伊野孝行のブログ

和田さんとの数少ない交流

先週は予告もなしにいきなりブログサボっちゃったぜ〜。ワイルドだろ〜?

一人だけ「今週は伊野さんのブログが更新されていなくてさみしい…」というメールをくれた女子がいたけど、あとは何もなかったぜ〜。ロンリーだろ〜?

というわけで、今週はブログを更新すっかな。

先週は、大尊敬する大天才イラストレーター和田誠さん、大好きな矢幡英文さん(カメラマンでうちの近所でダイニングバーもやっておられる)が相次いでお亡くなりになった後だったので、何も触れないで更新するのもどうだろうか、いや、でもどうやって書けばいいだろう、と悩んでいるうちにサボっちゃったんだぜ〜。

和田さんの数々の仕事に対する尊敬は、南伸坊さんとの対談「イラストレーションについて話そう」でもしゃべっているので、よかったら読んでいただくとして、こと個人的な交流となると、ほぼないんです。イラストレーターの個展のオープニングや、TISの集まりの時にお目にかかってはいたけれど、ちょっと離れたところから見ていた…って感じです。

〈読売新聞10月16日の切り抜き〉
いや、12年くらい前に、藤枝リュウジさんの個展の後に、和田誠さん、山崎英介さん達に混じって4、5人でカラオケに行ったことがありました(藤枝さんはカラオケに来てなかったので、藤枝さんの個展ではなかったかも)。
僕のカラオケは、初めてご一緒した人にはほぼ100%の確率でウケるんだけど、ぜんぜん和田さんには受けていなかった!……というのが数少ない交流の思い出ですね。和田さんに対するカラオケ外交は失敗でした。山崎英介さんがカラオケが終わった後で「今日、オマエはよく頑張った!」って妙な言葉をかけてくれたんですけど、僕の心を見通してのことだったでしょうか(笑)。
和田さんはあまり若い人の顔とか名前とか覚えないので、一度カラオケに行ったくらいでは認識されていないと当然思っていました。
知り合いかどうかは関係なく、HBギャラリーのオープニングによく来られてたみたいで、「和田さんに「いいね」と言われた、その言葉は今でも宝物です!」という内容の追悼ツイートされてるイラストレーターの方が何人もいらしゃいましたが、運悪く、僕の個展のオープニングには一度も来られませんでした。
自分のことを知ってもらってないのにしゃべりかけるのは厚かましいし、いざおしゃべりの機会が与えられても、緊張して何をしゃべっていいかわからないから、やっぱり僕は少し離れたところから見ているだけでいい、同じ場所にいられるだけでいい、と思ってました。
だから、むしろ近寄らない…くらいの。
でも、2013年だったか、TISの展示の後の二次会で、同じテーブル(斜め向かいの席)になってしまったんです。どうしような〜、とまた緊張してきました。そしたら僕の横に座ってた峰岸達さんが
「和田さんは、伊野くんとか知らないと思いますけど」って僕のことを紹介してくれたんです。
「彼は最近、『画家の肖像』っていう展覧会をやって、本も出したんだけど……」
そしたら、和田さんが、ピンと来たみたいで
「あー、あの本は吉田宏子にもらった。面白かったですよ、ぼく、あなたのこと◼️◼️してます」
とおっしゃったんだ。
(え?ウソでしょ?なんておっしゃいました?居酒屋だからうるさかったし、僕の聞き間違いかな?)
◼️◼️は伏せ字にして、一生誰にも教えないけどね。まー、◼️◼️は単なるオマケだと思います。厳粛なる人の死に乗じて自慢話を挟むのは最悪のことである。だったら書くなという話ですが、とにかく交流エピソードに乏しいので許して。
『画家の肖像』は和田さんの『倫敦巴里』にはじまる、絵で考えて絵で遊ぶ精神の子どものつもりで作ったけど、父なる和田誠さんに読んでいただけただけで嬉しかった。
それでもう満足だったので、そのあとはずっと峰岸さんとばかりしゃべってました。
よしっ、和田さんには覚えられたかもしれないな、と気を良くしていたのですが、しばらくたったある日、銀座のリクルートG8で「TIS夜店」というイベントがあり、机にグッズやら本やらを並べて売ってたんです。
で、和田さんも見に来られた。
向こうから和田さんがこっちに向かって歩いてくる。
そして、僕の机には『画家の肖像』を並べて売っている。
これは挨拶をする絶好の機会だと思って、「こんばんは〜」と言ったら
軽く会釈は返していただいたが「……誰だっけかな?」という顔で通り過ぎていかれました。
たははのカックン!
いいんです、いいんです、むしろその方が良かったんです。
やっぱり僕は、ちょっと離れたところから見ている方が好きだし、和田さんは届かない存在のままでいいんです。

どうでもよくてよくない

今週もブログの更新日がやってきた。書くことが決まってない週はユウウツだ。

ブログなんてどうでもいいちゃ、いいんだけど。
今週は、どうでもよくないどうでもいいことでも書こう。
絵と文章は関係ありません。
【帽子】散髪代は自分でバリカンでやるのでかからない。その分帽子代にまわしても良いとの判断で、年々増えていく。似合うつもりで買ったけど、その後いまいち似合わないのが判明し、大事に取っておくのも癪なのでそういうのは捨てる。
ハンチングが自分の顔には似合わない。休日のおとうさんのようなダサさが出てしまう。
友達からプレゼントされたベレー帽も、3回かぶって行って、3回とも笑われたので今はかぶっていない。
カンカン帽にはまだ手を出していない。あの硬くて平らな帽子のかぶり心地はいいのだろうか。カンカン帽に似合う着衣を考えるとどうしてもコスプレになりそうだ。
夏の強い日差しや、冬の冷気から頭を守る必要のない春と秋。たまに帽子を忘れて出かけてしまうと、とても重大な忘れ物をしたかのような気分になる。【寿司】大学の時に部活動の打ち上げでよく使っていたM寿司という大きなお寿司屋さんがあった。
2階の座敷を貸し切りにできて、カラオケがあって、しかも料金は飲んで食って騒いで一人3000円ほど。その店は10年ほど前につぶれていた。
先日、大学の友人が「M寿司が別の場所でやっている夢を見たんだ。で、検索したら実際にやってたよ」というので行ってみた。
大将の自宅を改装した寿司屋はラブホテル街にあった。店というより自宅に暖簾をかけた感じ。夫婦でやっている。全体的に、もうちょとなんとかならんかなぁ、と言いたくなる店だった。
室内犬がいて、我々のこたつ席の座布団にやってきては寝る。撫でると「グルグルグル〜ッツ」とうなり声を立てる。でも、またすぐ席のまわりにやってくる。
撫でながら、おかみさんに「これ、嫌がってるんですか?喜んでるんですか?」と聞くと「ええ、嫌がってるんですよ」と言っていた。【金と死】財布に小銭ばかり溜まってきた。今、一円玉がいっぱいある。100円の消しゴムの100分の1のカケラが1円だとすると、そんなものは気楽に捨てられるのに、1円玉は捨てられない。似合わない帽子は思い切って捨てられるのに、どうして1円玉は捨てられないのだろう……あゝ1円玉よ永遠なれ。
またしても最近、自分が死ぬのも、大事な人が死ぬのも怖くて嫌だとジクジク思っていた。「やすらぎの里」は今からでも見たほうがいいのだろうか。いや、死があるから宗教もあり、芸術もあり、楽しいと思える時間もある。死がなかったら、たぶん感動はしない。そう思ったら急に横尾忠則先生と一体化したような気分になった。「決して死は悪ではない」のだ。
わかってる、わかってる。これは仕事がヒマな時の典型的な症状である。【絵】最近、自分の絵があまり好きではない。いろんなタッチでいろいろ描いて、総合得点でなんとかならないかと思っているけど、絵の一つ一つを取ってみるとどれも生煮えで、たいした出来ではないと思えてきた。こう書くと、今週載せている絵に対して無責任にも思えるが、その時点で一生懸命やったつもりなので、許してほしい。
はい、おわり。

蒼国来裁判を傍聴してきた

先日、7月19日、東京地方裁判所に生まれてはじめて行ってきた。大相撲の八百長事件で、ずさんな調査のみ、確固たる証拠も何もないまま、一方的にクビを言い渡された内モンゴル出身の力士、蒼国来栄吉関の公判を見るためである。蒼国来関は身の潔白を証明するために、内モンゴル人の平均年収の200年分にも相当する退職金を辞退し、もう一度土俵に上がりたいの一心でうったえているのである。

わたしは、好角家(朝の序の口の取り組みから相撲を観に行くような人でないと好角家とは言えないかな…)を名乗れるほどではないが、相撲は大好きだ。このあいだ坪内祐三さんの「大相撲新世紀」という本を読んで、久々にまた本腰を入れて相撲を観てみたくなった(そのためには地上波しかうつらないTVはなんとかしなくてはいけないが…)。本の中にも「私も蒼国来を支援する」という文章があり、この裁判のことを思い出した。自分や世間はもう忘れているが、まだ蒼国来の闘いは続いているのだ。

以前からおつきあいのある「日本語教育ジャーナル」で最近も仕事をしたのだが、担当編集者のAさんが実は蒼国来の土俵復帰を勝手に応援する「勝手連」のメンバーであり、M編集長も以前蒼国来にインタビューしたことがあり、傍聴も何回か行っているとのことであった。「ごいっしょにどうですか?」と誘われて、今回、傍聴席の人となった次第である。ちなみに「日本語教育ジャーナル」は日本語を学ぶための雑誌であるが相撲部屋が日本語教育に抜群の環境であることは皆さんも周知の通り。蒼国来関もとても日本語が上手い。
カムバック蒼国来!「勝手連」のサイトはこちらです(click!)

さて、裁判は写真、録音は禁止だがスケッチは自由。わたしも「勝手」にスケッチしてきた。蒼い国から来た力士の名の通りとても綺麗な青色の着物の蒼国来関。これは開廷前の様子。厳粛な裁判の場だが、「おすもうさん」がいると祝祭的な雰囲気を勝手に感じてしまう。やっぱおすもうさんは「まれびと」なのかも。蒼国来関は外国人だけどそんな雰囲気もありつつかっこよい。壁には2つの大型モニターが設置されていた。春日錦(八百長の中心的力士)との取組をくわしく検証するためにビデオが流された。取組のビデオを見つめる裁判官たち。なんだか蒼国来関がきつく問いつめられているようにも見えるが、この人は蒼国来の代理人の弁護士で、質問に蒼国来関が答える形で証言をしているところ。聞いていて最後は胸が熱くなった。こちらは相撲協会の代理人。反対尋問の時に用意していた質問(取組内容について)があまりにトンチンカンで傍聴席からは何度も失笑が起きていた。なぜなら傍聴席にいる人の多くは熱心な相撲ファンなのだ。好角家たちである。好角家たちはクサい(八百長らしき)取組を見抜くほどの見巧者でもある。この日は最終弁論のはずだったが、10月にもう一度やることになった。行く末を見守りたい。

ところで…蒼国来裁判の前に時間があったので他の法廷ものぞいてみた。一件、マヌケな性犯罪者の裁判があったが、内容が、まるであのさすらいの裁判傍聴人、阿曽山大噴火氏のレポートを聞いているようでおかしかったのだが、なんととなりの列には阿曽山大噴火氏ご本人がいたので、おもわずスケッチしてしまった。

 

 

ふたり展は「鍵」

前にも少しお知らせしましたが、今年は二人展と個展があります。そして早いもので、もう半年くらい過ぎてしまいました。気ばかりあせる毎日です。ここ2週間ほど、左目の下がビクビクしていたのは、ストレスのせいでしょうか?期待されてなくても、期待にこたえていかねばなりません。今日は8/27からはじまる二人展の事を書きましょう。

二人展のお相手は、丹下京子さん。そもそものきっかけは丹下さんから声をかけられたからです。丹下さんはCMプランナーでもあるのですが、その時点で何をやるかはノープランでした。個展じゃない場合は、なぜグループでやるのかという必然性が欲しい。第一回印象派展はサロンに受け入れられなかった画家達が起こした行動です。僕と丹下さん、この二人でしか出来なくて、二人だからこそ出来ることは何か?

…結局、谷崎潤一郎の「鍵」を元に絵を描くことにしました。この小説は夫婦がそれぞれ日記をつけていて、お互い盗み読みをしています。読者は夫の日記、嫁の日記を交互に読むことで小説が進んでいきます。この形式が、二人でやるには、なかなか面白いと思いました。もちろん夫のパートは僕が担当し、嫁は丹下さんです。主な登場人物は夫婦の娘と、娘の婚約者がでてきます。とてもインモラルなストーリーです。独特の暗さと重苦しさがある世界ですが、我々の持っているユーモアがどう混じっていくのか、その辺が見所になるでしょうか?小説とも映画とも違う所を提示しなければいけないと思っています。

展覧会がただ仕事のための見本市だったらつまらない。わざわざ見に来てくれた人に申し訳ない。実生活で母親でもある丹下さんは、頑張って助平な絵を描いてます。お楽しみに。

丹下京子さんのホームページはこちらです!