伊野孝行のブログ

今週もなんですけど……

4週にわたってサボっているブログですが(と言いつつ更新はし続けているんだけど)、今週もサボります。

今やってる大量の絵を描かなきゃいけない仕事も今週中には終わりそうなメドがつきました。

2月の中頃から、日がな一日絵を描いている生活が続いていますが、春風亭一之輔さんの独演会(@らくごカフェ)に行ったり、俳人の高山れおなさんと山田耕司さんのトークショー(@B&B)に行ったり、朝までカラオケやったり(@井出佳美さんの個展)、座禅会(@即今)に行ったり、オカマバー(@サロン・ド・慎太郎)に連れて行ってもらったり、出版三重県人会なる飲み会(@居酒屋秋刀魚)があったり、その他飲み会(@フィシッフ など)も2回ほどあったり、睡眠も毎日7時間寝てるし……あれ?これって普通の生活じゃん?

単にブログの更新をサボる口実に使ってるだけ?……のような気がしないでもないんですがね。確定申告ほったらかしだから来週もサボりたいなぁ。

やはり今週も……

今週も ……

今週は……

新年ボンヤリおめでとう

新年あけましておめでとうございます。
人間よりも猫に生まれた方が、過去を引きずったり、未来の心配をしなくていいので、幸せなのではないかと思っています。でも猫にはお正月がない。新しい年が来たらもう一度生まれ変われるような、そんな気分が味わえない。そもそも一年という区切りを必要としないから猫は猫のままに幸せなのでしょうけど。
人間はいつくらいから一年の区切りを発明したのでしょうか。
日本のような四季の違いがはっきりしている土地なら、春夏秋冬が順繰りにやって来る一年の周期はモチロン承知のはず。毎日暑い常夏の土地では、ボーッと生きていたら一年の周期がわからないかもしれませんね。いや、原始人は自然に超敏感だから、周期があるのはわかってたと思いますが、昨日と今日ではっきり年がかわるという区切りは、農耕を始めて暦が作られるようになるまで待たねばならないのでしょう。
新しい年が来ることの何がめでたいのか、猫にはわかりません。
大晦日、除夜の鐘をついていると新年になり、日本人は思いを新たにするのである。 
私は、今年、年男です。イノシシ年生まれのイノです。
平成の最後で西暦でいうと2019年。西暦を導入したのは明治だけど、それ以前はどうやって昔の時代に思いを馳せていたのでしょう。大化の改新645年。それは今から1374年前……って西暦という通し番号があるから脳内タイムマシーンの目盛りを合わせられるけど、元号しかないといったいどれくらい前なのか計算できないじゃありませんか。
何やら干支を使って計算する方法もあるらしいけど、人々にとって過去は、去年、10年前、昔、昔々、大昔というくらいのボンヤリ感覚の中にあったのかもしれません。
それに加えて写真がない時代は、自分のおじいちゃんおばあちゃんが早くに死んでいれば、祖父母の顔がわからない。写真がないなら当然、自分の子どもの時の顔も残っていない。子どもの頃の自分はなんてかわいいんだろうとか、10年前は俺もけっこう肌がツヤツヤしてたな〜なんて感想は出てきません。
自分が今生きているこの時、この場所だけが鮮明で、あとは過去に遡るにしたがい、距離が遠くなるにしたがい、薄ボンヤリしていくのです。そして歳をとって頭もだんだんボンヤリしてきて、やがて時間と空間の中に消えて行くのです。
だから昔の人と今の人は感覚が絶対に違うわけであります。なんてかわいいのだろう。私にこんな時があっただなんて私が信じられない。いくつの時だろう?父親に持ち上げられて悲鳴をあげているのに、両親や祖父母、親戚は笑顔だ。ここは伊勢神宮。初詣かもしれない。伊勢神宮には小学校に上がってからもう一度行った覚えがあるが、覚えがあるだけで覚えてはいない。
今更、無理ですが、そんな昔の人が生きていたボンヤリ感覚の中に生きてみたい。歴史学も発達しておらず、神話が半分本当で、一度別れたらそれっきりかもしれない人間関係、外付けハードディスクは限られた書物や石碑くらい?いや、絵もそうか。絵描きたちも例外なく、与謝蕪村も曾我蕭白も岩佐又兵衛も……この感覚の中で絵を描いていたのです。それは絵にどういった影響があるのでしょう。また逆に、まるで生き写しのような写実的な絵や彫刻の存在感は、今とはかなり違うはずです。
……とかなんとか言いながら、最近は中高年の例に漏れず、年々昔のことに興味がわき、通史の名著として名高いらしい全26巻、中公文庫「日本の歴史」を読み始めた私です。昔の人間が持っていたボンヤリ感覚から自ら遠ざかる行為をしているのです。
狩猟採集民や近代教育を受けていない民に興味をもち、彼らの研究をすることは、彼らと親しく交わりながらも絶対に同一化できない壁を持つことでもあります。研究者ならそれでいいでしょう。
でも、彼らが作り出す絵や陶器や刺繍の面白さに打たれて、自分でも作ってみたいと思う人は、自分が彼らのように生きられないことに絶望を感じるでしょう。
研究しても作れるようにはなれない。ああ、私も自然に帰りたいと。まあ、あきらめるしかありませんよねー。
結局、それもあこがれ。
自分は自分の境遇において、自分だから作れるものを作っていくしかない……なんて、いや、別にこんなことを真剣に悩んでいるわけではなくて、正月早々、ブログの記事を無理やり書いているうちに、拙文の織りなす模様として出て来たどうでもいいことなので、いつものように読み飛ばしてください。
SNS全盛時代、すでにブログというものがあまり書かれなくなった今こそ、ブログを書くべきなのだ!と思って、無理にでも書いているのです。今年も毎週火曜に更新していくのでヨロシク!
東京人はスカイツリーにのぼらない。静岡県人は富士山に登らない。そして三重県人は伊勢神宮に参らない……の禁を破って(ウソね)、たぶん40年ぶりくらいに、お伊勢さんに行ってきました。1月4日のことです。
さっきの幼年時代のお伊勢参り写真も、40年前のお伊勢参りも全然覚えていないので、まるで初体験です(なんだ、記録媒体が進化しても、相変わらず人間はボンヤリしてるじゃないか)。
はじめて知ったのですが「伊勢神宮」は全部で125社あるお宮の総称で、しかも通称のようです。本当の名前は「神宮」。ただの神宮って名前なんだそうですね。
内宮(ないくう)と外宮(げくう)があり、まず外宮にお参りしてから内宮に行くのが順番なんだけど、外宮から内宮までなんと歩いて30分〜40分もある!頑張って歩きましたよ。
その途中に倭姫宮(やまとひめのみや)という神社があり、そこに「神宮徴古館」という伊勢神宮の博物館があるのですが、そこは4、5人しかお客さんがいなかった。穴場ですね。ぜひ訪れてください。
神宮徴古館はこんな建物です。ネットの写真より。
普通に歩くより、美術館、博物館を見物する方が疲れます。なんででしょう。頭も使うからかな。神宮徴古館を見終わった時、年老いた両親はかなり疲れ果てていました。しかし、内宮まで道半ば。歩いてこそ昔のお伊勢参りを実感できるというもの。頑張ろう!
で、やっとの事で内宮に着くと、人、人、人の人の海。外宮と内宮の間の道にはそんなに人がいなかったのに。
つまり内宮だけにお参りする人がほとんどというわけです。
また今度はお正月じゃない時に行ってみよう。
おかげ横丁は前に進むのも困難。
子どもは信心が薄いので早く疲れる。
天照大神の御光が参拝者に降りそそぐ。
内宮の正宮。階段より先は撮影禁止。
みんながありがたく触るので色が変わった木。写っている人は知らない人。
こういう建物はなんと呼ぶのでしょうか?
さて、無事お伊勢参りも済ませ、近鉄で津の町に帰ってきて、うなぎを食べました。
お店は「はし家」さんです。この写真は「上うなぎ丼」です。2340円。お酒とう巻きは別だけど、東京では信じられない値段でしょう?津は昔、うなぎの養殖が盛んで、鰻屋さんが多くて、名物なのです。
翌日、5日の朝日新聞で林望さんが「カリカリ鰻」と題したエッセイを書いていました。
内容をかいつまむと、鰻の蒲焼きには東京風(白焼きにしてから蒸す。ふんわりとした口当たり)と上方風(直焼きで焼き込む。はじっこあたりがカリカリしてる)の2種類ある。ところが最近は、東京は当然のこととして、大阪神戸といった上方でさえも東京風の蒲焼を出す店が増えて、上方風蒲焼を口にする機会が減った。非常に残念なことだと嘆いていたところ、名古屋でやっとこ上方風のカリカリっと焼き上げた鰻に出会い、口福を得た。そんな内容でした。
林望先生にお伝えしたい。津には鰻屋が20軒以上ありますが、どのお店も上方風です。食べにきてください!
逆に私は上方風しか食べたことがない両親に一度、東京風の口の中でとろけるような蒲焼を食べさせてあげたいと思っていますが。
はい、宣伝をば。
1月10日から原宿ビームスではじまる『エンケン大博覧会』に私の絵も飾られることになりました。年明けにご連絡いただいて、急遽って感じですが、エンケンさんの大ファンである私としてはめちゃ光栄なことです。
エンケンさんが亡くなった時、どうしても自分の文章でエンケンさんのことを書かないと先に進めない気がして、ブログに書きました。その時に描いた絵を展示します。よかったら見にきてね!

一休寺アルバム

お江戸の人形町で開催中の「風刺画なんて」展と、京都の一休寺で開催中の「祖師と肖像」展の準備をしているうちに慌ただしくなって先週はブログを休んでしまいました。今週も休みたいんだけど、毎週更新することだけが取り柄なので、2週連続休むわけにはいきません。仕方なく更新しましょう。一休寺の宝物殿でやっている「祖師と肖像」展。軸装された絵をはじめて見ました。八木米寿堂さんのプロの仕事に感服しました。絵巻物「一休十態」の解説文は芳澤勝弘先生が書いてくださってます。さすが簡潔でお見事!宝物殿の入り口。宝物殿の中。私のニセ頂相の正面にはホンモノの頂相が飾られています。訪れた11月25日は日曜日とあって観光客もピーク。25日は5000人とか!年末の新宿伊勢丹の地下のように混んでました。完全に真っ赤になるのはあと4、5日かかるようですが、緑が残っているのも色数が多くてきれい。昼間は東京と変わらないくらいの気温でしたが朝晩の冷え込みはやはり京都。息が白かったです。開門前の誰もいない時にパチリ。25日の夜はJR東海の会員限定トークショーもありました。芳澤先生は別冊太陽「一休」の監修もしておられます。この写真は別冊太陽のツイッターより無断拝借してきました。この場でご報告申し上げます。私と一緒に写っているのはトークショーにも登壇された人形作家の北野深雪(moga)さん。右はかわいい一休さんですが、左のオヤジたちは誰あろう、禅のスーパー高僧、大燈国師と虚堂智愚和尚です。一つ一つが手作りで手描きです。特に大燈国師と虚堂智愚和尚の表情がバツグンです。私の描いた肖像画よりはるかにいいです。禅を好きな人、特に臨済宗大徳寺派なら持ってなきゃダメっすよ。

トークショーでは芳澤先生に過分なお言葉をいただきました。それは先生がトークの進行もされてて、私の絵を褒めて一休さんと一休寺と禅を盛り上げようという立場だったのでね(笑)。で先生が褒めてくれた内容ですが、一緒にトークに登壇した副住職田邊宗弘さんの解説によると、こんな内容でした(忘れたわけではないが私はスラスラ禅の事が話せないので)。

「これはいわゆる乞食大燈とよばれるものです。禅宗では聖胎長養や悟後の修行といって悟った後の修行が重要とされます。
大燈国師は大応国師より法を授けられた後、20年は世に出るなときつく言われたようです。五条大橋のふもとで乞食の恰好をし生活をしておりました。大燈国師の書物をまとめられた時もこのことは書かれなかったようです。大本山の威厳に関わるからでしょうかこのことに憤慨した一休禅師はこのように詩をのこしています。
風飡水宿 人の記するなし

江戸時代の白隠禅師はこの乞食大燈をよく描かれていますがこのように大燈国師を評価したのは一休禅師と白隠禅師しかいませんでした。その流れでいうとこの伊野さんの乞食大燈の頂相は歴史的にもものすごい快挙なのではないでしょうか。

大燈国師を乞食大燈として評価したのは一休禅師と白隠禅師と伊野孝行 この3人だけです。」

ま、私は芳澤先生に教えを乞うて描いただけなんですけどね(笑)。

北野深雪(moga)さんの人形をポケットに入れるお茶目ダンディな芳澤先生。今度一休の入門書を書かれるとのこと。一休寺限定勧進色紙(売り上げの3割はお寺の改修費用などに回されます)の販売会もやってきました。21枚持って行って25日26日で17枚売れました。あと4枚残っています。さあ皆さん慈善事業だと思って買いましょう。そして買ってくださったみなさま、誠にありがとうございます!

1日に何千人来ても、みんなお寺と紅葉を楽しみに来てるんで、ほとんどの人は僕の絵なんて興味ないんですよ。

当たり前のことだと思いますけどね。僕はわざと部屋の外で待ってました。みんな一応見に来るじゃないですか、何が置いてあるんだろうと思って。そこに作者本人がいると思わないから、みんな思い思いのことつぶやいたり。そんで後ろから「これ僕が描いてるんですよ」って声かけて驚かせたり。ギャラリーでやるのとは全然違いますね。「オトナの一休さん」を偶然見たことあるって人は結構いました。さすがNHK。あと大徳寺の襖絵も見て来たよっていう人もいらしゃった。さすが京都。

一休寺で落語会などもやっておられる歴史落語家の笑福亭笑利さんにも買っていただきました。この写真は笑福亭笑利さんのツイッターより無断拝借してきました。お許しください。

「雀はかわいいなー」

「迷妄」

「一休と地獄太夫〜正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし〜」

「一休独唱」

「何似生!(どんなもんじゃ)」

「ダンス ウィズ ガイコツ」

「昨日は俗人今日は僧 いい加減に生きてきた」

「天地逆転大喝!」

「新右衛門どのと一献」

「ワシによく似た虎」

「一休と森女」

「五条大橋の下で」

「喝!」

「一休と踊ろう!」

「一休み、一休み」

「一休と骸骨」

「クソとお経〜オトナの一休さん第1則より〜」

「破れ寺で修行」

「ちょいとそこ行くお姉さん」

「そうだ京都、行こう。」

「風狂の狂客 狂風を起こす」

以上が一休寺限定勧進色紙です。ナンバープレート「193」の一台限定私の名前入りタクシー。

帰りに駐車場に行ったらたまたま止まってたので、思わず記念写真。もちろんこれに乗って新田辺駅に行き、思い残すことなく東京に帰ってきました。一休寺のみなさま、色紙お買い求めのみなさま、奈良から来てくれた「オトナの一休さん」初代プロデューサーの角野さん、神戸から来てくれた同業者の竹内みかちゃん、JR東海のみなさま、そのほかの皆々様ありがとうございました!

さて、人形町では「風刺画なんて」まさに開催中です。

人形町は江戸の中心部、美味しい老舗がいっぱいあります。表参道界隈のギャラリー巡りとは一味違った鑑賞体験になることは請け合います。レッツゴー!

「風刺画なんて」はここでやっている!