新・伊野孝行のブログ

2020.1.20

鬼門と裏鬼門

先週の金曜日、京都の「嵯峨嵐山文華館」に「百人一首って」巡回展の搬入立ち会いに行ってきました。
2階にあるめちゃめちゃ広い畳のギャラリーで展示されます。




いろんなサイズで、飾り方もまちまちな100点を配置するのは嵯峨嵐山文華館としてもはじめてのこと。壁に釘が打てなかったり、いろいろ制約のある中で、相談しながら設置方法を考えました。ガラスケースの中(3割り増しで立派に見える)の壁に飾るので、キャプションの文字が読みにくい問題もクリアしなければなりません。
絵を飾りつける作業はクロネコさんたちがやってくれます。プロの手際に感心して眺めているだけなんですが、夕方5時過ぎに我々が帰るときには、まだ4分の1しか終わっていませんでした。展示は29日からですので、きっと大丈夫でしょう!(先刻、搬入作業無事終了のお知らせがありました)

さて、先週のブログで書いた「銭湯めぐり」ですが、もう修理にきてもらって、お風呂は普通に入れております。「銭湯めぐり」は3軒で終わりましたが、銭湯ってほんといろいろでしたね。レベルが。同じ値段でこうまで違うかよって。家の近くにいい銭湯があることは幸せです。

Eテレ趣味どきっ!「ニッポン神社めぐり」で放送が終わった絵を載せて、今週は終わりにしましょう。
出世のご利益がある日枝神社は永田町にあります。山の上って感じのところにあるんです。

日枝神社の御祭神は「大山咋神(おおやまくいのかみ)」。
〈大山咋神は日枝の山に坐し、また松尾に坐し、放つと音が出る矢を持つ神である〉
古事記にはそう記されているだけなんだそう。どこが出世なんかな?
まぁ、こういう伝承があるらしいんですわ。

昔むかしのその昔、タマヨリヒメという女神がおったそうじゃ。ある日、タマヨリヒメは小川で朱色の美しい矢を拾った。

タマヨリヒメは矢を持って帰って、寝室に飾って毎日眺めながら眠った。すると知らないうちにタマヨリヒメは身籠っておったのじゃ。


タマヨリヒメの出産に父は喜び、7日間夜通しで宴を開いた。そして子どもに自分の父だと思う者に酒を注ぐように命じた。生まれたばかりの赤ん坊が酒を注ぐのかと思うじゃろ?注ぐんじゃ。

子どもが盃を捧げると、雷鳴とともに天に浮かび上がったのが大山咋神じゃった。

ふむふむ、そういう話があるのか。まだ「出世のご利益」にはつながらないけどね。
日枝神社のある場所は江戸城から見て裏鬼門。鬼門とは鬼が入ってくる方向(東北)とされる。裏鬼門は鬼門と反対の方角(南西)にあり、鬼が出て行く方向。

昔むかしのその昔、中国に度朔山(とさくさん)という山があり、そこには鬼が住んでおったそうじゃ。

山には大きな桃の木でできた門があり、鬼たちは夜になると門をくぐって人間界に出入りしておった。

門には二人の門番がいた。人間に悪さをした鬼を見つけると、捕まえて虎の餌にしてしまうのじゃ。門番たちによって人間界の平穏は守られておった。

この鬼たちのが入ってくる方角が「鬼門」鬼たちが戻って行く方角が「裏鬼門」じゃ。

日枝神社のある場所は江戸の町の中では高い山の上。山の上から江戸の町を守るために山の神さま大山咋神が祀られた。しかし、これがいったいなぜ出世のご利益と結びつくのか?
江戸時代の庶民は生活していくだけでも精一杯だった。江戸から東京になって、文明開化の世になり、この付近は政治やビジネスの中心地になってきた。山を守る神、農耕の神の側面はだんだんなくなっていった。
山の神様は大地を支配し、土と水を司り、地盤を固める。そこから仕事の足場を固める、出世をもたらす神様として、現在では見られるようになった。さらに大地を支配することは万物の成長を見守ることにもなるからのぉ。時代に合わせたご利益を持つようになった、というわけじゃ。

ふ〜ん、そうなんだってさぁ。

神社のご利益の由来を何回かに渡って番組で見てきたが、へぇ〜!と膝を打つような説得力はあまりないかもしれない。でも日本という国がどうのように変化してきたかを神社のご利益から知ることができるのである。今夜も放送があるはずなので見てみよう。