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伊野孝行のブログ

時代風俗考証事典

先日、吉祥寺に眼鏡を作りに行き、待ち時間に「百年」という古本屋さんで時間をつぶしていた時、林美一著『時代風俗考証事典』を見つけて972円で買った。こんなに分厚いのにこの値段。IMG_2455この本の存在は前から知ってはいたが、事典だと思い込んでいたのと、「どうせオレは細かく描き込むタイプでもないし、時代考証もだいたい雰囲気出てればいいだろう」という思いから、探して求めることはしなかった。ところが、読んでみると、読み物として大変に面白い!

林美一さん(1922年 〜1999年)は浮世絵春画の研究家として、その名は知っていたが、脚本家修行までやっていたとは知らなかった。なんでも、子供の頃から時代もの好きで、古典趣味から文楽マニア、江戸文学マニアに走り、果ては時代小説作家になろうと考えたり、時代映画のシナリオライターになろうとして大映京都撮影所に十年余りいたこともあるそうだ。

林美一さんは、昭和43年にテレビドラマ『伝七捕物帳』の時代考証を頼まれる。これが時代考証の最初の仕事だ。
この本が面白いのは(といっても、まだ5分の1くらいしか読んでいないが)実体験に基づいた努力と苦労が書かれているからで、そこが他の時代考証本とは違うところだ。
〈そもそもドラマの時代考証とは一体なんであろうか?この言葉を初めて使ったのは、どうやら大正十五年に、溝口健二監督が日活で酒井米子主演の『狂恋の女師匠』を撮ったとき、小村雪岱画伯が髪や衣装のデザインをしたのを、時代考証と名付けたのが最初だというが、くわしいことを知らぬ〉
おっと、読み進めていたら、我らが小村雪岱の名前が出てきたぞ。小村雪岱や木村荘八は映画の時代考証もやっていたことは知っているが、そのしょっぱなにいたとは。
〈それにしても実に奇妙な肩書きだと思う。初めの考案者はそんなつもりではなかったのだろうが、何しろ「考証」というのだからひどく堅苦しい。一分一厘の誤りもゆるがせにしない、コチコチの学問的なものを感じさせる。考え出したのが映画界であるから、多分に作品に権威づけるためのハッタリもあったのだろうが、この考証という字句にとらわれて、全く融通のきかないことを言う人がある。学者にそれが多いのは、そのためである。例えば三田村鳶魚氏は「いずれの時代にしても、いかなる書き方であっても、時代ものでは、その時代にどうしてもないことがらや、あるべからざる次第柄は、何といっても許すことができない」といわれる。むろん三田村氏の時代に時代考証という考え方はなかったが、考え方としては同じである。この考えは学者としては当然そうあるべきことだとは思うが、フィクションである小説やドラマに対して言う言葉ではない〉
三田村鳶魚は江戸学の始祖で、この人の仕事なしに江戸の時代考証はない、みたいな方だが、三田村さんが吉川英治の『宮本武蔵』に対して、「慶長に蕎麦はない」などと色々と手厳しく考証的批評を加えたことがある。

ところが、吉川さんは版を重ねる時も、いっこうに誤りを訂正しなかった。予算やスケジュールに振り回される映画やテレビと違って、筆一本で直せる小説であるにもかかわらず。それがいいのかよくないのかは、「宮本武蔵」をちゃんと読んだことのない私にはわからないが、学者の態度で時代考証にのぞまれてはやるせない部分はあるだろう。
映画やテレビの時代考証は大がかりだけど、小説は筆一本で直せる……挿絵も小説と同じく筆一本でどうとでもできるわけだ。ギクッ!

視聴者からの投書というのもこの本には紹介されている。時代考証的にはもっともな指摘だとしても、例えば『伝七捕物帳』みたいに、そもそも岡っ引きが江戸の町のヒーローという設定自体ありえないわけで……時代考証はどこを基準とすれば良いのだろう。そのあたりの林美一さんと投書のやり取りも面白い。
小説、ドラマ、映画はすべてそういった矛盾を抱えているし、現代に時代物を作る意味というものは、その矛盾の中にも見つけられそうだ。
(前略)近代演劇のリアリティとはそういうものなのである。いかにお芝居を本物らしく見せるか、というだけのことだ。だから事実の忠実な記録よりも、フィクションである小説が、より忠実に事実を再現し得ることがあるように、時代考証もまた、忠実な過去の時代の再現のみが方法ではなく、ドラマに合致したフィクション的考証が要求されてしかるべきだと思うのである。
事実どおりの過去の時代の再現なんて、絶対にできるものではない。 
できないとわかっているが、わかりながらも、それをできるだけ効果的に本当らしく見せようとする考証的な技術、それがドラマの時代考証ではないか、と私は思うのである。もちろんフィクションの基礎となる事実の調査は徹底的にやらなければならないが、それをそのまま再現しろというのでは、ドラマの時代考証ではない〉
さっき言ったように挿絵の場合、筆一本で描けるが、逆に言うと俳優も演技もセットも照明も小道具も……すべて一人でやらなくてはいけないので、本当の時代ものが描ける人というのはごくごく限られている。
もちろん、私はぜんぜん描けていない!ぐわはははは!雰囲気は出したいと思ってるんですけどね、雰囲気は。小説の持っている雰囲気とその時代の雰囲気。でも、時代考証的なことでいうと、かなりいい加減だと思います。
まぁ、編集者もそれを指摘できるわけじゃないから、今の挿絵はデタラメが野放し状態かもしれません。
というわけで、この本を読んで、ちょっと時代考証の勉強でもしてみようかなという気になったから、こんなにツラツラ書いたのだ。
もう、この本は読む端から冷や汗が流れてくるのである。例えばこんなところに。
〈私は時代劇の考証の尺度を、いつも燗徳利の有無によって知ることにしている。どのドラマにも飲食の場面が出ないことはまずないから、一ばん判定に便利だからだ。燗徳利は後で述べるように、一般に普及しだしたのは江戸時代も末期の天保の末頃だからである〉
〈現在映画やテレビで作っている時代劇はほとんど燗徳利一点張りだが、その点すべて間違っているということになる。その燗徳利も第二十九図のように口の広い(原文ママ)素朴なものが良いが、大抵は口に猪口をくっつけたような第二十八図の燗徳利である。この徳利は戦後昭和二十八〜九年頃から、にわかに流行りだしたものであるから、時代劇はもちろん、昭和物でもこれ以前の時代には絶対に使ってはいけない〉

FullSizeRender丁寧にいい味のカットまで入っている。
カットに添えられた文章には「口の太い」とあるから「第二十九図のように口の広い素朴なもの」というのは誤植だろうか。
確かに、手持ちの資料を調べてみると、燗徳利が普及した江戸時代末期に描かれた国芳一門の浮世絵、明治初期の写真、ビゴーのスケッチに出てくる燗徳利はみなこの形だった。
そして、私は今までこの描いてはいけない方の燗徳利ばかり描いていたのだ!ホラこの通り。
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ちなみにテーブルのようなところで酒を飲むのも思いっきり時代考証違反なのだが、これはわざとそうした。子供向けの読み物で、狐が化けたりと内容がハチャメチャだったので、上がり座敷や縁台で飲み食いさせると、ちょっと渋すぎる絵面になるような気がしたから。
でも燗徳利はわざとではありません。完全に間違えてました、はい。
テーブルで間違えてるのは時代劇でもよくあるが、挿絵の名作にもある。山本周五郎『さぶ』の佐多芳郎の挿絵がホラ。
IMG_2525でもこれはもしかして小説にそうあったのかもしれない。ただし燗徳利は正しい。
で、次は正しい例。小村雪岱ゑがく邦枝完二『お伝地獄』の挿絵。燗徳利はこうでなくては。話の舞台は明治初期で、描かれたのは戦前。
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he13_03030_0002_p0087この絵は『時代風俗考証事典』に図版として入っていた天保12(1841)年刊の『種彦諸国物語』の挿絵。これが江戸末期に登場した本物の燗徳利だぁ!移動式の銅壺で燗をしている珍しい図らしい(図版が小さくて見にくかったので、画像はネットで私が探して、勝手に取ってきたものです)。
で、口に猪口をくっつけたようなイケナイ燗徳利であるが、試しに「鬼平犯科帳 酒」で検索してみた。
そしたら、怪しい燗徳利が出てくるわ、出てくるわ。
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時代考証的には長谷川平蔵の時代にはちろりと銚子(現在では燗徳利のことを銚子というのでややこしいが)を使っていて、まだ燗徳利がないはずだ。もはや時代劇の中で当たり前になっているこういった映像が私の脳裏には残ってたんだなぁ。
だからそう描いちゃったんだよ……ましてや国民的名作時代劇じゃん、信じちゃうよ。
でもさぁ、鬼平犯科帳を見たら燗徳利でキュッとやりたくなるようにできてるんだから、すでに現代人の人情は。飲みたいよ燗徳利で。だから今更、ちろりと銚子に戻されてもそれはそれで困るかな(笑)
あとさ、時代考証とは関係ないけど、飲んだくれのまわりにいっぱい燗徳利が並んでるのがあるけどさ、空いた燗徳利はお店の人が下げに来るでしょ、フツウ。でも林立させておくと大量飲酒した感じが出るんだよね。だから時代劇では燗徳利が好まれるのかな?
でも、オレはこれからは燗徳利の口は太く描く、そう決めたぜ。これを読んだみんなもそうしようぜ!

妖怪はしわたし

10月22日(土)
今年も妖怪になる日がやってきた。
午後三時に日本橋、山本海苔店に集合。今年もご好意で変身用の部屋を貸してもらえる。普段からしょっちゅう会っている友達もいれば、「一年ぶりのご無沙汰ですね」と、妖怪になる、その一点だけで繋がっている人間関係もある。もはや”妖怪関係”と言い換えてもいいかもしれない。
女子更衣室から「わ〜っ!」「すご〜い!」「可愛い〜!」とテンションの高い声が男子更衣室に漏れ聞こえてくる。
男子更衣室でもお披露目の盛り上がりはあったが、なにせ男子は三名、うちおじいさんが二名ということもあって、ご覧のように縁側的雰囲気になっていた。%e7%b8%81%e5%81%b4ま、それはいいとして、せーので、変身!!%e9%9b%86%e5%90%88%e5%86%99%e7%9c%9f%e3%81%a0%e3%82%88撮影:神藏美子さん(そうなのです、豪華なことにこの日撮影してくれたのは、あの神藏美子さんなのでした。以下日本橋界隈のカッコイイ写真の多くは神藏さん撮影。我々の撮った写真、見に来てくれたお友達の写真もちょこっと混じっています。※この記事の最後に、神藏さんが撮ってくれた動画もありますのでリアルな我々の様子もご覧ください。とっても物静かなんですよ、ボクたちって。)
変身したところでぶらりと日本橋を散歩。普段の地味な人生が一変!一躍街の人気者になって実にいい気分。%e7%88%aa%e3%81%8b%e3%82%86%e3%81%84%ef%bc%92「ちょっとまって、その前にわたし爪が痒くなってきちゃった。この棒で研ごうかしら」と妖怪猫おんな。%e3%81%84%e3%81%96%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%a9%8b1「ツルツルしてて爪がひっかからなかったから、やめちゃった。さ、みんな行きましょう」%e3%81%84%e3%81%96%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%a9%8b%e3%81%ae3妖怪夜泣きじじいと釜おんな。夜泣きじじいは夜泣き支那そばの付喪神である。手に持っている笛でチャルメラの音を鳴らし、日本橋の街を哀愁で包むのが得意技だ。

%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%93%e3%81%84%e3%81%84%e8%a1%971%e6%a8%aa%e9%a1%941「ねぇ、夜泣きのジイさん、アタシ見てのとおりの砂かけババァだけど、去年も口裂け女で顔出ししてたのよ」%e4%bf%a1%e5%8f%b7%e5%be%85%e3%81%a11 信号待ちの妖怪たち。%e3%81%84%e3%81%84%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%82%e3%82%8b%e3%81%ad「あら〜、きっと何かいいことあるわね〜」と記念写真を撮る食品関係の仕事に従事する女性。%e7%88%aa%e3%81%8b%e3%82%86%e3%81%84「ね〜!!ここ、爪磨ぐのにちょうどいいわ〜!化け猫犬之坊さんもいらっしゃいよ〜」%e3%81%84%e3%81%96%e8%a1%97%e3%81%b8「ワシも爪研ぎたい思てたとこですね〜ん!」%e4%b8%89%e8%b6%8a「あいつら派手で目立ってるよなぁ……」と三越のショーウィンドウに腰を下ろす、地味目の妖怪たち。%e7%99%ba%e8%b5%b7%e4%ba%ba%ef%bc%8f%e7%a5%9e「ねぇ、あたしたちこれから船に乗せられてどこかに連れて行かれるんだってね」「深川に行くんだってね。向こうじゃ子どもの河童たちが待ってるって話だけど」「あ〜それで今日のイベントは『妖怪はしわたし』っていうのね」「なんか説明的な会話だね」%e3%82%a6%e3%83%8a%e3%82%ae%e3%82%a4%e3%83%8c「ウナギイヌだ!ウナギイヌだ!」と呼ばれていたがウナギイヌではありません。でも彼女は「ウナギイヌだ!ウナギイヌだ!」と返すでしょう。なぜなら彼女は妖怪「山びこ」だからです。%e8%88%b9%ef%bc%8f%e7%a5%9eかくして妖怪軍団は渡し舟に乗り込んだ。ここで神藏さんとはお別れ。写真どうもありがとうございました。%e5%ba%a7%e3%82%8b%e8%a8%ad%e8%a8%88座る設計になっていないいったんもめん。%e8%88%b9%e5%87%ba%ef%bc%91%e8%88%b9%e5%87%ba%ef%bc%92

大勢の取材陣にフラッシュをたかれいざ船へ。見物人が橋から落ちそうなくらいいた。涙のお別れ、拍手の見送り、のはずが、船はぐるっと元いた場所に旋回。船頭さんがはりきって合計三回も行ったり来たり。三回目には橋の上はかなり寂しい状態になっていた。我々の気分も落ちぶれた芸能人のよう。%e3%83%9c%e3%82%b9%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%a9ボスキャラ感のあるナメクジの妖怪、なめたろう。
この日、日本橋、深川界隈に出没した妖怪には「プロ妖怪」と「遊び妖怪」の二種類がいる(プロ妖怪たちは一番最後の動画のリンクに映っているよ)。
遊び好きの妖怪とは我々のことで、仕事を一切しない。「お化けにゃ学校も試験も何にもない」のだから、当然仕事もやらないのである。
しかしプロ妖怪達には、イベントの告知や、子どもたちの先導、盛り上げ……などなど様々な仕事がある。

プロ妖怪の中の「河童」と「油すまし」が船上で、ちょうど私の後ろの席にいたのだが、体に直接ペイントをしている(つまり裸が露出している)河童が「めっちゃ寒い……」と凍えていた。それに対して油すましが「俺はまだ蓑があるからマシなんだよね」と言っていたのを耳に挟んだ。おつかれさまです!妖怪も仕事となると大変だ。%e3%82%af%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%82%ba隅田川クルーズを楽しんだ後(これが結構良かった。特に高速道路が頭上からなくなると、一気に情緒が漂い始める。そして深川の船着場へ。そこには総勢二十名の子ども河童と無数の見物人が待っていた。落ちぶれた芸能人気分から一気に世界のスーパースター気分へ!%e3%81%8a%e5%87%ba%e8%bf%8e%e3%81%88%ef%bc%92%e3%81%8a%e5%87%ba%e8%bf%8e%e3%81%88

ここから深川江戸資料館までまで四十五分ほど歩く。町はもうお祭り騒ぎさ!って実際これはお祭りの前夜際のイベントでもあった。この日は妖怪の姿で九千歩くらい歩いただろうか。
ここで妖怪からのパレード中のレポートをどうぞ。
〈夜泣きじじい(伸坊さん)が子ども河童に「眼鏡貸して」って言われれ渡したらそのまま持ってっちゃって、あわてて追いかけて取り戻しに行ってました。by釜おんな〉
〈子ども河童に「テングはどこに住んでるんですか?」と聞かれたので、「練馬区」と答えたら「え、練馬区…」とつぶやいてた。by天狗〉
〈子ども河童に「いったんもめんは普段どんなことをしているのか?」って聞かれた。byいったんもめん〉
〈尻尾のひらひらを踏まれて破壊され、ずるずる引きずって歩いてた。byいったんもめん〉
〈いったんもめんの尻尾をこっそり踏んづけてしまっていた。byからかさお化け〉
〈子ども河童「つくも神ってどんな神様なんですか」から傘「ナベとか釜とかいろいろ道具がね‥」子ども河童「ほかにもいるんですか」から傘「えーとね」子ども河童「つくもってどういう意味ですか」と詰め寄られた。byからかさお化け〉
〈やたら妖怪好きのナゾの女性(四十代くらい)に「からかさオバケ大好きなんです、触ってもいいですか」「キャー可愛い~」とからまれてリアクション出来なかった。byからかさお化け〉
〈子ども河童に提灯を貸したら持って行かれそうになったので「返せ」と言って慌てて取り返した。byからかさお化け〉
〈取材の人とかあんなに沢山来て撮影していたはずなのに全然記事とか見つけられなかった。byからかさお化け〉
〈子ども河童に「杖を貸して」とせがまれ、何をするのかと思って見ていると、自分の持っているでんでん太鼓を杖に合体させようとしていた。by琵琶ぼくぼく〉
〈ハロウィンゾンビや吸血鬼より、百鬼夜行はやっぱり日本人体型には合う。たまたま描いてた絵本の話がゆるキャラの被り物のお話でまさか実体験できるとは。(モモリン11月中旬発売!)←チャッカリ。by化け猫犬之坊〉
結局プロ妖怪でない我々も、深川江戸資料館の控え室に着いた時はさすがに一仕事した気分であった。「あ〜疲れた!」「あ〜蒸し風呂!」「あ〜足痛い!」と妖怪を投げ捨てるように一気に人間に戻ってしまった。何せ上が七十の爺さんから下は四十のおばさんだ。「自分なのに見てる人には自分じゃない体験」「報道陣にフラッシュ焚かれてキャーキャー言われるスター体験」「視界も狭く不自由極まりない体験」ひっくるめて「クセになりそう」とみんな言っている。来年もやるのでしょうか……。

%e3%81%8a%e7%96%b2%e3%82%8c%ef%bc%91
%e8%88%88%e5%a5%aeいまだ興奮冷めやらぬご様子。
今年の妖怪
ぬめぬめ妖怪なめたろう(足立さん)/化け猫犬之坊(いぬんこさん)/琵琶ぼくぼく(伊野)/天狗(海谷さん)/いったんもめん(霜田さん)/からかさお化け(丹下さん)/砂かけばばあ (戸塚さん)/山びこ(二宮さん)/妖怪お化けガエル(花尻さん)/妖怪釜おんな(古谷さん)/妖怪夜泣きじじい(南伸坊さん)/妖怪猫おんな(南文子さん)以上、あいうえお順。

 

↑神藏美子さん撮影編集の「妖怪はしわたし」の動画。

らくがきみたいに

今週のブログは芸術新潮の5月号に描いた、伊藤若冲とご近所さん(与謝蕪村、円山応挙、池大雅、曾我蕭白、長沢芦雪……などの絵師をはじめ、そうそうたるメンツが目と鼻の先に住んでいた)の交友録(例によってマンガにしたもの)を紹介しようと思っていたが、昨日発売なのに未だ我が家に到着せず、仕方がないので、別のものにしよう。

しかし、特に見せたいものもなく……困った挙句に、壁に貼ってある「らくがき」でもアップすることにいたします。このブログは内容よりも、毎週更新することが目的だからです。本末転倒?いいんです。毎週火曜に決まって更新することこそが、私にとっては大事なのです。……と言いつつ、来週はゴールデンウィークで誰も見てないだろうから、更新は休もうかなぁ。 みんなこれは寝転びながら、らくがきしていたものであります。約一年ほど前に描いたもの。犬犬の顔ですな。お口口開けシリーズとなぜかタヌキ。お座りらくがきは頭よりもちょっと先に手が動くのがいいんです。これらは10年ほど前に描いた記憶があります。ぶしこれはもっと古い、15年くらい前だったでしょうか。

なんとなく捨てるに忍びないらくがきを、本棚の側面などに磁石でとめてあるのですが、別にどうってことないただのらくがきです。描こうと思えばいくらでも描ける。そして、らくがきに関しては恐るべきことに、ほとんど進歩がない。テキトーに描いてるから、努力とか進歩とかと無関係だし、むしろ無関係でありたい。しかし、仕事の絵となると、なかなからくがきのようには描けない。

ちょっと前に、茂田井武トークをご一緒した広松由希子さんに、「赤とんぼ」という古い雑誌(昭和21年8月号)を見せてもらいました。そこに長沢節の絵が載っていたのですが……まさにらくがきのような気持ち良さがあって良かったです。いわゆる長沢節の絵として知られる達者なデッサンではなく、むしろ達者を警戒している感じです。IMG_1265 IMG_1266 IMG_1272

 

日本橋百鬼夜行

きっかけは南伸坊さんが「月刊 日本橋」というタウン誌で連載している「シンボーの日々是好日」というエッセイ。クリックすると大きくなります。はい、読みましたか?この思いつきが日本橋商店街のおまつりで開催されることになり、先日10月25日にわたしも妖怪として参加してきました。何になろうかと悩んだあげく、琵琶牧々(びわぼくぼく)という妖怪になることにしました。世界堂や百均をまわって材料を集めて、作ります。ふだん絵を描いている時より楽しかった。ほとんど未体験のことばかりで、壁にぶちあたっては、そこで工夫を求められるという…。南文子さん曰く「プロジェクトX みたいだね」そうそう、まさにそうでした。スタイロフォームとかいう断熱材で形をつくり(電熱線やカッター、紙ヤスリ使用)、アクリル絵の具を塗って完成。裏面も自分の顔の形にあわせて彫り込みを入れたり、頭に固定できるようにいろいろ工夫しなければいけない。表より裏の方に難問はある。で、本番当日、お着替え室で袋から取り出すと、さっそく4本ある糸巻きのうち2本が折れていて、あせって修復。

ふと前をみると足立則夫さんがナメクジに変身中。足立さんはジャーナリストで「ナメクジの言い分 (岩波科学ライブラリー)」という著書もある。おぉ、顔を出したまま妖怪になるんだぁ…と心のなかで敬礼をする。南文子さん曰く「オムライス?」世を忍ぶ仮の姿(人間)から本来の姿に戻った妖怪たちが、山本海苔店のビル(お着替え室を貸してもらった)からぞくぞく登場。琵琶ぼくぼくは琵琶法師が化けた妖怪である。山彦(やまびこ)とお釜女も登場。ちなみに山彦というのはこういう妖怪だ。山にむかって叫ぶと、かえってくる声は、実はこの妖怪が出している。説明のいらない有名な妖怪、いったんもめんもやってきた!とりあえず記念撮影でもしとこうか。そこへ「ちわっす!おそろいだね〜。」とやってきたのがあばた面のヤカン小僧。「ちょっとうちの亭主どこほっつきあるいてんのよ〜っ!」と包丁片手にあらわれたのは、鬼ヨメ。…とその後ろから「あんた血の気が多いんだから〜、ほら、眼が血走ってんじゃないの〜」口さけ女がなだめる。口さけ女は意外に眼鏡がお似合いだ。ふと後ろに妖気をかんじて目をやると、そこにはテレビ仮面がいた。現代社会が捨て去ったブラウン管テレビの付喪神(つくもがみ)である。さすが路上観察学会の重鎮、林丈二さん。佇むだけで街角はシュルレアルな様相を呈しはじめる。「テレビになりきろうと思ってもテレビの気持ちってどんなのかわかんなかった…」はーい、みんなここに集合だよー、はーいこっちこっち。というわけで…みんなそろったところではいチーズ。左からヤカン小僧、鬼ヨメ、オカマ女、琵琶ぼくぼく、いったんもめん、山彦、蛇女、カエル侍、口さけ女、ナメクジ旦那(敬称略、名前テキトウです)。べつに我々は記念撮影好きではなく、後でも伸べるが、とにかく「写真とらせて、とらせて」コールがすごいのである。我々が現われれば、そりゃぁもう、街は大騒ぎさ!ちなみに奥の神社には結界がはってあって、妖怪たちは絶対に入れなくなっていた。子どもたちはすぐに戦いを挑んでくるのである。妖怪軍団もまけてはいない。一番の武闘派、鬼ヨメも出刃包丁で通行人に襲いかかる。鬼ヨメは襲いかかるだけでなく、キャベツの千切の手つきも披露していた。ものすごく手際がよかった。見よ、子どもたちの好奇心あふれる笑顔!街にくりだしてわかったのは、「スターとかアイドルとかって、ああいう気分なんだね。」ってこと。こっちを発見すると、その人の顔がパッと驚きと微笑みの表情になる。それで「いっしょに写真とってもらっていいですか」って言われる。手と手でハイタッチしようとしてくれる。すこしやみつきになりそうだ。しかし、慣れないことをやると疲れる。ひとまず休憩だ!琵琶ぼくぼくのかぶりものを外すと、そこには疲れきった琵琶法師がいた…。いったんもめんが山彦の頭をかぶって休憩している…。ややこしい…。やかん小僧が休憩時間にお茶を飲む。自分の鼻から出して……そして、飲む!なんだか飲尿健康法 を思い出させるひとこまである。さてもうひと仕事するか…。日本橋には「三重テラス」という三重県のアンテナショップがあり、ちょうどその前に三重県津市(ずばりわたしの出身地)のゆるキャラがいた。シロモチくん、という名前らしい。知らなかった。というわけで、また写真撮影会開始。カエル侍の決めポーズは鼻くそほじりだ。おっと仲間割れか!?鬼ヨメがいったんもめんを刺す!それを無視してカメラ目線の口さけ女!「なんてお名前ですかっ?」っていうのがここの子どもたちの定番の質問。しかし、ボク、ひとり人間が混じっているの知ってるかな〜?その人は妖怪オニギリじゃないぞ〜。

……以上、ハロウィンをぶっとばせ!!日本橋百鬼夜行のレポートでした。

最後はほんとの記念撮影。テレビ仮面はひと足先に人間にもどってしまったようだ。いやぁ〜、日々是好日ですなぁ〜。

妖怪出演者

(南伸坊さん=ヤカン小僧、南文子さん=鬼ヨメ、林丈二さん=テレビ仮面、足立則夫さん=ナメクジ旦那、二宮由希子さん=山彦、霜田あゆ美さん=いったんもめん、古谷充子さん=お釜女、タカコさん=くちさけ女、はなじりさん=かえる侍、足立さんの奥様=蛇女)

 

 

逝きし世の面影

7年ぶりにマンガを描きました。もともと漫画家およびイラストレーターになりたかった私は、片方の希望はかなえられたけど、漫画家になることは出来ずじまい。いつも描いている絵も一コマまんがみたいなものだから、漫画家と言えないこともない。しかし、自分のことは「漫画家になれなかった男」だと思っている。今回の作品ももちろん仕事ではない。タイトルはまだ決めていないけど「迷信」というのにしようかな。クリックするとやや大きくなるので、読みにくい人はクリックしてくださいね。このお話は作り話ではなくて、渡辺京一著「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)という本の中に収められた、明治期のお雇い外国人ブラントの体験記に基づいている。10行ほどの短いエピソードだが、コミック化してうまく伝わるのだろうか。ちょっときまじめな漫画になってしまったと思う。やはり私には向いていないのかもしれない。

 

 

俳句と俳画をやってみた

一流のイラストレーターの条件とは何か……?それは面白い俳句をひねることができるかどうかだ!…と断言することはできないが、諸先輩方はなかなかうまい俳句を詠んだりする。自分はまったくの門外漢で今まで俳句を作ったこともないけれど、「良い俳句」は「良いイラストレーション」に通じるところ多し、と前から感じてはいた。事象の中から自分の言いたいことをまとめる際、ある部分に焦点を当て、ある部分は省く、というのはイラストレーションに限らずどんな仕事にも必要なことであるけれど、俳句ってのはまったくその作業だし、単にまとまればいいというもんでもない。たとえば正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」は一読、なんの変哲もない句のように思えるが「かきくえばかねがなるなりほうりゅうじ」と声に出してみると句の前半はカ行音、途中でナ音がまじり合い、ラ行音へと移っていく楽しいリズムになっていて感動する。 後藤夜半の写生句「滝の上に水現れて落ちにけり」は滝から落ちる水がいったんスローモーションになって、そしてスッと下に落ちていく様子を何度も何度もくり返して想像させる。こんなことができる詩は俳句だけだろうなぁ。うむむ〜面白いなぁ。(たまたま知ってる二つの句です。他に全然知識ありません。あしからず)で、先日、とある集まりで俳人の高山れおなさんを講師にお招きし、句会をし、俳句に絵をつけたりなんぞした。

俳句に絵をつける。べつにこれと決まったルールがあるわけでないが「俳画」といった場合には、俳句への「匂いづけ」であることがのぞましいようです。以前から俳句に絵をつけるのって面白そうだなと思っていて、その頃たまたま読んでいた正岡子規の文章にこういうのがあった。ようするに俳句や詩に書いてあることをそのまんま絵にしてもおもしろくない、ちゅうことなんですが、是非読んでみてください。絵と文章の関係についてもあてはまるところがあるのでイラストレーションの仕事でも応用できる。秘技ですぜ。クリックすると拡大しますんで。
さて実践、さっそく有名な俳句に絵をつけてみることにする。
「夏河を越すうれしさよ手に草履」与謝蕪村
さきほどの正岡子規の文章は頭にあったのだが、おもいっきりそのまんま絵にしてしまった。二人で川を越してるとは詠んでないのでそこは勝手に描きましたが。

「やはらかに人わけゆくや勝相撲」 高井几薫
またまたそのまんま。この句だったら相撲取りの後ろ姿を描いた方がよかったかも。でも難しいですね。後ろ姿でいい感じ出すのは。

「初恋や燈籠によする顔と顔」 炭 太祗
だから…なんでそのまま描いちゃうわけ?自分!でもなんか描きたかったんです。それに別に必ずしも外さなくてもいいわけだし(…と言い訳じみてくる)

「野ざらしを心に風のしむ身かな」 松尾芭蕉

お?ちょっといつもの調子が出てきたか?でもこれじゃ、俳画というより「俳漫画」かも。「野ざらし」ってのは白骨化した人間の骨のことです。

「夏草に汽缶車の車輪来て止まる」 山口誓子

近代の俳句になってくると、ずらして描くのがなんとかできるようになった。江戸時代の俳句は、ずらして描く方法が思いつかなかった。

「ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき」  桂 信子

いつもの自分らしい絵ではないが、そんなことはどうでもいい。狙いとしてはあえて「乳房」を描かず、でも存在は感じさせる。全体的にものうげな感じにしたかった。

「Aランチアイスコーヒー付けますか」 稲畑廣太郎

日常会話がそのまま俳句になっている。ここまでくるとべつにどんな絵だって合うといえば合う。自分的にはこれが一番うまくいったかなと思う。(ちなみに現代においては「俳画」という文化はほぼすたれているのである。これはチャーンス!)

「話しかけ聞きかえされる暑さかな」伊野孝行

こっぱずかしい自分の俳句。名句とならんで載せるのはおこがましいにもほどがあるが、一応句会もやってそのときに作ったのでオマケに描きました。わたしは滑舌悪く、声がこもり、声量がない、の三重苦なので聞き取りづらいらしく、よく聞きかえされる。「はぁ?」とか言われるとこっちもやるせなくなっちゃうぜ。そんな気持を詠んでみたのです。ちなみに一つの俳句のなかに二つ動詞が入るのはあまりいいことではないようだ。一流イラストレーターへの道はまだまだ遠いぜ!

ウィーンの旅、その3

外国に行って絵ばかり見るのもいいけど、なんといってもここは音楽の都、ウィーン。
◯押し売りに負ける
「カールス教会」へ行く。イスラムのミナレットのような塔が二つあるバロック建築。塔にはねじれた模様がついている。教会の前で待ちかまえていた美女(ミラさん。スペイン人。チケットエージェンシーの仕事)に「ウィーン楽友協会」でのモーツアルトコンサートのチケットを買わされる。このコンサートはモーツァルト時代の扮装をした楽士がモーツァルトの曲を演奏するもの。モロ100%観光客向け。といってもけっこう高額。旅の引率者Kさんが「楽友協会」の建物の内部の「黄金のホール」を見たいというのもあり、押し売りに負ける。次の日に観に行ったら日本人中国人韓国人近隣諸国の人達…観光客のみなさん全員集合〜!美術館は歩きながら見るから眠くならないが、座って音楽を聴いてるとつい睡魔に襲われる。スゴく必死なスペイン美人のミラさんの勧誘をうける一行。ぼくらは「どうするのかな〜?」と静観してたらミラさんは我々をさして「クワイエットチルドレン(静かな子どもたち)〜!」と言っていた。あきらかに僕はミラさんより年上なのだが…。これはウィキペディアから持ってきた写真だが、ここが「黄金のホール」だ。ここにいる紳士淑女を、全員普段着の観光客におきかえて、楽士を3分の1に減らしてモーツアルトの扮装をして演奏しているところを想像してください。

◯これが本場のオペラだ!
カジュアルな演奏会だけでなくちゃんとしたのも観ましたよ。国立オペラ座。幕はホックニーの絵であった。いろんなアーチストが毎年担当しているらしい。「ロミオとジュリエット」。3大テノールのプラシド・ドミンゴが演出&指揮。フランス語のオペラなので前の席の背についたモニターで英語訳が出る。ま、英語もわからんのでよく見なかったが。演出は「ウェストサイドストーリー」のような現代劇になっていた。歌い手は倒れた姿勢でもガンガンに歌う。舞台から伝わる圧力がスゴい。ブ厚い。それを包み込むオペラ座の重厚な空間。終わったあとの客席の歓声がまたすごい。ロックコンサートとはちがう感じ。後ろの立ち見席のハゲの小男の八百屋のおやじみたいなおじさんが感激してブラボーを叫んでいた。ブラボータイムがまた長い!そんでもって最初から最後まで暑い〜!ジャケットを着ていったが結局脱いで、さらにシャツの第3ボタンまであけて、汗をだらだらかきながら見た。でもオペラ好きの観客たちは暑さなんてぜんぜん気にしてなくて舞台に集中していた。◯倍返しのチャンス到来
「カールス教会」でも高所恐怖症ということでてっぺんまでのぼらなかったKさんだが、ウィーンのシンボル「シュテファン寺院」ではついエレベーターで登ってしまった(高さは100メートルくらいある?)。いつものアグレッシブな性格もどこへやら、心細そうに金網にしがみついていらしたので、いつもの「倍返し」でちょっかいを出そうとしたが、地上に降りたら「百倍返し」されると怖いのでやめた。◯食事
どこもおいしいけど、アルベルティーナの下の居酒屋「アウグスティーナケラー」が素晴らしい。ガイドブックにも載ってるお店だけど、味良し、サービス良し、雰囲気良し。旅行中2回行った。ここにはアコーディオン弾きがいて、彼の知ってる日本の歌「さくらさくら」を弾いてくれた。「さあ、歌いましょう」と言うので、つい乗り気になって歌おうとおもったが恥ずかしかったので、歌うフリをして口だけパクパクあけていたら、それをみたウェイターのおじさんが「彼はクレイジーだね」と言っていた。ウィーンの旅、終わり。

 

 

ウィーンの旅、その2

「セセション」にある「ベートーベンフリーズの」一部「セセション」
◯セセションでクリムトを尊敬しなおす
クリムトは画家として必要なものをすべてもっている。通俗性をもっている。俗受けする才能は実は一番難しいものではないか、と私などは思ってしまう。あぁ、もっと俗受けしたいものである。

才能というのは、何か欠落した部分があって、それを補うために工夫したり開き直ったりすることで形を現してくるものだけど、若い時から「どうだ!うまいだろ?」な絵が描けたクリムトにも、欠落があったはずである。それは何か?うますぎることか?まあ、よく知らないけど、クリムトは技術で絵の表面を覆い尽くしても仕方ない、と早々に気づいて、新しい造形をつくる一大事業に精を出したと思う。クリムトを初代会長とする「ウィーン分離派」はそれまでの保守的な芸術にアンチを唱えて集まった集団で「せセッション館」は彼らの展示施設である。アールヌーボーとモダンが混じり合った奇妙で美しい建築だ。一時期行方不明とされていたクリムトの『ベートーヴェン・フリーズ』も今はここの壁画となっている。地のものはその土地で味わうときにこそ、眼だけではなく、五感で直接味わうことができる。もちろん絵だから匂いも味も音もしないが、味わったと断言していいだろう。時代は変わってしまったが、磁場はまぎれなくそこにあり、我々を強くひきつける。『ベートーヴェン・フリーズ』の一室で「ああ、なんてクリムトはすごい人なんだ!」と大尊敬したのである。壁画に描かれた人間や動物、模様をしげしげ観察しているとクリムトのねらいの秘密が徐々に解明されてきて飽きない。かたちのひとつ、角度のひとつとっても計算され尽くしているのだ。

◯ウィーンの3分間写真は3分ではなく5分かかる。

前回のウィーン日記が後ろ姿ばかりで楽しくなさそうとの感想もあったので、無理矢理楽しそうな写真でものせておくか…。顔をさらすのは嫌いなのだが…。この3分間写真はたぶん証明写真に使うモノではなさそうだ。味わいがありすぎる。唐突にシャッターがきられてあわてた。しかし待ち時間5分て長いな〜。

◯ゴッホの意外な活用術ベルヴェデーレ美術館は元宮殿で「ベルヴェデーレ」とは良い眺めの意味である。ここでもクリムトを目玉としていろいろな絵が楽しめる。ちなみにここはゴッホの風景画を1点所有しており、それが意外なところに展示されていてうれしかった。クリムトの風景画の部屋にゴッホが1点混じって展示されていたのだ。クリムトの風景画はモネに似ているのだが、こうしてみるとゴッホの影響もあるような気がしてくる。ゴッホの絵はクリムトの部屋にとてもマッチしていた。ぼくはゴッホはきっと「表現主義」の部屋にあるにちがいないと思っていたのだ。一般にはゴッホは表現主義に影響を与えたとされているわけだが、画家にとっての「主義」というのはあっちへ行ったりこっちに行ったり自由に行き来できるものであって、共産主義、自由主義みたいに相いれないものではない。
「地のものはその土地で味わう」の第2弾はさきほどの「表現主義」の絵。たいへんおもしろく感じられた。退屈させないんだなぁ。定規で線をかいたような、筆後をのこさないような、クールな描き方の絵もいいと思うんだけど、描いていて楽しいのはそりゃこっちでしょ。「描いてる」ってカンジ。このカンジは絵でしか表せないんだもの。表現主義の絵を印刷物で見てるときは、中途半端な印象を受けたけど、どうして生で見ると、描き方にしろテーマにしろいろんな意味でギリギリをねらっているのがわかる。なんで中途半端だなんて思っていたのだろう?空気感とかやっぱこのへんの土地の感じがする。ちょっとひんやり暗めなのも気持いい。「エミール・ノルデ」「キルヒナー」「オスカー・ココシュカ」この絵いったいなんなの?ウーパールーパーまでいるよ。

◯ウィーンで太田さんに会う。
太田雅公さんはセツ時代の友達。年は5こくらい上なんだけど、入学がぼくより半年遅かったので、気がねなくなれなれしく接している。そんな太田さんがリンツに居るということをfacebookで知った。ちなみに同部屋のデザイナー兼イラストレーターの浅妻くんもセツの仲間。「太田さん、こっちに来ない?会おうよ!」ということでリンツから来てくれた。でもウィーンとリンツは東京と長野の松本くらい離れている。そんなこともいとわず来てくれた太田さん。実に久しぶり。太田さんは舞台衣装家だ。宮本亜門氏が新しく出来た劇場のためにオペラ『魔笛』を演出する、その衣装デザインのために7月まで2ケ月滞在する。夕食でベトナム料理をみんなで食べた。そのときに太田さんが武蔵美の教授!になってたことを知り驚く。あの太田さんが大学の教授かよ!でもひさしぶりに太田さんと話して刺激になった。とにかくこの人はいいものをつくるためならすべてを厭わない。自腹だって切っちゃう。そういえばセツ時代に一年に一度学校をあげての展覧会があったんだけど、そこで一等になると長沢節センセイの絵がもらえる。なので生徒ははりきって絵を描いて搬入するんだけどなかなか審査がきびしくてそう簡単には一等になれない。僕もがんばって何枚も出したんだけど、太田さんは B全パネルで12枚くらい搬入してて、あ〜、負けたと思った、そして見事一等をとった。そのころのままの熱量で今も生きているのがすごいね。太田さんは僕たちの部屋に泊まっていった。3人で話しているとここがウィーンだなんて思えない。新宿かどこかのようだ。太田さんはどこでも寝れると言ってソファでヒザをまるめて寝ていた。そして早朝、ホテルを去って行った。さようなら太田さん。太田さんいいこと言ってます。対談 池内博之 ×太田雅公『欲望という名の電車』について、それぞれの視点。「ハイ・ファッション」より。
ウィーンの旅、その2おしまい。あと一回くらいあるかも。

ウィーンの旅、その1

6月17日から24日まで「ウィーン」に行って来たのでその報告をば。当ブログでは「ロンドン」「ニューヨーク」につづく海外旅行シリーズ第3弾だが、ぼくは元来、旅行ぎらいで16年間くらいどこにも行ってなかった。とくに行きたくもなかった。でもここ数年はよく旅行に行く。今年に入ってからは海外2回、国内4回も行っている。しかしこれとて誘われたり、巡回展のためだったりして、積極的に行っていない。旅行に行く前の気持の高まりは人並みに感じるものの、現地について二日目には、もう家に帰りたくなってくる。疲れる。眠れない。旅は非日常だから日常が恋しくなる。でも楽しいんだよね。家にいるなんてもったいないと思う。1週間なら1週間、非日常に身を置くとそれなりに得るものもあるわけで……そんな人間の旅行記です。
◯飛行機はウィーン少年合唱団と元プロレスラーで国会議員の馳浩といっしょだった。

今回の旅は某デザイン事務所の社員研修旅行に同行。予定表には「ブリューゲル、クリムト、シーレと世紀末建築とオペラの旅」というタイトルがついているのでそういうものを見るのだ。
◯ウィーンは猛暑!
猛暑!猛暑!猛暑!酷暑!酷暑!酷暑!ウィーン滞在中はほんとに暑かった。35℃の日もあった。それはまるで予想外のことだった。ガイドブックではずいぶんと涼しいようなことが書いてあったが、も〜う!イヤンなっちゃうくらい暑い。まず気持の準備ができてない。セーターやヒートテックの用意はあってもTシャツなんて下着用にもってきてるくらい。せっかくの旅行なのに下着のようなTシャツで街を歩かなければならない。ウィーンは年に十日ほど猛暑日があるらしいが、ぴったりそのときに来てしまったわけ。ウィーンの女性たちはタンクトップに太もも見えまくりのホットパンツ姿が多かった。年に十日のこの暑さをむしろあじわっている感じすらある。湿度もけっこうある。ギラッギラの太陽に照りつけられてたまらず店に逃げ込むも冷房ナシ!ということが多い。「トラム」という便利な路面電車によく乗ったがここもほとんど冷房ナシ。オペラ座も冷房ナシ。美術館はどこも冷房が効いていた。ちなみにアイスウィンナーコーヒーみたいな飲み物にも伝統的に氷はナシ、でもビールは冷えててどこでもうまい。あついあつい!夕方になってもあついあつい!
◯ウィーンの印象

全盛を誇ったハプスブルク王朝が中央ヨーロッパを治めていたのも今は昔。こじんまりとしたウィーンの街は栄華の後にもまだ余裕という文化を保ちつづけているようであった。一週間、狭い範囲だけ見た感想なので間違っていると思うがこの眼にうつるウィーンはそうだった。たとえば地下鉄や路面電車「トラム」はパスを買って乗るのが便利なのだが改札には駅員もいなけりゃセンサーもない。ただ冊があるだけ。検札はたまに来るらしいが一週間いたけど出会わなかった。みんなタダで乗り降りしてるんじゃないかと思ってしまう。いや、みんなパスを買って乗っているはずなのだが、ほとんどチェック機関がない。あくまで本人の良心に委ねるという、なんて大人な方法なんだ。ドナウ川にも落下防止めの無粋な冊はなく、基本的に「落ちても知らないよ」という態度。人が川に落ちかけている絵のついた標識だけがある。実際川に近づくと落ちそうでコワい。「トラム」の優先席のマーク。

◯ウィーンの人柄

人はみなおだやかでお店のサービスも心地よいところが多かった。これもまた限られた範囲で見ただけだが、ものすごーく下品な人とかあまり見かけなかったな。日本人の僕はなにかというとすぐ作り笑顔をするが、外人はあまりしない。なので怒ってるのかとおもうけどけっこう親切だ。シェーンブルン宮殿に行く時、なにも聞いていないのにトラムでおばさんが「U4(うーふぉー)よ」と地下鉄の線を教えてくれて、また別のおじさんが「グリーンだよ」と線の色を怖い顔で言ってくれた。美術史博物館のチケット売り場。ウィーンはクリムトのせいか金色が使われているところ多し。

◯美術史博物館
ここの目玉はなんといっても世界に40点ほどしかないブリューゲルの油彩が12点もあるということ。ブリューゲルやクラナッハ、ルーベンス、カルバッジョ、デューラー、レンブラント、フェルメール、メムリンク、ホルバイン、ベラスケスなどを堪能。
浴びるように絵画を見る。パリの「ルーブル」やロンドンの「テート」やニューヨークの「メトロポリタン」などと同じで、とても一日では見られない。しかも何段にもかかっていて、どんな絵が好きな人でも、見ることの限度を超えてしまう。「絵なんて一瞬で見られる」と豪語している僕も、お腹がいっぱいなのにどんどん食事が出てきては、いくらおいしくともちゃんと賞味できない。ゲップの出そうなときは絵の森のなかを散歩している気分で歩くのも贅沢である。このひと部屋が日本に来たら大騒ぎだろうと思いながらぶらぶらと。一日で全部見ようとするのがそもそもの間違いなのだ。
しかし、中世近世のヨーロッパ人てのはこうもこってりと隙間のない絵をあきもせず描いてきたもんだ。やっぱ米や野菜とたまに魚を食って暮らしてきた我々と、食事といえば「肉」の国の人たちは根本的に何かが違うとおもわざるをえない。ヨーロッパ人中心の美術史を宮殿で見ると世界は昔は西と東に半分に別れていたことを実感する。そして急に東洋の絵に身近さを覚える。ここで掛け軸か屏風でも見て一息つきたくなる。ルーベンスはバロックの過剰で大仰な感じがバカバカしくて好きだ。コッテリしてても別腹。
レンブラントにしろブリューゲルにしろ大天才というのは西洋と東洋の壁を越えている。自分が日本人だとか東洋人だとか意識することなしにすっと絵の中に入っていける。そういうときにすべての絵はつながっていると実感するのだ。しかし、レンブラントやベラスケスの部屋にもあまり人は居ず、日本では考えられないことだが、たまたま僕が行ったときには、フェルメールの絵(1点しかないが)は誰に見られることもなく、部屋の中には自分一人であった。絵の前にベンチが置かれていたのでそこで疲れた足を休めたのである。

大天才というのは時代の流れのなかでポコッと浮いた仕事をするものであるとつくづく思う。俯瞰ですべての登場人物にピントがあったブリューゲルの絵は、庭の石をどけたときにその下にいろんな虫達がいっぱいいてワ〜ッと散らばってさわいでる様なカンジである。ティム・バートンの映画のワンシーンみたい。みんな勝手に「オラ生きてんど〜!」と声をあげながら残酷に踏みにじられたりする虫のように、人間が描かれている。一人ひとり手をぬくことなくちゃんと描写されており、そういう意味では画家は神のような創造主でもあるが、ブリューゲルの絵を見ていると、深沢七郎にも似た人生観、人間は屁のように産まれてきて屁のように消えていく、といったおもむきさえ、こちとら勝手に覚えてしまうのであった。ウィーンの旅その1終わり。たぶん続く…。

 

 

石井鶴三はすばらしい

前に板橋区立美術館に行った時に、石井鶴三の売れ残りの図録が安く売っていたので、ラッキーと思って買った。久しぶりに取り出して見ていたら、やっぱ石井鶴三はおもしろい!と改めて思いなおした。何が素晴らしいかって、描いてるものが変わってる。
これは「縊死者」というタイトルの水彩画だが、なかなかこんな題材は描かないよ。続いては「行路病者」という作品。手や顔のむくみがリアルだ。石井鶴三は社会問題を告発した画家ではないが「私はこれまでの境遇上から、路上雑多の光景に対して、かなり深い感興をそそられる。行路病者だとか電車の事故だとか、公園の雑踏だとか、そういう群衆を眺めるとき、そこには一種の人間味がたたえられていて、私の胸を強く打つのである。」という本人の言葉にもあるように、何か強い批判が最初からあったというより、人間に対するまなざしから自然に批評精神の高い作品になったようである。この電車の中を描いた絵なども、さきほど本人が言っていた「雑多な光景」のひとつだけど、ここには社会批判などなくて画面を構成する純粋絵画的なおもしろさが主だ。描きたい内容があり、しかもそれを格調高い画面に作れる。こりゃ、いつも僕が目指してなかなか出来ないことだけど。とくに画面作りが。。。「手術」この絵もとくに批評性のようなものは感じられなくて、ただ手術を描いたという感じが、面白いと思う。「縊死者」も「行路病者」もただそれを描いた、という感じが僕は好きだ。はい、お風呂につかっている人を描きました、というこのそのまんまな素直な感じがたまらない。結構お風呂シリーズの絵が多くて、きっと人が湯船につかってるところの視覚的おもしろさに惹かれて描いたのではないだろうか。

 

 

NewYork日記 その4

NY日記その1NY日記その2NY日記その3

さて4週にわたって書いて来たNewYorkレポートも今回でやっと最終回。

10月22日(晴れ)今日はいつものように朝から美術館には行かない。蚤の市に出かける。蚤の市にもホームページがある。「Hell’s Kitchen Flea Market」

僕はもともと物欲が少なく、いろんなものがゴチャゴチャ置いてある蚤の市とかでモノを買うのが苦手だ。ちょっとおもしろいなー、とは思っても欲しいかな?と自問自答するとたいがい「いらないな…」という答えがかえって来る。日本でも世田谷の「ぼろ市」など何度も出かけたことがあるが、結局何も買わない。でも雰囲気が好きだ。NYの蚤の市も同じような気安さがあった。そして売っている人の人相がみな良かった。英語の発音が聞き取りやすい。古いものが好きな人はいい人なのか?でもどこかでぼったくられるのではないかという気持ちも拭えない。特に何も買う気はなかったが、アフリカの木彫りの人形を一体買った。象牙海岸の産だそうだ。45ドルを25ドルに値引きしてもらう。まわりの友だちが掛け合ってくれて、僕は何もしていないが安く買えた。人の良さそうな黒人青年が売っていた。コートジボアールのビジネスマン。この人形、他にも種類があったが。これがきわめて形も色も良く、いくら見ていても飽きがこない。お腹の出っ張り具合。腕のライン、顔の造作、み、み、み、見飽きないヤツだな〜。見飽きないということは、見る度に何かしら発見があるということだ。こんな木彫り人形からも教えられることは多い。

さて、お昼は「Corner Bistro」という老舗ハンバーガー屋に行く。
角にあるから「コーナービストロ」という名前だね。やはり一度は本場のハンバーガーを食わないと!「コーナービストロ」のサイト
今日はやっとこれから美術鑑賞。とあるギャラリーでやってたアレクサンダー・カルダーを見に行く。
「The Pace Garelly」
たくさんモビールを見ることができた。美術館でなくてギャラリーだから雰囲気も違う。つい身近に感じて「フーッ」と息をモビールにかけてしまった。そうするとユラユラ、動き出す。触っちゃダメでもコレはいいかな?”ものの本”によると、この「モビール」というのはカルダーが新しい彫刻を模索する中で誕生し、それを見たデュシャンが「モビール」という名前を付けたそうだ。みんな小学生のときに作った人も多いだろうけど、意外なところでカルダーだけでなくデュシャンの恩恵まで受けてるとは…。それから我々は「ホイットニー美術館」へとハシゴした。ここはマルセル・ブロイヤーの設計で、美術館自体に見惚れるところが多かった。パッと見奇抜なグッゲンハイムに負けていない。照明から階段の細部に至るまで唸らせる。グッゲンハイムとホイットニー、どっちかもらえるんだったらホイットニーかな。近々ここはメトロポリタンの一部(別館?)になるそうだ。ホッパーの作品も良かった。デイヴィッド・スミスという人の鉄の彫刻の展示がワンフロア全部でやっていて、これがまたまた良かった。カルダーもそうだけど、まとめて見るというのはいいっすね。デイヴィッド・スミスさん戦争中は溶接工の仕事をしていたそうだ。
「ホイットニー美術館」
そうそう、ホイットニーの前に露天商が出ていて、そこはアフリカの民芸を売っていた。そういえばこの手の店はグッゲンハイムの前にもいたぞ。観光客相手の商売だ。アフリカのお面やらを見ていると、なんとそこに昼間買ったコートジボアールの人形達もあるではないか。しかも下のダンボールにはゴロゴロ入ってる。でも僕の買ったのと同じのはいない。この人形はビジネスマンだけではなくいろんな職業の人形がある。やはり僕の買ったのが一番いい。くやしまぎれではなく、これはマジだ。しかし、ザラにあるものなんだな。一応値段を聞くと40ドルだと言った。あれ、蚤の市より5ドル安いぞ。まあ、25ドルで買ったのはけっこういい線まで下げたかな?どこかで元締めがいるな、この商売。
さあ、今日はNYも最後の夜。最後の晩餐はホテルの近所のイタリアン。美味しいけど量が半端なく多い。しかし、Kさんの注文の仕方がうまくて、腹十分目でピッタリとおさまる。この量で、コースでいうなら2人分くらい。それを6人で食べてもお腹いっぱい。デザートはきっちりひとり一個食べたけど。少し高級なお店だとやはり白人の人が多い。お店によって客層が違うのはどこの国でもそうだが、それが人種となって現れるのは、シビアだ。ちなみに美術館の監視員はほぼ黒人の人。

10月23日(曇り)今日の昼前にはもう出立する。今日は最後の朝食。ホテルには朝食はついていない。近所の「オリンピック」という店に行く。ここは2度目に行くと「アミーゴ!」と呼んでくれる。働いている人達はメキシコ系の人で、太った女将さんをはじめみんな親しげな雰囲気濃厚。旅行も終わり頃になると、僕も気が大きくなって、コミュニケーションしてみようという気になった。(基本的に僕は、話しかけられても、言葉がわからないのでニヤニヤしているだけの典型的日本人なのだが…)というわけで最後はこのツーショットで決めてみました。
近くに行ったら寄ってあげよう。2回行けば常連とみなされる。「オリンピック」はこんな店

 

 

NewYork日記 その3

NewYork日記その1はコチラNewYork日記その2はコチラ

10月21日(晴れ)昨日、やっと充分な睡眠がとれたおかげで、元気も盛り返してきた。今日は大旅行の中の小旅行に出かける日。マンハッタンから電車で80分、「ディア・ビーコン」という美術館に行く。

マンハッタンを離れて田舎に向かう。旅は非日常なのに、なんだかのどかな気分になってくるのは、やはり自然が多いからだろうか。昨日やっと眠れたからだろうか。遠足気分である。ビーコンに近づくにつれ、山々は紅葉している。…というわけで、ハイ着きました。「Dia :Beacon」です。ここはミニマルアートとランドアートの作品を、東京ドームの半分ほどもある建物の中に納めた美術館で、元はナビスコのパッケージを作る工場でした。入り口を見ただけではそんなに広いとは想像つかないけど。さっそく作品を見て行きましょう。まずは「ブリンキーパレルモ」さんの作品。す、すごいですね!板を絵の具で簡単に塗り分けてあるだけなんだけどおもしろい!パレルモさんの作品は横に置いて同じものを作れと言われたら、誰でもすぐ同じものを作れる。しかし最初からこれを作るのはパレルモさんにしか出来ない。なんでこんなことが出来ちゃうのか。虚をつくような作風でも、冷たい感じはない。近づいて作品を見ると手塗りの跡がわかる。なんだかあったかい心持ちになるのである。ユーモアがある。パレルモさんは若くして亡くなったという。惜しい人を亡くしたものだ。ブリンキー・パレルモはこんな人

おっと、「ディア・ビーコン」は写真撮影が禁止だった。さっきの1枚はそれを知らない時に撮ったから許してもらおう。ひろーい美術館の中を美大生さんかと思われる監視員がブラブラ歩いているのだが、注意されてしまった。美術館に来ると海外でも居場所が見つかるが、MOMAやメトロポリタンは観光客が多くてそうでもない。ここは全然お客さん少なくて、居心地いい。照明はなく、天井から入る光だけ。この建物(1929年建築)自体が美しい。パレルモさんとちがってセラさんの作品は同じようなもの作れと言われても出来ないな。先立つものがないとねぇ。パレルモさんとは対局的。

ハイザーさんもおおがかりですね。床に埋め込んであるからたぶんここでしか見れない。そういう意味ではここの美術館はわざわざ来る甲斐のあるところだ。この作家は女性だったんだ。六本木ヒルズにもありますね。でもここにあった蜘蛛の方がより気持ち悪くて好き。他の彫刻もみんな気持ち悪くて好き。彼女の作品のテーマには父親のことも多く、男性陰部をいじめるような作品がけっこうあるそうな。そう聞くとなんだか合点がいく。展示場が古い工場というのもぴったりだった。

上の3点は絵に描きやすかったから描いたけど、もっと色々ある。美術館の案内図に作家の作品をメモしながら見た。これはミニマルアートやランドアートだから出来るけど、普通の絵画ならめんどくさくて出来ない。ここにあるのは傑作ばかりなのにあえて三ツ星で採点してしまった。まぁ、勝手な遊びということで。お許し下さい。クリックするとでかくなります。

ビーコンからの帰り道、切符を切りにやってきた(切った切符は座席にチョコンとはさんでおく)車掌さんと我々との会話。「美術館に行ってきたのかい?おもしろかった?」「とてもおもしろかった。行ったことありますか?」「いや、私はまともな頭をしているから、行ったことはないよ。」その車掌さんだと思うが、終点グランドセントラル到着のアナウンスの前に歌(スキャット?)を披露した。車内は全員爆笑。車内の女の子がひとり「大好き!」と叫んだ。どういった内容の歌かわからないけど我々も笑った。旅に、こういう思わぬプレゼントがあると実に印象深くなるものだ。「ディア・ビーコン」は道中の景色もいいし、美術館も素晴らしい。NYに行くときは足を伸ばして損はない。グランドセントラル駅で往復の電車代とビーコンの入場料が込みの割引チケットが買える。たしか30ドルくらいだった。(NY日記、来週でやっと終わるよ)

 

 

NewYork日記 その2

先週からのつづき。先週のブログはコチラです。

10月20日(木)晴れ。飛行機の中、18日、19日と時差と無意識の緊張で、眠れない夜が続いた旅行の3日目。今日は「メトロポリタン美術館」へ行く。体力の消耗を考えて午前中はやや無口であった。この巨大な美術館もまた公立ではない。入場無料のかわりに寄付金を25ドル払わなければならない。これって、歴史的円高の現在、さほど高くは思わないが、日本以外の国から来た人にとってはかなりの金額になる。

まずは元気なうちに、見たいものから見て行こう、ということでポスト印象派の部屋へ直行。メトロポリタンにはゴッホがたくさんあった。絵の前に立つと、絵の具という平面を塗る為の物質が、盛り上がって立体物になっていることに毎度ながら驚く。今とくらべて絵の具も安いものじゃなかっただろうに、この気前のよい使い方。ゴッホは金の使い道を知っていたわけだ。ゴッホは絵と人生を同時に語られてしまい、それによって絵だけを見てもらえなくて損をしている。絵と人生を近づけて語ることは、絵を見る場合プラスばかりではなく邪魔にもなる。…しかしだ、やはりこうして絵の前に立つと、とても気持ちがなぐさめられる。ゴッホの絵にはそういう作用がある。描かれているのは飲み屋のおばさん、近所の風景、自画像なのに…。セザンヌは絵の為に絵を描いたけど、ゴッホは人生のために絵を描いている部分もあると思えてくる。だからそんな気分になるのかな?見てるこっちもつい、ゴッホの人生と絵を近づけてしまいそうになるのも自然なことかもしれない。

次はバルテュスを探しに移動する。その途中で近代、現代美術の部屋を通るので、それらの傑作たちも拝めた。バルテュスは実は本物は一度も見たことがなかった。画家は生まれた時代によって作品が左右される。だけど、その時代に生まれなかったら全く違う絵を描いていたかもしれないというのは少しさみしくもある。でもバルテュスは違う時代に生まれても同じ仕事をしたのではないかと思わせる。

かっこいいな〜!人と人の間にある間。魔。間をもっとも大事にした芸人、勝新太郎との映像は何度見ても飽きないので、みなさんにも見て欲しい。勝新太郎、友人バルテュスに会いに行くお宝映像。

特別展では「カリカチュア」を集めた展示があって、これはヒントになった。これから僕に新しい扉を用意してくれるかも知れない。

僕の芸風はカリカチュアっぽいのだが、グロテスクに誇張された風刺画などは実は僕の苦手とするところであった。似顔絵も和田誠派か山藤章二派かに別れるなら、迷うことなく和田誠派に手をあげたい。しかし、この展示を見てひとえに「カリカチュア」と言っても色んな絵があり、アル・ハーシュフェルド(この超有名な画家も、もちろん知らなかった)などの美しい線に見惚れてしまった。あとmariusu de zayas(マリウス デ ザイヤスとでも読むのだろうか?)というメキシコ人の絵描きの絵が特にシャレててよかった。この人は、もうひとつの特別展「スティーグリッツ」のコレクション展にもたくさん絵があった。スティーグリッツも僕は知らなくて金持ちのコレクターかと思っていたがジョージア・オキーフの旦那で有名な写真家なんだってね。ニューヨークでギャラリーをやっていて若き日のマン・レイに眼をかけていた人でもある。

無意識にカリカチュアを描いていた僕がこれからは意識して勉強すれば、カッパが泳ぎを覚えるが如し、サルが木登りを習うがごとし、オニが金棒をもって大暴れするように活躍するかもしれない…?
アル・ハーシュフェルドはこんな絵を描く人です。
marius de zayasはこんな絵を描く人です
図録の中にはこういうくだらない絵もあって思わず吹き出してしまう。

ここにカリカチュア展のことが詳しく載っていた。
さて、他にもエジプトのお墓をそのまま持ってきて展示してあるのや、薄気味悪い西洋東洋の鎧や甲冑を見たり、と博物館的なものも楽しんだあと昼食。お酒も飲んでお腹もいっぱいになるとさすがに眠気に襲われる。美術館は歩きっぱなしだから足が疲れる。数日の睡眠不足がたたって、頭がボーッとしてきた。しんどい…。眼が充血して真っ赤だ。なんだか、もうヘトヘトになってしまって、今、ニューヨークで何がしたいか?と聞かれれば、とにかく寝たい、と答える状況になってきた。ベンチに座るとなかなか起き上がる気力がなかった。

まだ3時くらいだったが、ギブアップしてホテルに帰ることにする。(結局レンブラントやフェルメールは一枚も見なかった!)もうタクシー乗っちゃおう。ニューヨークのタクシーは結構乗車拒否が多かったけど、とても怪しげな黒人(老人なのか若いのかわからない)がタクシーを勝手に止めてくれて、乗ることになった。もちろんチップを要求してきたので1ドル渡す。このタクシー自体、勝手なところに行って法外な金額を要求してくるのかもしれない…そう考えるととても心配になってきた。眠気と心配。これはストレスだ。しかし、すんなりとホテルに着いて心から安心する。

さて寝酒を買いたくて、ハードリカーを探したがスーパーやデリには置いてないようだった。仕方なく缶ビールを6缶買う。ビールはおしっこで起きそうだから飲みたくなかったんだけど、一缶飲んでベッドにもぐり込んだ。すると2時間眠れた。起きておしっこに行き、また一缶飲んで寝る。それを3回繰り返して計6時間眠ることができた。この日の晩飯は「寿司田」の予定だったが自分ひとりホテルで寝ていたのだ。みんなが食事の帰りに寿司の折り詰めをもって部屋に遊びにきた。なんだか入院している人の気分だった。寿司を食べて(レインボーロールうまかった)、また寝るももうあまり眠れなかった。しかしこれで体力はかなり回復した。思ったよりも安かったらしいです。「寿司田」明日はニューヨークから電車で80分、ハドソン川沿いにある「ディア・ビーコン」という美術館に行く。大旅行の中の小旅行、これが楽しみなのだ。(つづく)

 

 

NewYork日記 その1

10月18日(火)晴天。 まさか自分がニューヨークに行くとは思っていなかったが、いざ行くとなると俄然興味もわいて来る。わざわざ絵を見に行く旅であるが、聞くところによると美術館はほとんどが公立ではないという。なぜだ?…そんなことも気になるが、やはりニューヨーク自体がどんなところか知りたい。期待が僕を眠らせてくれないのか、旅慣れてないのか、結局全く寝ないでケネディ空港に着く。(写真•NY第一食。テーブルが面白い店「The Prime Burger」)

ニューヨーカーはとにかくみんなデカイ、デカイ。肥満が普通の国だ。ガリガリに痩せている人とすれ違うとなんだかホッとする。肥満は当然社会問題になっているが、子供の肥満予防の教育係の先生がすでにデブだったり、ダイエット給食を開発している会社の社長がこれまたデブだったり…という、これは実話だそうな。人にあわせて全てが大きめでゴミ収集車の巨大さには驚いた。

さてまずはグッゲンハイム美術館へ。なんといってもあの有名なカタツムリみたいな螺旋のスロープを降りながらの名画鑑賞を楽しみにしていた。…しかし!ちょうどニコラロペスという人の特別展示をやっていて、この展示のために吹き抜けの上から下まで隙間なく厚い和紙のようなものでピッタリ塞がれていて、建物の内部を全く見ることができない。ただ通路の中を進むだけであった。本番での驚きを損なわねないように極力写真などで見るのは我慢してきたというのに、なんと間の悪いことだろう。いや、このインスタレーション自体、この建物ならではの展示でなかなかおもしろかったのではあるが…。(だいたいの記憶にもとづく展示の様子。青い部分がインスタレーションである。青いカーテンの中身はまったくうかがい知ることが出来ない。)

他にカンディンスキーの部屋があった(素晴らしい!)。常設コレクションもこじんまり出ていたがゴッホは2点のみだった。1点は小さい油絵で見た記憶のないものだったので、眼に焼き付けておく。セザンヌがふんだんにあった。セザンヌは、絵の中に写実ではない方法で自然を再現しようとした人だ。自然とは調和のことで、デッザンの正確さよりも全体の調和を優先させた。いや、むしろそのためにデッサンは狂わなければならなかったのである。それこそが絵画だ…などと考えこの日はこれで満足した。(写真•晩ご飯メキシコ料理店「Toloache」イナゴのタコス)
ホテルに戻って眠る準備を万端にして床に着く。かれこれ30時間くらい起きてるからさすがに眠い。…ところがなぜか眠れない…。お風呂に浸かってもう一度床に着く。…眠れない…。睡眠導入剤はぜんぜん効かず。結局朝までには、記憶のない時間をつないで計算すると2時間くらいはトロトロしただろうか。夜中に大便を5回、小便を10回以上行った。下痢ではない。一体僕の体はどうなっているんだ。

10月19日(水)雨。 今日はMOMAだ。ホテルから歩いて行ける距離。開館前に行ったけどすでに長蛇の列!びっくり。入館料はKさんがMOMAの会員だったので他のメンバー5人も割引にしてもらえる。たったの5ドルで済んだ。ラッキー。しかもだよ、会員特典として列に並ばなくてもいいということで、どんどん中に入って行けた。上の階から順に見る。一番上の6階は「デクーニング」の特別展。デクーニングといえば半抽象のような女性像が有名だけど、それ以外にも大量の抽象作品や初期のいいデッサンなどが色々見れた。かなりのボリュームで満足。ここは写真がNGだったので画像はない。

デクーニングはこんな絵を描く人です(クリック!)
感動の記憶というものはすぐに忘れるものだ。あの体験はまだ自分のどこかに残っていてくれるだろうか?下の階はMOMAのコレクション。傑作がゴロゴロ。これだけでもわざわざ来てよかったなと思う。人はいっぱいなのだが展示は楽に見れてストレスがない。それだけMOMAがデッカイということか?それに日本の美術館とちがってとても楽しい空気が流れている。去年、ロンドンの「テートモダン」に行った時もそう感じた。この違いはなんだろう?まわりが外人ばかりだから?日本だと他の観客がだいたいどんな人でどんな反応してるかもわかっちゃうからかな?写真がOKなのもあるかもしれない。気に入った作品と記念撮影していると、堅苦しい雰囲気はどこかへ飛んで行ってしまう。マチスの「ダンス」はどこかに貸し出し中でした。またしても間が悪い!「アヴィニヨンの娘たち」ってこんなデカかったのか!実際思ってたよりも大きかった小さかった、という驚きも本物を見る喜びのひとつだ。印刷物にもサイズが記されてるけどほとんど気にしないから。勝手に想像のサイズで見ている。それが裏切られたおもしろさ。マチスのこれもでかいなぁ。こういうのを見てるとでかい絵も描きたくなってくる。これはジャコメッティだったと思うけど、こういう意外な作品見れるのもいい。多くの画家はそれと知られた作風以外にも色々実験をしているものだ。
昼食後、また観る。しかし、もう疲れ果てて特別展のほうはほとんどパスした。大きなソファは人でいっぱいだ。誰かどかないかそればかり狙っている。やっとあいて座る。もう、ヘトヘト。昼のワインも効いてるし。夕方ホテルに戻る。30分だけストンと眠りに落ちた。

夜は川向こうのブルックリンへ食べに行く。「ピータールーガー」という十何年も連続でナンバーワンに輝く老舗のステーキハウス。運良く予約が取れた。タクシーがなかなかつかまらず15分遅れて店に入ったが、そこからまた30分ほど待たせられる。どういうシステムなんだ?しかし活気がすごい店だ。期待が高まる。デクーニングやその他の絵の感動の多くは今、忘れてしまったが、味は結構覚えたりするんだな…。非常〜においしかった!一人77ドルなり。(老舗ステーキハウス「peter luger」)

さて、今日こそ眠れるはずだし、寝なきゃヤバい。もうかれこれ何時間起きているのか計算もできない。平たいお風呂に無理矢理体を浸けてあたたまる。ボーッとしたところで睡眠導入剤を飲んでベッドに潜り込んだ。おやすみー!………あれ?ね、ね、眠れない!!!!!(続く)

 

 

亀を飼っています

銭亀と呼ばれる亀の子供の可愛さったらない。7年前につい買ってしまった亀も、今では文庫本くらいの大きさに成長した。小学生のときにイシガメ一匹とクサガメ2匹を飼っていた。「生き物の飼い方」という当時の僕が最も愛読していた、身の回りの小動物の飼い方がまとめられた図鑑があり、そこには亀は雑食で、「どじょう、エビ、小松菜、バナナ、人参、リンゴ」などを食べると書いてあった。動物系のエサが好きなのは知っていたが、バナナとかも食べるのか?と思い、そこに書かれている食べ物やそこに書かれていない食べ物を色々与えてみた。結果はバナナは3日経っても一口も食べず、人参やキュウリは真ん中や端っこを少しかじった跡を発見出来るのみ、そのかわりオタマジャクシは際限なく食べるし、バッタを与えると、水面を泳ぐバッタを水中から引きずりこんで食べる様子がワイルドであった。それらの結果をまとめた「かめの研究」という夏休みの自由研究は教育科学展で賞をもらって「カメ博士」気取りであった。しかし、その年に冬眠させようとして、失敗し、3匹とも死なせてしまった。春になって土の中から2匹の死骸が発見され、もう一匹は土にかえっていた。おかしい…。「生き物の飼い方」どおりにしたはずなのに。他の動物や昆虫にしても、その本の通りに飼ってもすぐ死ぬので「生き物の殺し方」と呼んだりした。たぶん子供ならではのずさんな管理のほうに問題があったと思うが。とにかく、捕まえて来ては結局死なす、ことの連続であったが、特に心を痛める事もなく、またハンティングにでかける毎日だった。「かめの研究/い野たか行著」なぜ、名前が平仮名漢字が混ざっているかと言うと、「伊」と「孝」が小学三年では習わない字だったからである。もちろん自分では書けるけど。

今でもやはり冬眠は気を使う。ヒーターを入れると冬眠させなくてもいいのだが、エサやりと糞尿でよごれた水を毎日変えるのが面倒なので、冬眠させている。半年くらいは何も食べないで生きているのだから、本当に不思議。外国のおばさんで冷蔵庫を使って亀を冬眠させている人がいて、頭がいいと思った。真似出来ないけど。亀おばさんの冷蔵庫
ほとんど人間の役に立たない亀であるが、部屋の中に放すと、隅の方ばかり歩くので、普段は掃除機が届かない場所にも行く。そして体中にホコリを付けて来るので、今流行の無人自動掃除機と同じ効果がある。でも、ウンチもしちゃう時があるので気をつけなくっちゃ。

 

 

久しぶりに版画

久しぶりに版画をやりました。4、5年前にはじめてやってみて、10コほど作品をつくりましたが、だんだん遠のいてしまい、彫刻刀もすっかりサビついていました。日本一の版画イラストレーター森英二郎さんのアドバイスを活かしながら、作ったつもりなんですけど、結果的に、あんまり進歩できていないようです。これはあくまで僕の腕の問題と、あとバレンが安物だから…かな?性格もありますね。せっかちというか、早く出来上がりをみたいので、どうしても急いでしまうのです。版画は刷って、めくったっときに「うわ〜っ!」という驚きがあるのですが(これはうまくいった場合)僕はたいてい「ええ〜っ…」という言葉が口から漏れてしまいます。今回は前もって和紙を厚紙にはさんで湿らしておいたり、多色刷りのときの位置合わせのための「見当」も彫り込んだのに…余計に、労力に対しての報われない感じがひとしお…。作品はコレです。ま、そんなに手間かかってないですけどね…。以前に作った版画も載せてみます。ホームページにもアップしていますが、この際、ということで。実家で飼ってた柴犬の肖像。

「大菩薩峠」をコミカルに。因果は巡る大菩薩峠、この版画は天地はありません。ぐるぐるまわしても見られます。

吉祥寺の井の頭公園に憩う恋人たちを、頭に浮かべてつくりました。おっとよこからまた柴犬が…。とにかく版画はめんどくさい。でも版画ならではの味は、なかなかデジタルでは代用できないし、なにより「彫る」のは無心に作業ができて楽しいのです。

 

 

静物画実験室

美術の授業でまずはじめに、バナナやリンゴや空き瓶で、「静物画」を描いたりします。いきなり人物や風景は難しいから、とりあえず練習に…ということなんでしょうか、あまりワクワクした経験がありません。ときどきイラストレーションの仕事で「モノ」を描いたりしますが、あれは静物画なのでしょうか?何か違いがあるはずです。セザンヌ、ゴッホ、モランディ、長谷川隣二郎、高橋由一…巨匠の絵と美術の授業で描く絵がまず違うのは「思い入れ」や「動機」ですね。「とりあえず」な気持ちで静物画は描いてはいかんと。ま、なんでもとりあえず描くとあまりいい結果はでないです。僕の場合、人物だとそれなりに動機が見つかるんですけど、なかなか「静物」に対しては見つかりません。う〜ん、と考えて描いてみたのがコレです。何でしょうコレは?

正解は「梱包用に入っている、隙間を埋めるための発砲スチロール」です。正式名称は何ていうのかわかりません。(別にクイズにしようと思って描いたわけではありません。)この捨てられる運命の発砲スチロール、意味のない形にみえて、隙間を埋めるというハッキリした目的があるので、一種の機能美が備わっていると言えなくもありません。これをシリーズで描いたら面白いんじゃないかな?と思っているのですが、電化製品も頻繁に買わないし(このあいだ掃除機を買ったら発砲スチロールのかわりにダンボールが入っていた)コレがなかなか集まりません。電気屋さんにもらいに行けばあるのでしょうが、恥ずかしくて出来ないんです…。

静物画

自分はのんきな野郎で、このブログもそれを反映していましたが、さすがにのんきではいられず、何を書いていいのかわからなかったので先週は更新しませんでした。ちょうど仕事もヒマで(いつもですけど)家で何をしていたかというと、「ゴミ箱」を写生していました。去年の暮れに長谷川潾二郎を観に行ったのもあるし、高橋由一ってそういえば変なものばっかり描いてるよな〜、と「静物画」が気になっていたのでした。この「静物画」は仕事でもないし、個展のためでもないので、完全に自由にやっていいのです。でもなかなかその自由のためにかえってどう描いていいのかわからなくなります。

もともと「静物画」は「nature morte 」で死んだ自然とかいう意味があり、骸骨や時計や切り花などを描いて「無常」を表したりもしてました。そういう意味は込めずとも、絵画的にどう表現するかといった目的など、なにかしら動機みたいなものが決まらないと、どう描いていいのかも決まらないので困っておりました。

が、この非常事態の時、ショックとふわふわした気持ちを紛らわすために、ゆっくり写実的に描けば時間もつぶせるし、ふだんそんな描き方しないのでちょうどいいと思い、そうすることにしました。最初は紙をクチャクチャにしたものを単品で描こうと思っていたのですが、木内達朗さんのツイートでそれをすでに描いているアーチストがいるのを偶然知り(しかもめちゃうまい、ちきしょー)すこし方向転換してゴミ箱を写生することにしました。

けっこう集中できました。昔は絵を描くことってこういう作業だと思ってました。写実的に描いたのなんて久しぶりなので作品の出来がいまいち自分で判断できません。なのでまだ見せませーん。

 

 

田嶋コレクション後編

今週も引き続き、田嶋健さんアトリエ訪問記です。今は3度目の「こけしブーム」なのだそうである。確かに数年前から友達のイラストレーターの間でも、こけしが話題になっていた。マトリョーシカはいつぞや、その座をこけしに奪われていたようだ。もちろん田嶋さんはブームになる前からこけしを集めているわけだが、新婚旅行でこけしを40体買って来たりと、愛情の注ぎぶりは半端ではない。一口にこけしと言っても系統がいろいろあり、僕はまったく詳しくないが、とりあえず写真に納めてきたコレクションをお見せしましょう。

ま、こんな具合にたーくさんあった。いまのところ200を超えるくらい。先日も3人新しく仲間に加わったようだ。そんな中から一番値がはったものを見せてもらったら(トーシロはすぐ値段を聞いてしまい、反省)ちょとビックリすることがあった。なぜならそのこけしは僕のよく知ってる人が作っていたからだ。このブログの熱心な読者な方(たぶん10人ぐらいかな?)ならおわかりなる「水中、それは苦しい」の竹内直夫さん(パリ在住)という人がいる。その竹内さんの高校時代の同級生で、奥瀬恵介さんという人がいて、詳細をはぶくが、10年以上も前のある日、この奥瀬さんが当時、一人暮らしのオンボロアパートに僕を訪ねてきたのだ。色々語るうち、「奥瀬さんの実家て何やってんの〜?」と聞くと「おふくろがこけし作ってるよ」と言う会話があった。その当時はマトリョーシカの時代であって、こけしは「今に生きる伝統芸能」という感じではなかったのだ。「へー、こけしを作ってんだ…」という、正直に言えば、なんとなく寂しい感想を持ってしまったのだが…ご覧ください!このこけし&本の表紙を。奥瀬恵介さん作のこけしだったのだ。いつのまにこけし職人になっていたんだ。とにかくめでたい。そしてこけしコレクターの田嶋さんが大枚はたいて買ったこけしが僕の知り合いの作だなんて、なんというつながりであろうか。ははははっ!僕の友達が作って、僕の友達が買ったわけですよ、知らずして。というわけでこけしびっくりレポートはおわり。つづいて版画制作報告。これがプレス機です。100キログラムちかくあるので、床にも補強が必要。墨を入れる田嶋先生。手際がよくて気持ちいい。僕はみてるだけ。墨を塗った版。この版画は彫刻刀でバリバリ彫って作るのではなく、銅版画のエッチングのような技法で作ってます。田嶋さんがあみ出したマル秘テクニックなのだ。この状態は写真のネガの感じに近いのかな。この技法では彫ったところが線になって出て来るのです。限られた時間の中での仕事だったので出来映えはイマイチ(これは僕の原画のせい)だったけど個展には出すと思うので見て下さい。河鍋暁斎の肖像画のつもりです。プレス機で刷っているところ。このサイズの版画を手で刷るのは大変な力作業だが、これがあれば、グルグルっと回すだけでラクチンに刷れる。ただ家にこのプレス機を置く勇気が必要だが。最後にパチリ。あ、ちょっとおもしろい顔になっちゃったな。この時は田嶋さんが自作の版画を刷る準備をしているところ。黒は墨で刷るが、色はオイル系のインクで刷るそうだ。田嶋さん色々お世話になりました!田嶋さんのお友達の寺山さん、醤油豆ありがとうございました!あれは最高ですね。(田嶋レポート・完)

田嶋コレクション前篇

先週、長野県佐久市にある田嶋健さんのアトリエに行って来た。目的は年末にひらく個展用に、大型版画を制作するためである。田嶋さんの住んでいる付近は日本で最も海から遠い場所だそうだ。田嶋さんの運転してくれる車の中から「鯉料理」の看板が何軒か見えた。海のド近所に生まれた自分は鯉料理はフライしか口にしたことがなく、洗いや、鯉こくなどどんな味がするのか興味があったが、田嶋さん曰く「泥臭くて、まずい」そうだ。ちなみにその晩は中華料理を食べに行った。うまかった。

玄関を入るとアールブリュットの作家、佐々木卓也さんの絵が飾ってあった。今年の干支、虎の張り子とともに迎えてくれた。あるぞあるぞと、期待していたがふと目をやったこんなところにもコレクションはあった。隙間の角度にあわせて買って来たというだけあって完全に収まっている姿が微笑ましい。

ここがアトリエ、版画のプレス機が主役である。手前の本や雑誌はさっそく私が散らかしてしまったもので、元はスッキリ片付いていた。反対側には合理的な収納スペースや版画乾かしコーナーがあったが、写真を取り忘れた。このアトリエにはロフトもあり、私はそこに泊まらせてもらった。写真がヘタで残念だ。かっこいいアトリエだったのに。そしてコレクションの数々、写真に収めて来たのでみてもらいましょう。まずは郷土玩具コレクション。

一個いっこ手に取って見たらみんなとても面白そうなのだけど、とにかく数が多すぎて手が出ない。「なんかおすすめとかある?」と聞いたらこれを出して来た。これは不思議だ。右の方は顔の裏側ではなくてこれが顔の正面なのだ。郷土玩具のくせにやすやすとアートしてしまっている。

そうそう、今回私が貢ぎ物としてもってきたガラクタはこの3つ。私はこういうものを収集しているわけではないがボロ市で箱の中から漁って来たものがこれだ。喜んでいただけただろうか?郷土玩具だけじゃなくて絵馬もあるぞ。

そしてこれが田嶋さんの版画作品だ。かっこいい。鯉は嫌いって言ってたけどね。味と形は別だから。田嶋さん家に着いたときからカエルのけろけろ鳴く合唱が耳にとても心地よかった。アマガエルが多いらしくて、夜になると家の明かりに集まる虫を食べるために窓ガラスにへばりついているらしい。夜になって外に出たら確かにいた。

このあと、こけしコレクション、版画制作とレポートは続くが、疲れたのでまた来週!
田嶋さんは日本一精悍な顔をしたイラストレーターである。ここをクリックしてその顔と作品を見て下さい!

 

 

港の中から誰かが呼んだ?

小学5年生の時、公文(くもん)の帰り道、自転車で港を走っていた。…ところまでは記憶にあるが、気がついたら溺れていた。

全く不思議である。落ちた記憶はないのに気がつけば海の中だった。溺れている間に記憶が消えてしまったのかもしれない。

当時はまだ泳げなかった。港の岸壁にはフジツボがびっしりついていたがそこに手をかけることも不可能だった。海の中から見上げる空には月が出ていた。溺れている時、むやみやたらに手足を動かし呼吸するのに必死だったが、頭の方は他のことを考える余裕があった。この月が見納めの景色だとか、友達の顔などが走馬灯のように順番に出てきたリだとか…短い人生だとは思わなかった。どれくらい時間がたったかわからないが、空に人影が現れて、長い竹竿をさしのべてくれた。この見ず知らずのオジさんがいなかったら、翌朝水死体で発見されていただろう。夜釣りをしていたオジさんは溺れる音を聞きつけてくれた。そこらへんに置いてあった海苔の養殖用の太い竹竿につかまらせようと機転をきかせてくれたのである。(顔がちょっと水木しげる先生風になってしまったが…)竹竿につかまり、何度もずり落ちたが、なんとかよじのぼって、助かったのであった。めでたし、めでたし。その晩は死の恐怖で泣きどおし、しばらく港にも近寄れなかった。翌日、こっそりと親父が自転車を引き上げに行った。ナイショにしていたのに「昨日誰かが溺れていた」という話は町に広がっていた。しかし、なぜ落ちたのかわからない。ぼんやりしていた子供だったので居眠り運転でもしてたのだろうか。おわり。

点取り占い第1集

「点取り占い」が好きなので…。本家ののんきさはにはなかなか到達できない。(画像はクリックで鮮明に!)

 

 

サラリーマン芸術

「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」かどうかはサラリーマンをやったことがないからわからない。三流大学を出た後、サラリーマンになるはずだった私の人生はどういうわけか、こういうことになっている。「将来の職業」という小学校時代の作文で「お父さんの後を継ぎたい」と書いた。父親はサラリーマンだった。単にそう書きたかっただけだ。

ただ父親は作業服のサラリーマンだった。「サラリーマン」といえばなんとなくスーツの人を思いおこす。こんな私も2ヶ月間だけ就職活動をしていたことがある。四月からはじめて(遅い!)六月にやめた(早い!)。最初はスーツを着るのが嬉しかったけど、暑くなってくると嫌になった。折しもバブル崩壊2年後。後少し早く生まれてたら今頃何をやってただろうか?サラリーマン?たぶん何年か勤めた後退職して同じことしてる気がする。

就職活動してた時、希望の仕事は「営業」と書いていた。これは今考えると完全に、「自分がわかってない!」と言える。最も向いてない、というか苦手な仕事なのだ。今はフリーランスだから「営業」も自分でやらなければいけないのだが、自分の中の営業部は外回りを全然してくれない。そろそろなんとかしなくてはいけない…。誰かかわりにやってくれないかな〜。

小さいときから絵を描いたりすることが一番の心の慰めであったが、そんなものはプロとしてとうてい通用するものではないと決めつけていた。しかし、夏が近づくにつれアホのようにスーツが暑くなり、思い切って就職活動まで脱ぎ捨ててしまった。ヤフーかなんかのアンケートで、誇りの持てる職業の上位はみんな作業服の仕事だった。直接的に人の役に立っているからだろう。スーツはやはりイギリス人が着るのが一番似合う。高温多湿の日本の夏にスーツに革靴は絶対無理がある。ご苦労様です。私は貧乏とひきかえに涼しい格好を手に入れ、通勤地獄から逃れられました。人生について、自分について何もわかっていないバカ面をスーツの上にのっけている。しかし今思えば人生の別れ道に立っているわけだ。そんなおおげさなもんでもないか。

 

 

オルセー美術館展など

国立新美術館に「オルセー美術館展・ポスト印象派」と「ルーシー・リー展」を観に行った。土曜日でもあったし、雑誌やテレビでも特集されまくっているので、絶対に混む!と思い、開館と同時に入場し、いったん出口まで進んでから、引き返して観る、という方法を実行してみた。

イモ洗い状態で観るのは、本当にご免です。こう言っては何だが、観に来る人の9割は、絵を観に来るわけではなくて、教養を身につけに来ているのだ。それでもいいけど、あのイヤホンガイドみたいなものが、人の流れを余計に渋滞させてしまう。あれは借りたことがないのだが、どんなことを言っているのだろう?かくいう僕も歌舞伎を観に行く時は借りたりする。古典はどうしてもわからない部分があるし…。絵は一瞬でわかるものである。たしかに言われてみて気がつくこともある。でもわからない人は一生その絵の前に立っていても理解出来ないものは理解できない。絵を理解する方法は本を読むより、自分で描いてみることが一番だ。美術館に行って絵の前に立ち、自分の絵がなんてショボイのだろうと、実感すると同時にその絵の素晴らしさを知る、これ以上の理解があるだろうか?

友達たちとは美術館の中で落ち合うことにして、各自行くことした。開館10分前に着いたが、すでに100人くらいの列ができていた。しかし企みは功を奏して、半分くらいはゆっくり観ることができた。奥の部屋から引き返して、ボナール、ルソー、ゴーギャン、ゴッホとゆっくり観ることができた。(下の絵はクリックすると大きく鮮明になります)セザンヌの部屋で人の波に飲み込まれてしまったことが残念。やはりセザンヌは本当に素晴らしい。その後の絵画の進化の元になるものが、すでに塗り込められている。この時代の他の画家の絵には文学性があるけれど、セザンヌはそれを排除して、純粋絵画の詩情のみで勝負を賭けているところがいたく感動的だった。ゴッホやゴーギャン、ルソー、ボナールも良かったがベルナール(ゴッホとゴーギャンの共通の友人)という人の絵もたくさん来ていた。ベルナールの「象徴的な自画像(幻視)」という作品がかなりおかしく「これは変だ!」「ポストカード買おう」と友人達と盛り上がっていたが、案の定、ポストカードにはなっていなかった。ベルナールの中でも異質な作品だと思う。ネットで画像を探してきた。(この絵もクリックすると大きくなります)ゴッホの手紙はベルナール宛のものもたくさん残っている。ベルナールはゴーギャンとは仲違いしてしまったようだが、ゴッホとは終生の友達だった。でも絵はゴーギャンに近い。ゴーギャンとベルナールのまわりに集まった画家たちはポン=タヴェン派と呼ばれている。そう考えるとゴッホは当時から特異な存在であった。120年経った今もゴッホに似た画家はいない。ゴッホとセザンヌは片田舎で孤独に制作し、ゴーギャンはタヒチに渡り孤独に制作した。巨匠たちはある時期から孤独に制作しているのである。僕もツイッターなどでチラチラよそ見するのをやめてドッカと腰を下ろし、絵を描いたほうがいいのではないかと反省してしまった。

同時開催の「ルーシー・リー展」は素晴らしかった。オルセーと違って個人の作品をまとめて観ると、その作品群が作者の死後もメッセージを発し続けているのが、とても実感できる。すっかり見入ってしまった。ルーシー・リーがウエッジウッド社と提携してジャスパーウェア(青地に白の有名なシリーズ)を手がけた試作品があった。結局日の目を見なかったのだが、なんとなくわかるような…。そういうのも観れて面白かった。

おわり。

まんが「人気者」

子供の頃の夢、それは「漫画家」になることでした。いや、実は大きくなってからも、漫画家になりたかった。大学時代には雑誌に投稿したこともあります。なのにいつしか漫画はそっちのけで、イラストレーター志望になってしまいました。しかし、イラストレーターで漫画も描ける人は、僕の憧れであります。湯村さん、安西さん、南伸坊さん、スージーさん…イラストレーターが漫画を描きはじめた時代の洗礼をうけましたから。今から5年ほど前、やっぱりもう一度漫画を描きたいと思い、3本描きました。「あひびき」「ひみつ」「人気者」という女子高生シリーズです。もちろん誰に頼まれたわけではありません。そしてオファーもないので最近は描いておりません。てへへ。今回HBビジュアルブック「こっけい以外に人間の美しさはない」に収録されている「人気者」という漫画を載せてみました。あ、ここに載せたのは1ページ目だけ。本篇はTISのサイトにアップしました。

クリックしてください!伊野孝行のまんが「人気者」

 

 

何だこりゃ?

8年位前のファイルを整理していたら、当時描いた2コマ漫画がでてきたので載せます。今は二日酔いのため、これ以上文章を考えることは出来ない…。まずは「放課後の山田君」です。続いて「女の子はセットに夢中」です。

 

 

倫敦の旅、その3

さていよいよゴッホを観る日がきました。場所はギルの彫刻を観たのと同じ王立芸術院です。ゴッホ展は時間ごとに区切られた予約制です。なので混んではいますが、イライラするほどではありません。日本もこうできないものでしょうか。

この展覧会「真実のヴァン・ゴッホ/芸術家とその書簡」はロンドンでも40年ぶりの大規模な展覧会で、タブローが65点、ドローイングが30点、破損しやすくめったに公開されない手紙が35通展示されています。カタログのまえがきには、手紙からわかることは「ゴッホの狂った天才という神話のかわりに、思慮深く、高い教養のある人物で、系統だった仕事の方式(メソッド)と注意深く考えた芸術的な戦略をそなえていたのだ」と書いてあります。(Kさんの訳)狂気の画家というイメージをくつがえそうとする展覧会なのです。展覧会はこの絵から始まります。画面の右下にあるのが、そう、ゴッホの手紙です。

ゴッホに対する誤解…僕も以前は誤解していました。たとえば「炎の人ゴッホ」に描かれているようなゴッホ。それはそれで感動的なのですが(最近、映画の「炎の人ゴッホ」を観たが、面白かった。とにかく全員ソックリで、絵からそのまま飛びでてきたようである)やはりそれは裏側から見たゴッホの人生なのです。ゴッホの表側はもちろん「絵」を観ること。いかに絵に取り組んでいたか知る方が、変な謎につつまれなくていいです。

さて、本物の前に立ってどんな気分になるのか?あと確認したかったのは、色です。中間色の使い方がほんとにうまいなぁ、と思っていたので実際はどんな色なのか見たかったのです。印刷だとそれぞれに違うから。色は思っていたとおり綺麗でした。くっきりとして透明感がある。そして思いのほかどれも大きかった。野外にもかなり大きいキャンバスを持っていったのですね。

ゴッホほどスターをたくさん抱える画家はいません。ひまわり、糸杉、イス、跳ね橋、アルルの寝室、夜のカフェ、自画像…。それは何でも描いたからそれだけ数が増えたのでしょう。例えばナショナルギャラリーにあった、ただ一面草地を描いただけの作品など、こんなところをよく絵にできるなー!と感心してしまいます。絵を描き始めた初期に手紙の中ですでに語っています「「頭を刈り込んだ一本の柳をあたかも一個の生き物(たしかに本来そのとおりだが、)であるかのように描こうとするとき、注意をすべてその木に集中し、そこになんらかの生命が吹き込まれるまでたゆみなくやり続ければ、おのずからそれを取りまくものは大方それに応じて出来上がってくる。」

成熟期には、もうなんでも絵に出来るのだという自信が光っています。ゴッホが描いたのはたったの10年間。この展覧会を観ただけでも、その時間が千年にも値するものであったのがわかります。考えられない充実。自分の10年と照らし合わせればなおさらです。ああ、出来るなら最初の一枚から、最後の一枚までを並べて追って行きたい。秘密を探りたい。

初期の頃の絵は確かに暗い絵が多いのですが、この暗さも後年明るく反転するには必要。この時期をじっくり観ると、才能が爆発したときにカタルシスを覚えるので気持ちをこめて観ます。そんな中でゴッホの素晴らしい鍛錬をみました。この絵です。

こんな難しいアングルから何枚も描いていました。なんとか画面に納めてみせるぞ、と格闘していました。ゴッホの恐るべき技術力はこういう努力の果てに身に付いたものだと思うと、また感動です。ゴッホの絵はどれも画面の骨格が太く色の構図がしっかりと出来上がっています。主題には外から演出を加えず、そのもの自体の中から何かをひっぱりだしてきます。最高傑作のひとつ「ゴッホの椅子」なんてただのありふれた椅子なわけですから。

ホックニーがゴッホについてこう語っていました。「私はいつもヴァン・ゴッホに強い情熱を傾けて来た。それは確実に、70年代初期から大きくなり始め、今も大きくなり続けている。それが実際いかにすばらしいかをさらに意識するようになった。どういうわけか、それが私には一層リアルなものに思えた。」そしてヴァン・ゴッホのもとに遅くやって来たのを後悔していると付け加えていました。僕とホックニーと比べるのは大きな間違いではありますが、この気持ちは今、特にわかります。僕は初めて好きになった画家がゴッホでしたが、今のようにちゃんと戻ってくるまで時間をとりすぎたと少し後悔しているのです。

さて今年の秋にゴッホが日本にやってきます。またまた3分の1は他の人の絵が混じってるみたいですけど。ロンドンはもちろん混じりっけなし。行った甲斐があるな〜。でも油絵35点と素描30点あるらしいですから、必見。顔に包帯を巻いて、パイプをくわえて見に行きましょう!国立新美術館ゴッホ展

ロンドン旅行記というより、ただのゴッホの感想になってしまいました。今回をもってロンドン報告も終わります。お付き合いありがとうございました。お別れはこの曲で。僕のゴッホのテーマソング、大好きな曲です。ジョナサン・リッチマン「Vincent van Gogh」

 

 

倫敦の旅、その2

ロンドンでどこに行ったかというと、ほとんどは美術館です。美術館のことばかりだと、何かレポートを提出している気になってきますので、今日は「ロンドンあんなこと、こんなこと」で行きたいと思います。

◯気候…体感温度−2℃と聞いて、用心に用心に重ねて行ったが,東京の寒い日とたいしてかわらず。全員使い捨てカイロを持って行ったが,誰も使わず,捨てられず,持って帰ってきた。

◯サーチ・ギャラリー…牛のホルマリン漬けのデミアン・ハースト、巨大な赤ちゃん人形のミュエック、中国の「死体派」という恐ろしい名前の集団出身のスン・ユアンなどなど、とんがったアーティストを輩出してきたギャラリー。年中無休のはずが、行ってみたら休館中。ショック!!カフェだけはやっていて外から写真を撮った。尻から☆を出す女に「どう?一杯食わされた?これがサーチなのよ〜」と言われているよう。

◯地下鉄…ロンドンの地下鉄は初乗りが400円か500円くらいしたと思う。そのかわりタクシーは安かったけど。地下鉄は大江戸線よりもう少し小型。たまたまロシア人4人の若者の間に座ってしまったKさんを見ているのがおかしかった。頭突きをしていたロシア人は首が太く、ガツンガツンという強烈な音がしていた。酔った外人は迫力あって、怖い。Kさん曰く「なんで頭突きしてたかわかる?あれは女の子がおったからや」なるほど、その気持ちはわかります。

◯ブックアート・ブックショップ…ロンドンの「トムズボックス」と呼びたいお店。我々は15分くらい物色していたが手ぶらで出てしまった。軍配は土井さんの「トムズボックス」に上がった。

◯レストラン…イタリアンを2軒、モダンブリティッシュ料理を1軒、予約して行った。もちろんどこも美味しかった。ロンドンに行く前の打ち合わせで、ジャケットくらいは持って行った方がいいよ、と言われ急いで買いに行った。N君などはさも当然という風に,革靴も持って行く,と言っていた。でも実際は普段着の人も結構いた。あんなに言ってたN君が一度もジャケットを着なかった。A君はウォーターストーンズのカフェでお会計の際、こんなことしてましたよ〜。でも二人とも僕より年下なのにしっかりしていて、僕はずっと甘えていました。ありがとう!◯トイレ事情…ロンドンは個性的なトイレが多かったなー。水の流れる音も様々だった。下はシンプルなもの二つ。左のは簡易トイレみたいなもんだろうけど…。

◯日本料理…海外旅行でその土地の人が食べているものを食べる,それは海外でしか出来ない体験だが、外国の「日本料理」を食べる、これも海外でしか味わえない体験だ。そしてまことに興味深い味がする。最終日に行った「ハロッズ」のお寿司屋さんは、カウンターだけのお店だが満席で大繁盛していた。60代もなかばという感じのおじさんが握ってくれた。(店員はあと、日本人のおじさんと中国人の若者3人)手にはペラペラする素材のビニール手袋をしている。職人の命とも言える指先をあんなもので覆ってしまっては、とても寿司など握れない,と思うのだが手品のように寿司をにぎり、エキゾチックな盛りつけのお好み寿司を作って行く。このおじさんはもう10年くらいこっちにいるのだそうだが、なんでまたこんなところで寿司を握っているのだろう?英語は苦労しなかった?手袋をして寿司を握りたいんだろうか?人生をインタビューしたくなるような風貌をしている。日本人は味に文句を言うかもしれない。しかし箸を器用に使う外人達はとても楽しそうに食べている。外国映画の中に描かれる日本文化の中に入ったような不思議な違和感も、心地いい。異国の土地で人生を送るってどんなことなんだろう。サーモンが美味しくておかわりした。(つづく。来週はゴッホ展を中心に)

 

 

倫敦の旅、その1

ロンドンに着いて,明けて次の日、王立芸術院に「WILD THING」と題されたギル、エプスタイン、ブジェスカによる彫刻の展示を観に行きました。ギルについては少し予習をしていきましたが、他の二人については全くの無知。ポスターにはエプスタインの作品が使われていました。これが実際みると度肝を抜く作品でした。まず見ていただきましょう。これが作られたのが20世紀初頭だと聞いてびっくりしませんか?

黒い三脚みたいなロックドリルは既製品を使っています。彫刻に既製品を使うなど当時は理解されなくて、結局作者自身がこわしてしまって、これはレプリカだそうです。こわされた本物の上半身だけが何故か黒く塗られて展示されていました。(このへんの話はKさんに後で説明してもらいました。なんせ英語が全く読めないので…)時代を飛び越えたエプスタインに比べて、ギルの彫刻はいつの時代の作であっても不思議でない、つらぬいた想像魂を感じました。とうの昔からあったといわれたも納得してしまうような。でも何処にもこんな作品はありません。後日、V&Aでもギルは見ましたが,独特の雰囲気に包まれた作品は他の彫刻に混じっても異彩を放っていました。三人のあと一人、ブジェスカはキュビズムの影響下にあると思われる作品でした。当時はこの人が一番時代に乗っていたのかもしれません。ギルとエプスタインに比べるとあまりおもしろくありませんでした。それぞれの時代性というのも、この展示の狙いだったのかどうか、英語がわからないので定かではありませんが、そんなことを思いました。下はギルの作品です。

昼は美術館にあるカフェで食べました。ガイドブックにもおいしいと書かれていたとおり、おいしかったです。トイレの手洗いの水が熱湯に近かった。

午後はテートギャラリーでやっているターナーの企画展を観に行きました。イギリスではミュージアムは博物館で美術館はみなギャラリーと言うそうです。そしておしなべて広い!ターナーは前からスゴい人だと思っていましたが,正直こんなにスゴい人だとは思いませんでした。おっと、その前にテートギャラリーの前で記念撮影。パチリ。

企画展ではターナーの作品とそれに似た誰かの作品が並べて展示されてました。N君の説明によると、先輩,後輩問わず,ターナーが貪欲に挑戦し,消化し吸収し、モノにしていった相手と対に展示されている、ということでした。膨張しつづける宇宙のようなターナー。作品サイズも特大です。かなりの満足を覚えましたが,上の階にはテートの誇るターナーコレクションが、企画展の3倍くらいありました。これを日本で観ることはまず不可能でしょう。ロンドンに来た甲斐がありました。ターナーコレクションの次は、現代美術のコーナーがまだありました。無限に展示室が続くのではないかと思えてきます。ホックニーの絵も見れて良かったですが、ちょっと疲れてきました。もう少し集中力を残しておけば良かったと後悔します。いや、後悔はしません。ターナーの前においては自分などカスのような存在であると気づいたからです。この旅行の目的のゴッホ展もそうでしたが、素晴らしい絵を観るということは、絶望と幸福を同時に味わう体験です。(つづく)

 

 

ゴーギャン展に行った

ゴーギャン展に行ってきた。タヒチには行ったことがないが、たぶんゴーギャンの絵に描かれているようなところではないと思う。このあいだテレビで見たけど、ハワイのようなところだった。誰もが思い描く楽園。しかしゴーギャンの絵を観て楽園だなんて思えない。神話の絵巻をみているようだ。善も悪も生も死も未分化で、友達のように寄り添う。文明開化された自我の中から無意識が覚醒し、ジャングルの奥には自分を投影できる闇がある。それがゴーギャンのタヒチであり、それはまたゴーギャン自身の姿なのだ。印象派の画家達は身近なところでモチーフを見つけている。それが新しかったのだが、ゴーギャンは海を越えてしまった。最後は非業の死を遂げた。ゴッホにしろセザンヌにしろ昔の芸術家の覚悟はすごい。芸術家で最も大切なのは腹をくくることである。美術館の常設展では萬鉄五郎も観れた。ゴーギャンに似てるところがあると思ってたが、実際さっきゴーギャンを観てきたばかりの眼でみると、全然似ていなかった。間近に観ると鼻の穴がでかかった、脇毛もあわせて、これ以上小さくてはいけない必要な大きさである。萬鉄五郎はキュビズムっぽいのも描いてるが、これもちゃんと萬鉄五郎の絵になっている。また他に、木村荘八の大作「新宿駅」が観れて感激であった。木村荘八の描写力は挿絵画家であったことにより鍛えられた面もあると思う。当時の風俗、新宿駅を知る上で写真では映らない雰囲気を知ることができる。単なる画家ではできない芸当である。画像がなくて残念。