伊野孝行のブログ

私の一瞬芸人志願

中学1年生の時だった。漫才師になりたいと思った。急にそう思いつめた……わけでもなくて、「笑い」は何年も前から私のスペシャルなものだった。

小学4年生までの私は、勉強は中の下、運動は下の下で、目立たなかった。当然、学校生活はつまらなく退屈だった。
人間の友達と遊ぶより、虫を捕まえたり、魚を釣ったりすることの方が好きだった。
海に突き出た堤防で、一人で釣り糸を垂らして、静かな波の間に浮き沈みするウキを見ていると、学校で閉じていた心が遊ぶのであった。
また、魚や虫のカッコイイ形に比べて、人間というのはなんてカッコワルイ形をしているのだろう、と思った。
ところが小学5年のクラス替えで、Y君という友達と仲良くなったことをきっかけに、私の学校生活は急に楽しくなった。
Y君はハンサムで、マンガのキャラを描くのも得意だった。何よりも運動神経が抜群に良かった。そんなクラスの人気者のY君は、どういうわけか私に強い興味を持った。
Y君は毎朝私の家に迎えに来るようになった。私の家は学区域の一番遠いところにあり、私の家から学校に行く途中にY君の家があるにもかかわらずだ。
(ただ仕事の絵だけを載せるのも愛想がないと思い、いつものごとく無理やりに自分の思い出話を書いてます。今週アップする絵は、日本農業新聞で連載中の島田洋七さんの自伝エッセイ『笑ってなんぼじゃ!』の挿絵です。しばらくは少年時代なので『佐賀のがばいばあちゃん』の世界です。挿絵の後に、思い出話の後半があります……えっ?)
Y君は私を「おもろい」と言った。
まったく意外だった。Y君のおかげで私は、自分が時々おもしろいことを言う人間だということに気がづいた。さらにY君は「うまいなぁ」と言って私の描いたマンガの絵を褒めるのであった。
休憩時間にみんなでボール遊びをする時にはこんな具合だ。
チームわけをしなくてはならない。通常は運動神経の良い二人がリーダーとなって、交互に戦力になりそうなヤツを選んでいく。私はいつも一番最後の残り物だったのだが、リーダーであるY君はいつも一番先に私を指名した。他のクラスメートが不思議な顔をしてY君を見つめた。
そんなに私のことが好きなんだ!と驚いたが、その愛の確証は私の気持ちを強くした。
ある日、私は「今日はドッヂボールやなくて他の遊びがええなぁ」と言ってみた。
するとY君はすぐさま賛成してくれて、他のみんなもそれに従った。私の意見が通る。画期的なことだった。
そんなわけで、私は虫や魚との付き合いをやめて、人間たちと付き合うようになった。Y君が私のことを宣伝してくれるので、クラスの中でもだんだんと存在感を増して行った。自分は案外目立ちたがり屋の性格なのもこの頃知った。ついには学級新聞のアンケートにおいて私は「ひょうきん者部門」第1位に輝いた。
中学に上がり、Y君ともクラスが離れ、だんだん疎遠になり、私は元の地味な生徒に戻って行った。また学校が退屈になった。
虫や魚にはもう興味がなかった。心が遊ぶのは、テレビでお笑い番組を見ている時だった。
「芸人になりたいなぁ……」
ちょうどその頃、街のスーパーマーケットの開店イベントがあり、本物の芸人がやってきた。オール阪神・巨人と月亭八方と、あともう一組いたが、今となっては思い出せない。
芸人になりたいなんてことは友達にも言えず、当日は一人で見に行った。人垣の後ろから、背伸びをしながら、漫才と落語の舞台を見た。地方営業にも手を抜かないプロの仕事に非常に満足を覚えた。そしてまた一人で自転車に乗って帰った。
その夜、布団の中で「やっぱ、芸人になるのはやめよう、無理だ」と思った。厳しい修行にとても耐えられない。第一どうやって芸人になるんだ。ぼんやり憧れていた自分が恥ずかしかった。
以上、ハシカにかかったような私の芸人志願期間についてである。おわり。

スカーフと一休さん

みなさんGWいかがお過ごしですか?

私は今まで一度も有給休暇というのをもらったことがありません。バイト時代も今も、休みの日=無給なので、働かなくても金がもらえる有給休暇に憧れています。

一度だけ有給休暇がもらえるチャンスがありました。

10年ほど前キンコーズで半年だけバイトをしていた時のことです。キンコーズはちゃんとした会社なのでバイトにも有給休暇がつくことになってました。キンコーズは当時、求人をある人材派遣会社に委託していたので、私はキンコーズで働きながらも、その人材派遣会社からお給料をもらっていました。労働条件はキンコーズに直接雇用されている人と全く同じでした。

やっと半年が過ぎ、有給が5日ほどつくことになったので、どう使おうかと、楽しみにしていました。ところが、ちょうどそのタイミングで、キンコーズとその派遣会社は契約を解消してしまったのです。

派遣会社から電話がかかってきました。

「もちろん、伊野様には引き続き、キンコーズ様で働いていただけるのですが、そうすると伊野様とキンコーズ様とで再度契約を結んでいただくということになります」

「はぁ……ってことは今まで半年間働いて、やっと有給休暇がつくことになったんですが、それも白紙に戻るということですか?」

「そうですね。そういうことになります」

「え〜!私、有給休暇だけを楽しみに働いてたんですけどぉ〜」

というわけで、有給休暇はまぼろしと消え、ムカついたのでキンコーズを辞めてやりました。

さて、主に関西方面の方にお知らせです。

「しあわせのスカーフ」展

ウラン堂ギャラリー & galerie6c 合同企画展、30人のクリエイターによる正方形のメッセージ。苦楽園口駅前の2つのギャラリーを巡って楽しむ「しあわせのスカーフ」展というのに参加します。2017.5/10wed〜5/28sun

「しあわせのスカーフ」展はコチラ!

これはスカーフのデータ。古代中国をモチーフにしております。これはバンダナ。茂田井武をモチーフにしております。どっちも絵は使いまわしですけども。これは去年のマン・レイのスカーフとゴッホのバンダナ。

「ウラン堂」さんは『画家の肖像』の巡回展をやらせてもらったギャラリーです。

さて、『オトナの一休さん』見てますか?

友達も「あ、ごめん、最初は見てたけど、最近は忘れてた」とか「え、シーズン2もやってるの?」とか油断がならねぇ。

シーズン1は時系列にあまり関係なくエピソードを並べていましたが、シーズン2は時系列に沿って話が進むのです。だから1回たりとも見逃してはならないのでございます。

今日(5月2日)も夜10時45分から放送されるよ!今回は一休は兄弟子の養叟とマジで大喧嘩します!次週は、そんな兄弟子の養叟が死んじゃう!再来週はいよいよ応仁の乱がはじまる!これは見逃せない!でも5分間番組なので普通は見逃してしまう。だから毎週録画してね〜。

オトナの一休さんはコチラ!

 

最近の挿絵

25、6歳の頃、時代物専門の挿絵画家になると決めた。

その頃時代物を描こうなんていう若者は極めて稀であった。

しかし、自分で決めただけで、仕事はいっこうに来なかった。

無聊をかこつ間に出版界には時代物ブームが訪れ、「それ見たことか」と予想が的中したことに得意であったが、悲しいことに自分はその時代物ブームの波には乗っていなかった。

「あぁ、オレの目論見は見事失敗に終わったことよ…」と時代物ブームの大波を見ながら、砂浜で蟹と戯れているような日々が15年近く続いた。

あの蟹と戯れていた不遇の時間が、コチコチの挿絵画家志望からよろずなんでもイラストレーターへと変態をうながしたわけで、今となっては絶対に必要な時間だったわけだ。しかしいつ報われるともわからない日々の中で「いつまでオレは蟹と戯れてりゃいいんだ!カニめ!カニめ!カニのバッカヤロー!」と我慢しきれず、叫んだものである。

いや、カニはさっき思いついた例えなので、カニのことは叫んでいない。それにこの苦労話は何度も書いたので自分でも飽きているのだが、「無聊をかこつ」という最近知った言葉を使いたくて、つい書いてしまった。

というわけで、いろんな仕事をいただいていても、やっぱり嬉しい時代物挿絵なのだ。小学館の「STORY  BOX」で連載していた谷津矢車さんの『しょったれ半蔵』が最終回を迎えたので、今週はその挿絵と、他に単発物、そして今度から始まる新聞挿絵のお知らせです。

ブログに載せる時に、気に入ってない挿絵は省いてしまうのが常だが、この『しょったれ半蔵』はギリギリ全部オッケーということにしておこう。めずらしいことだ。いいことだ。

ところで、あのぉ、ええっと、この雑誌さぁ、イラストレーターのクレジットが小さすぎない?…。欧文なのはいいとしても。
名前がデカいと格好悪いのか?一応こちらも自分の名前を売って商売をしているフリーランスなんである…。この小さい欧文の名前を見ていると、自分たちの仕事の境遇を思い知らせれるようでちょっぴり悲しくなってくる。この件は書こうか書かまいか迷ったが、やっぱり書いてしまった。「オール讀物」に掲載された平岡陽明さんの『監督からの年賀状』の挿絵です。
このところ「オール讀物」で平岡陽明さんの短編が載る時は、挿絵を依頼されるようになった。作家とコンビのような存在になれるのは、挿絵をつけるものとしては望外の嬉しさがある。
平成の世を舞台にしても、良い意味で昭和な感じが漂う小説を書く平岡陽明さんは、私より絶対に年上だと思っていたが、プロフィールを読むと6つも年下なのに驚いた。四十も過ぎれば、もう年上とか年下とかもう関係ないみたい。年上な感じがする年下の人って、たのもしくていい。平岡さんとはお会いしたこともないのですが。
ちなみに私は32歳くらいで精神年齢がとまってしまった。「日本農業新聞」で島田洋七さんの『笑ってなんぼじゃ!』という連載が、昨日からはじまった。小説ではなくてエッセイなのだが、新聞小説の欄で掲載される。
「日本農業新聞」が毎日送られてくることになったので、今までとっていたA新聞をやめてしまった。最近新聞も全然読めてなくて…。
「日本農業新聞」は〈青森県 ナガイモ首位奪還へ〉〈JA場所 満員御礼〉といった記事が満載で、これだけ読んでいても世の中のことはわからない。いや、かえって特定の視点から眺めた方が、世の中のことがよくわかるかもしれない。

風刺画嫌い、パロディ嫌い

「シャルリー・エブド襲撃事件」があった数日後だった。

面識のない某女性週刊誌の男性記者から電話があった。

内容は『The New York Times』に掲載された安倍首相の風刺画についての感想と、風刺画が日本に与える影響について、意見を聞きたい、ということだった。
何より驚いたのは、私のところに電話がかかってきたことだ。私は新聞や週刊誌などで風刺画を連載をしているわけでもないし、もろに風刺画っぽいものも、たまに仕事で頼まれて描くくらいだから。
たぶん、「風刺画 イラストレーター」とかいう検索ワードでひっかかったのかな。
電話取材では何と答えたか忘れてしまったし、結局、その記事は編集の都合で掲載されることはなかったのであった。
今回アップしたオバマとトランプの絵も、風刺画ってほどのものではないが、当然頼まれ仕事である。図にするとわかりやすい「ZUNNY」というサイトのために描いた絵です。4月いっぱいはサイトで読めるらしいです。
私は風刺画なんてもともと興味なかった
風刺画と呼ばれる絵はみんな古臭い気がしたし、そういうものしか知らなかった。風刺画が嫌いというより、風刺画のビジュアルに好きになれるのが少なかった。
絵のニュアンスの問題だと思う。
おちょくるのも、ふざけるの好きだけど、ただ、批判が前面に出ているだけっていうのは、あんまり好きになれないなぁ。
思わず笑っちゃって、後で考えたら風刺にもなってるんだなぁ、くらいが個人的には好き。ようは面白ければいいんだけど。
自分の絵が風刺画に向いていると言ってくれる人もあり、いつの頃からか意識しだすようになった。
※これは風刺画か?ただふざけて描いた、銀座の文豪である。
※これは風刺画か?雑誌のアンチエイジングの特集のために見開きに描いた。意図していないが、すごく嫌味な絵でもある。
※これは風刺画かもしれない。「日本美術における戦後民主主義とは何だったか?」というテーマのコラムに描いた絵だ。吉本隆明の「共同幻想論」は読んだことはない。
※こういうのがいわゆる風刺画だろう。
さて、風刺画のお次はパロディといこう。
先日東京ステーションギャラリーでやっていた『パロディ、二重の声  日本の一九七〇年代前後左右』を見て、パロディで面白いことをするのって難しいんだなぁ、とつくづく思った。
展覧会には、寄席にブラックジョークでも聞きに行くつもりで出かけたのだが、肩透かしをくらった。
長谷邦夫さんのパロディ漫画『色ゲバ』(ジョージ秋山と谷岡ヤスジの漫画のパロディ)があったんだけど、これが……ぜんぜん……面白くなくて……。
しかし、赤瀬川原平さんのつげ義春「ねじ式」のパロディ『おざ式』は感動的に面白い!ほんとうに素晴らしい。ますます大尊敬だ。伊丹十三さんがレポーターをつとめる「アートレポート」という美術番組が見れたのもラッキー。和田誠さんの言葉はいつもわかりやすくて、本質をついている。ステーションギャラリーのパロディ展は、面白いパロディを集めた展覧会ではないから、「あんまり笑えないじゃん」と言って文句をつけるのはお門違いではある。そのへんのところは、発売中の芸術新潮の小特集でキュレーターの成相肇さんが語っておられるのでお読みください。
これらの絵は成相学芸員が出品作のパロディの格好をして解説をしている絵で、たいして面白くないパロディです。どうもすいません。
ちなみに成相肇さんは似顔絵が描きやすい顔なのだが、気を悪くされておりませんでしょうか。
しかし、同業者としては、パロディや、ナンセンスや、風刺画というのは美術のお笑い部門なのだから、笑わせられなかったら負けだぜ……なんていう眼でどうしても見てしまうのである。
実は私はパロディも嫌いだった
『画家の肖像』の絵を描いている頃(2010年)だった。いろんな画家の肖像を描いていると、どうしてもパロディになってしまうことが避けれれない。「わ〜なんかパロディみたいなだなぁ、ヤダヤダ」と思いながら描いていた。パロディはすでに終わったジャンルのように思っていた。
まず、パロディは、一目見て何のパロディか分からなければいけない。しかし、これがクセモノだ。
たとえば、ゴッホの絵をパロディにするとき、ゴッホのタッチのままで何か他のものを描けば、パロディになるけど、それがそんなに面白いの?という話だ。それだけでは面白くない。
「一目見て何のパロディか分からなければいけない」とされるパロディは、宿命的に頭の中で作品の因数分解が簡単にできてしまう。面白さの内容が割り切れると、面白さは瞬時に消えてしまう。
パロディ絵画は言葉に置き換えやすいので、そこがつまらん。
面白い絵を見たとき、それを言葉で伝えるのはとてもむずかしい。頭と体の中にはおもしろさが充満しているのに、なかなか言葉に置き換えられない。きっちり説明ができないからこそ魅力的なのだとも言える。言葉に変換できないものこそが絵の本質だ、と大見得切ってもいい。
だからパロディで面白いものを作ろうとしたら、言葉で簡単に置き換えられないニュアンスをどんだけ込められるかだと私は思った。
これらは『画家の肖像』で「パロディみたいでヤダヤダ」と思いながら描いた絵だ。
炎の画家、狂気の画家、といったイメージを裏切るような安らかな眠りの中にゴッホはいる。『星月夜』は、私にはやさしい静かな絵に思える。ゴッホもいい絵がかけた時は満足して眠った夜もあっただろう。私はゴッホの絵を見て、狂気よりも慰めや癒しを感じる。
高橋由一はニッポンの油絵レジェンドなのだが、描くものがヘン。吊るしたシャケ、ブスな花魁、豆腐と焼き豆腐と油揚げを並べて描いたり……。何を描くがものすごく重要ということをレジェンドはわかっていらっしゃる。というわけで考える画家、高橋由一の肖像だ。決して今晩のおかずを考えている江戸時代の料理人ではない。
『階段を降りる裸体』から『泉』まで一気に現代美術の歴史を進めた大天才デュシャンも小便は我慢できなかった。イエスも釈迦も小便は我慢できなかった。
これらの絵は自分ではパロディと思って描いていない。画家や作品の感想文を、絵で描いているつもりなのだ。結果的にパロディのように見えるなら仕方ないし、あえてムキになって反対する気もない。
パロディが面白くないのは、パロディをしようと思って作るからではないか……そんな気もする手前味噌。
ひょっとして、宣伝?……そうだよ、そうだよ、パロディを超えた絵による絵画論、拙著『画家の肖像』を宣伝するために、ここまでブログを書いてきたのだよ。なんかまだ在庫がいっぱいあって、版元の住居を狭くしていると聞いたから。Amazonでポチれるらしいので、たまには宣伝しようと思いましてね。1冊くらい売れてくれとる嬉しいのですが……。
おわり。

長沢節と美少年

このブログは自分礼賛、自慢話をするために開設、更新されております。

あなたは美少年、もしくは美少女と呼ばれたことがありますか?
わたしはあります。ただ一人の人だけに。
美少年……なんて心をうっとりさせる甘美な響きでしょう。
でも、わたしは世間一般で言うところの美少年とは程遠い顔です。
そういえば、小さい頃、全盛期の郷ひろみがテレビに映るたび、「あんたの方が男前やに」と母親はわたしに言い聞かせていたので、小学校の高学年くらいまでは全くコンプレックスも持たずに育ちました。
単なる親のひいき目に過ぎなかったことは、思春期になって、他人をよく観察しだすと一目瞭然なのでした。
デコチンで眉毛がぼんやり薄く、目も小さいし、美しい鼻梁があるわけでもなく、たらこ唇で……と数え上げればきりがなく、おまけに中学に上がると度の強い眼鏡をかけるようになり、顔じゅうにはニキビができて……高校生になって念願のコンタクトレンズにして、ニキビもおさまりましたが、それでも地味な顔であることには変わりありません。ところが、大学卒業後、セツ・モードセミナーに入学すると、事態は急変!なんとわたしは美少年と言われたのでした。それも世界中の美少年と美少女しかモデルに選ばない画家、長沢節にです。
長沢節好みの美少年とは?
ちょうどわたしがセツに入学した頃、地下鉄サリン事件が起こり、連日テレビにはオウム真理教の幹部たちが出ていました。
カリスマ校長であった長沢節先生は「セツがオウムみたいだって言ってる人もいるらしいよ。プッ!バカみたい」と生徒たちが腰かけているテラスのベンチにやってきて、生徒の耳をひっぱって笑っていました。
そして「麻原はブタみたいだけど、幹部はみんなカッコイイね〜」と言うのでした。
映画の本も何冊も出している先生には、ひいきの俳優がいるわけですが、例えば日本人で言うと、寺田農や小倉一郎といったところが先生の好みなのです。トシちゃんもいいと言っていました。
顔の好みもあるのかもしれませんが、なんと言っても、それ以前にゴツゴツとした骨美や華奢で筋ばった肢体を持っていることが条件なのです。長沢節好みの美少年とは顔じゃなくて体のことだと言っても過言ではありません。ちなみにヴィスコンティの「ベニスに死す」に出てくる美少年アンドレセンみたいなのは気持ち悪くて嫌いだと言ってました。
この辺りが世間の美少年観と大きく違うところです。「あなたはセツに行ったらきっと長沢先生に気に入られるわよ」と友人に言われてセツに入ったものの長沢先生に見向きもされなくてがっかりして学校辞めちゃった美少年が今までに何人もいた……らしいですが、きっと彼らはいわゆる美少年だったのでしょう。入学を推薦した人も誤解をしています。男らしい筋肉隆々とした肉体美とは程遠い、貧素な体がセツでは神に選ばれし肉体ということになるわけですから、わたしのコンプレックスなんかいっぺんに吹き飛びました。絵を描くことを教わったという以上にわたしは人生を救われたのです。
……という出来事が今から20年前にありました。セツでモデルのバイトをしていたことも今は昔の物語です。53キロだった体重も今では7キロも増え、天国の長沢先生にあわせる体がありません。死ぬ時には体重を元の53キロに戻しておかねばなりません。
そんな風に今の自分を反省したのは、ちょうど現在、弥生美術館で長沢節展をやっているからです。
 先日、展覧会に行ったら私がモデルをした絵が5点も出ていました。
1点くらい出てたらいいなぁ、とは思っていましたが、予期せぬ大漁に「あ、これオレ!」「ねぇちょっとこっち来て、これとこれとこれとあれもオレ!」と一緒に行った友人たちに自慢しまくりました。
一緒にいた友人の中には長沢先生最後の大お気に入り美少年(先生のお別れ会で弔辞も読んだことのある)村上テツヤ君もいました。彼のデッサンは1枚も出ていない。わーははは、勝った……!と思いましたが、まぁ、これは学芸員さんのチョイスなので、長沢先生が選んだわけではありません。しかし気分がいいものです。
わたしはチビなので、長身の人がポーズを取った時に出るダイナミズムが自然には生まれません。だからポーズにはいろいろな工夫をしました。なるべく360度どこから見ても、描きたい体の線が発見できるよう、部屋の姿見で研究したものです。
「お!いい線でてるぞ!描かなきゃ損だ!」と先生に言われたくて必死に頑張りました。
先生は一回の授業で、普段は2、3ポーズ、興が乗れば5、6ポーズもデッサンをとります。そしてデッサンを自慢げにパチンパチンとマグネットで黒板に止めて教室を出て行くのですが、わたしはなるべく先生が描く枚数を多くしたかったのです。とっておきのポーズは先生が教室に現れてから披露しよう、などと考えていました。ワンポーズ10分なのですが、大きく体をひねったり、腕を上げたりすると、体が悲鳴をあげて、プルプル震えがくるのです。でも先生のために頑張りたいのでした。
それが立派な長沢節信者のとる行動でしょう。ま、先生が教室にいないときでも頑張ってましたけどね。
ちなみにポーズの良し悪しは、自分がデッサンを描く側に回るとよくわかるのです。
(前略)服装は女と共通のTシャツと白いコットンパンツだ。ボトムのすそをまくり上げて、女より細い脚からは思いがけなくもすね毛が生えてるので驚いた。それが骨の鋭さと妙にマッチして、とてもセクシーだったのである。
今までの行儀のいい男なら、人前でこんな格好をしないだろうに、この男は自信に満ちてスニーカーのかかともふんづけていた。
切れるような細長いアキレスけんを誇示してるのだろうか?とがったくるぶしの骨とでつくりだす溝の谷間の陰影が深く美しい。
今まで気付かなかったが、アキレスけんへ続く玉ネギみたいなピンクのかかとというものが、こんなに魅力的なものだったとは!いきなり触ってしまいたいほどのかわいさではないか! 
もしここに靴ダコでもできてしまったらもう大変……。パウダーやアイシャドーをうまく使って、丁寧にメーキャップした方がいいと思う〉
(『節のヤングトーク』より 共同通信社より配信 1998年)
文章(展覧会図録に収録されている)を書き写しているうちに恥ずかしくなってきました……。このエッセイは授業中に描いたデッサンを元に、先生が連載のために後でつけたものですが、くるぶしやらかかとやらを絵と文章でこんなに魅力的に見せてくれた人がいたでしょうか(このデッサンは右肘のゴツッと出っぱった感じもウマい!)。長沢節に発見されなかったら、わたしのくるぶしもかかとも靴下の中に隠れたままだったろうし、スニーカーのかかとはふんづけていませんでした。
展覧会場でデッサンを見ながら「このポーズも先生のモチーフになりきりたい一心でとったんだよなぁ……」と昔の記憶が蘇ってくるのでした。
今ではポーズをとる筋力も体力もなく、腹は出てるし、身体中に情けない中年の哀れな感じがまとわりついています。そしてもちろん美少年ではありません。地球上で唯一わたしのことを美少年と言ってくれた長沢節先生は1999年に自転車事故で亡くなりました。その時点でわたしはただの冴えない男に戻ってしまったのです。お腹の周りの肉は完全に自己責任です。
先日展覧会を見に行った時も、セツ仲間と大いに共感しあったことがありました。長沢節に出会って以降、長沢節以上に変わった人に出くわさないってことです。その素晴らしい変人っぷりは、生身の先生に直接会った人でないと感じ取れない部分が多く、先生の文章と絵だけでは実はあまり伝わらない気がするのです。そこがファンとしては悔しいのです。
ただ、数ある長沢節本の中に散見される「先生があんなんことした、こんなこと言った」というしょうもないエピソードはどれも抜群に面白く、そんなところに人柄が濃厚に現れていると思います。
たとえば、こんなところにも。
〈長沢先生と学校近くのラーメン屋とか行くとですね「おマエなんにする?オレもやしそばとギョウザ!」とか屈託のない大きな声で言ったりするのです。ちょっと苦笑いしてしまいます。そして、その辺に置いてあるラーメンのしみのついた『週刊平凡』なんかをペラペラめくって、タレントの写真を見ながら「あっ、オレこれ好き!」とか「これ、キライ!」とかやはり屈託のない声で言ったりするのです。まるで女子中学生です。見かねて「先生ちょっと恥ずかしい……」と小さな声で言うと「あっ、そっか、ごめんごめん」と素直に謝るのです。そんな天真爛漫な長沢節先生のことを思い出すと本当に懐かしくて仕方ありません〉峰岸達さん『長沢節 伝説のファッションイラストレーター』河出書房新社刊より。
〈長沢先生が、試写に行くから一緒に行こうよ、なんて誘ってくれるの。着替えてるから待ってろって。で、降りてくるとピンクのコーデュロイのスーツにロングブーツでしょ。パンチやメンクラに出てはいても、こんな奇抜な服、着るバカいないよな、と思うようなファッションじゃない。それで威張って歩くんだよね。地下鉄に乗ると、バーッと走って空いてる席とったりさ、ヘンなんだよねェ。この人はほんとうの変人だ、と思いました。最初は理解できなかった。
それがじきに、馴れるなんてもんじゃない、オレもセツ風のヘンな人間になりたいと思った。前に絵を習ってたのは受験のための絵の学校だったけど、セツはまるでちがう。遊びを勉強させてくれる学校なんだよね。人の家へ遊びに行って朝まで喋ってるなんていうようなことが、信じられないくらい楽しかった〉早川タケジさん。『セツ学校と不良少年少女たち』じゃこめてぃ出版刊より。
人を惹きつけてやまないカリスマ性はきっとこんなところにあるのではないかなぁ。あとお得意のチンポコの話とかね。そしてたまに人を凍りつかせるようなことも言ったり……だから、わたしは長沢節小話をなるべく多く採集、編集して文献に残すことが、これからの長沢節研究と後世のファンのために必要だと思うし、なんと言ってもわたしがそれを読みたいのです。せつに。
実は、webの「チルチンびと広場」というところで「私のセツ物語」というコーナーがあります。一昨年の展示「ぼくの神保町物語」で、長沢節先生との思い出を書いたわたしの文章をお読みになった、Mさんが思いついた企画だそうで、わたしも一文を寄せています。ここでもセツ小話が聞きたいと呼びかけています。というわけで、卒業生の皆さん、Mさんから頼まれたら是非セツ小話を書いてくださいね〜。

オトナの一休さん2

本日4月4日(火)22時45分から『オトナの一休さん』のシーズン2がスタートします!シーズン2は二枠あって、放映日時は毎週火曜の22時45分毎週金曜の11時45分です。ついに健全なお昼の時間帯にも進出したわけです。

シーズン1が放映される前には、LINEニュースをはじめ各ネットニュースに取り上げられたり、ホリエモンがいいねと言ってくれたり、関係者一同、狂喜乱舞したものですが、シーズン2直前は静かなもんですねぇ……ていうか、宣伝が「他力本願」ですなぁ、仏教だけにね……。

というわけで、誰も見ていないに等しいこのブログでもガンバって宣伝いたします。

シーズン1では、如意庵の住職を請われた一休宗純が、商人たちとズブズブになっているお寺の実態に嫌気がさし、たった十日で住職をやめ、旅に出てしまうところで終わりました。

あれから半年後……狂った風とともに一休宗純は来たりぬ!(第十四則「帰ってきた一休さん」より)
シーズン1で憎めないクソジジイっぷりを見せつけてくれた一休和尚ですが、シーズン2でもそれは相変わらず。でも、室町という時代は、いま大流行のあの「応仁の乱」が待っています。
中公新書のベストセラー、呉座 勇一著『応仁の乱 – 戦国時代を生んだ大乱 』はすでに28万部を突破し、20秒に1冊売れている!と、このまえ電車の広告で見ました。お読みになりましたか?
かくいう私もその1冊を買った者です。ちょうどタイムリーに『オトナの一休さん』で応仁の乱の絵を描くところでしたから。
しかし、自分に歴史の知識がなさすぎるのか、『応仁の乱 – 戦国時代を生んだ大乱 』は大乱が始まるまでの文章がちょっと不親切で、よく分からない固有名詞や、似たような名前がポンポン出てきて、名前も最初はルビがふってあるのですが、次のページからはなくなってしまい、なんという読み方だったかわからなくなり、余計に頭に入ってこない。でも文章自体は読みやすく、ツルツルと読めてしまう。ハタと気づくと何も理解できていない……という具合で、何度か途中下車してやろうかと思いましたが、我慢して読みました。その甲斐あってか、大乱が勃発した後は、わりと面白く読めました。
他の「応仁の乱」の本と読みくらべたわけでないので、この新書がどれほど画期的なのか、自分ではよくわかりません。
それでも、一休宗純が生きた時代がどんな時代だったか、その一端をうかがうことはできましたし、読んで損ということは絶対になかった。ただ、これがなぜそんなにベストセラーになっているかわからなかっただけで……。
という話がしたかったわけではないのです。『オトナの一休さん』シーズン2ですよ。
シーズン2では、親しい人たちとの死別、先ほど言った「応仁の乱」による世の中の混乱、一休自身の老いなどがからまりつつフィナーレに向かっていくでしょう(まだ絶賛制作中です)。でも一休さんは人目を気にせず笑ったり、泣いたり、怒ったり、自分がわからなくなったり、恋に落ちたり……あの調子でやってますので、最後までお付き合いのほどよろしくお願いいたします!
(第十四則「帰ってきた一休さん」)より(第十五則「一休、自殺を図る」より)(第十六則「一休さんは強がり坊主」より)
登場人物・キャスト
一休宗純(いっきゅう・そうじゅん)=板尾創路/養叟宗頤(ようそう・そうい)= 尾美としのり/蜷川新右衛門(にながわ・しんえもん)=山崎樹範/弟子たち/=夜ふかしの会
スタッフ
作 ふじきみつ彦/絵 伊野孝行/アニメーション 野中晶史 飯田千里 幸洋子 円香/音楽 大友良英 マレウレウ