新・伊野孝行のブログ

2020.6.16

SNS通りとすずらん通り

今はもうブログを書く人はめっきり減ってしまったようだ。
人々はSNSという大通りでウィンドウショッピングを楽しみ、決して金は使おうとしない。それどころか、店の中にさえ入ってこない。SNSに「ブログ更新しました」とリンクを貼ってもなかなかブログまで見にこないのである。
軽快なウインドウショッピングの歩みを止めてしまうことにもなる。これはわからないでもない。ぼくもサーッと画面をスクロールしながらSNSを眺めているときに、リンク先に飛ぶのは何だかかったるいときがある。
ちょっとのぞいてみようかな、とリンク先のブログを覗いても、こんな風にブツクサ言ってる文章を読ませられるんだったら、たまったもんじゃない。

やはり時代遅れなのか。
しかし、俺はブログを絶対にやめない。週に一度、無理矢理にでも文章を書くという修行だから。
修行は他の人があまりやらないことの方が意味があるのである。みんながやってるような修行をしても、全体の平均値をあげることに貢献するだけだ。
イラストレーターという、絵を描いてるだけでもいい人種の私が、ブログを書く意味はこれからますます高まるだろう。わっははは!

……書くべきネタがないときに、以上のような内容の文章を定期的に書いてしまう。
加えて年齢的に循環期に入ってきているので、会話だけでなく日常の何もかもが、気をつけないとループしがちである。しかしループはグルーブを生む。人生のリズムにグルーブが出てくるのはこれからだ。自分にしか出せないグルーブを打ち出しつつ、なるべく飽きられないようにして、新しい歌を唄いたい。

はい、字数稼ぎ終わり。いきなりとってつけたようなお仕事報告。
表1よりも表4の方が賑やかな、珍しい雑誌カタログハウスの「益軒さん」7月号はこんな感じ。

話変わります。
ブログだけやってるわけにもいかず、SNSもやってますが、先週、神保町すずらん通りの「スヰートポーヅ」閉店を知り、twitterとfacebookにこんなことを書いた。

〈神保町すずらん通りの「スヰートポーヅ」閉店(涙)。
19年に及ぶ神保町バイト生活の第1食目がこの店の餃子ライスだった。
夕飯時で店は混んでいて料理が出てくるまでに時間がかかった。自分の休憩時間は刻々と終わりが近づいてくる。
あと5分で休憩時間が終わる時、やっと出てきてた。皮が閉じていない不思議な餃子だった。餡を皮でくるっと巻いてあるだけ。時間がないのでゆっくり味わうこともせず、死に物狂いで食べた。でも、美味しかった。
「スヰートポーヅ」とその向かいにある「キッチン南海」はすずらん通りでもっともよく通った店だ。その二つがなくなるなんて。「キッチン南海」は確実に千回以上行っている。
「スヰートポーヅ」の並びにあった「書肆アクセス」は地方小出版を専門に扱う書店で、一般書店には並ばない本が揃っていた。そういう本はどれも心意気があって、たたずまいがかわいいのだ。めったに買いませんでしたが…。
ここの店員さんが書いた『神保町「書肆アクセス」半畳日記』はぼくがいた頃の神保町の街の記録にもなっていて個人的にとてもおもしろい。
「書肆アクセス」はとっくにない。靖国通りの向こう側のとんかつ「いもや」もとっくにない。ちょっと離れたお茶の水、マロニエ通りの文化学院も気がついたらなかった。
『ぼくの神保町物語』は自分が生きた街を記録しておこうと思って何年か前に書いた描いたものです。
自分と街のエッセイ『ぼくの神保町物語』

なんだかSNSに書いたことをブログに載せるのも、シャクだな〜。
おわり。