伊野孝行のブログ

NewYork日記 その4

NY日記その1NY日記その2NY日記その3

さて4週にわたって書いて来たNewYorkレポートも今回でやっと最終回。

10月22日(晴れ)今日はいつものように朝から美術館には行かない。蚤の市に出かける。蚤の市にもホームページがある。「Hell’s Kitchen Flea Market」

僕はもともと物欲が少なく、いろんなものがゴチャゴチャ置いてある蚤の市とかでモノを買うのが苦手だ。ちょっとおもしろいなー、とは思っても欲しいかな?と自問自答するとたいがい「いらないな…」という答えがかえって来る。日本でも世田谷の「ぼろ市」など何度も出かけたことがあるが、結局何も買わない。でも雰囲気が好きだ。NYの蚤の市も同じような気安さがあった。そして売っている人の人相がみな良かった。英語の発音が聞き取りやすい。古いものが好きな人はいい人なのか?でもどこかでぼったくられるのではないかという気持ちも拭えない。特に何も買う気はなかったが、アフリカの木彫りの人形を一体買った。象牙海岸の産だそうだ。45ドルを25ドルに値引きしてもらう。まわりの友だちが掛け合ってくれて、僕は何もしていないが安く買えた。人の良さそうな黒人青年が売っていた。コートジボアールのビジネスマン。この人形、他にも種類があったが。これがきわめて形も色も良く、いくら見ていても飽きがこない。お腹の出っ張り具合。腕のライン、顔の造作、み、み、み、見飽きないヤツだな〜。見飽きないということは、見る度に何かしら発見があるということだ。こんな木彫り人形からも教えられることは多い。

さて、お昼は「Corner Bistro」という老舗ハンバーガー屋に行く。
角にあるから「コーナービストロ」という名前だね。やはり一度は本場のハンバーガーを食わないと!「コーナービストロ」のサイト
今日はやっとこれから美術鑑賞。とあるギャラリーでやってたアレクサンダー・カルダーを見に行く。
「The Pace Garelly」
たくさんモビールを見ることができた。美術館でなくてギャラリーだから雰囲気も違う。つい身近に感じて「フーッ」と息をモビールにかけてしまった。そうするとユラユラ、動き出す。触っちゃダメでもコレはいいかな?”ものの本”によると、この「モビール」というのはカルダーが新しい彫刻を模索する中で誕生し、それを見たデュシャンが「モビール」という名前を付けたそうだ。みんな小学生のときに作った人も多いだろうけど、意外なところでカルダーだけでなくデュシャンの恩恵まで受けてるとは…。それから我々は「ホイットニー美術館」へとハシゴした。ここはマルセル・ブロイヤーの設計で、美術館自体に見惚れるところが多かった。パッと見奇抜なグッゲンハイムに負けていない。照明から階段の細部に至るまで唸らせる。グッゲンハイムとホイットニー、どっちかもらえるんだったらホイットニーかな。近々ここはメトロポリタンの一部(別館?)になるそうだ。ホッパーの作品も良かった。デイヴィッド・スミスという人の鉄の彫刻の展示がワンフロア全部でやっていて、これがまたまた良かった。カルダーもそうだけど、まとめて見るというのはいいっすね。デイヴィッド・スミスさん戦争中は溶接工の仕事をしていたそうだ。
「ホイットニー美術館」
そうそう、ホイットニーの前に露天商が出ていて、そこはアフリカの民芸を売っていた。そういえばこの手の店はグッゲンハイムの前にもいたぞ。観光客相手の商売だ。アフリカのお面やらを見ていると、なんとそこに昼間買ったコートジボアールの人形達もあるではないか。しかも下のダンボールにはゴロゴロ入ってる。でも僕の買ったのと同じのはいない。この人形はビジネスマンだけではなくいろんな職業の人形がある。やはり僕の買ったのが一番いい。くやしまぎれではなく、これはマジだ。しかし、ザラにあるものなんだな。一応値段を聞くと40ドルだと言った。あれ、蚤の市より5ドル安いぞ。まあ、25ドルで買ったのはけっこういい線まで下げたかな?どこかで元締めがいるな、この商売。
さあ、今日はNYも最後の夜。最後の晩餐はホテルの近所のイタリアン。美味しいけど量が半端なく多い。しかし、Kさんの注文の仕方がうまくて、腹十分目でピッタリとおさまる。この量で、コースでいうなら2人分くらい。それを6人で食べてもお腹いっぱい。デザートはきっちりひとり一個食べたけど。少し高級なお店だとやはり白人の人が多い。お店によって客層が違うのはどこの国でもそうだが、それが人種となって現れるのは、シビアだ。ちなみに美術館の監視員はほぼ黒人の人。

10月23日(曇り)今日の昼前にはもう出立する。今日は最後の朝食。ホテルには朝食はついていない。近所の「オリンピック」という店に行く。ここは2度目に行くと「アミーゴ!」と呼んでくれる。働いている人達はメキシコ系の人で、太った女将さんをはじめみんな親しげな雰囲気濃厚。旅行も終わり頃になると、僕も気が大きくなって、コミュニケーションしてみようという気になった。(基本的に僕は、話しかけられても、言葉がわからないのでニヤニヤしているだけの典型的日本人なのだが…)というわけで最後はこのツーショットで決めてみました。
近くに行ったら寄ってあげよう。2回行けば常連とみなされる。「オリンピック」はこんな店

 

 

NewYork日記 その3

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10月21日(晴れ)昨日、やっと充分な睡眠がとれたおかげで、元気も盛り返してきた。今日は大旅行の中の小旅行に出かける日。マンハッタンから電車で80分、「ディア・ビーコン」という美術館に行く。

マンハッタンを離れて田舎に向かう。旅は非日常なのに、なんだかのどかな気分になってくるのは、やはり自然が多いからだろうか。昨日やっと眠れたからだろうか。遠足気分である。ビーコンに近づくにつれ、山々は紅葉している。…というわけで、ハイ着きました。「Dia :Beacon」です。ここはミニマルアートとランドアートの作品を、東京ドームの半分ほどもある建物の中に納めた美術館で、元はナビスコのパッケージを作る工場でした。入り口を見ただけではそんなに広いとは想像つかないけど。さっそく作品を見て行きましょう。まずは「ブリンキーパレルモ」さんの作品。す、すごいですね!板を絵の具で簡単に塗り分けてあるだけなんだけどおもしろい!パレルモさんの作品は横に置いて同じものを作れと言われたら、誰でもすぐ同じものを作れる。しかし最初からこれを作るのはパレルモさんにしか出来ない。なんでこんなことが出来ちゃうのか。虚をつくような作風でも、冷たい感じはない。近づいて作品を見ると手塗りの跡がわかる。なんだかあったかい心持ちになるのである。ユーモアがある。パレルモさんは若くして亡くなったという。惜しい人を亡くしたものだ。ブリンキー・パレルモはこんな人

おっと、「ディア・ビーコン」は写真撮影が禁止だった。さっきの1枚はそれを知らない時に撮ったから許してもらおう。ひろーい美術館の中を美大生さんかと思われる監視員がブラブラ歩いているのだが、注意されてしまった。美術館に来ると海外でも居場所が見つかるが、MOMAやメトロポリタンは観光客が多くてそうでもない。ここは全然お客さん少なくて、居心地いい。照明はなく、天井から入る光だけ。この建物(1929年建築)自体が美しい。パレルモさんとちがってセラさんの作品は同じようなもの作れと言われても出来ないな。先立つものがないとねぇ。パレルモさんとは対局的。

ハイザーさんもおおがかりですね。床に埋め込んであるからたぶんここでしか見れない。そういう意味ではここの美術館はわざわざ来る甲斐のあるところだ。この作家は女性だったんだ。六本木ヒルズにもありますね。でもここにあった蜘蛛の方がより気持ち悪くて好き。他の彫刻もみんな気持ち悪くて好き。彼女の作品のテーマには父親のことも多く、男性陰部をいじめるような作品がけっこうあるそうな。そう聞くとなんだか合点がいく。展示場が古い工場というのもぴったりだった。

上の3点は絵に描きやすかったから描いたけど、もっと色々ある。美術館の案内図に作家の作品をメモしながら見た。これはミニマルアートやランドアートだから出来るけど、普通の絵画ならめんどくさくて出来ない。ここにあるのは傑作ばかりなのにあえて三ツ星で採点してしまった。まぁ、勝手な遊びということで。お許し下さい。クリックするとでかくなります。

ビーコンからの帰り道、切符を切りにやってきた(切った切符は座席にチョコンとはさんでおく)車掌さんと我々との会話。「美術館に行ってきたのかい?おもしろかった?」「とてもおもしろかった。行ったことありますか?」「いや、私はまともな頭をしているから、行ったことはないよ。」その車掌さんだと思うが、終点グランドセントラル到着のアナウンスの前に歌(スキャット?)を披露した。車内は全員爆笑。車内の女の子がひとり「大好き!」と叫んだ。どういった内容の歌かわからないけど我々も笑った。旅に、こういう思わぬプレゼントがあると実に印象深くなるものだ。「ディア・ビーコン」は道中の景色もいいし、美術館も素晴らしい。NYに行くときは足を伸ばして損はない。グランドセントラル駅で往復の電車代とビーコンの入場料が込みの割引チケットが買える。たしか30ドルくらいだった。(NY日記、来週でやっと終わるよ)

 

 

NewYork日記 その2

先週からのつづき。先週のブログはコチラです。

10月20日(木)晴れ。飛行機の中、18日、19日と時差と無意識の緊張で、眠れない夜が続いた旅行の3日目。今日は「メトロポリタン美術館」へ行く。体力の消耗を考えて午前中はやや無口であった。この巨大な美術館もまた公立ではない。入場無料のかわりに寄付金を25ドル払わなければならない。これって、歴史的円高の現在、さほど高くは思わないが、日本以外の国から来た人にとってはかなりの金額になる。

まずは元気なうちに、見たいものから見て行こう、ということでポスト印象派の部屋へ直行。メトロポリタンにはゴッホがたくさんあった。絵の前に立つと、絵の具という平面を塗る為の物質が、盛り上がって立体物になっていることに毎度ながら驚く。今とくらべて絵の具も安いものじゃなかっただろうに、この気前のよい使い方。ゴッホは金の使い道を知っていたわけだ。ゴッホは絵と人生を同時に語られてしまい、それによって絵だけを見てもらえなくて損をしている。絵と人生を近づけて語ることは、絵を見る場合プラスばかりではなく邪魔にもなる。…しかしだ、やはりこうして絵の前に立つと、とても気持ちがなぐさめられる。ゴッホの絵にはそういう作用がある。描かれているのは飲み屋のおばさん、近所の風景、自画像なのに…。セザンヌは絵の為に絵を描いたけど、ゴッホは人生のために絵を描いている部分もあると思えてくる。だからそんな気分になるのかな?見てるこっちもつい、ゴッホの人生と絵を近づけてしまいそうになるのも自然なことかもしれない。

次はバルテュスを探しに移動する。その途中で近代、現代美術の部屋を通るので、それらの傑作たちも拝めた。バルテュスは実は本物は一度も見たことがなかった。画家は生まれた時代によって作品が左右される。だけど、その時代に生まれなかったら全く違う絵を描いていたかもしれないというのは少しさみしくもある。でもバルテュスは違う時代に生まれても同じ仕事をしたのではないかと思わせる。

かっこいいな〜!人と人の間にある間。魔。間をもっとも大事にした芸人、勝新太郎との映像は何度見ても飽きないので、みなさんにも見て欲しい。勝新太郎、友人バルテュスに会いに行くお宝映像。

特別展では「カリカチュア」を集めた展示があって、これはヒントになった。これから僕に新しい扉を用意してくれるかも知れない。

僕の芸風はカリカチュアっぽいのだが、グロテスクに誇張された風刺画などは実は僕の苦手とするところであった。似顔絵も和田誠派か山藤章二派かに別れるなら、迷うことなく和田誠派に手をあげたい。しかし、この展示を見てひとえに「カリカチュア」と言っても色んな絵があり、アル・ハーシュフェルド(この超有名な画家も、もちろん知らなかった)などの美しい線に見惚れてしまった。あとmariusu de zayas(マリウス デ ザイヤスとでも読むのだろうか?)というメキシコ人の絵描きの絵が特にシャレててよかった。この人は、もうひとつの特別展「スティーグリッツ」のコレクション展にもたくさん絵があった。スティーグリッツも僕は知らなくて金持ちのコレクターかと思っていたがジョージア・オキーフの旦那で有名な写真家なんだってね。ニューヨークでギャラリーをやっていて若き日のマン・レイに眼をかけていた人でもある。

無意識にカリカチュアを描いていた僕がこれからは意識して勉強すれば、カッパが泳ぎを覚えるが如し、サルが木登りを習うがごとし、オニが金棒をもって大暴れするように活躍するかもしれない…?
アル・ハーシュフェルドはこんな絵を描く人です。
marius de zayasはこんな絵を描く人です
図録の中にはこういうくだらない絵もあって思わず吹き出してしまう。

ここにカリカチュア展のことが詳しく載っていた。
さて、他にもエジプトのお墓をそのまま持ってきて展示してあるのや、薄気味悪い西洋東洋の鎧や甲冑を見たり、と博物館的なものも楽しんだあと昼食。お酒も飲んでお腹もいっぱいになるとさすがに眠気に襲われる。美術館は歩きっぱなしだから足が疲れる。数日の睡眠不足がたたって、頭がボーッとしてきた。しんどい…。眼が充血して真っ赤だ。なんだか、もうヘトヘトになってしまって、今、ニューヨークで何がしたいか?と聞かれれば、とにかく寝たい、と答える状況になってきた。ベンチに座るとなかなか起き上がる気力がなかった。

まだ3時くらいだったが、ギブアップしてホテルに帰ることにする。(結局レンブラントやフェルメールは一枚も見なかった!)もうタクシー乗っちゃおう。ニューヨークのタクシーは結構乗車拒否が多かったけど、とても怪しげな黒人(老人なのか若いのかわからない)がタクシーを勝手に止めてくれて、乗ることになった。もちろんチップを要求してきたので1ドル渡す。このタクシー自体、勝手なところに行って法外な金額を要求してくるのかもしれない…そう考えるととても心配になってきた。眠気と心配。これはストレスだ。しかし、すんなりとホテルに着いて心から安心する。

さて寝酒を買いたくて、ハードリカーを探したがスーパーやデリには置いてないようだった。仕方なく缶ビールを6缶買う。ビールはおしっこで起きそうだから飲みたくなかったんだけど、一缶飲んでベッドにもぐり込んだ。すると2時間眠れた。起きておしっこに行き、また一缶飲んで寝る。それを3回繰り返して計6時間眠ることができた。この日の晩飯は「寿司田」の予定だったが自分ひとりホテルで寝ていたのだ。みんなが食事の帰りに寿司の折り詰めをもって部屋に遊びにきた。なんだか入院している人の気分だった。寿司を食べて(レインボーロールうまかった)、また寝るももうあまり眠れなかった。しかしこれで体力はかなり回復した。思ったよりも安かったらしいです。「寿司田」明日はニューヨークから電車で80分、ハドソン川沿いにある「ディア・ビーコン」という美術館に行く。大旅行の中の小旅行、これが楽しみなのだ。(つづく)

 

 

NewYork日記 その1

10月18日(火)晴天。 まさか自分がニューヨークに行くとは思っていなかったが、いざ行くとなると俄然興味もわいて来る。わざわざ絵を見に行く旅であるが、聞くところによると美術館はほとんどが公立ではないという。なぜだ?…そんなことも気になるが、やはりニューヨーク自体がどんなところか知りたい。期待が僕を眠らせてくれないのか、旅慣れてないのか、結局全く寝ないでケネディ空港に着く。(写真•NY第一食。テーブルが面白い店「The Prime Burger」)

ニューヨーカーはとにかくみんなデカイ、デカイ。肥満が普通の国だ。ガリガリに痩せている人とすれ違うとなんだかホッとする。肥満は当然社会問題になっているが、子供の肥満予防の教育係の先生がすでにデブだったり、ダイエット給食を開発している会社の社長がこれまたデブだったり…という、これは実話だそうな。人にあわせて全てが大きめでゴミ収集車の巨大さには驚いた。

さてまずはグッゲンハイム美術館へ。なんといってもあの有名なカタツムリみたいな螺旋のスロープを降りながらの名画鑑賞を楽しみにしていた。…しかし!ちょうどニコラロペスという人の特別展示をやっていて、この展示のために吹き抜けの上から下まで隙間なく厚い和紙のようなものでピッタリ塞がれていて、建物の内部を全く見ることができない。ただ通路の中を進むだけであった。本番での驚きを損なわねないように極力写真などで見るのは我慢してきたというのに、なんと間の悪いことだろう。いや、このインスタレーション自体、この建物ならではの展示でなかなかおもしろかったのではあるが…。(だいたいの記憶にもとづく展示の様子。青い部分がインスタレーションである。青いカーテンの中身はまったくうかがい知ることが出来ない。)

他にカンディンスキーの部屋があった(素晴らしい!)。常設コレクションもこじんまり出ていたがゴッホは2点のみだった。1点は小さい油絵で見た記憶のないものだったので、眼に焼き付けておく。セザンヌがふんだんにあった。セザンヌは、絵の中に写実ではない方法で自然を再現しようとした人だ。自然とは調和のことで、デッザンの正確さよりも全体の調和を優先させた。いや、むしろそのためにデッサンは狂わなければならなかったのである。それこそが絵画だ…などと考えこの日はこれで満足した。(写真•晩ご飯メキシコ料理店「Toloache」イナゴのタコス)
ホテルに戻って眠る準備を万端にして床に着く。かれこれ30時間くらい起きてるからさすがに眠い。…ところがなぜか眠れない…。お風呂に浸かってもう一度床に着く。…眠れない…。睡眠導入剤はぜんぜん効かず。結局朝までには、記憶のない時間をつないで計算すると2時間くらいはトロトロしただろうか。夜中に大便を5回、小便を10回以上行った。下痢ではない。一体僕の体はどうなっているんだ。

10月19日(水)雨。 今日はMOMAだ。ホテルから歩いて行ける距離。開館前に行ったけどすでに長蛇の列!びっくり。入館料はKさんがMOMAの会員だったので他のメンバー5人も割引にしてもらえる。たったの5ドルで済んだ。ラッキー。しかもだよ、会員特典として列に並ばなくてもいいということで、どんどん中に入って行けた。上の階から順に見る。一番上の6階は「デクーニング」の特別展。デクーニングといえば半抽象のような女性像が有名だけど、それ以外にも大量の抽象作品や初期のいいデッサンなどが色々見れた。かなりのボリュームで満足。ここは写真がNGだったので画像はない。

デクーニングはこんな絵を描く人です(クリック!)
感動の記憶というものはすぐに忘れるものだ。あの体験はまだ自分のどこかに残っていてくれるだろうか?下の階はMOMAのコレクション。傑作がゴロゴロ。これだけでもわざわざ来てよかったなと思う。人はいっぱいなのだが展示は楽に見れてストレスがない。それだけMOMAがデッカイということか?それに日本の美術館とちがってとても楽しい空気が流れている。去年、ロンドンの「テートモダン」に行った時もそう感じた。この違いはなんだろう?まわりが外人ばかりだから?日本だと他の観客がだいたいどんな人でどんな反応してるかもわかっちゃうからかな?写真がOKなのもあるかもしれない。気に入った作品と記念撮影していると、堅苦しい雰囲気はどこかへ飛んで行ってしまう。マチスの「ダンス」はどこかに貸し出し中でした。またしても間が悪い!「アヴィニヨンの娘たち」ってこんなデカかったのか!実際思ってたよりも大きかった小さかった、という驚きも本物を見る喜びのひとつだ。印刷物にもサイズが記されてるけどほとんど気にしないから。勝手に想像のサイズで見ている。それが裏切られたおもしろさ。マチスのこれもでかいなぁ。こういうのを見てるとでかい絵も描きたくなってくる。これはジャコメッティだったと思うけど、こういう意外な作品見れるのもいい。多くの画家はそれと知られた作風以外にも色々実験をしているものだ。
昼食後、また観る。しかし、もう疲れ果てて特別展のほうはほとんどパスした。大きなソファは人でいっぱいだ。誰かどかないかそればかり狙っている。やっとあいて座る。もう、ヘトヘト。昼のワインも効いてるし。夕方ホテルに戻る。30分だけストンと眠りに落ちた。

夜は川向こうのブルックリンへ食べに行く。「ピータールーガー」という十何年も連続でナンバーワンに輝く老舗のステーキハウス。運良く予約が取れた。タクシーがなかなかつかまらず15分遅れて店に入ったが、そこからまた30分ほど待たせられる。どういうシステムなんだ?しかし活気がすごい店だ。期待が高まる。デクーニングやその他の絵の感動の多くは今、忘れてしまったが、味は結構覚えたりするんだな…。非常〜においしかった!一人77ドルなり。(老舗ステーキハウス「peter luger」)

さて、今日こそ眠れるはずだし、寝なきゃヤバい。もうかれこれ何時間起きているのか計算もできない。平たいお風呂に無理矢理体を浸けてあたたまる。ボーッとしたところで睡眠導入剤を飲んでベッドに潜り込んだ。おやすみー!………あれ?ね、ね、眠れない!!!!!(続く)

 

 

亀を飼っています

銭亀と呼ばれる亀の子供の可愛さったらない。7年前につい買ってしまった亀も、今では文庫本くらいの大きさに成長した。小学生のときにイシガメ一匹とクサガメ2匹を飼っていた。「生き物の飼い方」という当時の僕が最も愛読していた、身の回りの小動物の飼い方がまとめられた図鑑があり、そこには亀は雑食で、「どじょう、エビ、小松菜、バナナ、人参、リンゴ」などを食べると書いてあった。動物系のエサが好きなのは知っていたが、バナナとかも食べるのか?と思い、そこに書かれている食べ物やそこに書かれていない食べ物を色々与えてみた。結果はバナナは3日経っても一口も食べず、人参やキュウリは真ん中や端っこを少しかじった跡を発見出来るのみ、そのかわりオタマジャクシは際限なく食べるし、バッタを与えると、水面を泳ぐバッタを水中から引きずりこんで食べる様子がワイルドであった。それらの結果をまとめた「かめの研究」という夏休みの自由研究は教育科学展で賞をもらって「カメ博士」気取りであった。しかし、その年に冬眠させようとして、失敗し、3匹とも死なせてしまった。春になって土の中から2匹の死骸が発見され、もう一匹は土にかえっていた。おかしい…。「生き物の飼い方」どおりにしたはずなのに。他の動物や昆虫にしても、その本の通りに飼ってもすぐ死ぬので「生き物の殺し方」と呼んだりした。たぶん子供ならではのずさんな管理のほうに問題があったと思うが。とにかく、捕まえて来ては結局死なす、ことの連続であったが、特に心を痛める事もなく、またハンティングにでかける毎日だった。「かめの研究/い野たか行著」なぜ、名前が平仮名漢字が混ざっているかと言うと、「伊」と「孝」が小学三年では習わない字だったからである。もちろん自分では書けるけど。

今でもやはり冬眠は気を使う。ヒーターを入れると冬眠させなくてもいいのだが、エサやりと糞尿でよごれた水を毎日変えるのが面倒なので、冬眠させている。半年くらいは何も食べないで生きているのだから、本当に不思議。外国のおばさんで冷蔵庫を使って亀を冬眠させている人がいて、頭がいいと思った。真似出来ないけど。亀おばさんの冷蔵庫
ほとんど人間の役に立たない亀であるが、部屋の中に放すと、隅の方ばかり歩くので、普段は掃除機が届かない場所にも行く。そして体中にホコリを付けて来るので、今流行の無人自動掃除機と同じ効果がある。でも、ウンチもしちゃう時があるので気をつけなくっちゃ。

 

 

久しぶりに版画

久しぶりに版画をやりました。4、5年前にはじめてやってみて、10コほど作品をつくりましたが、だんだん遠のいてしまい、彫刻刀もすっかりサビついていました。日本一の版画イラストレーター森英二郎さんのアドバイスを活かしながら、作ったつもりなんですけど、結果的に、あんまり進歩できていないようです。これはあくまで僕の腕の問題と、あとバレンが安物だから…かな?性格もありますね。せっかちというか、早く出来上がりをみたいので、どうしても急いでしまうのです。版画は刷って、めくったっときに「うわ〜っ!」という驚きがあるのですが(これはうまくいった場合)僕はたいてい「ええ〜っ…」という言葉が口から漏れてしまいます。今回は前もって和紙を厚紙にはさんで湿らしておいたり、多色刷りのときの位置合わせのための「見当」も彫り込んだのに…余計に、労力に対しての報われない感じがひとしお…。作品はコレです。ま、そんなに手間かかってないですけどね…。以前に作った版画も載せてみます。ホームページにもアップしていますが、この際、ということで。実家で飼ってた柴犬の肖像。

「大菩薩峠」をコミカルに。因果は巡る大菩薩峠、この版画は天地はありません。ぐるぐるまわしても見られます。

吉祥寺の井の頭公園に憩う恋人たちを、頭に浮かべてつくりました。おっとよこからまた柴犬が…。とにかく版画はめんどくさい。でも版画ならではの味は、なかなかデジタルでは代用できないし、なにより「彫る」のは無心に作業ができて楽しいのです。