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伊野孝行のブログ

大徳寺と最近の『笑なん』

先週は2泊3日で、京都の大徳寺に合宿して、襖絵を描いていた。

京都の捉えがたい力のひとつは、この大いなる徳の寺からも放たれている。
自然の中での修行を理想とする禅宗において、庭に深山幽谷の景色を作ったのが枯山水だ。確かに、お庭も建物も人の手で作ったものなのに、肌にあたるのは山中の「自然」と同質のツブツブだ。空を見上げても、塔頭の屋根の向こうには電線ひとつ見えない。ここは京都の町の中のはずだが……。
「カラスの鳴き声も東京とは違う」と一緒に合宿しているヤマガさんが言った。

私もすでに普段の私ではなかった。
いつもはメールが届くと、すぐに返事を返すタイプなのに、禅寺にいると返信が億劫でならない。SNSも追っかけるのがめんどくさい。「パソコンを持ち込んでここで仕事をなさっても良い」と和尚は言ってくださるが、いやいや、私はとてもここでは仕事ができそうにありません……。ここは修行の場であるが、どうやら私の仕事は修行とは程遠いようだ。

というわけで、自然と言えば公園の木々くらいの、しかも、向かいのアパートが取り壊しの最中で静寂の暇もない、散らかった部屋で雑多のものに囲まれながら、今週も代わり映えのないブログを綴るのだ。

「日本農業新聞」で連載されている島田洋七さんの自伝エッセイ『笑ってなんぼじゃ!』の挿絵でございます。
絵だけ見てても、何のシーンかよくわからないから、描いた箇所を抜き出してみましたが、それでもよくはわからないかも。

小学校時代、ばあちゃんに勧められて毎日走っていた俺は、ダントツの1位!先生からも「お前、足速いなあ」と注目してもろた。「お前ら、今からノックするから、好きなポジションにつけ!」と言う先生の声に、あのころ、“サード長島”が大人気やったから、ほとんどのやつがサードに集まった。「先生、いつも何の本を読んでいるん?」
「ああ、これか? 野球の本や。俺はバスケは専門やけど、野球のことはようわからんから、本を読んで勉強してるんや」俺は中学に入っても相変わらず、朝の飯炊きや水く みをしていたから、 「明日は早朝から朝練習があると」とばあちゃんにうそをついて、こっそりと朝の3時 ごろから中央市場の荷物運びのアルバイトに行くこ とにした。譲葉さんは卒業後、佐賀商業から甲子園に出場した くらいやから、当時から存在が際立っていたなあ。そんなレベルの高い野球部で、俺がレギュラーにな れたのは、ひとえに足の速さやと思う。チームメートが「おい徳永、今日もばあちゃん来てるよ」と教えてくれるんやけど、せっかくばあちゃんが気を遣ってこっそりしているんやもん。「うん、知ってる」とだけ答えて、俺も気がついてないふりをしていた。「え! スパイク? 今から?」と言いながら、ばあちゃんの後を追った。「いいや、キャプテンやけん、スパイクを買うんや」「もう7時やし、店も閉まっているよ」ところが、ばあちゃんは言い出したら聞かへんのや。「はい。二千五百円です」おっちゃんがそう言うとばあちゃんは、「そこんとこをなんとか一万円で!」と、必死の形相で握りしめた一万円を差し出した。「え? 二千五百円ですよ」と、目を白黒させたおっちゃん。

2時間目の理科にも、3時間目の歴史でも、机の上にスパイクを置いて、先生からの質問を待ってたもんや。この日から、少なくとも2、3日は、これやってたんと思う(笑)。ある日、突然、南里くんが俺に聞いてきた。「徳永くんて、餅好き?」「うん、好きやけど…」「じゃあ、家にいっぱいあるし、明日、持ってくるよ」 にっこり笑って、そう言いながら帰っていった南里くん。ところが、次の日の朝。「先生、徳永くんはいろんなジャガイモを見たいというてたんです。だって、ジャガイモは2つとして同じものがないんです。ジャガイモにもいろんな顔があるんですよ」 さすが農家の息子!橋口くんは、クリーニング屋の息子。俺が野球部のキャプテンになったときに「城南の野球部のキャプテンなんやから、ピシッとせんとあかん! 俺にまかせとき」と言うてきた。橋口くんは、お客さんからクリーニングに出された洗濯物の山の中に、こっそり俺の制服を紛れ込ませていたらしい(笑)。やっぱり人に親切にしてもらったことはずっと忘れられんもんやね。俺もいろんな人に親切にしてもろたけど、ばあちゃんもそうやった。忘れられんのが豆腐屋のおっちゃん。「僕、崩れたんあるから、大丈夫や。な、はい、5円」おっちゃんは、目で合図してうなずきながらそう言った。頭痛だけはノーシンやったけど、ばあちゃんは、それ以外はなんでも正露丸で治していた。 お腹が痛いときはもちろん、歯痛のときは、歯に詰める。 脇腹が痛いときは、つぶしてお腹に塗ったりもしてた。風邪ひいたときも「これ、塗れ!」と正露丸(笑)。翌日も、その次の日も痛みは治まるどころか、どんどんひどくなっていく。こらたまらん! と俺は学校の帰りに、ひとりでばあちゃんちの裏にある杉山眼科に駆け込んだ。学校の帰りやから、お金は持ってへんかったけど、後で払いにいったらなんとかなるやろと。「いや、先生は後でばあちゃんにもらうというてたけん」と俺が言うやいなや財布をつかんで家を飛び出していってしもたんや。それから何十年後。偶然、すし屋で百武先生の息子さんに会ったんや。今は息子さんが理事長で、なんと俺のねんざを診てくれた百武先生も、医師は引退したものの101歳でお元気やということもわかった。「お前、どこで覚えたんや?」「いや、テレビとかでプロの選手がやっているから」「ええっ!テレビでか! それでできるんやからたいしたもんや」先生にもそう言うて褒めてもろた。俺が野球がうまくなったのは、足が速かったんもそうやけど、いつもイメージを大事にしていたこともある。スタンドプレーと言われたトスもそう。
テレビや球場でプロの選手がやっているプレーを覚えて、頭の中で自分がするようにイメージするんよ。

オトナの一休さん書籍化

Eテレの「オトナの一休さん」が書籍になった。

KADOKAWAより発売中です。
一休さんの生き方をアニメにした番組であるが、一休さんは禅僧である。一休さんを語るときに「禅」は外せない。
しかし、この禅というものが、なかなか理解しにくいものなのである。
書籍化にあたり、一本描き下ろし漫画を描いた。「死後の一休さん」というタイトルだ。
禅はそもそも「わかる」ようなものでもない、気さえする。
例えば、禅僧が悟りを開くよすがとする、禅問答というのがあるが、これなど普通の論理的思考で答えても仕方がない。
白隠和尚の代表的な公案「隻手の声(せきしゅのこえ)」は、「両手を打って叩いたらパンと音がするが、隻手(片方の手)には何の音があるのか」というものだ。
片方の手だけあげたって、何の音もしないわけなのだが、なんと答えればよいだろう……。
「隻手の声」はまだ問い自体はわかりやすいが、「南泉斬猫(なんせんざんびょう)」という話は、こんな感じである。
「南泉の弟子たちが猫を奪い合っていた。そこで南泉は猫を取り上げ、おまえたち、この有様に対し て何か気のきいた一言を言ってみよ、言うことができねば猫を斬ってしまうぞ、と言った。誰も答えることができず、南泉は猫を 斬った。その晩、一番弟子の趙州という人が帰って来た。話を聞いた趙州は、履いていたぞうりを脱ぎ、頭の上にのせて黙って部屋を出て行った。南泉は、趙州があの場にいれば、猫を救うことができたものを、と嘆いた」と。
ん?ん?ん?ん?全然わけわかんない!でも……なんか面白い!
禅のことはよくわからないので、絵の方の話ですると、この禅問答を読んで、シュルレアリスムの代表的な画家、マックス・エルンストのコラージュのコツに通じるものを見た。巖谷國士さんが、確か「コラージュというのは散々やられてきているが、なかなかマックス・エルンスト以上に面白いものにお目にかかれない」みたいなことを書いたと記憶するのだが、なるほど……と私も思った。マックス・エルンストの発想はこの禅問答レベルだ。ん?なんか無理やりっぽいって?
だって、理屈じゃない、言葉じゃない、というのは禅の中心的な考え(←適当に書いているのであまりに本気にしないでね。興味のある人は各自自分で調べるべし)のようだが、まったく絵もそうではないか。絵の一番本質的な部分は、言葉じゃなければ、理屈でもないのである。シュルレアリスムはそれをさらに……話が長くなるのでやめておこう。
ちなみに、公案にはこれという回答はない。
まぁ「オトナの一休さん」の書籍版には、この手の難解な話は書いていないのでご安心を。ぜひ痛快に読んでいただきたい。「常識や正論に悩んでいるアナタに読んでもらいたい!」と帯にある。        
ところで、さっきの禅の公案にしろ、これらが一体お釈迦様の教えと、どんな関係があるんだろうか?
仏教はインドから中国に渡り、朝鮮半島を経由して、日本にもたらされたわけであるが、聖徳太子の時代の仏教にしてからが、すでにお釈迦様が最初に説いた教えとは違っている。禅宗は逹磨が祖であり、中国で老荘思想の影響を受けて完成された……たぶん、そんなことだったはずだ。

お釈迦様が説いていた初期仏教、原始仏教を、知りたい人は、youtubeで中村元さんの講座を聞いてみよう。「中村元でございます……」という挨拶から始まるこの動画は、中村先生の声が気持ちよすぎて、寝る前に聞くと、絶対に最後まで聞けない。「ブッダの言葉」「ブッダの生涯」今まで何度、挑戦したことだろう。

岩波文庫の中村元さんの『ブッダのことば―スッタニパータ』も買ってパラパラと読んだ。感触としては(何しろyoutubeも最後まで聞いてないし、本も拾い読み程度なので)、お釈迦様の直接口にした教えはとても素朴な感じだった。中村元さんの語り口と合う。トリッキーなことを求める人には、聖書の方が面白いかもしれない。
ただし、仏教もその後、宗派によって様々なバリエーションを見せていくのは、皆様よくご存知のところ。
で、初期仏教が日本に紹介されたのは、今から約八十年くらい前ということなので、つい最近だ。
ではなぜ、お釈迦様が最初に説いていた教えが判明した今でも、変形した仏教を、信じたり行ったりしているのか。僕はちょっと疑問であった。お釈迦様の言ってないことをなぜ?……と。
そんな折、ニコラ・ブーヴィエという人(ヒッピーの元祖みたいな人らしい)の『日本の原像を求めて』を読んでいたら、大変腑に落ちることが書いてあった。
〈ブッダの誕生からさまざまな曲折を経て、仏教は日本にたどり着いた。インドから追い払われ、チベット、アフガニスタンを経て、中央アジアの国々に達する。その間、ヘレニズム、ゾロアスター教、インドのタントラ、中国の道教、さらにはーおそらくーキリスト教の一派であるネストリウス教の影響を受けながら、仏教は豊かになっていった。
西暦六四年には、漢の皇帝が改宗する。
四世紀には、朝鮮に渡る。そして海路をたどり、「仏法」はようやく地の果て日本にたどり着く。
あたかも川が支流を集めて大河をなすように、仏教はそのときすでにきわめて多面性のある教義をなしていた。素朴な慈悲の心を説く教えから、目も眩むような形而上学的な思弁にいたるまで、仏教にはありとあらゆる要素が含まれている。そこにはアジア的心性のすべての面がちりばめられている。〉
そうか、そいういうことなら、いいじゃないか!
合点だぜ!
ニコラ・ブーヴィエさんは一時、大徳寺に住んでいた。
大徳寺といえば、一休さん。
そして今日、私は、大徳寺に行く。
一休さんゆかりの塔頭、「真珠庵」の襖絵を描きにいくのである。
私以外にも四人、描き手がいらっしゃる。今日から合宿して、襖絵にチャレンジすることになっている。
あぁ、緊張すんなぁ。だって、襖に直接描くんだもん。うまく描けたものを襖にしたてるんじゃないんだもん。
その模様はまたいずれお目にかけることもあるかもしれない。
最後はいつもの通り、自慢話でまとめてみた。
おわり。

話半分運慶物語と蛙

混雑必至の展覧会が東京国立博物館で開かれている。「運慶」展だ。
美術雑誌で仕事なんかしていると、内覧会でゆっくり見られる特権があるとお思いでしょう?
とんでもない。特集の仕事をしても内覧会に誘ってもらったことなんてな〜い。
だから、運慶も長蛇の列に並んで見るんだろうなー。伊藤若冲の時は何時間も待つのが嫌で、結局見に行かなかった。何年か前の阿修羅展は、2時間くらい待って見たのだが、どうしてこんなシンドイ思いをして見なきゃいけないのかと、悲しくなった。会場に入ったら入ったで、阿修羅像を360度ぐるっと囲んですし詰めのライブハウス状態。ただし、かぶりつきで押し合いへし合いしているのは、パンクスではなく、老人の群れ。
ここぞとばかりに稼ぎたいのもわかるが、入場制限するとか予約制にするとかしてほしい。何時間も並ばされて、もう、なんだか頭にくる。めちゃ混みしている美術館は、大嫌いなんだ!
美術館はいつ行っても人がいなくて空いてるのが最高なのに!
採算なんてわしゃ知ったことじゃない。
別に美術が盛り上がっても盛り上がらなくても、どっちでもいいんだよ、わしゃ。
で、運慶であるが「芸術新潮」でエピソードを漫画にしている。
「トリビア・イン・ザ・UK」という話半分で読む漫画だ。UKというのは運慶。タイトルはセックスピストルズの駄洒落だろうか。
何時間も並んで私が見た阿修羅像であるが、どうして見ることができたのかといえば、誰かがずっと残してきたからだ。
阿修羅像は何回も火事にあっている。その度誰かが助けたということになるが、運慶自らが阿修羅像を運び出した可能性だって無きにしも非ずである。
話半分だけど、そう考えるとロマンを感じないかい?「話半分で読む日本美術史」というのがあったら、僕は買うね。
この他にも二本、漫画を描いた。
漫画に描くと思い入れが増すから、並んででもやっぱり見ておかなくちゃ、という気になる。
待つし混むし(と言っても阿修羅や若冲や運慶が例外的なだけだが)、ここ最近の日本美術ブームは誰にとっていいのだろうか。
美術雑誌じゃなくても美術特集をよくやるようになったから、きっと美術雑誌は、「みんなでやらんでいい〜」と思っているに違いない。
僕は時々そういう雑誌から仕事をもらえるから、ま、いっか。
話は変わります。
ブログを更新するとツイッターでお知らせをするのだが、毎回2リツイートくらいしかされない。それもだいたい同じ人(ありがとうございます!)。
先日、「和田誠と日本のイラストレーション」展をたばこと塩の博物館で見た後、こんなつぶやきを投稿したところ、非常に広範囲に拡散された。ついでなので、和田誠さんの『時間旅行』を開いてみると、〈そしてある日、新聞を見て驚いた。広告欄に例の募集の人選が発表されていて、ぼくが、一等賞だったのだから。一等賞はもう一人いてウノアキラという人でした。宇野亜喜良さんですね〉賞金の3万円の使い道であるが、和田さんはカメラが欲しかった。日大写真科に進んでいた友人に相談して、ちょうど3万円のレオタックスという機種を買った。〈応募する時に蛙の下描きをたくさんしていて、それが残っています。それから、入選したへばった蛙以外も何点か送ったんですが、その中の元気のいいやつが実際に広告に使われました。許可は求められなかったしギャラももらわなかったけれど、使われたことが嬉しかったので文句はありません〉とある。なんと使われたのは入選作ではなかったのか。でも入選作いいよね〜。特に手足の表現がシャレてます。『時間旅行』は何回も開いているけど、他の下描きが載っていたのは忘れてた。
和田さんが大学1年生だったこの時、3学年上の宇野さんは、名古屋から上京し、世田谷区奥沢に居を構えていた(宇野さんの年譜によると、上京したのが1955年で、興和新薬のカエルマークコンペで一等に選ばれたのは翌年1956年ということになっている)。同年にカルピス食品工業に入社。広告課に配属され、パッケージや新聞広告を手がける。第6回の日宣美で「カルメン」のポスターが特選となる。この時期から杉浦康平さんの仕事も手伝うようになる……というのはこれまた宇野さんの年譜から。ちなみにカルピスは翌57年に退社。
ついでに、2等以下の人の名前もググってみたけど、折り紙会館の館長になっている人とか、資生堂の社史に名前が出ている人とか、同姓同名の人はいたが、いまいちよくわからない。
ともかく、和田さんと宇野さんに順位をつけずに、二人とも一等にしたのが、後から振り返ると面白い。のちのイラストレーション界の王、長島。落語で例えるなら志ん生、文楽。そもそもイラストレーションという言葉自体を世に知らしめたのが、このお二人を中心とする方々なのであるが。蛙のコンペの審査員は興和新薬の宣伝課の誰かだったんだろうか。なかなかセンスがいい。

「僕おしゃ」終る

ナンバーワン自動車雑誌「ベストカー」で連載している藤田宜永さんの『僕のおしゃべりは病気です』は本日発売号をもって最終回。

藤田宜永さんは「文壇一のおしゃべり男」の異名をとる方で、私も一度酒席を共にさせていただいたことがあるが、確かにおしゃべりな先生であった。いや、本人がおしゃべりである以上にこっちの話をちゃんと聞いてくださる。どんな球でも確実に拾って返してくれる安心感。
「この人とは話しやすい……」そう思うと私は俄然好意を持つ。
好みのタイプはと聞かれれば、しゃべって面白い人ということになるだろう。
話が面白い人というのは、面白い話を持っている人という意味でもあるが、他の人が独演会を聞いている状態になりやすい。それはそれで楽しいのだが、みんなの会話が盛り上がる方がより楽しいと思う。雑談で盛り上がるのが一番良い。
私は話がヘタなのに、たまにトークショーをやることがあり、聞きに来てくれたお客さん達と二次会に行った時に、何となくトークショーの続きみたいな感じになってしまってしまうのが困る。

自分の持ちネタに磨きをかけるのもテクニックであるが、とりとめのない雑談を盛り上げるのもテクニックがいるのだろう。藤田先生は後者のテクニックにそうとう長けているとお見受けした。

私は病気というほどでもないが、まぁまぁおしゃべりな方だし、みんなで楽しくしゃべっている中に黙っている人がいると気にかかってしまう。で、話を振ってみるのだが、いかにもわざとらしい感じが出てしまって、藤田先生のようにうまくはいかない。
ところが、時たま、自分が黙っている方に回ることもある。そういう時はどういう心境かというと、決してその場が楽しくないわけではない。縄跳びの中に入っていくタイミングがつかめないように、なぜか会話の中に割って入ることができないでいる。
だから誰かが話を振ってくれれば、しゃべるのだけど、何かこう、うまく回れないで、すぐにまた聞く側にもどってしまう。そういう時の雰囲気は何だろう。空気が読めてないというのともまた違う。会話に対して半身でいることが相手にもわかってるんだろうな。
後で「今日はおとなしかったね」と言われる。「いや、別に退屈してたわけじゃないんだよ」と答えるし、実際のところそうなのだが、おしゃべりってむずかしいなと少し思うのも確かなのだった。

似合うか似合わないか

石田衣良さんの「スイングアウト・ブラザース」のカバーを描きました。私が石田衣良さんの本のお仕事をするとは、思いもよらないことだったんですが、内容を聞けば納得。ちょっとダサい男子たちのお話だったんですね。自分たちではそこそこイケてると勘違いしてる彼らが、モテ男への高く険しい道を目指してドタバタするお話。
ちょいダサならお任せください。私自身がそうなんで。

話をオシャレに限っていうと、着るもの自体よりもそれが「似合う、似合わない」の方が重要なんですけど、似合う、似合わないっていうのは何なのでしょうか。

自分の顔が、濃い顔で、もみあげやヒゲなどもふんだんに生えていたら、自ずと着るものの方向性も変わってたはず。
勝新が中南米のファッションに身を包んでもまるで違和感がないですが、私が着ればおかしいでしょう。
「伊野くんは、中国は清の時代の辮髪の格好したらぜったい似合うよ」と言ってくれた人もいます。
しかし、いくら似合ってもそんな格好では歩けません。着物だって、着るのに勇気のいる時代なんです。

我々の民族衣装であるところの着物を着るにも理由がいる時代に生まれた不幸を恨みます。

時代劇が好きな私は、着物を着た時に身体をどう動かせば、カッコよく見えるかはある程度わかるようになりました。
立体的な縫い合わで作られている洋服と違って、着物は一枚の布で身体を包んで帯で締めているだけ。
布の中にある身体の形が、外の形を作るわけですが、そのまま形が出るわけではない。身体がこういう形のとき、身体を包む着物にはこういう形が表れる、というのがわかる=着こなせるのではないかと思います。
よく若旦那が袖に手をちょっと隠して、やや腰を引き気味に、つま先から先に歩くような仕草も、着物を着ているから様になるわけで、あれを洋服でやったらマヌケです。
花火大会で見かける若い男の子の浴衣姿は、帯の位置がおかしいのもあるけど、洋服の時と同じ身体の動かし方だからヘンテコに見えるのです。あれもかわいいといえばかわいいけど。
着物は相撲取りのように恰幅がよくないと似合わないと言う人もいるけど、私はそうは思いません。
だってあんなに太ってたら、身体の形がそのまんま着物の形になってしまうではないですか。
身体にぴったりフィットしない着物だからこそ出来る形が面白いのです。(これは妖怪変化した私の着物姿ですが、着こなしている例としてあげたわけでは決してありません。ではなぜ写真を載せたのでしょうか。深く突っ込まないように)
話を戻しましょう。

この世のすべては、似合う、似合わないで大きく説得力に差が出るのです。

昔はどうしても似合わなかったものが、今なら似合うということもあるし、その逆もある。
似合うまでに努力を必要とするのもあるし、なんの苦労もなく似合ってしまうものがある。
「君はイラストレーターになれるよ。うん、そういう雰囲気あるから」
と安西水丸さんに言われて、予想通りそんなに苦労もせずにイラストレーターになった人が友人にいます。
池波正太郎は一人で旅に出ると、あえて職業を名乗らずに、相手に当てさせ、刑事さんですか?呉服屋の旦那さんですか?と言われて「よくわかったね」と演じつづけた様です。『食卓の情景』にそのようなことが書いてあったと記憶します。確かめていません。
私がイラストレーターになるのにとても時間がかかったのは、似合わなかったのでしょうか。そして今の私はイラストレーターらしいのでしょうか。
「あなたの商売、いったい何なの」と聞かれる時は必ず脈がある、とこれは長沢節先生のエッセイに書いてあったのですが、もし本当ならイラストレーターらしくない方が私はモテるということになります。

ところで、オシャレというのは、しすぎると頑張ってる感が出るし、もっと困ったことに、オシャレしすぎて、バカに見えてしまうこともあります。
バカに見える場合は、着飾った外見が、内面の空虚さを引き立ててしまったということなのでしょうか。

長沢節のファッションは独特すぎるのに頭もよく見えるのでした。

似合う似合わないなど気にしないくらいに、やっちゃうのが痛快のような気もしてきました。

もう一度言いますが、私はオシャレではないし、センスもないので、その程度のヤツが言ってることと聞き流してください。

世界の読み方

新潮社より9月15日に発売される佐藤優さんの新刊『ゼロからわかる「世界の読み方」プーチン・トランプ・金正恩』のカバーの絵を描きました。帯に〈白熱講座、完全実況版〉とあるように、おしゃべりを本にしたものなので、読みやすいです。
帯にはまた、こうもあります。〈世界を翻弄する3人の思考と行動は「OSINT(公開情報)」でここまでわかる!〉そして〈インテリジェンスのプロはこう読む!〉とでかい文字が力んでいます。
ちなみに私は、ふだん新聞もろくに目を通していません。たまに「荻上チキのsession-22」をラジオで聴いて、「うん、自分の考えは荻上チキと同じでいいや」と思っているくらいの人間です。
OSINTはオープン・ソース・インテリジェンスの略なんだ。インテリジェンスのプロ……インテリのプロってなんなんだ?って思ってましたが、そうじゃないんですね。あ、インテリってインテリゲンチャの略か。

宣伝用に色をつけたのも作りました。愛らしく描いて欲しいということだったのですが、かわいく描いてるうちにだんだん好きになってくる心理作用が恐ろしい。佐藤さんも立派なお顔です。インテリジェンスのプロって感じ出てますでしょうか?
紙幅の関係上、新聞に書いてあることより詳しいことは週刊誌に書いてありますよね。さらに詳しいことは月刊誌に書いてありますよね。もっと詳しく知りたかったら本になっているものを読んだ方がいいかもしれない。
そこまでつっこんで読むと、最初にテレビのニュースで知った情報とは違う側面も見えてくるでしょう。全然違うかもしれない。しかもものごとは他のことと絡み合いながら、歴史という時間も背負っている。世の中でおこっていることを自分で知ろうとしたら、それだけで時間がなくなっちゃう。
自分に与えられた時間には限りがある。
俺にはやらなきゃいけないこともある。
でも自分が今生きている世界のことも少しは知りたい。
そういう時に荻上チキさんのラジオを聴いたり、佐藤優さんの本を読む、と。
うまいことできてんな〜、世の中ってのは。
そして発売のタイミングがドンピシャだなぁ〜!

あったかい絵だね〜

世間の人に、しかめっ面されるくらいでないといけない。

新人はそれくらいトンガッタことをやるべきなのだ。
私はかつてそう思っていた。いや、今でもそう思っている。
初めて開いた個展『人の間』(2003年)は、そんな意気込みバリバリで臨んだのだ。
ところが誰だか忘れたが、友達の叔母さんという人が見にきてくれた時に
「あ〜、あったかい絵だね〜。私らの世代には面白いわ〜」と言われた。
やばい! こんな素人のオバさんに理解されているようでは、ちっとも新しくないではないか!

とガックリきたのだが、後々考えると、なんとか今現在、イラストレーターとして仕事ができているのは、このオバさんが言い当てた「あったかい」感じが私の絵にあるおかげのような気が、しないでもないのである。
というわけで、日本農業新聞で連載中の島田洋七さんの自伝的ハートフルコメディエッセイ『笑ってなんぼじゃ!』につけているあったかさ全開の挿絵からです。
短い引用文だけ読んでも、内容はよくわからないと思いますけど…。 
相撲大会では、いつも2位。米屋の小林くんがいつも1位で、どうしても勝てんかったなあ。

荷物を載せて、次の場所に移動するんやろね。力士たちが、荷物を軽々とトラックに積んでいた。そこで見たのが、後に東の大関にまで上り詰めた大内山。

算数とか理科は得意やったけど、国語とか文系の科目がさっぱりあかん。でも計算の速さには自信があった。当時、毎月決まった日に、銀行員の人が学校にやってきて、子どもたちがお金を預けたり引き出しができる、「子ども銀行」というのがあったんよ。


「蘇州飯店」は大きな料理店で、ちょっとした舞台もあった。 かあちゃんは、歌もうまくて芸達者やったから、舞台で踊りを踊ったり、歌を歌うことも多かったんよ。


みんなは、初めてみるお菓子に目を白黒。かあちゃんと「もみじまんじゅう」の間を、みんなの視線が、行ったり来たりするのがおもしろかったよ。

当時はカラオケなんかないから、かあちゃんが歌を歌うことになったんよ。かあちゃんの歌のうまさは、親戚中のみなが知っていたからね。

かあちゃんの歌と、喜佐子おばちゃんの三味線。これがむちゃくちゃ、ええコンビ。やっぱり姉妹やから、あうんの呼吸みたいなのがあるんやろね。

中華料理は火の料理とよく言われるけど、王さんが炒めると、パアッと大きな火柱が上がり、迫力満点。 初めて見たときは、火の魔法にしか見えなかったよ。

佐賀では毎日バケツで水をくんだり掃除をしてたからお手のもんよ。店のスタッフのみんなにかわいがってもろたんは、俺がこうして店の手伝いを進んでしていたこともあると思う。

チャーハンを完璧に作れるようになったのは、小学校5年生くらいかな。佐賀に帰って作ったら、ばあちゃんにびっくりされた。
身長が2メートル近くて、体重が200キロ以上もある大男。 バスを3台も引っ張る力持ちで、首にかけた鎖を振り回して大暴れするプロレスラーだと聞いて、ひと目見たいと、大勢の野次馬に混じって店の入口で待っていた。

注文は、まずは鶏の唐揚げを50個。それが届く前に卵30個をそのまんまで欲しいという。口を上に開けて、右手で卵をぐしゃっと割って、あっという間に全部飲み干した。

夏休みを過ごした広島のことは、今でもはっきりと覚えている。小さい頃は、家と「蘇州飯店」の往復やったけど、小学5年生くらいになると、あるこち足を伸ばして探検に出かけた。

必ず「お風呂入っていき」と風呂に入れてくれた。これは「かぶと商店」さんだけじゃなくて、近所の人たちが俺の顔を見ると、「今日は、かあちゃんの店行くんか? 行かへんのやったらうちで風呂入り」と声をかけてくれた。

かあちゃんが忙しいときは小遣いもろて、一人でも食べにいった。お好み焼き屋というても、駄菓子屋とか貸本屋と併設された小さな店で、20、30円で食べられるんよ。
「お好み村」は、お好み焼き屋台のほかに、甘栗とかの露店やら金魚すくい、うなぎ釣りの露店まであって、ちょっとしたお祭りみたいな賑やかさがあった。
俺はうなぎ釣りが得意で、一度に3匹も釣り上げたこともある。

1等席は、びっくりするほど豪華! 飛行機のファーストクラスみたいな感じで、背もたれが180度近く倒れて、背中も足も伸ばしてあおむけで眠れるんや。「うわー! 散髪屋さんみたいや」と、最初は興奮してなかなか寝られんかったよ(笑)。

どうやって食べたらええか戸惑っていたら、ウエイトレスのお姉さんが親切に教えてくれたよ。俺は「さくら号」の食堂車でテーブルマナーを覚えたんや(笑)。
満塁ホームランを打ったのが、母校の城南中学の後輩であることも大きかった。あのとき、日本中でどっちが勝ってもうれしかったのは、きっと俺だけやったと思うよ(笑)。この広陵対佐賀北の試合は、高校野球史に残る一戦となった。

やっぱり、今でもあの決勝戦は、佐賀の人にとっては、自慢の名試合なんよ。そしたら、店にいた人が「俺、副島の親戚や」「え! ほんまかいな。ほんなら今から呼べ!」(笑)。しばらくしたら、ほんまに副島くんがすし屋にやってきた。

友達に川に泳ぎに誘われた俺。でも、海水パンツなんて持ってなかった。そこで、ばあちゃんにお願いした。「海水パンツを買ってほしい」「そんなもん、いらんばい」「え、でも僕も泳ぎたい」
「泳ぐのにパンツはいらん、実力で泳げ!」。

ばあちゃんは、いろりとかまどを上手に使い分けていた。煮しめを作るときは、あらかじめ材料に薄めに味付けしてかまどで煮立てる。それをいろりに移してじっくり煮込む。

ばあちゃんの料理で覚えているのは、こんにゃく、ゴボウ、レンコン、ニンジンをいろりでじっくり煮込んだ煮しめ。
洋子おばちゃんちには、当時、5歳のやすのり、3歳のてつろう、1歳のとも子の3人の子どもがいた。まだ小さい子どもを3人も抱えた洋子おばちゃんは途方に暮れた。そこで、ばあちゃん登場!
「うちの2階に住め!」と、ガハハと笑った。

一槽式で脇にローラーが2本付いていて、洗い終わった洗濯物をそれに挟んで搾って 水気を切るタイプやった。もうね、びっくりしたよ。

喜佐子おばちゃんの旦那さんは、専売公社に務めるサラリーマンやったけど、働き者のおばちゃんは、小さな居酒屋とかき氷屋を切り盛りする兼業主婦でもあった。

卒業式には、かあちゃんは仕事で来れんかったけど、ばあちゃんが来てくれた!これはほんまにうれしかった。

思い返せば、ほんまにいろんなことがあった小学校時代。 思い出に一番も二番もないんやけど、今でも夕暮れになると、ふと思い出すことがある。

家までの道中、なんの歌かは思い出せんのやけど、おまわりさんは、ずっと歌を歌ってくれた。俺はいろんな感情がごっちゃになって涙が出そうになるのをぐっと堪えていた。

昔話法廷2017

本当は先週お知らせすべきことでしたが、うっかり忘れてしまったので、事後報告でございます。

昨日8月14日と今日15日の午前9時30分より、『昔話法廷』の新作が放映されました。
今年は「ヘンゼルとグレーテル」と「さるかに合戦」の裁判が開かれます。
ではさっそく私の描いた絵だけを見てみましょう〜。
深い森の中をさまよい歩くヘンゼルとグレーテル(なお、登場人物は法廷に出廷する役者さん、着ぐるみの容姿に合わせて絵を描いています。ゆえにヘンゼルとグレーテルも黒髪であります)。
白い鳥に案内されて、お菓子の家にたどり着く二人。
お菓子の家の主人、魔女と出会う二人。魔女は優しく微笑み、グレーテルはやや怯えています。
燃えさかるかまどの中に、突き飛ばされる魔女。魔女の家にあった金貨を盗む二人。金貨を父親に持って帰り、褒められてうれしそうな二人。
案内する白い鳥の証言。
大鍋をかき混ぜて秘薬を作る魔女。
縄で縛られて泣く子供たち。
ふかふかのベッドに二人を寝かせる魔女。
檻に閉じ込められたヘンゼル。
ヘンゼルの差し出した鳥の骨を触る魔女。
ヘンゼルをさばくために大きな包丁を研ぐ魔女。襲われそうになるヘンゼル。
魔女を燃えさかるかまどの中に突き飛ばすグレーテル。
さて続いて、「さるかに合戦」裁判です。
柿の木の前で出会う猿と蟹の母子。
木に登る猿。
木の上で、熟れた柿を食べる猿。
青い柿を思いっきり投げつける猿。
青柿が直撃する母蟹。
地面に転がる蟹の母子の遺体。

ところで、先ほど、出廷する着ぐるみの容姿に合わせて絵を描いています、と言いましたが、カニだけは絵と着ぐるみの様子が違う。「あれ?このカニの甲羅、冷たい海に住む美味しそうな感じするんですけど、これに合わせて描いた方がいですか?」と問い合わせると「合わせなくても大丈夫です!」との回答を得ました。でも、面白いからいいですね。証言台に立つ殺された母蟹の息子。

芽に水をやりながら柿を育てる笑顔の母蟹。
青柿をぶつけられる母蟹を、木陰からおびえて見ている子蟹。怯えているのは、さっき、証言台に立っていた息子です。
猿を襲撃する臼、蜂、栗、牛の糞と子蟹。
猿にアタックする、蜂とアツアツの栗。
転んだ猿にのしかかる臼。
壁に押しピンでとめられた、子猿が描いた家族の絵。
生まれたばかりのわが子を涙を流しながら抱きしめる猿。
工事現場で肉体労働のアルバイトする猿。
母猿に暴力をふるう父猿、おびえる子供時代の猿。
鏡に映った自分の姿が父とそっくりだったことに愕然とする猿。
交際相手に手をあげそうになる猿。
粉々になった母蟹の遺体。

以上です。
事後報告と言いましたが、この番組は教材でもあるので、ネットでご覧いただけます。
特に「さるかに合戦」裁判は猿が死刑になるかどうかの重い判決を扱うからか、他の回よりも5分長いです。先ほど放送を見ましたが、なかなかの見ごたえ。ぜひご覧ください。
だって、あなたも裁判員に選ばれるかもしれないのですよ。
ちなみにうちの父親は、3年前、めでたく裁判員に選ばれ……かけ……ました。裁判員は70歳以上なら断れるのですが、うちの父親はギリギリ69歳で、まもなく70歳になる予定でした。本人は「あと少し遅かったら断れるのになぁ」とたいそう裁判員になるのを嫌がっておりました。が、すんでのところで選からはずれました。よかったですね。
確かに、「さるかに合戦」裁判のような重い刑の裁判員になるのはイヤなものでしょう。
でも私、蟹に青柿をぶつけられて、体がめちゃめちゃになってしまう蟹の絵を描いている時が、一番テンションが上がりました。
たぶん、私だけではなく、他の絵描きさんもそうなはずです。
円山応挙の『七難七福図』も、七福より七難の方が筆が乗ってる感じがします。
実際の事件を見れば「なんて非道いんだ、なんて酷いんだ」と目を覆い、心を痛めるのに、創作となるとちょっと楽しくなってしまう。なぜでしょうか。

サラリーマンの物語

日本で一番人口が多いのがサラリーマン(勤め人)で、その勤め先である会社も無数にある。

多くの価値基準は会社のあり方や、サラリーマンの生活に合わせている、ということを考えると実は世の中を支配しているのは安倍首相でも自民党でもなく、国民でもなく、サラリーマンと企業ですかね……なんて書いて何か言いたいことが私にあるのではないのです。例によって字数稼ぎです。

江戸時代一番人口の多いのは農民ですね。でも大都市では町人の人口が多いでしょ。あとは支配者階級の武士も多い。

で、落語って江戸や上方みたいな大都市で、寄席がたっくさんあった所で発達したから、町人が主人公の噺が多いじゃないですか。芝居はわりと全国各地を回ったり、農村歌舞伎とかやってたけど、演し物はお侍の物語だったりする。農民は、農民が主人公の芝居を見てたわけじゃないですもんね。農民の人にとって、オラたちの物語というのは口伝えで語られてきた昔話の他には何があるんだろ?

フトそんなことを思いました。
いや、現在だって、サラリーマンは必ずしもサラリーマンが主役の映画やドラマや小説を好んで鑑賞するわけではないんですが、近くは『半沢直樹』が大ヒットしたし、ちょっと昔は植木等さんの無責任シリーズですね、あ、あと蛭子能収さんの漫画もサラリーマンが主役の不条理物語だったりする。
よく考えれば、そういうものを楽しんでる私自身はサラリーマンじゃない……それでいてオレたちの物語という見方をしているかもしれない。
ま、この話はいいや。字数稼ぎなんで。
読者層ではないという意味で、自分に縁のない雑誌「日経ビジネス」で仕事しました。
表紙がナイス!ちなみに植木等さんは私が最も歌がうまいと思っている人です。
仕事量を維持しながら労働時間を減らす。これが本来の働き方改革。だが現実には、労働時間の減少に伴い、仕事量まで急減している企業が少なくないそうな。実際に起きている「トンデモ働き方改革」の実例を紹介する特集に絵を描きました。
海外支社に大事な仕事を丸投げ。本人はプライベートを満喫。
定時5分前から帰る準備。顧客の注文は翌日に先送り。
ITを駆使した遠隔システムを驚くほどアナログな方法で欺く。在宅勤務は実際にPCを動かしているかでチェックされるので、5分おきにマウスだけ触る社員。
終業時間に電気が消えるやたちまち議論は先送り
ここは居酒屋かよ!働き方改革で奇妙な制度が出現。
ところで、ふるさと納税ってのは、金持ちが得するいまいち良くない制度らしね。私は一度もやったことがないけど。これは雑誌「Wedge」でちょっと前に描いたふるさと納税を批判する絵です。お肉って言うのが返礼品の中でも人気らしいので、日本列島をお肉にして、高額所得者が各地の返礼品を狙っている図です。
でも、ふるさと納税の制度、今後変わるらしいですね。ウェイトレスがお肉を下げに来ました。
ハイ、今週は自分の生活とはあまり関係のないことばかり描いたイラスト仕事特集でした。おわり。

茅ヶ崎物語

映画『茅ヶ崎物語 ~MY LITTLE HOMETOWN~』の劇中画を描きました。

監督は熊坂出さんです(『パーク アンド ラブホテル』でベルリン国際映画祭最優秀新人作品賞)。

さて、このポスターのおじさんは誰でしょう?

答えは、下記のサイトに飛んでお読みください。
はい、公式サイトご覧になられましたか?このおじさんは音楽プロモーターの宮治淳一さん(主演)でございます。
小中学校時代、桑田佳祐さんと同級生で、“サザンオールスターズ”の名付け親だったというのは、すでに公式サイトをお読みの方ならご存知のはず。
私の担当箇所は、宮治さんが少年だった頃の話をアニメで見せる場面です。普段絵を描くときも、命が宿るようにやってるつもりですが、やはりアニメは動かしてナンボ。動きがついて、はじめて命が吹き込まれるのです。電車が宙に飛んだりしていました!
絵では宮治少年はドアーズのレコードを持っていますが、これは私がとりあえずダミーでハメてみたもの。本番ではどうなってたかな?先日調布の「東京現像所」で試写を見たのですが、忘れました。
ちなみに、アニメのシーンはほんのちょっとで、実写版の宮治少年(右)は神木隆之介さんが、桑田佳祐少年(左)は野村周平さんが演じています。
もう一つの担当箇所は、桑田さんが影響を受けたアーティストをバババババ〜ッとテンポよく紹介する場面。
全部ご本人たちの写真でこれをやっちゃうと、えらいお金がかかるので、私の絵が写真に混ぜて使われています。でも、試写で見たら写真と絵のまぜこぜ感が案外にいい!最初から演出プランにあったようです。
桑田さんはカオスなイメージが好きなので、いろんなタッチで描いて欲しいというリクエストもありました。いろんなタッチで描いててよかった。ボブ・ディラン ザ・ビートルズ カーペンターズ ジャニス・ジョプリン  ダイアナ・ロス ミック・ジャガー レッド・ツェッペリンザ・ビートルズエリック・クラプトン
映画のエンドロールに自分の名前が出るのは、はじめての経験。いつ出るか?いつ出るか?とそればっかり気になって見てて、わ〜出た!出た!、わ〜消えた!……そんな感じでした!

最近の『笑なん』

日本農業新聞で連載中の島田洋七さんの自伝エッセイ『笑ってなんぼじゃ!』略して『笑なん』の最近の挿絵から。

アラタちゃんは、3歳のときの事故が原因で知的障害児になった。

大立ち回りの後の風呂は、最高に気持ちよかった。けど、なんでばあちゃんは怒らんかったのやろ?

しかし、謝ったのはいじめっ子の親だった。

アラタちゃんは、俺が学校に行くときに、よく学校の近くまでついてきた。 門のところで「ここからは入ったらあかん」と言うたら、大きな声で「うん! わかった!」というて帰っていった。

グランドを見渡したら、なぜかアラタちゃんが本部席に座っている。

「アラタ、いくつ?」と、歳を聞かれると「さんじゅう!」と言うてた。

中学の同級生にK田くんという、軽度の知的障害の子がいた。普通にしゃべったり授業は受けれるのやけど、 雨が振ってきたら、それが2時限目でも「雨降ったし、帰る!」と帰ってしまう、ちょっと変わったやつだった。

ばあちゃんに、「水筒ないの?」と聞いたら、「湯たんぽがあるやろ」と言われた。

毎日、減っていく数字を書き換えるのが楽しみな日課になっていたんや。

「うわぁ、汽車や、汽車が走っとっと!」俺の、ひどくびっくりする様子に、友達もえらくびっくりしてしもた(笑)。でも、なんで冬やのに汽車が走るんや?

「ああ、それは貨物列車や。人は乗れん」「違う! 人が乗ってたんや。手を振ったら、ちゃんと返してくれた」「手? それは家畜と間違えたんやろ」ばあちゃん、ああ言えばこう言う(笑)。「毎月五千円を送っていましたが、今月は苦しくて、二千円しか送れません。お母さん、なんとかお願いします」俺の手は手紙を落としそうなほど震え出した。どうしよう……。

少しでも食べる量を減らして、家計の助けをしようと俺は心に決めた。

じいちゃんは、たった50歳で42歳のばあちゃんを置いて亡くなってしまったのだ。末っ子のアラタちゃんは、まだ赤ちゃん。かあちゃんたちもまだ子どもだ。当然、フルタイムで働ける時間もない。それで、始めたのが、何十年も続いた学校の清掃の仕事だったんや。

足の裏にものすごく嫌な感触。気持ち悪い何かを俺は踏んづけた。

「昭広、スッポンは高級ばい。魚屋に売ったらええ金になるとよ」こんな変な顔した亀が売れるなんて、にわかには信じられなかったが、俺たちはスッポンを抱えて、大急ぎで家に走って帰った。

俺はうれしくて、うれしくて、学校に着くやいなや机の上にクレパスを置いた。だけど、一時限目は国語やった(笑)

繁華街と か公園なんかに、街頭テレビが備え付けてあったもんや。 特に相撲と野球のときは、 テレビの前に黒山の人だかりができてたなあ。

池松君が初めて練習にやってきた時、俺たちは度肝を抜か れた。 なんと、池松君は、ぴっかぴかのバットとグローブを持ってきたのだ。

俺は初めて触るキャッチャーミットやベースに、心臓がドキドキした。 テレビでし か見たことのないベースは、想像以上に重くて、手にずっしり。

夏休みに広島のかあちゃんのところに帰ると、 かあちゃんは必ず俺を広島市民球場に、プロ野球の試合を観に連れていってくれた。 偶然にも、家の近所の古い旅館が、広島カープの選手の宿泊先になった。俺は根拠もなく、「必ず選手は出てきてくれるはずや」と確信して、じっと待っていた。

「あの……、僕のかあちゃん、広島で働いているんです。徳永秀子っていうんですけど、会ったことありますか?」

手渡されたんは、なんと広島カープのロゴが入った色紙に書かれたサイン。

さよなら、一休さん

Eテレ『オトナの一休さん』ついに最終回です。
第二十六則「さよなら、一休さん」。すでに確認用ビデオを見ているけれど、本放送を見てまたウルウルしちゃいそうだ。
史実の一休さんはとんち小僧ではなく破戒僧だった、くらいの知識はあったけれど、このアニメの仕事をはじめるまで、ちゃんと向き合ったことはなかった。
仕事がはじまったらはじまったで、〆切に追われる日々。なかなか一休さん研究も進まない。なにせ、一人でアニメのすべての絵を描かなくてはならない。ざっと数えると全26話で730〜740枚の絵を描いた。ラフスケッチと本番で使用した紙を積み重ねると、その厚みは30センチを超える。それなのに『オトナの一休さん』のウィキペディアでは、私はキャラクターデザイン担当ということになっていて(間違いではないんだけど)、なんか楽な仕事っぽい印象がするではないか。
確かに、ふつうの商業アニメは、キャラクターデザイン担当とそれを絵にするアニメーターは別な場合が多い。複数の人で手分けして描くためには、どうしてもキャラクターの顔を記号化する必要がある。

そして描線も個性を抑制したニュートラルなものでないと、描く人によってバラツキが出る。漫画家とアシスタントの共同作業で作られるタイプのマンガの絵にも同様の特徴が現れる。
『オトナの一休さん』は真逆である。もちろんキャラクターなのである程度は記号化はされているが、ドラえもんやのび太くんのように、モロに記号の絵ではない。だから、回によって一休さんの顔がマチマチ。自分でも以前描いたような顔に描けない(!)。振り返ってみると第一則「クソとお経」の時の顔が一番好きだ。一休さんだけでなく、新右衛門さんも養叟和尚も。まだ完全にキャラとして顔の描き方が決まっていないので、逆に表情に幅がある。私は何も進歩しとらんということなのか…。『オトナの一休さん』のアニメーターは絵を描いて動かすのではなくて、私の絵に動きをつける仕事をしてくれてます(特殊効果などでは描いてもらっている部分もある)。最終回担当は野中晶史さん。野中さんは第一則、シーズン1の最終回、応仁の乱の回など、要となる回を任されるアニメーターチームの隊長です。

先日、京都に行ってきた。一休宗純ゆかりのお寺、大徳寺の「真珠庵」と、通称「一休寺」という名前で親しまれる「酬恩庵」にようやく出向いたのだった。アニメを描く前に行っとけよ、という話ですがね。描き終えた今、ようやく私は一休さんに向き合えた。感慨深さもひとしおだった。
「酬恩庵」の一休さんの木彫は有名で、見るのを楽しみにしていた。写真は「別冊太陽」より。
で、実は「真珠庵」にも同じような木彫があってびっくり!
「一休寺」は誰でも拝観できるが、「真珠庵」は通常非公開(私は特権を使って「真珠庵」に入れるのだ、ハーハハハ!)なので、木彫の存在がそんなに知られていないのだろうか。
びっくりしたのは、「真珠庵」の一休さんには髪の毛があったことだね。

写真は至文堂発行「日本の美術 頂相彫刻」より。


「酬恩庵」の一休さんの木彫も、元は髪の毛や髭が植え込んであった。しかも一休さん本人のものが。今は穴だけ空いている。
「真珠庵」の一休さんの木彫は獣毛が植えてある。何の動物の毛だろう?
あなたはどちらの一休さんがお好みですかな?
さて、番組のホームページを見ていただくと、驚きの事実が!
最終回の次の週から、同じ時間帯で、第一則から再放送が始まるのだ。Eテレ得意の再放送でまたまたお楽しみください。

『オトナの一休さん』はループする!

絵画の序列とラス前一休

先日、フト、チャンネルを放送大学に合わせると、ちょうど西洋美術の授業をやっていた。
お名前を失念したが、財津一郎似の先生の語り口に引き込まれてついつい最後まで見てしまった。面白かったのである。
講義の内容をざっと要約すると、こういうことであった。
その昔、西洋古典美術の世界においては絵画に5つの序列があった。
上から順にあげていくと、まず一番にエラいのは「歴史画」、次が「肖像画」、その下が「風俗画」、さらに下は「風景画」、一番下は「静物画」ということになる。
(ふむふむ、そんな序列があったことは僕も聞いたことがあるぞ。人間に階級という序列があった封建の世においては、絵画にも序列があってもおかしくはない。ただ、人間に上下をつけることと同様、馬鹿げた絵の差別だよなぁ…)と思って見ていたところ、先生はすかさず「皆さんは、そのような序列は馬鹿げている、そうお思いになるでしょう」と先手を打ってきた。「しかし、それはちょっと違うのです」と話は続く。
ルネサンスの万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチは絵画だけでなくいろんなことを研究していた。当時、それは特別不思議なことではなかった。ルネサンスの頃には、絵画はそれまでの職人の仕事と思われていた地位からずっと上がって、科学、哲学、宗教などと同様に、この世の真理を追究するため、世界の本質を表現するための”学問”として扱われていたのだ、と。
ルネサンスから時代がくだっても、19世紀以前は西洋においては、絵画は学問と考えられてきたようなのだ。
ゆ・え・に…「歴史画」が一番エラいのであった。
レンブラント、数え年30歳(1636年)で描いた歴史画(宗教画)《目を潰されるサムソン》。
「歴史画」を描くためには、単に絵が上手いだけではなく、知識と教養がなくてはならない。また大画面を構成する腕がなくてはならない。貴人たちと付き合える社交性も必要だったかもしれない。
「肖像画」はそんな貴人たちを描く仕事であり、高貴で立派な人に見えるように描かなければいけない。そのへんのチンピラのような顔になってしまってはいけないのである。人間を描くのは難しい。だから2番目にエラい。
「風俗画」は庶民の生活である。ここにも人生がある。やはり人が描けなくてはいけない。
「風景画」は人がメインじゃなくてもいい。
「静物画」は人も風景も登場しない。
(ふむふむ、ということは、つまりこの序列は、描くのが難しい順、ってことだろう。そして難しさの一つは人間を描くってことだな)。
レンブラント、数え年36歳(1642年)の時に描いた集団肖像画《夜警》。歴史画のような画面構成。しかし描いた当時の年齢を調べると、驚愕してしまうなぁ。

しかし、実は序列というのはそれほど絶対的なものではなかった。そういうことになってる的なものだったようだ。
(ふむふむ、そうだよな。歴史画だってつまんないのはつまんない。静物画でもいい絵はやっぱりいいもんな)と僕はちょっと安心した。
放送大学の先生はこんな例をあげていた。
静物画と風俗画の名手シャルダンのエピソードである。シャルダンの作品は国王ルイ15世が買い上げ、さらに外国の王様も欲しがった。フランスでは絵がうまい画家はルーブル宮に住むことが出来、シャルダンも住んでいた。そして他の画家から尊敬を受けていた。シャルダン、数え年40歳(1739年)の時に描いた風俗画《買い物帰りの女中》。
(ふむふむ、シャルダンほどの腕前があれば、肖像画だって歴史画だってバンバン描けたと思うが、なぜ序列の上を目指さなかったのだろう。そんな立身出世の競争には興味がなかったのだろうか。おかげで今の時代から見れば即物的にものを描いているシャルダンの絵の方が同時代の歴史画家より数段イケてるように見えるよ。江戸の封建時代でもそうだけど、何もかもが平等であるよりも、序列などの決まりごとの中で、本音と建前をうまく使って生きる方が、しあわせなことだってあるかもしれないな)と僕は勝手に想像をつけ加えた。
シャルダン、数え年61歳(1761年)の時に描いた静物画《野苺の籠》。

さて、ここでいきなり宣伝ぽい展開になるが、この放送大学の授業は、ただいま開催中の人形町のVison’sの展示『こんな絵を描いた』(6/24迄)を思い起させるのである。
霜田あゆ美、数え年50歳で描いた《一葉に惹かれた男たち》。
大高郁子、数え年53歳で描いた《万太郎と一子 一九六〇年 初春》。
森英二郎、数え年69歳で描いた《墨東綺譚》。
たとえば、永井荷風や久保田万太郎のような明治から昭和にかけて生きた作家をテーマに描く場合には何が要求されるだろう。
単に絵のセンスということ以外に、歴史画を描く時みたいにあれやこれや必要になってくるじゃないか。
まず、着物が描けなければいけない。すでに生活の中から着物を手放した我々にとって、自然な着物姿が描けるようになるのはそう簡単なことではない。しかもそれだけではダメだ。女性なら堅気の女房か、芸者さんなのか、着物の着方、髪型や髪飾り、仕草で描き分けなければならない。
この時代の男性は普段から洋服も着ている。スーツは時代によって形が違うから、その辺も要注意である。
さらに目を広げて、生活の中の小道具、住居。もっと引いて町の様子。江戸時代から残る建物とモダーンなビルヂング。隅田川を渡ってくる江戸の風には、近代のバタくささもちょっと混じっていないといけない。
当然、作家の肖像には知性と変人っぷりが必要である。
…めちゃくちゃ大変な仕事ではないですか。はい、調べましたって感じで描いたらアウトだしね。さらっと絵に忍ばせるだけってのが肝心なんだ。
そう考えていたら、いつもテレビドラマの話をするときだけいきいきとなる森英二郎さんのことも、急に大先生と呼びたくなってきた。
いっそのこと、イラストレーターにも序列をつけてみたらどうだろう?

そんな時代に逆行するようなことをしてはいけませんね。

今は全てが平等なのです。

「こんな絵を描いた」新作+ベスト展の情報はここからどうぞ!

さて!
今週の『オトナの一休さん』は?
第二十五則『後継者などいらん!』です!
『オトナの一休さん』は26回で終わりなので、ラス前一休さんです。
〈かねてから「自分の教えは誰にも継がない」と絶法宣言をしていた一休(声・板尾創路)だったが、新右衛門(声・山崎樹範)や弟子たちに後継者を問い詰められ、愛弟子・没倫(もつりん/声・鬼頭真也)の名を口にしてしまう。歓喜に沸く弟子たちだったが、没倫は「それは師匠の芝居だ!」と憤る。一休が「滅宗興宗(よく滅ぼすものがよく興す)」の言葉に込めたメッセージとは?一休と没倫の、知られざる師弟愛エピソード〉
僕のソックリさん没倫がメインの回です。
今回絵に動きをつけてくれたアニメーター飯田千里さんは、没倫のキャラを決めるときに、「伊野さんっぽいお坊さんでいいんじゃないですか」と提案しました。「どうして?」と聞く僕や他のスタッフ。「それはですね、没倫さんてあの有名な一休さんの肖像画を描いた人なんですよね?だったら現に伊野さんも一休さんの肖像を描いているわけだし、ちょうどいいかなと思いまして」と答えた。
「う〜んそれはありだな」ということで没倫=伊野になったわけなのです。
没倫は墨斎という名前で、東京国立博物館に所蔵されている『一休和尚像』を描いたと推測されている人物なんですね…ってこれちょっとネタバレね。読まなかったことにしてアニメ見てね。

Eテレ『オトナの一休さん』公式サイトはこちら

球道恋々と地獄の一休さん

ただいま絶賛発売中、木内昇さんの分厚い新刊『球道恋々』のカバーを担当しました。
デザインは新潮社装幀部の飯田紀子さん。
『球道恋々』は「小説新潮」で連載されていたのですが、その時の挿絵も担当させてもらいました。
連載が始まった時、自分のブログで書いた文章を引用します。
手抜き……じゃないよ。当時の興奮をもう一度伝えようと思いまして。

〈編集者の小林さんと下高井戸の「ぽえむ」で打ち合わせをしたあと、家に帰って読みはじめたのだが、あまりにおもしろかったので興奮して小林さんにこんなメールを送ってしまった。
「すごくおもしろいですね!新しいものの誕生にたちあっている喜びにひたりました。 野獣のような選手、高校野球の黎明期はこんなだったかもしれない。 木内さんの独創力にしびれました。明治時代の高校野球というアイデアがすばらしく、今みたいな世の中でもまだまだおもしろいことはつくれるんだなーという「勇気」をもらいました。 よくスポーツ選手が口にする「勇気を与える」なんて言葉はおしつけがましくてキラいなんですけど、読むスタミナドリンク、この小説は元気になります!〉続けてブログではこんなことを書いていました。〈明治時代の高校野球の話で、一高(旧制第一高等学校。東大教養学部などの前身)と三高(旧制第三高等学校。京都大学総合人間学部などの前身)の試合から始まる。 現在の六大学野球の東大は弱小チームなわけだが、明治時代においては強かったようだ。当時のユニフォームというのがスゴイ。ベルトのかわりに兵児帯をしめている。これは木内さんの作り話ではなく史実である。絵に描いた投手は三高の通称「鬼菊地」というヤツで、なんと足には荒縄を巻きつけている。スパイクのすべりどめのかわりだろう。ちなみに他の選手は地下足袋である。 明治時代の高校球児のキャラの濃さは、往年のスポ根まんがにも匹敵するが、明治時代という今にしたら結構めちゃくちゃな時代を背景にしたからこそできるめちゃくちゃな感じがたまらない。デタラメなわけではなく事実があって、そこから小説の想像力で遊ぶおもしろさ。こちらの想像力もおおいにかきたててくれます〉主人公は中年になっても野球が好きでやめられない一高OBの宮本銀平。扉のこの人がそう。彼は学生時代は万年補欠だったのになぜか突如コーチの依頼が舞い込む。下の鉛筆画はカバーのアナザーバージョンのラフです。下の絵はカバーの原画。ソデ(カバージャケットの折り返し部分)の部分を伸ばしてみるとこんな感じになります。
連載時の挿絵はここにまとめてみました。良かったら見てちょ!一話目のピッチャーがスパイク代わりに足に荒縄を巻いた三高の「鬼菊地」です。

「球道恋々」小説新潮連載挿絵、全18回はここで見れます!

さて、今週の『オトナの一休さん』は?
第二十四則「地獄の一休さん」です!
マラリアに倒れてしまった一休(声・板尾創路)。一命は取り留めるも、「ワシはもうすぐ死んで地獄へ行くんじゃ」と、なんとも弱気。新右衛門(声・山崎樹範)と森女(声・山下リオ)はそんな一休を前に戸惑う。やがて眠りに落ちた一休は、夢の中で因縁のライバル・養叟(ようそう/声・尾美としのり)に出会う…!人間誰だって弱気になることもある。最晩年の一休が自分の弱さをありのままに綴った漢詩をアニメ化
……と、Eテレのホームページから思いっきりコピペしてしまったぜ。
今回も私のソックリさん没倫(もつりん)も出ています。
アニメーターは幸洋子さん。地獄のシーンはガラスの撮影台に絵を重ねてコマ撮りしている……んだったかな?スペシャルな技術を使っています。幸洋子さんの担当回は、内容と関わり合いなく、見る人をなぜか「しあわせ〜」な気分にしてくれるんですよね。「名は体をあらわす」とはまさにこのことです。

ここでニュースです。「オトナの一休さん(第一則 クソとお経)」でATP賞(制作者が選ぶ、制作会社に贈られる賞)の優秀新人賞を藤原桃子ディレクター(←「オトナの一休さん」を思いついた人)がゲットしました。パチパチ!

第33回 ATP賞テレビグランプリ、優秀新人賞は藤原桃子さん!

そんでオマケにもう一つ告知。

明日6月14日から「こんな絵を描いた」新作+ベスト展が開催されます!
17日は参加者総勢10名のトークショーあり。イラストレーターが雁首そろえて何を話すんだっつーの。褒めあいしても気持ち悪いし、傷舐めあうのも気持ち悪い。ここはいっそ厳しい批評合戦と行きますか!?

「こんな絵を描いた」新作+ベスト展の情報はここからどうぞ!

ザ・ベスト展!と一休さん

人形町って日本橋のすぐ隣なのに観光地っぽくないところがいい。

先日、青山界隈のとあるギャラリーに絵を見に行ったら、誰かお客さんがお土産に持ってきたどら焼きの、箱だけあった。

箱自体を「大福帳」に見立てたデザインで、その箱がいいから箱だけとっておいてある、ということだった。中身のどら焼きはない。

「すご〜く美味しかったよ」と言われて、箱しかないのがますます恨めしい。僕はつぶあんの和菓子が大好きである。
聞けば人形町のお店だという。しかし箱のどこにも店の名前が書かれていない。ただ大福帳と大書してあるのみ。そのいさぎよさに惹かれて、ますます食べたくなった。
今は、その店が「清寿軒」だという調べはついている。
来週人形町に行くから、絶対に食べよう!(どら焼きが入った状態。写真は勝手にネット上のものを無断拝借。シェアというのだろうか、シェアというと一気に罪悪感が減る。)
人形町は最近なじみの街になりつつあるのだ。
それは人形町(日本橋堀留町)の「Vison’s」というギャラリーでイラストレーターの企画展が2014年から、年に2回開催されていて、ちょっとした手伝いなんかもしているからだ。
このギャラリーは阿佐ヶ谷美術専門学校の持ちもので、同校でタイポグラフィーの授業をしているグラフィックデザイナーの日下潤一先生が企画展のテーマを決めてイラストレーター達に描かせているのだ。
描かせている……なんて書くと「伊野くんはひどい!みんなのことを思ってやっているのに」と日下さんはおっしゃるに違いない。
確かに日下さんは1円の銭もとらないボランティアで、DMや小冊子のデザインももちろん無報酬。そんな奇特な人に対して、描かせている、なんてひどいことを言ってはいけない。
いくら日下さんが強引にひっぱったとしても、絵は、描かせられるほど単純で簡単なものでもないのである。
2年続けて計6回やった企画展の、ザ・ベスト展が来週から開かれる。
日下さんが考えた展覧会のタイトルはこうなっています。
「こんな絵を描いた 自作ベスト+新作展」
参加した我々はやはり自発的に「描いた」のである。この DMを見て強く思った。だってそう書いてあるんだから。「絵は一人では描けないよ」これは唐仁原教久さんがよくおっしゃっている言葉だ。
この言葉の意味を僕は身にしみて知っているつもりだ。
人間は一生をかけて、ほぼ同じところをぐるぐる回っているだけ……というのは、人生を半分以上生きれば、誰でも思い至る感想だ。
ぐるぐる回る軌道をちょっとでも変えてくれるきっかけを無下にしてはいけない。そのきっかけはいつやってくるのか。待ってもいない時にやってくるきっかけを人は「おせっかい」というかもしれない。
おせっかいな人がこの世にいなかったらどうなるだろう。
ここに二人のよく似たキャラクターに登場してもらおう。
一人は中里介山の「大菩薩峠」の主人公、机竜之助。
もう一人は柴田錬三郎の眠狂四郎。
眠狂四郎は机竜之助をモデルにして柴錬がこしらえたキャラクターなので、容姿はよく似ている。大映映画ではどちらも市川雷蔵が演じている。どちらが机でどちらが眠かわかりますか?机竜之助は、物語の冒頭ではわりと積極的に人と関わるのだが(どんな関り合いかというと、剣術の試合相手の妻を水車小屋に拉致して犯したりする)だんだん巻が進むにつれ、殺人以外はほぼ流されるままに生きていく。
かたや眠狂四郎は無頼の徒と名乗るくせに、始終おせっかいに人と関わっちゃうのである。
「大菩薩峠」は机竜之助のだんだん出番が少なくなっていく上に、流されるままに生きているので、どうしても話が退屈になってきて、12巻あたりで僕は挫折した。しかも2回も。「眠狂四郎」は小説でも映画でもみなさん楽しんでいる通りだ(白状すると「眠狂四郎」の小説は1冊しか読んでない)。
はい、どうですか?
ほら、おせっかいな方がいいじゃないですか!おせっかいな人がいると話や人生が展開するんですよ……まぁ、途中から強引な例えだなと思ってましたが。それに私は机竜之助のキャラの方が好きです。
今日宣伝したのは他でもありません。17日の16時からトークショーがあるのです。
参加者のほとんどが顔をそろえるトークショー。プロレスのバトルロイヤルのように盛り上がればいいのですが、さてどうなるでしょう……とても心配です!
僕は田原総一郎よろしく司会のような役をやらされるので、ことのほか心配です。お客さんが来るのかも心配。
自由な言論空間の中で、イラストレーターのタブーに斬り込み、真剣勝負で言葉のやり取りをする!1000円を払ってくださった方に楽しんでいただけるよう、がんばります。どうぞよろしく。
どら焼きを買いに来るついでに来てください!有名な親子丼の店ほか、人形町には老舗がいっぱい!
さて、今週の一休さんは?
第二十三則「偉くなるって恥ずかしい」です!
物語も終盤。第4コーナーを曲がりました。ここからは一話も見逃してはなりません。
今回の見どころはEテレのサイトで読んでいただくとして、はい、ここでは極私的な自分の知り合いに向けての見どころを書きましょう。
見どころ、それは、このわたくしめがカメオ出演(?)しているところです!しかもこれから最終話までずっと出る。
今まで、一休さんの弟子といえばマル、サンカク、シカクみたいな頭の形をした雑魚キャラ(この弟子たちを描くのがけっこう楽しい)だったのですが、ここにきて初めて名前のある弟子が登場します。
その弟子の名は没倫(もつりん)。
さてこの没倫のキャラをどうするか相談した時に、アニメーターの飯田さんが「僕は伊野さんをイメージしてましたね、だって伊野さんも◯◯◯◯◯だから」と言いました。◯◯◯◯◯というのは次回以降のネタバレになるので差し控えますが、その意見を聞いて一同納得。「大丈夫ですか、伊野さん的には?」とディレクターの藤原さんに聞かれて「はい、みなさんがそう言うなら」と答えました。内心では「声優はやらなくていいんですかね?必要なら……」とまで思っていたのですが、そこは誰も求めてませんでした。当たり前だ。
この人が没倫です。似てますかね?

がばいエロい一休の漢詩

まずは『笑ってなんぼじゃ!』の挿絵から。

洋七さんが小学生の頃の話…ということはつまり『佐賀のがばいばぁちゃん』の頃の話です。

いやぁ、ひじょうに助かるなぁ。何がって言って、資料探しが。映画にもドラマにもなっているし、それがネットで見れたりするのもんで…とても助かる。今のところ。

『笑ってなんぼじゃ!』は日本農業新聞で連載されている、島田洋七さんの半生記です。

さて、今週の『オトナの一休さん』は?
第22則「一休、エロ漢詩を詠む」です!
今の時代、お坊さんが結婚するのは当たり前だし、誰と付き合おうが勝手なわけですが、一休さんの時代は許されたことではなかったようです。世間から非難の目を向けられても、そこは一休さん、自分の道を貫きます。
しかも、それだけではありません。一休さんは恋人との情交をかな〜りきわど〜い漢詩につづっています。一休さんは詩人なのです。『狂雲集』という詩集(かっこいい名前ですよね、狂雲集って)を盗み読みした弟子たちは大騒ぎ!
番組ディレクターの藤原さんに、史実の一休さんを知るためにはどの本がおすすめですか?と聞いて教えてもらったのがこの本、『一休和尚大全』(河出書房)。石井恭二さんが現代語訳する一休さんの漢詩はなかなかカッコイイんっす。おっと、いきなり本の帯に今回のアニメにも出てくる漢詩の一節〈美人の陰、水仙花の香有り〉が引用されているではありませんか。
『オトナの一休さん』第2シリーズでは4人のアニメーターの方に一話づつ担当してもらっています。今回担当の飯田千里さんは、毎回チャーミングな動きでキャラの可愛さを引き出してくれます。ありがたや、ありがたや。
ぜひお見逃しなく!

ピッ句と一休さん

『ku+クプラス』というトンガった俳句雑誌があるのですが、3号目にして最終号という残念なお知らせ。

しかも第3号は紙に印刷して雑誌にするのではなく、webでのリリース。これまた残念。手に取り、触り、めでるだけでも気分が良かったものです。俳句は全く詳しくないのですけども。

最終号では、第1特集「ピッ句の野望」というところに絵を描きました。ピッ句というのは要するに俳画のことです。

俳人さんたちの間で「俳画というと墨絵っぽいから、新しい呼び名を考えよう」という意見が出て、ピクチャー→ピッ句チャー→ピッ句となった模様。はい、要するに駄洒落です。同人さんたちの俳句に触発されて、絵描きたちも俳画を展開させようというわけです。

私は山田耕司さんの「少年兵追ひつめられてパンツ脱ぐ」という句を選びました。
さて、この句はいったい何を言わんとしているのでしょうか。いろいろな受け取り方ができます。悩みました。
小学5年生の頃だったか、クラスの中で発育の早かったイケダくんの下腹部にはすでにCHINGEが生えていました。プールの日にみんなでイケダくんをからかってパンツを脱がした思い出があります。
少年兵とは文字どおり少年(子ども)と受け取っていいものか。いや、そこは兵だから、ツワモノでしょう。ツワモノが追ひつめられて「パンツ脱ぐ」。かわいさと緊張感とそこからのフリチン。私の頭には入道雲が高い夏の青空が思い浮かびました。
しかし、夏の青空なんか絵にしてもイマイチ面白くないな。俳画は俳句の添え物に終わってはいけないのです。ピッ句の野望がないじゃないですか。
それで描いたのがこの絵です。
少年兵とは童貞のことにしました。少年兵(青年かな?いや、中年だったりして)はドアの向こうの暗がりでまさにパンツを脱いでいるところでしょう。
今回頭を悩ませましたが、実は、いかように読める句の方が絵をつけやすい。「古池や蛙飛びこむ水の音」のような句に絵をつける方がかえって難しいのです。池に蛙が飛び込んだ絵なんて描いても、そのまんまじゃ〜ん!(いや、別に悪いと言ってるわけではないよ……)
〈画ばかりでも不完全、句ばかりでも不完全といふ場合に画と句を併せて、始めて完全するようにするのが画賛の本意である〉
これは正岡子規の、画賛はどうつけるべきかの見解なのですが、これはひっくり返せば、逆に句に絵はどうつけるか、にも当てはまるのではないでしょうか。山田耕司さんの俳句は完璧なのですが、自由な想像を許される不完全さがあるということね。
……正直に告白しましょう。
この絵はわりとうまくいったな!わはははは!うまくいってなかったらこんなに前置きタラタラ述べるかい!
第1特集「ピッ句の野望」はPDFでダウンロードできるので、他の皆さんの作品もお楽しみください!
はい、この話はこれでおしまい。
次、今週の『オトナの一休さん』いきます。
前々回、一休の兄弟子でライバルでもある、養叟(ようそう)が死んじゃいました。そして前回、応仁の乱で京都を焼け出され、一休一行は堺へと逃げ伸びます。
さて今回はそんな重い話とうって変わって、なんと恋の話!第21則『七十七歳の恋』です。
しかも相手は50歳年下の盲目の女性、森女(しんにょ)。二人は歳の差や身分の差をなきもののように惹かれ合います。もちろんこれもしっかり史実に基づいているんですよ。
個人的に、今回の一番の見所?というか、何回見ても笑っちゃうシーンがあるのですが、それは二人の仲を調査する、その名も文春(ぶんしゅん)という弟子が登場する場面です。
この文春の鉛筆を舐める舌の動きが傑作なの!動きだけでもおかしかったのに、音がついたらまた可笑しいの!今回の動きをつけてくれたアニメーターは円香さん。いつも音をつけてださるのは井貝信太郎さん。
このシーンは本筋にまったく関係なく、脚本にすらない動きだし、私も鉛筆持ってたら舐めるのがいいかなくらいで舌を出した絵を描いただけなのですが、最高にアホなシーンに仕上がっています。ぜひご覧ください〜。

キレる相撲口癖応仁の乱

この絵は「日経おとなのOFF」の「キレる老人の頭の中」というコーナーに描いたものです。
確かに、こんな老人を街でよく見かけるようになりましたが、これは脳の認知能力が低下していることが原因だと書いてあります。60歳代になると理性を司る前頭葉がかなり萎縮してくるらしい。でも、脳が萎縮したせいで怒っているとは自分じゃ気づかないんだからなぁ。
でも、良いお年寄りを見ると、ほんと名作を見るような気分を味わえるので、ぼくは年寄りが好きです。
あまりに頭にきて、ついでに昇天してしまう「憤死」という死に方があります。
誰だか忘れたが昔のローマ教皇で憤死した人がいると高校の世界史の時間で習いました。
そのときおじいさんの先生は「このナントカナン世は怒りのあまりに死んでしまったそうなんですなぁ…」と言い終わると教科書から目をあげて、教室中の生徒を見渡しました。
先生の口元には笑いが浮かんでいて、世の中にはこういう死に方もあるのだということを伝えるのが楽しそうでした。
一昨日、相撲が始まりました。
国技館にぶらっと行って二階の好きな席に座って、相撲を見ていた頃が懐かしくなる、今の相撲ブームですが、やはりあの不人気時代を一人で面白くしていたのは朝青龍ですよね。
「親の仇だと思って対戦している」なんて言ったり、怒りの形相がかっこよかったです。キレやすい性格だったけど、体の動きは誰よりもキレがありました。他の力士の1.5倍早かったね。そしてトークのセンスがよかった。
「~でね、~ね」という、語尾に「ね」をつけて喋るのって、たぶん朝青龍の口癖だったのかもしれませんが、あれがリズムが良くていいんですよね。
語尾に「ね」をつけること自体は一般的ですが、朝青龍独特の「ね」に強いアクセントを置く喋り方は文章を区切りやすくする、朝青龍の工夫だなと思いました。相撲の技に工夫を凝らすように、言葉も独特の工夫によって習得していったのでしょうか。
この朝青龍的に語尾に「ね」をつける喋り方は、白鵬や日馬富士、鶴竜など他のモンゴル人力士もやります。
これはぼくの想像なのですが、朝青龍と接しているうちにその喋り方がうつっちゃったのかもしれません。もしそうだとしても、外国人力士が日本語を習得するときに、誰かのマネから入るのは自然なことだと思います。
ところが、最近は稀勢の里も「~でね、~ね」って言うのです。これは相撲界で流行してんのかな(意外なところで朝青龍が受け継がれている?)って思ったのですが、皆さんはどう思いますでしょうか?あ、どうとも思わないですか。はい、すいませんでした。さて絵、今週(16日放送、19日再放送)の『オトナの一休さん』は第二十則「応仁の乱と一休さん」!
今回だけは笑えない内容。戦争と平和、今の時代にも当てはまる、人間にとっての永遠のテーマです。今回はいつもと違って壮大なカクカクアニメに仕上がっております。どうぞお見逃しなく!
Eテレの番組ホームページはこちら!

私の一瞬芸人志願

中学1年生の時だった。漫才師になりたいと思った。急にそう思いつめた……わけでもなくて、「笑い」は何年も前から私のスペシャルなものだった。

小学4年生までの私は、勉強は中の下、運動は下の下で、目立たなかった。当然、学校生活はつまらなく退屈だった。
人間の友達と遊ぶより、虫を捕まえたり、魚を釣ったりすることの方が好きだった。
海に突き出た堤防で、一人で釣り糸を垂らして、静かな波の間に浮き沈みするウキを見ていると、学校で閉じていた心が遊ぶのであった。
また、魚や虫のカッコイイ形に比べて、人間というのはなんてカッコワルイ形をしているのだろう、と思った。
ところが小学5年のクラス替えで、Y君という友達と仲良くなったことをきっかけに、私の学校生活は急に楽しくなった。
Y君はハンサムで、マンガのキャラを描くのも得意だった。何よりも運動神経が抜群に良かった。そんなクラスの人気者のY君は、どういうわけか私に強い興味を持った。
Y君は毎朝私の家に迎えに来るようになった。私の家は学区域の一番遠いところにあり、私の家から学校に行く途中にY君の家があるにもかかわらずだ。
(ただ仕事の絵だけを載せるのも愛想がないと思い、いつものごとく無理やりに自分の思い出話を書いてます。今週アップする絵は、日本農業新聞で連載中の島田洋七さんの自伝エッセイ『笑ってなんぼじゃ!』の挿絵です。しばらくは少年時代なので『佐賀のがばいばあちゃん』の世界です。挿絵の後に、思い出話の後半があります……えっ?)
Y君は私を「おもろい」と言った。
まったく意外だった。Y君のおかげで私は、自分が時々おもしろいことを言う人間だということに気がづいた。さらにY君は「うまいなぁ」と言って私の描いたマンガの絵を褒めるのであった。
休憩時間にみんなでボール遊びをする時にはこんな具合だ。
チームわけをしなくてはならない。通常は運動神経の良い二人がリーダーとなって、交互に戦力になりそうなヤツを選んでいく。私はいつも一番最後の残り物だったのだが、リーダーであるY君はいつも一番先に私を指名した。他のクラスメートが不思議な顔をしてY君を見つめた。
そんなに私のことが好きなんだ!と驚いたが、その愛の確証は私の気持ちを強くした。
ある日、私は「今日はドッヂボールやなくて他の遊びがええなぁ」と言ってみた。
するとY君はすぐさま賛成してくれて、他のみんなもそれに従った。私の意見が通る。画期的なことだった。
そんなわけで、私は虫や魚との付き合いをやめて、人間たちと付き合うようになった。Y君が私のことを宣伝してくれるので、クラスの中でもだんだんと存在感を増して行った。自分は案外目立ちたがり屋の性格なのもこの頃知った。ついには学級新聞のアンケートにおいて私は「ひょうきん者部門」第1位に輝いた。
中学に上がり、Y君ともクラスが離れ、だんだん疎遠になり、私は元の地味な生徒に戻って行った。また学校が退屈になった。
虫や魚にはもう興味がなかった。心が遊ぶのは、テレビでお笑い番組を見ている時だった。
「芸人になりたいなぁ……」
ちょうどその頃、街のスーパーマーケットの開店イベントがあり、本物の芸人がやってきた。オール阪神・巨人と月亭八方と、あともう一組いたが、今となっては思い出せない。
芸人になりたいなんてことは友達にも言えず、当日は一人で見に行った。人垣の後ろから、背伸びをしながら、漫才と落語の舞台を見た。地方営業にも手を抜かないプロの仕事に非常に満足を覚えた。そしてまた一人で自転車に乗って帰った。
その夜、布団の中で「やっぱ、芸人になるのはやめよう、無理だ」と思った。厳しい修行にとても耐えられない。第一どうやって芸人になるんだ。ぼんやり憧れていた自分が恥ずかしかった。
以上、ハシカにかかったような私の芸人志願期間についてである。おわり。

最近の挿絵

25、6歳の頃、時代物専門の挿絵画家になると決めた。

その頃時代物を描こうなんていう若者は極めて稀であった。

しかし、自分で決めただけで、仕事はいっこうに来なかった。

無聊をかこつ間に出版界には時代物ブームが訪れ、「それ見たことか」と予想が的中したことに得意であったが、悲しいことに自分はその時代物ブームの波には乗っていなかった。

「あぁ、オレの目論見は見事失敗に終わったことよ…」と時代物ブームの大波を見ながら、砂浜で蟹と戯れているような日々が15年近く続いた。

あの蟹と戯れていた不遇の時間が、コチコチの挿絵画家志望からよろずなんでもイラストレーターへと変態をうながしたわけで、今となっては絶対に必要な時間だったわけだ。しかしいつ報われるともわからない日々の中で「いつまでオレは蟹と戯れてりゃいいんだ!カニめ!カニめ!カニのバッカヤロー!」と我慢しきれず、叫んだものである。

いや、カニはさっき思いついた例えなので、カニのことは叫んでいない。それにこの苦労話は何度も書いたので自分でも飽きているのだが、「無聊をかこつ」という最近知った言葉を使いたくて、つい書いてしまった。

というわけで、いろんな仕事をいただいていても、やっぱり嬉しい時代物挿絵なのだ。小学館の「STORY  BOX」で連載していた谷津矢車さんの『しょったれ半蔵』が最終回を迎えたので、今週はその挿絵と、他に単発物、そして今度から始まる新聞挿絵のお知らせです。

ブログに載せる時に、気に入ってない挿絵は省いてしまうのが常だが、この『しょったれ半蔵』はギリギリ全部オッケーということにしておこう。めずらしいことだ。いいことだ。

ところで、あのぉ、ええっと、この雑誌さぁ、イラストレーターのクレジットが小さすぎない?…。欧文なのはいいとしても。
名前がデカいと格好悪いのか?一応こちらも自分の名前を売って商売をしているフリーランスなんである…。この小さい欧文の名前を見ていると、自分たちの仕事の境遇を思い知らせれるようでちょっぴり悲しくなってくる。この件は書こうか書かまいか迷ったが、やっぱり書いてしまった。「オール讀物」に掲載された平岡陽明さんの『監督からの年賀状』の挿絵です。
このところ「オール讀物」で平岡陽明さんの短編が載る時は、挿絵を依頼されるようになった。作家とコンビのような存在になれるのは、挿絵をつけるものとしては望外の嬉しさがある。
平成の世を舞台にしても、良い意味で昭和な感じが漂う小説を書く平岡陽明さんは、私より絶対に年上だと思っていたが、プロフィールを読むと6つも年下なのに驚いた。四十も過ぎれば、もう年上とか年下とかもう関係ないみたい。年上な感じがする年下の人って、たのもしくていい。平岡さんとはお会いしたこともないのですが。
ちなみに私は32歳くらいで精神年齢がとまってしまった。「日本農業新聞」で島田洋七さんの『笑ってなんぼじゃ!』という連載が、昨日からはじまった。小説ではなくてエッセイなのだが、新聞小説の欄で掲載される。
「日本農業新聞」が毎日送られてくることになったので、今までとっていたA新聞をやめてしまった。最近新聞も全然読めてなくて…。
「日本農業新聞」は〈青森県 ナガイモ首位奪還へ〉〈JA場所 満員御礼〉といった記事が満載で、これだけ読んでいても世の中のことはわからない。いや、かえって特定の視点から眺めた方が、世の中のことがよくわかるかもしれない。

風刺画嫌い、パロディ嫌い

「シャルリー・エブド襲撃事件」があった数日後だった。

面識のない某女性週刊誌の男性記者から電話があった。

内容は『The New York Times』に掲載された安倍首相の風刺画についての感想と、風刺画が日本に与える影響について、意見を聞きたい、ということだった。
何より驚いたのは、私のところに電話がかかってきたことだ。私は新聞や週刊誌などで風刺画を連載をしているわけでもないし、もろに風刺画っぽいものも、たまに仕事で頼まれて描くくらいだから。
たぶん、「風刺画 イラストレーター」とかいう検索ワードでひっかかったのかな。
電話取材では何と答えたか忘れてしまったし、結局、その記事は編集の都合で掲載されることはなかったのであった。
今回アップしたオバマとトランプの絵も、風刺画ってほどのものではないが、当然頼まれ仕事である。図にするとわかりやすい「ZUNNY」というサイトのために描いた絵です。4月いっぱいはサイトで読めるらしいです。
私は風刺画なんてもともと興味なかった
風刺画と呼ばれる絵はみんな古臭い気がしたし、そういうものしか知らなかった。風刺画が嫌いというより、風刺画のビジュアルに好きになれるのが少なかった。
絵のニュアンスの問題だと思う。
おちょくるのも、ふざけるの好きだけど、ただ、批判が前面に出ているだけっていうのは、あんまり好きになれないなぁ。
思わず笑っちゃって、後で考えたら風刺にもなってるんだなぁ、くらいが個人的には好き。ようは面白ければいいんだけど。
自分の絵が風刺画に向いていると言ってくれる人もあり、いつの頃からか意識しだすようになった。
※これは風刺画か?ただふざけて描いた、銀座の文豪である。
※これは風刺画か?雑誌のアンチエイジングの特集のために見開きに描いた。意図していないが、すごく嫌味な絵でもある。
※これは風刺画かもしれない。「日本美術における戦後民主主義とは何だったか?」というテーマのコラムに描いた絵だ。吉本隆明の「共同幻想論」は読んだことはない。
※こういうのがいわゆる風刺画だろう。
さて、風刺画のお次はパロディといこう。
先日東京ステーションギャラリーでやっていた『パロディ、二重の声  日本の一九七〇年代前後左右』を見て、パロディで面白いことをするのって難しいんだなぁ、とつくづく思った。
展覧会には、寄席にブラックジョークでも聞きに行くつもりで出かけたのだが、肩透かしをくらった。
長谷邦夫さんのパロディ漫画『色ゲバ』(ジョージ秋山と谷岡ヤスジの漫画のパロディ)があったんだけど、これが……ぜんぜん……面白くなくて……。
しかし、赤瀬川原平さんのつげ義春「ねじ式」のパロディ『おざ式』は感動的に面白い!ほんとうに素晴らしい。ますます大尊敬だ。伊丹十三さんがレポーターをつとめる「アートレポート」という美術番組が見れたのもラッキー。和田誠さんの言葉はいつもわかりやすくて、本質をついている。ステーションギャラリーのパロディ展は、面白いパロディを集めた展覧会ではないから、「あんまり笑えないじゃん」と言って文句をつけるのはお門違いではある。そのへんのところは、発売中の芸術新潮の小特集でキュレーターの成相肇さんが語っておられるのでお読みください。
これらの絵は成相学芸員が出品作のパロディの格好をして解説をしている絵で、たいして面白くないパロディです。どうもすいません。
ちなみに成相肇さんは似顔絵が描きやすい顔なのだが、気を悪くされておりませんでしょうか。
しかし、同業者としては、パロディや、ナンセンスや、風刺画というのは美術のお笑い部門なのだから、笑わせられなかったら負けだぜ……なんていう眼でどうしても見てしまうのである。
実は私はパロディも嫌いだった
『画家の肖像』の絵を描いている頃(2010年)だった。いろんな画家の肖像を描いていると、どうしてもパロディになってしまうことが避けれれない。「わ〜なんかパロディみたいなだなぁ、ヤダヤダ」と思いながら描いていた。パロディはすでに終わったジャンルのように思っていた。
まず、パロディは、一目見て何のパロディか分からなければいけない。しかし、これがクセモノだ。
たとえば、ゴッホの絵をパロディにするとき、ゴッホのタッチのままで何か他のものを描けば、パロディになるけど、それがそんなに面白いの?という話だ。それだけでは面白くない。
「一目見て何のパロディか分からなければいけない」とされるパロディは、宿命的に頭の中で作品の因数分解が簡単にできてしまう。面白さの内容が割り切れると、面白さは瞬時に消えてしまう。
パロディ絵画は言葉に置き換えやすいので、そこがつまらん。
面白い絵を見たとき、それを言葉で伝えるのはとてもむずかしい。頭と体の中にはおもしろさが充満しているのに、なかなか言葉に置き換えられない。きっちり説明ができないからこそ魅力的なのだとも言える。言葉に変換できないものこそが絵の本質だ、と大見得切ってもいい。
だからパロディで面白いものを作ろうとしたら、言葉で簡単に置き換えられないニュアンスをどんだけ込められるかだと私は思った。
これらは『画家の肖像』で「パロディみたいでヤダヤダ」と思いながら描いた絵だ。
炎の画家、狂気の画家、といったイメージを裏切るような安らかな眠りの中にゴッホはいる。『星月夜』は、私にはやさしい静かな絵に思える。ゴッホもいい絵がかけた時は満足して眠った夜もあっただろう。私はゴッホの絵を見て、狂気よりも慰めや癒しを感じる。
高橋由一はニッポンの油絵レジェンドなのだが、描くものがヘン。吊るしたシャケ、ブスな花魁、豆腐と焼き豆腐と油揚げを並べて描いたり……。何を描くがものすごく重要ということをレジェンドはわかっていらっしゃる。というわけで考える画家、高橋由一の肖像だ。決して今晩のおかずを考えている江戸時代の料理人ではない。
『階段を降りる裸体』から『泉』まで一気に現代美術の歴史を進めた大天才デュシャンも小便は我慢できなかった。イエスも釈迦も小便は我慢できなかった。
これらの絵は自分ではパロディと思って描いていない。画家や作品の感想文を、絵で描いているつもりなのだ。結果的にパロディのように見えるなら仕方ないし、あえてムキになって反対する気もない。
パロディが面白くないのは、パロディをしようと思って作るからではないか……そんな気もする手前味噌。
ひょっとして、宣伝?……そうだよ、そうだよ、パロディを超えた絵による絵画論、拙著『画家の肖像』を宣伝するために、ここまでブログを書いてきたのだよ。なんかまだ在庫がいっぱいあって、版元の住居を狭くしていると聞いたから。Amazonでポチれるらしいので、たまには宣伝しようと思いましてね。1冊くらい売れてくれとる嬉しいのですが……。
おわり。

やったぜ!たけちゃん3

新潮社から3カ月連続刊行されるビートたけしさんの『たけしの面白科学者図鑑』、シリーズ第3弾『人間が一番の神秘だ!』のカバーを描きました。4月1日発売です。ついにこのシリーズも完結です。さっそく、カバーと他のアナザーバージョンのラフをご覧ください。最後のアイデアがいいんじゃないかということで、もうひとひねりして、人類の進化コマネチにしてみました。ご覧のように、この時点ではコマネチポーズはみんな同じだったのですが、「人類の進化に合わせて、コマネチポーズもコマ送りにしてはどうか?」という提案が新潮社からありました。そして、コマ送りがわかりやすいように編集部のエラい人がコマネチを決めている連続写真が、資料として一緒に送られてきました。楽しい……。こんなことをされると自然に微笑みがあふれ、ガンバロ〜!という気になります。さすが仕事が丁寧な新潮社です。

なお、この編集部のエラい人(気を使って私の方で顔を隠しておりますが)はまだそんなにエラくない時に、本の宣伝でスーパージョッキーの熱湯コマーシャルに出た経験がおありだとか。その本(ムック)は1999年に出た『新潮45別冊2月号コマネチ!ビートたけし全記録』であります。私も発売時に買い、熟読したものです。こちらが原画。実際のカバーではバックの色が少しハデ目になっています。
先日、3月26日放送の『TVタックル』でたけしさんが本を宣伝するという情報を聞き、テレビの前で待ち構えていました。短い時間でしたので、特にカバーの絵については何も触れていませんでしたが、ま、たけしファンにとっては記念すべき出来事でございました。殿のお顔の下に私の名前もちゃんと入っております。これもファンにとっては記念であります。
さて、自慢話はこの辺にして、内容の方にも触れてみたいのですが、3巻のラストを締めくくる対談のお相手が、西江雅之先生という方でした。私は本当に無知蒙昧な人間で、西江先生を今まで存じ上げなかったのですが、めっちゃオモロイ先生なんですよ!いいお顔ですね〜。西江先生は子どもの頃から変わってます。野球とか普通の子が夢中になるようなことには興味がなく、そのへんにいる虫や生き物を捕まえて食べていたらしいです。そのへんの生き物を食べちゃうのは、大人になって文化人類学のフィールドワークのために未開地に入っていくときもやっています。そのせいでお腹こわさないんだって。
〈人間は、生活のあり方に絶対的な根拠がない動物なので、時代ごとに、地域ごとに、次々に根拠を作り、そして作り替えていく。しかし、今や、「人類の根拠」なるものを作りはじめている。世界中の人間が、たった「一つの文化」という物語を信じはじめている〉
対談のラストで、西江先生はこうおっしゃいます。ここだけ聞くと、「まぁ、そうだよなぁ、それぞれの文化を大切にしないとなぁ」と思うでしょう。その時頭に何が浮かんでいますか?着物を着た生活ですか?ご近所同士の醤油や味噌の貸し借りでしょうか?はたまたブッシュマンのような狩猟採集民の生活でしょうか?
甘いですね。西尾先生が話してくれる世界の多様性は私たちの想像を超えています!「母乳の代わりに精液を飲ませる文化」とか「親父が息子と出会った時に、挨拶代わりに息子のポコチンを握る文化(息子の息子だから孫を握ることになる、とか言って二人で爆笑しています)」とかね。もっといろんなことが対談で話されています。
西尾先生のプロフィールに「エッセイの名手としても知られる」と書いてあって、すっかりファンになった私はさっそく先生の本を注文しちゃいました。ただ、残念なことに先生は2015年に77歳でお亡くなりになったようです。
しかし、本が次の本を紹介してくれました。いや〜読書って素晴らしいですね。ぜひ『たけしの面白科学者図鑑』シリーズを買いましょう!

女もすなり益荒男日本史2

先月、生まれてはじめて健康診断を受けた。

結果は要医療が1つ、再検査が2つ、経過観察が4つもあった。年齢より若く見られるのに、中身は完全なオッサンだったわけだ……。結果の通知には「不摂生を排除して再検査を受けましょう」と書かれていた。恐怖心がお酒の誘惑を上まわったので、その日からピタリと酒をやめた。

するとどうだろう、三日目あたりで、顔がすっきりした。特にむくんでいる自覚もなかったが、実は顔がむくんでいたようだ。同時にお腹周りの贅肉も少なくなった。なんてこった、とんだ毒水を飲んでいたもんだ。

もともと食事の味は濃い方ではなかったがさらに減塩し、羽根木公園に運動に出かけるという極端な日々。楽しい飲み会でも一滴も酒を飲まず、ひたすらノンアルコールビールを飲み続け、ある店では在庫の全てを飲みつくしてしまったこともあった。

そして毎日のように、引っかかった項目をネットで調べる。特に、眼底に軽度の異常が見つかったのが恐ろしい。もともとド近眼で裸眼では0.04しか視力がない。強度近視の人は眼の具合が悪くなる確率は普通の人より高いらしい。そういえば、最近さらに眼が悪くなったような気がする。

「いかん、こうやってスマホで病気のことを調べていること自体が、眼に負担をかけているかもしれない」そう思って、スマホをポケットに入れて、揺れる電車の中(余計に眼に悪い)から、車窓の遠くの木の緑を見つめるのであった。

検査結果にビビって3週間、禁酒と適度な運動を続けた後、再検査を受けるとすべての数値は基準値以内におさまっていた(血圧だけは低くならなかった。高齢者並だという)。

「はじめて健康診断受けてビックリしちゃったのね」と病院の先生は笑っていた。どおりで自分の不健康の話を年上の人に話しても、誰もまともにとりあってくれなかったわけだ。「なんだ四半世紀ほぼ毎日酒を飲んでいたのに、たった3週間やめただけで、元に戻るのか……」そう安心したが、なぜか快気祝いの祝杯はノンアルコールビールを飲んだ。

ノンアルコールビールにはまっている。だいたい私はビールを数杯飲んでも酔っ払わない。それなら家で飲むときは、ノンアルコールでもいいじゃないか。味もなかなかいい。ビールの不味いメーカーのノンアルコールビールの方がなぜかうまい。

もっとも心配だった眼も再検査を受けたが、今のところ問題ないようだ。最近視力が落ちたと感じるのは単なる老眼の症状だった。

酒もこれからは適量をわきまえて飲むことにした。休肝日は週4日!

……99歳まで生きたい。ところで、生きて何をするのだろうか。仕事もなければ無意味な時間が延長されるだけかもしれない。しかし長生きも芸のうち。

はい。そういうわけでございまして、どうでもいい話はおわり。

続きまして、代わり映えしない仕事の報告。

今週は、一年以上前に終わっている連載の絵を載せまする。UCカードの会員誌「てんとう虫」で連載されていた泉秀樹さんの「女もすなり益荒男日本史」に付けていた絵です。歴史の中の女性に焦点を絞った内容でしたが、女性の肖像画というのがほとんど残ってないので、多くは私の想像です。大浦慶

大浦慶は江戸末期の長崎油商の娘として生まれた。はじめて日本茶を輸出して巨万の富を得た女傑だそうだ。幕末に長崎が開港して、ロシア、イギリス、オランダ、アメリカと自由貿易が許可された直後に、茶の貿易を始めたそうなので、先を見る目がある。もう一人、先見性に富む人物、坂本龍馬も同じ頃、同じ長崎で日本最初の株式会社「亀山社中」を設立したそうな。それで、こんな絵にしたんだっけかな?
ブログに載せるために見直したので思い出したが、とっさに「大浦慶って誰でしょう?」って聞かれたら、答えられない。一年前のことでもどんどん忘れていく。でも絵に描くとなんとなく頭に残るものではある。
和宮と篤姫
皇女和宮は14代将軍家茂の嫁であるので、前将軍夫人の天璋院篤姫は姑だ。嫁は命投げ打つ覚悟で、徳川存続と戦争回避を訴え、姑は旧知の西郷隆盛に働きかける。江戸城無血開城を実現させた公家、武家女傑二人の高き誇り……というわけで、江戸城無血開城の主役二人が屏風の後ろから感謝している絵にしたんだったよな。
仕事の時は最低でも2回は原稿を読み直すが、これも忘れていた。嫁と姑の関係だったんだ。人間というものはだいたい35歳を過ぎると吸収力がガクッと落ちると聞いたが、その通りだ。
松尾多勢子
女ながらに尊皇攘夷の志士であった松尾多勢子。しかも活動しはじめたのは50歳を過ぎてからだという。ある時は農婦に変装し、またある時は行商人に変装し、情報収集や連絡係になったという。もし今、松尾多勢子をドラマ化するならもちろん「鬼平」で密偵おまさを演じていた梶芽衣子で決まりだな。
浅井三姉妹
長女・茶々(淀君)、次女・初(常高院)、三女・江(崇源院)。中でも江は三婚して、計二男六女生んでいる。それで江の元にやってきた姉二人が甥や姪をあやしている絵にしたんだな。〈三姉妹がそろって政治の現場で歴史を動かした日本史上唯一の例である。いや、今でも動かしている。今上天皇も江の血をひく子孫の一人だからである〉と本文にあった。
春日局
春日局こと福は三代将軍家光(竹千代)の乳母になるや、瞠目すべき官僚の才を発揮し出す。〈まだ柔らかかった幕府の甲羅に堅固で硬質な輪郭をあたえた〉ほどの名官僚だという。さぁ、これをどう絵にする?……って悩んだ挙句にこんな絵にしたんだろうな。
はぁ、毎週火曜日更新という自分に課した約束を守るためだけに、今日も更新したぞ〜。面白い記事をみんなに読ませようと思って、更新しているわけじゃないんだからな〜。おわり。

短歌倶楽部 冗談はよせ

「てんとう虫」で連載中の福島泰樹さんの『短歌倶楽部』に絵をつけています。

この連載、自分にしてはめずらしくギャグが禁じ手となっております。福島泰樹さんの原稿を読むと、確かに冗談をさしはさむ雰囲気ではありません。

いつの頃からか絵には冗談を必ず入れるという芸風になってしまいました。頓知を効かせた絵というのは、出来不出来はあるとしても、冗談さえ思いつけば、仕事の8割は終わったようなもの。

ところが、冗談を禁じられるとポエムで勝負しなければいけません。

ポエムとはつまり絵に漂う詩情でしょうか。

絵のアイデアよりも絵自体の良さで、読者の皆様を説得せねばなりません。ところが私は色感がそれほど良くないし、描写もモノの説明の方が得意なので、ポエムのある絵がヘタなんですねぇ。こまりました。

升酒やあかるいひかりてらしてよ力石徹 ウルフ金串

笑うため仰向いて飲む冷酒や酒のコップ三杯さよならを言う

第1回の絵。

福島さんの短歌に添える絵というより、エッセイ全体に添える絵として描いているのですが、結果的に即物的な絵になっちゃうなぁ。升酒描いたり……。敗北の涙ちぎれて然れども凜々しき旗をはためかさんよ

稿用紙の上にたばしる時雨あらば孤立無援よ濡れてゆくべし

第2回の絵は高橋和巳さんの横顔です。

切なさや漣のように襞をなし押し寄せてくる憶い出なるよ

もう誰も知らないだろう六〇年代戦死者の花雨に濡れおる

第3回絵は学生運動の絵、ずいぶん”そのまんま”な絵だなぁ。

野枝さんよ「虐殺エロス」脚細く光りて冬の螺旋階段

しなやかな華奢なあなたの胸乳の闇の桜が散らずにあえぐ

第4回の絵はかつて新宿にあった「アートシアター新宿文化」の前に伊藤野枝がいる絵。絵にはやっぱりアイデアが必要なのか。アイデアが入ると描きやすいのは確かなんだ。

上を向いて歩けば涙は星屑のごとく光りてワイシャツ濡らす

小劇場澁谷ジァン・ジァン打揚げの三平酒寮の灯も遠く去る

第5回の絵はこれも今はなき渋谷「ジァン・ジァン」に出演する福島さん、そのステージを見る永六輔さんの絵。

魂の奥底ふかき挫折さえ乗り越えて来し霧のリングよ

愛しきは酒と稲妻、なやましく丼に酒あふれせしめよ

第6回は日本ライト級王者バトルホーク風間さんの絵。

整然と並びしメット真輝けり わが哀傷の カルチェ・ラタン

さようなら寺山修司かもめ飛ぶ夏 流木の漂う海よ

第7回は「月例絶叫コンサート」をしている福島さんの絵。吉祥寺にあるライブハウス「曼荼羅」で毎月十日に開催されています。開始して三二年目です。ここの会場に限らず、福島さんのコンサートは有名なのでご存知の方も多いでしょう。去年の冬に私も見に行きました。ダンディズムあふれる福島さんですが、結構冗談好きみたいで、笑わせてくれる場面も多かったのが、意外というか、自然でした。

というわけで、毎回苦戦している連載です。

「ぼく神」連載終わる

そういえば、今月売りの「小説すばる」で私の半生記兼バイトくん物語であるところの『ぼくの神保町物語』が最終回を迎えていたのだった。

前回掲載分も含めてザザッと紹介して(と言っても挿絵だけ)ササッと逃げたい。

まずは前回(第12回)の『新しい絵』から。

この扉の絵は2010年12月、原宿の「リトルモア地下」で開かれた個展『画家の肖像』で描いた自画像です。

昨日のことのようだがもう7年前。人生は加速度的に時間が過ぎる。この回は個展の開催から2012年12月でバイトを辞めるまでの話。

やっとたどり着いた最終回は『苦いような甘いような味覚』というタイトルにしてみました。絵も誰だって描けるけど、文章だって誰だって書けるワイ!と思ってやりはじめた連載だったが……1年は長かった。

この扉の絵は30代前半の頃を想定して描いた、バイト先で働く私である。まだ髪の毛がたくさん生えている。

前回でバイトを辞めるまで話が進んだので、最終回では私は神保町を離れている。

神保町物語はバイトを辞めた時点で終わると思いきや、実はそこで終わりじゃない。むしろそのままでは『ぼくの神保町物語』は始まってなかったと言ってもいい。

運命が私に神保町に戻れと言った。そして私は神保町に戻った……なんて書くと大げさだが、私自身、神保町のことを書こうと思ったことはなかったのだ。「19年も神保町でバイトしててさ〜」なんていうただの思い出話だった。

ある人の提案により、19年のバイト人生=神保町時代が物語としてあらわれた。「伊野くんがバイトしてた神保町をテーマに絵を描けば?それで展覧会をしよう」と。

最初は「そんなテーマで絵が描けるのか?」と思ってしぶっていた。

まずは短い作文を書いた。そこから絵を描き始めた。

私は神保町博士ではない。街に詳しいわけではないのだ。限られた範囲で、来る日も来る日も毎日同じような行動をしていただけ。

嬉しい時にはルンルンと、悲しい時にはトボトボと、悔しい時にはコンチクショウと、いろんな気持ちで職場のある街をボーッと眺めていただけ。

でも、個人的な気持ちがなければ、絵は普通の絵にしかならない。

展覧会は2015年に開かれた。

『ぼくの神保町物語』は展覧会だけで終わるはずだった。

そうならなかったのも神保町という街のおかげ。神保町の街に送ったメッセージに、思いがけない返事が帰ってきたみたい。何がどうしたのかって?それはネタバレになるからここではヒミツだ。

ところで「自分と街」というテーマ、別に私だけじゃなくて、すべての人が書けるテーマだ。「私と街の物語文学全集」なんていう企画がないだろうか。古今東西のそういう話を集めたアンソロジーを読んでみたい。

やったぜ!たけちゃん2

新潮社から3カ月連続刊行されるビートたけしさんの『たけしの面白科学者図鑑』シリーズの第2弾『地球も宇宙も謎だらけ』のカバーを描きました。3月1日発売です。わかる人はわかると思いますが、たけちゃんの立っている星は『星の王子さま』風になっております。

さてカバーのラフとアナザーバージョンです。コマネチ座を見上げるたけちゃん。

このラフを描いた時はたけしさんの『嘲笑』という名曲を思い出していました。

たけしさんの書く詞の世界(北野武作詞、玉置浩二作曲)と、このシリーズでのたけしさんが重なって感動してしまいます。

星を見るのが好きだ

夜空を見て考えるのが

何より楽しい

百年前の人

千年前の人

一万年前の人

百万年前の人

いろんな人が見た星と

僕らが今見る星と

ほとんど変わりがない

それがうれしい

偉大なる失敗

ハヤカワ文庫のマリオ・リヴィオ著『偉大なる失敗 天才科学者たちはどう間違えたか』のカバーを描いてます(デザイン:モリサキデザイン)。アインシュタインが投げ捨てているのは、失敗した計算式が書かれた紙くず。しかし、その失敗こそが科学に進歩をもたらした、というわけで紙くずが惑星になって、宇宙の謎を解く鍵になる…というアイデア。この犬の絵は「婦人画報」のお肌の特集で描いた絵。なぜ犬なのかというと、お肌がたるむ人=ブルドッグ、こける人=イタリアングレイハウンド、という婉曲的表現になっているわけです。たるみとこけるがじゃれあっている図。どういう意味だ?お肌の断面図というのはこうなっている…ってどういう構造だったかもう忘れてしまいましたが。

私は、打ち合わせの時に「婦人画報」の担当さんからいただいた美白効果のあるオイルを、お風呂上りに顔に塗っています。

今週のブログは手抜きにて、これにておしまい。おもてなしできずにすみません。わざわざ覗きに来てくれた人、すみません。今から出かけなければいけないので…。

人間百年

織田信長が好んで謡い舞った「敦盛」には、〈人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり〉とあるが、その後平均寿命はのびて、なんとある予測では、今の20歳の若者の半数は100歳まで生きるそうだ。そして50歳の人の半数は92〜96歳到達するという……そんなことが今売りの「日経おとなのOFF」の特集「100歳まで破綻なし!金持ち老後のマネー戦術」に書いてある。私は99歳まで生きて”史上最長寿のイラストレーター”になるつもりでいるのだが、正味な話、長生きしても仕事が途絶えれば、国民年金だけでは暮らしていけない。フリーランスは老後をどうすればいいのだろう。15年くらい前に読んだ山本夏彦さんの本に〈才能というものは、のぼり坂が三年、のぼりつめて三年、くだり坂が三年、〆て十年続けばいいほう〉とあったのが頭にこびりついている。我らがイラスト業界を見ると、30年40年50年……と才能が続く大先輩もいるが、これはきわめて稀なことだ。

自分の才能はいったい今どのあたりなのだろう?もしかしてピークを過ぎているかもしれない。というか、自分で自分のピークがわかるのだろうか?くだりきった後だったら、振り返ってわかるだろうけど。とにかく自分の才能が10年で終わらないように願うばかりだ。なにしろ老後に入ってくるお金は国民年金だけなので。 富岡鉄斎は老いるほどに絵が自由になり、89歳の最晩年に画業はピークを迎えた。本人は「絵は余技」だと言っている。

仕事が途絶えないことも大切だが、絵を描く境地が自由になるのは羨ましい。どうしたらそうなれるのだろうか。

富岡鉄斎のことが大好きな原田治さんが70歳で亡くなった。築地のパレットクラブの落語会を聞きに行った時に、一度だけお顔を見かけただけで、お話ししたことはもちろんない。でもブログはけっこうチェックしていた。原田治さんの『ぼくの美術帖』に取り上げられている画家の多くが私の好きな画家とかぶっている。
谷口ジローさんも亡くなった。69歳。2年前に、三度お会いして、少しお話ししたことがある。当時はお元気そうだったが、それでも最近は仕事の時間を減らしている、と話された。聞けば8時間くらい(もしかして10時間だったかも?)とのこと。私など8時間も描いたらヘトヘトになってしまう。今思えば貴重な機会だった。もっといろんなお話を聞けばよかった。緊張するのでつい遠慮して、しゃべりやすい友達がいる席にずっといた。
いけない。トイレに立ったタイミングで積極的に席移動しなければ。
でもこのトイレから立つタイミングで席を変わるというのが、立ち去られた側の気持ちを勝手に忖度してしまい、私はなかなかできない……そんな話はどうでもいいのだが。私は人に年齢を聞かない。
セツ・モードセミナーに通いはじめたとき、長沢節先生に「ムラマツ先生ていくつなんですか?」とセツの講師の人の年齢を聞いたら「知らない。オレ人の年なんて気にしたことないのよ」と言われた。私はガツーン!とゲンコツを食らった気持ちになった。その時以来、人間を年齢という物差で測ることのあさはかさを思い知り、聞かないことにした。たとえ気になってもだ。初対面の人が同い年だったり、一回り二回り違うと、それで話も盛り上がったりするので、聞いてみたくなることもあるが、なるべくこちらからは聞かない。そういう時に相手が聞いてくれると、ホッとする。そして案の定、年齢の話で盛り上がったりする。しょせん私は長沢節とは器が違うということだ。長沢節先生、生きていれば今年で100歳。 自分が死ぬ時ってどういうことを考えるのかなぁ。この話は前にもブログに書いたけど、小学5年生の時に夜の港で死にかけていた時は、しょっからい水を飲み込みながら、月を見あげて溺れていた。死ぬのか?死ぬのか?死ぬのか?たぶん死ぬんだろうな……と覚悟をしながらも、泳げなかった私は体力が尽きるまで、必死に手足をバタバタさせているしかなかった。やがて月をバックに岸壁に人影が現れて、その人影は海苔の養殖に使う長い竹を私に差し伸べていた。リアル蜘蛛の糸的思い出話。命の恩人に家まで送られて、洗面所の鏡の前に立った時、突然死の恐怖が襲ってきて、大泣きしたことは覚えている。あぁ、私は今から死ぬのが怖くて仕方ない。とりとめのないことを書いている……。どうやって今週のブログをしめようかな……パソコン画面から目を外して、伸びをして部屋を見渡したら、畳の上に散らかった本の帯が目に入ってきた。〈生がある以上、必ず死はある。これが得心できないことが迷妄であり、この真理に目覚めることが「覚り」なのである。仏教の核はほぼこれにつきている〉呉智英さんの『つぎはぎ仏教入門』という本だ。
 ……というわけで、自分は死ぬ前には真理に目覚めておきたい。今から目覚めていても、また迷妄することもあるだろうから、死ぬ直前でいい。ま、先のことは考えてもわからんから、考えるのヤメじゃ! ……。追記:昨日の夜にシメサバを食べたら、あたってしまった。症状を自己診断するとたぶん胃アニサキス症だと思う。周期的にお腹が締め付けられるように痛くなる。仮にアニサキスだとすると、お腹の中に虫がいることになる。この虫は人間には寄生できないので数日で死ぬらしい。くたばってたまるかぁ!と虫は虫なりに死ぬまでジタバタするので、お腹が痛くなる。胃カメラを飲んでこの虫を取り出せば症状はすぐに治るようだが、去年検査で胃カメラを飲んだ時に死ぬほど苦しかったのだ、胃カメラ自体が。考えものだ……。

春日若宮おん祭

今売りの「芸術新潮」2月号で、6ページに渡り「春日若宮おん祭」を漫画でルポしております。この祭りは900年近く、ほぼ途切れることなく毎年続けられてきた御子神さまを接待する行事です。前夜祭、後夜祭的なものを含めて計4日もの間、イベント&芸能目白押しのスゴイ祭りなのです。

ところがこのルポ漫画、わたしはまったく取材に行っていないんです……。IMG_2513ご覧のように、最初のコマでも説明されていますが、芝崎みゆきさんが取材し、描かれる予定だったのです。ところが、なんと取材の最終日に、芝崎さんは右肩骨折(上腕骨近位端骨折)するという災難に遭い、絵が描けなくなってしまったのです。

そこでコンビニエンス・イラストレーター伊野に電話がかかってきたというわけです。年末進行の真っ只中、12月20日のことでした。IMG_2514

「しかし、取材もしていないのにどうやって描けばいいんだろう……」と心配になりましたが、芝崎さんは驚くほどしっかりとしたネームを描いてくださいました。
〈三角巾とコルセットで固定されながらーの、なんとかネーム(コマ割りとラフ)を、体を斜めにしながら、腰のはじあたりでムリヤリ描きました〉
これは芝崎さんのブログより当時の状況を語った部分の引用です。「腰のはじあたり」ってうまい言い方ですね。
資料写真は芸術新潮専属カメラマンH瀬さんがぎょうさん撮ってはります。編集部に出向いて、芝崎さんと一緒に取材に行ったT山さんとS田さんから、「春日若宮おん祭」についてみっちりレクチャーを受けます。芝崎さんが右肩骨折事件のあらましも聞きました。ちょうどその日は新潮社の仕事納めの日で、一年の激務から解放された編集者たちの談笑があちこちから聞こえてきたりと、社内にはゆったりとした雰囲気が漂っていました。IMG_2515
大晦日にはダウンタウンの番組を見ながらゆっくり酒を飲み、ぐっすり眠った後、新幹線(1月1日は空いている)で三重の実家に帰る……予定だったのですが、果たしてそんなことができるでしょうか。
とりあえず、下書きまでは今年中に終わらせておこうと思い、ダウンタウンの番組は見ずに、紅白歌合戦をラジオで聞きながら、仕事を続けました。
数時間前にT山さんから、漫画の補足指示とともに「年越しは会社と決めて珈琲飲む」という句がおまけでついたメールが来ていました。完全なるワーカホリックのT山さんは会社で一人コンビニ弁当を食べながら原稿書きに勤しんでいるようです。IMG_2517
ふとわたしは、何か大晦日的な気分を味わなければ、と急に思い立ち、買っておいた鯛の刺身と日本酒1合だけで、ささやかながら2016年の最後の晩餐をしました。でも、立ち食いそば屋に駆け込んで食事を取るように慌ただしく済ませてしまいました。そんなに慌てることはなかったのですが、やはりこの後も仕事をしなければいけないと思うと、自然とそうなるのです。
食後、また机に向かい、ラジオで相葉くんの司会にハラハラしつつ紅白を聞き、作画に励みました。なぜか「行く年来る年」の裏番組で「オトナの一休さん」が1本だけ再放送されるので、その5分間はテレビを見ました。
深夜2時頃までやって集中力がなくなり、寝ました。IMG_2516
明けて2017年。8時起床。昼過ぎまで続きをやって、下書きを完成させ、さっぱりした気持ちで帰省しました。
正月は実家でのんびりしていました。だから漫画に描きこんだ「お正月返上」というコマは大げさなのです。芝崎みゆきさんはこれを信じて、非常に恐縮なさって、さらにブログでわたしを褒めまくってくれています。いやはやこちらこそ恐縮です。
芝崎さんにはエジプト文明やマヤ・アステカ文明について描かれた著書(今、『古代マヤ・アステカ不可思議大全』を読んでいますがと〜ってもオモロイです!)があり、文字のすべてが手書きです。それにくらべたら手抜きですよ、私のなんか。
しかし、今回の仕事はなかなかできない経験でした。いろいろ勉強になりましたね。もし仮にどこかでわたしが描いたルポ漫画が、モロに芝崎みゆき風であっても見逃してくださいね。IMG_2519
芝崎さんのブログはこちらです(それにしても褒めすぎだ……)。
是非、作・芝崎みゆき、絵・伊野孝行『見てきたよ!ざざっと春日若宮おん祭』を「芸術新潮」でお読みください。

やったぜ!たけちゃん

相撲が好きだ、と言ってる割に今場所はほとんどテレビ観戦をしなかった。

北の富士が心臓手術の後、大事をとってNHK専属解説を休場した。あまりテレビを見なかったのはこのせいかもしれない。相撲ファンだったのに、いつの間にか北の富士ファン、いや、北の富士の解説を聴きながら見る相撲ファンになっている。北の富士がラジオの解説に出るときは、テレビの音量を消し、ラジオを聴きながらテレビを見る。e58c97e381aee5af8ce5a3ab-540x582

北の富士と一緒に相撲を見ることは、お相撲さんの粋な香りに包まれて見ることだ。土俵の攻防をうまく解説する親方は他にもいる。でも、土俵の中だけが相撲じゃない。土俵の外にもいろいろ何かある。楽しいことやコワイことが……よく知らないけど。そんな相撲のすばらしさのすべてが北の富士に現れている。

居酒屋の取材では、ちゃんとしたことを言うリポーターより、吉田類のちょっといい加減なレポートこそが似合う。お酒を飲むとはそういう気分なんだもん。居酒屋といえば吉田類、相撲といえば北の富士。ハァ〜どすこい、どすこい。

もう一つテレビを見なかった理由は、3時4時あたりから、6時までというのは私にとって一番仕事に手中できる時間なので、この時間にテレビを見だすと、手持ち無沙汰になって酒を飲みだす、横綱戦が近くなる頃に横になって寝だす……となるパターンが多い。だから見なかった。
ま、そんなに熱心な相撲ファンじゃないってことですね。
それはともかく、稀勢の里のお父さんは、こっちが勝手にイメージしていたのと違ってかっこいい人だった。横綱昇進はそりゃめでたいことだが、大関稀勢の里がもういなくなるのかと思うと、なんだか寂しい。稀勢の里が大事な一番を落とすたびに、ビートルズの「ドントレットミーダウン(がっかりさせないで)」が脳内再生されたものである。ぼくの中の稀勢の里のテーマ曲。やきもきするのも楽しみだったのかもしれない。IMG_2477やったぜ!ビートたけしさんの本のカバーを描いた!
子供の頃からからファンだったのでミーハー気分爆発。新潮文庫「たけしの面白科学者図鑑 ヘンな生き物がいっぱい!」という本だ。
しかも、来月、再来月と3冊続けて出るシリーズものだ。1冊だけではなく3冊並べて楽しい本にしたい。2月1日が正式な発売日だが、もうネットにも画像が出ているので載せちゃおう。デザインはもちろん新潮社装幀室。
本のカバーをやるときは、以前はた〜っくさんラフを描いたものだが、最近は出してもせいぜい3案くらいかな?でも、今回はアイデア自体、おまかせだったので、はりきって出せるだけ、出してみた。考えついた順番に載せてみよう。1234567
結果から言うと一番最初に描いたラフが使われたので、その後の6案は考えるだけ無駄だったわけだ……。タケちゃん微妙に修正/1巻
股間に注目してほしい。IMG_2478帯では普通のガニ股だが、帯を外すと、上記にアップしたもののように、ダイオウイカの足が後ろから出ている。
中学生の時に「がまかつ!」と叫んで、他人の股間に腕を回し(ダイオウイカの足のように、股間に腕を食い込ませる)そのまま上に持ち上げるイタズラが友達の間で一時流行った。がまかつというのは釣り針のメーカーか商品の名前だった。やられた方は面白いように体が持ち上がる。
まぁ、そんな話はどうでもいいのですが、果たして忙しいたけしさんはこの本を手にとってくれるのだろうか。
IMG_2479徳川慶喜修正
さて、もう一つは殿は殿でも、最後の将軍のその後を書いた、家近良樹さん著「その後の慶喜」のカバー。デザインはアルビレオさん。こちらはラフは一つしか描いていない。描くアイデアが既に決まっていたので。
円(自転車のタイヤ)を綺麗に描くのが苦手である。このオーディナリー型自転車というのは、すごくスピードが出るらしい。IMG_2480
最後は白水社の「ふらんす」という雑誌の表紙。こちらは毎月違うイラストレーターが担当する。1月号を描いた。パリの街にある、なんていうんだっけ?映画や芝居のポスターをはめる広告塔、あれにその号で取り上げる映画を絵にしてはめ込む。それが決まりごと。描くのは「女はみんな生きている」という映画。私は公開当時(2003年)に見ている。ポスターかパッケージのイメージを描いて欲しいということなので、描くことはだいたい決まっている。
ラフを描くつもりが、ええい、本番まで進めちゃえ、ダメならまた描き直しますから、と提出したら編集さんのOKをもらえた。私の場合、ラフを出さないと仕事はすぐに終わる。デザインは仁木順平さん。
このところ仕事の自慢話ばかりなので、反省し、最近買った林美一著「時代風俗考証事典」の話を書きたかったのだが、結局、今週も自慢話だけで終わってしまった。ネタを仕込むのは大変だし……。いずれそのうち。ではバイバイ。