伊野孝行のブログ

逝きし世の面影

7年ぶりにマンガを描きました。もともと漫画家およびイラストレーターになりたかった私は、片方の希望はかなえられたけど、漫画家になることは出来ずじまい。いつも描いている絵も一コマまんがみたいなものだから、漫画家と言えないこともない。しかし、自分のことは「漫画家になれなかった男」だと思っている。今回の作品ももちろん仕事ではない。タイトルはまだ決めていないけど「迷信」というのにしようかな。クリックするとやや大きくなるので、読みにくい人はクリックしてくださいね。このお話は作り話ではなくて、渡辺京一著「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)という本の中に収められた、明治期のお雇い外国人ブラントの体験記に基づいている。10行ほどの短いエピソードだが、コミック化してうまく伝わるのだろうか。ちょっときまじめな漫画になってしまったと思う。やはり私には向いていないのかもしれない。

 

 

俳句と俳画をやってみた

一流のイラストレーターの条件とは何か……?それは面白い俳句をひねることができるかどうかだ!…と断言することはできないが、諸先輩方はなかなかうまい俳句を詠んだりする。自分はまったくの門外漢で今まで俳句を作ったこともないけれど、「良い俳句」は「良いイラストレーション」に通じるところ多し、と前から感じてはいた。事象の中から自分の言いたいことをまとめる際、ある部分に焦点を当て、ある部分は省く、というのはイラストレーションに限らずどんな仕事にも必要なことであるけれど、俳句ってのはまったくその作業だし、単にまとまればいいというもんでもない。たとえば正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」は一読、なんの変哲もない句のように思えるが「かきくえばかねがなるなりほうりゅうじ」と声に出してみると句の前半はカ行音、途中でナ音がまじり合い、ラ行音へと移っていく楽しいリズムになっていて感動する。 後藤夜半の写生句「滝の上に水現れて落ちにけり」は滝から落ちる水がいったんスローモーションになって、そしてスッと下に落ちていく様子を何度も何度もくり返して想像させる。こんなことができる詩は俳句だけだろうなぁ。うむむ〜面白いなぁ。(たまたま知ってる二つの句です。他に全然知識ありません。あしからず)で、先日、とある集まりで俳人の高山れおなさんを講師にお招きし、句会をし、俳句に絵をつけたりなんぞした。

俳句に絵をつける。べつにこれと決まったルールがあるわけでないが「俳画」といった場合には、俳句への「匂いづけ」であることがのぞましいようです。以前から俳句に絵をつけるのって面白そうだなと思っていて、その頃たまたま読んでいた正岡子規の文章にこういうのがあった。ようするに俳句や詩に書いてあることをそのまんま絵にしてもおもしろくない、ちゅうことなんですが、是非読んでみてください。絵と文章の関係についてもあてはまるところがあるのでイラストレーションの仕事でも応用できる。秘技ですぜ。クリックすると拡大しますんで。
さて実践、さっそく有名な俳句に絵をつけてみることにする。
「夏河を越すうれしさよ手に草履」与謝蕪村
さきほどの正岡子規の文章は頭にあったのだが、おもいっきりそのまんま絵にしてしまった。二人で川を越してるとは詠んでないのでそこは勝手に描きましたが。

「やはらかに人わけゆくや勝相撲」 高井几薫
またまたそのまんま。この句だったら相撲取りの後ろ姿を描いた方がよかったかも。でも難しいですね。後ろ姿でいい感じ出すのは。

「初恋や燈籠によする顔と顔」 炭 太祗
だから…なんでそのまま描いちゃうわけ?自分!でもなんか描きたかったんです。それに別に必ずしも外さなくてもいいわけだし(…と言い訳じみてくる)

「野ざらしを心に風のしむ身かな」 松尾芭蕉

お?ちょっといつもの調子が出てきたか?でもこれじゃ、俳画というより「俳漫画」かも。「野ざらし」ってのは白骨化した人間の骨のことです。

「夏草に汽缶車の車輪来て止まる」 山口誓子

近代の俳句になってくると、ずらして描くのがなんとかできるようになった。江戸時代の俳句は、ずらして描く方法が思いつかなかった。

「ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき」  桂 信子

いつもの自分らしい絵ではないが、そんなことはどうでもいい。狙いとしてはあえて「乳房」を描かず、でも存在は感じさせる。全体的にものうげな感じにしたかった。

「Aランチアイスコーヒー付けますか」 稲畑廣太郎

日常会話がそのまま俳句になっている。ここまでくるとべつにどんな絵だって合うといえば合う。自分的にはこれが一番うまくいったかなと思う。(ちなみに現代においては「俳画」という文化はほぼすたれているのである。これはチャーンス!)

「話しかけ聞きかえされる暑さかな」伊野孝行

こっぱずかしい自分の俳句。名句とならんで載せるのはおこがましいにもほどがあるが、一応句会もやってそのときに作ったのでオマケに描きました。わたしは滑舌悪く、声がこもり、声量がない、の三重苦なので聞き取りづらいらしく、よく聞きかえされる。「はぁ?」とか言われるとこっちもやるせなくなっちゃうぜ。そんな気持を詠んでみたのです。ちなみに一つの俳句のなかに二つ動詞が入るのはあまりいいことではないようだ。一流イラストレーターへの道はまだまだ遠いぜ!

ウィーンの旅、その3

外国に行って絵ばかり見るのもいいけど、なんといってもここは音楽の都、ウィーン。
◯押し売りに負ける
「カールス教会」へ行く。イスラムのミナレットのような塔が二つあるバロック建築。塔にはねじれた模様がついている。教会の前で待ちかまえていた美女(ミラさん。スペイン人。チケットエージェンシーの仕事)に「ウィーン楽友協会」でのモーツアルトコンサートのチケットを買わされる。このコンサートはモーツァルト時代の扮装をした楽士がモーツァルトの曲を演奏するもの。モロ100%観光客向け。といってもけっこう高額。旅の引率者Kさんが「楽友協会」の建物の内部の「黄金のホール」を見たいというのもあり、押し売りに負ける。次の日に観に行ったら日本人中国人韓国人近隣諸国の人達…観光客のみなさん全員集合〜!美術館は歩きながら見るから眠くならないが、座って音楽を聴いてるとつい睡魔に襲われる。スゴく必死なスペイン美人のミラさんの勧誘をうける一行。ぼくらは「どうするのかな〜?」と静観してたらミラさんは我々をさして「クワイエットチルドレン(静かな子どもたち)〜!」と言っていた。あきらかに僕はミラさんより年上なのだが…。これはウィキペディアから持ってきた写真だが、ここが「黄金のホール」だ。ここにいる紳士淑女を、全員普段着の観光客におきかえて、楽士を3分の1に減らしてモーツアルトの扮装をして演奏しているところを想像してください。

◯これが本場のオペラだ!
カジュアルな演奏会だけでなくちゃんとしたのも観ましたよ。国立オペラ座。幕はホックニーの絵であった。いろんなアーチストが毎年担当しているらしい。「ロミオとジュリエット」。3大テノールのプラシド・ドミンゴが演出&指揮。フランス語のオペラなので前の席の背についたモニターで英語訳が出る。ま、英語もわからんのでよく見なかったが。演出は「ウェストサイドストーリー」のような現代劇になっていた。歌い手は倒れた姿勢でもガンガンに歌う。舞台から伝わる圧力がスゴい。ブ厚い。それを包み込むオペラ座の重厚な空間。終わったあとの客席の歓声がまたすごい。ロックコンサートとはちがう感じ。後ろの立ち見席のハゲの小男の八百屋のおやじみたいなおじさんが感激してブラボーを叫んでいた。ブラボータイムがまた長い!そんでもって最初から最後まで暑い〜!ジャケットを着ていったが結局脱いで、さらにシャツの第3ボタンまであけて、汗をだらだらかきながら見た。でもオペラ好きの観客たちは暑さなんてぜんぜん気にしてなくて舞台に集中していた。◯倍返しのチャンス到来
「カールス教会」でも高所恐怖症ということでてっぺんまでのぼらなかったKさんだが、ウィーンのシンボル「シュテファン寺院」ではついエレベーターで登ってしまった(高さは100メートルくらいある?)。いつものアグレッシブな性格もどこへやら、心細そうに金網にしがみついていらしたので、いつもの「倍返し」でちょっかいを出そうとしたが、地上に降りたら「百倍返し」されると怖いのでやめた。◯食事
どこもおいしいけど、アルベルティーナの下の居酒屋「アウグスティーナケラー」が素晴らしい。ガイドブックにも載ってるお店だけど、味良し、サービス良し、雰囲気良し。旅行中2回行った。ここにはアコーディオン弾きがいて、彼の知ってる日本の歌「さくらさくら」を弾いてくれた。「さあ、歌いましょう」と言うので、つい乗り気になって歌おうとおもったが恥ずかしかったので、歌うフリをして口だけパクパクあけていたら、それをみたウェイターのおじさんが「彼はクレイジーだね」と言っていた。ウィーンの旅、終わり。

 

 

ウィーンの旅、その2

「セセション」にある「ベートーベンフリーズの」一部「セセション」
◯セセションでクリムトを尊敬しなおす
クリムトは画家として必要なものをすべてもっている。通俗性をもっている。俗受けする才能は実は一番難しいものではないか、と私などは思ってしまう。あぁ、もっと俗受けしたいものである。

才能というのは、何か欠落した部分があって、それを補うために工夫したり開き直ったりすることで形を現してくるものだけど、若い時から「どうだ!うまいだろ?」な絵が描けたクリムトにも、欠落があったはずである。それは何か?うますぎることか?まあ、よく知らないけど、クリムトは技術で絵の表面を覆い尽くしても仕方ない、と早々に気づいて、新しい造形をつくる一大事業に精を出したと思う。クリムトを初代会長とする「ウィーン分離派」はそれまでの保守的な芸術にアンチを唱えて集まった集団で「せセッション館」は彼らの展示施設である。アールヌーボーとモダンが混じり合った奇妙で美しい建築だ。一時期行方不明とされていたクリムトの『ベートーヴェン・フリーズ』も今はここの壁画となっている。地のものはその土地で味わうときにこそ、眼だけではなく、五感で直接味わうことができる。もちろん絵だから匂いも味も音もしないが、味わったと断言していいだろう。時代は変わってしまったが、磁場はまぎれなくそこにあり、我々を強くひきつける。『ベートーヴェン・フリーズ』の一室で「ああ、なんてクリムトはすごい人なんだ!」と大尊敬したのである。壁画に描かれた人間や動物、模様をしげしげ観察しているとクリムトのねらいの秘密が徐々に解明されてきて飽きない。かたちのひとつ、角度のひとつとっても計算され尽くしているのだ。

◯ウィーンの3分間写真は3分ではなく5分かかる。

前回のウィーン日記が後ろ姿ばかりで楽しくなさそうとの感想もあったので、無理矢理楽しそうな写真でものせておくか…。顔をさらすのは嫌いなのだが…。この3分間写真はたぶん証明写真に使うモノではなさそうだ。味わいがありすぎる。唐突にシャッターがきられてあわてた。しかし待ち時間5分て長いな〜。

◯ゴッホの意外な活用術ベルヴェデーレ美術館は元宮殿で「ベルヴェデーレ」とは良い眺めの意味である。ここでもクリムトを目玉としていろいろな絵が楽しめる。ちなみにここはゴッホの風景画を1点所有しており、それが意外なところに展示されていてうれしかった。クリムトの風景画の部屋にゴッホが1点混じって展示されていたのだ。クリムトの風景画はモネに似ているのだが、こうしてみるとゴッホの影響もあるような気がしてくる。ゴッホの絵はクリムトの部屋にとてもマッチしていた。ぼくはゴッホはきっと「表現主義」の部屋にあるにちがいないと思っていたのだ。一般にはゴッホは表現主義に影響を与えたとされているわけだが、画家にとっての「主義」というのはあっちへ行ったりこっちに行ったり自由に行き来できるものであって、共産主義、自由主義みたいに相いれないものではない。
「地のものはその土地で味わう」の第2弾はさきほどの「表現主義」の絵。たいへんおもしろく感じられた。退屈させないんだなぁ。定規で線をかいたような、筆後をのこさないような、クールな描き方の絵もいいと思うんだけど、描いていて楽しいのはそりゃこっちでしょ。「描いてる」ってカンジ。このカンジは絵でしか表せないんだもの。表現主義の絵を印刷物で見てるときは、中途半端な印象を受けたけど、どうして生で見ると、描き方にしろテーマにしろいろんな意味でギリギリをねらっているのがわかる。なんで中途半端だなんて思っていたのだろう?空気感とかやっぱこのへんの土地の感じがする。ちょっとひんやり暗めなのも気持いい。「エミール・ノルデ」「キルヒナー」「オスカー・ココシュカ」この絵いったいなんなの?ウーパールーパーまでいるよ。

◯ウィーンで太田さんに会う。
太田雅公さんはセツ時代の友達。年は5こくらい上なんだけど、入学がぼくより半年遅かったので、気がねなくなれなれしく接している。そんな太田さんがリンツに居るということをfacebookで知った。ちなみに同部屋のデザイナー兼イラストレーターの浅妻くんもセツの仲間。「太田さん、こっちに来ない?会おうよ!」ということでリンツから来てくれた。でもウィーンとリンツは東京と長野の松本くらい離れている。そんなこともいとわず来てくれた太田さん。実に久しぶり。太田さんは舞台衣装家だ。宮本亜門氏が新しく出来た劇場のためにオペラ『魔笛』を演出する、その衣装デザインのために7月まで2ケ月滞在する。夕食でベトナム料理をみんなで食べた。そのときに太田さんが武蔵美の教授!になってたことを知り驚く。あの太田さんが大学の教授かよ!でもひさしぶりに太田さんと話して刺激になった。とにかくこの人はいいものをつくるためならすべてを厭わない。自腹だって切っちゃう。そういえばセツ時代に一年に一度学校をあげての展覧会があったんだけど、そこで一等になると長沢節センセイの絵がもらえる。なので生徒ははりきって絵を描いて搬入するんだけどなかなか審査がきびしくてそう簡単には一等になれない。僕もがんばって何枚も出したんだけど、太田さんは B全パネルで12枚くらい搬入してて、あ〜、負けたと思った、そして見事一等をとった。そのころのままの熱量で今も生きているのがすごいね。太田さんは僕たちの部屋に泊まっていった。3人で話しているとここがウィーンだなんて思えない。新宿かどこかのようだ。太田さんはどこでも寝れると言ってソファでヒザをまるめて寝ていた。そして早朝、ホテルを去って行った。さようなら太田さん。太田さんいいこと言ってます。対談 池内博之 ×太田雅公『欲望という名の電車』について、それぞれの視点。「ハイ・ファッション」より。
ウィーンの旅、その2おしまい。あと一回くらいあるかも。

ウィーンの旅、その1

6月17日から24日まで「ウィーン」に行って来たのでその報告をば。当ブログでは「ロンドン」「ニューヨーク」につづく海外旅行シリーズ第3弾だが、ぼくは元来、旅行ぎらいで16年間くらいどこにも行ってなかった。とくに行きたくもなかった。でもここ数年はよく旅行に行く。今年に入ってからは海外2回、国内4回も行っている。しかしこれとて誘われたり、巡回展のためだったりして、積極的に行っていない。旅行に行く前の気持の高まりは人並みに感じるものの、現地について二日目には、もう家に帰りたくなってくる。疲れる。眠れない。旅は非日常だから日常が恋しくなる。でも楽しいんだよね。家にいるなんてもったいないと思う。1週間なら1週間、非日常に身を置くとそれなりに得るものもあるわけで……そんな人間の旅行記です。
◯飛行機はウィーン少年合唱団と元プロレスラーで国会議員の馳浩といっしょだった。

今回の旅は某デザイン事務所の社員研修旅行に同行。予定表には「ブリューゲル、クリムト、シーレと世紀末建築とオペラの旅」というタイトルがついているのでそういうものを見るのだ。
◯ウィーンは猛暑!
猛暑!猛暑!猛暑!酷暑!酷暑!酷暑!ウィーン滞在中はほんとに暑かった。35℃の日もあった。それはまるで予想外のことだった。ガイドブックではずいぶんと涼しいようなことが書いてあったが、も〜う!イヤンなっちゃうくらい暑い。まず気持の準備ができてない。セーターやヒートテックの用意はあってもTシャツなんて下着用にもってきてるくらい。せっかくの旅行なのに下着のようなTシャツで街を歩かなければならない。ウィーンは年に十日ほど猛暑日があるらしいが、ぴったりそのときに来てしまったわけ。ウィーンの女性たちはタンクトップに太もも見えまくりのホットパンツ姿が多かった。年に十日のこの暑さをむしろあじわっている感じすらある。湿度もけっこうある。ギラッギラの太陽に照りつけられてたまらず店に逃げ込むも冷房ナシ!ということが多い。「トラム」という便利な路面電車によく乗ったがここもほとんど冷房ナシ。オペラ座も冷房ナシ。美術館はどこも冷房が効いていた。ちなみにアイスウィンナーコーヒーみたいな飲み物にも伝統的に氷はナシ、でもビールは冷えててどこでもうまい。あついあつい!夕方になってもあついあつい!
◯ウィーンの印象

全盛を誇ったハプスブルク王朝が中央ヨーロッパを治めていたのも今は昔。こじんまりとしたウィーンの街は栄華の後にもまだ余裕という文化を保ちつづけているようであった。一週間、狭い範囲だけ見た感想なので間違っていると思うがこの眼にうつるウィーンはそうだった。たとえば地下鉄や路面電車「トラム」はパスを買って乗るのが便利なのだが改札には駅員もいなけりゃセンサーもない。ただ冊があるだけ。検札はたまに来るらしいが一週間いたけど出会わなかった。みんなタダで乗り降りしてるんじゃないかと思ってしまう。いや、みんなパスを買って乗っているはずなのだが、ほとんどチェック機関がない。あくまで本人の良心に委ねるという、なんて大人な方法なんだ。ドナウ川にも落下防止めの無粋な冊はなく、基本的に「落ちても知らないよ」という態度。人が川に落ちかけている絵のついた標識だけがある。実際川に近づくと落ちそうでコワい。「トラム」の優先席のマーク。

◯ウィーンの人柄

人はみなおだやかでお店のサービスも心地よいところが多かった。これもまた限られた範囲で見ただけだが、ものすごーく下品な人とかあまり見かけなかったな。日本人の僕はなにかというとすぐ作り笑顔をするが、外人はあまりしない。なので怒ってるのかとおもうけどけっこう親切だ。シェーンブルン宮殿に行く時、なにも聞いていないのにトラムでおばさんが「U4(うーふぉー)よ」と地下鉄の線を教えてくれて、また別のおじさんが「グリーンだよ」と線の色を怖い顔で言ってくれた。美術史博物館のチケット売り場。ウィーンはクリムトのせいか金色が使われているところ多し。

◯美術史博物館
ここの目玉はなんといっても世界に40点ほどしかないブリューゲルの油彩が12点もあるということ。ブリューゲルやクラナッハ、ルーベンス、カルバッジョ、デューラー、レンブラント、フェルメール、メムリンク、ホルバイン、ベラスケスなどを堪能。
浴びるように絵画を見る。パリの「ルーブル」やロンドンの「テート」やニューヨークの「メトロポリタン」などと同じで、とても一日では見られない。しかも何段にもかかっていて、どんな絵が好きな人でも、見ることの限度を超えてしまう。「絵なんて一瞬で見られる」と豪語している僕も、お腹がいっぱいなのにどんどん食事が出てきては、いくらおいしくともちゃんと賞味できない。ゲップの出そうなときは絵の森のなかを散歩している気分で歩くのも贅沢である。このひと部屋が日本に来たら大騒ぎだろうと思いながらぶらぶらと。一日で全部見ようとするのがそもそもの間違いなのだ。
しかし、中世近世のヨーロッパ人てのはこうもこってりと隙間のない絵をあきもせず描いてきたもんだ。やっぱ米や野菜とたまに魚を食って暮らしてきた我々と、食事といえば「肉」の国の人たちは根本的に何かが違うとおもわざるをえない。ヨーロッパ人中心の美術史を宮殿で見ると世界は昔は西と東に半分に別れていたことを実感する。そして急に東洋の絵に身近さを覚える。ここで掛け軸か屏風でも見て一息つきたくなる。ルーベンスはバロックの過剰で大仰な感じがバカバカしくて好きだ。コッテリしてても別腹。
レンブラントにしろブリューゲルにしろ大天才というのは西洋と東洋の壁を越えている。自分が日本人だとか東洋人だとか意識することなしにすっと絵の中に入っていける。そういうときにすべての絵はつながっていると実感するのだ。しかし、レンブラントやベラスケスの部屋にもあまり人は居ず、日本では考えられないことだが、たまたま僕が行ったときには、フェルメールの絵(1点しかないが)は誰に見られることもなく、部屋の中には自分一人であった。絵の前にベンチが置かれていたのでそこで疲れた足を休めたのである。

大天才というのは時代の流れのなかでポコッと浮いた仕事をするものであるとつくづく思う。俯瞰ですべての登場人物にピントがあったブリューゲルの絵は、庭の石をどけたときにその下にいろんな虫達がいっぱいいてワ〜ッと散らばってさわいでる様なカンジである。ティム・バートンの映画のワンシーンみたい。みんな勝手に「オラ生きてんど〜!」と声をあげながら残酷に踏みにじられたりする虫のように、人間が描かれている。一人ひとり手をぬくことなくちゃんと描写されており、そういう意味では画家は神のような創造主でもあるが、ブリューゲルの絵を見ていると、深沢七郎にも似た人生観、人間は屁のように産まれてきて屁のように消えていく、といったおもむきさえ、こちとら勝手に覚えてしまうのであった。ウィーンの旅その1終わり。たぶん続く…。

 

 

石井鶴三はすばらしい

前に板橋区立美術館に行った時に、石井鶴三の売れ残りの図録が安く売っていたので、ラッキーと思って買った。久しぶりに取り出して見ていたら、やっぱ石井鶴三はおもしろい!と改めて思いなおした。何が素晴らしいかって、描いてるものが変わってる。
これは「縊死者」というタイトルの水彩画だが、なかなかこんな題材は描かないよ。続いては「行路病者」という作品。手や顔のむくみがリアルだ。石井鶴三は社会問題を告発した画家ではないが「私はこれまでの境遇上から、路上雑多の光景に対して、かなり深い感興をそそられる。行路病者だとか電車の事故だとか、公園の雑踏だとか、そういう群衆を眺めるとき、そこには一種の人間味がたたえられていて、私の胸を強く打つのである。」という本人の言葉にもあるように、何か強い批判が最初からあったというより、人間に対するまなざしから自然に批評精神の高い作品になったようである。この電車の中を描いた絵なども、さきほど本人が言っていた「雑多な光景」のひとつだけど、ここには社会批判などなくて画面を構成する純粋絵画的なおもしろさが主だ。描きたい内容があり、しかもそれを格調高い画面に作れる。こりゃ、いつも僕が目指してなかなか出来ないことだけど。とくに画面作りが。。。「手術」この絵もとくに批評性のようなものは感じられなくて、ただ手術を描いたという感じが、面白いと思う。「縊死者」も「行路病者」もただそれを描いた、という感じが僕は好きだ。はい、お風呂につかっている人を描きました、というこのそのまんまな素直な感じがたまらない。結構お風呂シリーズの絵が多くて、きっと人が湯船につかってるところの視覚的おもしろさに惹かれて描いたのではないだろうか。