伊野孝行のブログ

沖縄と北海道

那覇空港を出ると友人のボックスカーが迎えに来てくれていた。
車に入ると、チャイルドシートの双子の男子がニタニタしながら私のことを見ていた。
「ねぇ、この人誰?」と助手席のお母さんが聞くと「もつりんさん!もつりんさん!」と子どもたちは答えた。
もつりんさん……それは『オトナの一休さん』に出てくる一休宗純の弟子の没倫(もつりん)のことである。
没倫の顔は私をモデルにして描いてある。子どもたちは「今日はもつりんさんが東京からやってくるよ」と言い含められているようだ。ならば私ももつりんさんで通そう。
「カラーズ」というお店に寄ってタコスとタコライスを食べた。
店の主人と友人夫婦が喋っている間に、私は外に出て、すぐ目の前にある公園に行ってみた。

ワオ!生えている植物がぜんぜん違う!……根っこのお化けのような巨大な木を見て、一気に南国ムードに包まれた。数え年46歳にしてはじめての沖縄だった。

毎週火曜に更新しているこのブログ、先週は沖縄に行っていたのでお休みしました。持参の紙芝居で心をつかみ……完全になつかせる。こう見えても子どもと遊ぶのが好きだ。
帽子と眼鏡をとった私の顔とアニメの没倫さんを見比べて、不思議そうにしている双生児。私はテレビから抜け出てきた人だと、彼らは思い込んでいる。素敵な絵が飾ってある友人宅のトイレ。
夜だけに咲いて、たった一日で散るサガリバナという幻想的な花が満開だった。
栄町市場にある「宮里小書店」。拙著『画家の肖像』の沖縄唯一の取扱店である。
「宮里小書店」のお向かいキンジョーさんのお店。
夜の栄町市場は一転、飲み屋のアーケードになる。
今回の旅は「宮里小書店」のご家族のお世話になりました。店主の宮里千里さんが1978年に録音した、今では伝承が途絶えてしまった祭祀『久高島イザイホー』のCD。絶賛発売中です。

琉球弧の祭祀-久高島イザイホー-宮里千里

推定樹齢300年の神木、大アカギの穴ぼこをのぞく。

沖縄サイコー!

さて、沖縄ときたら北海道。
私は北海道もまだ行ったことがありません。
この夏開かれる「札幌国際芸術祭2017」の公式ガイドブックの仕事をしました。芸術祭のガイドブックは作品が出来上がっていない状態で作らねばならない。絵はイメージです。これもイメージ。タヌキが街頭テレビを見ていますが、何が起こるのでしょう?この物体は一体なんだ!?夜のススキノにアーティストたちが出没!指揮を取っている人はゲストディレクターの大友良英さん。
その右横は参加アーティストのマレウレウ(アイヌの伝統歌をテーマに活動する女性ヴォーカルグループ)さん。大友良英さんとマレウレウさんは共に『オトナの一休さん』の音楽を担当されている。
というわけで、つい群衆の中に蜷川新右衛門さん風の人物を描き加えてしまった(かすかに一休ぽい人もいる)。
先日『オトナの一休さん』の打ち上げがあり、大友さんにこの絵の説明をしたところ「いや、なんで新右衛門さんが描いてあるんだろう?と思ってたんだけど、同じ人が描いてたんですね」とおっしゃってくださった。細かいところまで見ていただいていて感激です。
大友さんに『久高島イザイホー』をプレゼントしました。

長沢節と美少年

このブログは自分礼賛、自慢話をするために開設、更新されております。

あなたは美少年、もしくは美少女と呼ばれたことがありますか?
わたしはあります。ただ一人の人だけに。
美少年……なんて心をうっとりさせる甘美な響きでしょう。
でも、わたしは世間一般で言うところの美少年とは程遠い顔です。
そういえば、小さい頃、全盛期の郷ひろみがテレビに映るたび、「あんたの方が男前やに」と母親はわたしに言い聞かせていたので、小学校の高学年くらいまでは全くコンプレックスも持たずに育ちました。
単なる親のひいき目に過ぎなかったことは、思春期になって、他人をよく観察しだすと一目瞭然なのでした。
デコチンで眉毛がぼんやり薄く、目も小さいし、美しい鼻梁があるわけでもなく、たらこ唇で……と数え上げればきりがなく、おまけに中学に上がると度の強い眼鏡をかけるようになり、顔じゅうにはニキビができて……高校生になって念願のコンタクトレンズにして、ニキビもおさまりましたが、それでも地味な顔であることには変わりありません。ところが、大学卒業後、セツ・モードセミナーに入学すると、事態は急変!なんとわたしは美少年と言われたのでした。それも世界中の美少年と美少女しかモデルに選ばない画家、長沢節にです。
長沢節好みの美少年とは?
ちょうどわたしがセツに入学した頃、地下鉄サリン事件が起こり、連日テレビにはオウム真理教の幹部たちが出ていました。
カリスマ校長であった長沢節先生は「セツがオウムみたいだって言ってる人もいるらしいよ。プッ!バカみたい」と生徒たちが腰かけているテラスのベンチにやってきて、生徒の耳をひっぱって笑っていました。
そして「麻原はブタみたいだけど、幹部はみんなカッコイイね〜」と言うのでした。
映画の本も何冊も出している先生には、ひいきの俳優がいるわけですが、例えば日本人で言うと、寺田農や小倉一郎といったところが先生の好みなのです。トシちゃんもいいと言っていました。
顔の好みもあるのかもしれませんが、なんと言っても、それ以前にゴツゴツとした骨美や華奢で筋ばった肢体を持っていることが条件なのです。長沢節好みの美少年とは顔じゃなくて体のことだと言っても過言ではありません。ちなみにヴィスコンティの「ベニスに死す」に出てくる美少年アンドレセンみたいなのは気持ち悪くて嫌いだと言ってました。
この辺りが世間の美少年観と大きく違うところです。「あなたはセツに行ったらきっと長沢先生に気に入られるわよ」と友人に言われてセツに入ったものの長沢先生に見向きもされなくてがっかりして学校辞めちゃった美少年が今までに何人もいた……らしいですが、きっと彼らはいわゆる美少年だったのでしょう。入学を推薦した人も誤解をしています。男らしい筋肉隆々とした肉体美とは程遠い、貧素な体がセツでは神に選ばれし肉体ということになるわけですから、わたしのコンプレックスなんかいっぺんに吹き飛びました。絵を描くことを教わったという以上にわたしは人生を救われたのです。
……という出来事が今から20年前にありました。セツでモデルのバイトをしていたことも今は昔の物語です。53キロだった体重も今では7キロも増え、天国の長沢先生にあわせる体がありません。死ぬ時には体重を元の53キロに戻しておかねばなりません。
そんな風に今の自分を反省したのは、ちょうど現在、弥生美術館で長沢節展をやっているからです。
 先日、展覧会に行ったら私がモデルをした絵が5点も出ていました。
1点くらい出てたらいいなぁ、とは思っていましたが、予期せぬ大漁に「あ、これオレ!」「ねぇちょっとこっち来て、これとこれとこれとあれもオレ!」と一緒に行った友人たちに自慢しまくりました。
一緒にいた友人の中には長沢先生最後の大お気に入り美少年(先生のお別れ会で弔辞も読んだことのある)村上テツヤ君もいました。彼のデッサンは1枚も出ていない。わーははは、勝った……!と思いましたが、まぁ、これは学芸員さんのチョイスなので、長沢先生が選んだわけではありません。しかし気分がいいものです。
わたしはチビなので、長身の人がポーズを取った時に出るダイナミズムが自然には生まれません。だからポーズにはいろいろな工夫をしました。なるべく360度どこから見ても、描きたい体の線が発見できるよう、部屋の姿見で研究したものです。
「お!いい線でてるぞ!描かなきゃ損だ!」と先生に言われたくて必死に頑張りました。
先生は一回の授業で、普段は2、3ポーズ、興が乗れば5、6ポーズもデッサンをとります。そしてデッサンを自慢げにパチンパチンとマグネットで黒板に止めて教室を出て行くのですが、わたしはなるべく先生が描く枚数を多くしたかったのです。とっておきのポーズは先生が教室に現れてから披露しよう、などと考えていました。ワンポーズ10分なのですが、大きく体をひねったり、腕を上げたりすると、体が悲鳴をあげて、プルプル震えがくるのです。でも先生のために頑張りたいのでした。
それが立派な長沢節信者のとる行動でしょう。ま、先生が教室にいないときでも頑張ってましたけどね。
ちなみにポーズの良し悪しは、自分がデッサンを描く側に回るとよくわかるのです。
(前略)服装は女と共通のTシャツと白いコットンパンツだ。ボトムのすそをまくり上げて、女より細い脚からは思いがけなくもすね毛が生えてるので驚いた。それが骨の鋭さと妙にマッチして、とてもセクシーだったのである。
今までの行儀のいい男なら、人前でこんな格好をしないだろうに、この男は自信に満ちてスニーカーのかかともふんづけていた。
切れるような細長いアキレスけんを誇示してるのだろうか?とがったくるぶしの骨とでつくりだす溝の谷間の陰影が深く美しい。
今まで気付かなかったが、アキレスけんへ続く玉ネギみたいなピンクのかかとというものが、こんなに魅力的なものだったとは!いきなり触ってしまいたいほどのかわいさではないか! 
もしここに靴ダコでもできてしまったらもう大変……。パウダーやアイシャドーをうまく使って、丁寧にメーキャップした方がいいと思う〉
(『節のヤングトーク』より 共同通信社より配信 1998年)
文章(展覧会図録に収録されている)を書き写しているうちに恥ずかしくなってきました……。このエッセイは授業中に描いたデッサンを元に、先生が連載のために後でつけたものですが、くるぶしやらかかとやらを絵と文章でこんなに魅力的に見せてくれた人がいたでしょうか(このデッサンは右肘のゴツッと出っぱった感じもウマい!)。長沢節に発見されなかったら、わたしのくるぶしもかかとも靴下の中に隠れたままだったろうし、スニーカーのかかとはふんづけていませんでした。
展覧会場でデッサンを見ながら「このポーズも先生のモチーフになりきりたい一心でとったんだよなぁ……」と昔の記憶が蘇ってくるのでした。
今ではポーズをとる筋力も体力もなく、腹は出てるし、身体中に情けない中年の哀れな感じがまとわりついています。そしてもちろん美少年ではありません。地球上で唯一わたしのことを美少年と言ってくれた長沢節先生は1999年に自転車事故で亡くなりました。その時点でわたしはただの冴えない男に戻ってしまったのです。お腹の周りの肉は完全に自己責任です。
先日展覧会を見に行った時も、セツ仲間と大いに共感しあったことがありました。長沢節に出会って以降、長沢節以上に変わった人に出くわさないってことです。その素晴らしい変人っぷりは、生身の先生に直接会った人でないと感じ取れない部分が多く、先生の文章と絵だけでは実はあまり伝わらない気がするのです。そこがファンとしては悔しいのです。
ただ、数ある長沢節本の中に散見される「先生があんなんことした、こんなこと言った」というしょうもないエピソードはどれも抜群に面白く、そんなところに人柄が濃厚に現れていると思います。
たとえば、こんなところにも。
〈長沢先生と学校近くのラーメン屋とか行くとですね「おマエなんにする?オレもやしそばとギョウザ!」とか屈託のない大きな声で言ったりするのです。ちょっと苦笑いしてしまいます。そして、その辺に置いてあるラーメンのしみのついた『週刊平凡』なんかをペラペラめくって、タレントの写真を見ながら「あっ、オレこれ好き!」とか「これ、キライ!」とかやはり屈託のない声で言ったりするのです。まるで女子中学生です。見かねて「先生ちょっと恥ずかしい……」と小さな声で言うと「あっ、そっか、ごめんごめん」と素直に謝るのです。そんな天真爛漫な長沢節先生のことを思い出すと本当に懐かしくて仕方ありません〉峰岸達さん『長沢節 伝説のファッションイラストレーター』河出書房新社刊より。
〈長沢先生が、試写に行くから一緒に行こうよ、なんて誘ってくれるの。着替えてるから待ってろって。で、降りてくるとピンクのコーデュロイのスーツにロングブーツでしょ。パンチやメンクラに出てはいても、こんな奇抜な服、着るバカいないよな、と思うようなファッションじゃない。それで威張って歩くんだよね。地下鉄に乗ると、バーッと走って空いてる席とったりさ、ヘンなんだよねェ。この人はほんとうの変人だ、と思いました。最初は理解できなかった。
それがじきに、馴れるなんてもんじゃない、オレもセツ風のヘンな人間になりたいと思った。前に絵を習ってたのは受験のための絵の学校だったけど、セツはまるでちがう。遊びを勉強させてくれる学校なんだよね。人の家へ遊びに行って朝まで喋ってるなんていうようなことが、信じられないくらい楽しかった〉早川タケジさん。『セツ学校と不良少年少女たち』じゃこめてぃ出版刊より。
人を惹きつけてやまないカリスマ性はきっとこんなところにあるのではないかなぁ。あとお得意のチンポコの話とかね。そしてたまに人を凍りつかせるようなことも言ったり……だから、わたしは長沢節小話をなるべく多く採集、編集して文献に残すことが、これからの長沢節研究と後世のファンのために必要だと思うし、なんと言ってもわたしがそれを読みたいのです。せつに。
実は、webの「チルチンびと広場」というところで「私のセツ物語」というコーナーがあります。一昨年の展示「ぼくの神保町物語」で、長沢節先生との思い出を書いたわたしの文章をお読みになった、Mさんが思いついた企画だそうで、わたしも一文を寄せています。ここでもセツ小話が聞きたいと呼びかけています。というわけで、卒業生の皆さん、Mさんから頼まれたら是非セツ小話を書いてくださいね〜。

時代風俗考証事典

先日、吉祥寺に眼鏡を作りに行き、待ち時間に「百年」という古本屋さんで時間をつぶしていた時、林美一著『時代風俗考証事典』を見つけて972円で買った。こんなに分厚いのにこの値段。IMG_2455この本の存在は前から知ってはいたが、事典だと思い込んでいたのと、「どうせオレは細かく描き込むタイプでもないし、時代考証もだいたい雰囲気出てればいいだろう」という思いから、探して求めることはしなかった。ところが、読んでみると、読み物として大変に面白い!

林美一さん(1922年 〜1999年)は浮世絵春画の研究家として、その名は知っていたが、脚本家修行までやっていたとは知らなかった。なんでも、子供の頃から時代もの好きで、古典趣味から文楽マニア、江戸文学マニアに走り、果ては時代小説作家になろうと考えたり、時代映画のシナリオライターになろうとして大映京都撮影所に十年余りいたこともあるそうだ。

林美一さんは、昭和43年にテレビドラマ『伝七捕物帳』の時代考証を頼まれる。これが時代考証の最初の仕事だ。
この本が面白いのは(といっても、まだ5分の1くらいしか読んでいないが)実体験に基づいた努力と苦労が書かれているからで、そこが他の時代考証本とは違うところだ。
〈そもそもドラマの時代考証とは一体なんであろうか?この言葉を初めて使ったのは、どうやら大正十五年に、溝口健二監督が日活で酒井米子主演の『狂恋の女師匠』を撮ったとき、小村雪岱画伯が髪や衣装のデザインをしたのを、時代考証と名付けたのが最初だというが、くわしいことを知らぬ〉
おっと、読み進めていたら、我らが小村雪岱の名前が出てきたぞ。小村雪岱や木村荘八は映画の時代考証もやっていたことは知っているが、そのしょっぱなにいたとは。
〈それにしても実に奇妙な肩書きだと思う。初めの考案者はそんなつもりではなかったのだろうが、何しろ「考証」というのだからひどく堅苦しい。一分一厘の誤りもゆるがせにしない、コチコチの学問的なものを感じさせる。考え出したのが映画界であるから、多分に作品に権威づけるためのハッタリもあったのだろうが、この考証という字句にとらわれて、全く融通のきかないことを言う人がある。学者にそれが多いのは、そのためである。例えば三田村鳶魚氏は「いずれの時代にしても、いかなる書き方であっても、時代ものでは、その時代にどうしてもないことがらや、あるべからざる次第柄は、何といっても許すことができない」といわれる。むろん三田村氏の時代に時代考証という考え方はなかったが、考え方としては同じである。この考えは学者としては当然そうあるべきことだとは思うが、フィクションである小説やドラマに対して言う言葉ではない〉
三田村鳶魚は江戸学の始祖で、この人の仕事なしに江戸の時代考証はない、みたいな方だが、三田村さんが吉川英治の『宮本武蔵』に対して、「慶長に蕎麦はない」などと色々と手厳しく考証的批評を加えたことがある。

ところが、吉川さんは版を重ねる時も、いっこうに誤りを訂正しなかった。予算やスケジュールに振り回される映画やテレビと違って、筆一本で直せる小説であるにもかかわらず。それがいいのかよくないのかは、「宮本武蔵」をちゃんと読んだことのない私にはわからないが、学者の態度で時代考証にのぞまれてはやるせない部分はあるだろう。
映画やテレビの時代考証は大がかりだけど、小説は筆一本で直せる……挿絵も小説と同じく筆一本でどうとでもできるわけだ。ギクッ!

視聴者からの投書というのもこの本には紹介されている。時代考証的にはもっともな指摘だとしても、例えば『伝七捕物帳』みたいに、そもそも岡っ引きが江戸の町のヒーローという設定自体ありえないわけで……時代考証はどこを基準とすれば良いのだろう。そのあたりの林美一さんと投書のやり取りも面白い。
小説、ドラマ、映画はすべてそういった矛盾を抱えているし、現代に時代物を作る意味というものは、その矛盾の中にも見つけられそうだ。
(前略)近代演劇のリアリティとはそういうものなのである。いかにお芝居を本物らしく見せるか、というだけのことだ。だから事実の忠実な記録よりも、フィクションである小説が、より忠実に事実を再現し得ることがあるように、時代考証もまた、忠実な過去の時代の再現のみが方法ではなく、ドラマに合致したフィクション的考証が要求されてしかるべきだと思うのである。
事実どおりの過去の時代の再現なんて、絶対にできるものではない。 
できないとわかっているが、わかりながらも、それをできるだけ効果的に本当らしく見せようとする考証的な技術、それがドラマの時代考証ではないか、と私は思うのである。もちろんフィクションの基礎となる事実の調査は徹底的にやらなければならないが、それをそのまま再現しろというのでは、ドラマの時代考証ではない〉
さっき言ったように挿絵の場合、筆一本で描けるが、逆に言うと俳優も演技もセットも照明も小道具も……すべて一人でやらなくてはいけないので、本当の時代ものが描ける人というのはごくごく限られている。
もちろん、私はぜんぜん描けていない!ぐわはははは!雰囲気は出したいと思ってるんですけどね、雰囲気は。小説の持っている雰囲気とその時代の雰囲気。でも、時代考証的なことでいうと、かなりいい加減だと思います。
まぁ、編集者もそれを指摘できるわけじゃないから、今の挿絵はデタラメが野放し状態かもしれません。
というわけで、この本を読んで、ちょっと時代考証の勉強でもしてみようかなという気になったから、こんなにツラツラ書いたのだ。
もう、この本は読む端から冷や汗が流れてくるのである。例えばこんなところに。
〈私は時代劇の考証の尺度を、いつも燗徳利の有無によって知ることにしている。どのドラマにも飲食の場面が出ないことはまずないから、一ばん判定に便利だからだ。燗徳利は後で述べるように、一般に普及しだしたのは江戸時代も末期の天保の末頃だからである〉
〈現在映画やテレビで作っている時代劇はほとんど燗徳利一点張りだが、その点すべて間違っているということになる。その燗徳利も第二十九図のように口の広い(原文ママ)素朴なものが良いが、大抵は口に猪口をくっつけたような第二十八図の燗徳利である。この徳利は戦後昭和二十八〜九年頃から、にわかに流行りだしたものであるから、時代劇はもちろん、昭和物でもこれ以前の時代には絶対に使ってはいけない〉

FullSizeRender丁寧にいい味のカットまで入っている。
カットに添えられた文章には「口の太い」とあるから「第二十九図のように口の広い素朴なもの」というのは誤植だろうか。
確かに、手持ちの資料を調べてみると、燗徳利が普及した江戸時代末期に描かれた国芳一門の浮世絵、明治初期の写真、ビゴーのスケッチに出てくる燗徳利はみなこの形だった。
そして、私は今までこの描いてはいけない方の燗徳利ばかり描いていたのだ!ホラこの通り。
IMG_2528写真5
ちなみにテーブルのようなところで酒を飲むのも思いっきり時代考証違反なのだが、これはわざとそうした。子供向けの読み物で、狐が化けたりと内容がハチャメチャだったので、上がり座敷や縁台で飲み食いさせると、ちょっと渋すぎる絵面になるような気がしたから。
でも燗徳利はわざとではありません。完全に間違えてました、はい。
テーブルで間違えてるのは時代劇でもよくあるが、挿絵の名作にもある。山本周五郎『さぶ』の佐多芳郎の挿絵がホラ。
IMG_2525でもこれはもしかして小説にそうあったのかもしれない。ただし燗徳利は正しい。
で、次は正しい例。小村雪岱ゑがく邦枝完二『お伝地獄』の挿絵。燗徳利はこうでなくては。話の舞台は明治初期で、描かれたのは戦前。
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he13_03030_0002_p0087この絵は『時代風俗考証事典』に図版として入っていた天保12(1841)年刊の『種彦諸国物語』の挿絵。これが江戸末期に登場した本物の燗徳利だぁ!移動式の銅壺で燗をしている珍しい図らしい(図版が小さくて見にくかったので、画像はネットで私が探して、勝手に取ってきたものです)。
で、口に猪口をくっつけたようなイケナイ燗徳利であるが、試しに「鬼平犯科帳 酒」で検索してみた。
そしたら、怪しい燗徳利が出てくるわ、出てくるわ。
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時代考証的には長谷川平蔵の時代にはちろりと銚子(現在では燗徳利のことを銚子というのでややこしいが)を使っていて、まだ燗徳利がないはずだ。もはや時代劇の中で当たり前になっているこういった映像が私の脳裏には残ってたんだなぁ。
だからそう描いちゃったんだよ……ましてや国民的名作時代劇じゃん、信じちゃうよ。
でもさぁ、鬼平犯科帳を見たら燗徳利でキュッとやりたくなるようにできてるんだから、すでに現代人の人情は。飲みたいよ燗徳利で。だから今更、ちろりと銚子に戻されてもそれはそれで困るかな(笑)
あとさ、時代考証とは関係ないけど、飲んだくれのまわりにいっぱい燗徳利が並んでるのがあるけどさ、空いた燗徳利はお店の人が下げに来るでしょ、フツウ。でも林立させておくと大量飲酒した感じが出るんだよね。だから時代劇では燗徳利が好まれるのかな?
でも、オレはこれからは燗徳利の口は太く描く、そう決めたぜ。これを読んだみんなもそうしようぜ!

妖怪はしわたし

10月22日(土)
今年も妖怪になる日がやってきた。
午後三時に日本橋、山本海苔店に集合。今年もご好意で変身用の部屋を貸してもらえる。普段からしょっちゅう会っている友達もいれば、「一年ぶりのご無沙汰ですね」と、妖怪になる、その一点だけで繋がっている人間関係もある。もはや”妖怪関係”と言い換えてもいいかもしれない。
女子更衣室から「わ〜っ!」「すご〜い!」「可愛い〜!」とテンションの高い声が男子更衣室に漏れ聞こえてくる。
男子更衣室でもお披露目の盛り上がりはあったが、なにせ男子は三名、うちおじいさんが二名ということもあって、ご覧のように縁側的雰囲気になっていた。%e7%b8%81%e5%81%b4ま、それはいいとして、せーので、変身!!%e9%9b%86%e5%90%88%e5%86%99%e7%9c%9f%e3%81%a0%e3%82%88撮影:神藏美子さん(そうなのです、豪華なことにこの日撮影してくれたのは、あの神藏美子さんなのでした。以下日本橋界隈のカッコイイ写真の多くは神藏さん撮影。我々の撮った写真、見に来てくれたお友達の写真もちょこっと混じっています。※この記事の最後に、神藏さんが撮ってくれた動画もありますのでリアルな我々の様子もご覧ください。とっても物静かなんですよ、ボクたちって。)
変身したところでぶらりと日本橋を散歩。普段の地味な人生が一変!一躍街の人気者になって実にいい気分。%e7%88%aa%e3%81%8b%e3%82%86%e3%81%84%ef%bc%92「ちょっとまって、その前にわたし爪が痒くなってきちゃった。この棒で研ごうかしら」と妖怪猫おんな。%e3%81%84%e3%81%96%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%a9%8b1「ツルツルしてて爪がひっかからなかったから、やめちゃった。さ、みんな行きましょう」%e3%81%84%e3%81%96%e6%97%a5%e6%9c%ac%e6%a9%8b%e3%81%ae3妖怪夜泣きじじいと釜おんな。夜泣きじじいは夜泣き支那そばの付喪神である。手に持っている笛でチャルメラの音を鳴らし、日本橋の街を哀愁で包むのが得意技だ。

%e3%81%8b%e3%81%a3%e3%81%93%e3%81%84%e3%81%84%e8%a1%971%e6%a8%aa%e9%a1%941「ねぇ、夜泣きのジイさん、アタシ見てのとおりの砂かけババァだけど、去年も口裂け女で顔出ししてたのよ」%e4%bf%a1%e5%8f%b7%e5%be%85%e3%81%a11 信号待ちの妖怪たち。%e3%81%84%e3%81%84%e3%81%93%e3%81%a8%e3%81%82%e3%82%8b%e3%81%ad「あら〜、きっと何かいいことあるわね〜」と記念写真を撮る食品関係の仕事に従事する女性。%e7%88%aa%e3%81%8b%e3%82%86%e3%81%84「ね〜!!ここ、爪磨ぐのにちょうどいいわ〜!化け猫犬之坊さんもいらっしゃいよ〜」%e3%81%84%e3%81%96%e8%a1%97%e3%81%b8「ワシも爪研ぎたい思てたとこですね〜ん!」%e4%b8%89%e8%b6%8a「あいつら派手で目立ってるよなぁ……」と三越のショーウィンドウに腰を下ろす、地味目の妖怪たち。%e7%99%ba%e8%b5%b7%e4%ba%ba%ef%bc%8f%e7%a5%9e「ねぇ、あたしたちこれから船に乗せられてどこかに連れて行かれるんだってね」「深川に行くんだってね。向こうじゃ子どもの河童たちが待ってるって話だけど」「あ〜それで今日のイベントは『妖怪はしわたし』っていうのね」「なんか説明的な会話だね」%e3%82%a6%e3%83%8a%e3%82%ae%e3%82%a4%e3%83%8c「ウナギイヌだ!ウナギイヌだ!」と呼ばれていたがウナギイヌではありません。でも彼女は「ウナギイヌだ!ウナギイヌだ!」と返すでしょう。なぜなら彼女は妖怪「山びこ」だからです。%e8%88%b9%ef%bc%8f%e7%a5%9eかくして妖怪軍団は渡し舟に乗り込んだ。ここで神藏さんとはお別れ。写真どうもありがとうございました。%e5%ba%a7%e3%82%8b%e8%a8%ad%e8%a8%88座る設計になっていないいったんもめん。%e8%88%b9%e5%87%ba%ef%bc%91%e8%88%b9%e5%87%ba%ef%bc%92

大勢の取材陣にフラッシュをたかれいざ船へ。見物人が橋から落ちそうなくらいいた。涙のお別れ、拍手の見送り、のはずが、船はぐるっと元いた場所に旋回。船頭さんがはりきって合計三回も行ったり来たり。三回目には橋の上はかなり寂しい状態になっていた。我々の気分も落ちぶれた芸能人のよう。%e3%83%9c%e3%82%b9%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%a9ボスキャラ感のあるナメクジの妖怪、なめたろう。
この日、日本橋、深川界隈に出没した妖怪には「プロ妖怪」と「遊び妖怪」の二種類がいる(プロ妖怪たちは一番最後の動画のリンクに映っているよ)。
遊び好きの妖怪とは我々のことで、仕事を一切しない。「お化けにゃ学校も試験も何にもない」のだから、当然仕事もやらないのである。
しかしプロ妖怪達には、イベントの告知や、子どもたちの先導、盛り上げ……などなど様々な仕事がある。

プロ妖怪の中の「河童」と「油すまし」が船上で、ちょうど私の後ろの席にいたのだが、体に直接ペイントをしている(つまり裸が露出している)河童が「めっちゃ寒い……」と凍えていた。それに対して油すましが「俺はまだ蓑があるからマシなんだよね」と言っていたのを耳に挟んだ。おつかれさまです!妖怪も仕事となると大変だ。%e3%82%af%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%82%ba隅田川クルーズを楽しんだ後(これが結構良かった。特に高速道路が頭上からなくなると、一気に情緒が漂い始める。そして深川の船着場へ。そこには総勢二十名の子ども河童と無数の見物人が待っていた。落ちぶれた芸能人気分から一気に世界のスーパースター気分へ!%e3%81%8a%e5%87%ba%e8%bf%8e%e3%81%88%ef%bc%92%e3%81%8a%e5%87%ba%e8%bf%8e%e3%81%88

ここから深川江戸資料館までまで四十五分ほど歩く。町はもうお祭り騒ぎさ!って実際これはお祭りの前夜際のイベントでもあった。この日は妖怪の姿で九千歩くらい歩いただろうか。
ここで妖怪からのパレード中のレポートをどうぞ。
〈夜泣きじじい(伸坊さん)が子ども河童に「眼鏡貸して」って言われれ渡したらそのまま持ってっちゃって、あわてて追いかけて取り戻しに行ってました。by釜おんな〉
〈子ども河童に「テングはどこに住んでるんですか?」と聞かれたので、「練馬区」と答えたら「え、練馬区…」とつぶやいてた。by天狗〉
〈子ども河童に「いったんもめんは普段どんなことをしているのか?」って聞かれた。byいったんもめん〉
〈尻尾のひらひらを踏まれて破壊され、ずるずる引きずって歩いてた。byいったんもめん〉
〈いったんもめんの尻尾をこっそり踏んづけてしまっていた。byからかさお化け〉
〈子ども河童「つくも神ってどんな神様なんですか」から傘「ナベとか釜とかいろいろ道具がね‥」子ども河童「ほかにもいるんですか」から傘「えーとね」子ども河童「つくもってどういう意味ですか」と詰め寄られた。byからかさお化け〉
〈やたら妖怪好きのナゾの女性(四十代くらい)に「からかさオバケ大好きなんです、触ってもいいですか」「キャー可愛い~」とからまれてリアクション出来なかった。byからかさお化け〉
〈子ども河童に提灯を貸したら持って行かれそうになったので「返せ」と言って慌てて取り返した。byからかさお化け〉
〈取材の人とかあんなに沢山来て撮影していたはずなのに全然記事とか見つけられなかった。byからかさお化け〉
〈子ども河童に「杖を貸して」とせがまれ、何をするのかと思って見ていると、自分の持っているでんでん太鼓を杖に合体させようとしていた。by琵琶ぼくぼく〉
〈ハロウィンゾンビや吸血鬼より、百鬼夜行はやっぱり日本人体型には合う。たまたま描いてた絵本の話がゆるキャラの被り物のお話でまさか実体験できるとは。(モモリン11月中旬発売!)←チャッカリ。by化け猫犬之坊〉
結局プロ妖怪でない我々も、深川江戸資料館の控え室に着いた時はさすがに一仕事した気分であった。「あ〜疲れた!」「あ〜蒸し風呂!」「あ〜足痛い!」と妖怪を投げ捨てるように一気に人間に戻ってしまった。何せ上が七十の爺さんから下は四十のおばさんだ。「自分なのに見てる人には自分じゃない体験」「報道陣にフラッシュ焚かれてキャーキャー言われるスター体験」「視界も狭く不自由極まりない体験」ひっくるめて「クセになりそう」とみんな言っている。来年もやるのでしょうか……。

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%e8%88%88%e5%a5%aeいまだ興奮冷めやらぬご様子。
今年の妖怪
ぬめぬめ妖怪なめたろう(足立さん)/化け猫犬之坊(いぬんこさん)/琵琶ぼくぼく(伊野)/天狗(海谷さん)/いったんもめん(霜田さん)/からかさお化け(丹下さん)/砂かけばばあ (戸塚さん)/山びこ(二宮さん)/妖怪お化けガエル(花尻さん)/妖怪釜おんな(古谷さん)/妖怪夜泣きじじい(南伸坊さん)/妖怪猫おんな(南文子さん)以上、あいうえお順。

 

↑神藏美子さん撮影編集の「妖怪はしわたし」の動画。

らくがきみたいに

今週のブログは芸術新潮の5月号に描いた、伊藤若冲とご近所さん(与謝蕪村、円山応挙、池大雅、曾我蕭白、長沢芦雪……などの絵師をはじめ、そうそうたるメンツが目と鼻の先に住んでいた)の交友録(例によってマンガにしたもの)を紹介しようと思っていたが、昨日発売なのに未だ我が家に到着せず、仕方がないので、別のものにしよう。

しかし、特に見せたいものもなく……困った挙句に、壁に貼ってある「らくがき」でもアップすることにいたします。このブログは内容よりも、毎週更新することが目的だからです。本末転倒?いいんです。毎週火曜に決まって更新することこそが、私にとっては大事なのです。……と言いつつ、来週はゴールデンウィークで誰も見てないだろうから、更新は休もうかなぁ。 みんなこれは寝転びながら、らくがきしていたものであります。約一年ほど前に描いたもの。犬犬の顔ですな。お口口開けシリーズとなぜかタヌキ。お座りらくがきは頭よりもちょっと先に手が動くのがいいんです。これらは10年ほど前に描いた記憶があります。ぶしこれはもっと古い、15年くらい前だったでしょうか。

なんとなく捨てるに忍びないらくがきを、本棚の側面などに磁石でとめてあるのですが、別にどうってことないただのらくがきです。描こうと思えばいくらでも描ける。そして、らくがきに関しては恐るべきことに、ほとんど進歩がない。テキトーに描いてるから、努力とか進歩とかと無関係だし、むしろ無関係でありたい。しかし、仕事の絵となると、なかなからくがきのようには描けない。

ちょっと前に、茂田井武トークをご一緒した広松由希子さんに、「赤とんぼ」という古い雑誌(昭和21年8月号)を見せてもらいました。そこに長沢節の絵が載っていたのですが……まさにらくがきのような気持ち良さがあって良かったです。いわゆる長沢節の絵として知られる達者なデッサンではなく、むしろ達者を警戒している感じです。IMG_1265 IMG_1266 IMG_1272

 

日本橋百鬼夜行

きっかけは南伸坊さんが「月刊 日本橋」というタウン誌で連載している「シンボーの日々是好日」というエッセイ。クリックすると大きくなります。はい、読みましたか?この思いつきが日本橋商店街のおまつりで開催されることになり、先日10月25日にわたしも妖怪として参加してきました。何になろうかと悩んだあげく、琵琶牧々(びわぼくぼく)という妖怪になることにしました。世界堂や百均をまわって材料を集めて、作ります。ふだん絵を描いている時より楽しかった。ほとんど未体験のことばかりで、壁にぶちあたっては、そこで工夫を求められるという…。南文子さん曰く「プロジェクトX みたいだね」そうそう、まさにそうでした。スタイロフォームとかいう断熱材で形をつくり(電熱線やカッター、紙ヤスリ使用)、アクリル絵の具を塗って完成。裏面も自分の顔の形にあわせて彫り込みを入れたり、頭に固定できるようにいろいろ工夫しなければいけない。表より裏の方に難問はある。で、本番当日、お着替え室で袋から取り出すと、さっそく4本ある糸巻きのうち2本が折れていて、あせって修復。

ふと前をみると足立則夫さんがナメクジに変身中。足立さんはジャーナリストで「ナメクジの言い分 (岩波科学ライブラリー)」という著書もある。おぉ、顔を出したまま妖怪になるんだぁ…と心のなかで敬礼をする。南文子さん曰く「オムライス?」世を忍ぶ仮の姿(人間)から本来の姿に戻った妖怪たちが、山本海苔店のビル(お着替え室を貸してもらった)からぞくぞく登場。琵琶ぼくぼくは琵琶法師が化けた妖怪である。山彦(やまびこ)とお釜女も登場。ちなみに山彦というのはこういう妖怪だ。山にむかって叫ぶと、かえってくる声は、実はこの妖怪が出している。説明のいらない有名な妖怪、いったんもめんもやってきた!とりあえず記念撮影でもしとこうか。そこへ「ちわっす!おそろいだね〜。」とやってきたのがあばた面のヤカン小僧。「ちょっとうちの亭主どこほっつきあるいてんのよ〜っ!」と包丁片手にあらわれたのは、鬼ヨメ。…とその後ろから「あんた血の気が多いんだから〜、ほら、眼が血走ってんじゃないの〜」口さけ女がなだめる。口さけ女は意外に眼鏡がお似合いだ。ふと後ろに妖気をかんじて目をやると、そこにはテレビ仮面がいた。現代社会が捨て去ったブラウン管テレビの付喪神(つくもがみ)である。さすが路上観察学会の重鎮、林丈二さん。佇むだけで街角はシュルレアルな様相を呈しはじめる。「テレビになりきろうと思ってもテレビの気持ちってどんなのかわかんなかった…」はーい、みんなここに集合だよー、はーいこっちこっち。というわけで…みんなそろったところではいチーズ。左からヤカン小僧、鬼ヨメ、オカマ女、琵琶ぼくぼく、いったんもめん、山彦、蛇女、カエル侍、口さけ女、ナメクジ旦那(敬称略、名前テキトウです)。べつに我々は記念撮影好きではなく、後でも伸べるが、とにかく「写真とらせて、とらせて」コールがすごいのである。我々が現われれば、そりゃぁもう、街は大騒ぎさ!ちなみに奥の神社には結界がはってあって、妖怪たちは絶対に入れなくなっていた。子どもたちはすぐに戦いを挑んでくるのである。妖怪軍団もまけてはいない。一番の武闘派、鬼ヨメも出刃包丁で通行人に襲いかかる。鬼ヨメは襲いかかるだけでなく、キャベツの千切の手つきも披露していた。ものすごく手際がよかった。見よ、子どもたちの好奇心あふれる笑顔!街にくりだしてわかったのは、「スターとかアイドルとかって、ああいう気分なんだね。」ってこと。こっちを発見すると、その人の顔がパッと驚きと微笑みの表情になる。それで「いっしょに写真とってもらっていいですか」って言われる。手と手でハイタッチしようとしてくれる。すこしやみつきになりそうだ。しかし、慣れないことをやると疲れる。ひとまず休憩だ!琵琶ぼくぼくのかぶりものを外すと、そこには疲れきった琵琶法師がいた…。いったんもめんが山彦の頭をかぶって休憩している…。ややこしい…。やかん小僧が休憩時間にお茶を飲む。自分の鼻から出して……そして、飲む!なんだか飲尿健康法 を思い出させるひとこまである。さてもうひと仕事するか…。日本橋には「三重テラス」という三重県のアンテナショップがあり、ちょうどその前に三重県津市(ずばりわたしの出身地)のゆるキャラがいた。シロモチくん、という名前らしい。知らなかった。というわけで、また写真撮影会開始。カエル侍の決めポーズは鼻くそほじりだ。おっと仲間割れか!?鬼ヨメがいったんもめんを刺す!それを無視してカメラ目線の口さけ女!「なんてお名前ですかっ?」っていうのがここの子どもたちの定番の質問。しかし、ボク、ひとり人間が混じっているの知ってるかな〜?その人は妖怪オニギリじゃないぞ〜。

……以上、ハロウィンをぶっとばせ!!日本橋百鬼夜行のレポートでした。

最後はほんとの記念撮影。テレビ仮面はひと足先に人間にもどってしまったようだ。いやぁ〜、日々是好日ですなぁ〜。

妖怪出演者

(南伸坊さん=ヤカン小僧、南文子さん=鬼ヨメ、林丈二さん=テレビ仮面、足立則夫さん=ナメクジ旦那、二宮由希子さん=山彦、霜田あゆ美さん=いったんもめん、古谷充子さん=お釜女、タカコさん=くちさけ女、はなじりさん=かえる侍、足立さんの奥様=蛇女)