新・伊野孝行のブログ

2020.12.22

君子豹変す

今年最後のブログ更新です。
お茶の雑誌、淡交社の「なごみ」で連載している「見る禅語」。
世田谷は龍雲寺の細川晋輔和尚の解説をもとに、禅語を視覚化しています。つまりはこれも禅画ということになるでしょうか。

一口吸尽西江水(いっくにきゅうじんす さいこうのみず)
ええっと、この禅語が何を意味して、どういうつもりでこの絵を描いたかすでに忘れてしまいました……。
頑張って思い出そう……西江とは川の名前。満々と流れる川の水を一口で飲み干す、という意味です。アホな、そんなこと出来まっかいな。いやいや、できなくてもやな「天地自然と一体となる自己」というのは禅の理想の境地やないか。そんな気持ちでお茶飲んでますか?ってことを絵にしたわけやな。

掬水月在手(みずをきくすればつきにてあり)
コロナ禍においては坐禅会も開催しにくくなった。不要不急なるものは自粛せよという時期がありましたね。今でもそうだけど。打開策としてオンライン坐禅会をやってみた細川和尚。オンラインで坐禅会なんて達磨さんに怒られる?でも「坐ってよかった」という参加者の感想を聞いて心の霧が晴れたとおっしゃいます。
水鉢の中に名月あり。水を掬った手のひらの中で月は美しく澄んでいたのではないでしょうか。

破草鞋(はそうあい)
破草鞋は破れた草鞋(わらじ)のこと。この禅語の意味する草鞋は「知識や経験」の例えだそうで、それが破れてるっていう意味。どういうことだろう?
知識と経験こそが人間を作るのです。知識と経験は荷物になりません。豊富であればあるほど、人生という旅の懐刀になる。きっとあなたを守ってくれる。またインテリジェンスはエロスにも通じるので、知性のある人には色気もあり、モテる(私の持論)。
ところが人生の終着地「死」の前では知識や経験など、なんの役にも立ちましぇ〜ん(泣)。まさに破れた草鞋と思い知るしかないでしょう。この見方こそ禅のアングルなのです。いくら優れた靴でも、たまには脱いで裸足で駆け出してみようよ!

日日是好日(にちにちこれこうじつ)
この禅語は有名ですね。細川和尚曰く「よくブログのタイトルで見かける禅の言葉」だそうで、確かにブログあるある。それでなぜ幽霊画なんだっけ?……幽霊画とかけて日日是好日ととく、そのこころは?
頑張って思い出そう……あ、そうそう和尚さまはこう言われました「幽霊のサラサラロングヘアーは後ろ髪を引かれる過去への囚われ、前に垂らした両の手は未来への渇望、肝心要の今現在は地に足が付いてない」和尚、上手いこと言うね〜。
そうなんですよ、過去も未来も頭の中にあるだけで、今、今、今しかないんですよね。ありったけの今を生きようぜ!

看看臘月尽(みよみよろうげつつく)
これまた難しい禅語ですが、臘月(ろうげつ)が12月の別名と聞けば、誰もが思い当たるでしょう。看よ!看よ!あっという間に今年も終わってしまうぞ、ということです。
今の時期にピッタリ。
どれだけ寿命が延びても老人は口をそろえて、「人生はあっという間」と言うのです。わかる、すげーわかる。老人は超高速の乗り物に乗っている。私の乗り物もけっこうスピードが出るようになってきた。飛ばし屋は若者ではなく、すべて老人だ。だからこそ、今日というこの日を看よ!看よ!

ところで、このブログ、毎週火曜に更新し続けて、12年。
来年からは不定期更新にすることにしました。
理由ですか?
無理やりひねり出すのもトレーニングにはなるけど、平均点が下がるし、もうちょっと一回一回を大切にしようと思いまして。
今週のブログタイトルは「君子豹変す」。
出典の『易経』では「君子豹変、小人革面(くんしはひょうへんし、しょうじんはおもてをあらたむ)」と続く。
「立派な人物は、自分が間違っていると思えば、豹の皮が黒と黄ではっきりしているように、心を入れ変え、行動の上にも変化がみられる。しかし、つまらぬ人間は、表面上は変えたように見えても、内容はぜんぜん変わっていない」という意味らしいっす。

毎週更新が間違っていたわけではないけど、かっこ良さげな言葉なので使ってみました。
不定期更新になって内容の充実がみられるといいんですがね……。

ま、そんなわけで今年一年、お読みくださった皆さまありがとうございました。
どうぞ良いお年を!