことやとわしは思っとる」と俺ら運動部の生徒を安心させてくれた。街を歩いていても、広陵の野球部だとわかると、女子高生たちの間から「キャーッ!」と黄色い歓声が上がるくらいやもん。そこで重要になってくるのが野球部のバッチや。河村さんの荷物を持つのは1年生の2人で、2年生の先輩は自分のバッグだけでよかった。“かっぽん”と呼ばれる河村さんは、旅館の息子で、「食っていけよ」と、旅館のまかないを振る舞ってくれることも多かった。野球部と応援団は、バス15台に分乗して甲子園に向かった。先頭のバスは監督とレギュラー選手と補欠。2台目と3台目は俺たち、“その他大勢”の部員。先頭を走るバスを見ながら、小さな声で誰かが言うた。レギュラー選手は連盟指定の旅館に泊まり、俺ら“その他大勢”は、あちこちの宿屋に分かれて泊まった。昭和40年8月。俺は、夢にまで見た阪神甲子園球場にいた。学校帰りは、どこにも寄り道せず、ほとんど毎日、かあちゃんが働く蘇州飯店に立ち寄って一緒にご飯を食べた。だって寄り道する体力なんてないのよ。「うどんの中に髪の毛が入っていると言うたら、もう一杯食えるんちゃうか?」「おお、それええかも」と誰からとなく声があがった。マネージャーは、自分の髪の毛を抜いてうどんの中に入れた。「おっちゃん、おっちゃん~!」クレームを言うんやからと、ちょっと険しい声で呼んでみた。すると、厨房の向こうからのれん越しのおっちゃんが顔を出した。店の中は真っ暗闇。「何も見えんな」「どうしよう」そんなことを小声でささやき合っていたときに、誰かが言うた。「チャンス!」その意味は、全員がすぐに理解した。俺らは一斉に出口に向かってダッシュした。ベースランニングの練習のときより、俊敏に体が動いた(笑)。「危ないっ!」俺は、大声でショートに声をかけた。その時やった。別の打球が俺をめがけて飛んできた。ショートに向かってグローブを差し出した俺の左の肘を打球が直撃したんや。「うっ!」俺は肘を抱えて、その場にうずくまるしかなかった。痛いけれども、まだ、これくらいは平気やと俺は思ってたんや。ところが、腫れはなかなか引かずに、痛みもずっと続いた。俺はまた不安になって別の病院に行った。そしたら、そこのお医者さんは、「肘の軟骨にひびが入っているかもしれん。でも、2、3ヶ月もしたら治るやろ」と言うてくれた。もう野球ができんようになるかと思ったら、涙が止まらんかった。なぜか自然に足が太田川の河原に向かっていた。 誰もおらん地面に座り込んで、俺は泣いた。拭いても拭いても涙があふれてきた。俺はけがのことをばあちゃんに報告せんといかんと思って、近くで八百屋をしている親戚のところに電話を借りに行くことにした。電話をかけたら、ばあちゃんはいた。「ばあちゃん、俺、もうあかん」おじさんは何も言わずに立ち上がり「アキやん、これ、飲め」と、涙でくしゃくしゃになった顔で、店のジュースの栓を抜いて俺にくれた。野球部を辞めてからは、何もする気にならんで、退屈しのぎに近くの高速道路の橋脚の壁を相手に毎日キャッチボールをして過ごした。タートルネックのセーターにブレザーを着ていた河井は、ずいぶん大人びて見えた。髪も少し伸びている。背が高い河井がそんな格好をして俺と並んだら、まるで大人と子供やった。試合なんてとても見に行く気分にはならんから、毎日、新聞で試合結果をチェックした。広陵は一回戦、二回戦と順調に勝ち進んでいた。ところが三回戦でつまづいてしもた。「強豪広陵三回戦で敗退」新聞の地方版では、そこそこ大きく報道された。その文字を見たとき、残念な気持ち半分、ほっとした気持ちが半分。

やっては、いけない!

マガジンハウスの雑誌『ターザン』で「やっては、いけない!」という特集の絵を描きました。

一部の与党議員のために決裁文書を改ざんするという「やってはいけない」ことが明るみになり、さあ、どうする?どうする?と盛り上がってまいりました。

森友問題の方はだいたいの察しはついてたし、やっぱりね、って感じだけど、貴乃花親方がこれからどこに向かおうとしているのかよくわかりません。親方、職場に戻りましょう。親方には相撲しかないのです。

弟子を長い間部屋に閉じ込めたり、力士会を欠席させたり、親方がそんなことを「やってはいけない」のではないでしょうか。親方なのに無断で職場を休んだり、果ては春場所中はぜんぜん出勤しないなんてことも「やってはいけない」んじゃないかな〜て思います。

いや、でも、私が見ている大相撲と、貴乃花親方の宇宙の中に存在する大相撲はもう別のものなのかもしれません。親方は相撲道を極めると宇宙の真理もわかると思ってやってらっしゃるのだと思います。いつか親方を理解してくれる生命体が宇宙から迎えに来て、親方は金色に輝くUFOに乗り、全宇宙大相撲の土俵に上がるのだと思います。

明日に迫った確定申告。どうしても今日中に「やらなければいけない」ということで、ブログの更新はあっさり目で終わります。それではみなさんごきげんよう。

なんとかなるわよ

KKベストセラーズから発売された野村克也さんの新刊『野村の哲学ノート「なんとかなるわよ」』のカバーの絵を描きました。

南海ホークスのプレーイング・マネージャー、ノムさんこと野村克也(35歳)は東京遠征に来る時、表参道にある旅館を定宿にしていた。宿の近くのお気に入りの中華料理屋で、ノムさんがマネージャーと二人でフカヒレそばをすすっている時、「ママ〜、お腹すいた〜」と店に入ってきたのが後のサッチーこと伊藤沙知代(38歳)だった。

これが二人の出会いである。1970年の話。どこの中華料理屋だろう。当時は表参道にも旅館があったんですね。そりゃそうか、何せ48年も前の話だもの。

当時、サッチーはボウリング用品の輸入販売会社の社長。ノムさんはサッチーの真っ黒に日焼けした姿を見て「世の中にはこんなに活発な女性もいるのか。俺にないものをたくさん持っている人だな」と思ったのが第一印象。一方サッチーはノムさんが監督と聞いてもピンときていない様子。「雨が降ったら商売になりませんよ」とひねった第二ヒントをノムさんが伝えると、工事現場の監督ね、と答えたらしい。

そんなふたりの出会いから去ること16年前、高校を卒業したノムさんは南海ホークスにテスト入団が決まっていた。ノムさんは地元の京都府網野町から球団がある大阪まで、野球部の恩師清水先生と一緒に電車に乗って出かけた。その途中で清水先生が「野村、プロ野球という厳しい世界に入るんだし、仕事運を一度見てもらったほうがいい。よく当たる占い師が祇園にいるから、ちょっと行ってみよう」と言い出し、ノムさんは言われるままに京都駅で途中下車し、占い師の元を訪れた。

そこで白ひげの老占い師に「将来、あなたが何かで失敗するとしたら、その原因は女性でしょう」と言われたという。

ノムさんは自分はマイナス思考で、サッチーは「地球は自分を中心に回っている」くらいのプラス思考だ、と本書で語っている。サッチーが原因で監督を二度も辞めることになるのだが、その一度目の時(南海ホークス解任時)の後日譚もなかなかだ。

「大阪なんて大嫌い。東京に行こう!」と言い出したサッチーを乗せてノムさんは東名高速道路を走っていた。日頃から「野村ー野球=ゼロ」と公言していたノムさんは「ああ厄年って本当にあるんだな……」と心の底からしょげまくっていた。運転中にも愚痴ばかりこぼしていたという。その様子を見たサッチーは「ただ野球の仕事を失っただけなのに『何よ、この男?』」と思った。そして車の中で、一声大きな声で言った言葉が「なんとかなるわよ」だったのである。

この夫婦はすごい。マイナス思考とプラス思考だからうまくいくというのを通り越しているように思える。夫婦に限らず人間関係において「ありがとう」「ごめんね」という言葉をかけるのは必須だとされているが、長い夫婦生活の中でノムさんはサッチーから「ありがとう」「ごめんね」は一回きりしか言われていないのである。それはどんな時に言われたのか?詳しくは本を買って読んでもらうことにしましょう。

このブログでは前にも書いたと思うけど、僕は子どもの頃から球技が苦手で嫌いだった。当然野球もソフトボールも嫌い。でも友達と遊ぶ以上はやらざるをえず、仕方なくやっていた。いわば社交のためだ。子どもにも当然社会がありつき合いがある。ヘタクソだからつねにチームの厄介者になっているという思いがあった。他人の顔色を伺わなければいけない。野球が好きなふりもしなければいけない。あの時は「オレ野球嫌いだから…」なんて言い出せなかった。

しかし、野球選手や監督は、話やエピソードの面白さで、ずっと興味のある対象だった。ぼくは野村監督もサッチーも好きだ。サッチーが突然亡くなった時の野村監督の顔が忘れられない。

お二人を絵にかけたことを光栄に思います。

デザインは日下潤一先生です(担当編集者の方がメールで日下先生と書いていたのでマネしてみました)。ありがとうございました。

着せ替えられる服のごとし

小説が世に出る形はいろいろありますが、たとえばまず、小説誌で連載されるとします。

イラストレーターはその時に挿絵を頼まれます。

次に小説誌での連載が終わり単行本として出版されることが決まった時、今度はカバーの絵をまかされる……かといえば必ずしもそうではありません。本屋に行って、「あれ?これって挿絵描いてたあの小説だよな」と、違うイラストレーターの手になるカバー絵を見つめながら、「やっぱり俺の絵じゃ売れないんだろうか」と肩を落としたことも何度かありますね。

でも、逆パターンもあるのでお互い様です。

同じようなことは単行本から文庫化される時にも起こります。

単行本のカバーと文庫本のカバーでは、違うイラストレーターが描いている場合も珍しくありません。「装いも新たに」というやつです。

余談ですが、小説が映画化されると、急遽、期間限定の新しい帯が巻かれます。最近はその帯の幅がはほぼ本のサイズで、いや正確に言うと本のサイズより数ミリ短く、本来のカバーが帯の上からちょっとだけ見えている、みたいなのもあります。さすがにこのやり方を最初に見た時は、「えげつな〜」と思いましたが、とにかく本が売れない、本が売れない、本が売れない、本が売れない……と呪文のように聞かせれている昨今にあっては、そのいじらしさに笑ってしまいました。

私は自分の職業を卑下する気持ちはコレッポッチもありませんが、所詮は服のように着せ替えられるものなのだ、とも思っております。

そう考えると、小説誌→単行本→文庫本とずっと頼まれるのは稀なことに思えてきました。

前置きが長くなりましたが、今週は幾多の障害を乗り越えめでたく文庫まで頼まれ続けた、今月発売の梶ようこさん『立身いたしたく候』のカバー絵についてです。

当ブログでも連載時や単行本発売のタイミングで宣伝していましたが、もう一度イチから載せちゃっていいですか?

まずは「小説現代」で連載したいた2013年当時の挿絵でござ候。

して、これは2014年に単行本化された時のカバーに候。

さあさあ、パソコンの前のお坊ちゃん、スマホを握るお嬢ちゃん、ホレホレ見なはれこの通り、2018年2月にめでたく文庫化されたカバーはこうなって候〜。江戸時代の就職活動の話ですが、文庫のカバーは現代の就職活動風景と混ぜたものにしたいとの申し出があり、他に城の出世階段を駆け上がる案と履歴書案もござ候。

さてもう一つ。

これは単行本から文庫本にする際、絵をちょっとだけ変えて使われたものです。群ようこさんの『うちのご近所さん』。今月発売です。メインのおばさんの服の色が違うのと、表4にいた人たちが表にまわってきました。この小説はもともと連載されていたものだったか、書き下ろしだったか忘れましたが、もし連載されてたものだったら、その時挿絵を描かれていた人がいらっしゃるかもしれません。すんませんね。ま、これもお互い様だということで。

神様の髪型と亀違い

NHK Eテレ 『趣味どきっ!福を呼ぶ!ニッポン神社めぐり』で神話の絵を描いてます。2月26日まで毎週月曜日(午後9:30 )にやってます。私は仏教のことも日本の神様のこともよくわからないままに生きてきた。日常生活に支障はない。まー、私のような日本人は実はいっぱいいると思う。別に知らなくていいとさえ思っていた。でも、最近は日本の仏教や神道はすごく曖昧なものらしいっていうところに惹きつけられる。自分たちがどこから来たのか知りたくなる年頃でもある。もともとがいい加減だったなんて聞くと、ホッとするなー。

さて、そう思っているからか、時々、神様や仏様お坊様を描く仕事が舞い込んでくる。絵に描くとなると、具体的な形にしないといけない。

服装などもある程度は調べる。もっとも、時代考証は雰囲気程度にしかやっていないし、かなりテキトー。なぜか枚数の多い仕事を頼まれることが多いので、描きやすいように簡略化して、装飾品もごく少なめにしてしまう。だからたとえ NHKで放送されたとはいえ、私の絵を参考資料にしない方がいいですよ。

この間も雑誌で地蔵菩薩に螺髪(らほつ、大仏様などにあるパンチパーマ状の巻き髪)を描いてしまい修正が入った。菩薩は人間が仏になろうと修行を積んでいるとこなので、まだクリクリなのであった。これなどは初歩的なミスだと思う。仏教は調べればだいたい答えは出てくるのではないだろうか(あまり詳しく調べたことないけども。「オトナの一休さん」で描いていた袈裟なんてめちゃくちゃいい加減だった)。

ところが調べたってわからないのが、日本の神話の神々の姿。例えばどんな髪型をしていたかは、誰にもわからない。わかるわけがない。よく日本の神様の髪型は、頭の両サイドで髪を結う「みづら」という形で描かれる場合も多いが、同じ神様でも描かれる絵や時代によって様々である。

「みづら」は古墳時代の人の髪型である。したがって、神話に出てくる神様も古墳時代っぽい雰囲気の衣装が多いのだが、このイメージで描かれるようになったのも明治30年頃からだそうだ。それまでは髪を垂らしている姿の方が多い。

「みづら」は埴輪の頭の造形を基にして推測された髪型だ。下の画像は1921年の本の復元図だ。…ってこの画像は、及川智早さんの『日本神話はいかに描かれてきたか』及川智早著(新潮選書)から抜き出したものです(この本も今回の仕事用に買って、結局ちゃんと読む前に仕事を終えてしまった。何のために買ったのだろう)。

ネットを検索してたら、土浦市のホームページに1983年に古墳から発掘された「みづら」の写真が載っていた。髪の毛がそのまま発掘されたようだ。おお、やっぱりこんな髪型してたんだ。埴輪から推測した人スゴいね。

ところで、歌舞伎や文楽で、源平合戦の頃のお話なのに、登場人物は堂々と江戸時代の風俗でやってたりする。また、西洋の宗教画では、紀元後間もない中東の宗教家であるイエス様の絵が、思いっきり中世のイタリアの風俗で描かれてたりする。親しみやすくするためだったかもしれない。観客や信者に考証に疑問を抱く知識はなかったかもしれない。だいたい昔は時代考証の資料なんてものは作り手も手にすることは困難だっただろう。

幕末から明治初期にかけて活躍した絵師、菊池容斎は『考証前賢故実』全11巻というのを出して、それは当時の画家が歴史物の絵を描くときに参考にするバイブルであったそうな。この頃になると考証の研究はある程度進んできたとみえる。

去年ある美術館で尾形月耕の描いた浦島太郎の絵を見て、思わずツッコんでしまった。この絵だ。

う~ん、亀が海亀ではなく、沼亀である。イシガメだろうか。

今調べて知ったのだが、尾形月耕は菊池容斎に私淑していたらしいじゃないか。菊池容斎のお手本にこういう亀が描かれていたのだろうか。亀好きとしてはちょっと気になるところである。

ではまた!

【追記】

伊野孝行×南伸坊 WEB対談『イラストレーションについて話そう』更新されております〜。

第6回前編

第6回後編

よろしく!

年明けの「笑なん」

今週は日本農業新聞で連載している島田洋七さんの自伝的エッセイ「笑ってなんぼじゃ!」の挿絵から。高校野球の強豪校、広島の広陵高校に入学が決まり、佐賀のがばいばあちゃんの元を離れ、念願のお母さんとの二人暮らしが始まりました。

短い抜書きではなんのこっちゃ話がわからないと思いますけど(挿絵も気に入ってないのは外してるし)、そういうものと思ってご覧ください。春休みが始まったばっかりで、入学式まで日にちもたっぷりあった。
「それが、ええ。お金渡すけん、行って、ばあちゃんの様子見ておいで」
「いや、そんなにお金はいらんよ。俺、自転車で行くばい」
「え! 自転車でか?」頑張ってペダルを漕いだら、あっという間に岩国に着いた。
 広島を出ると横川、己斐、五日市、廿日市、宮島口、大野浦、玖波、大竹、そして山口県の岩国。
走りながら、流れる景色にちょっと胸が熱くなった。
それは汽車の中からいつも見ていた景色と重なっていたからや。川を見つけると、水を飲んで、足を洗って、自転車を洗って休憩した。
 そうこうしているうちに山道が終わり、日が暮れてきた。
さて、どこで寝ようか。よくばあちゃんは「お寺は困ったことがあったときに相談しにいくとこや」と言うてたんを思い出した。
 お寺に泊めてもらおう!俺の生い立ちのこと。佐賀に預けられてからの話、貧乏だった話……。
 住職さん、奥さん、おじいさん、おばあさん、そして3人の子どもたち。
みんな俺の話に泣いたり笑ったり。
本堂はさながら俺のワンマンショーのステージと化した。この話をじっと聞いていた住職さんは
「いやいや、恐れ入りました。えらい。たいしたおばあちゃんじゃ」
とえらい感心された。川のほとりでおにぎりを頬張りながら、キラキラと日の光で光る川面を見ていたら、ばあちゃんのことを思い出した。

 ばあちゃんは、よく「人生は川ばい」と言うていたなあ。待ち合わせ場所のバス停まで迎えにきたおじさんは、「自転車できたとか!」
と目を丸くしてたよ(笑)。俺は思いっきり大きな声で叫んだ。
「ばあちゃーん!」
ばあちゃんは、こっちを見てびっくりした顔で俺を指差して、「あーーーーーーーーーーーーっ!」
と叫んだ。「こんな早う起きて何するんや? 魚釣りでも行くんか?」
「いや、俺、一緒に仕事に行く」
ばあちゃんは、俺が一緒に行くのを嫌がるかなと思ったけど、意外とあっさり
「よかよ」
と言った。別れ際、俺とばあちゃんは握手をした。
「また、来るよ」
その時、初めて気がついたんや。ズボンを脱いでみたら、赤く腫れ上がって、血が滲んでいた。
お尻のかさぶたも破けて血が出てる。
もう、これはあかん!
そう悟った俺は、ヒッチハイクをすることにした。トラックは快調に国道を走り、国道沿いのめし屋でラーメンをごちそうになった。
 自転車やったら4日かかった道を夕方前には広島に到着し、俺は平和公園の前で降ろしてもろた。「ありがとう、おかあさん……」
 かあちゃんは、そう言うと、もう一回、遠くのばあちゃんに頭を下げながら
「ありがとう、おかあさん」
とささやくような声で言うた。

カネの話 イラストの話

先週もブログの更新をサボったので、さすがに今週もサボるわけにはいかず、さりとてネタもなく、時間もなく、というわけで、やっつけ更新と行こう!

今売りの「日経おとなのOFF」にいっぱい絵を描いてます。戦国時代の三英傑(信長、秀吉、家康)が2018年の現在に現れた。人生50年と聞いていたのに、100歳まで生きる可能性があるとわかり、老後のおカネの心配をしているの図。

もちろん私は明日をも知れぬフリーの身。しかもバイトを辞めたのは41歳の時だったから、それまでも全然稼いでいない。さて、これから先いつまで仕事があるでしょうか。仕事がなければ老後は国民年金しか収入はない。30年後の日本は大江先生の予測によるとこんな社会だそうだ。詳しく知りたい方は書店へGO!信長の持っている白いアザラシみたいなのは「ideco」のキャラです。「ideco」は掛け金が全額控除されるし、預金の代わりにもなるし、国民年金基金よりいい、みたいなことを耳に挟みました。ちょっと奥さん、フリーランスの人はやらないと損なようですわよ。写真の撮り方もピンボケで雑だ!とにかくやっつけで更新してるんで!

ところで、おカネは人類が発明した最大のフィクションですが、あなたは信じるに足るものとお考えですか?

 

追伸

伊野孝行×南伸坊「イラストレーションについて話そう」5回目が更新されております。よろしければお読みください。

第5回① 見る人が「リアル」だと感じるのは形よりも質感?

第5回② 形が歪んでも、手間がかかっても、質感は重視したい

第5回③ 手間と時間がかかっても写実的に描くことの快楽はある

 

 

調子にのって

調子にのって、先週、溜まってた仕事の絵を一気に載せてしまった。そのため、今週特に載せるものがなくなった。というわけでお休みです。

絵の迷い道

イラストレーションの仕事は、向こうからテーマが与えられる。

原稿を読み、読者が記事や物語を思わず読みたくなるような切り口を探し、一番ふさわしいと思う絵を描く。

イラストレーションの仕事は相手に合わせることだが、テーマを「問い」だとすると、絵は自分にしか描けない「答え」になっていなければいけない。

仕事のテーマというのはまちまちだ。時々編集者の気まぐれかとも思える注文を目の前にし、どうして俺に頼んだのだろうと、途方にくれることもある。

しかし締め切りまでに描かなくては。

まずは、こびりついた「自分印のスタイル」を剥ぎ取ろう。そしてテキストと自分の間から絵が生まれてくるのを待つのだ。

相手から与えられるテーマとは別に、自分が追っかけるテーマというのがある。作り上げたスタイルは、自分のテーマが最も伝わる表現方法だったはずだ。

でもテーマを忘れてスタイルだけが形骸化してやいないか。

テーマをいろんな言い回しに言い換えることも、実はできる。

そうすれば、いろんなスタイルを使いこなせる。自分にテーマがあるからこそ、どんな球が来ても打てるのだ。自分にテーマがないのに、球を打ち返していると、「器用貧乏」と言われる。

ところが、最近、球を打ち返すことに一生懸命になりすぎたかもしれない。

引き出しが増えたと思っていたけど、肩透かしや猫だましだったのかもしれない。

お題はこなしている。球は打ち返している。でも、なんとなく絵が物足りないような……あ、もしかしてこれは器用貧乏に足を突っ込んでいるのかもしれない。最も自分が嫌だと思っていたはずなのに。

いつも同じスタイルで描くことは嫌だ、俺が描く絵はなんでも俺の絵なんだから、自由に描きたい!と思っているけど、いつの間にか、人に好かれていい子になっているだけのような気もしてきた。

イラスト仕事の特性とうまく利害が一致してしましい、気がついたら全然ワガママを言っていなかった、って感じ。

最近そんな気持ちによくなる。

自分にこんな絵が描けたんだ、って思えた時はこのやり方はいいと思う。新しいテーマが見つかる時だってある。でもうまくいかない時は、なんだ、こんな絵俺じゃなくても描けるじゃねえか、と思ってしまう。絵の中に俺がいない。

来週あたり、熊谷守一展を見ようと思っているので、青春のように悩んでいるのかもしれない。よし、俺は60歳になったら、スタイルを一つに絞るぞ!(たぶん、ムリ)去年暮れから「オール読物」で始まった大島真寿美さんの連載。時代物は楽しんで描ける。「小説現代」の読み切り。すごくいい短編小説。読み終わってウルウルしてしまった。今の時代の子どもの話。時代物とはわけが違う。あぁ、どうしよう。3回くらい描き直した。伊野印はどこにもないので、名前を隠したら誰が描いたかわからないかもしれない。「オール読物」の読み切り。平岡陽明さんの時はいつも声をかけてくださる。そしていつも小説に合わせて絵も変えている。大島真寿美さんの連載と同じ号に乗るので、そことも絵柄を変えたかったが、いろいろやった挙句迷ってしまった。

上の4点はUCカードの会員誌「てんとう虫」で連載している、歌人福島泰樹さんのエッセイにつけている挿絵から。これがまた毎回難問である。おちゃらけやくすぐりは必要がない、というか毎回シリアスな内容なのである。上は「通販生活」、下は「ウエッジ」に描いた絵。一コマ漫画にできると、すごく気が楽だ。見る側も描く側も伊野印を見て安心するだろう。しかし、安心していいのだろうか。「母の友」の童話の挿絵。ユーモアと言っても一コマ漫画と童話のそれとは違う。難しい。
DHCの雑誌に書いた似顔絵。似顔絵もそぎ落としていったシンプルな描写で似せるのは難しいが、これくらいの描き込みが許されるのなら似せやすい。でも、面白みは少ないか。 「芸術新潮」の連載「ちくちく美術部」用の絵。ネームを流し込む前の段階。この連載は展覧会評であり、見てきた展覧会の絵に合わせることもしばしば。その場合「自分なくし」の効果は出やすい。とことん遊びたい。
ネームを流し込んだもの。この時は雑誌の「POPEYE」ごっこをやってみた。 放送日も教えてもらえなかったし、教えてもらったとしてもBSが映らないので見れないのだが、 NHKのBSでやっていた片岡鶴太郎の「ヤミツキ人生」という番組に描いた絵。金魚仙人と呼ばれる97歳の川原さんの人生紙芝居の絵から。
いろんなタッチで描いてると、飽きることはないけど、見る人の印象に残りづらいだろう。だから俺は有名になれないのである。やはり熊谷守一を見習わなければいけない。安西水丸さんを見習わなければならない。やっぱり60歳になったら、スタイルを絞ろう!(本気でそう思ってはいないけど、もしそうなったらそれはそれでいいのかもしれない)

対談の「リアル」な実態

玄光社のWEB連載、伊野孝行×南伸坊「イラストレーションについて話そう」更新されております。

第4回目ですが、更新回数で言うと、もう11回目。ずいぶん回を重ねていますが、実際の対談は今のところ2回しか行っていません。そして実際の対談での私は、このようにスラスラ理路整然と話しておりません。担当さんが書き起こしてくれた原稿を読むと「ええ!俺ってこんなことしか喋ってないのか……」と毎回愕然とします。
伸坊さんは、書き起こし原稿を読んでも、ちゃんと喋っておられるんですよね。経験値の差もありますが、言葉できちんと伝える能力がちょっと足りないのかなぁ、ぼくは。
よく人に「え?どういうこと?何言ってるかよくわからん」と言われます。伸坊さんは、ぼくの言いたいことをだいたい察知してくれるので、話はズンズン進むのですが、実際の書き起こしを読むと、よくこれだけで理解してくれてるなぁ〜と思うわけです。で、後から話がよく伝わるように加筆修正するのですが、もうちょっと対談でちゃんと喋れば作業も楽になるんだけどね……まぁ、これも勉強。伊野孝行画 「黒田清輝の肖像」
伸坊さんも老人力で、固有名詞がなかなか出てこなくて「あのほら、何てったっけ?」「あれ、あれ」という具合で、指示代名詞の非常に多い会話なのですが、そういうのを全部修正してしまうと、会話っぽくなくなるのでそのまま生かしてあるところもあるわけです。しかし本日更新分の第4回その2の中で伸坊さんが『ダリなんかキメどころだけでやってるとこあるよね。初期の「記憶の固執」って時計が溶けてる有名な絵あるでしょ、あれ現物が24cm×33cmなんですよ。』と語ってところはスゴイですよ、記憶力が。サイズまで覚えておられて(笑)。南伸坊画 「写真を見て写真のように描いたトーマス・マン」
今、「上野の森美術館」で生賴範義(おおらいのりよし)展をやっていますね。ちょうど対談でリアルをテーマにしてるから生賴さんの名前も出てくるけど、実はぼく、全然通ってないんですよね。そりゃ映画のポスターとかで眼にしているハズなんですけど、影響を受けていないっていう意味で。でも日本のリアルイラストレーションを語る上では需要な方ですよね。というわけで、私も見に行ってこようと思います。今から勉強かい!

神様と相撲のこと

あけましておめでとうございます。

ことしもよろしくおねがいします。みなさんは初詣は行かれましたか?私はおみくじを引いたら「凶」でした。私の次に並んでいた4人の家族連れは、どうやら4人のうち2人が「凶」だったようで、悲鳴が上がっていました。

さて、昨日からスタートしたNHK Eテレ (月曜午後9:30 )『趣味どきっ!福を呼ぶ!ニッポン神社めぐり』で神話の絵を描いてます山里亮太さんや小倉優子さんたちがが神社を巡ります。

趣味どきっ!「福を呼ぶ!ニッポン神社めぐり」

話は変わりますが昨年11月末に引退した日馬富士は引退会見で「本当に九州大好きです。そして、太宰府の神様も心から信じております」と語りました。日馬富士だけじゃなくて、白鵬も朝青龍も「神様」ということをよく口にします。「土俵の神様」とか「神様からあずかった力」とかね。確かモンゴルでは魚が神様とされてて、日本に来た時に刺身を出されてびっくりしたとか、そんなかわいいことも言ってた。モンゴル人力士たちの口から出てくる「神様」という言葉がとても自然で、彼らの中には素朴な信仰が残ってるような気がしました。貴乃花親方が言うところの「神様」はなんだか怖いけどね。来場所から「AbemaTV」で大相撲中継が始まりますが、白鵬のコメントの中にこんなのがあった。「みなさんがお寺や神社に行くと思うんですけど、そこにはしめ縄があり、そのしめ縄を人間で着けられるのは横綱だけであります」。確かにそうですよね。横綱=神様という見方もある。

横綱が神の一つだとしても、別に構わないよ。だって、神と仏が合体する国ニッポンの裸芸者の角力取りでごんすから。結構いい線いってると思う。
「古事記」を読んだら、そこで繰り広げられるのは、神様たちのエログロナンセンスバイオレンスな世界。神様はめちゃくちゃやってます。横綱は神様なんだから立派であるべきなんて言ってちゃおかしいです。神話を読んでて日本の神様に品格とか特に感じないけどね。「結構いい線いってる」と言ったのはそういうこと。でも、僕は「古事記」を読むと、ああこれが”物語”なんだって思う。勧善懲悪じゃないし、世界三大宗教のように愛や真理を説いているわけでもない。人間が面白いと思って口伝えで残してきたお話特有の出来の良さを感じますね。パチパチ燃える炉のそばで、年寄りから聞きたいね。満天の星空の下、モンゴルのゲルの中でもモンゴルの神話を聞きたいな。
いいじゃないっすか。若いうちにしかバカはできにくいものなんだから、カチ上げの一つや二つ、リモコンの一発や二発、仮病サッカーの一回や二回、ピストルの一丁や二丁くらいさ……。
大晦日の「AbemaTV」でやってた「朝青龍を押し出したら1000万円」見た?年明けて琴光喜がやっと出てきて、2人で土俵に立った時、涙が出てきちゃった。2人が「これでやっと引退できた気持ちになった」みたいなこと言うのを聞いてまたウルウル。つまんないことで力士を引退させないでほしい。体力気力の限界がくるまで相撲を取らせてあげられる相撲協会、そして日本であってほしい。新年に日本の神様にそうお願いしたよ。