新・伊野孝行のブログ

タグ:雑誌

2020.11.3

古代チャンチャン

今週は、UCカードの会員様に届けられる雑誌「てんとう虫」で連載中の小和田哲男さん『「新訂」日本の歴史』より。この連載は好評につき第2シーズンに入っております。
「新訂」というのは、学生時代に教科書で習った歴史も、その後新事実が明らかになり、今は違ってますよ、ということです。
しかし、今も昔も大昔も変わらないことがあります。それは公の記録を都合のよいように書き換えること。本日は奈良時代に行われた歴史書き換えの二本立てです。

■任那日本政府は存在しなかった

「日本書紀本日発売!」と本が平積みされているのは、奈良時代の書店です。今と同じような本の売り方をしてたんですねぇ。
……なわけないですが、『日本書紀』にはヤマト政権が朝鮮半島南部を支配していたという記述があります。最近の研究ではこれあやしくね?となっております。
大和政権が朝鮮半島に軍勢を送り、新羅を討ち、百済との連合によって任那七カ国を平定し、そこを直轄領として、支配のための拠点として置いたのが任那日本府。でも、実際のところ、日本は任那の中の一つの国である安羅国と同盟していて、任那日本府という外交団駐在所を置いてるだけだったんじゃね?と。
つまり、明治以降の朝鮮総督府みたいなものではなくて、安羅に置かれた大使館のようなものだった。それをヤマト政権の力を誇示するために『日本書紀』にはオーバーに書いたのでしょう。
実際よりおおげさに書く、つまり誇大です。古代だけに。チャンチャン!

■大化改新の詔は書き換えられていた

こちらも同じ『日本書紀』の書き換え案件。同時代の書き換え案件が2回続いたので、私もネタに困ってしまいまして、「大化改新」を「詔を新しく書き改める」という意味にしてお茶を濁しました。
「ムジコの世作り大化改新」とか「ムシゴロシの大化改新」とかの語呂合わせで覚えたやつです。
『日本書紀』では大化二年の元日に、四カ条からなる改新の詔が発布され、これをベースに様々な改革が行われた、と記述されています。しかし、最近の研究では、大化改新の詔があったことは事実だけど、内容はだいぶあやしくね?となっています。
大化改新という大々的な政治改革が行われたように書いてあるけど、実際は大化改新から大宝律令の制定に至るまでの間に、時間をかけて政治改革が行われていたはずだと。それを『日本書紀』編纂者(律令国家の為政者たち)は、大化改新よりだいぶ後の天武天皇の時代に出されたいくつかの法令を、あたかも改新の時に出したかのようにしてしているんじゃね?と。
これもまた、実際よりおおげさに書く、つまり誇大です。古代だけに。チャンチャン!

2020.10.20

数値にあらわれない

DHCの「みんな、げんき?」という雑誌のダイエット特集、「燃えよ!! ダイエッター」にブルース・リーに似たような人を描きました。
燃えよ、脂肪!!というわけです。今、「脂肪遊戯」というダジャレを思いつきましたが、それは関係ないですね。

みなさん、ダイエットはしてますか?
老化というのは、毛が薄くなったり、シミができることかと思ってたんですが、太ると老けたなと思いますね。
老ける=太る、です。
私も一時は63キロまで増えた体重を3キロ落として、見た目も3歳若返りました。
3キロ減らすとむくんだようなほっぺたの肉が落ちました。毎日、計測しています。最近は59キロ台をキープオン。

今年のはじめ、健康診断(人間ドック的な)に行った時、偶然同業者のMさん(男性、52歳)に会いました。
Mさんは私みたいに意地汚い酒の飲み方はしないし、生活に荒れたところはありません。そのせいか、意外にも健康診断は10年ぶりだと言ってました。ところがMさん、血圧が思いのほか高かった。イヒヒ。他の数値は後日でないと判明しませんが、どうだったでしょうか。

私も年齢の割には血圧が高い。でも、血圧が高くても自覚症状はありません。内臓や血液の数値が悪くても、自覚症状はなかなか出ない。
そういうわけで、健康の話題になる時、今のとことろ、主に数値を話題にしています。
いきすぎた検診こそ害毒だと主張するお医者さんもいます。薬漬けや不必要な手術を招く。例えば血圧の基準値を下げれば、その分降圧剤が売れるとかね。

ネットのアクセス数やいいねの数も、数値です。ネットでは反応いいのに仕事がない人や、逆にネットで人気はなくても仕事が途切れず来る人もいる。
やはり数値化できるのはごく一部のことだけで、生活全般や人間関係の大部分は数値化できません。
健康管理に漢方的アプローチもあるように、ネットや仕事や人間関係にも漢方的な注意を払ったほうがいいかもしれません。
ネットに漢方的アプローチ?どうやって?

全然わかりません。
なぜなら今週は何も考えがまとまらないままブログを書いているからです。
書くことがないのに、無理にブログを更新しようとしてるので、これ以上話は展開しません。

私にとって毎週のブログ更新は漢方のようなもの、とでもしておきましょうか。
ブログを書くことで、気を養い、流れをよくし、乱れたものが整っている……のかな?
わかりませんが、ゆっくりゆっくり何かが効いてくると思い込むようにしています。

唐突ですが、ブログで紹介するのを忘れていた仕事をひとつ。
発売は6月頃だったかもしれません。田中啓文さんの『臆病同心 もののけ退治』(ポプラ文庫)です。


 

それではみなさんさようなら。

2020.10.13

8時だよ! 猥褻の誕生

2号前の「芸術新潮」は「猥褻とは何か」という特集だった。
猥褻のはじまりは明治時代。
猥褻という漢語はもとからあったが、江戸時代には、色情、好色、淫風、淫蕩、淫ら、などの言葉がもっぱら使われていた。
「猥褻」は明治初期に新鮮な響きを持って使われ出した。
単に言葉を言いかえただけでなく、意味する中味も少し変わったようだ。
刑法で取り締まる対象になるから、何が猥褻かを決めなくてはならない。フランスから来たお雇い外国人ボアソナード先生と鶴田皓(あきら)、箕作麟祥(みつくり りんしょう) の3人が決めた。

マンガにも描いたけど、幕末や明治の初頭に日本を訪れた外国人の見聞録などを読むと、道を歩く人々の中に半裸状態の者が多数いて驚いている。
彼らは猥褻な存在なのか。
「猥褻」の導入は、もともと平気で半裸でいた日本人の身体を隠してしまい、かえってヤラシイ範囲は広がった。
芸術新潮で、辛酸なめ子さんは「最近はみんなマスクをしてるから、人間の口がだんだん猥褻なものに思えてくるんじゃないかと心配になります」と面白いことをおっしゃっている。
確かにマスクをずっと外さない人といると脱がしてやりたくなってくるかもしれない。

夏に軽井沢に3週間滞在していた時、ギャラリーの隣のお店の店員さんで毎日のように会う人がいた。挨拶もするし、世間話もする。でも、コロナ禍エチケットして、マスクをつけておられるので、ずっと顔の半分がわからないままだった。どんな顔なのか気になって仕方がない。
個展の会期も終わりに近づいた時、みんなで焼肉を食べに行った。くだんの店員さんもいた。その時はじめて顔全体を拝見した。ご開帳である。踊り子さんが最後の一枚を脱ぎ捨てた身体を凝視するように、見てしまったかもしれない。
店員さんはマスクをしてても、外しても、とても素敵な女性だったのだが、頭の中で想像していた顔とは少し違った。
私の想像の中で作り上げられていた顔は誰だったのだろう。

私のように妙な想像をする者もいるから、初対面でも頃合いを見て、マスクをアゴにかけるなりして顔全体をさらしておくのが良いと思う。私も頃合いを見て、帽子を脱いでハゲてますとインフォメーションしておかないといけない。
それともずっと被りっぱなしの方が、頭部が猥褻に思えてくるだろうか。

【お知らせ】
8時だよ!通販生活

毎朝8時に出題される脳トレ問題、WEB「今日の益軒さんドリル」の絵を描きました。
昨日より公開!
やってみてね!

WEB「今日の益軒さんドリル」はこちら!


2020.10.6

僕とラジオとトレンディと

「日経トレンディ」の特集「ラジオ大研究」で、ラジオ史に輝くパーソナリティー達の似顔絵を描きました。

出版業界でもっともラジオを聴いているのはイラストレーターなのではないかと思う。ライターや編集者は文章を書いたり読んだりしないといけないので、ラジオを聴きながらだと仕事ができない。デザイナーは独立してる場合はいいけど、会社でコキ使われている間は呑気にラジオなんかつけてられないでしょう。
イラストレーターは家で一人で仕事してるし、絵は言語の脳ミソとは違うミソを使うので、ラジオを聴きながら仕事できる。

文化放送「セイ!ヤング」の谷村新司。この番組を聴いてた人は僕より世代が上の方ですね。

僕の実家は、食事中はテレビは禁止というか、飯を食う部屋にテレビはなかった。そのかわりラジオはほぼつけっぱなしで、NHKだった。中学生になると妹と一緒の子ども部屋から、自分の個室になった。はじめてのプライベート空間。晩ごはんを食べ、部屋に戻ると意外にすることがない。
ラジカセについているラジオをつけてみた。はじめて積極的にラジオを聴いた。いつしかCBCラジオ(中部日本放送。主に東海地方で聞ける)の「小堀勝啓のわ! Wide とにかく今夜がパラダイス」という番組を中毒的に聴くようになっていた。「わ! Wide 」は絶大な人気を誇るラジオ番組だったが、そんなことは知らないで聴いていた。だいたい小堀勝啓という人も知らない。今でもはじめて聴く番組は、誰がしゃべっているのかわからないことがある。そこがいい。

文化放送「さだまさしのセイ!ヤング」のさだまさし。「セイ!ヤング」の打ち切りを知って激怒したさだまさしは「さだまさしのセイ!ヤング」として復活させた。

小堀勝啓には局アナらしくない自由な発言と自己主張があった。カーディガンとメガネが似合うお兄さん的キャラ。都会的な雰囲気(といっても名古屋だけどね)。小堀勝啓はたまにゲストに来る田原俊彦(当時アイドルの頂点にいた)を「トシ」と呼んで非常に親しげだった。田原俊彦も「小堀さ〜ん!」と親しい。どこまで本当に仲がいいのかわからないが、小堀勝啓は親しみのある感じを出すのが上手い(逆になれなれしすぎる雰囲気に途惑うゲストもいたような)。ローカルとはいえ影響力のある人気番組なので、東京からのゲストも暖簾をくぐるように、ちょっと腰を落として入って来るような感じがした。

中学のクラスにウメモト君という男子がいた。彼はどうやら僕のことを嫌いなようだった。ところがある日、ウメモト君も「わ! Wide 」もリスナーであることが判明し、僕たちは一気に仲良しになってしまった。それまで友達と昨日見たテレビの話はしてたけど、昨日聴いたラジオの話ってしたことがなかった。ラジオは一人で聴いている気がするのだ。

ニッポン放送「オールナイトニッポン」のビートたけし。「オールナイトニッポン」を聴いてたといってもいつも途中で寝ちゃうから。はじまる前に寝ちゃうときもあるし。だって中高生なんだもん。

「わ! Wide 」をきっかけに「オールナイトニッポン」も聞くようになった。聞いていた当時の「オールナイトニッポン」のパーソナリティは、月曜日が中島みゆき→デーモン小暮、火曜日がとんねるず、水曜日が小峰隆生→小泉今日子、木曜日がビートたけし、金曜日がサンプラザ中野→鴻上尚史、土曜日が笑福亭鶴光だったと記憶する。
この中で誰これ?と思うのは水曜日の小峰隆生だろう。「週刊プレイボーイ」の編集者だったはず。「オールナイトニッポン」の居並ぶ有名人パーソナリティーの中にポコっと入ってるフリーの編集者。後年、神保町の喫茶店でバイトしているときに、小峰隆生が来た。「あ、小峰隆生だ」と思ったが、誰に言ってもわからないと思ったのでバイト仲間には言わなかった。

ニッポン放送の「三宅裕司のヤングパラダイス」三宅裕司。番組は聴いてなかったんですが、人気コーナー「恐怖のヤッちゃん」の書籍化、映画化のビジュアルは中村幸子さんのイラストなのは知ってました。

高校生になって聴いてたラジオは「ケラのFMナイトストリート」。この番組にゲストに来たことをきっかけにエンケン(遠藤賢司)さんの大ファンになったことは前にも書いた。ケラはナゴムレコードというインディーズレーベルの社長さんでもあって、そこから出ていた筋肉少女帯や人生やたまのレコードを買って聴いていた。大槻ケンヂの「オールナイトニッポン」の投稿者のラジオネーム「こずえのまたしゃぶろう」って名前がくだらなすぎて未だに覚えてる。風の又三郎の下ネタね。

TBSラジオ「コサキンDEワァオ!」の関根勤と小堺一機。7月、ある仏教研究者の方と銀座の居酒屋で飲んでいたら、僕がトイレに行っている間に、その先生と居酒屋の店員さんがコサキンの話で盛り上がっていました。

大学に入ったら、ラジオは全然聴かなくなった。再び聴きだしたのは30代半ば。「大沢悠里のゆうゆうワイド」と「ストリーム」を中心に前後の番組を聴いていた。つまりTBSラジオばかり。未だにダイヤルを指で回してチューニングするタイプのラジオで聞いているので、局を変えるのがちょっとめんどくさい。「大沢悠里のゆうゆうワイド」という超・長寿番組の中に、毒蝮三太夫と永六輔と小沢昭一のコーナーがあった。未来永劫続くのではないかと思ったが、やはりそういうわけにもいかない。

小西克哉の「ストリーム」は雑誌みたいなラジオで「コラムの花道」という日替わりコメンテーターによるコーナーがあったが、雑誌が面白い条件もまた、コラムが面白いことだと思う。雑誌とラジオは似てる。

J-WAVE「TOKYO HOT 100」のクリス・ペプラー。若い時の写真が見つからず、ヒゲを無くしてみただけ。

眠れない夜は、睡眠導入剤の成分が入っている「ラジオ深夜便」にチューニングをあわせる。寝入った数時間後、やかましい音楽に起された。その日はレッド・ツェッペリン特集をやっていた。ラジオ深夜便のリスナー世代を考えると不思議ではない。

大相撲中継は北の富士勝昭のファンなので、北の富士がラジオ解説の時は、テレビのボリュームを消して、ラジオの音でテレビ観戦をしたりする。
やはり文章を書く時はラジオは聴けないので、「伊集院光とらじおと」を消してブログを書いてました。さ、今からはラジオをつけてイラスト仕事をしよう。

「2751人に聞いた!好きなラジオ番組」という日経トレンディのアンケートで1位に輝いたのが「オードリーのオールナイトニッポン」。コーナーが違うので少しタッチを変えて。

2020.9.29

引っ越しても、歩いて5分

今日はまじめにブログを更新しよう。
実は今、引越しの真っ最中であります。これがちょっと特殊な引越しで、となりの部屋に引っ越します。
ウチはメゾネット住宅というのか、一軒家を二つに仕切って、それぞれに玄関がついている(もともとは大家さんと息子夫婦が二世帯で住むように作られた建物)。先月、となりに住んでいた転勤家族が地元に戻って行き、空いたのでそっちに引っ越すことにしたのです。
となりの方がかなり広い。
部屋番号というものはなく、同じ敷地に建つ一軒家なので当然引っ越しても住所が同じ。これも気に入りました。転居のお知らせをする必要がないからです。
でもガス、水道、電気、電話会社には連絡しなくてはなりません。最近はネットから入力できる。でも、同じ住所を入力するとエラーになるので、直接電話して説明しました。それでも伝達ミスがあったのか、ガスの開栓に立会人が来なかった。仕方がないので、数日間お風呂だけは旧我が家で入りました。
部屋の広さや間取りは違っても、基本的に同じ家なので雰囲気はあまり変わらないし、窓から見える景色もちょっとズレるだけ。
あたりまえですが最寄駅も変わりません。
つまり、引っ越しても下高井戸シネマまで歩いて5分なのです。
というわけで、月刊「シナリオ」で連載している『ぼくの映画館は家から5分』の最近分を紹介しよう。
もし、他の街に引っ越していたら、この連載を終わらせるか、『ぼくの映画館は家から電車で40分』とかにタイトルを変更しなくてはいけませんでした。電車で40分もかかったら、すでにぼくの映画館ではないね……。






月刊「シナリオ」はこの連載だけでなく、中身のイラストも全部一人で描いてます。たまに表紙まで描くこともあります。まったくもって大車輪の大活躍である。しかも、ラフもなしに好きに描いて渡している。これで原稿料がよかったらなぁ……なんてことは1ミリも思ってません。『話の特集』の無給のアートディレクター兼イラストレーター、和田誠さん気分を少しでも味わえるのだから。
8月号の表紙に描いた女性はイランの脚本家、ナグメ・サミニさんです。一般の人は誰も知らんでしょう。私も知りませんでした。凛とした美人で超知的な方。イランって抜けるような青空のイメージがあるんですけど、いつか行ってみたいな。






さて、まだ引越し作業が残っています。
旧我が家には12年も住んだので、移ることに若干の寂しさもあったのですが、家具やガラクタが部屋からなくなると、ただの箱という感じになって、未練はさっぱりありません。

2020.7.7

にがおえ東京恋物語

似顔絵の苦労は絵の苦労とは本質的に別のところにある。
しかし、似ている似ていない問題は絵よりも前面に出てきちゃう。
時間をおいて自作を見つめ直すことは、何事にも必要なことだが、似ていると思って筆をおいたはずなのに、時間を置いて見ると全然似ていなかったりする。漢字をじっと見ているとゲシュタルト崩壊が起きるように、似顔絵も細部に渡って検討、点検している間に、全体が発する顔のイメージを捉えきれなくなっている。
自分の錯覚を自覚する。修正を加えた似顔絵の判断もまた錯覚の中にあるかもしれない。
似顔絵の修正作業に絵を描く喜びは見つけられない。

『BRUTUS』から恋愛ドラマの登場人物の似顔絵を頼まれた。
似顔絵の中で最も難易度が高いのが、若い美男美女であることは言うまでもない。
美男美女の整った顔のバランスは、みんな同じだ。
どうして人の脳は整ったバランスの顔に美を感じるようになっているのだろう。
そして時間をかけて人の顔を作っていくのも脳である。知性や人生経験を加えた顔は、たとえ出発の時点でハンデがあっても、唯一無二の美を作り出す。造形物としての美と言っていい。我々の脳はそこにもまた美を感じるように出来ている。

生まれついて与えられた美のおかげで、または美のせいで、人生の軌跡は大きく振れる。幼少時からモテる人は、モテること自体が災いであると告白するかもしれない。
ここに描いた美男美女の俳優たちは、麗しい顔に生まれたことを幸いと思っているだろうか、災いと思っているだろうか。
そんなことはだいぶ時間が経った後に本人に聞かないとわからな〜い。
少なくとも私には地獄である。
若い美男美女の似顔絵をたくさん描くのは災いなのだ。

『東京ラブストーリー』
この頃の鈴木保奈美を画像検索して、そのかわいさに撃ち抜かれた。知性や人生経験を加えなくても生のままの造形で心を射抜けるのは猫のようだ。1991年のドラマだというが、ほとんど見ていない。私が20歳の時だ。でも、なんとなくの人間関係と名セリフは知っている。ネット上には解像度の高い画像がなかった。似顔絵というのは特徴を強調して似させる手もあるが、やりすぎるとアゴ女と鼻の穴デカ夫になってしまう。

『問題のあるレストラン』
真木よう子はすんなり描けたが、東出昌大が最初死ぬほど似なかった。発狂しそうになった。原画(水彩)をパソコンに取り込んだ後、ネット上にある写真を真横に置いて、フォトショップのブラシで加筆した。なんとか東出くんになったか???ここで時間を割きすぎるわけにはいかない。まだたくさん描かねばならんのだ。このドラマも未見。

『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
高良健吾は美男だが特徴のある顔をしている。有村架純が難しい。顔の各パーツは優品だが特徴があるわけではない。結果、やっぱり似ていない。掲載サイズも大きくないし、ま、この辺で勘弁してくださいませ。担当編集者のSさんは有村架純が好きだという。こういう一言が、有村架純は似させなければ!とプレッシャーになる。似なくてゴメン。このドラマも未見。

『逃げるは恥だが役に立つ』
有村架純以上に、新垣結衣の顔にはクセがない。星野源は横顔で星野源とわからせなければいけない。また全身描くので顔を細かく描いても仕方がない。なんとなくの雰囲気で説得させるしかない。あなたは説得されましたか?このドラマも未見。

『獣になれない私たち』
またもや難敵、新垣結衣である。松田龍平は易し。しかし、かなり解像度の高い画像があったので、トレースすることができた。前回のブログで、顔変換アプリで自分の顔を女性化したが、顔の要素はほとんど同じなのに、私は完全にかわゆい女性になっていた。このことからも単にトレースをすれば似るというわけではないことをご理解いただけると思う。とは言っても、トレースできるとかなり楽である。このドラマも未見。

『恋はつづくよどこまでも』
佐藤健と上白石萌音。これまた解像度の低い資料しかない。東出昌大と同じく、原画をパソコンに取り込んだ後、写真を真横に配置して、フォトショップのブラシで加筆。まあまあ佐藤健は合格点かな。このドラマも未見。

『東京ラブストーリー2020』
話題のリバイバルドラマ。鈴木保奈美が石橋静河で、織田裕二が伊藤健太郎である。石橋静河は石橋凌の娘さん。朝ドラ『半分、青い。』では佐藤健の奥さんを演じていた。暗くて性格の悪い役だった。伊藤健太郎も朝ドラ『スカーレット』で白血病で若死にする息子をやっていた。朝ドラ率高し。解像度の高い画像があったので、そのままトレース。失敗もなくうまくいった。もちろんドラマは未見だ。

結果として言えるのは、解像度の高い写真があれば似させやすい。でも絵の面白さとは関係ない。写真を使わず描いた方が絵の領域が広いのである。絵と写真がせめぎあい波立つ場所に、似顔絵道を探るのだ。あと、どのドラマも見てなかった。イラストレーターとしてどうなんだ。

アーティストにはなれないかもしれないがイラストレーターならなれそうだ。自分もそう思って始めた。しかしイラストレーターも甘くはない。似顔絵を描いて終わりじゃない。背景も題字も描かねばならん。こんなことならアーティストになるんだった。
私に若い美男美女の似顔絵は頼むんじゃないぞ、絶対だからな。絶対頼むなよ〜。
わーはっはははは!さらばじゃ!

2020.6.30

文明崩壊鳥獣戯画対談

ネットで調べ物をすることもあるが、だいたいはダラダラと見ている。
だから、このブログもダラダラ〜っとした時に見られている可能性は大きい。だからといって、ダラダラ〜っとブログを書いていいものだろうか。(いいに決まってるじゃないですか)
今日はジョギングの日だったので、ダルい。朝ごはんも食べすぎた。窓からは涼しい風が、眠れ眠れと囁く。
こうしてキーボードを打っていても、油断するっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ、と一つのキーを長押ししてしまう。
寝た方がいい。寝よ。

(30分経過)

起きたばかりで頭がボーっとして、やはりブログに集中できない。やはり今週は(今週も)最近の仕事を載せて終わらせよう。


「TRANSIT」第48号。特集は「文明はなぜ崩壊する?美しき古代文明への旅」。文明滅亡への6つの引き金、「文明滅亡あるある」を絵にしました。
新コロのせいでお店が閉店したのは目撃した。もう少しスパンを大きくとれば、生きて来た半世紀の中で、滅びてしまった習慣や文化もあった。でも、文明が崩壊するという局面にはまだ立ち会っていない。いつか必ずこの地球星が終わる日も来るわけで、その時の立会人のことを思うと気の毒である。
ISが文明の遺跡を破壊する愚行。でも、地球最後の日にピラミッドを持って逃げられない。結局、長い時間の中ですべては崩壊することになっているのだ。あーあ。

「芸術新潮」今月は鳥獣戯画特集。全巻全場面一挙掲載の折込ページあり。私は明恵上人の夢記をいろいろマンガ化しております。中でもお気に入りは、子犬の夢。夢でなくては思いつかない解決法。

特集では他にも大高郁子さんゑがく須弥山世界、水沢そらさんゑがく藤野可織さんの書き下ろし小説「鳥獣戯画縁起 彼女たちのやりたいこと会議」の挿絵も載っている。偶然3人とも水彩画。空前の水彩ブームか。


編集部的に3人とも水彩なのはどうだろう。ちがう描き方が混じった方がよかったかな。でも、妙に統一感があるのも面白い。3人とも水彩といっても紙も絵の具も技法も違うだろう。なかなか二人のように描けない。

さて、鳥獣戯画であるが、じっくり見ると「丙巻」の動物たちかわいいなー。鳥獣戯画といえば「甲巻」の絵ばかり見させられるので、見慣れてしまったせいかもしれない。「甲巻」と「丙巻」の動物をそれぞれ人間に戻したら、「甲巻」にはまともな人間が、「丙巻」にはクレイジーな人間が現れると思う。
先日、山口晃著「ヘンな日本美術史」を読み返したら、山口晃さんは鳥獣戯画の〈「上手でございます」ぶりがやや退屈に感じられてしまうのです〉と書かれていた。人は自分の問題として他人の絵を見るのですねー。
しかしまぁ、「丁巻」とか私でも描ける気がするような適当っぽさ。おまけでくっついて国宝になっちゃいました、ってことですよね。そんな僥倖にあずかりたい。研究者の方によると「丁巻」も相当描ける人が流して描いたようだ。そうかなぁ、あんまり上手いとは思わないですね。

ああ、そしてこれを紹介しておかなくては。
これは仕事じゃなくて、趣味でやっているものだけど、都築潤さんと南伸坊さんとの対談。
第3回「芸術やるんだったら絵なんて描いてたらダメだった」


え?芸術をやるんなら絵じゃダメだった?信じられないかもしれませんが、そんな時代があったようです。
でも、実は内心、みんな絵を描きたかった。そこに登場したのが…(つづきは対談で)!

対談 都築潤×南伸坊×伊野孝行 第3回「芸術やるんだったら絵なんて描いてたらダメだった」

2020.4.14

ぼくの映画館は家から5分

下高井戸には都合2回住んでいる。合計すると22年になるので実家より長い。すでに郷土愛のようなものもある。
今年の1月号からリニューアルした老舗脚本専門誌「シナリオ」で、『ぼくの映画館は家から5分』と題して、絵入の短いエッセイを連載させてもらっている。
この映画館は、もちろん下高井戸シネマのことだ。

バラエティに富むラインナップ、会員割引のお得感。下高井戸シネマは日本一の二番館だと思っている。でもやっぱり家から5分で行けるのがいい。引っ越すと近所に映画館がある生活を手放すことになる。それが惜しい。映画館だけではない。引っ越してここに来にくくなるのがヤダ、というお店や場所がいくつかある。この町が気に入っている。
だからこの連載では、下高井戸界隈のことを絡めて書こうと思った。
映画の専門家ではないぼくが専門誌に書けることと言ったら、それくらいのことしかないのだった。

さて、新コロ緊急事態宣言下、我が下高井戸シネマも休館を余儀なくされている。
クラウドファンディングがあることを知った。
いつもネタに使わせてもらっているのだから、ひと肌脱がねば。

新型コロナによる減収に負けじと奮闘中!特典満載の会員限定募集!【下高井戸シネマ】

『ぼくの映画館は家から5分』がゆくゆく一冊の本にまとまる……ということもないだろうから、ご挨拶がわりに4回分を載せてみます。




「シナリオ」はギャラ的にまったくおいしくはないのだが(スミマセン)、そんなことを気にせず楽しく仕事が出来る。むしろ他の仕事より気合が入るくらいだ。5月号までの表紙をご覧ください。楽しそうでしょ?

リニューアルのアートディレクターは日下潤一さん。自由なのは絵や写真だけではない。ロゴだって毎号微妙に違うのだ。下の引用は日下さんのブログより。

〈ロゴのデザインは「ヨコカク」の岡澤慶秀さん。カタカナ4文字を、太さとプロポーションが違う書体で組合わせたいという私の希望に、5書体5ウエイトのセットを作ってくれた。これを毎号ちがう組み合わせで使っていく。岡澤さんの巧妙なデザインに、気がつく人は多くないと思う。変えても同じ雰囲気になるのが面白い。欧文書体、表紙のデザインや絵や写真も毎号ちがえる。本文のイラストレーションは、一冊まるごと伊野孝行君である。〉

本屋で見かけたら、ぜひ立ち読みでもしてください。

2020.3.31

『カツベン!』とマントの襟

29日は雪だった。
天気予報は何日も前から29日の雪を予想していた。前日までぬくぬく陽気だったので信じられなかった。
二階の窓を開けると、隣の家の桜に雪が降り積もっている。
花に嵐のたとえはあるが、花に雪とはあな珍しや。
酒や酒や、酒もってこい!雪見酒と花見酒ができるチャンスである。

その晩は変な夢を見た。
高校の修学旅行。移動中に他クラスの生徒と話す機会があった。Sという名前だった。思いのほか話し込んでしまう。別れ際、ぼくは彼にこう言った。「S君がしゃべってるのは48歳の俺が夢の中で見ている18歳の俺なんだよ」と。S君はなかなか理解ができないようだった。

30日は10時に下高井戸シネマへ周防正行監督『カツベン!』を観に行く。
コロナ対策で一席間隔で養生テープが貼られている。スマホの電源を切る前に、LINEをチェックすると「志村けんが死んだぞー」と入っていた。ショック!
映画が始まっても、志村けんの顔が頭から離れない。

『カツベン!』はとてもよくできた映画だった。
活動弁士って外国にもいるものだと思っていたが、日本にしかいなかったんだ。知らなかった。
映画が面白くなくても活動弁士が面白く語って聞かせる。「客は映画を観にきてるんじゃない、活動弁士の俺を観にきているんだ!」と吠える弁士も登場していた。映画とは何かを考えさせられる映画でもあった。

活動弁士と同じく、紙芝居も日本にしかないものだ(紙芝居も外国にあると思ってた)。日本は語り芸の国か。

これは『ダイヤモンド・ザイ』に描いた「怪人二十面相と少年探偵団」風の絵だ。
誌面では怪人二十面相たちが株の話を展開していく。怪人二十面相や明智小五郎、少年探偵団といったキャラは今の読者にも通じるものなんだろうか。
小学校の図書館に江戸川乱歩のシリーズがあったが、ぼくは当時ほとんど本を読まなかったので詳しくない。株をやってるお父さんたちにはちょうどいい狂言回しなのかもしれない。




ところで、怪人二十面相のマントだが、裏が赤いと絵に映える。また襟が立っているとカッコいい。
こういうマントはどこから来たのか。たぶんドラキュラ伯爵ではないか。引用すると負けた気になるウィキペディアにこんなことが書いてあった。1920年代に上演された舞台の話だ。

〈この舞台ではドラキュラが観客に背を向けて一瞬にして消滅するイリュージョンの演出があり、そのために後頭部(首)が隠れる大きな襟の立ったマントが必要だった。ドラキュラのマントの襟が立っているのはこの時の名残である。ちなみにマントの正確な着方は、襟を寝かせるもの。このスタイルを初めて映像化したのが『魔人ドラキュラ』(1931年)である。〉

襟はもともと立てるものではないから、立たせるためには、芯のようなものを入れないといけない。
こんな具合にな!グワッハハハハハ!!

2020.3.10

餃子は英語でなんという?

知ってる人はよ〜く知っているのかもしれない。
でもぼくはつい先日知ったので、勇んで書きたい。

餃子は、皮から手作りすると、ものすーっごく美味い!

いつも家で作るときは餡は作るが、皮はスーパーで買ってきていた。餃子を作る、とはそういうことだった。みなさんも異論はないはず。
ところが、コロナ騒動で頭がおかしくなったのか、急に皮から作ってみようと思った。小麦粉とお湯を混ぜこねて1時間ほど置いておけば出来上がるので超カンタンだ。
焼き餃子にして食べた。これが今までの餃子はなんだったんだ、というくらいに美味いんだ。翌日も水餃子を作って食べた。美味い。餃子を2日連続で作るなんてはじめてだ。

例えて言うなら、スーパーで買ってきた餃子の皮は、炊いて保温のまま2日置き、そのあと冷蔵庫に3日入れっぱなしにしていたご飯のようなものだ。
これに対して、手作りの餃子の皮は、炊きたてのご飯。
どっちでオカズを食べたら美味いか?そりゃ、炊きたてのご飯でしょう。そのくらいの差がある。
また、炊きたてのご飯だと、オカズが何であれ美味い。餃子も皮が手作りだと、餡が何であれ美味い。餡で失敗しても完全にカバー出来る。

さらにうれしい発見は、手作りの皮は生地が伸びるので、餡を包むときに失敗しない。けっこうどんな形にでも包めてしまう。あと、焼き餃子にした時、いっさいフライパンにくっつかなかった。そんなことで、今週お伝えしたかったことは「餃子は皮から」

以上、おわり。でもいいんだけど、以下はおまけです。

餃子って英語でなんて言うのかな?とふと思い、調べてみるとなんとGyozaだそうだ。
中国の餃子と区別するためにGyozaと呼ばれて、外国人に親しまれているのだとか。
本当はDumplingって言うらしいんだけど。Dumplingは「肉入り蒸し団子」なので、そういう料理は世界中にある。

ぼくは英語が大の苦手だ。
もう、20年も前になるが、ペドロ・アルモドバル監督の『オール・アバウト・マイ・マザー』という映画を見に行くときに「全て」「だいたい」「私の」「お母さん」ってどういう意味だろう?と思っていたくらいだ。単語は知ってるのに並ぶと意味がわからない。アバウトは「だいたい」以外にも「〜に関する」という意味があるんだってこと、すっかり忘れてたよ。

「日経トレンディ」の英会話特集に描いた絵をいくつか載せて今週はおさらばだ。

See you next week!