新・伊野孝行のブログ

タグ:旅行

2020.8.4

輪行!恐怖の別荘地

8月7日〜25日、軽井沢の酢重ギャラリーで個展『恐怖の別荘地』を開催することは先週のブログで書きました。
ぼくが今心配のは、コロナや、コロナの影響で誰も見にこないのではないか、ということではありません。
ぼくが不安なのは「輪行」です。

輪行というのは自転車をバラして袋に入れて、電車に乗せて目的地まで行き、そこでまた組み立てて乗ることです。
自転車ビギナーである私は輪行も初体験です。
先日、予行練習を行いました。
問題は、東京駅の、丸の内口もしくは八重津口で、衆目にさらされながら、炎天下の中この作業を無事終えられるかどうかです。家の最寄駅、下高井戸から輪行してもいいのですが、10キログラムもある車体を担いで乗り継ぐ方がしんどそうなので、東京駅まで自転車で走るつもりです。
今週のブログは7日に輪行する時のアンチョコとして更新しますので、みなさんが読んでもまったく意味がありません。

さぁ、自転車をバラすぞ!蚊に刺されるのが嫌なので家の中で。


その1、後輪のギヤを1速にする。

その2、ブレーキアーチのフックを外す(前後輪とも)。

その3、車体をひっくり返す。

その4、前輪を外す。どこかの壁沿いでこの作業をしないと、車輪を立てかける場所がないぞ。

その5、後輪のレバーを開いた後、変速機を後ろに引っ張ってギヤをむき出しにする。かかってるチェーンを外して車輪をとる。この手のスポーツ自転車は車輪がワンタッチで外せるが、後輪はギヤや変速機があるので手こずる。


その6、車輪が外れてたら〜んとなってるチェーンをチェーンフックにかける。

その7、エンド金具を後輪のハマってたところに装着。きつくレバーを締める。エンド金具は変速機の保護のため。

その8、サドルとエンド金具を下になるように、方向転換。ぼくの自転車にはサドルの下にキャリアがついてるので、エンド金具とキャリアが一番下になるが。

その9、フレームにタイヤを縛り付ける。ペダルはこの位置が邪魔にならないでしょう。ショルダーベルトを装着。ここまでくればあと一息!でもきっちり縛るのは難しい。ぼくは思い切ってビニール紐にした。

その10、変速機に軍手でもかけておくか。

その11、輪行袋に入れる。ショルダーベルトは袋の小窓から通す。

これで完成。しかし、軽く作られた自転車もショルダーベルト一本で担ぐとなるとやたらめったら重い。
ぼくの自転車は5月に買ったばかりのスポルティーフという車種です(20年前の中古)。スポルティーフというのは一見ランドナーによく似ているのですが、ちょっと違う。ロードバイクともちょっと違う。詳しいことは映画監督の平野勝之さんの記事が大変分かりやすかった。
趣味自転車の王様、高速ランドナー「スポルティーフ」について。映画監督・平野勝之「暮らしのアナログ物語」
今回は輪行するにあたって、ランドナー、スポルティーフの様式美でもあるマッドガード(泥除け)を外してあります。だってこれがついてると輪行しにくいんだもん。

8月7日〜25日、軽井沢の酢重ギャラリーで個展『恐怖の別荘地』。よろしく!

2020.7.28

GoTo恐怖の別荘地

8月8日〜25日、軽井沢の「酢重ギャラリー」で個展をします。
題して『恐怖の別荘地』

「GoToトラベル」東京除外のせいでこの夏、東京都民は旅行に出かけにくくなってしまいました。雰囲気的に。でもキャンペーンが適用されないだけで、本来は自由に行ってもいいんですよ。

人間にとって、個人の判断という「自由」はけっこう持て余すというのが、コロナでよくわかりました。
コロナに対して基準を決めて欲しいという声が上がります。基準があれば、それを守っていればいいのだし、逸脱者を非難もできます。

おばけにゃ学校もしけんもなんにもない
おばけにゃ会社も仕事もなんにもない
おばけは死なない病気もなんにもない

と、水木しげる先生は歌詞に書かれました。
試験など基準の最たるものだし、学校や会社という協調を必要とする組織もない。病と死という二大苦(生と死を分ける二大基準と言えましょうか)からも解放されている。つまり、おばけの世界には基準がありません。
だから、おばけは究極の自由を手にすることが出来るのです。

人間の自由は基準あっての自由でしょうか。
基準を捨てて、自由を手にすることが我々人間に出来るでしょうか?

私は半分おばけになりたい。
自由を渇望する方は、ぜひ、自分の判断で軽井沢へお越し下さい。
首を長〜くしてお待ちしております〜。

観光しながら働く、休暇を楽しみながらテレワークする「ワーケーション」を実践するべく、会期中は軽井沢に滞在するつもりです。なんと国に従順な態度でしょう。

酢重ギャラリーは7年前に一度お世話になりました。
その時のブログ記事です↓
画家の肖像in軽井沢

酢重ギャラリーはココです!
酢重ギャラリー

2020.7.21

近江八幡の思い出

イラストレーターでなんとか食べられるようになったのは8年ほど前。聞くところによると才能の寿命は、花開いて萎むまでおよそ10年といいます。あと2年ですか……短いものよなぁ。
しかし、パッと売れないまま8年が過ぎた。また聞くところによると、長生きの秘訣は売れないことだいいます。消費社会の生存競争で生き残るには、消費されないことも利するというわけでしょうか。

安土桃山時代の1585年に、現在の近江八幡市で創業した会社のブランド・ブックのお仕事をしました。なんと435年も続いてんですよ!
かつての名は「西川庄六商店」、現在は「メルクロス」という名で東京の日本橋に自社ビルを構えています。

西川庄六商店は今も昔も「商社」です。創業当時は全国的に流通させる仕組みのなかった時代。近江商人たちは、売り手よし、買い手よし、世間よし、といわれる「三方よし」の精神で市場を開拓し、経済活動を支えていったのでした。日本橋にやってきたのは江戸時代。

過去から現在、ビジネスに架け橋渡し続けて435年。そのノウハウを生かして未来世界にも架け橋を!
そういった内容で絵を描いたと思います。……今頃になってブログにアップしていますが、実は去年のお仕事です。なぜ、こうも遅れたか。それは単なる怠惰です……わたくしの……。

ちょうど去年の今頃、打診があったんです。
自分には企業案件の仕事が少ないので、あぁまたプレゼンにかけられて落とされるんだろうな、と思ってたら、すでにぼくの絵で行くことは決定していたので驚きでした。しかも、取材旅行にも連れて行ってくれるっつーの。

ここがかつての「西川庄六商店」です。絵にも取材の成果が生かされておりますね。

いいところでしたよ、近江八幡。
八幡山にロープウェイで登って、琵琶湖を望む。八幡山は、現在は石垣しか残ってないけど、かつては豊臣秀次が築いた八幡山城があった。

八幡堀は時代劇の撮影で使われるので、なんか初めて来た気がしない。

去年は暑かったねぇ。「たねや」で休憩。たこ焼きではなくて、あんこが入った餅なんだけど、美味いんだよ、これが。
晩ご飯はタクシーの運転手さんに教えてもらった「カメチク」という焼肉屋さんに行ったんですが、ここは「まる亀畜産」という牧場の直営店で、安くて美味い肉が食える。写真はありません。

この写真は、近江八幡の歴史資料館みたいなところで撮ったと思いますが、なんだったか忘れました。タコの盛り付けに目を奪われて。


大津まで足を伸ばしたついでに、「大津絵美術館」に。やや期待外れでしたかね。大津絵は素朴なのがいいので、この屏風みたいに、達者に描いちゃうと、もはや大津絵のいいところが何も残らない気がするんですけどねぇ。

さらに京都まで足を伸ばした時に見つけた瓦屋さんの店飾り。
取材が終わって、一人で東寺にいったんですが、あいにく仏像は見れませんでした。
たった1年前ですが、コロナ禍の今となっては、遠い昔のようにも思える、良き思い出です。