新・伊野孝行のブログ

2020.9.8

軽井沢の旅、番外編。

軽井沢滞在中に我が自転車の師匠である車輪太郎(くるまりんたろう・仮名)とパートナーの舞ちゃんがきてくれた時の話である。
二人は早朝東京を出発し、小淵沢駅まで輪行(自転車を電車に載せること)し、そこから軽井沢にやってきた。小淵沢駅というのは最も標高の高い駅らしい。軽井沢より標高が高いところから走ってくるのだから楽勝という算段だったのだろう。しかし道はただ軽井沢に向かって下っているわけではない。いったん下った後は、嫌になるほど上りが続いたらしい。やっとの事で彼らが軽井沢に着いたの夜だった。

翌日、彼らとサイクリングに出かけた。
出かける前に自転車を並べて写真に収める。自然の中で飯を食うと抜群にうまく感じるように、自転車もめちゃ映える。


中軽井沢にあるTさん宅からものの数分でこのロケーションである。
川沿いを抜けてさらに30分ほど走る。日差しは強いが、気分が良い。
輪太郎たちは、昨日の今日だから、緩やかな上り坂になるだけで、心が拒否反応を示すようだ。しかし、私は上りだろうがこうやって仲間と走ることが嬉しい。


発地市場には巨大藁ネズミがいた。

スピードは出しているつもりはなかったが、嬉しくて先走り、つい先頭になってしまう。
車道から歩道に入ろうとしたその時だ。
ほんのわずかな段差にタイヤが取られて、思いっきり転けてしまった。

足をついてなんとか転倒を防ごうと思ったのが間違いだったのか、右膝から前輪の上に倒れこんでしまった。身体の3ヶ所くらいに激痛。
特に膝にクッキリとスポークの跡がついている。よろめきながら自転車を持ち上げると、あれ?前輪がひしゃげているではないか!

こうなっては車輪自体が引っかかって回転しない。「終了〜!」という声が脳内に何度も響き渡った。もう無理なのだ。軽井沢自転車生活は一週間目にして終わり。明日からどうすりゃいいんだ。あと2週間も滞在するっていうのに。自転車は東京から一緒に来た分身のような存在に感じていた。

輪太郎がすぐさま駆けつけて、前輪を外してくれる。
我々は落ち着いて対応できるところに移動した。
ここで輪太郎は師匠としてどういう行動を取るのか、私はあきらめの境地に達していたから、意外にも冷静に彼を見ていた。
輪太郎は、ゆがんだ車輪を足で慎重に踏んで、なるべく元の状態に戻そうとしてくれた。

しかし、これで完全に戻らないのは誰の目にも明らかなのだ。誰の目というか、もう一人の目は舞ちゃんだが、彼女は縁石に腰掛けたまま我々をジッと見守っている。

「今日東京に帰るから、ウチにあるタイヤを宅急便で送るよ。とりあえず、歪みを直して前輪がひっかからないようにしよう」と輪太郎は踏んづけながら言う。
軽井沢駅まで引いていくしかないのか。歩いて行ったら1時間以上もかかるだろう。レンタル自転車屋は何軒もあったけど、スポーツ自転車を扱っている店ってあったけかなぁ。
だんだん、私の膝は血が滲んできていた(翌日には、熟成が進んだ生ハムの表面みたいなアザが広がっていた)。

しかし、駅まで行かなくても、どこかに自転車屋があるかもしれないぞと思い、私はスマホで検索してみた。
そしたら、なんと50メートル先に自転車屋があった!
しかも、めちゃめちゃマニアックな自転車屋だ。

今までも自分は運がいいと思ったことはあったが、この日は私史上2番目に運がいいと思った。1番目は子供のときに港に落ちて溺れて死ぬ寸前の時に、近くで釣りをしていた人に発見されて救出されたことだ。今回はそれにつぐ。まさに自転車乗り的命拾い。「五月野自転車」さん、ありがとうございます!


お店のInstagramの写真から。すごく面白い自転車が並んでいた。ハンドルが2本ついてる!(笑)。

無事前輪を交換し、そして何事もなかったように、我々はサイクリングを続けた。
暑い日であったが、木陰の中を走ると爽やかな風に包まれる。
舞ちゃんが一言「あ〜面白かった」と言って私を追い抜いて行った。