伊野孝行のブログ

サラリーマンの物語

日本で一番人口が多いのがサラリーマン(勤め人)で、その勤め先である会社も無数にある。

多くの価値基準は会社のあり方や、サラリーマンの生活に合わせている、ということを考えると実は世の中を支配しているのは安倍首相でも自民党でもなく、国民でもなく、サラリーマンと企業ですかね……なんて書いて何か言いたいことが私にあるのではないのです。例によって字数稼ぎです。

江戸時代一番人口の多いのは農民ですね。でも大都市では町人の人口が多いでしょ。あとは支配者階級の武士も多い。

で、落語って江戸や上方みたいな大都市で、寄席がたっくさんあった所で発達したから、町人が主人公の噺が多いじゃないですか。芝居はわりと全国各地を回ったり、農村歌舞伎とかやってたけど、演し物はお侍の物語だったりする。農民は、農民が主人公の芝居を見てたわけじゃないですもんね。農民の人にとって、オラたちの物語というのは口伝えで語られてきた昔話の他には何があるんだろ?

フトそんなことを思いました。
いや、現在だって、サラリーマンは必ずしもサラリーマンが主役の映画やドラマや小説を好んで鑑賞するわけではないんですが、近くは『半沢直樹』が大ヒットしたし、ちょっと昔は植木等さんの無責任シリーズですね、あ、あと蛭子能収さんの漫画もサラリーマンが主役の不条理物語だったりする。
よく考えれば、そういうものを楽しんでる私自身はサラリーマンじゃない……それでいてオレたちの物語という見方をしているかもしれない。
ま、この話はいいや。字数稼ぎなんで。
読者層ではないという意味で、自分に縁のない雑誌「日経ビジネス」で仕事しました。
表紙がナイス!ちなみに植木等さんは私が最も歌がうまいと思っている人です。
仕事量を維持しながら労働時間を減らす。これが本来の働き方改革。だが現実には、労働時間の減少に伴い、仕事量まで急減している企業が少なくないそうな。実際に起きている「トンデモ働き方改革」の実例を紹介する特集に絵を描きました。
海外支社に大事な仕事を丸投げ。本人はプライベートを満喫。
定時5分前から帰る準備。顧客の注文は翌日に先送り。
ITを駆使した遠隔システムを驚くほどアナログな方法で欺く。在宅勤務は実際にPCを動かしているかでチェックされるので、5分おきにマウスだけ触る社員。
終業時間に電気が消えるやたちまち議論は先送り
ここは居酒屋かよ!働き方改革で奇妙な制度が出現。
ところで、ふるさと納税ってのは、金持ちが得するいまいち良くない制度らしね。私は一度もやったことがないけど。これは雑誌「Wedge」でちょっと前に描いたふるさと納税を批判する絵です。お肉って言うのが返礼品の中でも人気らしいので、日本列島をお肉にして、高額所得者が各地の返礼品を狙っている図です。
でも、ふるさと納税の制度、今後変わるらしいですね。ウェイトレスがお肉を下げに来ました。
ハイ、今週は自分の生活とはあまり関係のないことばかり描いたイラスト仕事特集でした。おわり。

茅ヶ崎物語

映画『茅ヶ崎物語 ~MY LITTLE HOMETOWN~』の劇中画を描きました。

監督は熊坂出さんです(『パーク アンド ラブホテル』でベルリン国際映画祭最優秀新人作品賞)。

さて、このポスターのおじさんは誰でしょう?

答えは、下記のサイトに飛んでお読みください。
はい、公式サイトご覧になられましたか?このおじさんは音楽プロモーターの宮治淳一さん(主演)でございます。
小中学校時代、桑田佳祐さんと同級生で、“サザンオールスターズ”の名付け親だったというのは、すでに公式サイトをお読みの方ならご存知のはず。
私の担当箇所は、宮治さんが少年だった頃の話をアニメで見せる場面です。普段絵を描くときも、命が宿るようにやってるつもりですが、やはりアニメは動かしてナンボ。動きがついて、はじめて命が吹き込まれるのです。電車が宙に飛んだりしていました!
絵では宮治少年はドアーズのレコードを持っていますが、これは私がとりあえずダミーでハメてみたもの。本番ではどうなってたかな?先日調布の「東京現像所」で試写を見たのですが、忘れました。
ちなみに、アニメのシーンはほんのちょっとで、実写版の宮治少年(右)は神木隆之介さんが、桑田佳祐少年(左)は野村周平さんが演じています。
もう一つの担当箇所は、桑田さんが影響を受けたアーティストをバババババ〜ッとテンポよく紹介する場面。
全部ご本人たちの写真でこれをやっちゃうと、えらいお金がかかるので、私の絵が写真に混ぜて使われています。でも、試写で見たら写真と絵のまぜこぜ感が案外にいい!最初から演出プランにあったようです。
桑田さんはカオスなイメージが好きなので、いろんなタッチで描いて欲しいというリクエストもありました。いろんなタッチで描いててよかった。ボブ・ディラン ザ・ビートルズ カーペンターズ ジャニス・ジョプリン  ダイアナ・ロス ミック・ジャガー レッド・ツェッペリンザ・ビートルズエリック・クラプトン
映画のエンドロールに自分の名前が出るのは、はじめての経験。いつ出るか?いつ出るか?とそればっかり気になって見てて、わ〜出た!出た!、わ〜消えた!……そんな感じでした!

最近の『笑なん』

日本農業新聞で連載中の島田洋七さんの自伝エッセイ『笑ってなんぼじゃ!』略して『笑なん』の最近の挿絵から。

アラタちゃんは、3歳のときの事故が原因で知的障害児になった。

大立ち回りの後の風呂は、最高に気持ちよかった。けど、なんでばあちゃんは怒らんかったのやろ?

しかし、謝ったのはいじめっ子の親だった。

アラタちゃんは、俺が学校に行くときに、よく学校の近くまでついてきた。 門のところで「ここからは入ったらあかん」と言うたら、大きな声で「うん! わかった!」というて帰っていった。

グランドを見渡したら、なぜかアラタちゃんが本部席に座っている。

「アラタ、いくつ?」と、歳を聞かれると「さんじゅう!」と言うてた。

中学の同級生にK田くんという、軽度の知的障害の子がいた。普通にしゃべったり授業は受けれるのやけど、 雨が振ってきたら、それが2時限目でも「雨降ったし、帰る!」と帰ってしまう、ちょっと変わったやつだった。

ばあちゃんに、「水筒ないの?」と聞いたら、「湯たんぽがあるやろ」と言われた。

毎日、減っていく数字を書き換えるのが楽しみな日課になっていたんや。

「うわぁ、汽車や、汽車が走っとっと!」俺の、ひどくびっくりする様子に、友達もえらくびっくりしてしもた(笑)。でも、なんで冬やのに汽車が走るんや?

「ああ、それは貨物列車や。人は乗れん」「違う! 人が乗ってたんや。手を振ったら、ちゃんと返してくれた」「手? それは家畜と間違えたんやろ」ばあちゃん、ああ言えばこう言う(笑)。「毎月五千円を送っていましたが、今月は苦しくて、二千円しか送れません。お母さん、なんとかお願いします」俺の手は手紙を落としそうなほど震え出した。どうしよう……。

少しでも食べる量を減らして、家計の助けをしようと俺は心に決めた。

じいちゃんは、たった50歳で42歳のばあちゃんを置いて亡くなってしまったのだ。末っ子のアラタちゃんは、まだ赤ちゃん。かあちゃんたちもまだ子どもだ。当然、フルタイムで働ける時間もない。それで、始めたのが、何十年も続いた学校の清掃の仕事だったんや。

足の裏にものすごく嫌な感触。気持ち悪い何かを俺は踏んづけた。

「昭広、スッポンは高級ばい。魚屋に売ったらええ金になるとよ」こんな変な顔した亀が売れるなんて、にわかには信じられなかったが、俺たちはスッポンを抱えて、大急ぎで家に走って帰った。

俺はうれしくて、うれしくて、学校に着くやいなや机の上にクレパスを置いた。だけど、一時限目は国語やった(笑)

繁華街と か公園なんかに、街頭テレビが備え付けてあったもんや。 特に相撲と野球のときは、 テレビの前に黒山の人だかりができてたなあ。

池松君が初めて練習にやってきた時、俺たちは度肝を抜か れた。 なんと、池松君は、ぴっかぴかのバットとグローブを持ってきたのだ。

俺は初めて触るキャッチャーミットやベースに、心臓がドキドキした。 テレビでし か見たことのないベースは、想像以上に重くて、手にずっしり。

夏休みに広島のかあちゃんのところに帰ると、 かあちゃんは必ず俺を広島市民球場に、プロ野球の試合を観に連れていってくれた。 偶然にも、家の近所の古い旅館が、広島カープの選手の宿泊先になった。俺は根拠もなく、「必ず選手は出てきてくれるはずや」と確信して、じっと待っていた。

「あの……、僕のかあちゃん、広島で働いているんです。徳永秀子っていうんですけど、会ったことありますか?」

手渡されたんは、なんと広島カープのロゴが入った色紙に書かれたサイン。

沖縄と北海道

那覇空港を出ると友人のボックスカーが迎えに来てくれていた。
車に入ると、チャイルドシートの双子の男子がニタニタしながら私のことを見ていた。
「ねぇ、この人誰?」と助手席のお母さんが聞くと「もつりんさん!もつりんさん!」と子どもたちは答えた。
もつりんさん……それは『オトナの一休さん』に出てくる一休宗純の弟子の没倫(もつりん)のことである。
没倫の顔は私をモデルにして描いてある。子どもたちは「今日はもつりんさんが東京からやってくるよ」と言い含められているようだ。ならば私ももつりんさんで通そう。
「カラーズ」というお店に寄ってタコスとタコライスを食べた。
店の主人と友人夫婦が喋っている間に、私は外に出て、すぐ目の前にある公園に行ってみた。

ワオ!生えている植物がぜんぜん違う!……根っこのお化けのような巨大な木を見て、一気に南国ムードに包まれた。数え年46歳にしてはじめての沖縄だった。

毎週火曜に更新しているこのブログ、先週は沖縄に行っていたのでお休みしました。持参の紙芝居で心をつかみ……完全になつかせる。こう見えても子どもと遊ぶのが好きだ。
帽子と眼鏡をとった私の顔とアニメの没倫さんを見比べて、不思議そうにしている双生児。私はテレビから抜け出てきた人だと、彼らは思い込んでいる。素敵な絵が飾ってある友人宅のトイレ。
夜だけに咲いて、たった一日で散るサガリバナという幻想的な花が満開だった。
栄町市場にある「宮里小書店」。拙著『画家の肖像』の沖縄唯一の取扱店である。
「宮里小書店」のお向かいキンジョーさんのお店。
夜の栄町市場は一転、飲み屋のアーケードになる。
今回の旅は「宮里小書店」のご家族のお世話になりました。店主の宮里千里さんが1978年に録音した、今では伝承が途絶えてしまった祭祀『久高島イザイホー』のCD。絶賛発売中です。

琉球弧の祭祀-久高島イザイホー-宮里千里

推定樹齢300年の神木、大アカギの穴ぼこをのぞく。

沖縄サイコー!

さて、沖縄ときたら北海道。
私は北海道もまだ行ったことがありません。
この夏開かれる「札幌国際芸術祭2017」の公式ガイドブックの仕事をしました。芸術祭のガイドブックは作品が出来上がっていない状態で作らねばならない。絵はイメージです。これもイメージ。タヌキが街頭テレビを見ていますが、何が起こるのでしょう?この物体は一体なんだ!?夜のススキノにアーティストたちが出没!指揮を取っている人はゲストディレクターの大友良英さん。
その右横は参加アーティストのマレウレウ(アイヌの伝統歌をテーマに活動する女性ヴォーカルグループ)さん。大友良英さんとマレウレウさんは共に『オトナの一休さん』の音楽を担当されている。
というわけで、つい群衆の中に蜷川新右衛門さん風の人物を描き加えてしまった(かすかに一休ぽい人もいる)。
先日『オトナの一休さん』の打ち上げがあり、大友さんにこの絵の説明をしたところ「いや、なんで新右衛門さんが描いてあるんだろう?と思ってたんだけど、同じ人が描いてたんですね」とおっしゃってくださった。細かいところまで見ていただいていて感激です。
大友さんに『久高島イザイホー』をプレゼントしました。

歴史を学びたい

昔はこれでもいっぱしの歴史通であった。
昔……というのは小学3年生の頃である。他の子ども達が漫画やアニメに夢中になっているのを横目に、学校の図書館で、豊臣秀吉、織田信長、徳川家康の伝記を借りては読んでいたものである。
だが、悲しいことに私の歴史の知識(特に戦国時代)はその頃で止まってる。
小学4年生まではほとんど友達がいなかったので、自分独自の文化圏を作っていたのだが、5年生になって、急に友達ができ、私も他の友達と同様に漫画やアニメに夢中になってしまったからだ。
フツウの小学生になっちゃったわけ。
去年も大河ドラマ『真田丸』を見て、「真田、真田ってよく名前を聞いてたけど、こんな一族だったんだ〜」ってやっと知ったくらいの歴史知らずなのだ。
イラストレーターとして時代物や歴史物の仕事もしているのに、そんなのでいいのだろうか?
そりゃアカン!でしょう。(↑日本史に限らず、今までよくわかってないまま歴史上の人物をたくさん描いてきてしまった。これは秦の始皇帝です)
イラストレーターとしてのデビュー作が童門冬二さんの新聞小説『小説 小栗上野介』の挿絵だったので(当時私は29歳、一回2千円のトホホな画料)、幕末〜明治はそんなに知らなくもないのだが、特に戦国時代以前、日本の中世となるとぜんぜんわかんない。
先日、最終回まで放送し、また同じ時間帯で再放送中の『オトナの一休さん』は室町時代の話である。
ちょうど応仁の乱の回を描いている頃に、呉座 勇一さんの『応仁の乱ー戦国時代を生んだ大乱』 (中公新書)がベストセラーになっていた。応仁の乱というのはなんだかよく分からないままだらだら続いた戦らしい…ということは知ってたので、この本を読めば、面白く理解できるのかも!と飛びついたものの、何度も途中下車したくなり、なんとか最後まで読んだが、歴史が面白い!という気持ちは一向に芽生えてこなかった。
後日、「芸術新潮」の私の担当者(れ)氏が『応仁の乱ー戦国時代を生んだ大乱』 を読みたいというので、差し上げた。
お礼でも言ってくれるかと思ったら、(れ)氏はわざわざツイッターで
〈話題の『応仁の乱』、「ちくちく美術部」を弊誌に連載するいのっち氏からの下げ渡し本にて遅ればせに読了。いのっち氏は、なかなか乱が始まらない、人名多すぎでその個性の書き分けもないとか低評価のアマレビューみたいな文句を言ってましたが、中世史の本ってそういうもんです。ベストセラーというの は本来の読者でない人が買うからベストセラーになるわけで、当然、ミスマッチ多発と推測。数ある中世史本の中では普通に読みやすく、普通に面白いと思います。現代人から見て感情移入できる登場人物がおらず、著者も冷静ですが、畠山義就にだけは微妙な好感を寄せている風なのもいとおかし。(れ)〉
などと書き込んで、私の浅はかさを世間に知らしめてくれた(リツイートされまくっていた)のだが、人から本をもらっておいてなんてことをしてくれるのだ。(↑これは(れ)氏が担当している「ちくちく美術部」。今月は江戸東京博物館の『没後150年坂本龍馬』展を取り上げています)
(れ)氏は美術雑誌の編集者だが歴史博士と言っても良いくらいに詳しい。私が歴史を勉強したがっているのを知りこんなメールをくれた。
〈ここ数年の中公新書では、『贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ』がやはり15世紀日本を扱っていて巻を置く能わざる面白さでした。でもまあこれも、伊野さんが読んで面白いかどうかは……〉
とまたもや、嫌味な一言を添えて、本を紹介してくれた。
実際読んでみると、的が絞ってあるので『応仁の乱』ほどは退屈しなかったが、”巻を置く能わざる”には程遠く、やはり私にとって歴史の壁は高いままなのだった。
そんな私を歴史好きにしてくれる救世主のような本がついに発売された。5月20日のことだった。
本の名は『秘伝・日本史解読術』(新潮新書)。著者は荒山徹さんである。
この本は新潮社のPR誌「波」で『歴史の極意・小説の奥義』というタイトルで連載されていたのをまとめたものなのだが、連載当時から私は「あ、なんか歴史って面白そう……」という気持ちになっていた。その感触が残っていたので、待望していたのである。
あらためて本になったものを読んでみると、これこそまさに”巻を置く能わざる”面白さだった。
ま、私の感想などより、ご本人の紹介文の方が的確だと思うので、ここに貼り付けさせていただきましょう(クリックするとデカくなる)。
〈特筆すべきは、解説をほどこした歴史時代小説の名作を縄文から幕末まで年代順に配置したことで日本史の流れがイッパツで概観できるようになった工夫でしょうか〉
とありますが、小説を読んで興味を持つというのはナイスな入り方ではないですか。考えてみりゃ、いきなり私が歴史学者の先生の論文みたいな新書を読んで面白いと思うのは相当にハードルが高い。
荒山さんがオススメする歴史小説を読んでいくのが、今年の趣味の読書の方針なのです(八木荘司『古代からの伝言』、杉本苑子『檀林皇后私譜 』、永井路子『王朝序曲』、三田誠広『桓武天皇―平安の覇王』、吉川英治『新平家物語』、津本陽『夢のまた夢』……)。
でもせっかくなので、まずは荒山さんご自身の小説を読んでみた。『白村江』(PHP研究所)です。歴史の授業で習ったあの「白村江の戦い」だ。はい、もちろんぜーんぜんよくわかってない。最初から、余豊璋とか金春秋とか聞いたこともない名前の人が出てくる。あ、蘇我入鹿は知っている。けっこう分厚い本なので、読み通せるか不安だったが、3分の1を過ぎるあたりから、またまた”巻を置く能わざる”状態になってきた。手に汗握る冒険小説だったのだ。
教科書で名前だけ知っていた「白村江の戦い」は今ではすっかり頭の中に映像で描ける。なお、荒山徹さんは『白村江』で第六回歴史時代作家クラブ賞を受賞されております。パチパチ!
そしてもう一つ付け加えるなら、荒山徹さんは私が2013年に講談社出版文化さしえ賞をもらった時の小説『長州シックス 夢をかなえた白熊』をお書きになった方なのです。

そしてさらに付け加えるなら、荒山さんは毎回「オトナの一休さん」の感想をツイッターで書いてくれるのです。だからって、お礼の意味で本を紹介しているわけではありませんよ。

さよなら、一休さん

Eテレ『オトナの一休さん』ついに最終回です。
第二十六則「さよなら、一休さん」。すでに確認用ビデオを見ているけれど、本放送を見てまたウルウルしちゃいそうだ。
史実の一休さんはとんち小僧ではなく破戒僧だった、くらいの知識はあったけれど、このアニメの仕事をはじめるまで、ちゃんと向き合ったことはなかった。
仕事がはじまったらはじまったで、〆切に追われる日々。なかなか一休さん研究も進まない。なにせ、一人でアニメのすべての絵を描かなくてはならない。ざっと数えると全26話で730〜740枚の絵を描いた。ラフスケッチと本番で使用した紙を積み重ねると、その厚みは30センチを超える。それなのに『オトナの一休さん』のウィキペディアでは、私はキャラクターデザイン担当ということになっていて(間違いではないんだけど)、なんか楽な仕事っぽい印象がするではないか。
確かに、ふつうの商業アニメは、キャラクターデザイン担当とそれを絵にするアニメーターは別な場合が多い。複数の人で手分けして描くためには、どうしてもキャラクターの顔を記号化する必要がある。

そして描線も個性を抑制したニュートラルなものでないと、描く人によってバラツキが出る。漫画家とアシスタントの共同作業で作られるタイプのマンガの絵にも同様の特徴が現れる。
『オトナの一休さん』は真逆である。もちろんキャラクターなのである程度は記号化はされているが、ドラえもんやのび太くんのように、モロに記号の絵ではない。だから、回によって一休さんの顔がマチマチ。自分でも以前描いたような顔に描けない(!)。振り返ってみると第一則「クソとお経」の時の顔が一番好きだ。一休さんだけでなく、新右衛門さんも養叟和尚も。まだ完全にキャラとして顔の描き方が決まっていないので、逆に表情に幅がある。私は何も進歩しとらんということなのか…。『オトナの一休さん』のアニメーターは絵を描いて動かすのではなくて、私の絵に動きをつける仕事をしてくれてます(特殊効果などでは描いてもらっている部分もある)。最終回担当は野中晶史さん。野中さんは第一則、シーズン1の最終回、応仁の乱の回など、要となる回を任されるアニメーターチームの隊長です。

先日、京都に行ってきた。一休宗純ゆかりのお寺、大徳寺の「真珠庵」と、通称「一休寺」という名前で親しまれる「酬恩庵」にようやく出向いたのだった。アニメを描く前に行っとけよ、という話ですがね。描き終えた今、ようやく私は一休さんに向き合えた。感慨深さもひとしおだった。
「酬恩庵」の一休さんの木彫は有名で、見るのを楽しみにしていた。写真は「別冊太陽」より。
で、実は「真珠庵」にも同じような木彫があってびっくり!
「一休寺」は誰でも拝観できるが、「真珠庵」は通常非公開(私は特権を使って「真珠庵」に入れるのだ、ハーハハハ!)なので、木彫の存在がそんなに知られていないのだろうか。
びっくりしたのは、「真珠庵」の一休さんには髪の毛があったことだね。

写真は至文堂発行「日本の美術 頂相彫刻」より。


「酬恩庵」の一休さんの木彫も、元は髪の毛や髭が植え込んであった。しかも一休さん本人のものが。今は穴だけ空いている。
「真珠庵」の一休さんの木彫は獣毛が植えてある。何の動物の毛だろう?
あなたはどちらの一休さんがお好みですかな?
さて、番組のホームページを見ていただくと、驚きの事実が!
最終回の次の週から、同じ時間帯で、第一則から再放送が始まるのだ。Eテレ得意の再放送でまたまたお楽しみください。

『オトナの一休さん』はループする!